どうにか実力至上主義の教室へ   作:祭灯キャロット

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第2.5巻
051-053 バスケと猫


 (051)

 

 

 

 『僕』って奴は、どうにもキャラが定まらないね。

 

 入学当初は人の名前を覚えるのが苦手だったり長い髪に今よりもっと興奮してたのに、最近はすっかり大人しくなっちゃって。あと前よりなんだか理屈っぽくなっちゃったよね。

 

 あはははは。

 理屈も理論も、『本来の僕』には意味がないのにさ。

 

 まあ仕方ないのかな。『僕』から()()と『アレ』を切り離すときに、かなり強引な記憶の改竄をしちゃったからね。性格に影響が出るのは避けられないよね。

 あーあ。あの切り離しが完璧だったら、今頃もっと普通の高校生として過ごせていただろうに……。ボクを忘れている状態で『アレ』だけは刻々と息を吹き返しているんだから、ほんと、涙が出るほどに不遇だね。可哀想に。

 

 でも、その割には『僕』って結構上手いことやってるよね。『アレ』がまだ完全復活していないとはいえ、うん、えらいえらい。やっぱり身体能力以外は基本的にハイスペックだね。

 

 念願だった一般的な学校生活を満喫して。

 待望のちゃんとした友達にも恵まれて。

 

 幸せ者だね。果報者だね。

 

 でも『僕』には『アレ』があるんだから、このままじゃあいけない。今の平穏でなくとも平和な日常を維持したいのなら、早くボクのことを思い出すんだ。

 

 理論を越えた、手に負えない何かが起きる前にね。

 

 

 

 051

 

 

 

 怒涛のイベントラッシュだった7月上旬を、僕はなんとか乗り切った。

 しかし悲しいかな綾小路(あやのこうじ)君に貸しを一つ作ったことと佐倉(さくら)さんの連絡先をゲットしたこと以外には、これと言って得られたものは無かった。むしろ莫大な負債を抱えてしまった。

 

 あと3週間もすれば夏休みだ。

 何があるか分からない夏休みだ。

 できればそれまでに全てのマイナスを清算して、フラットな状態に戻しておきたい。

 

 さてどこから手を付けたものか。やっぱり時間のかかるものから始めるべきかな。

 そんなことを考えていた僕のもとに、一通のメールが届いた。携帯の画面には堀北(ほりきた)鈴音(すずね)と表示されている。

 

『あなたが抱える問題が解決したのなら、早急に須藤(すどう)君のテスト対策を始めなさい。彼のことはあなたに任せたわ』

 

 そういえばそんな約束もしていたなあ。

 僕としては何人かで集まった中で教師役をしてあげるって意味で『勉強会に協力する』って言ったんだけど、まさか一番厄介な須藤君単品を任されるとは。

 何が厄介って、彼とは中間テスト前の勉強会以来まともに話してないんだよね。つるむのが面倒だからって突き放したんだけど、こんな展開をあの時点で予想できるわけないじゃん?

 

 はぁ……文句を言っても仕方ないか。

 須藤君には優れた身体能力がある。折角中間テストで助けてやったんだから、消える前に一回くらいは役に立ってもらわないと。

 とはいえ彼の脳みそレベルを考えると――

 

「時間が無いな」

 

 期末テストまであと2週間もない。

 まずは今の須藤君がどれだけ出来るのかを知りたいので、簡単な実力チェックテストを作るとしよう。

 ……いや、それで下手に良い点とって油断されても困るな。彼に『このままじゃヤバい』と危機感を持たせる難しさで、かつ『こんなの無理だ』という諦念までは持たせない易しさで問題を作らなくてはならない。

 

 問題数が多すぎるとやる気を失くすだろうし、各教科4問ずつの計20問にしておくか。4問の内訳は――

 

 絶対に解ける問題。

 解けるかもしれない問題。

 解けそうで解けない問題。

 絶対に解けない問題。

 

 これで4~8点、百点満点換算で20~40点取れるはずだ。前回引っ掛かった英語の赤点ラインが40点だったから――前回?

