神有月 作:蟠蛇ヶ森
とは言え、この時代の日本ではそれ程珍しくは無くなっている。何せ、代理母という仕事や受精卵購入手段がそれなりに流通している時代だ。
仁江は普通の少女だった。普通に子供らしい可愛らしさで、普通の賢さと普通の運動能力を持っていた。
だけど、彼女の生みの母親は一年後、彼女の弟を産んだ。
その血は仁江とは一滴も繋がっていない。
マイクロキメリズムを持ち出せば数%は一致しているかもしれないが、彼女の弟は、優秀な受精卵を母親が入手して出産した子供だった。
仁江のように普通の両親の遺伝子では無く、優秀な男女の遺伝子で作られた、将来有望な弟だった。
二人の子供を育てている内に、普通にしか成長していかない仁江に母親はどんどん疎ましく思えていった。
故に、幼すぎる仁江を養子に出し、病院で新しく受精卵を入手して妊娠した。
仁江は両親の仕事の都合という名目で、祖父の家に預けられた。
最初は両親が迎えに来ないことで夜泣きする仁江と、寡黙な祖父が同じ空間で生活しているだけという感じではあったが、年数を重ねると共に次第に打ち解け始めた。
それから数年して仁江の家族が事故で死亡したからと、祖父の養子となった。
この時も仁江は泣いたが、以前とは違い祖父は仁江が泣き止むまで抱きしめて慰めた。
心温まる様な話だが、これから暫くして肝が冷えるような話になる。
仁江が小学六年生になって修学旅行に行ったとき、自分の家族に似た人達、いや、自分の家族が視界に入った。…そして、人混みに消えた。
仁江は必死に追いかけたが、見つからず、自由時間が終わり、そろそろ集合だからと同じグループの子供達に無理矢理打ち切らされた。
この頃から一度視えた死んだ家族と逢うために、仁江はオカルトに嵌まった。
その結果、様々なもの――恐ろしいものが大半だが、少しずつ視えるようになった。だが、家族が視えることはその後無かった。
それでも仁江はオカルトの修行を辞めなかった。――――家族と再び会うために。
仁江が色々視え始めると、信心深い周囲の老人達は喜びながらも、様々なお守りをくれた。
危険な霊を遠ざけるお守りだと老人達は告げた。
時折、お守りは無くなったりしたが、仁江はそれはお守りが効力を発揮して無くなったのだと思った。
…本当は、もっともっと恐ろしいことになっていたのだが。
仁江が高校生になった頃、村に同じ年の少年と少女がやってきた。
テレビの無い家で育った仁江ではあったが、それでもテレビでもこれ程の美少年と美少女はいないと思った。…自分なんかとは存在が違うと思った。
「此処か…厄いな」
「…頼人とは比べられないけれど美味しそうな子が居るわね」
長身のスーパーモデルみたいな二人組の片割れの女には何か根源的な恐ろしさを感じたが、それも直ぐに消えて、何故か逆に驚くほど安全な気になった。
それも、仁江には怖く感じた。
二人組の男側である頼人が主体となって、片割れの美女、智織と共に様々な所へと歩き回っていた。
仁江には、仁江以上に様々なものが頼人へと集まっていくのが視えた。だが、頼人自身の力なのか、それとも隣にいる女の力なのか、
様々なものは一定の距離以上には頼人には近寄ることが出来ていなかった。
途中、仁江は頼人と名乗る少年に仁江を含めた集合写真、なるべく多く人が写ったものを数枚渡すように要求して、そして写真から顔を背けたこともあった。
それから、暫く頼人達の二人は村に留まっていたが、頼人達が居付き始めてから、仁江の周りによってくるものが少なくなった。
それに比例して、村人達がイライラし始めた。
ある日の晩、仁江の部屋に祖父がやってきた。
祖父はあの二人組は祖父が雇った者で、今すぐその二人と逃げろと促した。
祖父は残るとのことだった。仁江は訳が解らなかったが、そのよくわからない状態のまま家を追い出された。
家を出るときに仁江の祖父は目のような宝石の付いた簪を仁江の髪に挿した。
少年はそれを見て、珍しいものだと言いながら髪に挿した簪を撫でていて、美女はその様を笑いながら睨んでいた。
だが、家の扉を開けたところで、少年が不味いなと言い出したのが仁江には聞こえた。
気が付けば周囲を村人達が周囲を囲んでいた。
「一体こんな時間に何処に行くんだ?」
「子供は家で寝る時間だ」
「あいつめ裏切りやがったんだ」
「ニエを逃がすなよ」
村人達は仁江の手を掴むと、皆で仁江を神輿のような人力車に縛り付けて何処かへ走り出した。
その様を頼人と智織は眺めていた。
「そろそろ行く?」
「気が付いてたか」
「そうで無ければ他の女の髪を触るなんてさせないわ」
頼人が仁江の簪に霊的な発信器のような術式を仕込んでいたのを智織は気が付いていた。
一方、仁江は山の中へ、その奥の奥へと運ばれていった。
そして古さを感じる鳥居らしきものの残骸の下をくぐって入っていった。
仁江はその奥の祭壇で酒を頭から足までかけられ、今まで貰ったことのあるお守りを何個も押しつけるように身体の上に置かれた。
連れてこられたときからそうだったが、仁江の身体は抵抗しようにも動かない。
ズーン、ズーンと音が聞こえ始め、何かが少しずつよってくるのが解った。
今までに感じたことがあるような、それでいて感じたことが無い規模の凄まじい霊圧を感じた。
