087
船が出港するまで、僕たち生徒には2時間ちょっとの自由時間が与えられた。無人島試験の疲れもあって大半の生徒は船に戻ったけれど、一方でエネルギーの有り余っている幾つかのグループは海に入ってじゃぶじゃぶと遊んでいる。
僕は木陰に腰を下ろし、その様子をぼんやりと視界に収めていた。
ひょっとすると彼ら彼女らには、名残惜しいという気持ちがあるのかもしれない。最初は不安だった無人島での生活も終わってみれば良い思い出だと、そんなことを考えて、最後までこの島を満喫しようとしているのかもしれない。
しかし同じく島に残っているこの僕には、そのような感覚は全くなかった。船に乗ったら気分が悪くなるから、仕方なく、消去法でここにいるだけだ。……我ながら夏の浜辺には似合わないテンションだな。
これといってやることもないので、波の音を耳に入れながら、試験の結果を改めて考えてみる。
まずは最下位だったCクラス。0ポイントだったのは綾小路君がリーダーをずばり当てたからだ。
最後まで島に残っていた龍園君がリーダーだったのだろうけど、それを今朝の時点で断定するのは難しいだろう。彼の性格とかを読み切ったうえでの判断なのかな。間違えたときの損失を思えば僕には出来ない決断だ。見事見事。
続いて三位だったAクラス。
こちらも綾小路君がリーダーを見抜いたのだろうけど……うーん、方法がさっぱり分からん。そこらへんの話はしてないからね。後で聞いてみるとしよう。
ただ、Aクラスのリーダーを当てたのは綾小路君だけではないと思う。Aクラスが残した120ポイントという結果を見るに、恐らくは龍園君も見抜いたのだろう。断言はできないけれど、それが一番しっくりくるシナリオだ。
CクラスのポイントでAクラスに必要な物資を買い揃える、という取引は確かにあったはずだ。しかし、どうやら互いのリーダー当てを制限するルールは設けていなかったらしい。葛城君が間抜けなのか、それとも龍園君が一枚上手だったのか。
二位のBクラスについては、これといって言及することは無いだろう。リスクを負ってまでリーダー当てには参加せず、堅実なプレイで約200ポイントを獲得した。さすが帆波さん。見事なものだ。
最後に我らがDクラス。最終結果が252ポイントということは、リーダー当てとスポット占有ポイントを除くと……純粋に残せたのは120ポイントくらいかな? マニュアルを見ていないので、これが優秀なのかそうでもないのか判断に困る。
ただ一つ確かなのは、綾小路君がいなかったら一位にはなれなかったということだ。チームプレイの質はまだまだBクラスの足元にも及ばない。まとまり具合で言うならCクラスにだって負けている。龍園君のスタイルを見習えとは言わないけどね。
綾小路君の計画通り僕が手柄を得ることになったら、今後はクラス内で意見を求められることも多くなるかもしれない。一定の成果を上げ続ければ、Dクラスの中心になれるかもしれない。
『Aクラス移籍計画』の現実味が増して来たなあ。
今回の特別試験では想定外のトラブルもあったし、嬉しくない誤算もあった。未解決の問題もある。それでも全体的な収支を考えれば『そこそこプラス』と言っていいだろう。
船の出港を砂浜の縁で待つ僕はそんな風に、この一週間にそこそこの満足感を感じていた。
そうしてどれくらいの時間が過ぎただろうか。ふと、左から何者かの存在を報せる音が聞こえて来た。しゃりしゃりと砂を踏むその音は、気付いた時にはもうすぐ傍まで来ていた。
どちら様かなと顔を上げると、そこにいたのは千尋さんだった。
「水着姿の女の子たちを凝視している変態がいると思ったら、これはこれは、噂の下着泥棒さんじゃないですか」
「あらぬ誤解だ」
こちらを小馬鹿にするようにニヤニヤと笑いながら、千尋さんは僕の隣に座った。少し体を傾ければ、肩が触れ合う距離だ。
フローラルな香りがほのかに、ふわりと流れて来る。一週間も無人島で過ごしたにしてはやけに清潔感があるし、おそらく一度船に戻ってシャワーでも浴びて来たのだろう。
そして船の中であちらこちらからあれこれと、今回の試験の話を聞いたりもしたのだろう。
「Bクラスにも届いてるんだね。その噂」
「いやー、びっくりしたよ。まさか真釣くんがそんな人だったなんて」
「だから誤解だってば」
「あははっ。分かってるよー」
イタズラが成功した子供のように、楽しそうに笑う千尋さん。僕はやれやれと肩を竦めつつ、己の頬が緩むのを感じていた。
こういう時に経緯を説明するまでもなく、無条件で信用してくれるのはありがたいし、素直に嬉しかった。
