英雄殺し(スタゴナ・アステリ)   作:カリギュラ伯父上大好きマン

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故郷にて

 

 父親はヤクザの鉄砲玉で、次郎が赤子の時分に凶弾に斃れたという。その時母親は既になく、一歳に満たぬにも関わらず、天涯孤独の身の上だったらしい。というのも、流石に幼かった頃のことなので、どこまでが本当の話か次郎には見当がつかないのだ。

 

 父と義兄弟の盃を交わしていた男に引き取られ、以来その姓である『高橋』を名乗っている。両親のことを伝えるのも専らこの男なので、幼い次郎にとって両親とはお伽噺の人物に過ぎないくらいだった。

 

 なにせ両親の顔も知らないので、次郎にとっては養父となった男が本当の父に相違ないと思い込んでいた時期すらあった。

 

 次郎少年は組の人間たちに面倒を見られながら平時の青春時代を過ごし、中学を卒業する。その後は養父の組の若衆として下っ端働きを始め、順調に実績を重ねていくと、二十の半ばには高橋組の若頭補佐にのし上がるほどの躍進を遂げた。

 

 異例の速度ではあったが、それは次郎が幼い頃から積み上げてきた組の人間との絆と信頼から来るものである。組長の養子であることは関係なく、その人柄が古参新参問わずに人を惹きつけたのがことの真相だった。

 

 若輩ながら親や兄弟分に恵まれ、まさに人生の絶頂を迎えようとしていた折に、転機が訪れた。

 

 養父が病を患ったのである。

 

 進行が一等速い、殊更にタチの悪い胃癌だった。日に日に痩せ衰えていく養父の姿は、次郎を始め組織全体への不安を波及させた。なにせ本家直系の組の組長にして本家若頭を兼任する男が末期ともなれば、それは当然のことだっただろう。そして、彼は次郎に"嵐の兆し"を告げて、この世を去るのである。

 

 次郎、27歳の春。長い時を経て、再び抗争が始まった。高橋組の元締め、関東全域を勢力圏とする東道会本家の跡目を巡る一大戦争だった。東道会内部のみならず、北は北海道から南は九州まで全国のヤクザが暗躍し、数々の策謀を巡らせたこの事変を次郎は駆け抜けた。

 

 終わってみれば僅か一年。後始末で半年ほど。だが、次郎はこの刹那に全てを奪われ、そして報復の後に霞の如く姿を消した。

 

 亡くなった高橋組組長と長い親交を持ち、少年時代の次郎の家庭教師を勤めた東道会四代目会長代行の片山雄三翁は、その背を唯一見送った者として伝説を語る。その終止はいつも同じで、聞く者に凄絶のなんたるかをよくよく了解させたという。

 

 

『慚愧の念深し。その時もはや次郎に残るものは五体と命、そして亡き親兄弟に誓った仁義のみであったのだ』

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「ご無沙汰しております、片山の叔父貴」

 

 晩春、夜遅くのことである。都内某所に構える東道会の本部。厳重な警備に守られている片山の私室に訪れたのは、姿を消したはずの高橋次郎だった。

 

 見れば黒いスーツに身を包み、持ち物は旅行鞄一つのちぐはぐな格好だったので、片山は思わず小さな笑みを浮かべて次郎を部屋の中へ招き入れた。

 

「ぬ?」

 

 片山の声。次郎は反射的に顔を顰めた。

 

 近くで見れば、次郎の腕が片方ない。あぁ、何かしらの大事に巻き込まれたか。片山はなんとなく、そういう予想をしていた。幼い頃から無鉄砲で、愚かしいぐらい見捨てることのできないこの男は、他人の業を背負い込んで、いずれふらりと死に果てそうな気配があったからだ。

 

 顰めた面はそのままにして、気まずそうな感じで片山と目を合わせた次郎に「おや?」と思うところがあったが、それよりも先に再びこの意地っ張りに会えた嬉しさが片山の心を占めていた。

 

「よう帰ってきたなァ。何年ぶりか、次郎坊(じろぼう)よぅ。会いたかったぜぇ……」

 

 じろぼう、と次郎のことを呼ぶのは片山ともう一人、高橋組の組長だけ。懐古の念が心に湧き上がる中、あくまでも丁寧に次郎は応じた。

 

「ご冗談を、俺は東道会に弓引いた裏切りもんです。本当ならこの首を差し出してもまだ足らねぇ。叔父貴にそんなこと言われるような男じゃあねぇんです、俺は」

 

