第1話:コーヒーブレイク
美味しいコーヒーを淹れるための作業に蒸らしという工程がある。フィルターにコーヒー粉を平に均し、少量のお湯でその粉を蒸す。
これをすることでコーヒーとお湯が馴染みやすくなるのだが、詳しくは説明する必要は無いだろう。
彼は誰かに語りかけるように、しかし聞き手のいない虚空に独り言を呟く。
彼がコーヒーという、昔は泥だと思っていたモノにここまでハマるようになったのはいつからだろうか。
先輩と出会った時か、先輩が連れてきた変な奴と仲良くなった時か、彼が戦うのをやめた時か。
それとも結婚した妻が彼を殺すために、男が最も行為中に無防備になるあの時に刺された時からだろうか。
「はぁ……つっら。考えるのやめよう」
口ではそんなことを言うが、彼はココ最近ずっと妻……未練がましいのは良くない、元妻のことを考える。
***
彼は職人という職業に就いていた。『職人』とは『武器』と呼ばれる兵器の武器に変身出来る人達を使いこなす。武器は職人の魂の波長を増幅・調整し、それで通常の人間よりも高度な動きを職人にさせる。
ある人物は「楽器とアンプの関係に似ている」と言っていた……いや、確か自分と自分に解体されて知識欲を満たしてくれる実験体って表現だったか。
その職人としてパートナーである武器を扱い、悪人を狩っていた。大抵の職人や武器はもう戦えないから戦うのを辞める、もしくは結婚ややりたい事が別にあったからなどという理由で戦うのを辞める……理由十人十色だ。
ぶっちゃけトップが「おっけおっけー」なんて言う軽い感じなので、闇に墜ちるなどという理由でなければ割と何でも通ったりする。
彼は一目惚れした女性に百回の告白をして、受け入れる代わりに出された条件が、戦う人とは結婚出来ないというものだった。結婚を前提で付き合いたいなら職人をやめてと言われたので、真っ先に辞表を提出した。
その時の先輩の驚きの顔と同僚のニヤニヤした顔、上司の即答は今でもよく思い出せる。
え? 武器の目的は悪人の魂を99個集め、魔女の魂を1つ集めることでなれる、デスサイズという武器としての格をあげることが目的だ。そんな理由でパートナーは納得するのかだって?
彼の
***
彼は職人をやめ、生まれ故郷に帰り、実家から借り受けた農地で米を作って日々を暮らしていた。
その妻との暮らしはとても充実していた。
元々彼はお坊っちゃんというやつだった。子供の頃に実家とデスシティーとの交流の一環で、一般人よりも職人の才能がある彼と武器である付き人を連れ立って、故郷である極東を離れた。
なので米の作り方なんて知らないし、最初はとても苦労した。そんな彼を助けてくれたのはもちろん妻だ。妻はとても物知りであり、ことある事にこう言っていた。
「私は書物でなら米の作り方を知っているわ。でもね、大抵の事は
知識家であるのにその知識には溺れず、自ら体験することによってその知識を自らの見識へと変える。そんな出ていってしまった元妻の事を彼は今でも愛している。たまに別の女性を抱いたりするが……これはうら若かった彼を先輩が歪めてしまったせいである。きっとそうだ。
一番彼が感動したのは、知識にはあると言っていた初めての時なんかは…………こういう話を他人にしようとするから彼の妻は出ていったのかもしれない。彼は自分自身を配慮の出来る男だと思っているが、妻にもパートナーにも配慮の方向が違うといつも怒られている。
「はぁ……」
***
彼が何故大体十年前に出ていった妻のことを思い出しているか。もちろん一日だって忘れた日はないが、思い返してしまうのはいつもこの時だ。
それもこれも子供だった彼が一番影響され、頭の上がらない先輩から手紙が来たからだろう。
『俺だ俺。お前マジで戻ってきてくれない? こっちにあるお前の家はちゃんと管理してるから戻ってこい! 先輩命令だ。死神様の相手は楽だけど、シュタインは有事にならないと働かないし、シドは実働部隊だから手伝ってくれない。誰が死神様の代わりに書類仕事を手伝っていると思っているんだ? 俺だよ俺! てめえが勝手に辞めたから本当に苦労してるんだけど。もう10年は経ってるんだからさ、やる事もやって落ち着い……』
