どうにか実力至上主義の教室へ   作:祭灯キャロット

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第2巻
025-027 備えあれば憂いなし


 025

 

 

 

 僕が通う高度育成高等学校は東京都の23区を少し外れた場所にあり、一つの小さな街を形成している。その敷地面積は都心でありながら60万平米を優に越える。

 

 生徒は卒業まで外に出ることを原則禁止されており、渋谷へショッピングに行くことも、東京ドームで野球を観戦することも、武道館でのライブに赴くこともできない。

 それゆえ普段の生活では、ここが東京都であることを意識することはほとんどない。

 

 もちろん仕事や趣味であっちへこっちへ転々としている人を除けば、多くの人は自分が今どこにいるかを意識しながら生活することはないだろう。しかし僕たちの場合はそれよりも一段上で、そもそも地名に接する機会がほとんどないのだ。

 

 例えば外の世界では電車やバスに乗るだけで幾つもの地名に出会うけれど、僕たちが使う乗り物と言えば学校内を走る循環バスくらいのもので、そこにあるのは『噴水公園入口』や『特別水泳施設前』のような、聞いただけでは日本のどこにあるのか分からないバス停ばかりだ。

 天気予報なら自分がいる地域の名前を嫌でも目にしそうなものだけれど、支給された携帯電話にはピンポイントでこの学校の天気だけを見られるアプリがプリインストールされていた。

 

 部活動の試合等で外に出ることのある生徒はそんなに感じないかもしれないけれど、僕からすると隔離されている感がすごい。

 陸の孤島というか、独立国家みたいな印象だ。

 

 まあ、それで何か困ることがあるかと言えば別にそんなことはない。どうせ出られないのだから、この学校が東京にあろうが島根にあろうがどうでもいい。

 

 しかし外部と没交渉ではあるけれど、決して無関係というわけではない。

 

「お」

 

 ベッドで寝ている僕の体がゆっさゆっさと揺られる。誰の仕業かというと、地球の仕業。

 そう、地震だ。

 

「おお」

 

 部屋の中は真っ暗だ。窓の外も真っ暗だ。

 昨夜は日付が変わる前に寝て、それで、今は何時だ?

 

「おー……」

 

 揺れは5秒くらいで収まった。

 そんなに大きなものじゃない。震度は多分2か3。こうやって寝そべっているから、多少強く感じたかもしれない。

 

 とりあえず現在時刻と地震の規模だけでも確認しようと、寝惚け眼を擦りながら枕元の携帯に手を伸ばす。視界はぼやけていて、指先もまだ眠ったままのようで、ロックの解除に二回失敗する。

 三度目の正直。よし。時刻はまもなく午前4時。

 

 ニュースアプリを開いて――何をやっている我が親指よ、それはチャットアプリだ。はい閉じて、ニュースアプリ開いて……流石に記事はまだできてないか。

 アプリを閉じて、今度はウェブで災害庁のサイトを開く。お、あった。仕事が早いな。震源は茨城県南部で、最大震度は4、この辺りはギリギリ震度3か。

 

 知りたいことは知れたのでもう一回寝ようと目を閉じる。変に冴えることもなく、すんなりと入眠できた。

 

 

 

 026

 

 

 

 改めて目が覚めたのは9時過ぎだった。学校があれば遅刻確定の時間だけれど、今日は土曜日だ。大きなあくびと共にゆっくりと体を起こす。

 

「ん、おー?」

 

 携帯を見るとBクラスの美髪少女一之瀬(いちのせ)さんから「揺れたね! 大丈夫だった?」とチャットが来ていた。彼女の部屋は確か15階か16階だったはずだ。僕がいる3階とは揺れのレベルが違っただろう。

 「ノープロブレム。そっちは?」と返し、すぐには既読が付かないことを確認して携帯を置く。

 

 洗面台で顔を洗い、キッチンスペースへ。食パンをオーブンにセットしながらふと思う。

 

 もし大きな地震が起きて、あるいは何らか不測の事態が起きてこの部屋に閉じ込められたとして、僕は何日間生き延びられるだろうか。

 

 キッチンを見渡し、冷蔵庫の中を確認してみる。どうだろう? 3日くらいしか持たないんじゃないだろうか。いや、1食分しかストックがないこともしょっちゅうだし、そう考えるとあれが必要だろう。非常食。

 飲み物に関して言えば僕は水道水を抵抗なく飲める人間なので普段は問題ない。しかしもしも水道が止まったら? 冷蔵庫には牛乳と麦茶もあるけれど、そう何日も持つものではない。

 

 思えば食糧品に限らず、ジグソーパズル以外は必要最低限のものしか買っていない。これではいざという時に不安がある。

 

