神有月 作:蟠蛇ヶ森
須佐之男命の眷属が治める土地の一つに、清酒造りの始祖とも言われる伝説がある。
日本武尊の子孫である男、綾黒麻呂という男がいた。
彼の高祖父には荒ぶる悪神を退治した英雄もいる家系であった。
ある日子のいない黒麻呂の元に、天から降り注ぐ星となりて幼子が舞い降りた。
幼子が美しい姫となるのには、僅かな時間しかかかることが無く、その姫は、類い希な清らかに澄んだ百薬の酒を湧き水から造ったという。
その功績を以て、黒麻呂は天皇に酒部の姓を与えられ、財を為したという。
その後姫は酒部家の跡継ぎを産んだとも、役目を終えて天に還る為に水に身を投げたとも言われている。
~香川県のとある地方の伝説より~
「遂に四国に来たわね」
「ああ、機嫌が良さそうだな」
「ええ。だって、清酒発祥伝説の地よ。
私の親が退治された時に呑んだ神酒にも興味があるけれど、寧ろ私は退治される前に原初の日本酒を嗜んで欲しかったわ。
あの味を知らずに退治されるなんて可哀想でしょう」
「…ならば今度供えに行けばいいだろう」
「なら頼人も一緒に挨拶に行きましょうか」
「深い意味があるのなら断ろう」
「…連れないわね」
「それにしても香川のお酒は総じて甘口な気がするわ。
これなんて少し喉に甘みが重く感じだけれど、味そのものにはえぐみが無いのね。
日本酒を始めるには良いものでしょう。
先程呑んだお酒はそれより澄み切った感じだったけど、やはりキツさは感じないというところね。
成る程、流行を始めるには十分といったところかしら。
当時の皇の気持ちがわからなくも無いわ」
見た目女子高生が、成人していると言い張るだけで買うことが出来てしまい、
あまつさえ境内のまえにある腰掛け石の上に用途通りに腰掛けて一升瓶を数本開けている状況に誰も突っ込まない場所讃岐。
それはよそ者には関わらず関わらせないという不干渉の在り方が昔から根付いていることも一因として否定できない。
「ところで頼人、乗馬は飲酒運転に当たるのかしら?」
「さあな。そもそも智織の場合、馬に怯えられるのでは無いか?」
「失礼ね。馬が奉納されたこともあったし、今だって絵馬の類いは奉納されているわ。
今となっては、自分の願いを主張するばかりで私への敬意は感じられないものが大半だけれど」
そう言いながら、うどんを揚げたものを智織は口に含んだ。
そして唐突に香川県民を品評しだした。
「本当に香川県民は炭水化物が好きよね。ビタミンが足りてそうな顔をしているわ。匂いで解るわ。
少しは群馬県を見習うべきよね」
「相変わらず他地域を下げるな。
関東から離れた僻地の香川の事なんてよく知らないだろう」
頼人も自覚しているのかは解らないが、香川県をディスっていた。
「知ってるわ
高天原系というか、大和系の神を好まない智織は声色を落として頼人の言葉に応えた。
「此処は、日本武尊の子孫が遠縁かもしれない姫の手柄を奪い、清酒を初めて造った場所よ。全く、あの一族は碌でもない男を抱えているわ。
愛を誓った妻を置いて逃げるような男を祖に持つ時点で解ることだけれどね。美しくない女が悪くないとは言わないけれど、醜くなれば離縁するなんて、
あの神は明智光秀の垢でも煎じて飲むべきだわ」
本当に嫌いなものには容赦が無い智織。
特に彼女は女性を苦しめたり捨てたりする逸話に出てくる男や、男に媚びる事しか出来ない女には容赦が無かった。
昔から赤城山の大蛇神は女性に関しては救う逸話がある。
裏を返せば、基本的には女性に対して偏った神と言ってもいい。
「一般的には天に還る為に井戸か川に身を投げたとされる天から飛来せし少女。
急速に成長した後に酒を造る水を見つけたのも、その水と米から酒を造ったのも天女。
しかして、褒美を得てあろうことか神格化までされて三造神の一柱と共に神社で祀られたのはその養父。