なんて言う愚痴と要件が最初に書かれていた手紙のせいだろう。今でも彼のパートナーは思う、彼の先輩選びを間違えたと。もし彼のパートナーが過去に戻れるなら、その先輩との付き合いは止めないが、リスペクトだけはするなと言うだろう。
その後はひたすら彼の先輩の泣き言が書いてあった。
『……という事でもう一度書くが戻ってこい。それでよ、俺とうとう離婚しちまうかもしれない。いや、わかる。俺が浮気性なのが悪いのはわかっている。マカが目を合わせてくれないし無視されるのが辛い。だがお前ならわかるよな? 共にあの一夏に百人斬りを達成したお前なら! 最も愛していて大切な人がいたとしても、男ならやらねばならない時があることを。キャバクラで妻とは別の女性にチヤホヤされたい童心を。ナンパがうまくいって一夜の関係を結べそうなら手を出す男心を! あの面倒くさいデスサイズにすら手を出したお前ならわかるよな? だけど妻はやっぱり分かってくれなかったんだよ……書いてて辛くなってきたわ。飲もう、引越しが無理でもいつもみたいにお前の奥さんは来ないだろうが遊びに来い! これは先輩命令だ。真のデスサイズより
PS.彼本気で落ち込んでるからいつもみたいに頼むよ。死神』
ここ十年の間、デスシティーには割と行っている。最も尊敬し、最も軽蔑しなければいけないと言われている先輩、スピリット=アルバーンに呼ばれるからだ。
あと部下の手紙に勝手に追伸を書くのはやめてほしいと彼は思う。ガチの神なのだから遠慮を覚えたらどうなのだろうかといつも思っていたりするが指摘はしない。無意味だから。
やれ娘が可愛いから見に来い……大きくなった時に手を出したらぶっ殺すからマジで。
やれ先輩である俺の娘にクリスマスプレゼントをあげないとかお前舐めてんの?……娘に手を出したら。
やれ妻と喧嘩したから酒に付き合え、妻に手を。
スピリットに娘や妻の事で何かがある度に彼は呼び出されていた。
ちなみに彼の元妻による攻撃で死にかけている時に、その妻に出て行かれたことは話していない。スピリットは未だに彼と元妻が一緒に暮らしていると思っている。
なぜ言わないか? かっこ悪いからだ。
***
彼はコーヒーを飲みながら、スピリットから連絡が来る度に思い出すことを頭の中で反芻していた。
そのせいでせっかくスピリットが使える経費で買った、高価なコーヒー豆で淹れたコーヒーの味もわからない。
「スピリット先輩も離婚とか笑え……なんで先輩に憧れて真似しちゃった俺の方が早く妻と実質離婚してるんだか」
いつの間にか洗い終わっていたコーヒーメーカー一式を所定の場所に片付ける。
コーヒーを淹れられるようになった方がモテるとかいう理由でスピリットから学んだコーヒー作り。他にも料理や家事はもちろん、女性の口説き方や素晴らしく互いが気持ちよくなれるヤリ方など。
自分が如何にスピリットの教育によって今を生きているのかをコーヒーを淹れる度に再確認させられる。
「……いや、でもやっぱりスピリット先輩の方が女癖悪かったし、引っ掛けた女性の数は多いよな。なのになんで俺の方が早く離婚してるんだ? まじ辛い、先輩以下とかまじ辛い。死んだな俺」
「ハヤテ様の方が女性からしたら悪質です。一夜と言っているのに、女性に全力で惚れてもらうよう努力をし、一夜という縛りを乗り越え、それよりも長くしかし短い期間で別れる。それでマリー様が現状でもどれだけ大変なことになっているか」
彼の後ろにいきなり現れ、声を掛けてきた女性の方へ彼は振り向く。
金色の腰まである髪をなびかせ、規律を遵守しそうなキリッとしたお堅い美人顔。無表情にこちらを見ている和風メイド服を着ている女性。
極東の出なのに代々行われてきた業の結果、極東の血があまり表に出なかったその女性は彼、ハヤテのパートナーであり、剣に変身出来る武器。名を
「いや、待ってほしい。女性を大切にするようにって言っていたのはアリスやお母様だろ。それに女性に優しくするのは当たり前であり、敵じゃない限りリスペクトするのは当然だ。あとあれは理由も言わずにマリーを悲しませて出ていったジョーが悪い。悲しんでいる女性がいたら慰めるのは当然だろ?」
「手加減をしろと言っているのです。アルバーン様の娘であるマカ様もそうです。年に数回しか会わない優しい親戚のお兄さんを演じているではないですか。乙女の近所の優しいお兄さんへの初恋率を舐めているんですか?」