 

 ……あっ。

 

 そういえば期末テストは中間テストより科目数が増えるんだった。8科目やるんだった。

 なるほどね。だから堀北さんは一番危ない須藤君だけ隔離して、僕にマンツーマンでやらせるわけか。わーお、信用されてるぅ。

 

 勉強のスイッチがまだ入っていないであろう須藤君にいきなり32問は多いかな。各科目3問ずつの計24問で9点前後取らせるか。

 

 とりあえず堀北さんに返信しておこう。

 

『やるだけやるけど、テスト範囲が変更されたら無理』

 

 授業態度は改善されているから、須藤君の地力という点では前回のテストほど厳しくはないはずだ。

 しかし今回は間違いなく過去問が使えない。毎度毎度それでどうにかなるなんて、そんな甘い話あるわけがない。そして点数をポイントで買うのも難しくなるはずだ。買えるとしても、1点が変わらず10万ポイントである可能性は低い。

 そう考えると前回より難易度が数段上がっている。厳しい戦いになるだろう。

 

 ……須藤君のスケジュールが知りたいな。

 以前登録していたはずの彼のメールアドレスを探す。2か月近く放置したままで、メモリの中で埃をかぶっているはずだ。あー、あったあった。

 

 どんな文面が良いだろうかと考えていると、堀北さんからの返信が来た。

 

『やるだけやる、では許さないわ。確実に結果を出しなさい』

 

 おやおや手厳しいね。

 テスト範囲の変更について触れていないのは、あり得ないと予想しているからだろう。まあ、僕だって本気であるとは思っていない。

 

 んん? もう一通来たぞ?

 これも堀北さんからだ。

 

『もし須藤君に全科目で50点以上取らせることができたら、ご褒美に私の神を5秒間だけ触らせてあげるわ』

 

 えっと……私の髪、だよね?

 守護霊も怪しい宗教も関係ないよね?

 ミスなのか狙ってなのか分からないぞっ。

 

 しばらく待ってみたけれど三通目は来なかった。どうやら僕のターンのようだ。

 

『神は髪の誤変換? あと、須藤君には僕が勉強を見るってこと伝えてる?』

 

 すぐに返信が来た。

 

『髪に決まっているでしょう? 分かりきっていることをいちいち聞かないで。それから須藤君には何も伝えていないから、緒祈(おいのり)くんが自分でやってちょうだい』

 

 なんでちょっと怒ってるのよ。しかもあの孤独少女、やっぱり須藤君には何も言ってなかった。面倒くさいなあ……。

 

 髪に関しては綾小路君の入れ知恵かな。

 堀北鈴音のあの黒髪を餌にすれば緒祈(おいのり)真釣(まつり)は簡単にやる気になるとか、そんな風に考えているんだろう?

 あはは。悪いね綾小路君、堀北さん。僕はそういうのは少し前に卒業したんだよ。

 

 でもまあ、須藤君に退学してほしくないという気持ちは一緒だし? やることは変わらないし? それで堀北さんの髪に触らせてもらえるのであれば、まあ、ね? ちょっと頑張っちゃおっかなー、みたいな?

 

「まったくもう……しょうがないなあ」

 

 今回だけ、特別なんだからねっ!

 

 

 

 052

 

 

 

 7月13日、土曜日。

 期末テストまであと12日。

 

 部活終わりの須藤君を僕の部屋に招聘した。

 実力チェックテストをしてもらいたいんだけど、予想通り彼はぶつくさと不満を溢す。

 

「誰かに教えてもらわねえとヤバいのは俺だって自覚してるけどよお、なんで緒祈なんでよ」

「言ったでしょ? 堀北さんに頼まれたんだよ」

「だーかーらー! なんで堀北はお前に頼ったんだよ!」

 

 そういえば彼は堀北さんに惚れてるんだった。

 堀北さんに勉強を見てもらえないという不満なのか、それとも堀北さんが僕を頼ったことへの嫉妬なのか。どちらにせよそれなりに本気で好きらしい。

 

 ではその気持ちを利用させてもらおう。

 

「須藤君から見て、堀北さんってどんな人?」

「……可愛くねえ女」

「そうだね。負けず嫌いでプライドの高い人だよね」

 

 期待していた回答とは少しズレていたので強引に話を進める。

 

「あ? まあ、そうだな」

「そんな堀北さんが、基本的に他人を頼ろうとしない堀北さんが、Dクラスで一番赤点の危険性があってそもそもなんで入学できたのかも謎で夏休みを待たずして退学する可能性大な崖っぷちも崖っぷちの君のことを他人()に任せた」

