034
「もしかして告白されると思った? こんな夜中に部屋に女の子が来て二人っきりで、なんだかいい感じの甘ったるい空気になって、告白間違いなしだと思った? ふふふっ。そんなわけないじゃん。そんなことあるわけないじゃん。私、
「
「それとも悲しいのかな? 私が部屋に入って来た時点で絶対に告白だって確信してたのに、こっぴどく裏切られたもんね。でも私は悪くないよ。だって緒祈くんが勝手に期待しただけだもん。自分の道化っぷりは理解できた? 泣きたいなら泣いていいんだよ。その無様な姿を録画して、学校中にばら撒いてあげる」
「正座」
「え、なんで? なんで私が正座しなきゃいけないの? 偉そうに命令しないでよ。 何様なの? 俺様なの? 俺様な態度に女の子がキュンキュンするとか思っちゃってるの? うわー、気色悪っ。ただの嫌な奴じゃん!」
「正座」
「ひょっとして『冷静に対処できてる僕カッコいい』とか考えてる? いやいや全然カッコついてないよ? 私に騙されてた時点でもう手遅れだよ?」
「正座」
「壊れちゃったのかな? あまりのショックに『正座』以外の言葉を失っちゃったのかな?」
「正座」
「だからさあ、そんな壊れた機械みたいに繰り返されても」
「正座」
「ねえ聞いてる?」
「正座」
「あ、あのー」
「正座」
「えっと」
「正座」
「……」
「正座」
「…………はい」
ようやく静かになった。
絨毯も何もない冷たい床に正座する白波さんを見て、僕は5秒かけて大きく溜息を吐く。
「僕は今、ショック2割、怒り1割、納得1割、困惑6割だよ」
告白されると思っていたら全然好きじゃないと言われたのでショック。明らかに告白の空気だったのに全然好きじゃないと言われたので怒り。僕は惚れられるようなことは何もしてないのにと思っていたら、本当に惚れられていなかったので納得。
そしてこの状況に、ただただ困惑。
「分かっているのは君が僕のことを好きじゃないということと、なぜか
「えっと……」
「目的として考えられるのは僕を退学させることかな。告白みたいな雰囲気を作っといて、思いっきり
「えっと、全然違います」
「全然違うのか」
「うん。全然」
じゃあ何が目的でこんなことを……。
「わ、私は、噂を確かめたかったの!」
「噂?」
「前からね、Bクラスではこんな噂が流れてたの。『今年の新入生の中に、本来入学するはずだった人を蹴落として入ってきたとんでもない極悪人がいる』って」
「なんだその噂」
僕以外に繰り上がり合格の生徒がいたとは聞いていないから、まず間違いなく僕のことを言っているのだろう。
しかし僕はそんな極悪人ではない。
「それで、
Bクラスで噂になっているなら、そりゃあ一之瀬さんが知らないはずはないだろう。
「その噂はいつ頃から流れてたの?」
「私が知ったのは5月のはじめ頃かな」
だいぶ前だな。ということは、あの二人はそれを知ったうえで僕と仲良くしているのか。
真偽を気にしているということは、僕が噂通りの極悪人である可能性も考えて接している。いやむしろ、
ふーん、そうだったんだ……。
「白波さんは、クラスのリーダーである一之瀬さんの為にその噂が本当かどうか確かめようとしたんだよね?」
「うんっ」
「もし僕が噂通りの極悪人なら、このシチュエーションでは君を襲うだろうって、そういう考え?」
「うんっ」
「馬鹿なの?」
「うっ」
ショックと怒りが消えて、代わりに呆れが出てきた。
「それで本当に襲われたらどうすんのさ。ここには監視カメラも目撃者もないんだよ?」
「大丈夫。会話を録音してるから」
「馬鹿正直に言ってどうする。それに、音声データは僕の罪を証明するのには使えるけれど、今この瞬間の君の身は守ってくれないよ」
「……確かに!」
もしかして白波さんって、とんでもないアホの子?
心配になってきたぞ?
