どうにか実力至上主義の教室へ   作:祭灯キャロット

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007-009 水滴

 007

 

 

 

 高校生活二日目。

 寮から学校までのルートは、そんなにパターンがあるわけではない。

 同じ服装の人間が同じ場所を目指して同じような時間に同じ道を歩くので、その様はまるでアリの行軍のようだった。1クラス約40人で、それが1学年に4クラス、そして全部で3学年あるので、これは400を優に超える巨大な群れだ。僕もまた働きアリの一匹としてその群れに混ざり登校する。

 

 学校に着いたアリたちは靴から上履きに履き替え、それぞれの教室に散っていく。僕も一年Dクラスの教室に入る。

 クラスメイトはまだ半分もいなかった。少し早く来すぎたかな? 遅れるよりはいいか。

 

 ネームプレートはもうないけど、昨日と同じ席に座る。一番後ろなので裸眼では少し厳しいんだけど、今日は残念ながら眼鏡を忘れてしまった。授業初日だし、軽いオリエンテーションで終わりだといいな。まあ全く見えないわけでもないし、なんとかなるか。

 

 それに今は見える見えないより、見られていることの方が問題だ。

 

 少しずつ密度が増していく教室のあちこちから、怪訝な視線を向けられている。

 そりゃそうだよね。昨日は女子の制服を着ていた僕が、今朝は男子の制服になってるんだもん。スカートがスラックスになってるんだもん。首元のリボンがネクタイになってるんだもん。そりゃ気になるよね。

 しかも僕は昨日、事情があったとはいえ初日から遅れてしまい少なからず目立ってしまった。その時のイメージが残っている人は、勘違いや気のせいでは済ませてはくれないだろう。

 

 そんなことを考えていると、一人の女子生徒が近付いて来た。

 セミショートの髪は栗きんとんのような甘い色で、彼女を包む柔らかく温かな雰囲気は人懐っこい小型犬を思わせた。昨日の自己紹介で、友達をたくさん作りたいとか言っていた気がする。名前を思い出せないのは親近感が湧かなかったからだろう。流れで連絡先だけは交換していたから、携帯を見れば分かるんだけど。

 

「おはよう! 緒祈(おいのり)くん……だよね?」

「うん。おはよう」

「えっと、変なこと聞いちゃうけど、昨日は緒祈()()じゃなかった?」

「気のせいだよ」

「え、でも」

「気のせいだよ」

 

 正直に話してもいいんだけど、僕はシラを切ることにした。クラスメイトに詳細な事情を教えるのと有耶無耶に濁すのとなら、後者の方がより早く忘れてもらえるんじゃないかと思ったからだ。

 黒歴史と言う程でもないけど、思い出されたり話題にされるのはちょっと遠慮したい。

 

 その社交性とルックスを鑑みるに、目の前の彼女は今後間違いなくクラスの中心的存在となる少女だ。というかもう既になっている可能性もある。

 そんな彼女をここで押しきることができれば、「次は私が聞いてくる!」とか言い出す面倒な人は現れないだろう。「触れられたくないみたいだし放っておこうか」という空気ができれば最高だ。

 だから頼んだぞ名も知らぬ少女よ。気のせいってことで納得してくれ。あるいはそのポーズだけでも見せてくれ。

 

 察してくれ。

 君にはそれができるはずだ。

 

「……そ、そうだよね! 気のせいだよね!」

「うん。気のせい気のせい」

 

 ナイス社交性!

 あるいは洞察力や観察眼かな?

 

「ごめんね、急に」

「いえいえ」

「じゃあ改めてよろしくね、緒祈くん。私は櫛田(くしだ)桔梗(ききょう)って言います」

「緒祈真釣(まつり)です。よろしく」

 

 ……ひょっとして僕が名前を覚えていないことにも気付いていたのかな?