「うちのクラスではちゃんと否定しておいたから、安心していいよ」
「ありがとう、助かるよ。でも、僕のことを快く思っていない人もいるでしょ? よく説得できたね」
「真釣くんはクラスの混乱を避けるためにあえて犯人の汚名を被った――ということにしておいたよ」
「ほほう。なるほどね」
実際の僕はそこまで献身的ではないけれど、僕のことをあまり知らない人からすれば十分に信じられるのかもしれない。
良い設定だからDクラス内に対しても使おうかと思ったけど……無理だな。疑いをかけられた時、僕は一度も自分の非を認めていない。むしろ全力で否定した。これで『あえて汚名を被った』と言うのは無理があるだろう。
うーん、失敗したなあ……。
「真釣くんに濡れ衣を着せた真犯人は、伊吹さんかな?」
「おっ、よく分かったね」
「金田君がね、昨日の夕方にいなくなったんだよ。それで彼がスパイだったことは確信できたから。じゃあDクラスにいる伊吹さんもそうなんだろうなって。じゃあDクラスで下着を盗んだのは伊吹さんだろうなって。そんな感じ」
「……あれ? Bクラスに下着泥棒の話が届いたのって……」
「私が知ったのは一昨日の夜だよ」
「ほへーん」
つまり、事が起きたその日のうちにか。一応想定内とはいえ、その早さには驚きを禁じ得ない。クラス間の交流が希薄になる環境だったはずなのに、悪事千里を走るということだろうか。いや、別に僕は何も悪い事はしてないんだけどね。
それにしても今の千尋さんの話を聞くに――
「ひょっとして、金田君が最後までBクラスのキャンプに残ってたら……」
「あー……その時は、噂の払拭は難しかったかもしれないね。金田君がスパイだって確定しないんじゃ、伊吹さんが真犯人って話の説得力も弱まっちゃうし」
「ひょえー」
よくやった金田君!
先程の龍園君との話から察するに、金田君はBクラスのリーダーを見抜けていない。誤答を出した様子も無い。それなのに彼が姿を消したのは、なんの成果も無くBクラスを後にしたのは少々不可解ではあるけれど……まあ、気にするほどでもないか。龍園君が作戦を練る時間も限られていたことだし、これくらいの粗はあるだろう。
それに金田君の事情がどうであれ、僕が千尋さんに救われたことには違いない。
「世話かけるね」
「いいよ。好きでやってる事だから」
「そっか」
「そうだよ」
なんというか……千尋さんも綾小路君も、帆波さんや隆二君もそうだろうけど、僕が親しくしている人はみんな働き者だなあ。お陰で僕の不労働っぷりが際立ってしまう。いやはや、お恥ずかしい限りだ。
「Dクラス内での真釣くんはどんな感じ? ちゃんと疑惑は払拭できたの?」
「それはまだこれからだね。一応算段は立ってるよ」
「ならいいけど……。実際のところ、何があったの? 真釣くんが疑われるにはそれ相応の理由があるんでしょ?」
「ああ、それはね――」
僕は千尋さんに一昨日のことを話した。軽井沢さんの下着がなくなって、男子の荷物検査をしたら僕の鞄から出てきたこと。否定したものの聞いてもらえず、早々に犯人扱いされたこと。
話を聞き終えた千尋さんはふむふむと頷き、心配するような、そしてどこか不満気な表情をしていた。
「それは災難だったねー。でも、Dクラスの人達も安直すぎじゃない? 鞄から現物が出て来たら、そりゃあ疑わざるを得ないけどさあ……それで犯人だと決めつけるのは早計に過ぎるでしょ」
「さっさと犯人を決めて解決しちゃいたい、という気持ちも分かるけどね。電気も水道もない無人島で四日も過ごして、心にそう余裕があったわけでもないだろうし」
「良い奴かよ!」
「あはは。二日も経てば怒りも冷めるさ」
「そんなもんかなー」
「そんなもんだよ」
そりゃあリアルタイムでは頭に血が上ったりもしたけれど、汚名を返上する手立てはあるわけだし。クラス内での僕の立場もなんとかなりそうだし。今の僕にとって一昨日の一件は、今さら取り立てて気にすることではなかった。
それに、脳のリソースを割きたいところが他にあるからね。
下着泥棒の話は千尋さんももう十分のようで、「なにはともあれ」と話を変えた。
「試験お疲れさま。それから、1位おめでとう」
「ありがとう。と言っても、僕が何をしたわけでもないけどね」
「そうなの? 最終ポイントを見るに、AクラスとCクラスのリーダーを当てたんでしょ?」
「そうだねえ……」
ここで僕は考える。僕がリーダー当てに微塵も貢献していないことは正直に言うとして、では真の立役者であるところの綾小路君についてまで、果たして千尋さんに教えていいものだろうか?
