引っ越しやら何やらも一段落ついてどうにか出来上がりました。
自分がIS学園に戻ってきていたと気付いた時には夜の帳が空に重くのしかかっていた。携帯のホーム画面を開く。デジタル表示の時計は午前3時を過ぎていることを示す。眠っていたのかどうかも分からない。今の物音でルームメイトを起こしてしまったのではないかと心配になったので、どうにか夜目を利かせて室内の様子を探るが、そもそも部屋には自分しかいないようだった。今から眠ったところで3時間と眠っていられないから諦めて部屋の明かりを点ける。
とりあえず顔でも洗おう。ベッドから立ち上がって洗面台へと向かう。鏡を見た。血の気が引いて青ざめた顔。表情なんかない、パーツの集合体。それだけだ。いつも通りの自分。いつからだろう? きっとあのころから……
一度考えるともう止まらなかった。思い出したくもないのに次々と頭の中に思い浮かぶ。何年も前のことも昨日ことも全てが一緒くたになって。頭を押さえるけれど、何の気休めにもならない。顔を上げる。目の前には無表情の男。腕を頭から放し、ゆっくりと下ろしていく。首のあたりで手をとめる。そのまま両手で首を掴んだ。
力を強める。次第に呼吸が苦しくなる。
まだ緩めない。
血が止まっていく感覚。
このまますべて投げ捨ててしまおうか。それもいいかもしれない。
手から拍動が伝わってくる。
頬を何かが伝っていく感触。
まるでそれがスイッチだったかのように腕は力を失い、だらりと落ちる。
再び鏡を見る。映っているのは僕の顔。急に血が上ってきて少しばかり赤みが増している。頬には一筋の涙が流れた跡。僕は泣いていたみたいだ。悲しくて、どうしようもなく悲しいから。
でも、本当は笑いたかった。無理だと分かっていてもそうしたかった。
だって、こんなにも悲しいのだから。泣くだけではもったいないくらい、悲しいのだから。
**********
他の人たちよりも早めに教室に来たのは自分の思慮が浅かったと思わざるを得ない。誰もが僕を見ると驚いては慌てて平静を装って席に着く。カルガモの親子が道路を横断するみたいに似たような光景が10回も続くと流石にうんざりしてくる。そして決まってこちらには聴こえないと思って小声で話し始めるから、僕としては入学当初の騒ぎの方がまだましだと思えるくらいだった。
「あれ、みうみうだ~」
そんな教室の雰囲気を全く気にすることなく布仏さんが僕へと話しかける。他愛なく挨拶を交わすと目つきが普段のおっとりとした様子から幾分か訝しげなものへと変わっていた。
「……もしかして、幽霊?」
「そうかも」
「でも、足はあるみたい」
こてん、と首を傾げて僕に問いかける。
「実は足がある幽霊かもしれないよ」
「それじゃあ区別がつかないよ~」
そう言って、布仏さんはクスクスと笑う。様子を窺っていた人たちは僕たちの会話の始終を見ると、動きの差異はあれども皆が一様に胸を撫で下ろしていた。僕も周りでひそひそと話をされるのは鬱陶しかったから、彼女が態度を変えずに話しかけてくれたのにはとても助かった。
「なんで昨日は休んだの? みんな心配していたんだよ」
「念のために1日様子を見ていたってところかな。おかげで大分体も動かしやすくなったよ」
本当のことを言おうか一瞬迷ったが、あまり他人には言うべきことではないから当たり障りがないような返答にする。布仏さんもそれに納得してくれたようで話はすぐに別の話題へと移り変わった。会話の8割くらいは僕が聞き役だったけれど、あまり自分から話をするのは得意ではないからさっきと比較して1.2倍くらいは助かった。
それから一夏たちが教室に来たのは昨日あった出来事はとっくに聞き終わって、学食のデザートはどれが美味しいか、というとても今後の参考になる話題の時だった。
「え? あれ、隆宏、だよな?」
「多分ね」
一夏と篠ノ之さんの二人はこれまで教室に来た誰よりも僕を見て驚いていた。もしかしたら、本当に自分は幽霊なのではないかと疑ってしまうほどだった。それからすぐに、彼は僕と布仏さんの近くに寄ってきた。
「ケガは? 体は大丈夫なのか? それに昨日はなんで休んだんだ!?」
「質問が多少被っているよ。体はもう大丈夫。昨日は大事を取ったみたいな感じかな」
詰め寄ってくる一夏に少し気圧されたが、どうにか全ての質問に答える。それを聞くと彼は半歩ほど下がって、一度大きく息を吐いた。
