どうにか実力至上主義の教室へ   作:祭灯キャロット

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059-061 現実投与

 059

 

 

 

 夢を見た。

 とても不思議な夢だった。

 

 目を開けて、体を起こす。

 

「見慣れない部屋だ」

 

 ここは千尋さんの部屋か。

 あのまま自分の部屋に戻ったら僕の正体があっさりバレる可能性があったから――まあ別にそれでも構わないんだけど――こっちに逃げて来たんだった。

 それでどうしても眠くて、しばらくベッドに横になって、そのまま寝てしまったのか。

 

 カーテンの向こうは随分と明るいけれど、今は何時だろう? 下手したら遅刻かもなあ、なんて呑気な考えで携帯を確認する。

 

 

 14:09

 

 

 ……え?

 未読マークの並んだ受信ボックスや未確認マークの並んだ着信履歴を見るに、どうやらこの時刻に間違いはないらしい。

 

 なるほど。これが『手に負えない逆説(ウルトラロジカル)』か。

 

 寝るつもりはなかった。()()()()()寝た。

 昨日の夕方にしっかり寝ていた。()()()()()ぐっすり8時間も眠ってしまった。

 

「ははっ。そりゃあ手に負えないわけだ」

 

 今から急いでも間に合うのは7時間目だ。このまま休んじゃおっかなーと思ったけど、放課後学校でやりたいことがあるので行くことにする。

 

 その前にまずは片付けだ。小道具諸々をまとめていると机の上にメモを発見した。この部屋の真の住人、千尋さんが書いたものだ。

 

『おはよう寝坊助くん。君がこれを読んでいるという事は、今日は確実に遅刻だね』

 

 いや、メモなんか書いてないで起こしてよ。

 

『寝顔が可愛かったから写真に撮っておいたよ。後で送るね』

 

 いや、写真なんか撮ってないで起こしてよ。

 

『お疲れさま。ありがとね、私の為に頑張ってくれて』

 

 …………ったく、可愛い奴め。

 

 僕はそのメモの裏に『どういたしまして』とだけ書き置いて、自分の部屋に戻った。それから制服に着替えて、ぺらっぺらの鞄を持って寮を出る。

 

 基本的には毎日一人で登校している僕だけど、周囲に友人どころ他人さえ誰もいない通学路というのは初めてだった。授業中の敷地内ってこんな感じなのか。新鮮だな。

 

 7時間目が始まるまでまだ余裕がある。

 小腹が空いたしパンでも買おうかとコンビニに入ると、店員さんに滅茶苦茶驚かれた。幽霊を見たかのようなリアクションだった。彼の日常に細やかな刺激を与えられたようで嬉しく思う。

 

 70ポイントで購入したコーンパンを鞄に入れて、学校への道に戻る。このペースだと、ちょうど6時間目の終わり頃に着くかな。

 授業中の教室に突入するのは嫌なので、少しだけ歩くペースを落とす。

 

 その結果、狙い通り僕が校舎に足を踏み入れたタイミングでチャイムが鳴った。休み時間の喧騒がじわじわと、ざわざわと聞こえてくる。

 いよいよ1年D組の教室が近付いてきた。

 

 なるべく目立たないように自然体で、「え、遅刻? してませんけど?」みたいな表情で行こう。幸いにも既に扉は開いている。

 

 教室に入り、自分の席まで淀みなく移動し着席する。

 さて、次の授業の準備をしましょうかねえ――

 

「いやいや。なんで『え、遅刻? してませんけど?』みたいな顔してるんだよ」

「やあ足利尊氏君」

「オレは室町幕府の初代将軍じゃないぞ」

「ごめんね。人の名前を覚えるの苦手でさ」

「せめて学校が何時に始まるかは覚えておこうな……で、何があったんだ?」

「寝坊した」

「……7時間も?」

「自分でも驚いてる」

 

 急げばギリギリ間に合うレベルの寝坊だったら焦りもしただろうけど、今回は目が覚めた時点でもうどうしようもなかったので、本当にただ驚いただけだった。

 