僕と千尋さんの距離感を思えば、秘したところでどうせすぐバレる気もする。とはいえ綾小路君への義理もあるし、ぺらぺら話すことでもない。自分から積極的に発信するべきではないな。
というわけで個人名は出さずに伝えることにした。
「暗躍好きな子がいてね。なんか、気付いたら勝ってた」
「ふうん……? 真釣くんも中々暗躍好きそうな感じだけど」
「僕が好きなのは暗躍じゃなくて安楽だよ。あと安寧と安静も好き。安心と安全も好き」
「うーん、なんでだろう? 全然そんな感じがしない」
「えぇ……」
まあ、
そして恐らく、今後もこの学校にいる限り、僕の日常に束の間以上の休息が与えられることは無いだろう。……なんとも気分の上がらない未来予想だ。
「さっき龍園君といたけど、あれは何を話してたの?」
「ちょっとした雑談だよ」
「あの場面で龍園君と雑談できる人間は、安心よりむしろスリルを求めるタイプなんじゃない?」
「あはは。言えてる」
僕はそういう刺激を求めるような、遊園地に行ったら必ずジェットコースターに乗るような人種ではない。しかし
「龍園君がぼろぼろになっていたのは、あれも真釣くんが何かしたの?」
「あれは……どうなんだろう?」
「いや、私に聞かれても」
彼の姿を一目見たときには、試験初日に流し込んだ『
真相は藪の中、と言ったところか。
……そんなに上手いこと言えてないかな。
「とりあえず、真釣くんの
「うん、そうだね。そう解釈してくれて構わない」
今回は幸いにも裏目に出ることはなかったようだけど、やはり『
実験データを集めるのが困難を極めることは事前に容易に想像できたはずなのだけれど、初日の乗船による体調不良が脳みそのパフォーマンスを下げていたらしい。無駄に無意味な策を巡らせてしまった。なかなかどうして、上手くはいかないものだ。
『歪』といえば金田君にも投与したけれど、あれも結局どうなったんだろう? Bクラスのリーダーが見抜かれていないので、少なくとも不都合な展開だけは避けられたようだけど。
あっちもこっちも分からないことだらけだなあ……。
分からないことを考えても仕方ないので、もう少し分かりやすい話をしよう。
「そういえばBクラスって、結局誰がリーダーだったの?」
「帆波ちゃんだよー」
「へえ! そりゃまた思い切った人選だね。僕はてっきり千尋さんか隆二君かと予想していたんだけど」
「そういう案もあったけどね。でも、リーダーを務めるのが誰であれ、秘匿するための戦略は大して変わらないでしょ? それなら帆波ちゃんでいいんじゃないかって」
「なるほどねぇ」
言われてみれば確かに、余程のポンコツでさえなければリーダーは誰でもいいのかもしれない。であれば単純に、クラス内で最も信頼されている人物が務めればいい。リーダー当ては外した時のペナルティーがあるので、他のクラスから当てずっぽうで書かれることも無いわけだし。
「Dクラスは? 平田君か櫛田さんかな?」
「んにゃ、堀北さんだよ」
「……あれ? 堀北さんって、途中棄権したんじゃないの?」
その情報も既に得ているのか。耳が早いな。まあ、試験が終わった今となっては殊更隠すようなことでもないし、Dクラスの誰かがクラスの垣根を越えて発信したのだろう。
「そうだね。だから昨日の夜、うちのクラスは新しいリーダーを立てた」
「……あっ! それでAクラスとCクラスはあんなに低かったんだね!」
「そういうこと」
千尋さんは合点がいったご様子で、右のこぶしで左の掌をぽんと叩いた。そしてそのまま目をぱちくりさせて、首をこくんと傾げて、僕の顔を覗き込んだ。可愛い。
「真釣くんの発案?」
「そうでもないんだけど、多分、そういうことになりそう。というか、そういうことにしといて」
「なるほどそういうことね」
あまり詳しく掘り下げると綾小路君の話になってしまうので、僕は曖昧に濁して伝えた。その意図を汲んでくれたのか、それとも単に興味がないのか、千尋さんは特に追及はしてこなかった。ただ、その代わりにと言うべきか、辛辣な言葉を僕に浴びせた。
「……ひょっとして真釣くん、今回の試験で何もしてないんじゃない?」
「うぐっ」
気付かれてしまった……。
いかにも図星な僕の反応に、千尋さんは「ふふふっ」と楽しそうに笑う。僕は目を逸らしながら言い訳を連ねる。
「いや、無人島というロケーションがね、僕向きじゃないからね」
「そうは言っても、ねえ?」
「それに、全く何もしてないわけじゃないさ。僕が敬愛する《策師さん》の言葉を借りて言えば、『勝つも負けるも次への布石』だよ」
「今回の試験はあまり意識せず、先を見越した手を打ったってこと?」
「そんなところだね」