 そんな考えをまあいっかと放り投げ、僕は櫛田さんと握手をした。

 

 握った右手が高級な大福かってくらい柔らかくて、ちょっとドキドキしちゃいました。

 

 

 

 008

 

 

 

 高校生活七日目。

 僕は目の前の光景が信じられなかった。

 

 机に突っ伏して堂々と寝ている彼。隣の席の友達とぺちゃくちゃ雑談している彼女たち。机の下で携帯ゲーム機をぴこぴこやっている彼。

 

 ここが休み時間の教室だと言うなら何の問題も無いけれど、今はどんな屁理屈を()ね繰り回したところで間違いなく授業中なのだ。高度育成高等学校という指折りの進学校の、授業中の教室なのだ。

 だというのに――なんだこの醜態は。先生の話を真面目に聞いている生徒は7割程度だ。過半数だからオッケーとか、そんな話じゃない。

 

 僕は本来ならこの場にいない人間だ。入試の結果は不合格で、顔も名前も分からない誰かさんが何らかの事情で入学できなくなったから、その棚から落ちてきた牡丹餅を奇跡的に(くわ)えたことでここに座っている。

 つまり僕はこの教室どころか学年全体で、最も入試の成績が悪かったのだ。周りはみんな僕より優秀な生徒なのだ。そのはずなのだ。

 それなのに――なんだこの醜態は。これでは授業に付いて行けるか心配で、かなり先の範囲まで予習してきた僕が馬鹿みたいではないか。

 

 天才様は授業なんか聞かなくても点数取れるってか?

 授業態度でびしびし減点されて退学になってしまえ!

 

 そう声に出して言えたのならこのストレスもいくらか軽減されるのだろうけど、残念ながら僕にそこまでの度胸はなかった。

 

 あーあ、やってらんないね。

 こいつら本当に僕より頭良いの?

 

 まあいいや。流石に退学とまではいかなくとも、彼らの来月の支給ポイントは大きく減らされることだろう。はっはっはっ。ざまーみろ。

 近い未来にこの教室を飛び交うであろう阿鼻叫喚を想像して、一度心を落ち着かせる。

 

 授業のレベルは今のところ大丈夫だけど、油断は禁物だ。改めて教壇の方に集中する。今は一年Aクラスの担任、真嶋(ましま)先生による英語の時間だ。

 

 真嶋先生をはじめ、どの先生も授業態度の悪い生徒に注意することはない。それがこの学校の教育姿勢なのだろう。

 そして授業態度の悪い生徒を記録している様子もない。まさか何の罰も無いとは思えないので、頭の中にメモしているのだろう。この学校の先生ならそれくらい朝飯前のはずだ。

 

 やがて授業が終わり、昼休みとなった。

 登校中にコンビニで買ったパンをがそごそと取り出していると、湖だったか沼だったか、なんかそんな感じの名前の男子が雄叫びを上げた。

 

「うおー!」

 

 昼休みが終われば5限目は水泳の授業だ。女子の水着がーおっぱいがーと朝から騒がしかったけど、その時がいよいよ目と鼻の先にまで迫り、益々テンションが上がっているようだ。

 

「うるせーぞ(いけ)!」

 

 ああ、それそれ。彼は湖君でも沼君でもなく池君だ。

 Dクラスのお調子者だが、決してムードメーカーではないと思う。ムードメーカーを名乗るなら授業中にはくっちゃべってないで、静かで緊張感のあるムードをメイクしてほしい。

 いや、池君がムードメーカーを自称してるかは知らないけどね。

 

 ちなみに言っておくと池君のことは苦手だけれど、水泳の授業を前に気持ちが(たかぶ)っていることに関してはある程度理解を示せる。僕もそれに近いものを感じているから。

 

 (もっと)も僕の場合は女子の胸とかスク水とかはどうでもよくて、それよりも授業が終わった後、(うっす)らと湿り気を帯びた長い髪を見るのが楽しみで楽しみでうへへへへへへ。

 

 ……なんてね。冗談だよ?

