神有月 作:蟠蛇ヶ森
「最近、失踪系の事件が多いな」
「ええ、その様ね」
頼人は最近では庶民に使われなくなった電子媒体機器に記述された情報を整理しながら智織にそう聞いた。
嘗ては、テレビやネットを庶民に至るまでが操作できていた。
しかし、霊による電波ジャック事件で数百万の人々が亡くなったり、正気を失った『仮想冥道』事件により、人々は電子情報から一気に遠ざかった。
VPNというデジタル技術が嘗てこの国でも良く使われていた。
ルーターというネットワークを繋げる機器を、見かけ上無かったことにして同じネットワークアドレス帯で、直接繋げるように見せる技術だった。
デジタル世界のどこでもドアとも言える代物だ。
それを、何者かが霊的に使用した。
つまり、テレビや携帯やパソコンなどの電子端末と直接幽世を繋げるという狂気の沙汰だった。
霊的な階層を無視して、無理矢理同じ波長で同期させる。
これにより、その時電子画面を見ていた霊力の弱い者の多くが、少なくとも精神的には死んだ。勿論実際に肉体まで死んだ者も多い。
だが、この事件で時代の進化に消えた人間に好意的な霊的存在もそれなりには表舞台に顕れた。
人々はこれをパンドラの箱と呼んだ。
「最後に残った希望が一番の絶望の親玉…というので無ければ良いが」
「犬神の筺のような話だったかしら?
あいにく西洋のことには詳しくないの」
そんな会話が頼人達の間で行われたことがある。
さて、電子端末を使っても問題ないケースが幾つかある。
一つは、使用者が霊的な素養が高く端末にフィルターを張ったり、霊的なセキュリティをかけ、端末側にVPNが書き加えられるのを防げる場合。
一つは、上で示した例を第三者に依頼できる場合。
一つは、強い電力を使用してそれらを機械的に成せる場合。
嘗て手にしたネットに依存する者の中には、破滅する可能性を許諾して使用を続ける者や、ネットを使うためだけに修養を積んだ者も居るという。
まあ、大したものではあるが、更新する側がガッツリと減ったネットの閲覧は以前より随分と味気ないものになった。
それに海外のサーバーにある情報へはアクセスできなくなった事もネットの価値を大きく下げた。
そもそもスマートフォン自体がアップルやグーグルのサーバーにアクセスできない時点で大幅に性能を落としてしまっている。
一般市民にまで敷居が下がったときに、その物事は必要以外にも娯楽という余裕の色を帯びる。
逆に言えば一般市民の手に届かなくなった者は、それがどうしても必要な者だけの業務用品に成り果てる。
嘗て、日本中に普及した携帯情報端末は、今では資産家や高い霊能力を持つ一握りの人間の業務ツールへと成り代わった。
「そう言えば…――――」
「そう言えば…、如何したのかしら?」
智織は相手の口に出したい雰囲気を察して促せる気遣いの出来た良い女である。
…但し、人間相手では頼人限定であるが。
「ああ、前回の死霊村で遭遇した堕ち神なんだが…」
「ええ。聞きたいことは解るわ。当ててあげましょうか?
――頼人の母親の事でしょう」
頼人の母は堕ち神に見初められて現世から消え去った。
祖父と叔父は狂い、消え去った堕ち神に代わり憎しみのぶつける先として、頼人は娘と妹の敵のように厳しく扱われた。
「解っているなら話は早い。母は――」
「答える義務は無いわ。それは契約の外の話だし、私に利益のあることではないもの。
それとも、愛する貴方の為になら無償で何でも答えてあげる盲目で弱い女だと勘違いしていたのかしら?」
「……所詮は邪神だと言うことだな。まあ、解っていたことだが」
智織が自分の妻を自称する等、彼女の方から距離を詰めてくる余り、都合の良い存在と軽んじる男に境界線を示す程度には智織は分別がある。
相手の勘違いした雰囲気を察して、有耶無耶な雰囲気が確定する前に誤解を叩き潰す程度には智織は良い女なのかもしれない。
だが、少なくとも性格が良い女でないのは頼人も認めるところである。
「失礼ね。何でも妻に支えて貰わなくては独り立ちできない夫にならないように突き放すのも愛というものよ」
「好きに言え。所詮は人間だと見下している癖にな」
「それを否定することは出来ないわ。だって、事実隔絶した格差があるでしょう?