僕はドヤ顔で答えたけれど、思い返すとやっぱりそんなに大したことはしていない。偉そうに布石なんて言葉を使ったけれど、自分から積極的に打ちにいったわけでもないし。
あちゃー。ほんとに何もしてないや。
そんな情けない僕のことなどお見通しなのか、千尋さんは冷たい視線を向けてくる。
「ふうん……。正直私としては布石云々よりも、帆波ちゃんとの関係を進めて欲しいんだけどね」
「あー……」
おおっと、そっちの話に移るのか。
思わぬ方向への話題の転換に、僕はただ声を漏らすだけという少々間の抜けた反応をしてしまった。千尋さんはそれが気に食わなかったようで、眉を顰め、唇を尖らせた。
「一応確認しておきたいんだけど、真釣くんって帆波ちゃんのこと好きだよね?」
「そう考えてもらっても差し支えないかもしれないね」
「面倒くさい言い方だなあ……」
「まあね」
この面倒くさい言い方こそが、僕の心の機微と言えるだろう。僕が帆波さんに抱いている心情は、人から聞かれれば否定こそしないものの、それでも自分の口ではっきりと言葉にするのはどうにも憚られるのだった。
その理由はいくつか挙げられるけれど、情けないことに中でも一番大きな理由は……小っ恥ずかしいからだ。自分の気持ちを認めるのが恥ずかしいだなんて、初めて恋を知った乙女かよ――と、我ながら呆れてしまう。
そんな僕の胸の内すらお見通しなのかどうなのか。千尋さんによる質問タイムが始まった。
「じゃあさ、真釣くん。帆波ちゃんのどんなとこが好き?」
「そりゃあもちろん、か――」
「髪は無しね」
「えっ? じゃあ、か――」
「顔も無し!」
「ええっ?」
僕の答えにちょっと怒った様子の千尋さん。とはいえ僕も決して
半ば予想していたけれど、やはり正直な回答ではご納得頂けならしい。
「髪とか顔抜きで、真釣くんは帆波ちゃんのどこに一番魅力を感じる?」
「ええーと……」
うーん、参ったなあ。明るい性格とでも答えればいいのか? でも、性格が暗かったり、ひねくれている帆波さんを想像してみるけれど、あのルックスがあれば別にどうでもいいんだよなあ。
……おやおや。どうやら僕は、自分で思っていたよりも面食いだったらしい。
望まれている答えを出すべきか、それともあくまで自分の正直な気持ちを伝えるか。黙って悩んでいると何やら勘違いされたようで、
「胸かよ!」
「ごふっ!」
脇腹に手刀が刺さった。
「まだ何も言ってないんですけど……」
「ちょっと待って。え、ひょっとして外見だけなの?」
「僕は人を中身で判断したりしないよ」
「良い台詞みたいに言ってもダメ!」
「そもそも他者から観測できる時点で全ては『外見』なんだよね。人の『中身』がどうとか言ってる人間は、自分の中で作り上げた妄想を基に人を評価しているんだ。その方が酷いと思わないかい?」
「……ちょっと納得しかけたけど、いやいや騙されないよ? もっともらしく言っても無駄だよ? 少なくとも真釣くんは、帆波ちゃんの髪と顔と胸だけを評価してるって明言したんだから」
「胸って言ったのは千尋さんでしょ……。冗談はさておき」
「どこまでが冗談だったのか分からないんだけど?」
「冗談はさておき!」
話しながら色々と思考を巡らせた結果、千尋さんが納得してくれそうで、かつ自分に嘘を吐くことにもならない最適な表現が見つかった。
「僕が帆波さんのことを気に入ってるのは、別にどこが好きってわけじゃなくて、単純に一緒にいて気分が良いんだよ。それが全てだよ」
「……ま、それならいいんだけどさ」
よし、一先ず納得してくれたようだ。ただ千尋さんはそれ以上言葉を続けることはなく、つられて僕もなんとなく声を出せなかった。
波の音が聞こえた。それ自体はずっとここにあった音なのだけど、僕たちが沈黙したことで再び耳に入って来た。砂浜ではしゃぐ同級生の楽しそうな声も、微かに届いていた。
横を見れば千尋さんの視線はその砂浜に向いていて、けれど意識は別の所にあるようだった。きっと、帆波さんのことを考えているのだろう。
言葉の無い時間が暫く続いた後、千尋さんは再び口を開いた。
「前から思ってたんだけどさ」
「うん」
「帆波ちゃんって、完璧じゃない?」
「……まあ、そう表現しても過言ではない人だね」
話の流れは見えないけれど、その通りなので首肯する。
帆波さんは勉強も運動もできるし、リーダーシップは同世代では
「それが、どうかしたの?」
「なんでAクラスじゃないんだろう?」
「……確かに」
気にしたことなかったけど、言われてみればそれは確かに不思議なお話だ。
高度育成高等学校の新入生は、優秀な人から順にAクラス、Bクラス、Cクラス、Dクラスへと配属される。一学期の中間テストの頃だかに、茶柱先生はそう説明していた。
