英雄殺し(スタゴナ・アステリ)   作:カリギュラ伯父上大好きマン

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三頭の邪王

 

 剛勇と無思慮。若き日のザッハークは端的に言って野心的な脳筋だった。多くの時間を馬上で武勇を積むことに費やし、いつの日か尊敬する父王マルダースの後継として良く国を治めることを夢見ていたのである。

 

 まだ、大いなる悪意の一端に見初められる前の話だ。

 

「もうすぐだ、勇者たちの後継」

 

 うっそりと呟くザッハークは、緑衣と赤茶のマントを身に着け両肩に黒蛇を生やす三頭の異形───暴君の姿である。

 

 囚われのスプンタ・アールマティは、そのさまを見ていられないと、言葉もなく涙を流して俯いた。まつろわぬ神と化してなおも呪いから逃れられぬ不憫を憐れんだのだ。

 

 暴君と成り果てたザッハークもまた、その慈悲深い憐れみにありがたく思うところもあった。だが、そもそもがその神々の争いのとばっちりを受けた身である。

 

 ぶっちゃけて言えば「てめーらの事情に巻き込んでおいて勝手に同情するなよイラつくだろうが」と青筋を立てるような思いだった。

 

 もちろん、それもまた単なる八つ当たりだと自覚しているのだけども。

 

「なぁ、善なる女神よ。心に従う者であるお前はその通りに余を憐れむが、お前の英雄を継いだ男は余に何の感情も抱いていない。それは無関心だろうか……いや、そうではない」

 

「………」

 

 ニヤニヤと愉快げに笑むザッハークは、スプンタ・アールマティに人と神の違いを説かんと高説を垂れる。いやみったらしい口調は意図してのもの、要は女神をおちょくっているのである。

 

 だが、滔々と紡がれる言葉は的確に真理を突く。

 

「それはな、真摯であるからだ」

 

 千里眼。特に過去視や未来視という形で発現した特異なる異能は、己に宿った邪竜の魔法の一つだった。しかし、今や邪竜の霊魂ザッハークによって粉々に砕かれ、千にも及ぶ技法の数々は完全に掌握されている。

 

 その力で、ザッハークは高橋次郎という人間の来歴や本質を見破った。果てには、その思考さえも理解してのけている。だから簡潔に、分かりやすく、"真摯"の二文字で堅く評した。

 

 神話に語られる異能の大盤振る舞いを人間一人に使っているものだから、まったく贅沢で無駄遣いであると言わざるを得ない。だが、その労力に見合う成果は手に入ったとザッハークは確信していた。

 

「そうさな、まだ彼奴が来るまで今しばらくの時間がある。一つ、高橋次郎という男を貴様に教えてやろう」

 

 ザッハークは気分良さげに語り口を回した。

 

「では今、次郎が考えているのははどんなことか……」

 

 

 

 

『目標、人質の奪還。果たされるべき約束であるため、そのようにする。以上ッ!』

 

 

 

 

「ふ、は、ハ ッ ハ 、 ア ッ ハ ハ ァ !」

 

 瞬間に大笑いした。女神に語ってやろうなどという慈悲なぞ一瞬で消し飛んだ。高揚が止まらない。愉快で愉快でたまらない。何だこの単細胞は! 実に良いではないか!?

 

 そうだ! これだ!! これを求めていたのだ!!!

 

「くっ、はは、嗚呼、これぞ人の理想よ!!」

 

 重要なのは事の善悪ではない。義を貫く(・・・・)、そういう生き方を選んだというだけのことなのだ。高橋次郎という男の、全てに先行するのは仁義の二文字ただ一つ。

 

「そうだとも! 義! 仁義こそが真に人を治める唯一の術! それを真に体現し得るのは、やはりこの男よォ!!」

 

 アキレウスからは平和の祈りを。アーラシュからは最期の頼みを任された。投げ出しても文句は言われない。そもそも次郎は、本当にただ巻き込まれただけ(・・・・・・・・・・)。単なる人間に過ぎないのだから。

