どうにか実力至上主義の教室へ   作:祭灯キャロット

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065-067 一学期の終わりに

 066

 

 

 

「お前たちに朗報だ」

 

 期末テストを翌々日に控えた本日の帰りのホームルームは、茶柱先生のそんな一言から始まった。しかしその意味深な笑みを見るに、持ってきたのが本当に朗報なのかは怪しいところだ。

 

「もうすぐ待ちに待った夏休みだが、明後日から始まる期末テストを無事乗り切った者には学校からご褒美がある」

「ご褒美?」

「まさか!」

「喜べ。豪華客船を貸し切って、2週間のバカンスだ」

「「「おおおおおお!」」」

 

 教室が震えるほどの歓声が響く。

 そういえばいつだったか、そんな話をしていたっけ。青い海に囲まれた島とかなんとか。あれ本当だったのね。

 

「最初の1週間は無人島のペンションで過ごしてもらう。存分に夏を満喫するといい。後半は客船内での宿泊だ。船の設備は1週間では足りないくらい充実していて、しかもそれらが全て無料で使えるぞ」

「「「おおおおおおお!」」」

 

 教室が罅割れんばかりの歓声が轟く。

 いやいや、なにを素直に喜んどるんだお前たち。こんなの絶対に何かあるだろ。

 ああ、嫌だなあ。辞退しちゃダメかなあ。

 

 豪華旅行とやらに関するプリントが前から回ってきたんだけど、2週間の内容がB5用紙一枚に収まってる時点でおかしくない?

 しかも、うーわっ、8月1日からかよ。

 

 その後、プリントに書かれていない詳細を先生が色々と補足していたけれど、そこに僕が素直に喜べるような情報はなかった。これはもう『絶対に何かありそう。()()()()()何もない』という逆説に賭けるしかないや。

 ……もし何の裏も無い純粋なご褒美だったとしても、僕のテンションが上がることはないけどね。無人島もクルージングも、僕にとっては嫌がらせだ。学校の敷地内でだらだら過ごしたい。

 

 いつもより長めのホームルームが終わった時、僕はきっとクラスで一番暗い人間だっただろう。深いため息を吐きながら校門を出たところで、綾小路君が音も無くぬるりと現れた。

 

「やあアルケオロジー君。一緒に帰る?」

「オレのどこに考古学の要素を見出したのかは分からんが、寮までちょっと話さないか?」

「考古学について?」

「先生が言っていた旅行についてだ」

「ああ、そっちね」

 

 現段階ではこれと言って話すことはないけれど、彼が話したいと言うなら付き合おう。

 

「ただの旅行じゃないことは緒祈も予感しているだろう?」

「まあね。何があるかは分かんないけど」

「以前一之瀬と話したんだが、おそらくクラスポイントが大きく動く何かだろうな」

「ふーん」

 

 普通はそんな話を他クラス相手にはしないと思うんだけど、帆波さんは帆波さんだからなあ……。まあ、その他クラスに期末テストの予想問題をプレゼントした僕の方が、自分で言うのもなんだけど、よっぽどお人好しか。

 

 そういえば須藤君騒動以来、BクラスとDクラスは同盟を結んでいるらしい。クラス間でというよりは、帆波さんと綾小路君・堀北さんでなのかな? 詳しくは知らないけど、なんであれ平和的な関係が一日でも長く続くことを祈っておく。

 

「一つ聞いておきたいんだが」

「うん?」

「もしDクラスとBクラスが戦うことになったら、お前はどうするんだ?」

 

 綾小路君の疑問は僕にとって実に悩ましい問題だけど、それゆえに既に散々自問自答を尽くした問題だった。解はとっくのとうに出してある。

 だからってそれを馬鹿正直に教える必要はないんだけど、Aクラスに上がる気がなさそうな彼になら話しても問題ないだろう。

 

「第一希望は勝ちも負けも無くその戦い自体を解消すること。第二希望はお互いがなるべくダメージを負わない形でBクラスを勝たせること。第三希望はとにかくBクラスを勝たせること」