「……棘が多くないか?」

「これがどういうことか分かるかい? 堀北さんは自分のプライドを捨ててでも、君に退学してほしくないと思っているんだよ」

「っ! そうなのか!?」

「そうだよ。テストの点数は僕の方が堀北さんより上でね。それで勝手に対抗心を燃やされているんだけど、そんな彼女がまさかこうして僕を頼ってくるとは。正直予想外だったよ」

「あいつ……へへっ。可愛いところあるじゃねえか」

 

 実際にはテストの点数に言うほどの差はないし、僕に対抗心を燃やしてもいないと思う。プライド云々も関係なくて、単純に僕に面倒事を押し付けただけだろう。

 ただ今回は須藤君にやる気を出してもらうために、彼女のキャラを改変させていただく。

 

 我ながらかなり雑な理論だけど、須藤君が相手なら通じるだろう。

 

「期末テストで良い点を取れば、きっと褒めてくれるだろうね」

「よっしゃ! 堀北の為にも頑張るか!」

 

 多分褒めてはくれない。「それくらい出来て当然よ」とか言いそうだ。

 教師役の僕のことは褒めてくれるかも?

 

「まずはこの簡単なテストからお願いね」

「いきなりテストかよ」

「今の君の実力を知りたい。たったの24問だ」

「めんどくせえ……」

「堀北さんの喜ぶ顔が見たいだろう?」

「……しゃーねーなー。やってやんよ!」

 

 扱いやすくて大変結構。

 まあ、扱いやすいからこそCクラスの罠に嵌って暴力事件なんか起こしたんだけどね。

 

 須藤君が机に向かって唸っている間、僕は昨日送ってもらった彼の今月のスケジュールを見る。来週の木曜日からはテスト一週間前ということで部活は無いけれど、それまでは放課後も土日もびっしりだ。

 うーん……。

 

 テスト自体の難易度はどうなるんだろう? 赤点のボーダーラインはクラスの平均点で決まるから、そこまで気にしなくてもいいのかな?

 

「終わったぞ」

「お疲れさま。早かったね」

「簡単だったからな!」

「へえ……」

 

 解答用紙を受け取り、頭の中でマルバツを付けていく。

 

 結果は24問中10問正解。

 なぜこれで「簡単だった」と言えるのか分からないけど、とりあえず百点満点換算で40点を超えている。

 

「意外とやるじゃん。これなら何とかなりそうだ」

「おお! マジか!」

「調子に乗るな。英語はゴミだ」

「そんな言い方しなくてもいいだろ……」

 

 絶対に解けるとだろうと思った問題が、英語だけ不正解だった。まさか適切なbe動詞を選ぶことも出来ないとは。先が思いやられる。

 

「日本で生活してたら英語なんかできなくても困んねえし」

 

 現在進行形で困ってるはずなんだけどね。

 というか須藤君の場合――

 

「将来の夢はプロのバスケットボール選手だって聞いたけど」

「ああ、そうだな」

「海外でプレーしたいとは思わないの?」

「そりゃ思うけど……」

「じゃあ英語できなきゃダメじゃん」

「そうは言ってもよお……」

 

 ピコーン!

 ある作戦が唐突に頭に浮かんだ。

 これが使えるものなのか、ちょっと試してみよう。

 

「須藤君さあ、『バスケットボール』は英語で書けるの?」

「あたりめえだろ!」

 

 彼は問題用紙の余白に迷うことなくペンを走らせ、正しい綴りでbasketballと記した。ふむふむ。段階踏むのも面倒だし、一足飛びにメインの確認をしよう。

 僕はその問題用紙を裏返して、英文を6つとその横に和訳を書く。半分は普通の文章で、もう半分はバスケを絡めた文章だ。

 

「はいこれ」

「なんだよ」

「3分で覚えて」

「はあ!?」

「よーい、はじめっ」

 

 もしかしたら須藤君には秘められた学習能力があって、もしかしたら彼の大好きなバスケがそれを呼び起こすかも――という突飛な仮説の検証だ。別に期待はしちゃいない。もしそうだったら面白いなあってレベルだ。

 

「はい終わり」

「あ、おい!」

 

 時間になったので紙を取り上げる。

 すぐに確認のテストをしてもつまらないので、適当に話をする。

 