 

 それでもと握りしめたのは、己が信ずるただ一つの仁義のため。

 

───ここで仁義に反すれば託した彼らに顔向けできない。

 

 赤の他人の重い荷物を肩代わりする、なんて損な生き方。慈悲でなく、また信仰でもない。それが如何に生き苦しいことか、ザッハークには千里眼を(もっ)てなお計り知れないことに思えてならなかった。

 

「分かるか神よ。これが答え(にんげん)だとも! 」

 

「……っ」

 

 もとより返答は期待していない。なおも視線で憐れみの情を投げかける女神は、やはり無言を貫くつもりであるらしい。慈悲というものが如何に上から目線の物言いであるかなど、そもそも自覚していないのだ。その心が傲慢にどっぷり浸かった毒であることなどさっぱり分かっていない。

 

「醜いな、女神。そんなだから余なぞに傲慢を詰られるのだ。疾く理解せよ、できなければ往ぬがよい」

 

 醜く顔を歪めて、女神を嘲る。何が善だ、悪だ、と吐き捨てるのだ。善であるか、或いは悪であるかなど、そもそも判断がつくような概念ではない。ただ、社会にとって都合のいい基準として善悪なんて観念を定規に用いる。

 

 その権化が貴様ら神よ(・・・・・・・・・・)

 

 傲慢にも善と悪を体現するなぞと嘯きおって。それが、そんなものが人を腐らせるというのだ。

 

 神が善と言えばそれは善か? 悪と言えば悪か? 違うだろうが。そんなものはただのクソだ。思考の停滞どころではない。停止そのもの。悍ましい、憎らしい。

 

 あぁ、素晴らしき哉! その点、かの男は実にいい。

 

 アレは純粋だ。単純に、約束を果たすためだけに身命を賭すその姿は、在りし日のフェリドゥーンを連想させる。そう、善悪ではなく、大地に突き立つ鉄杭が如き仁義の志こそがこの世の人間の理想そのもの。

 

 フェリドゥーンは己を殺しきるには至らなかったものの、長年の夢であった真に良き治世を体現した。その偉業が義理堅さと厚い人情ゆえだったことは、まったく痛快だ。善悪の神(じょうぎ)なぞなくても、人は人として歩むことができると知ったのは、幽閉されて間もなくのことだった。

 

「く、かかかかか!!」

 

 哄笑が薄暗い洞窟に響き渡る。ダマーヴァンド山地下、邪竜アジ=ダハーカと化したザッハークが幽閉された神話の檻は、しかしザッハークによってすでに掌握されていた。

 

 三頭の邪竜アジ=ダハーカは千の魔法を操る。その不可思議な神秘は、遂に神々の造り上げた渾身の牢獄を自らの要塞として変成させるに至ったのだ。

 

 まつろわぬアジ=ダハーカ───を内側から塗りつぶし、忌々しい邪竜の業を呑み干してまで顕現した邪王ザッハークは大笑する。人が人を良く治める時代は、ザッハークの理想。かつてフェリドゥーンが成したように、この高橋次郎も形こそ違えど民草の希望となる。その確信があった。

 

 その礎に自らがなれるというなら、是非に、喜んで。故に───神という不要は殺し尽くさねば。

 

 昏く儚い野望がザッハークの思考を駆け巡る。フェリドゥーンの行った良き治世、その太平の礎を築いた暴君は、かつてと同じく新たな勇者を見出したのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 アキレウスの俊足に加え、アーラシュより受け継いだ千里眼を用いても、現実にありながら幽世と混じり合う異質な空間に至ることは困難を極めた。

 

 しかし、その障害は決して不可能の域にはない。まるで、次郎という刃に練磨を重ねるが如く、呪いや魔法、竜蛇の系譜であろう魔物が勝ち筋を残した状態で(・・・・・・・・・・)無数に仕掛けられていた。

 

 当然ながら、その一瞬に命を落としかねない危機もままあったが、しかし次郎は鎧袖一触とばかりにこれを退けた。

 

