ウェルフなる旅人の帰路   作:揚げやきとり

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四話前編 夕暮れの匂いのする街

「それで? 次はどこに行くつもりなの?」

 少女が訊いてくる。彼女の名はローレ。訳あって私の旅に同行している。

 彼女の服装は薄手の茶コート。先から着ていた黒コートは暑いと言うものだから、この先の為を考えてもう一着買ってやった。

 

「肉屋から出てすぐ (なん)だけれど、この町のパンは美味い。だからこの道を北へ」

 私は真面目な顔をして言う。

「まだ入るの? あれだけ大きな肉を食らっておいて……」

 少女は軽蔑を込めて目を細めてきた。

 

「よく言うでしょ、別腹ってやつだよ」

 

 かくして、私ウェルフは『汽笛の町モリ』中央街の敷きタイルを踏みしめた。

 地面には四角に整形された石が敷かれている。整備された道を馬車が行く。

 

「そんなお金どこに――ああもうっ、私は先が不安だよ旅人さん!」

 少女が私の先行に気付いて走り出し、私の側にぴたりと着いて歩き出す。

 

 彼女の声に不安の色は見えなかった。それだけで私は安心して、薄く微笑んだ。

 時は昼頃、食べて飲んで楽しむ声が良い響きを奏でる頃だった。

 

 

 ―――

 

 

 

 がしゃん! ぱりん! そう食器が割れる音が聞こえる。

 ちょうど大通りらしい道を通っていた時のことだ。

 

「いだっ!?」

 道端に並ぶとある酒場で、大柄な男のお尻が落ちる。

 驚いたその男は乱暴に手を動かして脇の棚を掴み、棚の一階がばきっと音を立てて折れた。

 

「がはははは、何やってんだ!」

 隠す気もない大声で、尻餅(しりもち)をついた男の脇に座っていた男が笑い出した。

「いたっ! 何すんだよ、てめえ!」

 ついでとらしく、笑っていた男の腕が尻餅男の頭を(はた)くと共に。

 

「はははは! ダッせぇ転び方すんな、グレン!」

「飯と年食い過ぎて足が逝っちまったってな!」

「そんで赤子足に逆戻りってか!」

「いえてら! がははははは!」

 店の奥側から複数の声が聞こえてくる。どの声も遠慮のない大きな声だった。

 

 

「うるさいなあ、街並みの良い景色がだいなしだ」

 よろよろと立ち上がる尻餅男の方を見ながら私は呟く。

 道幅は馬車一台と人二人分くらい。あまり広いとは言えなかった。道端に飲食店のテラスや受付台が迫り出しているので尚更だったが、それが逆に良かった。

 

 屋根を伝って(なび)く洗濯服、馬車が苦渋して迂回する程の人混み、薄い赤色の入った異国の家々。相まった景色は見ていてわくわくするものだった。

 町人は(みな)頭に布を巻いて背中に流していて、服は麻布(あさぬの)を染めてできたものが多い。

 

 異国の風吹く道を眺められる。これが良い景色でなくて何がそれだ。

 

 

「完全に酔ってるね、あそこの客さん方……。何か鬱憤(うっぷん)でも晴らしに来たのかな?」

 ローレが言う。気圧されたような顔をして。

「鬱憤、ねぇ。あんな大酒飲みにしては、毎日が鬱憤だらけ――」

 

 

「なぁーにやってるんだい!」

 鋭い怒号が響き、道行く人々の視線が声のした方向を向く。

 あまりの声量に私は肩を竦め、ローレは私の背後に体を隠す。

 ただただ静寂だけが残っていた。

 

「げ」

 

 壊した棚から手を離し、地べたに転げた男性が呟いた。

 直後、店の奥から大柄な人影が現れる。

 

 大柄な人影の性別は女性で、背丈を腹部の周囲にあてたような体躯をしている。歳はそう若く無さそうに見えるが、簡単には老いそうにない丈夫さが感じられた。女性相手に”丈夫そう”だなんて表現は失礼だろうが、そんな感じだ。

 健康そうな色をした太い腕には美味しそうな食事を乗せたトレイが掴まれている。

 

「何寝ぼけた顔で『げ』だよ、騒々しい! 家で女房に語りゃいい! 昔話でも!」

 予想通りの根太い声が響いた。声の主はこの女性だったらしい。

 

 あらやだ、”根太い”だなんて野蛮な表現ですこと!

