神有月 作:蟠蛇ヶ森
「栃木って何も無い田舎なのね」
「…群馬出身が言うな」
唐突に栃木をディスり始めた智織に、群馬的習性で仕方ないと思いつつも、頼人は理性ある群馬育ちとして意味の無い諫めを行った。
栃木県の那須で女子中学生が失踪し、その二日後、その母親が死体で見つかったという事で、頼人達はその解決の為にある村へと呼ばれたのだ。
その村は、まさしく田園風景が似合う、小さな民家が疎らに存在する古めかしい農村であったが、一つだけ大きなお屋敷があった。
頼人達が最初に向かったのは、そのお屋敷である。
「…この依頼を受けるに当たり、提示された予算には見合わない豪邸だ」
「支払いを惜しむ客は優良な顧客とは言えないわ。どうするの?」
「会う約束は既にしてあるから、それ自体を不履行には出来ないが、
今後とも付き合いを続けたいとは思えない。優良で無い社員と顧客は切り捨てた方が長く見れば益が残る」
「同感ね」
既にあまり良くない印象で、今回の依頼人に会う前から値踏みを終えた二人は、それを表情に出すこと無く屋敷の門をくぐった。
「防人省嘱託職員の者だ」
依頼人の家の戸を叩きながら、ごく自然な上から目線の言い方で到来を告げた頼人。
それから暫くして、足音が聞こえ、そして扉が開き、脂ぎって、皺と染みの多い皮膚と薄い頭頂部を持った男が顔を出した。
「ん? おまえみたいな子供か?」
「…互いに信用関係が構築できない様なので、帰らせて貰う」
頼人を一目見て、その若々しさを軽視した中年男性は、逆に軽んじられていることにも気が付かず、頼人達の機嫌を損ねてしまった。
…頼人も表情こそ取り繕っているが、
『互いに~』と言っている時点で、最初から相手を下に見ていることを隠していなかったのも良くないのかもしれないが。
「待った、待て、結果を出してくれるなら別に構わない。金は出すと言っただろう。それに…」
そして中年男性、芦草太志はジロリと智織に好色そうな視線を向けた。
自分よりも身長のある男子高校生には若造と見下すが、女子高校生には欲情する素敵な精神構造の持ち主が、この一帯の地主。
芦草本家の当主である。本家と言っても数代前に遡っても武家や公家の血は一切入っていない、由緒正しい農民だが。
「それに…の続きは何なのでしょうね、頼人?」
「さあ、興味が無い。
それに、随分と値切った金額を出すことを偉そうに言われても困るな」
完全に小者を見る目で踵を返そうとした二人に、太志は本気で帰られそうになった事で、焦って引き留めようとした。
「待て、金額が不足なのか? この金の亡者め。解った。追加で10万出そう」
智織は頼人の方を向いて、完全に小馬鹿にした様に嗤った。
依頼金をつり上げる側だけで無く、依頼金を少しでも押さえようとする人間も、同じく金の亡者にしか見えなかったからだ。
「ですって」
「1割追加しただけか。それでも、相場には届かないな」
別に智織や頼人は足下を見て値段をつり上げようと言うつもりでは無い。
まあ、二度と会うことの無い相手からはがっつり巻き上げて縁を切るのも良いが、
金を持っていない、金を払わない相手に多くの時間をかけるよりかは、金払いに余裕のある相手への仕事の量や質を上げる方が効率的なのは当然だからだ。
世界と切り離されても、グローバル化に洗練された経済的弱肉強食の基本は変わらない。
だから余計な情をかけること無く、良い顧客だけを相手にするのが頼人の方針だが、祟られたり、祟りに足を突っ込む様な相手が顧客である以上、
基本的に良い顧客には恵まれないというのが現状だった。勿論同業者ではかなり待遇の良い方だし、客も選べている方だ。