 そうしてこうして遂に神山の麓に到達。巨山地下への入り口と思われる重厚な鋼の扉が次郎の眼前に漸く現れた。

 

「三日、ねぇ。時間を掛け過ぎたか」

 

 呟く次郎の表情は苦みばしっていた。

 

 たかが三日、されど三日。アーラシュが逝ったことなど、元凶は当然把握しているだろう頃合いだった。警戒しながら扉を蹴破ると、気圧の差からか冷たい突風が次郎を叩く。

 

 今、次郎の頭の中を占めることと言えば、アーラシュはなんのために死に体にさせられたのか、ということだった。実際、未だに疑問ではある。女神が人質にされたのはいい。だが、人質を取らねばならなかった理由が分からない。

 

 アーラシュを殺すため? なら、人質を突きつけた時点で自害なりなんなりを命じればいいだけだ。

 

 むしろ、人質を取ることでアーラシュに流星を放たせることこそが目的だったのだろうか。だとすれば、ちょっとマズいかもしれない。

 

「女神さまは用済みかもなぁ」

 

 思わず漏れたひとりごと。問題はアーラシュの流星を何に射ち放たせたか、ではない。果たして、女神は生きているのか。

 

 それよりも、自分はアーラシュとの約束を果たせるのか?

 

───いいや、用済みなんてことはないとも。

 

 浮ついた、ザラザラした声。

 

 悪寒を感じるよりも先に、盾を構える。一声で分かった、コレはヤバい。

 

 何がアレって、千里眼が強制的に閉じられた(・・・・・・・・・・・・・)

 

「誰だよ」

 

 口を開けておきながら、ちょっと震え声だったかもしれない。得体がしれないっていうのは本能が恐怖を訴える代表例みたいなものだ。

 

 電波の周波数が合い始めたラジオのように、段々とその声が鮮明に響き出す。ご丁寧に、「んっん〜」とマイクテストもどきまでしている。余裕綽々という感じではない。どちらかと言えば、ご機嫌な……?

 

 なんだ腹立つなコイツ。

 

余だよ! うん? あぁ、そういえばこっちが一方的に知っているだけだったなァ……」

 

 喜色に塗れた語り口は尊大極まる。なんだろう、この変質者じみた気持ち悪さ。やべぇよ。

 

「いやホント、なんなんだあんた」

 

 掛け値なしの本音。正直に言えば、関わり合いになりたくないのが実情だが、まぁ、このタイミングで話しかけてきたのだ。恐らくは、まったく認めがたい事実なのだが、コイツが元凶か(・・・・・・・)

 

「つれないな、こっちは一日千秋の想いでいたというのに」

 

 アカン、本気で言ってるコレ。なんか生理的に無理。本気で残念がってるのが、なおのことキツい。吐き気吹っ飛んで気絶するレベルなんだけど。

 

「うわキモッ!」

 

 あっやべ、言っちゃった。

 

「うぅむ、中々言ってくれる。───言われっぱなしというのも癪だ。よし、後三分で余の玉座まで辿り着くがよい。辿り着けなかったら……言うまでもないな?」

 

 できなければ人質を殺すのみ。

 

 途端に空気が冷えた。理解が及んだ直後に、薄暗い洞窟を濃厚な神秘──便宜上"神秘"と読んでいるが、本当は何なのか知らない──が埋め尽くす。

 

幽世隔離 完了

 

神代置換 完了

 

神牢要塞化 完了

 

魔法・呪詛配置 完了

 

魔獣・神獣配置 完了

 

"王の瞳"展開 完了

 

全工程 完了

 

千魔を紡ぐ要塞(ハスナ・ヤルフ・アルフ・シャヤティン) 起動

 

「そら、高々神話一つ滅ぼす程度の要塞に過ぎん。当然できるだろう?」

 

 神山、鳴動。

 

 ここに、史上最大の試練の一つがここに幕を開ける。座する邪王は大いに笑い、勇者の到着を待っていた。

 

 ザッハークに疑いはない。必ずや勇者はこの邪王の喉元に現れる。千里眼で視るまでもなく、そもそも当然のこととして前提に加えている。

 

 それを、薄々ではあるが次郎も察していた。

 

「上等だ。一分で踏破してやる」

 

 意気揚々と啖呵を切る。さぁ、もう後には退けないぞ。覚悟を決めて駆け抜けろ!