 

 

 

 009

 

 

 

 昼休みが終わり、一部男子連中が待ちに待ったプールの時間がやって来た。

 

 さっきまであんなにはしゃいでいた池君たちが、(かんざし)みたいな名前の小型犬的少女を前にした瞬間あわあわと狼狽(うろた)えていて面白かった。

 意識しなくても聞こえてくる会話によると、どうやら少女の名前は櫛田というらしい。あーね、聞いたことあるわ。

 

 予想通りクラスの中心的存在となった彼女は誰とでも明るく話しており、男女問わず人気が高い。ムードメーカーの称号は彼女にこそ相応しいだろう。

 「櫛田ちゃんと付き合いてー!」という声をよく耳にするけど――耳にするなら名前を覚えろよというツッコみは受け付けない――僕としてはもう少し髪に長さがほしい。胸元にかかるくらいまで伸ばしてくれれば僕も彼女のファンになるだろうし、名前も覚える。

 

 いや、僕の性癖はどうでもよくて、そんなことより水泳だ。

 

 準備体操を終えて一人一本ずつ50Mを泳いだところで、先生が恐ろしいことを言い出した。

 

「これから競争してもらう。一位には5000ポイント、一番遅かった奴は補習な」

 

 おいおい嘘だろやめてくれよ。どうせ誰も覚えてないだろうけど、自己紹介で言った通り僕は体を動かすのが得意ではない。50M足をつかずに泳ぎきるくらいはできるが、スピードは全く出せない。

 5000ポイントがどうとかこうとか考えている余裕はない。

 

 ちくしょう!

 こんなことなら十何人もいる見学組に混ざればよかった!

 

 全然泳げないという訳ではないので棄権もできない。このタイミングで体調不良を訴えても、先生が良い顔をするはずがない。溺れた振りでもするか? いや、その場合問答無用で補習直行のケースも考えられる。

 

 うーわ、マジで嫌なんだけど。

 

 苦悶苦悶しているといつの間にか女子のレースが終わっていて、僕が入れられた男子第三組の番がもうすぐそこまで迫っていた。

 

 男子第一組。

 誰が5000ポイント取るかなんてどうでもいい僕は、組の中で一番遅い生徒だけに注目していた。

 あのスピードは……どうなんだ?

 自分自身の泳速を把握していないので、いくら注意して見たところで彼に勝てるのか負けるのか分からない。フォームが滅茶苦茶なのであれなら勝てそうと一瞬思うけれど、負けたら補習というプレッシャーできっと僕も同じように、見るに堪えない泳法を披露してしまうだろう。

 

 まだ補習が決まったわけでもないのにがっくり肩を落としていると、上から声が降って来た。

 

「緒祈くん、大丈夫?」

「ありがとう櫛田さん。大丈夫だよ。ちょっと緊張してるだけだから」

「それなら泳ぐ前に深呼吸するといいよ! 気持ちも落ち着くし、息継ぎもスムーズにできるよ!」

「おっけー、試してみるよ」

 

 男子第二組はいつの間にか終わっていた。櫛田さんと話していた所為か池君他数名がこちらを睨んでいたけれど、それは無視してスタート台に向かう。

 

 現在の暫定最下位のタイムは44秒。

 行けるか? いや、行くしかない。

 

「位置について」

 

 深く息を吸って、大きく息を吐く。

 

「よーい」

 

 もう一度吸って――

 

 ピッ!(どん!)

 

 くぁwせdrftgyふじこlp

 

 ぐばぐばぐばぐば

 

 ごぼごぼごぼごぼ

 

 じゃばじゃばじゃばあ!

 

「ぷはっ!」

 

 指先が水でも空気でもない確かな形を持った物に触れた。

 

 一心不乱に我武者羅に、全身全霊の猪突猛進で泳ぎきった。

 

 横を見れば、この組では明らかに僕が最下位だった。

 

 タイムやいかに!

