001-003 どうにか実力至上主義の教室へ
001
突然だけど、ちょっとだけ僕の出す問題を真剣に聞いて、答えを考えてみて欲しい。
問・混んでいるバスにベビーカーを押して乗り込むのは良いか悪いか。
出題しといてなんだけど、そんなの『良い』に決まってる。これを『悪い』なんて言う奴は、自分のことしか考えられない心の狭い人間だ。
別のバスに乗れよとか、抱っこしとけよとか、そう思う人もいるだろう。しかしその父親だか母親だか親戚の誰かさんだかにも、他の人と同じように、そのバスに乗らねばならない理由があるのだ。
弟妹も実子もいない僕には子育ての経験がないから分からないけど、ベビーカーと一緒に混んでいるバスに乗るというのは相当な負担があることだろう。精神的にも、肉体的にも。
目の前のお母さんもきっと、もっと空いてるバスで行けたらなあとか、他の交通手段が使えたらなあとか、そんなことを考えながら仕方なく満員バスに乗っているんだと思う。
だからさあ、そこの君よ。
そんな迷惑そうな顔をしてやるなよ。
「……はぁ」
あらあら、わざとらしく溜息なんか
やめてくれよまったくもう。僕は今、君と同じ制服を着ていることが途轍もなく恥ずかしいよ。溜息を吐きたいのはこっちの方だよ。
そりゃあ邪魔だなって思うのは分かるよ? でもさあ、それを表に出すなよ。内に秘めておけよ。これから日本でトップクラスの高校に通おうって人間が、そんないかにも小人物な姿を見せるんじゃないよ。
不機嫌そうな表情の彼だけでなく、僕は今向かっているその全国屈指の名門校にも幻滅していた。
高度育成高等学校。
日本政府が主導している、この国の未来を担う若者を育成する学校。
国が運営しているだけあって潤沢な資金が注ぎ込まれており、とにかく設備が充実しているという話だ。
であるならば。
であるならば、送迎バスくらい手配しろよ。
この学校では在学中は寮生活を強いられ、外部との接触は原則不可である。つまり新2、3年生は既に十全に設備の整った学校の敷地内にいるわけで、このバスに乗っている臙脂色の制服を着た連中は僕も含め皆1年生である。そして、これが最初で最後の
そう。このバスの混雑は今日一日、それもこの時間帯だけの
で、学校のお偉いさんに聞きたいんだけど、なんで送迎バスがないの?
最寄りの駅や東京駅なんかで生徒をまとめて回収しておけば、市営バスがこんなに混むことはなかった。赤ちゃん連れのお母さんも、もっと落ち着いて座れただろう。
もしかすると前後の便では、足腰の弱いお婆さんが席に座れなくて困っているなんて事態が発生しているかもしれない。
春の麗らかな陽気も台無しである。
それを踏まえて先程の問題を繰り返してみよう。
問・混んでいるバスにベビーカーを押して乗り込むのは良いか悪いか。
答・悪くない。今回のケースでは、民間のバスに影響が出ることに考えが至らず、対策を講じなかった学校が悪い。
002
高度育成高等学校の入学試験を終えた数日後、僕の下に届いたのは『不合格』の通知だった。
筆記試験でも面接試験でもそれなりの手応えを感じていたので、これは本当にショックだった。家族にも自信があると告げていたのでその振り幅は大きく、家の中はお通夜みたいな空気になってしまった。
ではそんな僕がどうして今この制服に身を包み、天然石を連結加工した恐らくは日本一立派な校門をくぐっているのか。
それはカネの力と親のコネを存分に使って――という訳ではない。
なんとびっくり不合格通知から一週間後、合格通知が届いたのだ。
届いたというか電話なんだけどね。
不合格だったのですが、合格になりました、と。
僕は最初信じられなくて、意味が分からなくて、友人が仕掛けた悪質なドッキリだと思った。
だからその翌日、すべり止めとして出願していた別の高校の受験に予定通り赴いた。今度こそ合格だろうという確信を持って帰ってみると、家の中は何故か宝くじで7桁当てたみたいなお祝いムードだった。
電話での連絡から一日遅れて、合格通知証が届いたのだ。マジだったのだ。
同封されていた書類によると、合格が決まっていた他の受験生が諸事情で入学できなくなったそうで、その空いた枠に僕が繰り上がったらしい。
繰り上がり?