入試の時は本調子じゃなかった、みたいな単純な理由がまず思い付くけれど、千尋さんの考えはもう少し奥に進んでいた。そして僕と違って考えるだけでなく、行動にも移していた。
「碌に娯楽の無い一週間だったから、話す時間はいっぱいあったんだよね。それで、ちょっと探ってみたんだけど」
「ほう」
「帆波ちゃん、どうも
「……何かって?」
「それは分かんない。流石にそこまでは踏み込めなかった。でも、その件で自分を責めてるのは確かだよ」
「ふーん」
心配そうに話す千尋さんに対し、僕の相槌はやや愛想の無いものになってしまった。当然目敏く咎められるけれど、僕にも僕の考えがあった。
「もうちょっと興味持ってよぅ」
「興味がないわけじゃないよ。ただ、そこまで気にする必要もないと思う」
「なんで?」
「だって、精々AクラスからBクラスへのワンランクダウンでしょ? Dクラスにまで落ちたわけじゃないし、入試で落ちたわけでもない」
「それはまあ、そうだけど……」
もしDクラスやそれ以下まで落とす必要がある大事件が起きていたなら、学校側が把握していないはずがない。
「だから気にしなくていいんじゃない?」
「でも、帆波ちゃん自身は気にしてるんだよ?」
「……ああ、そっか。それは大問題だね」
千尋さんの言葉にハッとする。
僕自身は過去なんかどうでもいいと思っているけれど、そうは割り切れない人も多くいることだろう。振り返ってみれば少し前までの僕だって、過去に囚われていたようなものだったし。
帆波さんもそんな風に過去に苛まれているのなら、それを呑気に静観はできないよなあ。
「帆波ちゃんってBクラスの委員長として、あんまり人に弱味とか見せないんだよね。だけど、もし、もしもだよ?
「ふむ」
「前も言ったけど、そこいらの得体の知れない男にひっかかられちゃあ困るんだよ。甘えられる相手が必要だとは思うけど、誰でもいいわけじゃない」
「それで、僕がどうにかしろと」
「そういうこと。クラスが違うから何かと相談しやすいと思うし、あとは頼りになるところを見せれば何とかなると思うんだよね。私も裏回しするし」
「ふむ」
裏回しって、ひょっとしてこの子、綾小路君より暗躍好きなんじゃない? 話が逸れるから言わないけど。
「まあ、僕としても帆波さんがどこの馬の骨とも知れん奴に靡くのは不愉快だし、何か問題を抱えているなら解決してあげたい気持ちはある。ただ……とりあえず一週間は船の上だから、僕は何もできないよ?」
「んもう、頼りないなあ……。帆波ちゃんのピンチに颯爽と駆けつけたりしてよ。物語の主人公みたいにさ」
「いやー、無理でしょ」
それは船の上に限らず、陸の上でだって難しい話だ。
先程も言った通り、帆波さんは非常に優秀な人だ。だからそもそも、そうそうピンチに陥ることはない。大抵のことは自力で、もしくはBクラス内で対処できてしまう。それでも外部の助けが必要になるほどの大ピンチとなると、果たしてそんな場面で僕に出来ることなどあるだろうか?
というか――
「そもそも僕は、そういう危機的状況は事前に潰したい
ヒロインのピンチに颯爽と駆けつける主人公はカッコ良い。でも、ヒロインがピンチになるのを待つような主人公はカッコ悪いし、そういうイベントが無いとヒロインからの好感度が上げられない主人公は不格好だ。
僕に主人公願望なんてものは無いけれど、シンプルな話、危ない状況なんてのは無い方が良いだろう?
「そういう考え方も分かるけど……。まあ、真釣くんの帆波ちゃんに対する執着が垣間見えただけでも、今は良しとしておこうかな」
「悪いね、期待に沿えなくて」
「ううん、気にしないで。私もちょっと、過剰に焦ってた気がするし……。でも、真釣くん」
「ん?」
「いつまでもこのままじゃあ、ダメだよ?」
「……そうだね」
ひょっとすると千尋さんがその言葉に込めた思いを、僕は完全には理解できていないかもしれない。それでも現状維持に甘んじてはいけないというのは、僕自身も考えていたことだった。
帆波さんや千尋さんと共にAクラスで卒業するという目標を達成するには、僕はもっと積極的にならなければいけない。それは帆波さんとの関係だけでなく、他の色んな方面に対しても。
「とはいえさっきも言った通り、向こう一週間の僕には大したことはなーんにも出来ないけどね」
「ほんと頼りないなあ……。もし船の中でも特別試験があったらどうするの? 大丈夫なの?」
「あまり大丈夫ではないね」
内容によっては全然大丈夫じゃない。しかし一週間も無人島で過ごさせたんだし、残りの一週間は流石に休ませてくれるのではなかろうか。うっかりしてるとすぐ忘れちゃうけど、今は夏休みなんだから。夏休みなんだから!