自信があるのは良いけれど、己惚れない事ね。どんなに人間の中で優れていても人は人、神は神よ」
智織は人間を愛する余り人間に近づいた愚かな同類を哀れみはしても共感はしない。
寧ろ、己の側に愛する者を連れていった頼人の父親にこそ共感できるというものだ。
折角、良い血を引いているのだから、智織の側に頼人が成り果てられる可能性は十分にある。
そもそも、頼人の母方の家系も堕ち神に目を付けられておかしくない血筋だったのだから。
結果を見れば、そうなるように交配を管理された家系だったのだから。
そのように血を回収させたのだから。甘さで蛇神が見逃した兄妹の血を再び掛け合わせたのだから。
素質は十分以上。後は環境次第。
智織は愛する夫を自分に並び立てる様に育て上げられる良い妻だという自負があった。
勿論、頼人の父以上に邪悪な愛に由来するものだが。
無条件の助け合いというものは唾棄すべきものだ。少なくとも頼人と智織はそう認識している。
だからこそ、頼人も無理に情けない姿を晒してまで頼ることはないし、智織もその様にはさせない。
無条件で助けろという人間は、己が助ける側に回ることは考えてもいないし、無条件に助けるという人間は、助けを求める者に食い物にされて終わる。
救いを求める者は、細い蜘蛛の糸にも自分だけなら釣り上げて貰えると考えるものなのだから。
朝の寛ぎの時間を終えて、雪駄を履いて外に出た頼人と智織が風に髪を遊ばせながら登校していると、親が死んだのか、飼い主に棄てられたのであろう5匹の仔ネコたちが目に入った。
頼人達が近くを通るとニャアニャアと助けを求めるようにその声を必死に大きくするが、頼人達はその歩みの速度を変えること無くその場を通り過ぎた。
鍛え上げられた鋼の心を持つ少年は、心が痛むはずも無い。
そういう気の迷いはとうに棄てたと割り切って、心なしか遅くなった歩みを早める。
「あっ、ネコちゃんだ。捨てられたのかな。可哀想」
ふと後ろから同級生の声がして振り向くと、
仔ネコたちのいなくなった道路と、彼女のトレードマークの大きなバッグを持ち上げて道を引き返す様子を視界に入れて、頼人は少しだけホッとした。
「強いだけじゃ無くて、優しくないといけないんですよ。女の子にモテませんよ?」とこんな時代に頼人に言ったことがある少女だったから安心できた。
…そして、その脆弱な心を恥じた。そんな弱さでは何も成し遂げられずに喰われるだけだ。
たった今、家に仔ネコ達を連れ帰ったであろう同級生も、今日は遅刻というペナルティーを負うだろう。
そのデメリットをあのネコ達のために許容する必要など、その義務など、その利点など存在しない。
恐らく、頼人の心に残った弱さに気が付いた智織が隣で微笑んでいるのだろうと彼には想像できた。事実上品に彼女は嗤っていた。
智織に心の中で悪態をつくことで、先程までの思いを掻き消すと、頼人は再び鋼のように強い頼人に戻ることにした。
その日、仔ネコ達を拾った少女は遅刻で1時限目には遅れるだろうと頼人は踏んでいたが、
2時間を過ぎても、6時間を過ぎても少女は学校に姿を表すことは無かった。
「変に
「―例えば性悪な蛇の霊とかか?」
「心外だわ。例えば、命に執着するネコの霊なんてありそうじゃない?」
「だとすれば自業自得だ。相手が己を助けようとする善良な者だからと判断を変えない者も多くいる。
穴に落ちた者が助けようと手を伸ばした者を引きずり込んで、落とし込んだ後に踏み台にして、
己だけ脱出して帰ってこないなんて良くあることだろう」
「そうね。そして、穴に引きずり下ろされた恨みが次の救助者に向かうのかしら?
