1か月半も間をあけてしまい、申し訳ないです。
まだ眠たそうな朝日が道路を照らす。カーステレオから流れる音楽は煙に包まれているようにハスキィなジャズ・シンガの声。ギターの柔らかな音色とタイヤから伝わる低い振動音が心地よい響きを奏でる。隣からはそれに合わせて指でハンドルを軽快に叩く音が響く。
「貴女が運転してくるとは思っていませんでしたよ」
「あら、意外?」
「割と」
そう言うと、ハンドルを握る女性は口元を綻ばせた。
「一応、運転手を申し出てくれた人はいたよ。でも、自分で運転する方が楽ね」
「ただ乗っているだけよりも?」
「ただ乗っているだけよりも」
確かに、と口には出さず同意する。誰か他人の運転よりも自分の思い通りに操れる方が遥かに楽だ。缶と喫茶店で飲むコーヒーくらい違うだろう。時々なら缶でもいいかとは思うけど。
「そう言えば、今日はもう1人のほうの試合じゃない?」
「ええ、あの後遅れて彼の専用機が到着したみたいです」
「気になるんじゃない?」
「多少は気になりますけど、後で記録映像を見ることも出来ますから」
「……ふーん」
少し間が空いての相槌を最後に車内は再びラジオの音だけになる。僕は窓越しに流れていく景色に目を向けた。
一応、昨日の内に山田先生と千冬さんには伝えたが、一夏やクラスの人には何も言っていない。まるで逃げているみたいだ。いや、きっと僕は逃げている。いつだって、今だって。でも、いつまでも逃げ続けられるわけじゃない。そのことは最初から分かっていたことだし、つい昨日に実感したばかりのことでもあった。だからと言って、立ち向かうほどの覚悟も理由もないのだけれど。
「ところで、君はどれくらい私たちのことを知ってる?」
「とりあえずサイトを見たりネットで調べたりした程度です」
十朱財団。元は『十朱深海・極地研究所』という、その名の通り何千メートルもの深海や北極・南極といった極地を探索、研究することで地球の起源や生物史、更には未知の生物や物質の発見を目的として創設された研究所だった。10年前にISが発表された当初からいち早く多大な関心を寄せており、その後全世界が注目し始めた前後の時期に『十朱財団』と名称を改め、これまでの調査にISを用いながらも黎明期から現在に至るまでIS研究を牽引してきている。特にISの装甲は十朱財団で発明されたものが現在の主流となっており、世界の市場シェア第1位を誇る。
「それなら話が短く済むね。じゃあ、私たちが国から渡されたコアは3基ってこともOK?」
はい、と簡潔に答えると、生徒が思った通りに間違えてくれたことに満足する教師のように九条さんは頷きを返して言葉を続けた。
「その3基の内1基は私のISに使われているの」
言いながら、左腕を掲げる。手首につけられた青い石が埋め込まれているブレスレットが太陽の光を反射し輝きを見せた。それが待機状態のISなのだろう。
「それでもう1基はもう1人の操縦者のISで、残る1つは解析・研究用に使われていた」
僕は内心驚いた。まさか各国が半ば匙を投げていることをたった1つの団体が行っているとは夢にも思っていなかったからだ。
「ほら、ちゃんと座ってなきゃ。そのことが聞きたいのなら直接ウチの研究員に訊ねてみなよ」
言われて僕は思わず身を乗り出しそうになっていたことに気付いた。少しきまりが悪かったがそれを表情に出さないように努めて再びシートに身を預けた。
「使われていた、っていうことだと今はそうじゃないってことですか?」
「そう。研究用だったコア、解析の結果5番目に作られたことが判明したから私たちは『フィー』と呼んでいる、そのコアは今製作中の最新機に搭載されているの」
今なんて言った? 5番目のコア? 最新機?