「あれはスピリット先輩の友として接したら、もう少し大きくなったらおじさんとか言われそうだろ? 俺は嫌だぞ、おじさんなんて! それならマカちゃんの親戚のお兄さんくらいで接した方がおじさんと呼ばれないかもしれないじゃん。しかも別に演じてない。ちょっと真面目にしてただけ」
やましい事など1%しかないのでハヤテはしっかり弁解する。
「……はぁ。だからあの時にアルバーン様と交流を深めるのはお辞め下さいと言ったのです」
スピリット=アルバーンのように悪い事だと思っていない、無自覚で悪意のない
「なんだい? 最近は言わなくなった事を言うね。確か前はマカちゃんの誕生日を祝いに行った時にも同じことを言っていなかった? 先輩とのーってやつ」
「ハヤテ様はこの地を離れ、またあの街に戻る気ですよね? それならば事前に釘をさしておかねばなりません」
「なんでわかったの?」
彼は顔にも出していないし口にも出していない。しかしアリスは当然のようにいつもの言葉を口から紡ぐ。
「私はハヤテ様のパートナーですから」
「さいですか」
***
スピリットと同じようなスーツに身を包み、ハヤテは身支度をしている時、アリスにあることを尋ねた。
「……なあ、ナザールさんが俺を殺して蒸発してから大体十年経ったからこそ聞くけどさ」
「はい」
アリスはあまり感情を表に出さないが、彼の妻であったナザールと結婚する時は怒りを露わにして止めていた。そのあと彼がナザールを連れて故郷に戻ってからも、武器ではなく付き人として常にナザールを見張り、度々喧嘩をしていた。
「俺は何が悪かったんだろうな。職人だったから? スピリット先輩みたいなことを昔はしていたから? 結婚してからはああ言うのは頻度が相当減ったと思うけど。もしくは彼女が……魔女だったから?」
いくら男性が最も無防備になるタイミングだったとしても普通の女性には彼は殺されない。彼は職人の中でも悪人を狩るEATという職人である。戦闘のプロであり、素人に殺されるような雑魚はEATの職人には居ないはずだ。
あの夜、密着していた時に彼は蛇のような魔法を使われ、首の多くを抉り取られた。首の骨が折れ、大動脈も切られたが今は生きている。
その時初めて妻が魔女であることを知った
「ナザールという名も初めから偽名じゃないか? と私は言っていました。彼女は私たちという少し特殊な職人と武器を観察したかっただけなのでしょう。あの方が最後に言っていた魔武器と職人の融合、魔女が武器と職人を観察するには打って付けですからね、結婚というのは。結婚してデスシティーからハヤテ様を切り離し、田舎で暮らせば彼女を邪魔できるのは私だけになりますから。そして私は単独ではデスサイズのジャスティン様のように戦えません」
アリスは饒舌に、しかし顔を背けながらハヤテにこうなるのではないかとわかっていた事を、魔女に裏切られて十年ほど経ったパートナーに告げた。その声はいつものような覇気はなく、震えてしまっている。
「……その、済まない。アリスを泣かせる気は」
「いいえ、付き人に対して遠慮はいりません」
「アリスは俺と一心同体だ。自分に対して遠慮はしないけど、アリスはアリスだ。済まない」
ハヤテはアリスを抱きしめ、泣いているアリスの涙を拭う。こんな時に思ってはいけない事だが、やはりアリスの体はとても良いと抱きしめてわかる柔らかさを感じると思ってしまう。
どれだけシリアスだったとしても男は所詮男なのだ。一部例外の解剖キチガイは居たりするが。
「……もしナザールと名乗っている、いた魔女と対面できたら、私を使ってあの魔女を殺してください」
「……」
「そうしなければ私は自殺します。そうすればハヤテ様も死にます」
「……後ろ向きに善処しよう」
ハヤテはアリスを離し、後回しという解答をしてから、デスシティーへ引っ越しの準備をするために家を出た。
ハヤテの首元の大きな
一話を読んでこういう主人公は無理だと思った方は申し訳ありません。
ハヤテがいることによって多少人間関係が変わっていますのでご了承ください。
そして前作のように毎日投稿は無理ですのでそこもご了承ください。