割に合わない依頼は切り捨てる事が出来るだけの能力があるから、仕事を選べる。
実行に元手金がかからず、短期間で支払いの良い仕事を選べば、受ける仕事を少なくして、休むことも、更に仕事を入れることも選べるから、
選べるのであればその方が良い。
割の良い仕事を受ければ、その分働く時間が少なくなる。
学生の身である頼人からすれば、試験さえ受けて規定点数を超えれば、授業日数を免除する規定があろうと、少しでも仕事の量は減らしたかった。
逆に、低スペックな同業者などは、割に合わない仕事でも請け負わざる終えない為に、危険度が高く解決に時間がかかる仕事を安い給料で請け負い、
他人に良い様に使われ、装備を揃える金も無く、支援を頼む金も無い為にとことん身を崩していく。
持たざる者が悪い。世界から日本が切り離された後、ある総理大臣が良く使っていた言葉だ。
元を辿れば不出来な兄が滅せられる事で生まれ出でた存在を信奉していた家系の信念だった。
今では日本全国に浸透している言葉だ。自己責任論の究極系である。
持たざる者が悪い。持たざるにもかかわらず対処しないのが悪い、仕方が解らないのが悪い、解っても出来ないのが悪い。
賢くないのが悪い。運動が出来ないのが悪い。健康で無いのが悪い。美しくないのが悪い。足が短いのが悪い。老化するのが悪い。
親が資産を稼いでなかったのが悪い。運が無いのが悪い。霊的素養が無いのが悪い。無能なのが悪い。遺伝子の質が優れていないのが悪い。
駄目な者は、己や家族が駄目なことを受け入れろ。その程度の学校や職場にしかいけない自分が全て悪い。
能力の実証だけが祝福されるべき姿で、無能は足を引っ張らず潔く恥を晒さず犠牲となれ。
何故、この様な言葉や思想が流行ったかというと、弱者切り捨てを積極的に行わなければ、世界から遮断された日本では、
文明レベルの低下を最小限に抑えながら、それなりに文化的で健康的な生活が成り立たなくなるからである。
それに加え、余り人が多くては食糧の供給も難しくなる。
ならば、生産性の低い、社会的価値の低い者には生存の椅子から外れて貰うのが合理的だと、上級国民達自身も理解し始めていた。
実行した当時の総理大臣からすれば完全なマッチポンプであるが、結果としては少なくとも弱者以外には居心地の良い国になった。
資産家や大会社の会長など多額の税金を納め続けている老人を除き、年金を食い潰すだけの老人には社会的メリットは薄い。
元の世界から切り離され、神話の世界と重なり始めた日本という特殊な環境故に、
一部の伝承知識を持った老人だけは特殊な地位にいられるが、それ以外は姥捨山に送られて当然だというような視線を向ける者も少なくは無い。
年齢以外の者を何も積み上げずに、その時代を生き抜いただけで満足した下層老人と、時代を作り上げて今も尚その蓄積を続ける上層老人の明暗が分かれた。
それ故に、知識を持ったふりをする老人が増えていることは、社会問題になっている。
虚偽の知識では霊的災厄に対抗できないからだ。
会社においても、使えない社員はその月の給与だけ払えば直ぐに無条件で解雇できる様になり、会社は使える人間だけで埋め尽くされて、効率化された。
勿論、その中でも新たな上位から下位へのピラミッドは出来たが、そのピラミッドの底辺は以前より高い位置に出来ている。
とりわけ優秀な上澄みの人材ばかり集めるのは、そうで無ければ売れないからだ。
誰が好き好んで、出涸らしのオリーブオイルや選別外のブドウで作られたワインを、一番搾りバージンオイルや特選ブドウで作られたワインと同じ値段で求めるだろうか?
