英雄殺し(スタゴナ・アステリ) 作:カリギュラ伯父上大好きマン
もう飽きが来てる。ハッキリ分かんだね(反省心0)
ギラついた目を伏せる。
支配者は死に絶えた。
邪竜、変生。これなるは千の術技を操る三つ首の災厄、神性とも魔性とも定かならぬ絶対悪なり。徐に視線を持ち上げ、瞳から意思の光を鋭く覗かせる次郎はその様を静かに見つめた。
「そうか」
邪なる竜にして蛇。アジ=ダハーカとして顕れた三つ首は、しかし異質さをもって次郎を威嚇する。
直感が囁いた。これは智慧を持った獣に等しい。
質量ではない。まして神秘などとはとてもとても。これは死にたくないだけだ。野生の生物と違う所があるとすれば、それは身に宿す
ではその悪とは、何か。ただ生きることを望むこの蛇は、何故に悪と貶められねばならなんだのか。
知れたこと。
「蛇と王ってのは、古代から結び付けられていた概念の一つだ」
蛇の構成概念を
古来から怪物化する王は数多あり、伝説にその名を残している。その多くには竜蛇が関わることも珍しくない。そう、蛇である。
本能的に等価交換の法則性を理解していた古代人が、あの世とこの世を股にかける例外として祀り上げたその
脱皮を新生することと捉え、生と死の世界を自由自在に這い回るその力。これを得られたならば、
王とは。現実の均衡を保ちながら更なる富を生み出す者。即ち、この世にない富を生み出す『蛇の智慧』に長けた者なのだ。
翻って、ザッハークはまさしく王者であった。暴君として伝えられるこの男、悪行は事実だがその治世は非常に安定していた。暴虐の王と謗られながら、しかし国そのものの豊かさは保たれるどころか増大すら成し遂げた。
まるで、この後に王となる者の礎になろうとしたかのような、自己犠牲に近い意図を匂わせる。ザッハークが密かに蓄えた山のような財、次代の王となったフェリドゥーンが五百余年の治世の更に未来まで、子々孫々に渡り泰平を実現させた理由の一つがザッハークの治世に隠されているのだ。
「優れた王とは、つまり蛇の頂点。智慧に長けた神の如き者」
したがって、人は王を恐れた。
当然の帰結だ。
智慧を持つ王が過剰な財を引き出し強大になる。しかし、その智慧によってあの世からの揺り戻しは抑えつけられ、現世の均衡は保たれる。
智慧の発現とは、つまり祭祀だ。王は引き出された財を以って富み、祭祀によって均衡を保つ。その繰り返しが常に行われ、最後にはどうなったのか。
「富み、祀り、より強大になっていくそのサイクル。行き着く先は絶対的な王権、暴走する智慧から『蛇そのものと化した王』が誕生する!」
その、なんと恐ろしく悍ましいことか。
「誰かが気づいた。"これは空手形なのではないか?"と」
膨らんでいく王の力に、人々の想いが歪んでいく。
絶対的な力を手に入れながら、尚も増していく存在感。引き出し、富み、祀り、治める。繰り返しが名目上の行いに変じていく。これはもはや、空手形の乱発に他ならない。まるで神の如き所業だ。
或いは、神そのものに成り上がろうとしているのか。誰かがそう勘づいた。
強くなり続けるその姿は、いつしか畏れを纏い神威を放つようになった。王が、『蛇』が、"神"と化したのだ。
「民草は見ていたぞ。ラムセス二世を、ネブカドネザルを、アレクサンドロス大王を、歴代のローマ皇帝を!」
ひたすらに膨張し、怪物化する王。或いはその国。知ったからには、その恐怖と記憶が形をとって世界中のどこかしらに遺された。
その多くを見届けたヘブライの民は、その恐怖をこう遺した。
『
"エジプト"
"ファラオという名の神"
『黙示録の赤い竜』
"王冠を冠った異形の蛇"
"歴代ローマ皇帝、怪物化する王及び国家への警戒"
