082
無人島試験五日目。
昨日はスポットを見付けてあんなに明るい空気だったのに、今朝の
「いつまで寝てんだクソ男子!」
ある種の性癖の持ち主には喜ばれそうな目覚ましボイスだけど、残念ながら僕にその種の性癖はなかった。……別に残念でもないか。
昨日たっぷりと昼寝をしたお陰か、僕はすんなり起きられた。同じように体を起こしたクラスメイトも数人いた。
一方で一部の男子は一日中森の中を歩き回った疲れもあってか、外がこんなにも騒がしいのにすやすやと眠っている。彼らを起こさぬよう静かに間を縫っていく。
テントの外に出て顔を上げると、空には雲がびっしりと詰まっていた。太陽がどこにあるのか分からない程だ。雨が降るかもしれないし、今日もBクラスに行くのは止めておこう。
いや、天気より気にすべきは不機嫌さを隠そうともしない女の子たちの方か。何があったのか知らないけれど、雨より先に彼女たちから雷が落ちそうだ。
理由も分からないまま睨まれるのは嫌な気分だなあ、なんて考えていると綾小路君が隣にやって来た。
「おはようRPG君」
「それはオレが平凡な高校生を演じていることに対する皮肉か?」
「……え?」
「……オレの考え過ぎだったな。忘れてくれ。ところで、そんな楽しげなワードが似合う空気ではないようだが、何があったんだ?」
「さあね。僕が起きたときにはもうこの状態だったから」
まだ寝ている人たちを平田君が起こしに行って、2分ほどで全員がテントから出て来た。寝惚けている男子もいたけれど、女子から向けられている敵意に満ちた視線に只ならぬ事態が発生していることを悟る。
さてさて何が始まるやら。
男子を代表して平田君が話を聞く。
「こんな朝早くにどうしたんだい?」
「ごめんね平田くん。平田くんには関係のない話なんだけど……どうしても男子に確認しなきゃならないことがあるの」
そう答えたのは、池君とよくいがみ合っている
園原さんは平田君を除く男子全員に対し、侮蔑を込めた目を向けてくる。
「今朝、軽井沢さんの、その……下着がなくなってたの。これがどういう意味か分かる?」
「え……下着が……?」
いつもは冷静沈着にクラスを纏めている平田君だけど、思いもよらない出来事に動揺を隠せない様子だ。
園原さんは言葉を続ける。
「今、軽井沢さん、テントの中で泣いてる。櫛田さんたちが慰めてるけど……」
言われてみれば両名の姿が見当たらない。なるほど、だから園原さんが女子代表で話しているのか。
これが櫛田さんであれば、落ち着いて冷静な議論が出来たかもしれない。しかし園原さんは攻撃的というか、沸点が低い印象だ。池君と言い争っている姿しか記憶にないからかもしれないけど、どのみち
池君は未だに事の重大さを理解していない様子でこう言った。
「え? え? なんで下着がなくなったからって俺たちが睨まれてんの?」
「そんなの決まってるでしょ! 夜中にこの中の誰かが鞄を漁って盗んだんでしょ! 荷物は外に置いてあったんだから、盗ろうと思えば盗れたわけだしね!」
池君の能天気な発言に、園原さんの怒りが爆発した。あーあ。
確かにテントを広く使うために鞄は外に出していた。しかし女子の鞄を漁るなんてのは、万が一誰かに目撃されればベースキャンプから締め出されるレベルの蛮行だ。そんなことも分からない愚か者がいるだろうか?