「そうじゃねぇ。オメェが無事に帰ってきたのがわしにゃあ堪らなく嬉しいことなんだぜぇ?」

 

 片山はしわくちゃの顔をくしゃりと歪ませて続けた。

 

「……墓参りか?」

 

 静かな目で、片山は横目に窓を覗いた。コンクリートジャングルが眩しいくらいの明かりをつけて、夜空はそれと反比例するように星の霞む真っ暗闇。その先に何を見ているのか、次郎はなんとなく察しがついた。養父と片山の絆は、それだけ深いものだとよく知っていたから。

 

 次郎はこの六年間、一度も養父や兄弟分の墓を訪れていない。不義理だと分かっていても、トラウマへ向き合うには次郎の心は傷付き過ぎていたのである。

 

 それを癒やすことが出来たのか。次郎自身は未だに分かっていない。それでも、数多の出会いを経た今、けじめはつけるべきだと漸く決心がついた。

 

「そうさな、それなら寺の住職に鉄幹の話でも聞いてきな。あいつ自分の若い頃なんて、恥ずかしがって話そうとしなかったらしいじゃねぇかい」

 

 鉄幹、というのは養父の名だ。名の通りに巌のような男で、そして堅物だった。今でこそ、そういうシャイな性格だったことが分かる。中学の頃は、厳格で恐い印象ばかりが頭の中を占めていたのだけれど。

 

「住職とは、お知り合いで?」

 

「奴も昔は極道だった」

 

 極道を辞して僧侶になる者は一定数ある。なにせ人死にの横行する裏社会に生きてきたのだから、老いてどこぞに救いを求めることも珍しくない。

 

 尤も、現代の仁義なきヤクザたちに嫌気が差して仏門に下る例も珍しくない。或いは完全に足を洗って反ヤクザの活動家になるか。

 

 話を聞く限り、片山の言う住職は前者に近い背景を持つらしい。

 

「そうでしたか……」

 

「極道になる前の鉄幹を知る数少ない男よ。付き合いの長さなら、あっちが上だぁな」

 

 そこまで話して、片山は次郎に目配せした。これは「酒の準備をしろ」という合図で、次郎が成人してからの七年間に毎週一度の習慣として続けてきたことだった。それも、今回で六年ぶりともなると、感慨も一入だ。

 

「配置は変えてないので?」

 

「おうよ」

 

 手慣れた手付きで隅の棚からグラスを二つ取り出すと、隣の冷蔵庫に手を掛ける。

 

 そこに片山が待ったをかけた。

 

「折角の再開だ。良いモン選びなよぅ」

 

「ご厚意に甘えさせて頂きます」

 

 硬い口調に老人は苦笑を返した。もう二度と会うことのない息子のような男に、その父たる友の面影を見ながら。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 片山と夜通しの語らいを終えて暫く。次郎は組の人間が眠る墓地や寺を巡り、その最後に養父鉄幹の墓がある滋賀県大津市を訪れていた。

 

 明王院の系列にあたる比良山麓の寺、鉄幹は高橋氏の立派な墓に先祖たちと一緒になって葬られている。

 

「お久しぶりです、親父」

 

 平日の昼間である。周りに人気はなく、ただ優しいそよ風が次郎の頬を撫ぜた。

 

「遅くなって面目次第も御座いません。ですが、最近になってようやっと俺にも決心がつきました」

 

 次郎が日本の地に戻るのは、これが最後である。その決意を告げるべく、ここへやってきた。

 

「世の中は恐ろしいもんで、人にあだなす神秘がいくつもいくつも転がっとります」

 

 竜を斃した後も暫く放浪を続けていた次郎は、その道中に幾度も怪事件に遭遇し、その度に無辜の人々を守るべく尽力を重ねていた。

 

「多分、死ぬまでそういうのを引き寄せることになるでしょう」

 

 確信がある。竜に縁を得た次郎は、闘争に巻き込まれざるを得ない。何故なら、竜とはそういうものだからだ。細かい理屈でなく、そういうものだからそうなるのだ。災禍と闘争の化身とは、つまり竜を指すのだから。

 

「俺は、少なくとも東京を、ここを、燃やしたくはありません。ここは、俺の故郷だから」

 

 今度こそ、高橋次郎は本当に消える。姿を消して、見知らぬ土地を歩き続ける流離いの人となる。少なくとも、そうすれば故郷が燃え散ることはなくなるのだ。胸を離れない寂しさを噛み締めて、孤独な男はそう決めた。