 

傷無しの剛体(ジスマ・サルブ・バイドゥン・カデシュ)

 

回折干渉(テドクル・ハユド)

 

射法・疾矢(エスラー・アフム)

 

彗星走法(ドロメウス・コメーテース)

 

勇者の不凋花(アンドレアス・アマラントス)

 

蒼天囲みし小世界(アキレウス・コスモス)

 

輝きの聖鎧(アフティー・ランポシ・アポジ・タ・パンタ)

 

落陽示す一閃(フォス・プ・ティースディー・スト・フォス)

 

心眼・水月 覚醒

 

 これより修羅に入る───いざ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次郎の疾走は、並み居る罠を、獣を、毒を、複雑極まる迷路をも、尽く踏破した。何者にも、流星と化した次郎を止めることは適わなかったのだ。

 

 心眼にて見切り、射法にて射殺し、剣閃にて切り裂き、盾打ちにて押し潰し、獣の爪牙を歯牙にもかけず、毒を蹴散らし、罠を踏み潰す。宣言通りに四方八方を埋め尽くす試練をものの一分で殲滅した。

 

 覚悟を決めた高橋次郎に隙はない。

 

「素晴らしい……!」

 

 恍惚の声。血走った瞳で熱っぽく次郎を見やるザッハークは、玉座を蹴倒さんという勢いで立ち上がり、うるさいくらい拍手している。

 

 喉元に剣を突き付けられたままで(・・・・・・・・・・・・・・・)

 

 対照的に、次郎の方は気味悪げに黙っていた。生殺与奪権はこちらが握っているはずなのに、首を刎ねても死ぬ気がしなかったからである。なんというか、この男は蛇なのだろう。それもとびっきり生き汚い。

 

 しかし、口を閉じていてもザッハークが止まる様子はない。仕方がないから口火を切った。

 

「あぁ、うるせぇ、女神さまは無事だろうな?」

 

 ギロリ、と鷹もかくやとばかりに睨めつける次郎だが、むしろザッハークは喜んでいるようだった。いよいよ忌避感が募ってくる。

 

「応ともさ。あの通り、傷一つない」

 

 拍手を止めて指を指した先には、檻の中に手枷足枷を嵌められた美しい女性の姿がある。確かに、どこにも傷はないように思えた。

 

 尤も、こちらを見やる雰囲気からして、あまり歓迎しているわけではなさそうだった。「何故来てしまったのだ」と言いたげな苦しい表情をしている。

 

 直感的に、見下していると感じた。神らしい、傲慢な雰囲気がちらりと顔を覗かせたのかもしれない。

 

 正直なところあまり良い感情は抱かなかったが、やることに変わりはない。次郎は気を取り直して提案した。

 

「じゃ、そこの女神さまを開放してくんない? そしたら俺も手ぇ出さないから」

 

 暗に、「戦いたくないです」と告げる次郎だが、正直なところ望み薄だと見積もっていた。なにせこの三頭の男、未だにニヤついている。今にも牙を剥きそうな気配さえあるのだから、次郎は内心気が気ではなかった。

 

 そして案の定、ザッハークは吹っ掛けてきた。

 

「条件がある」

 

「何だ?」

 

 瞳孔が縦に開く。嫌な雰囲気が増大した。やはり蛇か、納得したのはこの辺りだった。しかし、提起された条件は次郎を困惑させるに足る奇妙な物で、後ろの女神すらも目を真ん丸にした。

 

「余を殺せ」

 