ユダヤの教えがキリスト教へ変遷する最中、荒野に在った神の子にある悪魔が「王となれ」と囁いた。それは、蛇の智慧を使えとする暗示だったのだ。つまり、その悪魔とは蛇の化身。
人々は、王を、蛇を、悪と見做した。
「三つ首の竜なぞ薄皮一枚のガワに過ぎない。その真実は富と智慧の化身にして生と死の概念的結晶、その強大さ故に悪と貶められた再誕者!」
名など無い。ある筈もない。確かに始めはアジ=ダハーカだったことは間違いないだろう。ザッハークが己の自滅を代償に封じ込めた埒外の悪竜だ。
では、ザッハークが創り出し、遂には邪竜を喰らった自滅因子はアジ=ダハーカなのか。……厳密に言えば、それは違う。
ザッハークは民草を鏖殺する悪竜を殺すために、その毒性を上回る『蛇』を作製してのけた。
元は三つ首の悪竜だったその『蛇』は、ザッハークに伝承的関連を持つあらゆる『蛇』の要素を煮詰め、精錬し、そして最後には意図的に暴走させられた『この世で最も純粋な蛇』。史上最新の神話的怪物にして、それを斃す者へ用意された生贄なのだ。
「新生し、この世で最も純粋な『蛇』と化したお前は!」
あぁ、純粋だからこそ、これはただの生き物なのだ。幾ら智慧を持とうが、関係はない。らしく生きたいだけなんだろうとも。
「人に、世界に、そして"神"に! 最も認められた絶対の悪!」
だからコレはいつも通りのエゴだ。刃を突き立てて命脈を絶たんとする高橋次郎もまた、善い者ではないのだ。
「だったら!」
この『蛇』を外に出せば、この地で暮らす人々の静謐は砕け散る。それどころか、大陸が滅ぶ。それだけ、この絶対悪は強大だった。ただ地を這うだけで、大地が割れるくらいに。
辛うじて、ザッハークの遺した要塞神山に囚われているだけ。これを外に出さぬためだけに、ザッハークは一神話すら滅ぼし得る魔城を創り上げたのだ。
胸が締め付けられる。蛇への憐憫か、王への哀惜か。
あの男の最期の願いに応えねば。
「今! ここで! ぶっ殺してやる!」
主我の念、尚も揺るがず仁義を貫く。次郎は己の背に誓った信念を諦めない。もはや、そう決めていた。
女神は復活したアキレウスの戦車とそれを牽く三頭によって既に脱出した。もはや、ダマーヴァンド山に残っているのは次郎とアジ=ダハーカを模した最新の蛇だけだ。
アキレウスの槍を取り出した次郎が、色のない声で呟いた。
「
槍を緑光が這った。要塞神山を『決闘場』として更に補強すると同時に、両者共に不死の加護が砕かれる。再び死を得た蛇は、尚も静かに次郎を見つめている。
「俺は英雄じゃねぇ」
凪いだ瞳で次郎が言った。応じて蛇が毒牙を見せた。
「俺にできるのは、筋を通すことだけだ」
握りしめた槍の柄が、みしりと悲鳴を上げる。
「てめぇを殺すのは、俺のエゴだ」
ひどく冷たい感覚に、手元が凍えるような錯覚を覚える。迷いはなかった。
「だから、俺の
ゴパッ!!!
堰を切った様に呪いと魔法が次郎の見る世界を埋め尽くした。
色とりどりの神秘が入り乱れる大瀑布。アジ=ダハーカの権能だろう。その一つ一つが英雄と呼ばれる勇者たちを殺し尽くして余りある大火力。その中に潜む数多の毒が、単なる耐久を許さずに対象を呪殺する。
実に効率的で、陰湿な一手。避けようがなく、防ぎようがない。ダマーヴァンド山の内部という限定された空間であるが故の鬼手だった。
狙いはそれだけではない。『蛇』はことここに至って逃走の選択も視野に入れていた。遠慮なしの全開火力を最初に選択したことからも分かる通り、最悪ダマーヴァンド山、この要塞神山を破壊して