 ぴったりな表現だった事は否定できないことは内緒だ。

 

 

「そ、そうは言ってもよぅ。女房はさっき出てったし、いても変わらな――」

 萎縮したような声で男性が言う。その声を遮るように女性が手を持ち上げた。

 

 ばん! という音が響き、騒がしい男衆の卓でトレイが悲鳴を上げる。

 幸いにもその食事は熱々のスープではなかったが、乗っていたパンは宙に浮いた。

 

「女に逃げられてヤケ酒かっ食らいに来たってのかい!? 早く追っかけなよ!」

 問いただされている男はもとより、騒がしかった卓の男たちもすっかり静かになってしまっている。傍から見ているローレが出てこれない程の迫力なのだ。私が彼らに薄い同情を覚えてしまう程。

 

 

「元気な女店主さんだねえ、ローレ?」

 私は背後に声を掛けてみた。

「……ごめん、旅人さん。今だけ、今だけでいいから隠れさせて」

 不覚そうな弱弱しい声が返ってきた。これには流石の私も苦笑いを隠せない。

 

「何を怖がってるのさ――」

 私がそう呟く一瞬前、ヤケ酒を食らっていた男がこう言った。

「だって、面倒だし……」

 

 次の瞬間の風景が予想できてしまった。

 

 

「はああっ!? ッざけんじゃないよ! 女房まで失ったら馬鹿騒ぎしかしないあんたに何が残るってのさ!」

 

 声は壁を震わせることができる事を知った。

 出処の気になる声量の声が壁を震わせる。ついでに人の心も震わせ、静かになった道をまっすぐに抜けていった。

 

 背後のローレが抑えた悲鳴を洩らしたことは言うまでもない。

 

「で、でも――」

「何やってるんだい! さっさと引き留めに行くんだよ!」

「もう故郷への道に着いて――」

「走れ! ぐだぐだ言ってないで走らんかいッ!」

「は、はあいっ!」

 

 

―――

 

 

 嵐が去った街には騒めきが戻り、立ち止まっていた人々も移動を再開した。

 かの男衆の卓では会話が残っているが、その声量はすっかり収まっていた。苦笑いを通り越して笑いを堪えていた私がいたことを憶えている。

 

「も、もう行った……?」

 少女ローレの声が聞こえる。いつもの冷静さが怯えに取って代わった声が聞こえ、私はついに笑い出してしまう。

 

「くくっ……だ、だいじょうぶ、もう行ったよ――ぷくくくっ」

「なあっ! 何笑ってるのさ!」

 ローレの頬が真っ赤に染まった。しかし私の笑いは止まらない。

 

 

「べべ、べつに、ね。ほら、今日の宿を探さなきゃ」

 気紛れに話題を逸らし、私は空を指さして言った。

 空はもう赤を白に薄められた色を見せていて、道に通る人々の中には灯を手に持っている者も見えてきた。陽はすぐに落ちてしまうだろう。

 

「空もローレの頬みたいな色になってきたし」

 あえて真顔でそう言ってやった。

「く、くうう……」

 なんとも言えない顔が返ってきた。

 悔しそうな声を洩らす少女から視線を逸らし、私は道の先の方を向く。

 

「さ、今日の宿を探そうか。行くよ」

「……どうせ、夕食が美味しそうな宿に泊まるんでしょ?」

 道を進み、私は金属製の箱を取り出した。

 箱の脇についた板を噛んで引き、片手でとある枝を取り出して着火。どちらも前の街で手に入れた新品だった。

 