 一瞬、思考が止まった。コイツは何を言っている。爛々とした蛇の瞳に精気を滾らせ、魔王もかくやといった覇気を垂れ流すこの男が、何を以て死を望むのか。疑問が声となって次郎の呼吸をすり抜ける。

 

「は?」

 

 期待していた反応だったのか、ザッハークの口が裂けんばかりに弧を描く。好んで友達を驚かせるようなイタズラ好きの少年を、極限まで性悪にしたような笑顔である。

 

「余を殺し、お前は真の英雄となるのだ」

 

 続けざまに飛び出たのは、また脈絡もない話だった。自殺願望、という感じではない。この男は、何を考えているのか。さっぱり見当がつかない。声色が驚くほど大真面目なことが、尚のこと不気味だった。

 

「………」

 

 頭を回そうにも、これだけ理解が及ばない者を相手にできる自信が次郎にはない。そろそろ、思索の限界を悟らざるを得なかった。

 

「あんたが、なんだかとても重いもんを背負ってるのは分かった。退く気がないのも分かった。オマケに、話が通じないのも分かった」

 

「余もこの複雑な胸裡を晒しきるのは難しいと思っていたところよ」

 

「言いたいことがありすぎるってのも考え物だな」

 

「うむ、まったくよな」

 

 苦笑。あれほど気味が悪かったザッハークだが、少し落ち着いてみればそれほど嫌う理由がない。すると、不思議に思った途端に嫌悪感が失せるので、ザッハークに対して悪意を抱くように意識を誘導されたのだと漸く合点がいった。

 

 誰が仕向けたのか。それは一旦置いておくとして、ザッハークの首に触れていた刀身を引っ込めて納刀する。胡乱げにザッハークが声を漏らした。

 

 ふと、ザッハークが瞠目する。こっちの雰囲気を察したのだろうか。さっきまでの狂気染みた鋭い眼光とは真逆の、穏やかで、凪いだ瞳をこちらへ向け直した。

 

 やっぱりというか、あれはザッハークの行いだったらしい。

 

「なぁ、だからさ、大事なのをだけ言ってくれよ」

 

 言い訳はしたくないが、俺は頭が悪い。察しはいいかもしれないが、それにしたってザッハークは複雑なこと以上に情動を隠すのが上手い。王……政治家だったからか。さっきの大げさな身振り手振りも意図したものだったのだろう。

 

 要点をまとめて分かりやすくして欲しい。地頭の悪さをバラすようで、ちょっとお願いするのが恥ずかしくもあるが、そうでもしなければザッハークと分かり合うのは難しい。

 

「そうさな、では要望に応えるとしよう」

 

 

──余のような者を、これ以上出すわけにはいかぬだろうがよ。

 

 

 苦悶。この世の艱難辛苦をこれでもかと煮詰めたような苦々しい表情が強く印象付けられる。なるほど、根底にあったのはこれか。

 

 永遠の禁錮。邪竜によって喰まれる精神。限界を迎えるその瞬間、遠い那由多の彼方に一縷の可能性を見出した。まつろわぬ神を喰らい潰しての乗っ取りだ。

 

 本質的にはアジ=ダハーカでもあるザッハークだからこその鬼札。誰よりも邪竜を知るからこそ、真実一分の隙もなかった邪竜の癌細胞と成り得た。

 

 しかし、同時に己を毒とするリスクもあった。蛇の道は蛇、という言葉がある。ザッハークは自らを毒と化す代償に、『人間』ザッハークには戻れなくなる。両肩の蛇はイブリースの呪いではなく、自ら植え付けた癌細胞そのもの。もはや、ザッハークはまつろわぬ神でも、神祖に類する者でもない。全身に(へび)が転移した、末期の病毒そのもの。

 

 毒をつくり、邪竜を喰い、神々の牢を掌握し、地母神を囚え、一神話を滅ぼす大規模な権能を扱った。元より限界を逸脱しての活動だったのだ。一等生き汚い『蛇』と化したからこそ無茶であったし、当然その報いは自らの毒による自滅と定まっていた。