幾ら主神級の権能すら完全に遮断し得る要塞神山といえども、数多の神話的怪物の要素を取り込んだこの『蛇』には、物理的に粉砕される恐れがあったのである。たとえそれが、アキレウスの槍によって強化を経ていても、絶対は確信できない。
竜蛇の中には山河を司るものも多い。山を崩す程度のことなど造作もないこと。次郎にとっては知る由もないことだが、その直感はこの危機を捉えていた。
「──手温い」
槍の一閃。国を焼く千の術技は造作もなく払われた。一切合切が消し飛び、後にはうねるような大気の乱流が残るのみ。
英雄の武技だけではない。何か、また別のものが次郎の力を高めに高めて臨界点へと急速に走らせている。
流れた穂先が弧を描いて『蛇』の眉間をピタリと指した。投擲の構えである。
「ぬぅあッ!!!」
槍が中空を飛ぶ。光の大矢と化した槍は、空間を捩じ切りながら音もなく三つ首の一つを消し飛ばして暗闇の彼方へと消えた。
『蛇』は焦る様子もなく黒々とした土石流を呼び出した。異様な落ち着きを見せる『蛇』に、次郎はふと合点がいった。
「そうか、その程度なら
ぐじゅ、と捻り切れた首の断面から生々しい音が這い出てくる。肉が盛り上がり、次第に骨と皮が首を象り始めた。アキレウスの槍には治癒を阻害する呪いが施されていたはずだが……。
不死は破却された。それは間違いない。なら、残っているのは『蛇』としての純粋かつ強烈な生存能力。単なる生命力で呪いを弾き返したのか。この生命力を絶やさぬ限りは、『蛇』に死はない。驚嘆すべき能力だ。
思索を巡らせる次郎に、どす黒い激流が襲いかかる。アキレウスの記録に該当項目、
アーラシュから受け継いだ頑健の権能すら冒し得るギリシャ最強の毒が次郎を呑み込まんと迫る。
「遅せェな」
跳躍。空を踏んで駆ける。玉座の間が死の濁流で満ちるその刹那、新たに円盾を取り出した次郎が突撃した。
音もなく、三つ首のもう一つが吹き飛んだ。流星の如きシールドチャージ。最初の一本は再生の中途であり、潰すべき頭は残すところ一つ。
その後が本番なのだろう。
「けぇッ!!!」
盾の影からアキレウスの剣が抜き放たれ、豪脚に任せた強引な反転から流れるように閃きが奔った。
気合一閃。三つ首最後の一本は呆気なく宙を舞った。
制御する存在が無くなった猛毒の濁流が主を呑み込むのも構わずに荒れ狂う。閉鎖された空間が満たされるまで一刻の猶予もない。
仕方ないので、次郎は盾をぶん投げて天井に穴を開けた。その穴から脱出しようというのだ。
「どうせまだ死んじゃいねえ。決着を付けるにゃぁ
もちろん、蛇を外にまで連れ出すつもりはない。場さえ整えばその時点で叩く腹積もりだった。しかし、次郎の頭には懸念事項も浮かび上がっていた。
「神山の
複合神格、表面的にはそう表現する他にないその質量。幾らザッハークが手塩にかけて創り上げた専用の牢獄でも、実物から滲み出る圧力から考えると、長くは保たない気がしてならないのだ。
「必要ならアーラシュの弓矢を借りなきゃならねえか」
とりあえず、チップとしたのは己の命。大英雄が放った流星は蛇を一撃で討ち滅ぼしうる鬼札だが、当然軽々しくは放てない。
撃つにしても、確実な機会を待たねばならない。無論、次郎も死にたいわけではない。
出来るなら生きながらえたいが、それで命を渋って仁義が貫けないようなら己の誓いに背くことになる。よってその場合は死ぬしかなくなるというだけのことだった。
「……チッ、
毒づいた次郎の声は迫る地響きに掻き消された。一秒ごとに揺れが強まり、加速度的に要塞神山へ
深く、深く、息を吸って吐いた。肚は決まったのだ。単純明快、
「いいぜ、来いよ……!」
取り出した弓に矢を番える。その背に重たくのしかかる過去をを想いながら、弦を引き絞る。
的は目前だ、外す余地はない!