そんなことある?
まあ合格になったというならそれは願ってもない話だ。
その日は高級な焼肉に連れて行ってもらった。とっても美味しかったです。
しかしそれでハッピーハッピーめでたしめでたし――とはいかなかった。
ちょうど一週間前、今度は制服が届いた。
心も体も男の僕に、女子の制服が届いた。
はあ?
すぐさま学校に連絡したものの結局男子の制服は間に合わず、なんてこったい今日の僕はスカートを穿いてリボンを結んでの登校だった。
よく言えば中性的な、悪く言えばどっちつかずな顔立ちのため、そこまで不自然な仕上がりではない。娘も欲しかったと言う母に女物の服を着せられることはよくあったので、抵抗感もそれほどない……少しはある。
とにかく可及的速やかに男子の制服が欲しいんだけど、職員室はどこだろう? 行けば交換してもらえるって聞いていたんだけど……。
始業まで残り10分。
職員室までスムーズに行って、制服をスムーズに受け取って着替えて、教室までスムーズに行くことができれば余裕で間に合う。
しかし合格通知や制服の件からも分かるように、僕はいつも
例えば友達と待ち合わせをした時。
寝坊はしない。知っている場所なら迷子にもならない。しかしそれでも何らかのトラブルによって毎回とは言わないまでも、7~8割は計画通りに事が運ばない。
これについてよく「なんで?」とシンプルに聞かれるのだけど、そんなの僕の方が知りたい。直せるもんなら直してる。
僕が一番困っているのだ。今この瞬間も、困っているのだ。
また一つ問題を出すので、答えを考えてくれないか?
問・入学初日から遅刻するのと、男子が女子の制服を着て教室に入るの、どちらの方がより印象が悪いか。但し、前者は自分に責任があり、後者は学校に責任があるものとする。
003
「ここか」
僕は制服を諦めた。
だってもし職員室が見つからなかったら、女子の制服で遅刻するという最悪の展開になるんだもん。
という訳で合格通知証に記載されていた僕の所属クラス、一年Bクラスの教室へとスカートをひらひらさせてやって来た。
この時点で始業まで残り5分を切っている。あぶねー。
どうやら座席は決まっているようだ。僕は自分のネームプレートが置かれた席を探す。
「
呟きが完全にやべえ奴だけど、自分の名前なんだから仕方ないだろ。
というか50音順じゃないのね。探すの面倒くさー。でもまあ既に埋まっている席も多いし、すぐ見つかるか。
3分経過。
「ない……」
ない。
空いている席を一通り見たんだけど、ない。
もう一周、今度は誰かが間違えて座っている可能性も考えて注意深く捜索したんだけど、ない。
僕の席ねえから!
言ってる場合じゃない。
「どうかしたの?」
ひょっとして僕は学校から虐められているのではないかと不安になっていると、ちょっとびっくりするくらい可愛い女の子に声をかけられた。腰まで伸びた赤みを帯びた金髪がベリービューティフォーです。触ってもいい?