 呆れた様子の綾小路君の後ろから、今度は堀北さんが現れた。性格のキツイ彼女のことだから、きっと毒のある嫌味ったらしい言葉を吐いて――

 

「このままあなたに須藤君を任せて大丈夫かしら?」

 

 至極当然の懸念だった。ごめんなさい。

 

「今日の寝坊は事故みたいなものだよ。大丈夫、須藤君の面倒はちゃんと見るから」

「進捗はどうなの? 赤点は回避出来そう?」

「彼が真面目に自主学習してくれていれば……」

「自主学習!?」

「須藤がそんなことするか?」

 

 それは正直微妙なところだ。ただ堀北さんに詰られるのも嫌なので、強気に答えておく。

 

「おいおい僕の生徒を舐めて貰っちゃあ困るよ? 全科目50点越えだって難しいとは思わない」

「……そんなに私の髪に触りたいのね」

「もちろん!」

「変わった性癖ね」

「綾小路君ほどじゃないよ」

「え?」

「は?」

「初めて聞いた時は驚いたよ。まさかこの世に『好きな女子の眼球を舐めたい』なんて性癖があったとはね」

 

 産地直送、純度100パーセントの作り話に、堀北さんも乗ってきた。

 

「――っ! 身の毛がよだつとはこのことね……」

「ちょっと待て! オレにそんな特殊な性癖はない!」

「衛生的に良くないと思うから、妄想だけに留めておくんだよ?」

「妄想だけでもしてほしくないわね」

「おい堀北、まさか緒祈の妄言を本気で信じてるわけじゃないよな?」

「半信半疑と言ったところね」

「半分信じてるのかよ!」

 

 僕は「あはは」と笑って、堀北さんは「ふふふ」と笑って、綾小路君は「やれやれ」と呆れていた。

 

 なんと下らない、他愛ない会話だろうか。

 

 あんな夢を見ても変わらず続く日常に、少しだけ安心している僕がいた。

 

 

 

 060

 

 

 

 放課後。授業はひとコマしか受けてないけど、もう放課後。

 僕は部活棟のとある一室を訪ねた。3階の一番奥、盤上競技部の部室だ。

 

 盤上競技部はその名の通り、チェス、囲碁、将棋、オセロといったボードゲーム全般を行う部活動だ。知り合いがいるわけじゃないけれど、今日はここに用があった。

 

「失礼します」

 

 部屋は教室3つ分くらいの広さがあって、中には男子が2人と女子が3人、それから男性の顧問が1人いた。空いている椅子やテーブルが多いのは、テストが近い所為だろうか?

 僕の姿を確認して声をかけてきたのは、先生とチェスの対局中だった女子生徒だ。

 

「見ない顔だね。どちら様かな?」

「1年Dクラスの緒祈真釣です」

「入部希望?」

「いえ。ここの部長さんと、プライベートポイントを賭けた勝負をしたくて来ました」

 

 室内の空気が変わる。僕を歓迎するような空気ではない。うーん、やっぱり言い方が直接的過ぎたかな?

 

「私が部長の田瀬(たぜ)だよ。ポイントを賭けてというのは、どういう意味かな?」

「そのままの意味です。手っ取り早くポイントを稼ぎたくて、これが一番楽な方法かなあって」

 

 ポイントは欲しいけど人に売れるようなものは持っていない。となると何かしらの勝負で稼ぐしかないんだけど、僕が戦えそうなのは頭脳戦だけだ。というわけでここに来た。

 

「おやおや、随分と舐めたことを言ってくれるねえ。具体的には何ポイント賭けるつもりかな?」

「負けた方が勝った方に1万ポイントで」

「ふうん。道場破りみたいなことしに来たわりには少額だね」

「Dクラスの僕には手持ちがないもので。あ、あともし引き分けだった場合は10万ポイントください」

「突拍子もない条件をさらっと入れてきたね……」

 