誰だって上澄みを欲しがるのだから、それは決しておかしいことでは無い。
人材にだけ上澄みだけで無く沈殿物も抱き合わせろと言うのは話が通らない。
逆に、従業員を選べるだけの待遇を提示できる会社にはどんどん人が集まって、選別が進むが、
待遇が悪く従業員が集まらない会社には、好条件の会社に入れなかったり、追い出された様な掃きだめの様な人材しか集まらないが、
最低限の人数確保のためクビにもしづらく、駄目な会社と駄目な社員が社会から潰される。
誰も選別外で出涸らしの沈殿した人材など欲しくは無いし、そんなメンバーだけでは組織は全うに運営できないのだ。
上澄みになれない人材や、沈殿
利益至上主義の
それに合わせて多くの従業員が解雇されるという問題に声を上げる人々もいたが、労働者を求める職場は、経営者は多くある。
特に、輸入が望めなくなったことで、一次産業や鉱山の開拓の労働者は需要が高い。――但し、給与などの待遇は高くない。
時の総理大臣が「奪い尽くせ、守り抜け、力がその手にあるのなら、さもなくば喰われて死ね」と言ったように、労働者の行き先は多くあった。
誰も就きたがらないような場所へ行くか、誰もが行きたい場所を他者から奪い取るかだった。
能力があるけれど優しくて他者から奪えないから失敗するという人間は殆ど存在しない。
能力があるのなら奪わずとも現在の権利を守ることは出来るからだ。
無能だから得られず奪われ朽ちていく。
それを社会は助けなかった。助けようとしなかった。助けられなかった。
所謂底辺職の労働環境が改善されない最大の理由は、環境を改善できる程に優秀な人材が敢えてそこに入ろうとはしないことが大きい。
不遇な環境にも大きな改革を生み出せる有能な人材は、有能な人材しか入れないような優遇される職を最初から得る。逆はまた然りだ。
例えば一週間でスプリントを行えたグーグルのエキスパートメンバーのように。
例えば嘗ての日本で介護業界の待遇が改善されないという不満が多く出ていたが、改善できる人材が他業種に行ったり、介護業界でも搾取側に存在していたように。
不満を改善するための方法を考え実行できる人間は、そもそも不満が溜まる職場にはそんなに入らないのだから。
現在の日本では弱者を守るのは余裕であり、守って頂いている弱者は強者に感謝をする。守られることは当たり前では無くなった。
強者が弱者に力を貸し与えなければ、弱者だけで持ち得る力などその様なものだ。共産主義政党の支援の無くなった生活保護受給申請のように脆弱になった。
近代的管理システムを保持したまま、世界の目が消えたことで、日本は効率化を最大限に優先でき、弱者を守らなくなった事で弱者は真に弱者となった。
そして、それを対価に日本は海の向こうからの資源を失って尚、選び選ばれた人材に最低限以上の幸福を約束できた。
所得税などの各種税制が、累進課税ではなく、一律となった事も大きい。
高所得者が毎年、1000万円の税金を払い、低所得者が毎年100万にも満たない納税という社会から、
毎年一律で、二十歳以上の者から一人あたり毎月8万円を強制的に回収する。
そんな強きに優しく、弱きに厳しい社会となった。完全に無能を国家ぐるみでゆっくりと絶滅させにかかっている。
その結果、その底辺層の構成員が
当然、抑止のために刑罰の厳罰化は進んだ。犯罪にはしるしか嘗ての生活水準を維持できない者達の人権など無くなった。
例えば、エリートしか入れなくなった警察組織である防人省の上層部は、万引きを見つけたら自己判断で犯人を殺害しても構わない――等だ。
犯罪者は基本的には、簡単に死刑となる。霊を治めるときの生け贄要員を確保する為でもある。
また、事実であれば何を言っても良いので、犯罪者には犯罪者と、元犯罪者には元犯罪者と呼びかけてもいい。
犯罪者の子供に犯罪者の子供と呼びかけてもいい。それが事実であれば、全ては言われる側の自己責任だ。
ヘイトスピーチなどというものはとっくに廃案されている。社会的な不可視の罰もかつてより大きくなった。