「いやあ、僕の席が見当たらなくてね」
「それでずっとうろうろしてたんだね!」
そんな元気に言わないでほしい。恥ずかしいから。
「一緒に探すよ。名前は?」
「ありがとう。僕は緒祈」
「お祈り? 珍しい苗字だね」
「うん。だから2周もして自分の名前見落とすってことはないと思うんだよね」
「確かに、それもそうだね。教室はあってる? ここBクラスだけど」
「間違いないよ。ほら」
念の為持ってきておいた合格通知証を見せる。
「本当だ。てことは学校側のミスかな?」
「多分そうだろうね」
ちなみに僕は顔立ちだけでなく声も中性的というかどっちつかずなもんで、目の前にいるこの女子生徒に多分僕は女子として認識されている。
一人称が僕だし、よく見れば喉仏とか普通に出てるんだけど、流石に男子が女子の制服着てるとは思わないかな。気付かれても困るけど。
「あっ、先生来たし聞いてみたら?」
「そうするよ。心配してくれてありがとね。えっと……」
「まだ名乗ってなかったね。私は
「僕は
苗字の同じ位置に『の』が入ってるなあとか。『帆』も『波』も『釣』に通じるところがあるなあとか。
そんなことを考えて勝手に親近感を抱きつつ、ほとんどの生徒が着席している中を教室の前のドアへと一人進む。先生が入って来たタイミングで声をかける。
「はーい、皆さん席に……どうしました?」
「あの、僕の席がないんですけど」
「君は確か緒祈君……緒祈さん? あれ?」
僕の顔と名前は一致しているようだけど、男子なのに女子の制服を着ているという情報は入っていなかったらしい。
「どっちでもいいですけど、緒祈真釣です」
「えっとぉ、緒祈さん。あなたのクラスはここじゃなくて、Dクラスですよ?」
「……え? いや、だってここには――」
もう一度合格通知証を取り出し、先生に見せる。
「あれあれ? これ、間違えてますね~」
うっそーん。
この国最高峰の教育機関なんでしょ?
ちゃんとしてくれよ……。
「緒祈さんは隣の隣、サエちゃんのクラスですよ~」
「分かりました。では、失礼します」
ここで愚痴っても仕方ない。さあ教室を出ようとしたところで、ようやく気付いた。
Bクラスの皆様にめっちゃ注目されてる!
恥ずかしー!
ドアをくぐろうとした瞬間、一之瀬さんと目が合った。あはは。そうだよね、苦笑するしかないよね。
僕も彼女に苦笑を返して、さっと目を逸らした。
あー!
恥ずかしー!
よろしくねとか言ったけど別のクラスだったよ恥ずかしー!
僕至上最速の速足でBクラスを去り、Cクラスを過ぎ、Dクラスに到着した。
ドアの向こうの教壇には、スーツを着た厳しそうな先生が立っていた。あれがサエちゃん先生だろう。仕事がバリバリできる大人の女性って感じだ。黒のポニーテールが素敵です。触ってもいい?
よし、担任の先生も確認できたし今日はもう帰っちゃおー!
なんてふざけたことを考えていると、サエちゃん先生の顔がこちらを向いた。
「ひっ!」
やっべー、目が合っちゃったよ。鷹みたいな目で睨まれちゃったよ。一之瀬さんとは大違いだよ。これもう逃げられねえよ。
別に本気で逃げようとしていたわけじゃないけどね。でも逃げたい気持ちは本当だよ。
Bクラスに戻りたーい!
でもあっちにも僕の居場所はなーい!
あー、やだなー。
怒られるのやだなー。
「し、失礼します」
「さっさと座れ」
「はい……」
「……そこに正座してどうする。席につけと言ったんだ」
曲げた膝を再び伸ばして立ち上がる。
あれ、説教無し?
でも一応言い訳はしておこう。しれっと減点とかされたくないし。
「あの、合格通知証にBクラスって書いてあって、それで……」
「……ふむ。事情は分かったから早く席につけ」
「はい」
もっと何か言われるかと思ったんだけど、随分あっさりとしているなあ。まあいいや。みんなの前で公開処刑されなくてよかったわ。
ん?
みんなの前?
……うっわー、また注目されちゃってるよ。
残念ながら僕は歌って踊れるアイドルでも、容姿端麗な人気俳優でも、億を稼ぐスポーツ選手でもない。そんなに見られても羞恥心しか湧き上がらない。
そそくさと逃げるように唯一空いている席に座る。一番後ろの列の、廊下側から三番目。そこには確かに『緒祈』と書かれたネームプレートがあった。
良かったー!
これで『田中』とかだったら僕はもうぶっ倒れてましたよ。
良かった良かった。本当に良かった。
が、しかし。
結局僕は男なのに女子の制服を身に纏い、入学初日から教室に遅れて入ってくるという中々の問題児になってしまいました。
ヘイ神様!
ちょいと厳し過ぎやしませんかい?