 自分が引き分けという結果を引き寄せやすい人間であることは、夢の中で『ボク』の話を聞く前から分かっていた。だからこんな条件を出した。

 

 ちなみに田瀬先輩は僕と話しながらも、先生との対局の手は止めていない。盤を覗き込んでみると、先輩が圧倒的に優勢だった。

 

「種目は?」

「田瀬先輩が一番得意なもので」

「ふーん。じゃあオセロってことになるけど、引き分けなんてまず無理だよ?」

「承知の上です」

 

 チェスじゃないのか。ちょっと意外だけど、別に困りはしない。

 

「自分で言うのもなんだけど、私は学生に限れば全国で5本の指に入る強者だよ? それも承知の上?」

「想定の内です」

「あはは。いいよ、やってあげる」

「ありがとうございます」

 

 意外とあっさり勝負に乗ってくれた。門前払いされる可能性も考えていたけど、そこまで排他的でもなかったようだ。

 

「でも今は御覧の通り部活中だからさ、部外者の君とやるならそれなりの名目が必要になるんだけど」

「田瀬先輩が勝ったら僕が盤上競技部に入る、でどうでしょう? 入部試験を兼ねている(てい)であれば問題ないのでは?」

「おっけー、それでいこうか。こっちも丁度終わるし。チェックメイトです、先生」

「うむ。参った!」

 

 僕は先生が座っていた席に座る。

 田瀬先輩は無駄のない慣れた手つきでチェス盤を片付け、オセロの準備を整えた。

 

「持ち時間はどうする?」

「10分くらいですかね」

 

 元々は持ち時間3分の早打ち対決に持ち込んで相手の実力を出させない作戦だったんだけど、『ボク』の話を聞いてこっちに変えてみた。

 

「先手後手は?」

「先輩はどちらが得意ですか?」

「うーん、どっちかっていうと後手かな」

「じゃあ僕が先手で」

「……自信がすごいね」

 

 さて、自分の中のスイッチとやらを入れないといけないんだけど、よく分からないな。ヒーローの必殺技よろしく口に出してみるか。

 

手に負えない逆説(ウルトラロジカル)

 

 

 ゾクゾクゾク――!

 

 

 小さく呟くと同時に、何かが脊椎を駆け抜けた。知らないはずなのに、なぜか懐かしく感じる。心地好くもあり、不快でもある。不思議な感覚だ。

 

「……へえ。雰囲気が変わったね」

「そうかもです。じゃあ、始めましょうか」

「「よろしくお願いします」」

 

 田瀬先輩が対局時計の自身のボタンを押すことで、僕の持ち時間がカウントダウンを始める。ゲーム開始だ。

 

 石を打つ音、石を返す音、ボタンを押す音。

 序盤はテンポよくセオリー通りの展開だ。

 

 黒9枚、白7枚。

 ちなみにオセロは先手が黒で、後手が白を使う。僕が黒で、先輩が白だ。

 

 そろそろ仕掛けようかな。

 

「……ふうん?」

 

 奇抜と言うほどでもないけど定石を外れた僕の手に、田瀬先輩は少し考え込む。

 その隙にもう一つ仕掛ける。褒められた行為ではないけれど、僕は先輩に話しかけた。

 

「ところで田瀬先輩、一つお聞きしたいのですが」

「何かな?」

「一年生の頃、夏休みに何かありました?」

 

 打つ音、返す音、押す音。

 先輩は自分の手番を終えてから僕の質問に答えた。

 

「何もなかったよ」

 

 僕は自分の手番を素早く終えて、会話を繋げる。

 

「へえ。やっぱり何かあったんですね」

「……」

「学校に口止めされるような何かが、おそらくクラスポイントが大きく動く何かがあるんですね」

「……ははーん。オセロの勝敗はどうでも良くて、本命はそれを探ることかあ」

「いえいえ。どちらも本命ですよ。浮気ではなく二股です」

「あはは。その(たと)えは最低だね」

 

 黒9枚、白15枚。

 