「Dクラスには勝ってほしくないんだな」

「うん。Bクラス内での僕の評価を上げておきたいんだよ。と言ってもDクラスを裏切るつもりはないよ? そこまでやっちゃうと帆波さんが眉を顰めるだろうからね。具体的にどう動くかは……その時になってみないと分からないけど」

「どんな状況であれ、かなり繊細な立ち回りが必要になるだろうな」

「自信はないけど、やれるだけやってみるよ」

 

 僕が一番嫌なのは、Bクラスが大敗したときに帆波さん、千尋さん、隆二君が『緒祈真釣(Dクラスの生徒)と仲良くしているから』という理由で裏切りを疑われ、責められることだ。

 Bクラスにとって『団結力』は最大の矛であり盾だ。そこに罅が入ってしまうのは、とても歓迎できる辞退ではない。

 しかしBクラスを潰したい人は、きっとそこを積極的に狙ってくるだろう。あるいは僕を目の敵にしている人も。

 

 だから万が一に備えてBクラスにもう一つ、もう一種類の繋がりを作っておきたい。夏休みにそのチャンスがあればいいんだけど、どうだろうなあ……。まあ、なるようになるか。

 

「旅行中に緒祈がどう動くのか、楽しみにしておこう」

「いやー、期待には沿えないと思うよ?」

「謙遜しなくていいさ」

「謙遜とかじゃなくて――」

しっ(静かに)!」

「?」

 

 本当に謙遜ではないことを解説しようとしたら、何故か黙らされた。僕の声が急に不愉快にでもなったのか? と心配していると、後ろから聞き覚えのある男の声が飛んできた。

 

「よう女装野郎」

 

 振り返ると、そこにいたのはCクラスのボス猿とその愉快な仲間たちだった。

 

 あの夜、寮の廊下で会った自称『Aクラスの八人ヶ岳(はちにんがたけ)』の正体が緒祈真釣()であることには、無事気付けたらしい。ブラフの可能性もゼロじゃないけど、だとしても気にする必要はないかな。

 というわけで(とぼ)けず普通に答える。

 

「やあ龍園君。今日は随分と大所帯だね」

「こいつらにお前の顔を覚えさせるためにな」

「なにそれ怖い」

 

 言われてみれば確かに粘っこい視線を感じる。僕が女装しても見破れるようにってことだろう。

 目を付けられていることは想定済みだけど、まさかここまで積極的に動いてくるとはねー。うっかり監視カメラのないところに行ったらリンチでもされちゃうのかな?

 

 龍園君はにやにやと(いや)らしく笑う。

 

「鈴音の前にまずはお前で肩慣らししてやるよ、緒祈真釣。夏休みが楽しみだなあ?」

「僕を巻き込まずに一人で勝手に満喫してくれよ、龍園翔。折角のバカンスなんだから心も体も休めたいんだ」

「……おいおい、まさか2週間の旅行が本当にただのバカンスだと思ってんのか? ははっ! おめでたい脳みそだ! どうやら俺の見込み違いだったみてえだな」

「んん? どういうことかな?」

「自分で考えろ女装野郎」

 

 そう吐き捨てて、龍園君は愉快な仲間たちと共に寮とは違う方向に去って行った。本当に僕の顔を覚えさせるためだけだったようだ。ああ、それから宣戦布告も兼ねていたかな。

 彼らの背が十分に遠ざかったことを確認して、ずっと黙っていた綾小路君に聞いてみる。

 

「今ので油断してくれたかな?」

(あざけ)ってはいたが、決して油断はしてないと思うぞ」

「そっかー」

 

 学校が言ったことをそのままの意味で受け取っている鈍い人間を演じてみたけど、龍園君相手にはあまり意味がなかったようだ。

 愉快な仲間たちの方には少しは効いたかな? 効いてるといいな。僕のことを侮って油断してほしいな。

 