「ならよかった。昨日寮の廊下で見かけて声をかけたのに全然気づいてないから心配だったんだ」
「あ、ああ……。多分、その時は偶然目が覚めて、飲み物でも買いに行こうとしたところだったんじゃないかな。寝ぼけていたから気付かなかったのかも」
まさか戻ってきた直後の様子を見られていたとは思ってもいなかった。別に気づかれたら不味いのかというと、そうでもないけれど、あの試合の後ではいたずらに心配をかけさせたりかけられたりする危険性は、多分、85%よりも高いだろう。当たり付きのアイスが外れるよりちょっと低いくらいの確率だ。
幸いにも、と言うのはおかしな話だけれど、一夏は納得してくれたみたいだから、これ以上お土産でよく売られているパイの生地みたいに余計な言葉を重ねずに済んだのは良かったと言える。
「そうか……。でも、もし何かあったら遠慮なく相談してくれ」
「うん、分かった」
僕が返答をしてコンマ5秒くらい後にチャイムが鳴った。皆が慌ただしく席に着いていく。千冬さんと山田先生が教室に入ってきた時にはどうにか全員が着席し終えていた。この1週間で早くも見慣れた出席簿による教育的指導(その対象はほとんどある特定の生徒に限られている)は今日のところはなさそうだ。
「さて、これからショート・ホームルームを始める。山田君、よろしく」
「は、はいっ」
山田先生がつつがなく出席を取っていく。最初の2,3日は彼女も緊張が取れておらず恐る恐る言葉を発している、という場面が時折見受けられたが、今ではそれもほとんどなくなり授業なんかも円滑に進められていた。既に愛称なんかも付けられているらしく、彼女がただ優秀なだけではなく、誰からも慕われるからこそ、皆が友好的に接してきて、それで緊張がほぐれたというのもあるだろう。
「――以上で連絡は……あ、失礼しました。最後にもう1つ連絡、というより発表があります」
出席を確認した後、部活の入部届の締め切りだとかISでの実習についてだとかの幾つかの事務連絡が一通り終わってから、手に持っているノートらしきものを確認しながら言った。
「1年1組のクラス代表は、織斑一夏君に決定しました。一繋がりで縁起もいいですね」
教卓の後ろの電子黒板に織斑一夏と名前が浮かぶ。その上にはクラス代表という表示が出ていた。この発表にはクラスのほとんどが驚きを隠せないようだったが、それよりも嬉しさの方が勝っているらしく既にあちらこちらで盛り上がっていた。当の本人である一夏は驚きの表情を浮かべたところまでは他の人とも同じだったが、すぐに顔を引きつらせて手を上げていた。
「あの、俺は昨日の試合に負けたのに、どうしてクラス代表になっているんです?」
一夏は立ち上がってそう質問をする。確かにその通りだ。僕もさっき布仏さんから一夏が負けた、ということは聞いていたから疑問に思っていた。
しかし、その疑問はすぐに解消された。答えようとした山田先生の言葉を遮ってオルコットさんが口を開いたのだ。曰く、自分は代表を辞退して、一夏により多くの実戦経験を積ませることで成長を促したいらしい。恐らく、オルコットさんには昨日の試合で何かしら感じるものがあったのだろう。以前までの他者(特に異性)を卑下するような様子は感じられなかった。もっと自他ともに高めたい、という向上心みたいなものが見て取れる。
「ねえねえ、それなら三海君はどうなるの?」
不意に誰かがそう呟いた。オルコットさんはしまった、という表情になる。途端に教室の空気が不穏なものに変わってしまいそうになる。彼女はどうにか言葉を紡ごうとするがしどろもどろになるばかりで一向に解決の兆しは見えなかった。
「僕の方から辞退したんだ」仕方なく僕も発言することにした。
「理由は3つ。1つは試合の時の怪我。あまりひどくはないけれど、医者から1週間程度は訓練を控えるようにというドクタ・ストップをかけられてしまったから」
実際は激しい運動をするな、という程度のことしか言われていないが、別段このくらい言ってしまっても問題ないだろう。
「2つ目は機体のこと。あの時壊したことに対しての処分なんかもまだだからね」
そして、と一息おく。ちらとオルコットさんの方を見ると、申し訳なさそうな、でも安心した面持ちでこちらを見ていた。
「3つ目。これは単純に話題性を考えて、かな。専用機を持っていて、尚且つ昨日の試合もかなり善戦したと聞いているから。だから、以前僕を推してくれた人たちには申し訳ないけれど、今回は辞退させてもらいました」