弱者には絞め詰められても、振りほどく力が無いことが解っているから、締め付けるだけで問題は解決できた。
弱者の気持ちを完全に無視すれば、だが。
それでも、中の上より上の人間には、弱者を支えるための税金が要らなくなったので、随分と暮らしやすい世の中になった。
ただ持てる者でありさえすれば、全てが肯定される。ある意味、これ程楽な世の中も存在しない。
平均以上の能力を持って、犯罪を行うこと無く暮らしていけば良いのだ。
己と夫の遺伝子が平均以下なら、厳しく選別された優秀な遺伝子を病院で受理して代理母のように他者の受精卵を孕める世の中だ。
遺伝子の多様性なんて別個体が10000パターンもあれば問題無い。
極論を言えば、日本人の中の上位10000名のクローンだけで日本人を構築しても問題は起きにくいのだから。
挙げ句に、0,3,5,7歳の節目の検診までに異常があったり、能力が低すぎる子供は、神様のもとへお返し出来る様になっている。
昔とは違う、大昔に行われた七五三の再開だった。
最低限の能力を子供に持たせるのは、自分たちの遺伝子の質が悪いのに、無理をして自前の遺伝子を使おうとする人間以外はそこまで難しくは無い。
例えば、長く未婚で精子や卵子が劣化していたり、優れた名家でも無いのに自分の家の血に拘り、
何としてでも自分の遺伝子を残したい――そんな人間でも無ければ……。
優れた人間には、少なくとも人間がこれからも維持していく社会の基準において優秀な人間には、足を引っ張られないとても幸せな社会になった。
勿論、その陰で、嘗ては何とか生きていけた、優れてはいない人々が闇へと消えていったが。
……政府はこの結末が解っていて、敢えてその方向に突き進めたのは言うまでも無い。
当然、理由はあるのだが、それは政治家達は語らなかった。語る必要も無いからだ。
元々今回の依頼は他の依頼のついでというスタンスだった頼人は、この依頼を単品として見れば断るつもりであった。
片手間にこなす前提で、普段なら一蹴してしまう依頼内容を引き受けてやったというのに、太志の態度はそれを逆撫でした。
結局は、どちらが格下かという認識が互いにずれていたことが、お互いの不幸だったと言えるだろう。
「待て、それでも足らないか。強欲だな。だったら更に10万円だっ!!」
「出せる金があるにもかかわらず、出し惜しむのも強欲だな
…更に30万出せば引き受けよう」
自分が選ぶ側の人間だと思い、呼んでしまえばこちらのものだという太志の思惑は外れてしまった。
逆に本当に選べる側の頼人は100万円の依頼を150万円まで引き上げて要求した。太志の事情や面子など気にする必要性も感じていない。
これが、格の違いというものなのかもしれない。
結局は、この場で即決できないなら本気で帰ろうとした頼人に太志が折れた。
演技でも無く、本当に帰ろうとしていたのだ。
頼人に言わせれば、こちらが相手の事情に合わせる必要は全くないし、芦原太志が持っているもので頼人の役に立つものなんて金しか無く、
それさえ支払えないなら頼人にとって太志の価値など存在しないからだ。
「それでは仕事の話をしよう。詳しい内容を話してくれ」
頼人にとって太志に価値などないが、依頼金が支払われるならその依頼には価値が出来た。
そうなると、速やかに依頼を解決する必要も生まれる。
早く解決するのであれば、それが請負人と依頼人両者のためになるからだ。
そもそも、頼人の防人省嘱託職員という立場で請け負っている仕事が何かという話になるが、それは所謂お祓いだ。
霊的能力の高い者が国家資格を取得することで、国家が受託した除霊や鎮魂等の依頼を受けることが出来る。
依頼内容は依頼者と請負人の間で結ばれて、片方から要請が無い限り国家は関与しない。
依頼を解決した場合、請負人が国家に解決申請を行い、依頼リストから該当項目が削除されることで終了する。
「…中学生が失踪したんだろう?