 止まっていた足を再び寮に向ける。綾小路君も隣に並ぶ。

 

「気に入られてるみたいだな」

「堀北さんには及ばないよ」

 

 下の名前で呼び捨てにしてたもんね。よっぽどのお気に入りみたいだ。一方の僕は女装野郎呼ばわりだよ。間違っちゃいないんだけど、別に好き好んでやってるわけじゃないからなあ。

 

 いや、僕の呼ばれ方なんかどうでもいい。そういえば機を見て綾小路君に提案しようと思っていたことがあるんだった。

 

「ねえねえ綾小路君、もし君が今後龍園君相手に何かやるって時は、僕のことを隠れ蓑にでも黒幕設定にでもしていいよ」

「……」

 

 あれれ? 喜んでくれるかと思ったんだけど、彼はすぐには返答しなかった。「考えとく」という簡単な保留の言葉すらないのはどういうことだ? そう疑問に思っていると、しばらくして彼はこんな提案をしてきた。

 

「やめにしないか?」

「……?」

 

 その一言で全てを察せられるほど僕は聡い人間ではない。どういう意味かと尋ねる。

 

「さっきお前が言ったのは、オレに借りを作らせるためのものだろ?」

「まあ、そうだね」

「そういう貸し借りとかは無しにして、分かりやすく協力関係を結ばないか?」

「……というと?」

「オレはこの学校で目立つことなく3年間を過ごしたい。お前はBクラスを使ってAクラスに上がりたい。それなら敵対することなく、互いに互いの目的達成に向けて協力しあえるはずだ」

「それは……」

 

 それは願ってもない提案だ。

 綾小路君が僕にどんな『協力』を要求してくるかは不明だけど、僕が綾小路君に要求する『協力』もまた不明だ。バランスは取れている。

 ただ一つ気になるのは――

 

「どうして急にそんなことを?」

「オブラート無しで言うと、緒祈をオレの駒として制限なく使いたいからだ」

「オブラートに包んで言うと?」

「緒祈の協力が無制限に欲しいからだ」

「……ちょっと角を丸めたってだけで、オブラートには包めてないよね」

 

 でもまあ彼の言いたいことは伝わった。僕にそれだけ要求するということは、僕からの要求もそれだけ飲むということだ。互いが互いを駒として使いあい、無制限に協力を得る。……流石に無制限は嫌だな。

 

「やりたくないことはやらないよ。それでもいいなら」

「ああ、それで構わない」

「じゃあ、改めてよろしくね。アストロロジー君」

「オレのどこに占星術の要素を見出したのかは分からんが、よろしくな」

 

 こうして緒祈真釣と綾小路清隆は今までの『一応友達』というふわっとした関係から、誓約書も固い握手もないけれど、信用と信頼を持ち寄って、打算と計算と多分友情も少し混じった――そんな『協力関係』になった。

 

 

 

 066

 

 

 

 僕は普段あまり本を読まない。と言っても全く読まないわけでもなくて、好きな作家さんの作品はなるべく買うようにしている。

 

 今日も今日とて須藤君に模擬テストを解かせて、その間僕は暇を潰す。一昨日までは携帯のアプリで遊んでいたけれど、昨日からは読書タイムにシフトした。好きな作家さんの新作が発売されたからだ。

 

 高槻(たかつき)(せん)著『黒山羊の卵』

 連続殺人鬼の女性とその一人息子の物語。

 

 ミステリーやホラーを中心とする高槻作品には、人間の根源的な醜さ、脆弱性、凶暴性――すなわち『闇』が、荒々しくも繊細に描かれている。ぞわぞわと神経を撫でられるような文章に、僕はすっかり虜になってしまった。

 高槻初心者には短編集の『虹のモノクロ』をオススメする。収録されている短編の一つ『小夜時雨』は、今僕が呼んでいる『黒山羊の卵』のプロトタイプの作品だ。

 