「毎日勉強会をするのも面倒でしょ? 僕が『これ全部覚えれば百パー赤点回避できるテキスト』を作るからさあ、基本的にはそれで空いた時間に自習してね」

「お、おい、さっき覚えた英語はなんだったんだ?」

「テキストは明日、君の部活が終わるまでに下の郵便受けに入れておくよ。で、須藤君の部屋は何号室だっけ?」

「403だけど」

「綾小路君の2つ隣か。了解」

「なあ、さっきの英語は――」

「じゃあやろうか」

 

 英文と和訳が書かれた紙を縦に裂き、和訳だけの方を渡す。

 

「はいどうぞ」

「クソッ……変な話するから忘れちまったじゃねえか」

 

 変な話はしていない。必要な話だ。

 悪態をつきながらも須藤君はペンを走らせる。それを後ろから覗いてみると……おいおいマジかよ。

 

「だめだ! これ以上は分かんねえ」

 

 冗談半分でやってみた検証なんだけど、結果はまさかの半分正解。彼はバスケが絡んでいる文章だけは見事に正答してみせた。どんな脳みそしてるんだか。

 

 なにはともあれこれで光明が見えた。

 堀北さんへの気持ちを利用することでやる気を出させて、バスケ愛を刺激することで脳の回転を上げる。須藤君にしか使えない勉強法だけど、今回僕が見るのは須藤君だけだ。

 意外と楽勝……?

 

「よし。バスケの要素をふんだんに盛り込んで対策テキスト作るから、サボらずにちゃんとやってね」

「おお! バスケが絡んでるなら出来そうだぜ!」

「不明な点があればメールでも電話でも直接聞きに来るでもいいから、疑問を放置しないように」

「おう! ……緒祈のことだからもっと厳しいかと思ってたんだが、意外と緩いんだな」

 

 そりゃ僕だって楽をしたいからね。

 

「部活が休みになる18日に模擬テストをやってもらう。もしそこで成績が振るわなかったらそれ以降はスパルタでいくから、頑張ってね」

「おういいぜ。やってやろうじゃねえか」

「あんまりにも酷かったら『須藤君は切り捨てよう』って堀北さんに提言するから、頑張ってね」

「お、おう……やっぱり怖い奴だな、緒祈は」

 

 こうして最後に危機感と緊張感をしっかり与えて、勉強会の初回は終了した。須藤君のポテンシャルを発見することができたし、大成功と言っていいだろう。

 

 この好調がずっと続いてほしいんだけど……僕に限ってそれはないかな。

 

 

 

 053

 

 

 

 須藤君専用の『バスケで覚える期末テスト対策帳』は、英語だけでなく全科目作るつもりだ。実力チェックで出来の良かった3科目(数学、物理、現代文)も偶々(たまたま)解けただけという可能性があるし、念のため手を打っておく。

 本格的な勉強会というか個別指導は、来週の木曜からが本番になる。それまでに須藤君が基礎的な部分をしっかりやってくれれば、全科目50点以上も難しくはない。

 堀北さんの髪にも触れるはずだ。

 

 須藤君が帰った後、1時間ほど机に向かって例文や例題を考えた。しかし日本史や世界史をどうバスケと融合させたものか……完全に行き詰ってしまった。

 堀北さんを題材にしても同じ効果が得られるかもしれないけど、バレたら髪の約束が破棄されそうなのでやめておく。

 

 気分転換に外でも歩こう。

 陽が沈むまで、あと30分くらいかな。

 

 ジーパンにポロシャツという面白味のない格好で寮を出る。

 この学校の敷地内は散々散策し尽くした。頭の中に航空写真かってくらい正確な地図を描き、どの道を行こうか考える。今日はちょっと人の少ないエリアに足を伸ばそうかな。

 

 ショッピングエリアは週末ということもあって多くの生徒で賑わっているだろうけれど、僕はそちらに背を向けて歩く。

 

 人のいない夕暮れの並木道。

 カップルがデートの最後に来て、良い感じのムードになってキスでもしそうなロケーションだ。彼女がいたことないから知らないけど。

 

 彼女といえば、僕と帆波(ほなみ)さんをくっ付けたがっている千尋(ちひろ)さんのことが思い出される。休日なんだからデートでもして来いとか言われるかと思ってたんだけど、そんなこともなかったな。

 

 帆波さんは生徒会に入ったって言ってたし、そっちが忙しかったりするのかな?

 

 ……いや別にデートしたかったのに残念だなあとか、そんなんじゃないからね?