あまりに刺激的な情報たちに僕の頭は麻痺していた。と、車が速度を緩め、止まった。窓の外には7・8階建てほどのビルが見える。
「さて、到着よ。ようこそ、十朱財団へ。私たちは貴方を歓迎するわ」
天頂に近づく太陽に照らされた笑みはそれまでの情報と遜色ないほど刺激的だった。
**********
ビルの中へと入ると、九条さんは受付と二、三言話を交わすとすぐにこちらへ戻ってきた。そしてゲスト用と書かれたカードを僕に差し出したので、それを受け取った。曰く一応事前に僕のことを伝えてはあるが、いくつかの機密レベルが高いブロックではこれを持っていないと警報が鳴る仕組みになっているとのことだった。
「さて、まずは何から見たい?」
「えっと……お任せします。まだ何があるのかもよく分からないので」
「なかなか慎重だね。でも、少しくらい勘に頼ってもいいと思うな」
「まあ、努力はします」
「そんなに固くならない。よし、それじゃあ行こうか」
時間が惜しいとばかりに僕の手を掴んで早足でロビーを通り抜ける。いきなり手を掴まれたから少し驚いたけれど、その手は僕の手よりも冷たかったからか何となく落ち着いた。誰かと触れ合うのは久しぶりだった。引っ張られると体に鈍く痛みが走ったけれど、むしろ心地よいくらいの痛みだった。とは言え、あまりそちらに身を任せているとかなりの力が加わるから僕も足を速めて彼女についていった。
エレベータに乗って、柔らかな加速度を感じながら上階を向かう。8という表示が現れ、ドアが開く。エレベータから出て左右を見るとIS学園の寮やホテルに似た様相の通路となっていた。
「ここは何ですか?」
とりあえず何かは想像ついたが念のため質問してみると、隣には質問するのを今かと待ち望んでいる楽しそうな笑みがあった。
「ここはね、なんと社員専用の仮眠室なのだ!」
両手を広げて新しいオモチャを自慢する子供みたいに僕へと告げた。もしかしたら違うのかとも思ったけれど、やはり想像通りだった。先程の惜しげもなく一般には公開されていない、恐らく機密レベルもかなり高いであろうことをさも平然と口に出していたあの妖美とも言える姿と、今僕の目の前で無邪気に笑う姿がどうにも一致しない。どちらが本当の彼女なのだろう? それとも実はもっと違う姿があるのだろうか?
「お、その目はたいしたことないと思ってるね? ウチの仮眠室は学園の寮にも劣らないんだから。」
論より証拠、と言って彼女はドアが立ち並ぶ廊下を進んでいく。僕はおいていかれないように後をついていきながら考えた。きっと、彼女は僕が部屋のことを考えていたのではないことなどお見通しだったに違いない。わざと的を外したことを言っている。そのくらいのことは誰だってわかる。重要なのはどうしてそんな振る舞いをしたのか、ということだ。
そのことに考えを巡らせていると、前を歩いていた彼女が1つのドアの前で立ち止まっていた。僕の方を一瞥すると、ノックもなしにドアに手をかける。鍵はかかっていなかったらしく、ドアは音を立てず上品に開いた。僕が立っている位置からはドアが開いていることしか見えないが、部屋を勝手に見るわけにはいかないと思いその部屋に近づくのをやめて、もと来た道の方に体を向けた。部屋に入っていった彼女はその部屋の主を探しているようで、時折名前を呼ぶ声もするが返事をする声は聞こえてこなかったから、部屋の主は不在のようだった。
「うん? 見ない顔だな」
不意に僕が向いていた方の右側のドアが開き、中から男性が顔を出して声をかけてきた。少し驚いたが、とりあえず会釈をするとその男性は部屋から完全に出てきて僕の前に立った。
背は高いが痩せており、ラグビーボールよりも柔らかカーブをした楕円形の眼鏡をかけ、長身の研究者然とした男性は、一通り僕を眺めると顎に手を当て天井を見上げた。これでもしトレンチコートでも着ていたら誰もがこの人物を探偵だと勘違いするほど自然な立ち振る舞いだった。
「ああ、君が2人目か」
ゆっくりと発せられたその言葉に頷く。すると後ろからドアを閉める音が聞こえ、少し不機嫌そうな様子で九条さんが部屋から出て僕たちの方へとやってきた。
「うーん、いないなぁ……と思えば別に探していない人がいるし」
「スズカゼならアレの武装に関しての意見を求められていたから下で話し合っているんじゃないか?」
「ん、わかった。ところでさ、いつの間に二人は知り合ったの?」
僕と男性を交互に見て尋ねる。知り合ったというよりかは偶然鉢合わせただけだったので、そう言おうとしたところを遮るようにして隣の人物は頭を掻きながら口を開いた。
「別に、俺が部屋から出てきたらこいつが突っ立っていただけだ」
「じゃあ、まだ何も話していないのね」
それなら私が紹介するわ、と言って男性の隣へと移動する。
「この人は
「神田だ」