お前の親戚か?」
寧ろ己の娘か親戚で無ければ不自然な話だった。
地域の名代として、高額な依頼費を払えない人々に代わって資産家が自費を切るという場合もあるが、
太志のイメージとその状況はかけ離れていた。
「近所の中学生が居なくなって、この辺りが騒がしくなったからここらで解決させたい」
「…解った、そういうことにしても良いだろう」
金は受け取る以上、何故依頼したかと言うことが請負人の不利益にならないなら頼人は問題ないと判断した。
「目星はついているのか? 伝承絡みか呪い絡みか、恨みを受けては居ないのか、そもそも今回の件は…いや、それはどうでもいい
こちらの宿泊場所はこの家で良いのか?」
「いや、それは…う~ん、それはだな…」
太志は嫌な顔を浮かべたが、智織の方をチラリと見ては少しニヤついて、しかし結局再び悩んだ様に黙り込んだ。
どうやら屋敷に泊めるのは抵抗がある様なのは頼人達にもよくわかった。
どこかの高名な霊能力者に頼んだのか、力の無い悪霊を一切受け付けないような、
それこそ力あるものや、それらが何かに乗せて運ばない限りは害意ある霊が通れないような、非物質の障壁が張られている良い拠点ではあったのだが。
とはいえ、頼人達も元々、付近の温泉旅館で宿を取っていたので全く問題は無かった。
「宿のことはいい。既に確保してある。
原因について知っている情報があれば話せ」
「…いや、あのだな、アレからは何も起きて無くて良く解らない。
もしかして、もう解決しているのかもしれない。とにかくそうだとしても確認して貰わなくてはならんからな」
「では、その被害者宅へと案内しろ」
「解った。…それと、少しは目上の者への口の利き方を考えた方が良いぞ」
「理解しているから、今の様に話している」
「………」
はっきりと格下だと言葉にして明示された太志は黙り込み、その様を智織はクスクスと笑いながら首をかしげて頼人の肩に頭を預けた。
鉄製の髪留めを指で弄びつつも、内心、ヤ■■ノ■■チの娘として扱うとき以外は、己へもぞんざいなのはどうかと思いながらも。
そうして歩くこと十五分。
道中やたらと栃木をディスる智織と諫めることを諦めた頼人、そしておまけの様に彼らを先導する太志をすれ違う村の人々は物陰から凝視していた。
「栃木にも温泉とかあるのね」
この後泊まる温泉旅館の前で言うことでは無いなと頼人は思ったが、それは口に出さなかった。
…どうせ群馬アゲの自慢話が始まるだけだ。郷土愛があるのは良いことだが、度を超している。
それでも智織の出生からすれば仕方ないとも言えるので、それを非難するつもりは頼人には無いが。
「此処だ」
太志が示した場所は、古くも無く新しくも無い小さな庭を持った家だった。
霊視したところ、
「…一見問題はなさそうだ。暫く調査して明日報告する。帰って良いぞ」
太志にあんまりな扱いで家に帰る様に告げた頼人は、何か言いたそうな智織の方を向いた。
「
「そういうこととしか言えないだろう。これで依頼は解決と言って良いな。
それにしてもまさか宿泊する温泉旅館の隣が被害者宅だったとは、これは呼ばれた様なものか?」
「完全に偶然だけれど、…偶然って怖いわね」
「お前が怖がるなら、偶然というのは余程恐ろしいものだな」
失礼ねと呟く智織の言葉を聞こえないふりをして、頼人は旅館の戸を開けて中の者に宿泊客の到来を告げた。
「赤城山智織と赤城山頼人です」
「あら、御兄妹だったのね」
智織は女将が勘違いをしているのを良いことにニコニコとしている。
それとも、兄妹では無く夫婦と頼人の口から言わせたいのだろうか?