……いるかもしれない。Dクラスだし。
「いやいやいやいや! え!? え!?」
自分が被疑者の一人であることにようやく気付いた池君は、慌てた様子で男子と女子を交互に見やる。その姿に思うところがあったのか、一人の男子が冷静な声で呟いた。
「そういや池、おまえ昨日……遅くにトイレに行ってたよな。結構時間かかってたし」
「いやいや! あれは、その、暗かったから!」
「ほんとか? 軽井沢の下着盗んだの、おまえじゃないのか?」
「ち、違うってば!」
そこからは見るに堪えない罪の
僕はその輪には入らず、同じように傍観している綾小路君に話を振る。
「平田君は凄いよね。女子だけでなく男子も皆、彼が犯人である可能性を微塵も考えちゃいない。日頃の行いってのは、こういう非常事態にこそ活きるみたいだ」
「平田が疑われないのは普段積み上げている信頼もあるが、軽井沢の彼氏だからってのもあるんじゃないか?」
「えっ? あの二人、付き合ってるの?」
「知らなかったのか……」
思わぬタイミングで思わぬ新事実が明らかになった。ほへー、全然知らなかったわ。一緒にいるところはよく見るけれど、てっきりクラスのリーダー格同士でつるんでいるだけかと。
「ちなみにいつ頃から?」
「6月の頭だったはずだ」
「あー……」
外に繋がりを作ることばかり意識していて、Dクラスに興味が無かった時期だな。目立つカップルの誕生は大きな話題になっただろうけど、全然記憶にないや。
それにしても意外だな。平田君が特定の一人を選ぶタイプだとは思わなかった。ハーレム狙ってそうって意味じゃなくて、もっと広く平等に接する人というイメージだった。『皆の為の平田洋介』を自分に課していると思っていた。
まあ、彼とはそんなに親しいわけでもないからね。内面を見誤っても仕方ないし、見誤ったところで困ることもない。
「あ、もしかして園原さんがあんなに怒ってるのって、もちろん同性として許せないからだろうけど、それだけじゃなくて、『平田君の彼女である軽井沢さん』が被害に遭ったというのも一つの要因なのかな。平田君、人気者だし」
「そうかもしれないな。ただ、あいつの名前は園原ではなく
「……えっ?」
「ネタじゃなくて本気で間違えてたのか……」
「あはは。だって園原――じゃなくて篠原さん、髪の毛そんなに長くないんだもん。それで8割覚えてるんだから、むしろ褒めてほしいくらいだよ」
「人の名前を8割覚えていると言われても、残りの2割も覚えろよとしか思わないぞ」
「だよねー」
そんな感じでクラスに馴染めていない男同士で雑談をしている間に協議は進んでいた。どうやら男子が鞄を見せるという流れになったらしい。
盗んだ下着を犯人が馬鹿正直に自分の鞄に入れるとは思えない。だから鞄を確認してもらうのは無実を証明するためというよりは、犯人探しに協力する姿勢を見せるためだろう。
女子が冷静になるまでの時間稼ぎでもあるのかな。今の怒り心頭な彼女たちは、とてもじゃないけど建設的な話が出来るようには見えない。
綾小路君と共にテントの前に鞄を取りに行き、持ち物検査の列の最後尾に並ぶ。
鞄の中を確認しているのは女子ではなく平田君だった。改めて凄い信頼度だな。茶柱先生の何百倍も信頼されていそうだ。
「綾小路君も……うん、大丈夫だね」
幸か不幸か列は順調に消化され、残るは僕一人となった。
誰の鞄からも下着が見つからないまま、最後の一人である僕の番が回ってきた。嫌な予感がむんむんするけれど、今さら何をどうすることも出来ない。
「最後は緒祈君だね」
「はいどーぞ」
僕は
「えっ?」
驚きの声を上げた。
驚きの声を上げてしまった。
それは、彼の後ろに控えていた女の子たちにも十分に聞こえるボリュームだった。
そっか……。
そうなっちゃったか……。
「平田くん、どうしたの?」
「あ、いや――」
「まさか緒祈くんの鞄に!?」
「軽井沢さんの下着が!?」
平田君は一瞬誤魔化そうとしたけれど、油を注がれた炎のような女の子たちの勢いが場を一気に呑み込んだ。荒ぶる彼女たちは平田君の手から僕の鞄を奪い取り、その中にある物を確認する。ある物を視認する。
そして。
「これ……!」
「下着だ!」
蜂の巣をつついたような騒ぎになった。
「きもい!」
「変態!」
「死ね!」
ある種の性癖の持ち主には喜ばれそうな罵倒の数々だけれど、残念ながら僕にその種の性癖はなかった。
そして何よりも残念なのは、軽井沢さんの下着が僕の鞄から出てきたことだ。おいおいやめてくれよ。誰だよ入れたの。
「緒祈、おまえ……」
「大人しそうな顔してるくせに」
「そんな男だとは思わなかったぞ!」
女子のみならず、男子からも侮蔑の視線が飛んでくる。
ありゃりゃ。物の見事に純度100パーセントの冤罪を被せられてしまった。これは流石に予想外の展開だ。
とはいえ慌てるほどの事態でもない。
「まあまあそう騒がずに、とりあえず僕の話を聞いてくれよ」
40人の視線を受けながらも泰然自若に反論を開始したこの時の僕は、全く想像できていなかった。まさかあれほどまで話を聞いてもらえないなんて、思ってもみなかった。
083
「クソッタレが!」
これだから馬鹿は嫌いなんだ!