それとも、善良さ故に飢えて消えるのを良しとするのかしら?」
「少なくとも彼女は後者だろうな。お前とは、…俺たちとは違う」
「貴方のそういう所は私好みになったわね」
弱みを見せまいと強く冷たい振りをしながら、本当に強く冷たい人間になっていく事を何処か恐れているところ、本当に美味しそうで私好みだわ――
智織は薄く微笑みながらそう思った。
それからその同級生の少女は3日間登校することは無かった。
そして、ある廃工場で原型を留めない悲惨な姿で強姦殺人の被害者として発見された。
その近くには踏み潰された4匹の仔ネコ達もいたという。
そしてその2日後、少女の母親が事故で亡くなった。娘を喪った為に呆然として不注意になっていたことが原因とされた。
その夜――
「何のようだ、上白木の父よ」
夜遅く、ドアを叩かれて頼人が戸を開くと、そこには同級生、上白木愛茉音の父親がいた。
「娘の、娘の恨みを晴らしてくれ。それが出来ると聞いた。
金なら此処にある。…妻が用意してくれた。
これだけとは言わない。私の保険金の受け取り先を君にしよう。暫くしたら金が入るはずだ」
「拝屋では無いのだがな」
「愛茉音ちゃんが恨んでいるのでは無く、貴方達が愛茉音ちゃんを殺した相手を恨んでいるのでしょう?
まあ、どちらでも構わないのだけれど。…如何したいかしら、頼人は」
全ては頼人次第なのだけれど、と智織は意味深長に笑う。
「…この金があれば調査はしよう。犯人の特定程度ならしてやろう。だが、手を汚すまでのことはしない。
命を捨てる覚悟が出来たなら、手を汚すことくらい苦でも無いだろう? 俺は犯罪者になる気は無い。
――――言いたいことは理解できるか、上白木の父よ」
「それは……願っても無いことだ。本当にありがたい。
――天国に行けなくとも構わない。代わりにそいつらを道連れにしてやる」
そう意気込む愛茉音の父に智織は、
愚かな人間ね。死の穢れに善良も悪辣も無いというのに…。そう、心の中で蔑みながら息を吐いた。
上白木愛茉音の死因は当然悪霊の類いでは無い。勿論動物霊では無い。
動物霊が憑いていなかった訳では無いが、直接的な死因では無かった。
最大の原因は―――――、彼女の
愛茉音は道を尋ねる外国人の男に車の中に連れ込まれて、彼らの仲間に散々嬲られた後殺された。
身体の様々な所をくり貫かれて、異物を詰められて、髪に火を付けられて苦しみながら死んだ。
仔ネコ達は遊び半分に愛茉音の目の前で男達に踏み潰された。
頼人達は、愛茉音の父を家に帰した後、外国人達の根城の一つである別の廃家へと愛茉音の残滓を辿って着いた。
頼人の履いた質の良い靴音が響く。
「~%&(’’)&(~~~|」
酒と煙草と何らかの薬に焼けた喉から発せられる汚らわしい外国語が頼人達の横から発せられた。
それにつられるように、他にも男達が集まってきた。
懐中電灯を頼人達に向けると、智織を見た彼らは下卑た笑みを浮かべた。
「喰うか?」
「健康に良くなさそうだからやめておくわ」
見るからに性質の悪そうな男達を見ても頼人達は動じない。
彼らは捕食される側では無い。この場においては捕食する側なのだから。
「お前達は本当はやさしい人間だ」
頼人は心底見下したようにそう告げる。
グループの中で唯一日本語が堪能な、愛茉音を誘拐する役を請け負っていた男はそれを聞いて大笑いした。
「#!’’**}{`))~」
その笑い声を聞いた仲間達も大笑いした。
頼人達が男達の善意を信じて命乞いをしたと思ったのだ。
それでは先日に出会った間抜けなカモと同じだと男建ちは母国語で大笑いした。
「ええ、私もやさしいと思うわ」
智織がわざと怯えながらも必死に合わせているような演技をしながらそう告げると、それを通訳した男と仲間達は大笑いした。
そして、そのうち一人が頼人に殴りかかった。