 

 全て、総て、覚悟の上で、ザッハークは神を殺そうとしたのである。もう一人の己を創り出さぬために。千里眼で捉えた、英雄たちの後継を神々の玩具にさせないために。

 

 俺を、高橋次郎を、助けるために。

 

 つまり、だから、コイツは、このザッハークは、本人(・・)

 

「分かるか、次郎よ」

 

「ここまで来れば、そりゃ俺みたいなバカでも分かるさ」

 

 まつろわぬアジ=ダハーカは何を以てしてこの世に現れたのか。触媒と呼べるものが、確かにあったはずだ。

 

 恐らくそれは、幽世ダマーヴァンド山に封じ込められたザッハークの肉体。つまりはアジ=ダハーカの依代そのもの(・・・・・・・・・・・・・・)

 

 かつて魂を喰い潰されたはずのザッハークが、まつろわぬアジ=ダハーカの顕現によって、三頭の王という神の構成要素の一つとして蘇った。それも精神だけの状態で。

 

「余は、もう長くない」

 

 独白は、どこか決然としていた。

 

「後を頼む、とは言わぬ」

 

 優しい眼差しは、同朋を得た旅人のよう。

 

「うん、はい」

 

「生きろ。お前らしく生きるのだ。高橋次郎!」

 

 あぁ、畜生。泣きそうだ。この男は、本当に、ただ俺を心配してくれただけだったのだ。どれほど荒っぽくても、自分の胃袋になった神山に入れても、決して俺を殺さなかったのは、そういうことだったのだ。

 

「言われずとも」

 

 そして、俺はまた恩人を殺す。アーラシュとの約束を守るために。そして、ザッハークの厚意を無駄にしないために。

 

 仁義を貫くために。

 

「故に、余を殺せ! 余という(へび)を除き、純粋な力としてお前に託すのだ」

 

 ザッハークは、未来視ができる。単なる格で言えばアーラシュのものより上。現在を視覚し、未来を朧気ながら察知するアーラシュの千里眼に対して、ザッハークの千里眼は過去と未来を鮮明に映し出す。だから、この方法が最適だと知ったのだ。

 

 高橋次郎に、力を託す。唯一無二の、英雄殺しを造り上げる。俺は、利用されたのだ。

 

 だけど、それでもザッハークは『らしく生きろ』と笑い飛ばした。なんでもかんでも背負うもんじゃない、と諭した。利用される苦しみを、身をもって知っていた人だった。

 

「それで、あんたの(へび)は存在の危機を理解して、あんたの意思の統率から外れる。暴走する。そうしたら俺はあんたを殺さざるを得なくなる。癌そのものだな」

 

「元より視えていたことよ。躊躇う必要はない」

 

「そうかい。じゃあ、覚悟はいいな」

 

 目を細めて、暗い山中の玉座から、ザッハークは見えもしない空を仰いだ。そうして呟く。重い荷物を、下げる日が来たことを悟ったのだ。

 

「───死ぬには良い日だと、そう思わんかね?」

 

「『継いでくれるやつがいる』ってのかい?」

 

「余の荷物は背負ってほしくはないが、……その通りだ。───アーラシュは、まこと偉大な男よな」

 

「同感だよ」

 

「で、あろう?」

 

「だが、それはあんたもだぜザッハーク王」

 

「──────」

 

「あんた以上の王様を、俺は知らないよ」

 

 

 

 

 

 

 

 ザッハークの頬を、雫が伝う。記憶にある限りでは、尊敬する父王マルダースを暗殺した時以来の熱い涙。だが、悲しみはなく、深い安堵があった。

 

 そうして、万感の想いで語りを閉じるのだ。夜明け前の月の如く、ちょっとばかりの名残惜しさと共に。

 

「さらば、我が友」

 

 邪王ザッハーク、逝去。

 

「応」

 

 邪竜アジ=ダハーカ、顕現。

 






 オリキャラ注意(激遅)

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