まるで話が通じやしねえ!
俺が本当に犯人なら盗んだ下着を自分の鞄に入れとくわけないだろ! 森の中にでも隠すわ!
それにタイミングだっておかしいだろ! 最終日の早朝に盗めば犯人探しの時間を短く出来るのに、なんで5日目に盗むんだよ! どう考えてもDクラスを掻き回すための罠だろ!
そもそも軽井沢の下着になんか興味ねーよ!
あーもーイライラする。
どいつもこいつも知能指数が低すぎる。
篠原だか園原だか知らねーけど、自分のが盗まれたわけでもないのにぎゃーぎゃーうるせえんだよ。
なにが「言い訳するな!」だ。俺の話を理解できるほどの脳みそが無いだけだろーが。黙ってろ猿女。
本っっっっ当に不愉快だ。
どいつもこいつも俺より頭が悪いくせに声だけはやたらデカい。その口いっぱいにミミズを詰め込んでやりろうか。
「…………なーんてね」
僕はDクラスのキャンプから一人離れて、昨日釣りをした場所よりもう少し下った河原にいた。
つい先程までは手頃な石を拾い上げて苛立ちに任せてそれを水面に叩きつけていたけれど、腕が疲れたので止めた。非生産的な行為を終えると同時に、脳が平静を取り戻す。
我ながら何をやっているんだか。感情に身を委ねて思考を放棄したのでは、あの無能な連中と変わらないじゃないか。それじゃあダメだろう。周りより多少頭を使えることこそが、僕の唯一の武器なのだから。
さて、落ち着いたところで状況を整理しよう。
鞄から軽井沢さんの下着が出てきた僕は、安直なマジョリティによって下着泥棒だと決めつけられた。
もちろんそのような事実は無いので、僕は理論的に否定した。しかしあの馬鹿共には少々難しい話だったのか、誤解を解くことは出来なかった。
無実にもかかわらず大人数に一方的に責められるという初めての経験の所為か、自分でも驚くほどに心を乱されていた。それでも『歪』を撒き散らさないよう自重できたのは幸運なことだろう。僕にとっても、能の無い彼らにとっても。
決してDクラスの全員が全員救いようのない馬鹿だったわけでは無い。あの場には、僕を犯人と決めつける空気に疑問を抱いている様子の人もいた。つまり話の通じそうな人ってことだ。これは収穫と言っていいだろう。
下着泥棒扱いされるのは全くもって嬉しくないけれど、この状況は決して不都合なだけではない。
いつものように思考を巡らせていると、キャンプの方から誰かがやって来た。河原の石が踏まれて崩れる音に顔を上げると、そこにいたのは平田君だった。
「緒祈君……」
「やあ平田君。こんなところで会うなんて奇遇だね」
「……」
平田君は僕の軽口には応えず、手を伸ばしてもぎりぎり届かない位置に腰を下ろした。引け目でも感じているのだろうか。決して僕と目を合わせようとはしなかった。
絶えることなく刻々と変化する川面を目に映しながら、彼は僕に質問した。
「軽井沢さんの下着……緒祈君が取ったの?」
「違うよ。さっきも言ったけど、そんなことをしても僕には何のメリットも無い」
正直に、率直に答えた。
自分の彼女の下着を無価値だと言われたようなものなのに、平田君は特に気にした様子も無く「そうだよね」と答えた。そして悔しそうに唇を噛んだ。
「ごめんね。僕が篠原さんたちを説得できればよかったんだけど」
「謝る必要はないさ。碌に頭も使わず僕のことを犯人と決めつけた連中にムカつきはしたけれど、平田君が気に病むことじゃない」
「でも……僕が驚いた声を抑えていれば、もっと穏便に解決することも出来たと思うんだ」
「……」
穏便に、か。
あの騒動を穏便に納めることなんて出来ただろうか? たとえ『実は盗まれていませんでした』というオチだったとしても、不当に犯人扱いされた男子の不満は残る。
いや、まあ、手がないわけでもないんだよな。伊吹さんにヘイトを集めることが出来れば、Dクラスに平穏をもたらすことは十分に可能だ。そしてそれは、
これが穏便な解決策と呼べるかは怪しいけれど、平田君も同じ考えだったりするのだろうか?