 

「む、むむ?」

 

 補習にせよ逃れたにせよ焦らさずとっとと発表してほしいのだけれど、先生はなぜかストップウォッチとのにらめっこに興じていた。

 

「あの、先生?」

「すまん。どうやら壊れてしまったらしい」

「え……?」

 

 このタイミングで?

 おいおい補習はどうなるんだ?

 タイムはどうあれ遅かったのは間違いないし――とか言わないよね? ね?

 

「うーん、どうするかなあ」

 

 悩むくらいなら中止にしようぜ!

 先生だって面倒でしょ? ね?

 

「タイムが分からず正確な順位が決められない以上、最下位を選ぶことも出来ないな。今回に限っては特別に、補習は無しにするか」

 

 ナイッスー!

 先生大好き愛してるぅー!

 

 その後、新しいストップウォッチで行われた決勝戦では鹿苑寺君だか慈照寺君だか、なんかそんな感じの名前の金髪君が勝利を収めて5000ポイントを獲得した。おめでとうございます。

 

 そしてここからが本日のメインイベント!

 

 授業の終わりも近付き、「整理運動するぞ」という先生の言葉で今日はもうプールには入らないことが生徒に伝わった。

 

 これでようやく!

 ようやく!

 

 無粋なスイミングキャップに隠れていた艶やかな御髪が、遂にその姿を現した!

 弾ける水滴! ああ! 眼福!

 

 It’s a MARVELOUS SIGHT!!!

 

 僕は今、この学校に来て一番の興奮と感動を味わっている!

 

 特に堀北さんの黒髪!

 山水画のような柔らかな黒色のロングヘアーは、どうしてまだ世界遺産に登録されていないのか不思議なくらいだ。ユネスコは何をやっているんだ?

 もし彼女とお付き合いできたなら、是非ともその至宝に触らせていただきたい。いや、お付き合いとかどうでもいいので髪だけ触らせてください! 僕の指で()かしてみたいんです! お願いします!

 

 そして軽井沢さんの茅色も捨てがたい。

 普段は後ろで纏めてポニーテールにしているけれど、それが今は重力の為すがままに下ろされている。ギャップ最高!

 最近あまり聞かなくなったけど言わせてもらうよ?

 萌えー!

 ギャップ萌えー!

 一回でいいから触らせてー!

 

 あと今日は見学してるけど、佐倉さんの髪も大好きです。

 その鴇色が水に濡れるところを見たかったのだけれど、うーん、残念! でも別に濡れてようが乾いてようがどっちでもいいので、とりあえず一回触らせてくれませんか?

 

 それから別のクラスなんだけど、入学初日に会ったBクラスの一之瀬さんも良い髪してたよね。来週はBとD合同でやろうよ。プールじゃなくてもいいよ。普段は下ろしている髪を運動するときだけ纏めるってのも、僕大好きだから!

 ああ! 想像しただけで興奮してきた!

 触らせてくれ!

 

 あとねーあとねー、担任の茶柱先生の黒髪も良いのよ。黒は黒でも堀北さんとは違って鴉のような鋭い黒なんだけど、あれは今まで見た中で一番かっこいい髪ですわ。テストで良い点とったらご褒美で触らせてくれたりしないかなー!

 

 ……。

 …………。

 ………………な、なーんてね。冗談だよ?

 

 そんなことよりあれだよあれ。

 ストップウォッチが壊れたやつ。

 

 あれはどうにもスムーズにいかないという僕の()()()()()()だろうか? それとも最初から補習をするつもりはなくて、あれは最下位を有耶無耶するために予め描かれていたシナリオだったのだろうか?

 先生に直接聞いたところで答えてくれるかは怪しいし、知ったところで特に何かがどうにかなるわけでもない。

 

 真相は髪の中――あいや、藪の中だ。

 

 

 

 

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