「噂を確かめるにしても捨て身過ぎない? なんでそこまでするのよ」
「それは……一之瀬さんに、認めてもらいたくて」
Bクラスのリーダーである一之瀬さんの信頼を得ることで自分の立場を上げたい、という言い方ではないよな。もっと一之瀬さん個人に執着している感じが――
「私、一之瀬さんのことが好きなの」
「……なるほどね。やっと君の背景が見えてきた」
事の発端は一之瀬さんへの恋心。そして好きな人に認められたい、評価されたいという願望。一之瀬さんが頭を悩ませている噂の真偽を調べられれば、きっと褒めてもらえるだろうという推測。
そして実行された『もし噂が本当なら、これだけ挑発すれば緒祈
「白波さん」
「は、はいっ」
「正座」
「え?」
「正座」
「あの……もうしてるんだけど」
「ああ、そうだったね」
不思議なことに、今の僕には怒りもショックも困惑もない。
ただただひたすらに、この子のことが心配だ。
「あのねぇ、男の3割はあの告白の空気が出来上がった時点で手を出してるし、残りの7割も騙されたと分かった時点で襲ってるよ。僕が切り捨てられた0.1パーセントの住人だったから良かったものの、こんなシチュエーションじゃあ噂がどうとか関係ないよ」
「な、なるほど……」
「それから一之瀬さんに認められたいみたいだけど、あの人はこういうやり方嫌いなんじゃない? 人の心を弄んだり、自分の身を不必要に危険にさらしたり」
「言われてみれば……」
「そして君の最終目標が一之瀬さんと付き合うことなら、いくら演技でも人目のあるところで僕にアプローチするのはどうなのよ。登校中とかさあ。幸い僕も白波さんもそんなに目立つタイプじゃないけど、『付き合ってんの?』とか聞かれたら嫌でしょ?」
「返す言葉もございません……」
恋は盲目と言うけれど、白波さんの場合はむしろ麻薬だな。正常な判断ができていない。本来の目的を見失っている。
……まさか僕に襲われたら襲われたで、その時は一之瀬さんに泣きついて慰めてもらえれば結果的に距離を縮められるとか、そんなこと考えてないよね? そこまで捨て身じゃないよね?
「冷静に考えてみると、相手が緒祈くんじゃなかったら私今頃とんでもなく酷い目に遭ってるよね」
「冷静になるのが遅すぎるよ……」
「噂の新入生が緒祈くんでよかったよ」
「僕も僕でよかったと心底思っているよ。噂自体はガセだけどね」
僕が今白波さんに対して抱えているのは、一人っ子だからよく分からないけれど、多分兄が妹を心配するのと同じような心情だ。
「うん、そうだね。ガセネタだったって、あとで一之瀬さんに伝えておくね」
「あ、伝えるんだ」
「折角録音してるからね」
「……一応聞いておこうか。携帯で録音してるの?」
「そうだよ」
「ちゃんともしもに備えて、別でボイスレコーダーも使ってる?」
「えっ?」
「考えもしなかったって表情だね……。相手に録音機器を奪われる可能性があるなら二重三重に用意しておかないと。それから携帯はもうひと端末使って通話状態にして、そっちで友達に控えておいてもらうとかすべきだね」
「おおー」
感心してる場合かよ。
「じゃあ今度からはそうするね!」
「いや、君はこういうこと向いてないから今回で最後にした方がいい。というか二度としないで。見てるこっちがひやひやするから」
「え、あ、うん」
「あと一之瀬さんに聞かせるのはいいんだけど、それだけで僕が信用されるってことはないと思うよ。そこんとこ理解しといてね」
「ええっ? 緒祈くんが悪い人じゃないっていう、確かな証拠にならないかな?」
「ならないよ。この状況で今の僕と同じように対応できる『悪い人』も世の中には絶対にいるし、もしかするとこの学校にもいるかもしれない」
「そっか……怖いね」
「その恐怖心を忘れないように。君は大して頭が回るわけでもないのに、やけに行動力があるから」
「むぅ」
ほっぺた膨らませても無駄だよ。可愛いけど。
「私だってちゃんと考えてるんだよ? 襲われないって確信してたから、こうして緒祈くんの部屋に来たんだよ?」
「へえ、それはまた何を根拠に?」
「だって緒祈くんって、長髪フェチでしょ?」
「その通りだけど……え、それだけで僕の部屋に単身で乗り込めちゃうの? 根拠じゃなくて希望的観測じゃん」
「でも実際襲われなかったよ?」
「それは結果論。あと、襲われないって確信してたなら、さっき言っていた僕が極悪人かどうか見極める話はどうなるのよ」
「……あっ」
「あのね? 一個一個の要素を別々に考えるのはいいんだけど、それなら最後にちゃんと考えをまとめないと」