 『手に負えない逆説(ウルトラロジカル)』がどの程度使えるのか分からないから、一応本気で勝ちを狙っている。

 改めて考えるとチェスや将棋ならまだしも、オセロで引き分けって難易度高すぎでしょ。しかも相手は格上で、持ち時間が厳しいわけでもない。成功率どころか勝率さえもほぼ0だ。

 

 あるいは、()()()()()引き分けるのだろうか。

 

 勝負は中盤戦に入り、一手にかかる時間がお互い長くなってきた。持ち時間は先手の僕が残り5分少々で、後手の田瀬先輩は5分を切った。

 

 打って、返して、押して、考えて。

 それを繰り返して繰り返して、盤上を白が支配していく

 

「うーん、手強いなあ……」

 

 そう呟いたのは、現在枚数で上回っている先輩の方だ。

 素人目には先輩の優勢だけれど、オセロの勝敗は終局時の盤面で決まる。10枚以上リードされていようとも悲観することはない。というかむしろ、現状優勢なのは僕の方だ。

 

「まさか奇策も奇術もなしに、普通に追い込まれるとは」

 

 ごめんなさい、奇術めいたものは使ってます。

 

「ねえ。勝敗とか関係なく入部しない? 君なら全国でも戦えるよ。ポイントに困ってるならそっちで稼げばいいし。それにうちの部って週に三回、好きな日に来ればそれでいい緩い部活だからさ。時間の融通も利くよ」

「ありがたいお誘いですが遠慮させていただきます」

「そっかー。残念だなあ」

 

 空いているマスは残り4か所。

 僕が一つ埋めて、残り3か所。

 

 黒9枚、白52枚。

 持ち時間は黒21秒、白9秒。

 

 次の先輩の一手は――

 

「パス」

 

 石には触らずに対局時計のボタンを押す。

 お互い既にどう終わるかは見えている。時間が無いのですぐに打つ。

 

 黒16枚、白46枚。

 

「パス」

 

 こちらの石が無くなったので、先輩のものをもらって打つ。

 

 黒23枚、白40枚。

 

「パス」

 

 最後の一つも受け取り、打つ。

 全てのマスが埋まった。

 

 結果は黒32枚、白32枚――引き分けだ。

 

「「ありがとうございました」」

 

 互いに礼をする。

 僕は自分の中の『手に負えない逆説(ウルトラロジカル)』のスイッチが、自然に切れるのを感じた。

 

「いやー、負けた負けた」

「引き分けですよ」

「盤面を見ればそうだけどさ。ねえねえ、どの段階で終わりまで読めてたの?」

「読めてないですよ。僕は最初から最後まで、ずっと勝ちを目指して打っていました」

 

 それなのに――いや、()()()()()引き分けた。

 とんでもねえな、『手に負えない逆説(ウルトラロジカル)』。

 

「ま、約束は約束だからね。10万ポイントあげるよ」

「ありがとうございます」

 

 携帯を取り出して、田瀬先輩と連絡先を交換した。僕が先輩の連絡先を知る必要はないんだけど、折角なのでと教えてくれた。

 登録完了を確認するとすぐにポイントが振り込まれた。

 

「届いた?」

「ばっちりです」

 

 おお……入学初日以来3か月と十何日振りに所持ポイントが6桁に達した。

 

 感慨に震えている僕に、背の高い男子部員が声をかけてきた。

 

「お前面白いことするなあ。俺とも一局どうだ?」

「いいですけど……オセロですか?」

「いや、俺は将棋の方が得意なんだ」

「分かりました。ポイントは賭けます?」

「もちろん。今のでお前の懐も温まっただろう? さっきの倍でどうだ?」

「勝った方に2万、引き分けたら僕に20万ですか?」

「ああ」

「いいですよ」

 

 既に将棋盤が用意されていたテーブルに向かう。うーん、部内の注目を集めてしまってるなあ。ちょっと恥ずかしい。

 

「先手は譲ってやる」

「ありがとうございます。では」

 