……まあ、真面目に予想するならば、何もないのに一週間も船に拘束するとは思えない。十中八九何かある。
あー。
やだなあ。
「体質はどうしようもないもんねー。クラスは違うけど、私も出来るだけサポートするから。してほしいことがあれば何でも言ってよ。えっちぃの以外は聞いてあげる」
「ありがとう、助かるよ」
「……少しはそういうことを想像して照れるとかないの? 可愛くないなあ」
「僕に可愛さを求めるんじゃない」
思春期の男子を
「あう」
あざと可愛いリアクションをされてしまった。
……って、そんなことはどうでもよくて、そういえば千尋さんに頼みたいことがあるんだった。喫緊の要件ではないけれど、忘れないうちに伝えておこう。
「じゃあ、早速一つお願いしてもいいかな?」
「え、今?」
「船を降りた後の話なんだけど」
「そりゃまた随分と気が早いね」
確かに早すぎるかもしれないけれど、一週間も船に乗ると忘れてしまいそうだから。基本的に僕は船上の自分というものを一切信用していない。
「三日目にそっちに行った時、僕に絡んできた男子三人組がいたでしょ?」
「あー、浜口くんたちだね」
「名前は知らないけど。東京に戻ったら彼らと内密に話がしたい。場を整えてもらえるかな?」
「別にいいけど……正直、そんなにいい印象は持たれてないよ?」
「それは知ってる。
「布石ってやつ?」
「そうだね」
僕が彼らを使って打とうとしてるのは、先程話に上がった『帆波さんのピンチ』というものを事前に潰すための布石だ。使わないに越したことは無いけれど、あると安心、転ばぬ先の杖である。
「分かった。詳しい日程はまた後日かな?」
「そうだね。よろしく頼むよ」
「おっけー任せて!」
「サンキューちっひ!」
「ちっひ言うな!」
それから20分程、主に無人島試験の反省会めいた雑談をした。互いにこの一週間をどう過ごしたか。それは情報交換と言うよりは、ただのエピソードトークだった。
やがて僕と違ってクラスの付き合いも大事な千尋さんは、「じゃあ私は先に戻るね」と言って船に帰って行った。
再び一人になった僕は大して動きもせず、ただただぼんやりと砂浜を眺めて時間を潰した。気付けばビーチで遊ぶ生徒の姿も無くなり、砂浜にいるのは撤収作業中の先生方と、僕ひとりだった。
やがて先生に「そろそろ出港するから戻れ」と言われ、船に乗るのは嫌だけど島に取り残されるのはもっと嫌なので、大人しく従った。
船の甲板へと続くタラップの途中で、僕は後ろ髪を引かれたわけでもないのに島を振り返る。
そんな予感が、どうしてだろう、僕の胸に巣食っていた。
088
「やあ」
「よう」
船内の自室に戻ると、そこにはルームメイトの一人である三宅君がいた。他二人はどこかに出掛けているようで、部屋の中に姿はなかった。軽い挨拶だけ交わして手を洗い、顔を洗い、がらがらぺーっとうがいをする。このままシャワーも浴びたいんだけど、その前に酔い止めを飲んでおこう。一週間前、星之宮先生から貰ったあれだ。
室内のウォーターサーバーに水を頂戴し、枕元に置いた覚えのある薬を探す。
ああ、これだこれ。
さて飲もうかというところで、三宅君が話しかけてきた。
「緒祈」
「んー?」
「茶柱先生が呼んでたぞ」
ありゃ、何か呼び出されるようなことしたっけ? タイミングからして無人島試験に関係する話だろうけど……まさか、先生にまで下着泥棒だと思われてるとか? だとすると面倒だな。どう釈明したものだろうか。
などと深刻に考えていると、違った。
「携帯取りに来いってさ」
「ああ、納得」
そっかそっか。そういえば島に降りる時に預けたんだった。厄介事じゃなくて良かった。
ほっとひと安心できたので、くいっと一口、錠剤を胃に流し込む。
「あと、ジャージと体操服は洗濯してもらえるらしいから、希望者は5階の501号室に持って来いってさ」
「んーと、確か先生が待機してるのも5階だったよね」
「ああ、そっちは521号室だ。茶柱先生も多分そこにいるだろう」
「おっけー。じゃあ一緒に済ませちゃおう」
まだ酔いが始まっていない今のうちに、動けるだけ動いておかねば。僕はいそいそと制服に着替え、汚れに汚れたジャージと体操服を抱えて部屋を出た。
特に知り合いに会うことも無く、エレベーターで2フロア上がる。まずは両手を空けようと501号室に向かったところ、部屋のドアは開いていた。中を覗き込むと白い割烹着を来たおばちゃんが、何やら作業をしていた。その向こうには
「失礼しまーす」
そう言って中に入ると、当たり前だけど向こうも僕に気付いた。