 

「さようなら、親父。俺は、俺の道を行くよ」

 

 決別の時はきっと、もう既に訪れていたのだ。それを、言い訳して遠ざけたつもりになって、今の今まで逃げていた。

 

 本当なら、復讐を成し遂げたあの時に、死ぬか二度と日本の地を訪れないことを定めておくべきだった。もう、高橋次郎は終わっていたのだから、誰でもない男として、去るべきだったというのに。

 

 風が吹く。どこかカラッとした、清涼な風だった。異国へと次郎を誘う、冷たい風だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 墓参りを終えた次郎を、寺の事務所に快く迎え入れた住職は、鉄幹と高橋の家について語ってくれた。

 

「鉄幹は高橋の宗家、その三男坊にあたるお方でした。元々高橋の家は修験者の一族。例に漏れず若き日の鉄幹も仏門の修行に励んでいたのですよ」

 

 高橋氏は比良山系の山々周辺に根を張った修験者たちの末裔であるらしい。若き日の鉄幹は、同じような年頃の修験者たちのまとめ役をしていたという。

 

「かくいう拙僧も鉄幹に付いて回った子分の一人でしてね、懐かしいものです」

 

 春の麗らかな日差しが、住職の柔らかな微笑みを照らす。元極道とは思えない、清らかな心根が透けて見えるようだった。

 

 少年時代の鉄幹との思い出を次々に語る住職は、ひとしきり話したところで少し口をつぐんだ。そうして次郎の顔を見つめると、何かを悟ったように目を細くする。

 

 本当は言うつもりのなかった事ですが。そう前置きをして息を整えた住職は、次郎を手招きして寺の縁側に腰を落とした。次郎もそれに倣って住職の隣に腰掛ける。

 

「鉄幹が二十になった頃、彼が東道会と関わりを持つようになった切っ掛けとなる出来事がありました」

 

 住職は小指が欠けた右手を見つめて、小さくため息をつく。どこか懐かしむように、恐れるように、次郎には厳かな動作に思えた。

 

「まつろわぬ神、という概念があります」

 

 まつろわぬ、神。そう聞いて、まず始めに頭を過ったのは己の出会った英雄たちである。次郎はアキレウスやアーラシュが名の枕詞に用いたその単語に、どこか因縁めいたものを予感する。

 

「神、というのはそのままの意味です。彼らは太古に語られた神話をなぞりながら、しかし自らの在り方に抗い、世に災厄を齎す神秘とされます」

 

 率直に連想したのは、アキレウスの虐殺である。様々な姿の人々が、皆平等に殺し尽くされているさまは、正しく災禍そのものだった。

 

「伝説にある者たちが、形そのままに好き勝手振る舞うものが、まつろわぬ神ということですか」

 

「そうなりますね。彼らは謂わば意思を持った災害なのです。人には抗いようがなく、ただ祈るしかできない領域にある者たち……」

 

 鉄管は、日本を襲ったその内の一柱を退けたのですよ。

 

「勿論、一人ではありません。日本にも様々な神秘組織があります。当時の陰陽寮や正史編纂委員会、神秘世界に関わりを持つ国内の組織が手を取り、全力で動き回った結果です」

 

 住職の欠けた指は、事件の折に失ったものであるらしかった。尤も、この程度で済んだことが幸運なのだとその目が語る。災害とは、いとも簡単に人の命を奪うのだから、と。

 

 時が経ち、箝口令が敷かれ、当時のことを知る者はずいぶん少なくなったという。

 

「だけれども、誰もがその背を覚えています。……少々お待ちなすって下さい」

 

 立ち上がって、住職が真後ろの部屋に襖を開けて入っていった。さして時間をかけずに戻ってきた住職の手には、一振りの短刀が握られている。

 

「この刀を携えて、鉄幹はまつろわぬ神……名も知れぬ赤衣の剣士と切り結び、そして無傷のままに生還したのです」

 

 それが、どれだけの偉業か。同じく人間のままアキレウスと死闘を繰り広げた次郎にすら想像も出来ない。なにせ無傷と来たものだ。弑逆にこそ至らなかったとはいえ、流血一滴許さずに撃退を成し遂げた鉄幹の腕前は、剣神と例えて不足ない。

 

「その時に決戦の場を整えたのが、関東に広い土地を持つ東道会でした。あの頃は三代目の時代でしたねぇ」

 