そうだとしても頼人も気が付かないふりをして微笑を浮かべたまま表情を固めて誤魔化すことにした。
到着した後、一度周辺で買い物をして再び旅館に帰って一息ついた二人に、料理が出来たと女将が伝えに来た。
部屋食なので運んでくるとのことだった。一番グレードの高い料理が出てきたにもかかわらず、やたら群馬アゲ栃木サゲが止まらない智織。
それでも大層美味しそうに食べている。先程購入した群馬の地酒を個室を良いことに、五合瓶に直接口を付けて一気に呑み干す見た目女子高生。
色々とアウトである。一方、頼人はグレープフルーツジュースを飲んでいた。
「川魚が美味しいわね。川が良いのでしょうね」
「…そうだな。お前が川を褒めるからには余程良いのだろう――――ここは栃木だが」
「昔戦争があった時、もっと上手くいっていれば栃木なんて群馬の一部だったのよ」
「執念深い性格なのは知っているが、温泉が無ければ消えていた側が流石に見苦しい」
「頼人はあのムカデの味方なのかしらっ?」
お酒を呑んで少し感情的になったのか、単純に女性というのは善悪や法の話は置いておいて、
とりあえず男性に自分の味方で居て欲しいものなのかは頼人には判別がつかなかったし、どうでも良かったが、
ヤ■■ノ■■チの娘として智織が振る舞うならば、只の人間に過ぎない頼人に抗う術は無い。
頼人は『かみほき』とラベルに書かれた大吟醸の口を開けると、一緒に買ってきたお猪口を智織に手渡してお酌することにした。
うわばみは大人しくなるまで呑ませるに限る。古代の須佐之男命から伝わる面倒ごとの解決方法だ。
「あら、頼人がお酌してくれるの? 珍しいわね。嬉しいわ。
でも、誤魔化されると思わない事ね」
そう言いながらも、頬が緩んでいる辺り、作戦は成功している。
鉄製と、水や土の流れを司る類いには、水と土の流れを汲む米から出来た酒が有効なのは言うまでも無い。
時折、舌が細長い人外のものに代わりチロチロと出ているのはその証拠でもある。
自分たちで熱を通すしゃぶしゃぶ用の生猪肉とステーキ用の高級和牛を、熱を通さず智織は食べ始めている。
人の目が無いとは言え、あんまりである。
「熱を通すと命の残り香が失われるわ。ああ、拭き取られてなければ血の味がもっと楽しめたけれど、美味しかったわ。
特に、人間に飼われた牛よりも、自然の味がする猪は良いわ。大当たりね。あら、瓶が変わったわね。先程のはもう空いてしまったの?」
もうじゃないだろう。1.8Lだぞ。とは慣れた頼人は思わない。
先程の酒と同じ酒造の生酒の口を開け、自然に突き出されたお猪口を持った手に近づけて注ぐ。
『かんなびの里』と書かれているが、かんなび=
長身の割に小食な頼人の分の肉も食べた智織は、手を合わせて「ごちそうさま」と言うと、ふすまの向こう側にある部屋で沈み始めた夕日眺め始めた。
頼人が、その間に部屋についてある外が見える室内温泉に浸かっていると、後ろから絹擦れの音がした。
浴室と他の部屋を隔てる障子の向こうに、恐らく智織のシルエットがある。
人のシルエットをしていなかったが、せめて入ってくるときには人の容をとっていることを頼人は願った。
恐らく何も付けずに智織が入ってくることはとうに諦めている。
暫くして、油を塗ってあるのか無駄に滑りが良くガラガラという音が殆どしないで開いた戸の向こうから絶世の美女が入ってきた事が足音で解った。
無論、頼人はガン無視である。そんな対応になれたのか、智織も頼人の横に寄り添うように湯に入ると、頼人の方を向いて、
「良い湯ね――――――
「文句を言うなら浸かるな。それと先にかけ湯をしろ。髪は纏めてから入れ。」
群馬アゲ栃木サゲな発言をしながら艶っぽい目で見つめた。
頼人は切り捨てるような発言と共にガン無視である。
「つれないわね。私の婿になるんだから何時でも婚前交渉してもいいのよ」
「蜘蛛や蟷螂のようになりたくはない」
「そう…今はそれで許すわ」