 まあ、須藤君には絶対に合わないだろうな。読書初心者には内容も表現も難解すぎる。僕だって未だに携帯を傍らに読んでるからね。ほら、また知らない言葉が出て来た。

 『羊很狼貪』の意味を調べようとすると、その携帯がアラームを鳴らした。電子音を止め、本に栞を挟む。読書もテストも終わりの時間だ。

 

「はいそこまで」

「ふう……」

 

 今終わったのは本日3本目の模擬テストだ。ある程度本番を意識して、休憩を挟みつつ連続でやってもらった。

 実力に関してはもう心配ない。あとはそれを当日発揮できるかどうかだ。

 

「それじゃあメシ行ってくるわ」

「いってらっしゃい」

 

 僕はどうしようかな。あんまりお腹空いてないんだけど……頭はそこそこ使ったし、糖分だけでも補充しておくか。冷蔵庫から徳用パックのチョコレートを適当に取り出し、それを食べながら先程の須藤君の解答を眺める。

 ふんふん。いつも通り、中間テストで赤点を取ったとは思えない出来だな。

 

 須藤君が戻ってきた後の指導プランをなんとなく考えていると、ピンポーンとインターホンが鳴らされた。まだ出て行って15分くらいだし、須藤君では無いはずだ。

 「はいはいどちら様~?」とドアを開けると、そこにいたのは制服姿の帆波さんだった。学校かどこかで勉強会でもしていたのかな。

 

「やっほー真釣くん。今大丈夫?」

「うん、30分くらいならね」

 

 何か話があるらしいので、部屋の中に入ってもらう。

 

「お邪魔しまーす」

「何か飲む?」

「冷たいお茶!」

「はいよー」

 

 透明なコップに7割くらい注いで持って行く。

 帆波さんはベッドの方に腰掛けていたので、僕は麦茶を渡して椅子に座った。

 

「ありがと」

「いえいえ」

 

 帆波さんの前髪には、見覚えのある水色の猫がいた。可愛い。

 うーん……これは想像以上の攻撃力だ。身に付ける物をプレゼントしたのは失敗だったかな? 付けてくれている姿を見ると、嬉しさに胸がぴぴぴと高鳴ってしまう。

 

 僕の視線に気付いたようで、帆波さんはそのヘアピンに手を伸ばす。

 

「これ、クラスの子たちが褒めてくれたよ。可愛いねって」

「それはヘアピンに(かこつ)けて帆波さんを褒めたんじゃない? 可愛いねって」

「……ふっふっふ。私はもうその程度じゃ照れたりしないよ?」

 

 既に若干頬が赤いように見えるけど、本人が照れていないと言うなら照れていないのだろう。しかしヘアピン姿にドキッとさせられた分、帆波さんにもドキドキしてもらわないと気が済まない。

 僕は彼女の隣に座ってぐいっと近付いて、息がかかるほどの距離でしっかり目と目を合わせて、逃げられる前に素早く呟く。

 

「可愛いよ。すごく可愛い」

「~~~~!」

 

 よし勝った。

 僕自身もかなりのダメージを負ったけど、なんとか勝った。

 何の戦いをしているのかさっぱり不明だけど、とにかく勝った。

 

 帆波さんが真っ赤に染まった顔を背けるのと同時に、僕も耐え切れなくなって彼女から離れる。いやー、張り切り過ぎたわ。顔あっついわ。

 

「もう……バカ」

「自分でもそう思う」

 

 お互いに紅潮が落ち着くまでしばしブレイクを挟み、本題に戻る。あ、戻るも何も始まってすらなかったわ。

 

「それで、今日はどうしたの?」

「うん。真釣くんの誕生日、思いっきり予定が入っちゃったからさ……。どうしよ?」

 

 8月1日は帆波さんとデートの予定だったのに、学校から傍迷惑なプレゼントが贈られてしまった。豪華客船で無人島に、なんてプランは組んでなかったんだけどなー。

 