案外彼は犯人の正体も犯行の動機もどうでもよくて、とにかくクラス内の不和を解消したいだけなのかもしれない。言葉の選びや話し方から、なんとなくそう感じた。リーダーシップのある爽やかイケメンだと思っていたけれど、実は何か闇を抱えていたりして。
そう考えると彼の過去に興味が湧いてくるけれど、そちらは一先ず置いておこう。下着泥棒の件に思考を戻す。
「終わったことを言っても仕方ないさ。僕は全然全くこれっぽっちも気にしてないから、平田君も気にしなくていいよ」
「でも……」
「それでももし君が罪悪感を抱えていて何か罪滅ぼしをしたいと言うなら、しばらく待ってほしい」
「待つって……何を?」
「
「ええっ? 緒祈君には真犯人が分かっているのかい? それなら――」
「いや、犯人探しはこれからだよ。でも、多分そうなる。きっと、恐らく、そうなるはず。そうなってくれたらいいな」
「自信の無さが尋常じゃないね……」
下着を盗んだ真犯人に自白をさせることは決して不可能ではない。しかし成功率は高く見積もっても60パーセント程度だ。現段階ではとてもじゃないけど断言はできない。
本当は、平田君にはもう少し算段が立ってからこの話をしたかった。ただ、今を逃すと次はいつ彼と二人きりで話せるか分からないから。余計な気苦労を掛けてしまうかもしれないけれど、今のうちに頼んでおく。
「きちんと謝ってもらえれば、こちらには許す用意がある。だから、もし真犯人が判明しても篠原さんたちに謝罪する気配がないようなら、その時は平田君に背中を押してあげて欲しいんだよ。僕としてもクラス内に禍根を残したくはない」
「分かった。確かに篠原さんたちの言葉は度が過ぎていたからね」
「自発的に来てくれるならそれでいいんだけどね。ああ、でも、欲を言うなら船に戻ってからがいいな」
「それはどうして? 島にいる間に解決した方が良いと僕は思うけど」
「あはは。ちょっとした小賢しい小細工だよ。気にしないでくれ」
作戦と呼べるほど大したものじゃない。『船上で弱っている僕』に謝ってくれた方が、篠原さんたちの罪悪感を掻き立てられるのではないか――という少々嫌がらせじみた思惑だ。
果たして僕の頭にあるプランがどれほど上手くいくかは分からないけれど、まあ、なんとかなるだろう。ならないならならないで、その時はまた別の手を打つだけだ。
「じゃあ、そういうことで。よろしくね」
「うん。僕はキャンプに戻るよ」
「ばいばーい」
来た時よりは幾らか晴れた表情で、平田君はベースキャンプへと帰って行った。
クラスのまとめ役として誰にも相談できない悩みとかあるんだろうなあ。というか、現在進行形で彼の頭を悩ませているのが僕なんだけど。不本意とはいえ申し訳ない気持ちがないこともない。
それからしばらくして、何をするでもなく時間を消費している僕の所に、今度は綾小路君が来た。
「よう」
「やあ」
彼は僕の隣、手を伸ばせば肩を掴めるくらいの位置に座った。
「災難だったな」
「確かに災難ではあるけれど、決して最悪ではないよ。この状況はこの状況で使い道がある」
「ほう。意外とポジティブだな」
「過去に囚われていないだけだよ」
より正確に言うならば、起きてしまった悲劇はさっさと諦めて受け入れるというのが僕のスタンスだ。意図しない結果ばかり与える『
尤も、今回の一件が『
「クラスメイトと交流を深めていなかったのが仇になったな。一部を除いて、ほぼ全員が犯人は緒祈だと思い込んでいるぞ」
「その
僕に対する罵詈雑言が飛び交うキャンプで、一歩引いて思案に耽っている生徒が何名かいた。綾小路君と堀北さん、そして三宅君と長谷部さんと、あと名前を知らない人もちらほらと。
Dクラス内にもネットワークを築こうとは思っていたので、今回の一件はその相手を見極める良い機会になった。