 かと言ってデートするのが嫌ってわけでもないからね? デートって言うと千尋さんの思惑通りみたいな気がしてちょっと癪だけど、帆波さんと二人で出かけることに抵抗があるわけではないからね?

 

「僕は一体誰に言い訳してるんだか……」

 

 変な生き物を発見した、みたいな顔で白い野良猫がこちらを見ている。

 

 「みゃ~お」と鳴き真似をしてみたけれど、その子は鳴き返すこともなくぷいっと顔を背けて歩き出す。

 これも何かの縁だろうと僕はそれに付いて行く。右折する予定だった丁字路を猫に従って左折する。この先には一つ曲がり角があってその向こうは行き止まりなんだけど、まあいいや。行くだけ行ってみよう。

 

 電気関連の施設があったよなあと思いながら角を曲がると、そこには猫が2匹いた。僕をここまで導いた白色の野良猫と、ベンチの上の鴇色の猫。どちらもこちらにお尻を向けている。

 

 鴇色の……猫?

 

 いや違う。あれは猫のポーズをした佐倉(さくら)さんだ。こんな所で何をしているんだろう?

 後ろから近付く僕に、彼女は全く気付いていない。

 

「こんばんは佐倉さん」

「うえっ!? お、おおお、緒祈くん!?」

 

 佐倉さんはびくっ!と背筋を伸ばして、ぎゅいん!とこちらを振り返る。そして勢い余ってベンチから「わわあっ!」と落ちてしまった。猫のような綺麗な着地はできなかった。

 

「いたた……」

「大丈夫? ごめんね、驚かせちゃって」

「う、ううん、大丈夫。えっと……緒祈くんはどうしてここに?」

「猫に連れられてね」

「猫?」

「うん」

 

 周囲を見渡すと、僕をここまで導いた白い野良猫はいなくなっていた。この学校があの子のテリトリーなら、また会うこともあるだろう。

 

「佐倉さんはどうしてここに? まあ、それを見ればなんとなく分かるけど」

 

 ベンチの向こう側の手すりには、デジタルカメラがこちらにレンズを向けて置かれていた。つまり彼女はあのレンズに向かってポーズをとっていたわけで、要するに自撮りをしていたのだ。

 そういえば須藤君騒動の目撃者になったのも、自撮りをしようと人のいない特別棟に行っていたからだったなあ。

 

「うぅ、恥ずかしい……」

「夕焼けをバックにベンチの上で猫みたいなポーズで自撮りしてたんだよね」

「なんではっきり言うの!?」

「折角だし僕が撮ってあげようか? と言ってもカメラの心得は全然ないんだけど」

「いやいや! 大丈夫だから!」

 

 佐倉さんは僕の提案を激しく却下して、デジカメをそそくさとポケットにしまった。

 

「じゃ、じゃあ、私帰るから!」

「まあまあ、そう慌てなさんな。僕もそろそろ寮に戻るつもりだったし、一緒に行こうよ」

「……うん」

 

 ちょっと迷ったみたいだけど、隣を歩くことを許可してくれた。

 

 佐倉さんとはストーカー事件の際に繋がりがあったけど、あれはほとんど僕が一方的に監視していただけで、実は話したことはほとんどない。それなのに彼女の敬語が取れているのは、多分綾小路君の存在が何か良い感じに作用したからだろう。

 ……我ながら適当だなあ。

 

「あれから変なことは起きてない?」

「うん。大丈夫だよ」

「そう。それは良かった」

「改めてありがとね、あの時助けてくれて」

「いえいえ。どういたしまして」

 

 お礼なら綾小路君にというくだりは前回やっているので、今回は素直に受け取っておく。

 

 ちなみに僕は佐倉さんの連絡先を知らないという設定だったけど、あの後本人から教えてもらう機会があり、正式に佐倉さんと連絡先の交換ができた。

 位置情報サービスには苦痛な記憶しかないのであれ以来使っていない。佐倉さんにも、他の人にも。

 

「余計なお世話かもしれないけど、ああいう逃げ場も人目もない場所で一人になるのは危ないよ。いくらストーカー男が捕まったとはいえ、いくら学校の敷地内とはいえ、ね」

「そうだよね……。分かってるんだけど……今日は夕暮れが綺麗だったから、どうしても撮りたくて……」

「なるほど。それなら仕方ないね」

 

 いや全然仕方なくないんだけど、夕陽に照らされていつもより赤みを増している佐倉さんの綺麗な髪に見惚れて、ついつい許してしまった。

 その後はテストの話とか綾小路君の話をしながら歩いた。アイドル時代の話にも興味があったんだけど、本人が恥ずかしがったので聞けなかった。

 

 話題が尽きてきた頃、太陽はもうほとんど見えなかった。

 刻々と外壁から(だいだい)が失われていく寮の前で、知っている顔に遭遇した。

 

「「あっ」」

 

 制服姿の千尋さんだった。

 土曜日なのに学校に行っていたらしい。部活かな? 美術部って週末も活動してるのかな?