「当日は無理だろうから、前倒しにするか先送りにするかだね」

「うーん、前倒しは厳しいかも。ちょっと生徒会の仕事があって」

「そっかそっか。じゃあ旅行が終わって、空いている日があればって感じかな」

「うん……ごめんね?」

 

 何に対する謝罪なのかは分からなかったけど、僕は「気にしないで」と返した。

 やがてついさっきまでの真っ赤っかな帆波さんは消え失せ、真面目な話が始まった。

 

「今回の旅行のこと、真釣くんはどう思う?」

「鼻が痛くなるほど胡散臭いね。絶対にただのご褒美旅行じゃないよ」

「だよねー。前に綾小路君と話したんだけどさ、クラスポイントが大きく動く何かがあると思うの。先生は南の島でバカンスとか言ってたけど、多分遊んでばかりもいられない2週間になるよ」

 

 気のせいかな? 4時間くらい前に似たような台詞を聞いた気がする。

 

「それで、一つ聞いておきたいんだけど」

「うん?」

「もしBクラスとDクラスが戦うことになったら、真釣くんはどうするの?」

 

 気のせいじゃないな。4時間くらい前にも同じ質問されたわ。

 もちろん答えは変わらないんだけど、綾小路君の時とは答え方を少し変えてみる。

 

「どうしても戦うって時は、僕はBクラスに勝ってほしいから、そういう風に動くつもり。もちろん帆波さんの要望があればそれを最優先にするよ」

「……真釣くんってBクラスだったっけ?」

「心は既に」

「ふふっ。なにそれ」

 

 言葉にしてみて気付いたけど、僕にはDクラスに対する帰属意識というものがほとんどないらしい。クラスメイトに対する仲間意識がどうにも薄いようだ。

 やっぱり『Aクラス移籍計画』のせいかな。Bクラスに協力するって星之宮先生に言っちゃったから、自分の所属クラスでAを目指すって案はほぼほぼ消えたんだよね。まあそんなわけで――

 

「全面協力するってことだよ」

「ありがとう。心強いよ」

 

 とはいえ僕が抱えているものを考えると、あんまり期待されても困る。

 『手に負えない逆説(ウルトラロジカル)』は計画や作戦の類とは相性が悪いからね。じゃあ何と相性が良いんだと聞かれると、それはそれで困っちゃうんだけど。

 

 それから10分くらい、(きた)る旅行で何が行われるのか予想を出し合った。当然答え合わせは当日にしか出来ないけれど、割と有意義な意見交換だったと思う。帆波さんの考え方もなんとなく知れたし、僕の考え方を知ってもらう機会にもなった。

 

「じゃあ私、そろそろ帰るね」

「送って行こうか? 外暗いし」

「同じ建物の3階から16階に移動するだけだよ!?」

「言われてみればそうだった」

「分かってて言ったでしょ?」

「あはは。バレたか」

「真釣くん、そういう定番の台詞大好きだもんねー」

「まあね」

「ふふふ。じゃあ、またね。おやすみ」

「うん、おやすみ」

 

 ドアが閉まったのを確認して部屋に戻る。読書の続きでもしようかと考えていると、

 

 ピンポーン。

 

 帆波さんが忘れ物でもしたのかな?

 ドアを開けるとそこには――

 

「お前かよ」

「なんだよその冷たい歓迎は……」

 

 須藤君だった。そういえば勉強会(食後の部)があるんだった。帆波さんと色々話してるうちに、彼のことはすっかり忘れていた。すまんな。

 須藤君は何故か廊下の方にちらちらと視線を飛ばしながら、何か半信半疑といった様子で口を開いた。

 

「なあ緒祈、さっきお前の部屋からめっちゃ胸のデカい女子が――」

「は? いやらしい目で見てんじゃねーよ。お前のその目ん玉、先割れスプーンで(えぐ)り取るぞ」

「――ま、待て! そういうつもりじゃない! 話せば分かる!」

「IQが30以上離れてると会話が成立しねーんだよ」

 