軽く頭を下げてから席に着く。後はオルコットさんが上手く取り繕ってくれるだろう。とは言え、クラス内はもうすでに和気藹々とした様相を取り戻していたから更に言葉を加える必要もなさそうだった。
「では、クラス代表は織斑一夏。異論はないな」
これ以上議論の余地は無いと判断した千冬さんがクラス全体に問いかける。クラスのほぼ全員が声をそろえて返事をする。僕は既にその話題の外になっていたし、僕自身も話題に対しての興味は消費し尽くしていたから、ろくに返事をしなかった。つまり、蚊帳の外、と言えなくもなかっただろう。
**********
「はい、では今日はここまでにしましょう」
山田先生がそう切り出したのは、チャイムが鳴り終えてから数十秒後だった。これでようやく今日の全授業は終わったことになる。1コマ1コマが、いつもより遥かに長かった。それは先生たちの熱意で授業が延長されたわけではなく、つまり、実際に授業時間が長かったのではない。感覚的な時間経過がこれまでと比較すると長く感じられた、ということだ。ISに関する授業をまとめていたノートの今日の分を改めて眺めてみる。念のため今日以前の箇所も開いてみたが、やはり、内容的にも書いてある量的にも、控えめに言えば簡素なものになっていた。集中できていない、とは朝の時点から分かりきってはいたことだが、まさかこんなにも如実に現れるとは、と驚き呆れるばかりだ。
当分はこの状態が継続されるだろう、と思う。短くて3日、長くても精々1週間程度だろうか。こんな風な自己分析とその予測を時々はやってみるけれど、的中率は平均すると45%くらいだ。多くの場合、主観で考えていて考慮から外れてしまった事象があって、しかも、そういったもののほとんどが予測に大きく影響する事象だから、結果予測は外れてしまう。主観、という観察域の狭さは大分前から理解していたつもりだったけれど、どうもそれを活かしきれていないようだ。そもそも、こんな状態になったのだって自分勝手な理想とくだらないプライドのせいではないか。
息を吐く。一旦寮にでも戻ろう。
「三海さん」
立ち上がってノートや参考書なんかを詰め込んでいると、前の方から声がした。顔を上げる。そこにはオルコットさんがいた。
「少しお話があります。よろしいでしょうか?」
僕には無いよ、と言いかけた口を閉じて、首を動かすことで肯定の意を示す。ほぼ間違いなく今朝のことについてだろう。まさか、環境問題を議論したいわけではないはずだ。僕としてはどちらも同じくらいどうでもいい内容だから、さほどの差異は感じられないだけだ。
「ここではまだ少し人が多すぎますわね。場所を変えてもよろしくて?」
「別にかまわないよ。ただ、場所の選定は任せることになるけれど」
オルコットさんが教室を見渡したので、僕も同じように教室内外を一瞥する。教室内には15人くらい、廊下には30人以上はいることが確認できた。このくらいの密度なら許容範囲内ではと思ったが、誰かに聞かれるといった不安要素を可視範囲からは排除しておきたいのだろう。
「では、ついてきてください」
ショルダ・バッグを持って彼女の後をついて行く。廊下を歩いて、突き当たりまで来たところで彼女は立ち止まってこちらを振り向いた。
「どうかした?」
「いえ、出来れば後ろより隣を歩いていただきたいのですが……」
「どうして?」
「後ろだと歩きながらお話しできませんから」
「あまり人に聞かれたくないはずでは?」
「あら、意外とせっかちですわね。他にも話せることはあるでしょう?」
怒っているわけではなく、柔らかく微笑んで、優しく諭すような口調だった。体が勝手に、というのはオーバな表現だけれど、思いのほか自然とオルコットさんの隣へと僕の座標を移動させた。僕が隣につくと、今度は満足そうに笑みを浮かべて彼女は再び歩み始めた。歩きながら幾つか言葉を交わす。内容は炭酸が抜けきったソーダみたいに空虚だったが、そもそも会話という手段自体がそんなものだから、気にするだけ無駄であろう。
「さて、ここならよろしいでしょう」
屋外に出て2,3分ほど歩くと、並木道に出た。どうやらこの道は体育館に繋がっているようで、部活動で声を出しているのが聞こえてきた。道の途中にはベンチがあったから、オルコットさんにはそこに座ってもらった。僕も座ったらどうかと誘われたけれど、隣に座るのはなんだか気が引けたから、遠慮して近くの木にもたれかかった。