「洗濯希望の生徒さんだね。そこにネットがあるから服を入れて、ネットのタグに番号書いてあるから、その数字と自分の名前をそっちの名簿に書いといて」
「はーい」
おばちゃんは一息に説明して、すぐまた何かの作業に戻った。どうやらネットを一つずつ開け、ポケットの中や汚れ具合を確認しているらしい。ご苦労様でーす。
僕は持ってきた服を指示通りネットに入れ、タグの数字を確認し、横にあった名簿に上に倣って『122 緒祈真釣』と記した。
「じゃあ、お願いします」
「今日の夜にでも取りに来てー」
「はーい」
部屋の扉は最初から開いていたので、そのままにして退室する。
これで一つ目の用事は完了だ。ちなみに501号室の隣は洗濯室になっていて、設置された7台の洗濯機がフル稼働していた。流石は豪華客船、タッチパネルで操作する最新型の洗濯機だった。あれで乾燥まで一息にやってくれるのだろう。
さてさて。それじゃあ次は携帯を受け取って、さっさと部屋に戻りましょうかね。廊下を歩くこと数十メートル、『521』と記された部屋を発見した。こんこんとノックすると、程なくして木目調の扉が内側から開いた。その向こうから、お目当ての人物が現れる。
「遅い」
我らがDクラスの担任である茶柱先生は僕の顔を見て、ため息交じりにそう言った。
「すいません。船に乗るのが嫌で、ずっと島の方に居ました」
「携帯に依存していないのは良いことだが、必需品なのは間違いないだろう。現代っ子らしく、もう少し頓着したらどうだ?」
「そりゃ僕だって出掛ける時は肌身離さず携帯したいタイプですけど、今は別に使う用事も無いので」
「お前自身に用が無くても、学校からの重要な連絡があるかもしれないだろ?」
「……その予定がおありで?」
「あくまで一般論だ。立ち話もなんだし中に入れ」
「はあ」
長話をするつもりは無かったのだけれど、僕は誘われるがまま中に入った。ほら、茶柱先生も僕好みの綺麗な髪をしていらっしゃるからね。断れないよね。
部屋に入ってみると、まずその広さに驚いた。生徒用の客室の2倍近くあるように見える。ただ、ここも本来は客室なのだろうけれど、今は船内での職員室的な役割を担っているためベッドが撤去されていて、代わりに椅子とテーブルが6組ほど置かれていた。
「生徒に見られて困る物は出してないが、そうじろじろ見るな。教師からの印象は良くないぞ」
「すいません。つい」
教師からのとは言うものの、部屋の中に他の先生はいなかった。特別試験の後処理で忙しいのかもしれない。
僕は茶柱先生に勧められるまま椅子に腰掛けた。何か飲むかと聞かれたので、冷たいお茶をお願いした。先生の名前に掛けたわけでは勿論ない。
「綾小路と少し話したんだが、今回の試験では大活躍だったな、緒祈」
「いえ、それほどでも」
喋りながら差し出されたお茶を、軽くお辞儀して受け取る。
「それとも、あいつに上手く使われたか?」
「あはは。どうでしょうね」
茶柱先生が綾小路君とどんな話をしたのかは知らないけれど、少なくとも真の立役者が綾小路君であることは把握しているようだ。それはひょっとすると当たり前の事なのかもしれないなと考えつつ、僕からも質問する。
「ところで茶柱先生」
「どうした?」
「先生って、綾小路君のこと脅してますよね?」
「……確信している言い方だな」
「ええ、まあ」
本来目立ちたがらない彼が、急に「Aクラスを目指す必要が出来た」と言いだした。そのくせ手柄は僕や堀北さんに押し付けたいと言う。となるとAクラスを目指しているというポーズを見せたい相手は生徒ではなく、先生ではないかと予想が出来る。確定ではないけれど、そう外してもいないはずだ。
先生はニヒルに笑ってこう答えた。
「だとしたら、どうかするのか?」
「忠告くらいはしましょうかね。彼の機嫌を損ねるようなことは、あまりしない方がいいですよ」
「なんだ、私のことを心配してくれるのか?」
「そうですね。僕は髪が長くて綺麗な女性には、ついつい甘くなっちゃうんです」
「……ふっ。まさか緒祈が、自分のクラスの担任を口説くほどに情熱的な男子だったとはな。こいつは予想外だ」
「口説いてないです」
そこはしっかりと否定しつつ、僕は逆に茶柱先生がそんな冗談を言ったことに驚いた。特別試験で自分のクラスが好成績を収めたことで、機嫌が良いのかもしれない。
……どうやら先生には、『生徒を脅してでもAクラスに上がりたい』という強い願望があるみたいだし。
確認したいことは確認できたし、これ以上踏み込む必要もない。酔いが始まっても面倒なので、僕は話を切り上げる。
「アホなこと言ってないで、早く携帯返してください」