 友誼を結んだ当時の東道会会長との縁で、諸般の事情により高橋一門の土地から離れる事になった鉄幹は東道会の組員として属することになった。

 

「拙僧は、鉄幹に唯一付き添った監視役でした」

 

 その偉業から、神をすら殺し得ると謳われた鉄幹の腕前を恐れた高橋氏宗家は彼を追放し、故郷の土を踏むことを固く禁じた。鉄幹は嘆くことなく、毅然として処分を受け入れて、新天地東京に腰を落ち着けることとなる。

 

「……十三年後。監視役の任を終えた拙僧は、比良山に戻りました。その頃には鉄幹を追放した老人たちは一門の権威ではなくなり、次代の者たちがまとめ役をしていましたので。鉄幹が故郷に戻るのも遠くはないと思っていたのですが」

 

「親父は、戻らなかったのですか」

 

「やはり分かりますか。鉄幹は許しが出ても、この地に戻ることはありませんでした」

 

 少なくとも、怒りによるものではなかった。推察する住職の言葉は、正しいものだと素直に思った。父は、そういったことにとんと興味がない人柄だったのをよく知っているから。

 

「後のことは、恐らく貴方の方がよく知っていることでしょう。鉄幹は病に倒れ、しかし自然体を崩すことなく正道を行ったのです」

 

 聞けば、住職は鉄幹と文通を続けていたという。鉄幹の病状を知り、この寺の高橋氏の墓に葬るよう取り計らったのは、住職本人だった。

 

 住職は、手の中にある短刀をゆっくりと次郎に差し出した。

 

「この刀は、次郎さんにお渡し致します。鉄幹のことです、どうせ遺品も殆ど遺さずに身辺整理もしてしまっていたでしょう。形見として、お持ちください」

 

 見た目に反してずしりとした重さを持つ短刀を、確りと受け取る。妙に手に馴染むので、次郎は奇妙な感触に首を傾げた。しかし、すぐに気を取り直して住職へ感謝を告げる。

 

「有り難く」

 

 語るだけ語り尽くした住職は、喉を潤すために温かいお茶を沸かすと、思い出したように次郎へ勧めた。

 

「次郎さん。よろしければ、今夜は家に泊まりませんか?」

 

「よろしいんですか」

 

「えぇ、是非泊まっていって下さい。妻も喜ぶでしょう」

 

 一夜、次郎は住職夫妻の歓待を受けて、明け方には霞のようにいなくなっていた。夫妻への感謝を告げる置き手紙を残して、風来坊は日本を去った。

 







 本作は特に描写されることのない裏設定がそれなりに転がっています。例えば次郎の父親は東道会の三代目だったとか、次郎の父鉄幹が、わたしの没作品の主人公だったりとか。そういうわけで、ちょっとばかり高橋鉄幹についてクローズアップ。

 今回の話で鉄幹がスーパー人類だったことが分かりましたが、流石に神殺しですらない人間がまつろわぬ神(赤衣の剣士、元ネタあり)を無傷で撃退とかおかしいやろ、と思われたかもしれません。

 だが待って欲しい。鉄幹は次郎の武術の師匠なのだ(今明かされる衝撃の真実)

 人の身のままアキレウスの剣撃と体術を捌くようなビックリ武術を次郎に授けたのは鉄幹なわけで、実際単なる剣士としては某天眼の剣士並にやべー奴なのだ。要は技量において次郎を完全に上回っているチートマンだった。

 その点次郎は仁義キチの精神的なチートだから、精神が肉体を上回る典型的なスペックブースト型。テクニック特化の鉄幹と強化特化の次郎だと、対応出来る相手に大きな差があるのよね。どっちかといえば次郎のほうが相手できる奴は多いんだけども。

 鉄幹が相手をした赤衣の剣士の権能は、どっちかといえば技量と体術に特化してたので、わざの勝負になった瞬間に鉄幹の負けはなくなってたという。

 これが典型的な災害の化身とか防御系の権能持ちだったら、割となす術なく敗北していた辺り、この人の幸運値は高い。具体的にはB+くらい。短刀も上等な霊剣ってだけだったからね。

 後、そういえば住職がいきなりまつろわぬ神とか正史編纂委員会とかのたまいだしたけど、これは次郎の体に宿る数多の神秘に気がついたから、こういった話に理解があると考えてのことだよ。いきなり何言ってんだこいつとか思ったかもしれないけど、一応そういう理由があるよ。

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