智織はそう言うと、またいつの間にか持ってきた酒瓶を湯で温めて飲み始めた。銘柄は『七歩蛇』と書いてある。
「それは確か日本酒度が-10前後の甘い酒では無かったか?」
「無粋ね。日本酒度とか酸度とかどうでも良いわ。旨い酒なら何でも良いのよ。
それとも貴方も甘い毒に呑まれてみる?」
自身が口を付けた酒瓶を頼人に向けるが、頼人は「未成年だ」と断った。これも智織に言わせれば無粋の極みである。
女にも酒にも口を付けないでいきなり成人した途端に大人の男になれるのかとは智織の談である。
頼人の身体に擦り付く湯に浮かんだ智織の髪は、何だか水の上を泳ぐ蛇が巻き付いてきているように感じられた。
少し、恐ろしくは感じたがそれがバレているだろうとしても、表に出さなければ智織も見ない振りをしてくれるので平静を保っている。
そういうところはいい女だと頼人も思う。……色んな意味で喰われそうなので口には出さないが。
横を見ればそこには火照った身体で蕩けた視線の美少女がいるとしても、色々あって感情が薄い頼人はそこに鋼鉄の意志を加えれば押し切られないと断定。
そうして我慢している間に、今度は頼人がのぼせそうになってフラフラしてきた。
熱い温泉のせいか、揮発した酒気のせいか、それとも美女の色香のせいか――、頼人は湯から上がる旨を伝えてシャワーの冷水で身体を洗い、浴室から退出した。
「最後まで押し切らない関係というのも面白いものね」
まるで、鼠を生きたまま呑み込んで、ゆっくり消化して腹の中で殺すようだわと障子の向こうで服を着ている頼人を想像しながら智織は薄く笑った。
頼人が昇りかけた月を見ていると、旅館の浴衣を着た智織が出てきた。
「似合うかしら?」
「似合っていないわけが無いという顔で聞くな。……似合ってる」
和風美人が和服を着て似合わないわけが無い。胸が無い方が和服は似合うと言うが、胸があっても似合う者には似合うのだ。
頼人の言葉に満足した智織は、火照りを冷ますためにも夜風に当たりましょうと、頼人を散歩に連れ出した。
散歩の先はまさかの歩いて1分以内、つまり隣の家だった。
「夜分遅くすまないが少し時間を貰えないか」
頼人は相変わらずの上から目線で、隣の家の戸を叩いたが、明かりが付いているにも関わらず、
部屋に戻ると、女将とは違う従業員が丁度夜食のおにぎりを持ってきてくれていたので、頼人は隣の家のことについて聞くことにした。
「隣の家の人って気難しい人なのか?」
「…少し言いにくいんですが、奥さんと娘さんを亡くしてしまって」
頼人達は既に知っていたが、知らない振りをしてその経緯を聞いた。
頼人がイケメンだからなのか、元々その女性がお喋りなのかは解らないが、言いにくいと前振りをした割には良く喋ってくれた。
曰く、隣の家の旦那さんは元々この地域の出身だが、奥さんは東京の人だったらしい。
そして子供が出来たときに、こちらに越してきたそうだ。
東京都とは違って、良い意味でも悪い意味でも地域の関係が強い。絆というか、しがらみというかそういうものが濃かった。
そしてその関係は特に理由も無く元からの地元民に優位にできあがっている。そんな中で奥さんはそれなりに耐えていた。
だが、奥さんに似て垢抜けた顔立ちの中学生の娘が、知的な障害がある地元有力者の息子に目を付けられたことが惨劇の始まりだった。
娘さんが何処へ行くのにもストーカーのように付いてくる知的障害を持つ同級生。
それを嫌がる娘さんに駐在は対応するどころか、そういう訴えがあったことを近隣に漏らした。
田舎のネットワークとは凄いもので、噂は直ぐに広まった。
そもそも、都会から来た若い文明的な奥さんが地元民には良く思われていないこともあって、
教師や、関係ないすれ違う住民にも、可哀想な子に親切にしろと諭されたり叱られたりした。
奥さんが娘を連れて離婚しようとしていた時に、娘さんが失踪した。
母親にはあの知的障害者が関わっているのは明白に解った。何故だかそういう確信があった。