 よし。今日はホームセンターに行こう。

 もしかすると今朝の地震で同じように考えた人が大挙して押し寄せるかもしれないし、行くなら早い方がいいだろう。とは言え開店は10時なので、そこまで支度を急ぐほどでもないか。

 

 良い具合に焦げ目の付いたトーストにマーガリンを塗り、それが融けていく様を眺めつつかぶりつく。サクサクと心地好い音が跳ねる。パラパラと落ちるパン屑を白の平皿が受け止める。

 

 この学校でのポイントの有用性・重要性は先の中間テストの際に肌で感じたけれど、例えば大きな地震が起きてお皿に限らず何かが割れたり壊れてしまった場合、学校側から何らかの補償はあるのだろうか?

 対策をしていなかった生徒が悪いと切り捨てることも出来る。しかし先程も言ったように地震の揺れは高層階の方が大きくなるわけだし、そう考えると全てが生徒の自己責任というのは公平ではないように思う。

 今度茶柱(ちゃばしら)先生に聞いてみるか。

 

 朝食を終え、ぱぱっと身支度も終えると時刻は9時40分。少し早い気もするけれど、道に迷う可能性を考慮するならちょうどいい時間かな。ホームセンターには、まだ二回しか行ったことないし。

 

「携帯、学生証、部屋の鍵、よし」

 

 持ち物を確認し、ドアを開ける。

 6月の下旬にしてはひんやりと涼しい空気だった。

 

 

 

 027

 

 

 

 予想以上に道に迷ったため、ホームセンターに到着したのは10時20分頃だった。まさか建物が見えてからあれほど時間がかかるとは。

 

 入口に近付くとそこには不思議な光景があった。自動ドアの前に、一人の少女が立っていたのだ。

 不思議なのはドアが開いているのに中に入ろうとしない少女ではなく、少女が立っているのになぜか閉じたままの自動ドアだ。

 10時開店のはずなんだけど、まだ開いていないのかな?

 

 もっと近付くと、そこにいた少女が初対面ではないことに気付く。

 

「おはようございます」

「えっ……あ、おはようございます。あなたは確かDクラスの……」

緒祈(おいのり)真釣(まつり)です。えっと、Bクラスの……」

白波(しらなみ)千尋(ちひろ)です」

 

 桑色のショートヘアに桜のヘアピンが印象的な彼女と初めて会ったのは、たしか四月末日、神崎君と連絡先を交換したあの日だ。

 シマネガーデンをシネマガーデンと勘違いした僕についつい笑ってしまったのが、こちらの白波さんだ。神隠しに遭いそうな名前だなあと記憶していた。

 

 よく一之瀬さんと一緒にいるので見覚えはあったけれど、こうして二人きりになるのも、ちゃんと話すのも初めてだ。

 

「開いてないんですか?」

「そうみたいです。これ」

 

 白波さんが指差した先には、自動ドアに貼られた一枚の紙。

 

 ――今朝の地震で商品棚の一部が倒れたため、本日の営業は12時からとさせていただきます。

 

「なるほど」

 

 その可能性は全く考えていなかった。しかし言われてみれば地震が起きた時ニュースでよく見るのは、コンビニなどで棚が傾いて商品がぼろぼろと落ちていく映像だ。

 今朝のはそこまで大きくなかったけれど、全くのノーダメージというわけにもいかなかったようだ。となるとショッピングモールの方でも開館時間の変更などが発生しているかもしれない。

 土曜日ということで予定を立てていた人も多いだろうけれど、自然が相手じゃ文句を言っても仕方ない。地震なんていつ起きるか分からないんだから。

 

 そう、だからいつ起きても落ち着いて対応できるように日頃から準備が必要なのだ。『備えあれば憂いなし』と言うけれど、過剰な言い方をするなら『備えなければ命無し』だ。

 面倒だからまた後日、などと言っている場合ではない。僕たちは地震大国に生きているんだ。それを忘れちゃいけない。

 

「ひょっとして緒祈さんも防災グッズですか?」

「ええ。非常食とか、非常用持ち出し袋みたいなものがあればと思ったんですけど、そもそもお店が開いていないとは。想定外でした」

「私、今まで地震を経験したことなくて、今朝はびっくりしちゃいました」

「眠りを覚ますような地震に遭えば、誰だってびっくりしますよ」

「ふふっ、そうですよね」

 

 そんな雑談をしながら、他にそういうグッズを取り扱っていそうなお店を思い浮かべる。開いているかは分からないけれど行くだけ行ってみよう。ここで大人しく一時間半待つのは、上手な時間の使い方とは言えないだろう。

 

「とりあえずハナマルスポーツの方にも行ってみませんか? あっちは普通に営業してるかも」

「確かにスポーツ用品店ならアウトドアグッズとかもありますし、一緒に防災グッズなんかも置いてあるかもしれませんね」

「じゃあ、行きましょうか」

「はいっ」

 

 良かった。拒否反応はなかった。これでもし「あなたと一緒にはちょっと……」とか言われていたら、頬を濡らしたかもしれない。

 

 いやしかし白波さんの方は本当に良かったのか?