 『手に負えない逆説(ウルトラロジカル)』――スイッチオン。

 二回目という事もあってか、口に出さずともできた。感覚は既に十全に掴めている。

 

「「よろしくお願いします」」

 

 ――30分後。

 

「持将棋ってやつですね」

「お前、本当にDクラスか?」

 

 僕の所持ポイントは30万を越えた。

 

 

 061

 

 

 

 想定以上の臨時収入を得た僕は寮に帰り、すぐに千尋さんと隆二君に借りていた分を返済した。

 それでもまだまだ余裕のある残高に口元が緩むけれど、いくらポイントがあっても解決できない問題を思い出して気が沈む。

 

 時間はたっぷりある。眠気はない。

 それじゃあ改めて考えよう。

 今朝の夢のことを。

 

 『ボク』ってやつは気が利かないよね。なんでああいう大事な話を夢の中で済ませちゃうかな。他に方法が無かったんだろうけどさあ……。

 

 まずはどうしようもない疾患のことから考えようか。

 

 『手に負えない逆説(ウルトラロジカル)』があるから色んなことが起きる――『ボク』の話を聞いた時はそう解釈していたけど、これは逆だね。

 起きてしまった色んなことを一言で説明するには『手に負えない逆説(ウルトラロジカル)』しかなかった――これが正解だろう。

 

 不可能以外は全部可能。

 起こり得ることは全て起こり得る。

 

 当り前と言えば当たり前なんだけど、()()()()()異質で異様で異色な人生になってしまった。我ながらよくまだ生きているものだ。

 

 で、今後も生きていくためには『(ひずみ)』のことを理解しないといけないわけだ。勝手に溜まって勝手に発散される諸悪の根源。

 意識的な発散はさっき実際にやってみて、その感覚は掴めた。スイッチのオンオフもできる。しかし自分に今どれだけの『歪』が溜まっているのかは分からない。オセロ一局でどれだけ『歪』が発散されたのかも分からない。そのセンサーは眠ったままだ。

 

 無意識の場合と意識的な場合では発散される『歪』の量は変わるのだろうか? 『歪』を発散し尽くしたらどうなるのだろうか? 溜まっている『歪』の量と『手に負えない逆説(ウルトラロジカル)』の発動にはどのような関係が?

 

 多分僕が今抱えている疑問は、昔の僕が検証しているはずだ。『ボク』は知っているはずだ。しかし『ボク』とは自由に会うことが出来ないので、自分の記憶から推測するしかない。

 

 僕の記憶……改竄された記憶。

 

 感情や思考以外はほとんど変わっていないらしいけど、そもそも記憶のメインはその感情や思考なんだよなあ。どうにかそれを排して、実際に起きた事実だけを思い返してみる。

 『手に負えない逆説(ウルトラロジカル)』が発動したと思われる出来事は枚挙に暇がないけれど、その内のどれが意識的なもので、どれが無意識のものなのか。

 

 ……自分の記憶をそのままに信じられないというのは中々に気分の悪いものだ。過去が揺らいでしまった所為で、その上に立っている今の自分もぐらぐらと不安定だ。

 

 僕はどこから来たのか。

 僕は何者なのか。

 僕はどこへ行くのか。

 

 どうして僕には『手に負えない逆説(ウルトラロジカル)』なんてものがあるのだろうと考えたとき、それらしい答えが一つ浮かんだ。

 

 多分僕は、本来この世界にいるはずのない人間なのだ。()()()()()この世界に生まれ落ちたんだ。

 

 だってこんなにも可笑しな存在だもの。

 

 きっと神様の手にも負えないの。

 

 僕は(ゆがみ)で、僕は(いびつ)

 

 正しく()くて、正され()い。

 

 生まれる世界を間違えた。

 

 それなのに、無様に生きている。

 

 ねえ、どうして生きているの?

 

 周囲を掻き乱すだけでしょう?

 

 それでも幸せになりたいの?