「一つ目の、と言うなら二つ目もあるのか?」
「罪を擦り付けられただけの僕に対し、クラスの8割が汚い言葉を浴びせて、更にはキャンプから追い出したんだ。もし真犯人が判明したら、彼らは否応なく罪悪感を抱えることになるだろうね」
「それでDクラスでの地位を確立する気か」
「地位なんてものは考えちゃいないけど、それなりの武器にはなる」
彼ら彼女らに良心の欠片があるのなら、『可哀想な緒祈真釣』を無下に扱うことは出来なくなるだろう。例えば
事態が好転せずに僕がいじめられる可能性もゼロではないけれど、その時はその時だ。証拠を集めて躊躇なく学校に報告してやろう。僕を傷つけようとする連中は停学にでも退学にでもなればいい。
まあ、平田君がいる以上、Dクラス内でそう分かりやすくいじめが起こるとは思えないけど。
そこら辺の話は一旦置いておこう。
それよりなにより、まずは僕に罪を被せた厄介者をどうにかしなくちゃ……いや、違うな。下着泥棒の正体はこの際どうでもいい。僕に着せられた汚名を晴らすことが出来れば、とりあえずはそれでいい。
「真犯人の目星は付いてるのか?」
「願望も込めて十中八九伊吹さんだね。彼女と話がしたいから、ここに呼んでくれない?」
「それは構わないが……」
「?」
綾小路君はそこで一度言葉を切った。そして黙ったまま十秒程考え込み、再び口を開いた。
「オレたちの契約は覚えてるか?」
「契約ってほど堅苦しいものという認識はないけれど、そりゃあもちろん覚えてるよ」
綾小路君が目立たず高校生活を送るために、そして僕がAクラスで卒業するために、互いに協力し合う約束を僕たちは交わした。ただ何か事情があるようで、綾小路君は現在Aクラスを目指す姿勢を見せている。詳しい事情は聞かれたくないようなので聞いていない。
「今回の特別試験でオレはDクラスが1位になるように動いているが、その全てをお前と堀北の手柄にするつもりだ」
「どうぞどうぞ、お好きなように」
「代わりに伊吹について、オレが得ている情報を教えておこう」
「へえ? そいつは有り難いね」
「まずお前の予想は正解だ。軽井沢の下着を盗んだ犯人は伊吹で間違いない」
間違いない。綾小路君はそう力強く断言して、彼がこの島で人知れず収集した情報を教えてくれた。
話によると伊吹さんは森の中にトランシーバーを隠していたそうで、しかも同じものを龍園君も持っていたらしい。これにより彼女がスパイであることが綾小路君の中で確定した。さらに伊吹さんの鞄の中からデジタルカメラを発見し、Cクラスの策を見抜いたそうだ。CクラスとAクラスが繋がっていることも見抜いたそうだ。名探偵かよ。
Dクラスの勝利を目論む名探偵綾小路は策を見抜くに飽き足らず、カメラを壊すことで彼らの計画に罅を入れた。その罅はただの罅ではなく、CクラスとAクラスをまとめて罠に嵌める為の大事な伏線になる。
「よく考えているね。それによく動いている。僕とは大違いだ」
「緒祈だって、やろうと思えばこれくらい出来るんじゃないのか?」
「いやいや。僕にそんなバイタリティはないよ」
ほんと、惚れ惚れするほどの行動力だ。感心感心。
でも
絶対に有りえないとは言い切れないけれど、まあ、ここは綾小路君を信じるとしよう。何でもかんでも疑っていては、思考も話も進まない。
「貴重な情報をありがとう。おかげで伊吹さんとも話がしやすくなったよ」
「それは良かった。ただ、一応声をかけてはみるが、あいつが素直に来てくれるとは限らないぞ」
「Cクラスの生徒との繋がりを作れる絶好の機会、みすみす逃したくはないね。上手いこと言って誘き出してよ」
我ながら無茶な要求だと思いつつ、そうお願いする。綾小路君は呆れたように肩を竦めたけれど、彼ならきっと上手く事を運んでくれるだろう。
人任せな僕が能天気にでも見えたのだろうか。綾小路君はこんな的外れなことを言った。