 眼球を抉り取るにはカニスプーンの方が適しているだろうけど、持ってないんだよなあ。こんなことになるなら買っておけば良かったと後悔しつつ台所へ向かい、細長い引き出しから先割れスプーンを取り出す。

 それをスコップのように握って振り返ると――須藤君の背中と後頭部が見えた。僕に背を向けているのではない。腰を90度に折り、深々と頭を下げていた。

 

「すまん。俺が悪かった」

「……」

「ごめんなさい」

「……」

 

 予想外にド直球で謝られたので、須藤君のこんな姿は初めて見たので、僕は冷静さを取り戻す。

 ちょっとイラッとしちゃっただけで眼球を抉り取るのは流石にやり過ぎだね。反省反省ごめんなさーい。気分を害されたってだけで実害は無いんだから、口頭注意で済ませてあげなきゃ。

 

「ねえ須藤君。例えば僕が『堀北さんって胸デカいよねー』とか言ったら、ムカつかない?」

「……ムカつく」

「そういうことだよ。さっきみたいな表現は僕の前では二度としないでね。冗談だろうが何だろうが不愉快だ」

「あ、ああ。分かった。反省してる」

「そう。ならいいんだ」

 

 僕は先割れスプーンを引き出しに戻し、ずっと頭を下げたままの須藤君の横を通り抜ける。僕より10センチ以上背の高い彼をこうして見下ろす機会は中々得られないものだけど、今日のところはもう十分だ。

 

「いつまで直角を作ってるんだい? 勉強するよ」

「……お、おう」

 

 須藤君を椅子に座らせて、夕食前にやった模擬テストの解説を行っていく。しかしどうにも集中できていない様子だったので、勉強は一旦止めて駄弁ることにした。僕としても、彼に聞きたいことがあったから。

 

「須藤君さあ、なんでそんなに僕に怯えてるの?」

「スプーンで目ん玉抉るとか本気で言う奴が怖くないわけないだろ」

「僕がその気になったところで、君なら余裕で返り討ちにできるでしょ?」

 

 僕がスプーンではなくナイフや包丁を手に挑んだとしても、多分あっさりと制圧される。赤子の手を捻るように捩じ伏せられるだろう。それなのに、何をそんなに怯えているのか。

 

「そういう問題じゃねえんだよ。『本気』ってとこが、『その気になる』ってとこが怖いんだよ」

「……ふーん」

 

 よく分からないな。怒るときは誰だって本気だろう? 彼の先生役をしている身としては、侮られるより怯えられる方がまだいいけど。

 

「じゃあさっきのストレートな謝罪は? 君のことをそこまで深く知らない僕でも、あれが君らしくない行動だってことは分かるよ」

「あ、あれは……」

 

 言い淀む姿からなんとなく察した。おそらく誰かの入れ知恵なのだろう。そしてそんなことをしそうなのは――

 

「綾小路君?」

「お、おう。よく分かったな」

「まあね。彼は僕のことなんて言ってた? 怒らないから教えてよ」

 

 絶対怒る人の定番の台詞をうっかり言ってしまったけど、須藤君は正直に答えてくれた。

 

「『緒祈は人畜無害そうに見えて、怒る理由があれば簡単にブチ切れる怖い奴だ。ただ万が一怒らせてしまったとしても、許す理由があれば案外あっさり許してくれる。だから下手な言い訳はせずに、真正面からしっかりと謝罪するのがベストだ』みたいなことを言ってたぞ」

「ふーん……」

 

 綾小路君は僕の取扱説明書でも持っているのだろうか? それなら是非僕にも一冊分けてほしいものだ。

 

 ……いやちょっと待てよ?