 

「……?」

 

 あ、佐倉さんは面識なかったよね。

 じゃあお互いを紹介しようかなと思ったところで、僕より先に千尋さんが口を開いた。

 

「誰よその女」

「なんだそのキャラ」

「え、えっと……緒祈くんの、彼女さん?」

「友達だよ。Bクラスの白波(しらなみ)千尋さん」

「どうも白波千尋です。で、その女は誰なの?」

「ひいっ!」

 

 千尋さんが鋭い眼光で千尋さんを睨みつける。嫉妬深い彼女かよ。

 僕にはそれが演技だって分かるけど、佐倉さんとは初対面なんだから……。

 

「怖がらせるんじゃありません。こちらはDクラスの佐倉……佐倉……?」

「あ、愛里(あいり)です」

「佐倉愛里さんだ」

「ど、どうも」

「下の名前も知らないんだね……」

 

 呆れた視線を向けられてしまった。

 もちろん連絡先を知った時に下の名前も把握していたけど、千尋さんの今のキャラ的には知らない振りをした方がいいかなーと。

 

「ただのクラスメイト?」

「そうだよ。偶然会ってね」

「なるほどね。ならいいや」

 

 ようやくいつもの柔らかい視線に戻った。

 

 さっきまでの千尋さんは一から十まで完全に演技だったわけでもなくて、僕が帆波さん以外の女の子と仲良さげにしているのが本当に気に食わなかったのだろう。多分。知らんけど。

 一緒に歩いている程度で一々噛み付かれても困るけど、さっきのキャラは中々面白かったし……やめろと言うほどでもないかな。

 

 しかしどうしたものだろう?

 このまま寮に入ってエレベーターに3人で乗ると、僕は3階ですぐ降りるので、その後女子2人が残される。人見知りの佐倉さんにはキツいだよね。

 いや、ついさっきまで自分のことを睨んでいた相手と二人きりになるのは、人見知りでなくとも気まずいか。

 

 よし、ちょいと僕が気を遣ってあげよう。

 ロビーに入ったところで、佐倉さんに声をかける。

 

「ごめん佐倉さん、僕はちょっと千尋さんに話があるから」

「う、うん、分かった。じゃあ……またね」

「またねー」

 

 といった具合に別れを告げ、佐倉さんだけ先に一人で行ってもらった。

 残った千尋さんが首を傾げてこちらを見る。

 

「私に話って?」

「え? あー……台詞だけならまだしも、睨むのはやり過ぎだよ」

「……ごめん。ちょっと嫌なことがあって、八つ当たりしちゃった」

「嫌なこと?」

 

 僕が想像しているのとは別の何かがある様子だ。

 上三角を押して、8階にいたもう一基のエレベーターを呼ぶ。

 

「友達にお金貸してるんだけど、中々返してくれなくて」

「それは酷い話だねえ……ってそれ僕じゃん!」

「ふふふ。冗談だよ」

 

 ある時払いの催促なしだったはずなんだけど、こうしてネタにはするらしい。

 ふーんだ。今月中には返すもんねー。

 

「ところで真釣(まつり)くん、明日暇?」

「出掛ける用事はないけど暇ではないかな」

「そっかそっか」

 

 到着した箱に乗り込み、3と14のボタンを押す。

 

「相談したいことが出来るかもしれないから、午前中は部屋に居てほしいの」

「ふーん? 了解」

 

 出来るかもしれないとは、変わった言い方だな。

 問題未満の何かが既に起きているのか。それとも問題は既に起きていて、自力での解決が怪しい状況なのか。あるいは先程言っていた『嫌なこと』が関係しているのか。

 

「じゃあ、また」

「うん。またねー」

 

 なんであれ良い予感はしないなあ……。

 

 

 

 

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