「意外と平気そうだな」
「ん?」
「下着泥棒の汚名を被せられて少しは落ち込んでいるかと思ったが、お前にとってはむしろ都合が良かったみたいだな」
「いや、いやいやいや」
その誤解は嬉しくない。冤罪を被せられて喜ぶ人間だとは思われたくない。ここはしっかりと否定しておかねば。
「確かに今朝の一件には僕にプラスにはたらく面もあるけれど、それは無理矢理都合よく解釈しているだけだよ。変態扱いされたことはショックだし、これでも結構傷付いてる」
「じゃあ、どうしてチェックを受ける前に鞄の中身を確認しなかったんだ?」
「僕は潔癖症というわけではないけれど、それでも他人の下着なんてものは見たくも触りたくもないからね。万が一に備えて開けなかっただけだよ」
「で、その万が一を引き当ててしまったと」
「そういうこと」
それに、たとえ下着の存在を事前に察知していたとしても、あの状況で鞄を
結果的に変態扱いされてしまったけれど、それでもあの場ではベストな行動だったんじゃないかな? 後々真犯人が判明した際、『緒祈真釣は件の下着に指一本触れていなかった』という事実は、きっとクラスメイトに良い印象を与えるはずだ。
だから、先々のことは大丈夫だから、あとは僕が伊吹さんをどれだけ思い通りに動かせるかだ。交渉や取引と言った類は決して得意分野ではないけれど、だからと言って避けるわけにもいかない。人任せにできるものでもない。
「それじゃあ、伊吹さんをよろしく」
「ああ。善処する」
ベースキャンプに帰る綾小路君の背を見送りながら、これからの展開を考える。
伊吹さんを呼んでもらったのは取引をするためだ。彼女に真犯人として名乗り出てもらい、間接的に僕の無実を周知してもらう。そしてその見返りとして、こちらからはプライベートポイントを幾らか払うつもりだ。
もしも伊吹さんが三年間の高校生活をずっと龍園君の下で過ごすつもりの小人物であるならば、この取引は成立しない。しかし彼女はその程度の人間ではない、と思う。少なくともスパイとしてDクラスのリーダーを当てるという大任を負っている以上、愚か者ではない。他クラスに話せる相手がいることのメリットは理解できるはずだ。
とはいえそもそも交渉のテーブルについてもらわないと話が進まない。綾小路君を介した僕の呼び出しに、果たして素直に応じてくれるだろうか? 高い確率で来てくれると思うんだけど……。
まあ、来るにしても時間はかかるだろう。誰かに見られている状況では、僕の所に足を運ぶのは躊躇われるはずだ。焦らず慌てず、気長に待つとしよう。
――それから2時間ほど経過して、不機嫌そうな伊吹さんが現れた。
084
無人島試験六日目。
長いようで短かったこの試験も、気付けば残り2日となった。
依然として下着泥棒扱いされている僕は今日もまた、クラスメイトからの無言の圧力に押されてベースキャンプを離れていた。
監視を付けもせず一人にさせるのは、客観的には「それでいいのか?」と疑問を覚える処遇だけど、僕としては好都合だ。そのおかげでクラスメイトにバレずに伊吹さんと話ができたのだから。
尤も、昨日の交渉がどれだけ実を結んでくれるかは不明だ。契約書も誓約書もない取引だし、そもそも伊吹さんから明確な返事は聞けていない。
伊吹さんは、軽井沢さんの下着を盗って僕の鞄に入れたことは認めてくれた。Dクラスのリーダーを探りに来たスパイであることも自白した。ただ、そんなことはどうでもいいのだ。真実がどうであれ、重要なのは彼女が下着泥棒であると名乗り出てくれるかどうかだ。
そのために僕が出せる幾つかの報酬を提示したり、僕に貸しを作ることのメリットをプレゼンしてみた。しかし残念ながら伊吹さんは考え込むばかりで、明確な返事はくれなかった。はっきり断られなかっただけでも良しとすべきだろうか?