「半分正解。今日はパンな気分だから、パン屋が近いといいな」

 私は本心でそう言う。

「へいへい、さいですか。それで? その箱と枝は何?」

 少女は後者の方に興味を示してそう言ってきた。

 

 

「確か、『ライター』と『枝マッチ』。どっかの不作法な街で買った」

 私は薄い皮肉を込めてそう言った。

「不作法な言い方ね。それと、上手い事は言えてないから」

 

 

 街道は灯に染まりつつ。

 

 

―――

 

 

「いらっしゃい! 何かお求めかしら?」

 健康そうな肉付きの女性がいる店を見つけた。

「こんばんは。ここってパン屋さん?」

 少女ローレが口を開いた。両手をカウンターの縁に乗せつつ。

 

「ええそうよ。……あら? もしやお一人で旅をしているの? お嬢ちゃん」

 優しそうな微笑みを湛え、カウンターに立つ女性は返答した。

 ちなみに、彼女の表情は被られたコートに遮られて見えない。前が開いたフードを被られているので、女性からは見えるが私からは窺えなかった。

 

「いえ、連れが後ろに――ああっ! もう、何やってたのさウェルフさん!」

 

 くう、見つかってしまった。もう少し気付かないでいればいいものを。

 そこの店で買った『クラッカー』なるおもちゃを使いたかったのだが、あと数歩というところで感付かれてしまった。仕方ない、今回は期を窺ってやることにしよう。

 

「いや、すまんね。長パン四つで」

 私もカウンターに顔を出し、女性が見せてくれた品書きを見て注文する。

「そんなに食べれないでしょ! ごめんなさい、二つでいいです」

 脇から聞いていた少女に訂正されてしまった。

「えぇ。別腹はぁ?」

「私は満腹なの! あと別腹は減らない物じゃないからっ!」

 

 私とローレの会話に軽く笑い、女性が口を開く。

「うふふ、仲が良いのね。長パン二つでいいかしら?」

 

「ええ、それでお願いしま――」

 ローレが口を開く。その言葉をあえて遮り、私は口を開いた。

 

 

「あ、あと。部屋を一泊貸してくれませんか」

 

 

「「へ?」」

 間の抜けた声と視線が集まった。

 

 

―――

 

 

 パン屋の宿主は、快くも客人用のそれを一部屋貸してくれた。

 代金は800バニとそこそこな値段だ。そこらの宿賃よりは安いので構わない。

 

「くあぁ……」

 口に手を当ててあくびを一つ。今日は食べてばかりだったので、十分幸せではあるが、今になって眠気に襲われることになった。

 

「寝不足? ウェルフさん」

 借りた肩掛けに乗務員服をかけつつ、ローレが声をかけてくれる。

 そういえば彼女は乗務員だったか。今日の朝までだけど。私はそう思い出した。

 

「うん。今日はよく動いたし、よく食べたからね」

「本当、食べすぐ……ふあぁ」

「あ、うつった」

 

 

 留守を少女ローレに任せ、私は夜の街へ出た。既に多くの商店が並んでいる。

 買った物は三種類。ふかふかした重ね布を四枚、固めの毛が刺された棒を二本、

 それと柔らかい生地の服を二枚。ただただ眠かった記憶がある。

 

 

「ただいま」

 部屋に戻った時、部屋の入り口で焚かれていた灯は消えていた。

 ローレは寝床に横になり、穏やかな寝息を立てている。

 

 起こさぬよう、静かに移動を始めると、

「旅人さん」

 一瞬で気付かれてしまった。

 

 

「何?」

「――ありがとう」

 そうとだけ言い、少女は寝返りを打った。

 

 

「ウェルフ、でいいよ」

 

 

 

 それは、晴れた夜空が見える日のことだった。


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