 

 とっても傲慢で強欲ね。

 

 しねばいいのに。

 

 

 

 

 

「真釣くん!」

 

 

 

 

 

 大きな声で名前を呼ばれて、肩を揺さぶられて、深くて暗いどこかに沈んでいた僕の意識は引き揚げられた。

 

「千尋さん……?」

「チャットしても既読が付かないし、電話しても出ないし、インターホン鳴らしても出てこないし、それで心配になって中に入ってみたら電気も点けずにベッドの上で(うずくま)ってるし……大丈夫?」

 

 いつの間にか外は真っ暗になっていた。部屋の電気は彼女が点けてくれたのかな。携帯を確認すると、着信がいくつもあった。

 

「ごめん。ちょっと考え事してた」

「ちょっとって感じではなかったけど……もしかして、龍園君に何かされた?」

「え? いや、彼は全然関係ない」

 

 千尋さんは心配そうに僕の顔を覗き込んでくる。僕はなるたけ明るく取り繕いたいのだけれど、それがどうにもうまく出来ない。

 僕と千尋さんの関係は『手に負えない逆説(ウルトラロジカル)』によって作り上げられた紛い物だと、そう聞かされてしまったから。夢の中では一旦納得しておいたけど、やっぱりそう簡単には受け入れられない。

 

「……何があったの?」

「ちょっとしたパラダイムシフトで絶賛アイデンティティクライシス中なんだよ」

「よく分かんないけど……悩みがあるなら相談に乗るよ?」

 

 相談、ね。

 『手に負えない逆説(ウルトラロジカル)』がなかったら相談に乗るほど仲良くなっていなかった相手に、一体何を相談しろって言うんだ? そんな風に優しくするのは、僕に『手に負えない逆説(ウルトラロジカル)』があるからだろう?

 

 ……あれ? 僕はともかく、ひょっとして千尋さんの心情には『手に負えない逆説(ウルトラロジカル)』は関係ないのか?

 分からない。そうだったところで結局どうしていいのか分からない。

 

「ねえ千尋さん」

「なにかな真釣くん」

「僕のこと、好き?」

「……」

「……」

 

 な、なにを……僕はなにをきいているんだ?

 頭おかしくなっちゃったかな?

 

「え、本当にどうしたの? 大丈夫?」

「ごめん。今のは忘れて」

「いやいや忘れられないよ――えいっ!」

「わふっ」

 

 千尋さんは僕に飛びついて来て、ハグをして、そのままベッドに押し倒した。

 僕は千尋さんに飛びつかれて、ハグされて、そのままベッドに押し倒された。

 

 ……何事?

 

「真釣くんが何に悩んでるのか知らないけどさあ」

 

 どうやらこの体勢で話を続けるらしい。

 

「考え過ぎじゃない?」

「……考えなきゃいけないことなんだよ」

「人より頭が回るのは真釣くんの強みだけど、回し過ぎて目までくらくら回ってない? 今の真釣くんは、らしくないよ」

「……僕らしさ? ははは。知ったような口を利いてくれるね」

 

 そんなもの、僕自身だって知らないのに。

 あるかどうかすら知らないのに。

 

「じゃあ言葉を変えるね。そうやって悩んで迷って塞ぎ込んで自分を見失っている姿は、真釣くんには似合わないよ」

「……似合う似合わないの話じゃないんだよ」

「もう……なんでそんなに鬱屈してるかなあ」

 

 千尋さんは僕の頭に手をやり、赤子を寝かしつけるようにぽんぽんと優しく撫でた。僕はそれに抵抗する気力も湧かず、されるがままになる。

 

「真釣くんがそれだけ悩んでるってことは、それはもうどれだけ考えても答えが出ない問題なんじゃないの?」

「それは、まあ……」

 

 確かに考えたからどうなるってものでもない。

 

「さっきアイデンティティクライシスとか言ってたけどさ、そうやって塞ぎ込むくらいなら何も考えずに好きに生きればいいと思うよ」

「でも……」

「もし何か起きたらその時はその時だよ。私も帆波ちゃんも力になるし。もっと気楽に生きなよ」

 