夫に共に奪還しようと告げても、地域の有力者に逆らうことに対して夫は乗り気では無かったし、姑にも強く反対された。
そもそも、離婚を決意した原因の一つが、以前から娘がストーカー被害にあっているからと母親が言った時に、姑が、
「どうせうちの子じゃ無いんだし」
と、言ったことである。
姑は何時だって、自分の血をひいていない孫よりも、地域の味方であった。
夫を愛してはいても、夫の容姿、学力、運動神経等の能力不足を子供に継がせないために、
そして一定以上の能力を持った両親の遺伝子を持つ子供だけが国の宝として授与できる子ども手当を受理するには、
両親ともに優秀な遺伝子保有者に付与される、子孫保有許可申請証を夫側のみスペックが足りずに付与されなかったために、
夫の承認を受けた上での大学病院で選別された優秀な精子の提供(妻側はスペックに問題が無くそのまま卵子を活用出来た)を受けたことを理由に、
姑が、うちの家の血筋を継いでいないからと、寧ろストーカーである地元の有力者の子供と嫁がせようとしたり、
夫自身が夫側の血筋を継いでないからうちの子供じゃ無いという姑の発言を否定しなかった事が理由であった。
…そもそも、両親ともに子孫保有許可申請証を持っていないと子供に補助金が下りず、それでも十分なほどに稼ぎを作れるわけでも無い姑の息子にも大きな問題があった。
そしてそれなら一人でもと、母親がその家に乗り込んだきり、居なくなった――――と。
聞き取りづらい言葉も無くスラスラと話されるのを聞いて、この話を村中が知っているのなら、色んな意味で田舎は恐ろしいところだと思った。
その知的障害者の少年だが、父親はあの芦草太志である。
それは何となく頼人にも想像できていた。
つまり、何やら怪異が関与した。しかしその事件も解決して無かったことにしたかった。芦草はそういうつもりだったのだ。
だが、頼人はその依頼を承諾している以上、あの悪事を暴くつもりは無い。彼は正義のヒーローでは無いからだ。
それと、頼人が知らないことであるが、太志には元々妻が居た。だが、長く子供が出来なかった。
そんな中、太志は少し頭が足りない女と子供を作った。そして妻は元妻として追い出された。
地域では元妻の怨念が息子を障害者にしたと言われているが、元妻の立場を余りに無視した発言であろう。
それから暫くして仲居さんが帰ったが、その五分後もう一度仲居さんがお夜食を運んできた。
頼人は既に貰っていると言おうとしたが、智織は優雅に微笑んで止めた。そして運ばれてきた4つのおにぎりを4つとも食べた。
無論、その後喉が渇いたと言って、水では無くアルコールを摂取していたのは言うまでも無い。
因みに、人間の構造的に酒では身体を潤すどころか、アルコール分解の為に寧ろ水分が消費される。
次の日の朝、やはり部屋に運ばれてきた朝食を食べると、もう一度風呂に入った後、智織は紙で箱を作り、飛んでいた蜂を捕まえて入れた後、頼人と共に宿を出た。
彼女達を二回目の夜食を運んでくれた仲居さんと女将さんが見送ってくれた。
頼人は再び太志の元を訪ねると、
「報告はしておいた。今回の
「ああ、やはりそうだったか。そうか、解決したのだな。今回の
流石大金を払っただけはある。見事なスピード解決だ。
…後でやはり未解決だとか掘り返されることは無いのだろうな」
「恐らく。少なくとも
頼人は最早用事が無いとばかりに踵を返して門を出た。
智織もその後をついて行くが、思い出したとばかりに、握った両手の中にある紙の箱を芦草家の中に投げた。
それを横目に見た頼人は、
最早、依頼は終わったからそれ以降のことはどうなろうと知ったことでは無い。
今頃、最初に夜食を持ってきていた女性があの屋敷にいるのだろう。果たして運ばれるのは夜食なのだろうか?
そんな想像をしながら頼人は呟いた。
「司法で破滅する代わりに、死霊で破滅するだけの話。簡単でつまらないトレードオフだ」