伊吹さんが動かないなら次の手を打つ必要があるので、一応期限は設けておいた。8月10日、船に乗って3日の内に篠原さんたちの謝罪が聞ければそれでいいと、僕なりに譲歩した案を提示した。平田君に話を通せば上手く取り計らってくれるだろうとアドバイスもした。
思いつく限り出来ることはした。後は伊吹さん次第だ。
本日8月6日の朝の時点では、まだ伊吹さんが動いた様子は無かった。というわけで僕は相変わらず犯人扱いされている。
正直、滅茶苦茶暇だ。
もし噂が届いていたらと考えるとBクラスに遊びに行くことは出来ない。Dクラスのために何か出来るような空気でもないし、これと言って出来ることもない。僕個人のやりたいことは、昨日の内に全て終わっている。
そんなわけで何をするでもなく、木の影が時計回りにゆっくりと動くのを眺めていた。昼を過ぎると次第に空を灰色の雲が覆い、木の影はその輪郭を失った。
それからしばらくして、雨がパラパラと降り始めた。僕はベースキャンプに戻ることにした。
ベースキャンプではDクラスの面々が何やら騒いでいた。どうやら
昨日に引き続き空気が悪いなあと呑気に考えていると、何故かまた僕が犯人扱いされてしまった。下着泥棒に続いて放火魔の称号まで獲得してしまった。
え、なんで?
意味分かんない。
ただ、誰よりも噛み付いてきそうな篠原さんは何故か僕に何も言ってこなかった。一瞬だけ目が合ったんだけど、後ろめたいことでもあるのかすぐに逸らされてしまった。
ひょっとすると伊吹さんが動いたのかもしれない。キャンプを見渡しても彼女の姿は見えなかったので、リタイアして船に戻ったのだろう。あ、その前に島に潜んでいる龍園君と会うんだっけ。
夕方と呼べる時間帯が終わりを迎えるにつれて、雨は勢いを増していた。
僕は多くのクラスメイトから変態放火魔と認識されていて、正直このキャンプでは肩身が狭い。しかし土砂降りと言っても過言ではない激しい雨だ。一人で夜の森に入るのは流石に命の危険を感じたので、図太く無神経を装ってベースキャンプに居座った。
夜8時の点呼の時には、伊吹さんに続いてさらに二人の姿が無かった。
一人は堀北さん。体調不良でリタイアとのことだった。
もう一人は綾小路君。今頃リーダーになってキーカードを受け取っているのだろう。
明日はいよいよ無人島試験最終日。
僕が一切接点を持たなかったAクラスは、後半は会えなかったけど把握している限り一番上手に動いていたBクラスは、他クラスの裏をかくことに終始したCクラスは、そして初日の高円寺君の離脱や男女での衝突に始まり昨日今日も散々だった我らがDクラスは、果たしてどのような結果を出すのだろうか。
無人島の雨がテントを叩く。
その音が気になったからなのか、それとも心が平常運転できていないのか、僕はしばらく眠れなかった。
10万UA突破ありがとうございます。