 『怒る理由があればブチ切れる』のも『許す理由があれば許す』のも、言っていることは当たり前だよな。『下手な言い訳より謝罪』というのもやっぱり当たり前だ。

 まるで僕が変わり者でその対処法を授けたみたいな印象だけど、よく聞けば誰にだって当てはまる普通の話じゃないか。危ない危ない、騙されるとこだった。彼には占い師の才能があるね。

 

「なあ、俺からも聞いていいか?」

「なにかな?」

「さっきのってBクラスの一之瀬だよな?」

「そうだね」

「まさか……付き合ってるのか?」

 

 『まさか』ってなんだよ。帆波さんに僕は似合わないってか? 釣り合わないってか? うるせえよ。

 男女が会ってりゃなんでも恋愛に結びつける鬱陶しい恋愛脳に呆れながら、僕はため息交じりに答える。

 

「友達だよ」

 

 ――今のところは、ね。

 

 

 

 067

 

 

 

 期末テストは試験当日も結果発表も、拍子抜けするほどあっさりと、これといった想定外も無く終了した。赤点ラインの下に名前を書かれた者はおらず、誰一人欠けることなく夏休みを迎えることになった。

 

 須藤君に関しては勉強会の段階で順調に行きすぎていて本番に何かあるんじゃないかと心配していたんだけど、これは杞憂に終わった。

 『須藤君がそう簡単に赤点を回避できるとは思えない。()()()()()余裕で回避した』ってとこかな? それともごく普通に何事もなかっただけか。

 

 なんであれ堀北さんの髪に触れる条件の全科目50点越えこそ達成できなかったものの、『クラスのお荷物』と言われるような成績ではなかった。先生役を務めた僕としては嬉しく思う。

 

「一体どんな魔法を使ったのかしら?」

「僕はサポートをしただけで、あの点数を取ったのは須藤君自身の実力だよ。まあ、若干魔法めいた実力ではあったけどね」

「魔法めいた実力?」

「彼の脳はね、大好きなバスケが絡むと普段の何倍もパフォーマンスが良くなるんだよ」

「……それだけであれだけの点数を取れるものかしら?」

「現実を見るに取れるみたいだね。もちろん、僕のサポートがあってこそだけど」

 

 須藤君は8科目中7科目で50点を越えた。世界史だけは惜しくも48点だったけど、前回赤点だった英語はなんと平均点をも超えていた。

 結果発表の時、皆びっくりしてたなあ。中でも今回最下位だった池君にはショックが大きかったようで、須藤君に詰め寄って「この裏切り者ー!」と叫んでいた。意味分かんない。

 

 ちなみ僕の合計点数は堀北さんと一緒で、クラス内で一位タイの787点だった。同点、つまり引き分けである。別に勝負をしていたわけじゃないんだけど、ひょっとすると『手に負えない逆説(ウルトラロジカル)』が働いたのかもしれない。あるいはただの偶然かも。

 

 夏休み前最後のホームルームでは、例の旅行に向けた宿泊部屋のグループ分けが行われた。これといった希望もなかったので流れに身を任せていると、一度も話したことのない三人と同じ班になった。よろしくお願いしまーす。

 

 とまあそんな感じで夏休みへのホップステップも済ませつつ、一学期は無事終了した。

 いきなり10万ポイントも支給されたあの入学初日から色々なことがあったけれど、そんなに悪くない4か月だったと思う。友達も出来たし、自分のことも知れたし。

 

 もし仮に僕を主役にひとつ作品を書くとすれば、それはきっと……とても退屈な物語になるだろう。

 

 ちょっと変わった性質を持っているだけの少年が、ちょっと変わったシステムがあるだけの学校で、ちょっとしたトラブルを乗り越えながら、大きな挫折も大した絶望も無く、なんだかんだ幸せな日常を、適当に淡々と生きるだけの――本当につまらない物語。

 

 そんな優しく温かい『退屈(平和)』が、これからもずっと続いて欲しい。

 

 心からそう思う。

 

 心の底から、そう祈る。

 

 

 

<続>

 

 

 

 




ここまで読んでいただきありがとうございます。これにて第2.5巻部分、本編は完結です。

感想・評価・お気に入り登録いただければ大変嬉しく思います。

次話はちょっとした幕間になります。
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