「なかなか素敵な場所ですわね。これは何の木でしょう?」
「これは多分もみじ、かな」
「もみじ、ですか? それは秋の紅葉のことを言うのではなくて?」
「うん、それもあるし、木の種類のことも指すね。カエデ、という方がメジャかな。英語だとメイプル」
「Maple」
きっと、クイーンズ・イングリッシュなのだろう。とてもきれいな発音だった。
「それで、話ってなに?」
もうそろそろいいかと思って切り出してみる。相手も同じように思っていたようで、一度頷くと、こちらと目を合わせて口を開いた。
「まずは、謝罪をさせてください。以前あのように貴方を罵倒してしまい、本当に申し訳ありませんでした」
立ち上がり、僕へと頭を下げようとしたので慌ててそれを制した。
「僕だって、言葉が悪かった自覚はあるから、出来れば、そういうことはやめてほしい」
言葉が悪い、などと可笑しなことを言ってしまった。汚いお金、なんかと似たようなものだろう。
「そうですか。貴方がそれでいいとおっしゃるならば、この話はここまでにいたしますわ」
オルコットさんは立ったまま、僕と向かいあった。どうやら、まだ何かしらあるようだ。
「それで、もう1つ。あの……」
言葉に詰まる。夕陽のせいだろうか、幾分か頬が赤くなっている様子も観察できた。少なくとも、話題について迷っているわけではないのは分かる。
「今朝の、話を合わせてくださって、その、ありがとうございました」
「ああ、そのことか……」
僕が初めに予想していたことだった。こっちの方がお礼を言われる筋合いはなかったのだが、もう一度似たようなことを言うのは少しだけ気が引けた。
「僕も余計なことをしたのではと思っていたところだったから、そう言ってもらえて助かるよ」
「余計なことだなんて、そんなことありませんわ!!」
いきなりオルコットさんの顔が僕の顔に近づく。どうやら身長はほぼ同じくらいのようで、鼻がぶつかってしまいそうな距離だ。思わず僕が顔を逸らすと、縮まっていた距離に気付いた彼女も慌てて少し距離を取った。
「し、失礼しました。でも、そんなこと言われると思いませんでしたから、つい……」
そう言って、ベンチに再び腰を下ろした。先程は頬だけが赤くなっていたが、今は顔全体が赤くなっている。僕も似たようなものだろう。
「失礼。さっきの言葉は撤回するよ。それにしても、なんでいきなり一夏を推薦しようと思ったの? もしかして惚れた、とか?」
自分の口から出た言葉に驚いた。どうしてそんなことを聞いたのだろう。選ばれなかったことへの嫉妬だろうか。いや、そんな些細なことを気にしているわけではないはずだ。
「……一夏さんに惚れた、ですか。確かに、ある意味ではそうかもしれません」
そんな可笑しな質問を受けたオルコットさんは一瞬驚いた顔を見せたが、すぐにまじめな表情になった。
「先日の試合で、わたくしは一夏さんから並々ならぬ情熱を感じ取りました。一夏さんがこれからどこまで強くなっていくのか、それを見てみたくなったのです」
「へぇ、なるほどね」
「……それも、貴方との、三海さんとの一戦のおかげです」
「え?」
「貴方は、臆することなく、そして最後まで勝負を諦めなかった」
彼女は瞳を閉じていた。その姿から記憶を思い出そうとしているのか、それとも忘れぬように再びやきつけているのかを判別することはできなかった。
「その姿が、わたくしを変えてくれたのです」
再度、僕と向き合った。開かれた瞳は夕闇が迫る複雑な空の色に染まらない純粋な色をしている。もう二度と見つめられることはないだろうと思っていた瞳の色だった。
「ごめん、オルコットさん」
濃さを増していく黒に混ぜてしまうように小さく呟いた。僕は木から体を離して彼女の横に立った。
「僕は、もうISには乗らない」
そして、歩き出した。
ここで終わりだ。
うしろから声が聞こえた。
答えない。
その声に答える資格は、僕には無い。
もう、濁ってしまったから。
濁らせて、くすませたのは、自分なのだから。
今月中にもう1話更新したいのですが……ちょっと厳しそうです。
なんとか最低でも月に1話更新できるように頑張りたいと思います。
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