彼の顔に、血が、飛び散った。
当然男の血では無い。しかして頼人の血でも無い。
100g80円の特売の肉に付いた血だった。
顔に張り付いた何かを剥がした男は、それが食肉だと理解するとその精神が沸点を超えた。
まともな育ちをしていない人間の強みとして、抵抗なく近くにあった愛茉音に突き刺したりした鉄パイプを手に取ると何かを呟く頼人へと振りかぶり――――、
そこで鉄パイプを地面に落とした。
手首に激痛が走ったのだ。
思わず手を見ると血が噴き出す動脈には何かの穴の跡。
それは更なる激痛を生み出すように先程の傷口から10cm程上に新たな穴を生み出した。
そして更にその10cm程上に新たな穴が開いた。
叫び声も出せず蹲った仲間を心配した他の外国人達が彼の背中をさすったり励ましたりしていたが、それも直ぐに収まった。
彼らにも同じ症状が始まったのだ。段々腕を伝って血が噴き出す傷跡は首に近づいてくる。
彼らには何処からかネコの声が聞こえ始めていた。血の気が一気に引いていた。
「&&)'()===~`~~=~=~||」
そして冷静さを一気に取り戻したつもりになった彼らはあろうことか頼人達に助けを乞い始めた。
「親の愛とは偉大なものだ。留まり堕ちて尚、子を見守ろうとする。
だが、子を殺されてしまってはその愛は反転せざるを得ないのだろうな」
「よく言うわね。善良な母ネコを誑かしてそう仕向けた張本人が。
そろそろ帰りましょうか。寝不足は良くないわ。
ところで明日の朝ご飯に生卵は入っているかしら?」
「言われなくとも入っている。
それと言われなくとも今日の寝酒も用意するから聞かなくても大丈夫だ」
「それは重畳ね。今日の夜酒は刺身に合うものが良いわ。最近仕入れた高知のお酒なんか良いわね」
踵を返して男達を視界から完全に消した頼人達は、先程のことを忘れたかのように食事の話をしながら帰った。
翌日の晩、気が狂っておかしくなった犯人達が逮捕された事を知った愛茉音の父が頼人達の所を訪ねてきた。
「上白木の父よ、そろそろ来ると思っていた。
依頼を解決したにしては随分と浮かない顔だな。ところで礼の品は無いのか?」
「私にとどめをささせてくれるのでは無かったのかっ!!」
愛茉音の父は激高した。
「何を言っているのかさっぱりだな。
此方は何も約束はしていない。精々手を汚す覚悟があるかと聞いたくらいだ。
それに奴らは近々この先に橋が建つから、柱の下に埋められることになるだろう。
低品質の人間の末路などその程度のものだ」
「くそっ、くそっっ!! 愛茉音…真理子…すまない。本当にすまない。
この手でかたきを、かたきを討てなかった。すまない」
ニャア…
愛茉音の父、上白木幸司がその頬を涙で濡らしていると、頼人の後ろから幼いネコの鳴き声がした。
「1匹だけ生き残っていたようだ。牙を突き立てさせる代わりにコレを生かすと契約したからな。
上白木の父よ、これの糞尿で手を汚すが良い。うちは爬虫類を飼っているから仔ネコは飼えない。
甘く非情になれない上白木が無責任に救った命だ。その親として責任を取れ」
いささか暴論ではあったが、理解力や判断力が低下して呆然とする幸司を丸め込む程度には成功したようだ。
隣で爬虫類が何か言いたそうにしているが、頼人は敢えて気にしない。
仔ネコを押しつけられた幸司は、暫く呆然としていたが、暫くして頭を下げた後、仔ネコを連れて帰っていった。
少しずつ離れていく仔ネコの鳴き声を耳に残しながら、頼人は戸を閉じた。
これ以降、毎年ある時期になると幸司からネコの写真が届くことになり、頼人曰く面倒な礼の品が増えることになる。
優しさなど下らない。
そう呟く頼人を視界に入れながら、
「私から見れば頼人も十分にやさしいわ」
智織は赤い舌をチロチロと出しながら、そう―――――微笑んだ。