彼女から促されて、神田さんも口を開いた。ゴミを投げ捨てるような調子での声に対し、僕も自分の名前を言う。すると神田さんは、
「知ってる」
とだけ呟いて、九条さんの方へ体を向けると何かを告げてこの場から立ち去ろうとする。しかし、彼女は去ろうとする腕を掴んで引き止めた。その顔には笑みが浮かんでいて、何事かを思案したようだ。再び2人は言葉を交わし始めた。対称的な表情をしていたので、なかなかすぐには話がまとまらないだろうと思ったが、3分も経たないうちに彼の方が一つ息を吐き、両手を上げて降参の意を示した。
「分かったよ、俺も一緒に行けばいいんだろ」
「そういうこと。じゃあ、三海君」
声をかけながら僕の方を向く。彼は半ば諦めた様子で背を向けて歩き出した。
「行こうか。ウチの最新機のところへ」
彼女も振り返って彼とともに話しながら歩いていく。僕は未だ夢のように感じながら、2人の後をついて行く。窓を隔てた空から降り注ぐ光は依然として強く僕を照らしていた。
**********
降下していくエレベータの中。最初に口を開いたのは、神田さんだった。
「堪らんなぁ」
「なんで? いつもは嬉々として私たちに話しているんだから同じようにしてあげたら?」
「素人に話してもつまらない」
僕がいることも気にせずに言い放つ。とは言え、僕もその気持ちが分からないわけでもない。そういえば似たようなことがあった気がしたからだ。確かその時は僕が質問していたかな、と記憶の糸を手繰り寄せようとしたがそれ以上のことを思い出す意味はないと思い、その糸を適当に投げ捨てた。
「じゃあ貴方はただの素人がイギリスの代表候補生のビットを全部落としたと思っているの?」
「なに?」
挑発をするような声色で発せられた言葉に反応し、彼は勢いよく振り返り初めて会った時みたいに僕を見る。でもさっきの僕を訝しんでいた様子とは違って、その目には好奇心をたたえていた。
「お前、名前は?」
「え、っと……三海隆宏です」
「三海、今各国が躍起になって開発競争を繰り広げている第3世代の欠点は何だと思う?」
「特殊装備によって燃費が悪いこと、ですか?」
「違う、そんなもんはどうにでもなる」
「それじゃあ、特殊装備がISを特定の分野に一極集中させたいわゆる特化機体になってしまっているところとか?」
これは僕が以前から思っていたことの1つだった。本来宇宙開発のために作られたISはあらゆる事態に臨機応変に対処する必要があるのだから、何かに偏ることがあってはいけないはずだ。オルコットさんのブルー・ティアーズだってそうだ。確かにビット兵器や偏光射撃は強力ではあるが、それも距離を詰められてしまえば無用の長物だ。戦闘機ではあえて飛行機としてのバランスを崩すことでその操舵性を高める、ということをかつて聞いたことはあるが、第3世代の場合はそれ以前の問題だ。そもそもバランスという概念すらないように思えた。
「うん。まあ、おおむね正解。合格点だ。今のISは完成未完成以前の問題だ」
そうして彼はISについての持論を語りだした。そもそもISはその定義づけすら曖昧だ、というのが彼の主張らしい。時折別の話題に飛躍することもあったが、それも一般人が調べられる以上の事柄が多く、録音機でも持ってくればよかったと後悔するほどのものばかりだった。彼は3,4度ほど篠ノ之女史という言葉を主語にして話をしていたが、ISの研究者にはありがちなまるで神のごとく信仰しているような様子ではなく、純粋に同じ対象を研究する者として尊敬していることが分かったので、その点でもとても話しやすい相手だった。
「はいはい、到着だよ」
九条さんの声に僕たちは2人揃って前を向くと、既にエレベータは目的の階に到着していて、ドアを開けて地上へ戻ることを今か今かと待ちわびていた。慌てて降りると、彼女は肩をすくめていた。
「気が付いたら仲良くなってる」
「こいつ、なかなか気に入ったよ」
分厚く、重々しい扉の前に着く。カードの認証の他にもいくつか生体認証の機械が備え付けられており、彼女に言われたとおりに全ての認証を行った。合成音声が僕たち3人の名を呼び、情報が一致したことを告げると、何重にもかけられたロックが解除され、扉が開く。
「これが、最新機」
気付かぬうちに沿う言葉が漏れていた。室内に入ってすぐに一列に並ぶコンピュータ。そこのガラスを隔てた先にISがあった。
ダーク・グレイの機体は角ばった印象のラファールと違って、各部は楕円や流線型といった丸みを帯びた形状をしている。加えて、腕や足の部分には四角形の板のようなものも見受けられる。これはまるで……
「飛行機の翼?」
「なかなか鋭いな」
彼は口を斜めにして僕にそう告げると空いているパソコンを操作して隣にある立体ディスプレイを起動させた。投影されたのはガラスの向こうにあるこの機体の完成予想図のようだ。映し出された機体の下には名称も表示されている。