 ――ああ、そうか。

 

 『手に負えない逆説(ウルトラロジカル)』も改竄された過去も、僕が一人で勝手に悩んでいるだけなんだ。勝手に抱え込んでいるだけなんだ。

 僕さえ受け入れてしまえば、それで終わりの問題だ。

 

 というか『ボク』に色々と話を聞いたけれど……冷静に考えてみると『歪』の発散を意識する以外には、これと言ってこれまでの生活と変わりはないんだよな。

 記憶に関したってそうだ。僕がこの学校で関わっている人たちには僕の入学以前の話なんてどうでもいいんだし、そこの記憶に誤りがあったところで問題ないじゃないか。極論を言ってしまえば世界五分前仮説なんてものもあるんだし。

 

 ああ、そうか。

 悩むことなんて、何一つないんだ。

 

「千尋さん」

「なにかな真釣くん」

「ありがとう。霧が晴れたよ」

 

 『僕は本来この世界にいるはずのない人間』だったとしても、あははっ! だからなんだってんだ! 知ったことじゃないね!

 

 僕は今ここにいる。それが全てだ。

 

「吹っ切れたみたいだね。よしよし」

「千尋さんのお陰だよ。持つべきものは気が置けない親友だね」

「自分を見失った時はいつでも言ってね。またこうして抱き締めてあげるから」

 

 ……僕の現状をおさらいすると、ベッドの上で、千尋さんの腕の中で、頭を撫でられている。千尋さんごと体を起こそうとするも、その体力が僕にはなかった。

 

「落ち着いて考えると結構恥ずかしい状況なので、どいてもらえませんかね?」

「お断りします」

「えぇ……」

 

 断られてしまうと僕にはもう打つ手がないんですけど。

 

「真釣くんは意外と筋肉質ってこともなく、見た目通りの適度な柔らかさだね。でも抱き枕にしてはちょっと大きすぎるかな」

「そりゃあ僕は抱き枕じゃないからね」

「そういえばさっきの質問に答えてなかったね」

「質問?」

「好きだよ」

 

 ……あれか。「僕のこと、好き?」とかいう赤っ恥クエスチョンか。無意識にうっかり零れちゃったやつだから早急に忘れてほしいのに。

 

「好きだよ。友達としてね」

「分かってるよ」

「でも真釣くんがどうしてもって言うなら、キスくらいはしてあげる」

「……」

 

 超至近距離で目と目をばっちり合わせて、千尋さんは妖艶に微笑んだ。君、そんなキャラだったっけ……?

 

「千尋さん、マジで離れて」

「むぅ。素っ気ないなあ」

「そうじゃなくて、本当、危ないから」

「この体勢が?」

「僕の理性が」

「……ふふっ。分かったよ」

 

 僕の表情から冗談ではないことを読み取ってくれたようだ。千尋さんは僕に絡めていた腕を解いて体を起こし、僕の上から退いた。

 荷重が取り除かれたので、僕も続いて起き上がる。見慣れているはずの自分の部屋が、なんだか新鮮に映る。

 

「……あれ? どうやって入って来たの?」

「え? 鍵くれたじゃん。自分だけ一方的に貰うのは悪いからって」

 

 そうだっけ? よく覚えてないけど、持っているのが千尋さんなら問題ないか。

 

「鍵といえば、ピンポンダッシュの件はどうなったの? もう解決した?」

「んー、どうだろ? 大丈夫だとは思うんだけど、もう一日くらいは帆波さんの部屋に泊めてもらった方がいいかもしれないね」

「分かった。じゃあそうする」

 

 詳細は何も聞かないのね。

 信頼されているのか、それとも興味がないだけか。

 

「そういえば僕、龍園君に目を付けられたんだよね」

「ええっ!?」

「だから僕と仲良くしている千尋さんに、彼はまた何かちょっかいかけて来るかもしれない。その時は一人で対処しようとせず、どんな小さなことでも僕に相談してね」

「う、うん。分かった」

 