今私に近づいて来ているものは魂の格が違う。仁江はそう感じた。
その間に村人達は好き勝手に知りたくも無い事を仁江に話してくれた。
曰く、仁江が祖父だと思っている者は祖父では無く他人。宮司の家系の者。
曰く、仁江が見たであろう家族は生きている。仁江を忘れて楽しく生きている。偶然すれ違ったのであろう。
曰く、今まで与えていたお守りは、ある種の毒。時折無くなっていたのは恐らく祖父を名乗っている者が棄てた可能性が高い。
曰く、オカルトに嵌まらなければ、巫女としての修行をさせて開花させていた。
曰く、元々寄って来ていたのはこの集落近くに住む神の眷属。仁江が生きている間は仁江を守ろうとしていた。
曰く、最初は祖父を名乗った者も村人の側だったが、恐らく情が移った。よりによって儀式の前の日に逃亡を促した。
曰く、この辺りには盲目の無明の神が居る。
曰く、無明の神は生きている間は気に入った者を生かす。だが、不慮の死を迎えた場合餌として喰らう。
曰く、無明の神に毒を仕込んだ餌を食わせて支配する。そしてその力を得る。
曰く、元の名前は知らないが、最初から仁江はその為だけに連れてこられた贄だ。名は祖父が付けた。
仁江は心が軋みを上げ始めるのが自覚できた。
だが、そんな中で唯一彼女を支えるものが祖父との思い出だった。
思い返せば、最初に冷たかったのは情が移らないようにしていたのだ。
仁江という名前も、祖父自身が自分に言い聞かせるために、忘れないように付けた名前だった。
だが、それでも祖父は仁江を愛してくれていたのだろう。
――――だから、祖父のくれた名前を後悔すること無く、この世を去る。
そう思うと、恐怖は全く消えないのに、絶望だけが引いていった。
それでも、やっぱり恐い。
誰か、助けて――――
その祈りは天に通じた。いや、地に通じたのか。
突如、その仁江の身体が動くようになった。
「神にその簪を投げろ!!」
頼人の声に、咄嗟に仁江はその簪を掴んだが、祖父が別れ際にくれたものだ。投げてしまって良いのだろうか?
そうも思ったが、何故だか解らないが元々神に投げるためにその簪があったような気がしてきて、気が付いたら、
六つの水掻きを持つ毛の生えた長いダンゴムシかミミズの様な、太く短いヘビや丸まったムカデにも見えなくもない黒い靄に簪を投げていた。
その何か、恐らく無明の神は先程の首を振りながら何かを探す仕草とは一変して、途端に的確な動きで村人達を襲い始めた。
それは戦いでは無く、蹂躙だった。瞬く間に逃れようとする村人達を毛で捕らえてすり潰し、土のような何かに変えて喰らい始めた。
恐ろしくおぞましい光景を仁江は怯えながら見つめ、頼人は感心するように眺め、智織は嬉しそうに笑っていた。
それから暫く時が経って、村人達が喰らい尽くされた後、簪が砕け、無明の神はまた、ズーン、ズーンと去って行った。
仁江は、頼人達にお礼を言った後、走って家に帰った。祖父の待つ家に帰った。
靴が脱げても拾いもせず、裸足で走り続けた。
不思議と山の中では足を怪我することは無かったが、家の近くに来たときに、石で足の裏を怪我した。
そして帰った祖父の家には――――――――――――――誰も居なかった。
家の中を祖父の名前を呼びながら必死に探すが、仁江は遂に祖父を見つけることが出来なかった。
探し始めて半刻後、頼人達がやってきて、祖父はもう居ない事を告げた。
「どうして…どうして…?
私が良い子じゃ無かったから?」
そう泣きじゃくる仁江に同情する二人では無い。
「どうやってもかえっては来ない。
かえす方法が無いなら無駄なことを辞めて有意義に生きろ。
それだけの霊力があれば孤児院も受け入れてくれるし、仕事で生計も立てられる」
この時代、能力の低い捨て子は親だけで無く、社会からも棄てられるが、能力さえ高ければ社会は孤児院等のセーフティーで救う姿勢を見せていた。
例えば、
特に仁江のその後に責任を持つつもりも義務も無いが、そうすれば普通に生きていけるだろうと頼人は思った。
見た目も普通な印象を受ける少女だ。普通に生きていけば良いだろうと。
だが――――、いや、だから頼人は仁江のその昏い執念までは見通せなかった。
近しい部分がある故に、自然に見逃してしまっていた。
智織の昏い笑みにもその理由を見出せなかった。
そしてその夜が明けた日、頼人は智織と共にその村を出た。
只一人の村人、仁江だけが見送った。
「堕ちた神にしては理性的だったわね」
「あれが、堕ち神か」
少し歩いた後、頼人へと話を振ってきた智織。
それから暫くして、今度は頼人から、ずっと気になっていたことを智織に問いかけた。
「なあ知っていたか」
「どうしたの?」
「彼女に借りた写真にはどれも彼女しか写っていなかったよ。
この村の人口は10年以上も前からずっと彼女一人だけだったんだ」
生きた人間は仁江一人しか写っていない写真を眺めながら、
村人に育てられ、村人に騙され、村人に殺されかけた少女を背後に頼人は智織に言った。
「ええ―――――――――――――知っていたわ」
死霊に育てられ、死霊に騙され、死霊に殺されかけた少女を背後に智織は美しく笑って頼人にそう返した。