「
「ああ、ウチでは機体名はそれに乗ることになったやつが決めている」
「というか、声が聞こえるんだよね」
隣に立っていた彼女が不意に呟いた。ISの声、というのはこれまでに何人かの操縦者から報告されている事象のことだろう。機体との同調率が高いと発生する共鳴現象と言うのが今最も有力な説である。
「ウチのは売り出すものじゃなくて自分らで使うものだからな。名称はあまり関係ない」
それよりも、という言葉が彼の口から出てくるのと同時くらいにディスプレイには次々とウィンドウが浮かんでくる。機体全体が映ったものから腕部・脚部などの各部分が詳細に表示されたものまで様々だ。そして、目の前にある機体を中心にその左右には見知らぬ機体も表示されている。
「Trial003、その名の通り3番目の機体だ。加えて、こいつは今までと気色が違う」
「――なぜなら、十朱財団初の実戦用の機体だから、でしょう?」
横合いから誰かが口をはさんだ。ディスプレイから目を離して振り向く。声の主は腰くらいまでに伸ばした長髪の女性だった。
「あ、マイ。やっと見つけたよぉ」
九条さんは顔を綻ばせその女性のもとへと駆け寄る。この人物が先程の部屋の持ち主らしい。いくらか言葉を交わすと、その女性は僕の方へと歩みを向けた。
「貴方が、ミウミ・タカヒロ?」
「はい、そうです」
「私は
告げることは伝えたと言わんばかりにすぐに僕から視線を外して、横を通り抜ける。そして、神田さんと何かを話し出した。内容は目の前の機体のことのようだった。
「ごめんね、彼女あんまり饒舌じゃないから」
「いえ、いきなり来たのは僕のほうですから」
それよりも、と思う。話すのが苦手と言うよりもわざと話をしない、此方の出方を窺っているような気がした。先輩とも九条さんとも違う様子見の仕方、と言った方がしっくりきた。
「さて、と。じゃあ次行ってみようか。2人はどうする?」
九条さんが話をしている2人に声をかける。言われた2人は同時に考え出したようだが、先に口を開いたのは涼風さんだった。
「私はついて行く」
「うーん……俺はやることがあるからやめとくよ。なあ、三海」
呼ばれたのでそちらを向く。彼は口元に笑みを浮かべていた。
「また話そう。楽しみにしてる」
**********
その後、人物は変わったが人数は3人のままで別の部署や設備なんかを見学した。僕と同じかそれ以上に九条さんも楽しんでいたことが印象的だった。
「時が過ぎるのは早いもんだ。もうお開きの時間だね」
「そうですね。でもその分とても勉強になりました」
「それはなにより。……さて、それじゃあ聞こうかな」
体が少し強張る。そもそもここに来た目的はそれなのだから。
「君は十朱財団のIS操縦者になる気はない?」
「僕は――」
「ちょっと待って」
縦に振ろうとした首が途中で止められる。いつの間にか僕の目の前には涼風さんが立っている。
沈黙。彼女は僕を見据えるだけで口を開かない。何か言わなくてはと思うが射竦められてしまい言葉が出てこない。
「……君は、覚悟がある?」
「覚悟?」
「3号機は実戦用の機体。つまりISを人間なんか簡単に殺せる兵器として使うということ」
兵器と言う言葉に体が拒否反応を示す。
違う、違う。ISはそんなものではない。
「違わない。スポーツとか競技だなんて呼ばれているけれど、ただ人が死なないだけで、結局やっていることは殺し合いと一緒でしょ?」
違う。そんなわけ……
「各国ではこぞってISの開発を行っている。世界大戦時での兵器の無制限拡大競争と同じようにね。まるで歴史の焼き増し。そして……」
呼吸が苦しくなり、反論すらもできない。
地面にうずくまりそうになったところを涼風さんに無理やり腕を引っ張り上げられて無理やり立たされる。視線が交錯する。
「白騎士事件」
やめろ。それだけは言うな。言わないで。
そんな言葉すらも出ない。
「2300発以上のミサイルに加え多数の戦闘機や戦闘艦をたった1機のISが撃破したあの事件からもはやISは兵器としてしか見られていない。だから……」
一旦そこで言葉をとめる。もう僕には抵抗も反論もできやしない。そもそも最初からそうだったのかもしれない。
「ISを人をも殺せる兵器として扱う覚悟が貴方にはある?」
手を離される。その場にしゃがみ込むような姿勢になった。その後も何か言っていたような気がしたが、僕の耳に届くのはいつか聞こえてきたノイズばかりだった。僕の目に見えるのは、血のように赤い夕陽とそれに照らされてできた黒い、黒い影だけだった。
何点かお知らせがあるので活動報告を書きました。時間があったらご覧ください。
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