 女の子が休日に男と二人で出歩くというのは、短絡的な思春期高校生に見られればさては恋仲かと疑われてしまうだろう。本人に気にする様子がないので僕から一々言わないけど。

 

 梅雨明けの緑道を若い男女が二人並んで。

 

 そう言うとロマンチックというかポエミーというか、なんだかそんな感じがするけれど、何をしているかというと防災グッズを買いに行っているのだ。色気のいの字もない。あるのは命のいの字だ。

 

 僕は目的地を提案した身でありながら道に自信がないので、白波さんの一歩斜め後ろを歩く。彼女の髪があと30センチあればなあとか考えてみたり。

 道中は互いのクラスのこととか、この学校のこととか、共通の知り合いである一之瀬さんや神崎君について話した。

 

「学級委員? そんな役職あったっけ?」

「うちのクラスで勝手に作ったんだよ。決めておくと便利だろうって」

「それで一之瀬委員長か」

「うん」

 

 敬語もいつの間にか取れていて、なんだか仲良さげな感じだった。

 

「テストの点だけなら一之瀬さんの方が上だよ」

「へえ、そうなんだ。僕はてっきり一之瀬さんが統率担当で神崎君が頭脳担当なんだと思っていたけど」

「それはそれで間違いじゃないよ。神崎君は頭の回転がすごく速いの。Bクラスの参謀って感じだね」

「そっかそっか」

 

 楽しくお喋りしてくれるのは嬉しいんだけど、ただ白波さん、こっちが心配になるくらい警戒心が薄い。それはもうぺらぺらと話してくれる。

 BクラスとDクラスだからすぐに衝突するということはないけれど、とは言えいずれは敵になりうる相手だ。ちょっと口が軽すぎやしないか。

 そう思って忠告したんだけど、

 

「緒祈くんなら大丈夫でしょ?」

「いや、そう言ってもらえるのは嬉しいけどね? もしかしたら僕はBクラスの情報をCクラスに売るような非道(ひど)い男かもしれないよ?」

「で、でも、一之瀬さんが信用してる人だし」

「……ああ、そう」

 

 という調子で、彼女の中に僕に対する警戒心を芽生えさせることはできなかった。我ながら謎過ぎる挑戦だ。

 

 しかし、なんだろう? 何かが引っ掛かる。

 この違和感は白波さんとの会話の中に、あるいは白波さん自身に感じるものなんだけど、残念ながらその正体までは分からない。

 もし僕に一之瀬さんや櫛田(くしだ)さん並みのコミュニケーション能力があれば簡単に分かるんだろうけど、僕は僕だからなあ。

 一先ず置いておくか。

 

 なにはともあれ険悪なムードも気まずい沈黙もなく、至極平和な空気を保ってオレンジの看板が特徴的なハナマルスポーツに到着した。

 

 ただここで一つ誤算があった。営業はしていたのだけれど、そこは僕が想像していたより一回り小さいお店だった。

 

 よく考えると、敷地外に出ることを原則禁止しているこの学校でキャンプ用品やサバイバルグッズなんかを売っているはずがなくて、置いてあるのはスポーツウェアの類がほとんどだ。

 実家の近くのスポーツ用品店には防災グッズコーナーがそれなりのスペースで展開されていたので、その感覚で来てしまった。

 懐中電灯や救急セットなんかは置いてあったけど、それだけじゃちょっとねえ。

 

「どうする? 戻る?」

「そうだね。今から戻ればちょうど12時くらいに着くかな」

「なんかごめんね。僕がここに来ようって言ったばかりに、無駄に歩かせちゃって」

「全然! 気にしないで!」

 

 というわけで来た道を引き返して再度ホームセンターへ。

 さっきもここ通ったねーとか言いながら並んで歩くけれど、流石に会話が途切れることが増えてきた。

 

 残念ながら16年間デートの一つもしたことがない僕には、こういう時何を話せばいいのか分からない。先程までは分からないなりに頑張っていたのだけれど、それにも限界がある。

 

 話題を作るだけなら、例えば好きな食べ物とか趣味とかを聞くことはできる。でもそういうのって「こいつ私のこと知りたがってんじゃん。きも」とか思われないかなあ? 考えすぎ?