通路の一切がその身じろぎで崩壊し、要塞神山の中身は堆く積もった瓦礫ばかり。三本の首を喪った蛇は、遂に首を再生し、その一本化を成し遂げた。もはやアジ=ダハーカのテクスチャすら克服した蛇の姿は、巨いなる翼を背に付け、刃のような鱗を逆立てるように備えた手足なきもの。
形だけを保った神山内部の空中を睨む様は伏竜の如く気炎を纏う。その先にはやはり次郎が落ちながらにして狙いを定めていた。
「───勝負だッ!」
瞬間に蛇が翔んだ。その矢が放たれる前に次郎を一呑みにしようというのだ。いや、或いは撃ち放たれた巨星すら諸共に喰らわんとしたのか。生存本能が見抜いたアーラシュの流星を前に、この蛇は音も光も置き去りにして決死の跳躍飛行を敢行した。
死にたくない、死にたくない、死にたくない。それは恐怖ではない、好奇の感情から来る蛇の探究心とでも表すべき情動だった。
智慧を持つ蛇は未だ生誕したばかり。光溢れる世界を知らなかった。ザッハークの計略によって創り出されたが故に、神山の外を実際に見たことがなかった故に、孤独の超越者としての在り方を生まれながらに刻みつけられたこの蛇は、生の実感を知らなかったのだ。
なればこその決死。名もなき蛇は昇竜となりて光を落とさんと迫り来る。
後日、次郎と関わりを持つことになったトラキアの旧き魔術女神より『もう一つの
アギトが開く。天すら穿たんばかりの巨牙が次郎を襲う。次郎は目を逸らさずに、裂帛の気合と共に矢羽を手放した。
光風二つ駆け、大地が激震する。咲く筈のない徒花は種子を遺さずに儚く散るが定めである。
蛇にも、次郎にも後がなかった。
片やあまりにも純粋な蛇として生まれ落ちた赤子の蛇は、生命であることよりも先に『蛇』であることを強いられたために生殖能力を失っていた。智慧を持つがゆえにその重大さを理解した蛇は、生まれながらに謳歌すべき生を諦めていた。己で終着する生命になんの意味があろうか、と。
再誕者である己は、死も生もなく朽ちる徒花であるとまず始めに了解させられたのである。
そこに現れたのが次郎だった。この男は、明確な生死を持たぬ身である蛇に明瞭な死を叩きつけるべく現れた刺客であるが、同時にこれ以上なく頑なな信念を持つ侠客であった。智慧は次郎のパーソナリティを詳細に紐解き、蛇を惹きつけた。
知識の中にある人間を除き、初めて遭遇した未知なる男に蛇は多大な好奇心を示した。故に災厄でもって問い掛けたのだ。貴様が奪わんとする生とは、如何なるものか。それ程の信念を抱くに至る生とは、なんぞや。
蛇は語る口を持たぬ。思念を伝える術を持たぬ。その様に造られ、また災厄であることを因果に定められていた。故にその交流は究極の暴力、闘争となる。
ことここに至って蛇の中に意地が根付いた。徒花の大輪とはこの新たな根による変貌である。即ち、邪竜のテクスチャを剥がしきった上で現れた赤子の蛇の本性。逆巻く刃の鱗は生の答を得るまでは死ねんとする叛逆の雄叫び、そして巨いなる翼は命題の解答へ辿り着くための唯一の手段なのだ。
故に蛇は止まらない。次郎の放つ星すら呑み干し、全知に等しい智慧をもってしても未だ辿り着くことのない果ての解答へ至ってみせる。そのためだけの生であると己を定義した。
この大いなる決断が、恐るべき跳躍の原動力だったのだ。
だがもし、負けるとするならば。
悪くない。そう蛇は思考を止めた。同じ奴に負けるなら、それも悪くなかった。
対して高橋次郎はどうだろう。この男は、既に決着した過去を持つ
関東最大のヤクザ組織東道会。その直系高橋組組長にして、東道会本家若頭であった養父の病死によって活発化したヤクザたちの跡目争いに巻き込まれた男は、ただその系譜であるというだけで兄弟分や友らを殺され尽くした。
仁義なき現代極道の社会にあり、しかし次郎は異端であった。ただ仁義のため、と。それは養父の教えだった。外れ者である己らが、この世界で生きていくためにはそれを捨ててはならぬのだと。
古い、思想。それは理想だった。だが、それを誓いとして桃太郎の姿と共に背に彫り込んだ侠客こそが次郎である。
次郎はたった一人で仇討ちとして一勢力を滅ぼした。東道会の会長に収まった仇を、組織ごと殺し尽くした。ただ、仁義のために。以来この男は、日本の裏社会におけるアンタッチャブルとして放逐された。姿を消し、放浪を重ね、誰とも関わりを持つことなく流れてきたのである。