そして天女は水に身を落としてこの世界から消え去る……
どういうことか考えてみれば解るでしょう?」
背後にある神社に纏わる逸話を随分な綺麗事だと嘲笑う智織。
「その少女が他の天孫系なのか、異邦人・異民族なのか、それとも地球外生命体なのかは解らないが、
その技術を黒麻呂が己のものとして発表し、
その上、本来の制作者にして考案者が理由の無い入水死をしている。
サスペンスなら先ず最初に養父が疑われるだろうな。
つまりはそういうことを言いたいのだろう?」
「ええ。そうよ。
挙げ句にその天女に子を産ませたのは本当は誰なのか…。
考えただけでも吐き気がするわ」
「吐き気がするのは呑み過ぎただけでは無いのか」
「失礼ね。この程度では酔わないわ。
仮にそうだとするなら迎え酒が必要かしら。頼人、追加で買ってきて欲しいのだけれど」
愚痴っぽくなり、ちょっと今までに無いくらい面倒に感じた智織から逃げるためにも、頼人は酒を買いに行くことにした。
そのついでに先程の話を聞いて思ったことを智織に聞いた。
「解った。後、その天女の話だが何処か竹取物語に似てると俺は感じたな」
「そう言えば、あちらの養父は
それに藤原の某が落とした竜の首の珠を拾いに潜った海女はこの辺りの出身だったわね。
彼女も結果としては都合良く使われて捨てられていたわ」
頼人が視界から消えた途端、智織の不機嫌そうな様子は一変して、笑みを浮かべながら軽やかに歩いて姿を消した。
恐らく往復で30分は頼人が帰ってこないことを見越してだろう。智織の足取りは軽く、そして確かだった。
智織が向かった先には、ある岩があった。
そこには古い歴史が書かれた板があった。
『八』・・『竜』・・『森』『淵』・・・・『人食い』等の言葉が書かれていた。
そしてそれらは闇御津羽神に通ずる神と須佐之男命によって封印されたとも。
「懐かしいわ」
智織は愛おしむようにその岩を撫でた。
頼人が酒を買って戻ってくると、先程の岩の上で智織が眠っていた。
こうしていると美人だなと頼人は思うが、敢えて口に出すことも無い。
起きていた場合にそれをネタに迫られる可能性が高いからだ。
頼人は仕方なく腰掛け石に自分も座ることにした。
周囲を見れば驚くほど誰もいない。田舎の過疎を感じさせられた。
誰も見ていないので、頼人の心に少しだけ邪神が芽生えてしまった。
即ち、彼はこっそり酒の蓋を開けてしまった。
その先にゆっくりと口を近づけて触れさせると、瓶を傾けた。
なるほど、確かに甘口である。アルコールが主張する酒のようなキツさは無い。
「美味しいでしょう」
「……起きていたのか」
頼人から瓶を奪った智織は先程頼人が飲んでいた様に呑み始めた。
間接キスだとかそういう事を意識しただけでからかわれるのは目に見えているので頼人はバレていると理解しつつも意識していない振りをした。
流石にそれを理解してまでは踏み込んでこないことを知っているからだ。
その時、頼人に電話がかかってきた。
この時代、電話をかけてこれる人間もそういないというのに誰だと思っていると、頼人もよく知る名前だった。
「もしもし、お兄様ですか?
私です。調べたらどうやらお兄様が四国に来ていると聞いて――――」
ツーッツーッツーッ…。
その電話は頼人の隣で微笑んでいる女によって切られた。電源も切られてしまった。
久し振りに聞いた親戚の声だったが、下手にこちらからかけ直しても叔父が良く思わないだろうと電源はそのままにしておいた。
「そう言えば、あの子も養子だったわね。
特別な力を持っているからと子供のいない親に引き取られたのだったかしら」
「下世話なことを言うな」
戸籍上は従妹に当たる少女に対する智織の発言を聞くに堪えないと切り捨てた頼人であったが、
あの叔父であれば、目的があれば血の繋がりの無い子供など躊躇無く計画の材料に出来るという考えも捨てきれなかった。