 僕本体には運動神経くらいしか弱点がないので、龍園君が仕掛けて来るなら僕の友人を狙うだろう。鬱陶しいことこの上ないね。

 

 綾小路君なら自力で対処出来るだろう。

 堀北さんや佐倉さんは……綾小路君が付いてるから問題ないはず。

 千尋さんには僕がいる。

 隆二君は自力でなんとか出来るかもしれないけど、一応僕を頼るよう言っておくかな。

 それから――

 

「ねえ真釣くん。それだと帆波ちゃんも危ないのかな?」

「帆波さんは元から龍園君の標的にされてる感じだから、僕の所為で何かが起こるってことはないと思うけど……」

「あっ!」

 

 大きな声を出した千尋さん。急にどうした。

 

「帆波ちゃんの誕生日知ってる?」

「7月20日。今度の土曜日でしょ?」

「そう! 都合よく週末だし、デートしてきなよ」

 

 もしかしたらとは考えていたけれど、まさか本当にそんな提案をしてくるとは。しかもこのタイミングで。龍園君の話からの流れで。

 

 デート自体は別にいいんだけど……

 

「テスト前最後の週末だよ? 勉強会とかあるんじゃないの?」

「大丈夫。上手いこと調整してもらうから」

「Bクラスのメンバーで誕生日会とかするんじゃないの?」

「大丈夫。それは夜だけだから」

「そもそも帆波さんの気持ちと都合はどうなの?」

「大丈夫。真釣くんが良いならって言ってたから」

「……そう」

 

 となると後は僕の問題か。

 僕のというか、須藤君の問題だ。

 

 『バスケで覚える期末テスト対策帳』を渡して以来、学校で顔を合わせる度に「やってるかい?」「やってるぞ」と確認はしている。でも大事なのは身に付いているかどうかだ。

 明後日やる確認テストで壊滅的な点数を取られた場合、教師役の僕が呑気にデートなんかに行っていいものか?

 

 うーん……まあいっか!

 その時は帆波さんとのデートではなく、須藤君の赤点回避を諦めよう。

 

「いいよ。君の思惑に乗ってあげる」

「ほんと!? もっと渋るかと思ってたけど……もしかして真釣くん、もう帆波さんに惚れちゃってる?」

「ことあるごとに君が推してくるからね。意識するなって方が無理な話でしょ」

「へえ! ……ふふふっ。クリスマスまでに付き合えばと期待してた、これは夏休み中も有り得るかも~?」

「どうだろうね」

 

 僕と帆波さんの関係がどうなるのかは分からないけれど、もし僕がこの学校で誰かと恋仲になるのなら、その相手は帆波さんだろう。

 ……万が一で千尋さんもあるのかな。

 

「そういえばプレゼントを買う用にまたポイントを貸すべきかと思ってたんだけど――ひょっとして要らない感じ?」

「うん。大丈夫」

「いやー、びっくりしたよ。ポイント支給日でもないのに、急に何万も返してくるんだもん。どうやって集めたの?」

「先輩に喧嘩売った」

「はあ!?」

「正確には勝負を挑んだ、かな。ポイントを賭けてオセロと将棋をやったんだよ」

「それで勝ったんだ!? さすがだねー」

 

 試合自体は引き分けなんだけど、賭けとしては僕の大勝ちだった。僕のと言うよりは『手に負えない逆説(ウルトラロジカル)』の……いや、それもまた僕の一部なのだから、やっぱり僕が勝ったでいいのか。

 

「だからプレゼントを買うのにも困らないよ」

「そっかそっか。真釣くんのことだから、どうせヘアアクセサリーとか買うつもりでしょ?」

「なんで分かったの!?」

「なんで分からないと思ったの!?」

 

 互いに驚いた顔を見せ合って、それがなんだか可笑しくて――

 

「「ふふっ、あははは!」」

 

 僕たちは声を重ねて笑った。

 

 

 

 

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