アキレウスが行った殺戮の光景に動揺したのは、真実を晒せばどうということはない。成すべきことをもはや成し果てていたという自覚が、己にこれ以上先がないことを示していることに他ならないと気がついたからである。
以降に縁を持った英雄たちの頼みを引き受けたのも、実のところは既に捨て体だったからというチンケな理由で、もはや仁義を通すだけの抜け殻に次郎は成り果てていた。
どうせ惜しくない命である。残すものすら亡くした男は、信念しか存在しない鋼の侠客に成り果てたのだった。
それが、この蛇との邂逅で揺らいだ。
同族嫌悪か、はたまた同類を見つけた小さな喜びか。なんにせよ次郎は久方ぶりに心が動く音を聞いた気がした。
全てをぶつけて、尚も。殺し尽くして、尚も。仁義を貫けるか分からない存在が現れたことは次郎にとって青天の霹靂に等しい事実だった。しかも、それは己の同輩である遺すもののない怪物である。
これまで成し遂げてきた信念が、ここで朽ちるかもしれない。そのことに恐怖はない。そんな理不尽は己が今までにどれだけ殺してきたかを考えれば当然の報いだと笑って言える。
だが、どうだろう。己が死んで、負ければ。この蛇に己は何かを遺すことになるのだろうか。そう、頭の片隅で考えている。
勿論、負けるつもりは毛頭ない。それはザッハークへの裏切りだからだ。それでも、もはや徒花と成り果てた己が、同輩にもしや遺す所があるとすれば、どうなのだろうか。
矢を放った先を見つめ、次郎は目を細めた。躊躇いはない、必ず殺す。片隅の思考は僅かな惑いにすらなりはしない。だが、それは負けたとしても納得するという覚悟だ。
仁義の鬼と化した次郎が、唯一諦めることのできる勝負が、この蛇との一騎打ちだったのだ。
果たして、両者ともに倒れ伏す結末となった。平等に、どちらも死に至る。そんな、結末。
五体を投げ出した次郎は掠れた声で蛇に声を掛けた。
「なんだよ、気概があんならちゃんと飲み干しゃよかっただろうがよ……」
対して蛇は、大地を割る救世の星を半分ほど呑み込んで、それ以上を噛み切れず右翼と全身の下側をごっそりと消し飛ばされていた。それでも、次郎から目を離すことなく静かに見つめている。
流血が川となって、隻腕となった次郎の体を浸した。
「考える頭が残ったのは皮肉だねぇ。もう這うことすらできねぇってのによ」
不意に、こちらを向く蛇の瞳が笑ったような気がして、なんとなくこちらも笑ってしまった。
「ふ、はっは。まぁ、良い。お前になら、悪くない」
共倒れの結末は、ザッハークの想定した結末の中では最低のものだろう。きっと怒っているに違いない。
だが、高橋次郎の結末としては悪くない、と素直に思ったのも事実である。
次郎はゆっくりと目をつむり、蛇に別れを告げた。
「……あぁ、先に逝ってるぜ。徒花の俺たちが、何処へ行けるかは知らんがな」
蛇もそれに倣って目を瞑り、そして最後の力を振り絞って神秘を発動した。
「ぐっ、……あ?」
驚いたのは次郎である。突き刺さった牙がひとりでに抜け、蛇の流血が傷口を満たし始めたのである。
「おい、何やってやがる……!」
今度こそ、蛇の笑い声すら聴こえた。血が沸き立ち、次郎の全身を蛇の流血が包んでいく。しばらくして、蛇は満足げに作業を終えた。
「ゴホッ、どうなってんだ傷が塞がって……!?」
飲み込んだ血を吐き出しながら、次郎は驚愕に叫んだ。無くなった左腕こそそのままだが、傷は痕一つなく塞がり、アーラシュの切り札を使った代償すら現れない。
まるで、より強い
「お前、まさか……?」
そう問い掛けた時、もう蛇は事切れていた。それから次郎は言葉を失って、ただずっと呆けて座り込んでいた。
ときに、こんな伝承をご存知だろうか。竜の血を浴びると不死身になる、というものだ。
翻って、蛇は生命の解答を探る昇竜として己を定義し、その通りに変貌した。もはやそれは蛇に非ず、真の竜として昇華を果たしていたのである。
そうでもなくば、厄災を鎮める力を持つ
「…………馬鹿野郎が」
満足げな竜のさまに、次郎は大粒の涙を零した。決闘は終わり、要塞神山を保たせていた最後の支えが消え去ると、山体が完全な崩壊を始める。
不思議なことに、次郎と竜の周囲だけは土砂や瓦礫に埋もれることなく静謐を保っている。
ふと見上げると、漸く顔を覗かせた太陽が竜の遺骸と次郎を優しく照らした。