 僕がそうやって悩んでいる間に、白波さんの方から話題を振ってくれる。

 

「えっと……緒祈くんは、好きな食べ物、何?」

 

 こいつ僕のこと知りたがってんじゃん。

 え、好きなの?

 

 いやいやそんなこと言っている場合じゃない。今の質問で、さっき『一先ず置いて』おいた違和感の正体が判明した。

 

 白波さんの距離の詰め方が不自然なのだ。

 

 敬語からタメ口に移行するのも早かったし、ほとんど初対面みたいな僕と二人でいることに抵抗を示さないし、会話が途切れないよう必死になっている。

 そういう人は普通にいるかもしれないけれど、しかし彼女の場合、その積極性のわりにやけに緊張している気がする。社交性が有るんだか無いんだか分からない。

 行動から読み取れる性格と、表情や所作から読み取れる性格が全く一致しない。

 

 仲良くなりたいけど、話すのは緊張する。

 

 まさか……恋?

 

「お、緒祈くん?」

「うえっ? え、なんだっけ?」

「だから、好きな食べ物なんなのかなって」

「あ、ああ。うん。豚骨ラーメンかな」

 

 いやいやそんな馬鹿な。ありえないだろ。僕は彼女に惚れられるようなことは何もしていないぞ? じゃあなんだ、顔か? 顔が良いのか?

 自分では中の上から上の下だと評価しているこの中性的な顔立ちに、まさか一目惚れしちゃったのか!?

 

「私もラーメン好きだよっ。豚骨はあんまり食べないんだけど……今度二人でラーメン屋さん行こうよ!」

 

 二人でって、これもう確定じゃね?

 いやー、気持ちは嬉しいんだけど、僕は髪の長い人が好きなんだよなあ。さりげなく伝えるか? それで今は一度諦めてもらって、二か月くらい髪を伸ばしてから再度アタックしてもらえれば、僕もその気持ちに応えられるかもしれない。

 

 ……なんか僕の思考、傲慢じゃない? 大丈夫?

 

 結局彼女の積極的なアプローチに対して、僕は気付かないフリを貫いた。髪のことも言わないでおいた。もし告白されちゃったら、その時に教えてあげよう。それで「髪を伸ばせばまだチャンスがある!」って思ってもらえれば、二か月もすればちょうど僕好みの長さに……やっぱり傲慢になってない? 大丈夫?

 

 女の子にぐいぐい来られるという初めての体験に戸惑いつつ、ホームセンターに到着する。こちらには予想通り、防災グッズ・非常時アイテムが取り揃えられていた。他の客はそんなにいなかった。

 

「乾パンってどんな味なんだろう?」

「僕も食べたことないけど、少なくとも山菜定食よりは美味しいんじゃないかな?」

「比較対象が極端すぎるよ……」

 

 僕はポイント残高と相談しながら3日分くらいの非常食と、懐中電灯と救急セットを買った。

 

「ねえねえ緒祈くん、これ消費期限が10年ある水だって」

「ここで売るには長すぎるね」

「だよねー」

 

 水も買っておきたいけど、それは後でここより安いコンビニのやつを買おう。

 ふと見ると、白波さんの買い物かごには商品がこんもりと盛られていた。買い物が好きなのか下手なのか、はたまたただの心配性か。

 

 会計を終えると、両手に大きな袋を持った彼女がよろよろとしていたので、片方を持ってあげた。

 

「緒祈くんって優しいんだね」

「別に、これくらい誰でもするよ」

「ふふっ。照れちゃって」

 

 照れちゃいない。戸惑っているだけだ。

 こういう時、世の男たちはどうするんだ?

 

 寮に着き、ロビーを抜け、エレベーターに乗る。

 僕は自分の部屋がある3階のボタンを押さない。白波さんの荷物を持っているので、彼女が住む14階まで付き合う。

 

「助かったよ。ありがとねっ」

「どういたしまして」

「そ、そうだ、連絡先交換しようよ!」

 

 彼女の部屋に一歩踏み入り、玄関で連絡先を交換した。

 携帯に表示される『白波千尋』の文字。女子の連絡先は一之瀬さん、櫛田さん、堀北さんに続いてこれで四人目だった。

 

「じゃあまたねっ。ばいばい!」

「うん。またね」

 

 初めて入る女子の部屋ということでドキドキしたけれど、去り際に白波さんのショートヘアを見て、やっぱり恋愛対象にはならないなと思った。

 

 うーん、二か月後に期待!

 

 

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