「う、ううぅ……」
完全に落ち込んでしまった白波さん。
その姿がショートヘアだけどなんだか可愛いなあと思ったので、僕は
「ふえっ!?」
「まあ、アホなりに頑張ったことだけは認めてあげる」
「ちょ、ちょっ! やめっ!」
抵抗されたので大人しく手を離す。
「もうっ、髪ぐしゃぐしゃになっちゃったじゃん!」
「良い触り心地だったよ」
「そういう問題じゃない!」
文句を言っているけれど、そこまで嫌がっている様子ではない。カメムシの次に嫌われている感じでもない。
さっきの罵倒も演技の内だったみたいだね。良かった良かった。
手櫛で髪を整える白波さんに、残りの疑問をぶつける。
「先々週の土曜日、ホームセンターの前で会ったのは偶然?」
「え? うん。あれは偶然だよ」
「今回の計画は前々から考えてたの?」
「そうだよ。でも中々切っ掛けがなくて」
「あの日の偶然が、その切っ掛けになったと」
「うん」
その偶然が無かったとしても、一之瀬さんを通じて僕と接点を持つことは容易だ。しかし、やはり計画的な出会いよりは偶発的な出会いの方が警戒心を持たれにくい。
僕が堀北さん&綾小路君に偶然を装って一之瀬さんを引き合わせようとしたのも、そういう考えがあってのことだ。実際に彼女がどういう設定で接触したのかは知らないけど。
「あ、あのー、ごめんね? 怒ってるよね?」
「怒ってないよ。君が何を思ってこんなアホみたいなことしたのかは大体分かったし」
「ア、アホって……そう言う緒祈くんだって私の演技に騙されてたくせに!」
「うるさい」
「シマネとシネマ間違えてたくせに!」
「うるせえ!」
髪の毛わしゃわしゃー。
さっきより乱暴にわしゃわしゃー。
「ぎゃー!」
「ふふっ」
これ楽しいな。
ペットを愛でてるみたいだ。
「もうっ、緒祈くん!」
「真釣でいいよ」
「……えっ?」
「僕も君のこと千尋さんって呼ぶし」
「……もしかして、本気で私に惚れちゃった?」
「惚れてねえよ」
「ごめんね、私にはもう一之瀬さんという人が」
「惚れてねえっつってんだろ。用が済んだならとっとと帰れ」
「急に冷たい!」
本当に惚れてないし、今後も二度と惚れることはないだろう。
むしろ嫌い――というわけでは、ないんだよなあ。
あんな滅茶苦茶なことをされたのに、不思議と彼女を蔑むような気持ちにはならなかった。ほんと、なんでだろう?
「はいはいそれじゃあ帰りますよ――うおっとっと」
「二足歩行も満足にできないアホなの?」
「真釣くんが正座させたからでしょ!」
「正座で済んだだけありがたいと思え」
「……ごもっとも!」
壁に手を付きながらなんとか玄関に辿り着いた彼女は、靴を履きながらふとこちらを振り返った。
「あの、最後に私からも一つ聞いていい?」
「何?」
「女の子が女の子を好きになるのって、どう思う?」
思いつめたような空気を出すから何かと思えば、そんなことか。実に下らない質問だな。
「どうも思わないよ。人が人を好きになった、それだけのことでしょ」
「そっか……そうだよね」
「満足?」
「うん、ありがとう。これで
「……へえ」
どうやらただのアホではないようだ。
正座で痺れた足でまっすぐ立つにも一苦労している姿を見ると、やっぱりアホの子にしか見えないけど。
「じゃあ、またね」
「ああ。おやすみ」
「おやすみ」
扉が完全に閉じたのを確認して、僕は大きな溜息を溢す。いやあ、疲れた。この学校の入試より疲れた。
僕が見抜けなかった彼女の目的は気になるところだけれど、白波さん騒動改め千尋さん騒動はこれにて一件落着と言っていいだろう。
随分と珍妙で奇天烈な過程を経たけれど、緒祈真釣と白波千尋は、これでようやくちゃんと友達になれた。
僕はそう思っている。彼女も、きっと。
ちなみに。
後日、『髪の乱れた女子生徒が夜中に男子の部屋から不自然な歩き方で出てきた』という噂が一年生の間で広まることになるのだけれど、この時の僕にそれを予測しろというのは到底無理な話だった。
035
一夜明けて7月5日、金曜日。
昨夜はあまりにも予想外の展開に驚きが突き抜けたもんで、逆に冷静な対応ができた。しかし改めて思い返してみると、うん、普通に悲しい。
正直に白状してしまうと、もしもあの時「好きなの! 付き合って!」と言われていたら、僕は首を縦に振るつもりだった。そういう精神状態になっていた。
あれはどう考えても告白の流れだっただろ!?
なんだよ「全然好きじゃないの!」って!
噂の真偽を確かめたいならもっと他の方法もあるだろ!
なんであんな捨て身の策を採ったんだよ!
全部が全部意味分かんねーよ!
あー……千尋さんのことを批判してばかりだけれど、そろそろ僕自身の行動も反省するべきだね。
反省その一。
なにあっさり
最初から彼女の行動には不自然さを感じていた。恋心ではない何らかの思惑を持って接触されている可能性も考えてはいた。しかしその思惑が全く分からず、思考を停止させていた。
アホだアホだとは言ったけれど、結局僕だって彼女の演技にアホみたいに騙されていたのだ。
ショートヘアだから惚れることはないという油断もあった。どうやら僕は髪が長かろうが短かろうが、積極的にぐいぐい来る女の子には弱いらしい。
反省その二。
なに心の底から紳士ぶってんだよ。
僕のAクラス移籍計画には二通りのアプローチがある。一つは一之瀬さんを見習った友好的で平和的な手段。もう一つは
昨夜のような状況なら、千尋さんに失禁するほどの恐怖心を植え付けて、僕の便利な駒にするという手もあった。それはもちろん『あった』というだけで、思い付いても実行はしなかっただろう。
問題なのはあの時の僕が
これも結局は反省その一と同じこと。なに絆されてんだよ。
「アホくさ……」
今回の件から僕が得るべき教訓は、恋愛感情は簡単に人を狂わせるということだ。
一之瀬さんに惚れている千尋さんは、所々筋は通っているもののそれが一本に纏まっていない支離滅裂な計画で僕に挑んできた。
一方そんな千尋さんに落とされてしまった僕は、思考回路のいくつかが無意識に閉鎖されていた。
あの状態はよろしくない。
あんな無様な僕ではAクラスを目指すなんて夢のまた夢で、むしろDクラスの足を引っ張ってしまうだろう。あんまりにも酷い場合は
であれば結論はただ一つ。
僕はこの学校を卒業するまで、絶対に恋なんてしない。
極端な決断かもしれない。しかし今回の一件で、緒祈真釣は二週間もあれば簡単に落ちるちょろい男だということが判明した。判明してしまった。これくらいしないとダメだろう。
だから
浮かれ気分は、もう要らない。
「おはよう緒祈くんっ。あれ、なんだか浮かない表情だね?」
俯きながら登校している僕に声をかけてきたのは、我らがDクラスのアイドル、
「おはよう櫛田さん。あんまり眠れなくてね」
意外なことに彼女は一人だった。大人数で楽しく賑やかに登校しているイメージだったのだけれど、もしかすると友達が多すぎる所為でいつも一緒に行動するような特定の『友達』がいないのかもしれない。
それを可哀想だとも寂しそうだとも思わない。ただ僕の20倍くらい連絡先を知っていそうな彼女が、僕と同じように一人で登校しているというのは、これは中々に面白い現象だ。
ちなみに千尋さんは、今朝はロビーで待っていなかった。
「付き合っているなんて噂が出たら嫌でしょう?」という昨夜の僕の台詞をきちんと覚えていたようだ。あるいは、もっと単純な別の理由があるのかもしれない。
なんであれ久しぶりに一人での登校だ――と思ったところに櫛田さんである。彼女とは普段あまり話すことがないので、こういう時に出せる話題はクラスのことに限られる。
「目撃者は見つかった?」
「一応佐倉さんがそうみたいなんだけど……」
「難儀していると」
「うん」
そりゃまあそうだろうね。
「綾小路君から聞いたんだけど、緒祈くんは協力してくれないの?」
「うん、ごめんね。個人的な事情で少し忙しくてね」
「そうなんだね」
嘘ではない。
千尋さんに関してはほとんど終わったようなものだけれど、新たに始まった問題がある。いや、僕が知らなかっただけで、とっくに始まっていた問題だ。
「もし私に出来ることがあったら何でも言ってね?」
「……じゃあ、早速一つ聞いていいかな?」
「うんっ。なになに?」
「今年の一年生にとんでもない極悪人がいるって聞いたんだけど、何か知らない?」
「極悪人かあ……Cクラスの龍園くんはそんな風に言われてるみたいだけど、緒祈くんが求めているのは多分そうじゃないんだよね?」
「うん」
龍園君の噂なら友達が少ない僕にも届いている。だから知りたいのはそれとは別。昨日千尋さんが言っていた
「うーん、ごめん。ちょっと分かんないや。あとで他のクラスの子とか、先輩にも聞いてみようか?」
「いや、大丈夫だよ。知りたいことは知れたから」
「え? でも私は何も……」
Bクラスで二か月以上前から流れている噂を、友達百人の櫛田さんが知らない。それこそ僕が期待していた解答だ。
これで確信できた。僕のことを極悪人だと言ったあの噂は、
噂の発信源は推定できている。
何が目的かも推測できている。
まったく……根も葉もない噂でよくも僕の人間関係を掻き乱してくれやがりましたね。これはあなたに許された行為ではないはずですよ?
近いうちにお伺いします。
お話をしましょう、