「おおっと、忘れるところだった。ほれ」
「どうも」
ストラップも何もついていない真っ黒なスマートフォンを受け取り、一応電源を入れて自分の物であることを確認する。よし、この富士の樹海の待ち受け画面は、間違いなく僕の携帯だ。
残っていたお茶をくいっと飲み干し、席を立つ。
「では、失礼します」
「ああ」
軽くお辞儀をしてから先生に背を向ける。
部屋を出ようと扉を開けると、
「ひゃっ!」
外から可愛らしい悲鳴が聞こえた。
制服姿の帆波さんだった。
「やあ帆波さん。奇遇だね」
「びっくりしたあ……。やっほー真釣くん。星之宮先生いる?」
「いや、いなかったけど……」
僕は部屋の中を振り返り、茶柱先生に尋ねる。
「星之宮先生がどこにいるか分かります?」
「あいつは今昼休憩だから、どこかで飯でも食ってるんじゃないか?」
「多分食事中だってさ」
「そっかー」
昼食にしては随分と遅い時間だけれど、それだけ忙しいということなのだろう。先生って大変だなーと他人事のように労りつつ、改めて茶柱先生に一礼する。
「では、失礼します」
「ああ」
さっきも同じこと言ったなあとか考えつつ、出張版職員室を出る。
さて自室に戻ろうかという僕のことを、帆波さんが不思議そうに見ていた。目がくりくりしてて可愛い。
「真釣くん、体調は大丈夫なの?」
「まだ船に乗って10分ちょっとだから、なんとかね。でも、星之宮先生を探す協力は厳しいかも。ごめんねー」
「いいよいいよ! ちょっと生徒会関係で確認したいことがあったんだけど、そんなに急ぎでもないから」
「そう。ならよかった」
そういえば、こうして二人きりになるのは随分と久し振りだなあ。帆波さんの誕生日にデートして以来かな。テンション上がるぅ。
しかしさっき千尋さんとあんな話をしたからか、視線がついつい胸に向いていしまった。そして意味もなく味わう軽い自己嫌悪。テンション下がるぅ。
「はあ……」
「つらいなら部屋まで送ろうか?」
思わず漏れたため息に、帆波さんが優しく反応してくれる。
明るく優しく可愛い帆波さん。しかしさっき千尋さんからあんな話を聞いたからか、どこか影を抱えているように見えなくも無い。それは完全に僕の思い込みでしかないんだけど。
「大丈夫、部屋にくらい1人でも戻れるよ。……でも、そうだね。付き添ってもらえると嬉しい」
「うんっ!」
帆波さんが抱えるものが何であれ、今の僕に踏み込む勇気はない。踏み込むべき時期とも思わない。だからとりあえず知らない振りをして、彼女の優しさに甘えた。
僕は帆波さんの半歩斜め後ろに陣取る。その艶やかな甘桃色の髪と、溌剌とした横顔がよく見える。僕にとってのベストポジションだ。しかし脳裏に浮かんだ千尋さんには「これだから真釣くんは……」と呆れられた。
まあ、そうだよな。
いつまでもこのままじゃあ――
「ダメだよなあ……」
「ん? 何か言った?」
「なんでもないよ」
そういえば千尋さんは、「真釣くんの帆波ちゃんに対する執着が垣間見えた」と言っていたっけ。その自覚はあるけれど、意識的に目を向けたことは無かった。だから、ちょっと踏み込んでみよう。帆波さんの過去よりもまず、自分の内側に。
執着――あるいは独占欲と言ってもいいかもしれない。それを確かめるために、少し想像してみるとしよう。
今目の前にいる帆波さんが、例えば僕の知らない男子と腕を組んで歩いていたら。名前も顔も知らない誰かが、帆波さんの髪に馴れ馴れしく触れていたら。
……。
…………ムカつく!
己の眉間にグランドキャニオンのごとく皺が刻まれているのを感じる。気付けば両手は拳を作り、掌に強く爪を立て、そのまま手の甲まで突き抜けそうなほど力が入っていた。
ダメだな。全然許容できないわ。
ではもう一つ想像してみよう。
僕が知っている男子、特に仲の良い綾小路君や神崎君で想像してみる。
……。
…………うーん、ムカつく。
眉間に皺が寄るほどではないけど、それでも口がへの字になるし、眉はぴくりぴくりと落ち着かない。彼らのことは友人として好いているけれど、この想像を続けているとうっかり嫌いになりそうだ。
というわけで最後に、僕が帆波さんと付き合っている想像をしてみる。想像と言うか、妄想だ。
例えば腕を組んで歩いてみたり、膝枕しながら四万十の清流よりも美しく流れる彼女の髪を僕の指で
「んふっ」
「やっぱり体調悪いんじゃ……」
「いや、大丈夫。なんでもないです」
あっははー。
こりゃ確定だな。
まあ、最初から分かってたけどね? 帆波さんの誕生日にデートしたときから気付いてはいたけどね?
ただ、それ以来なんとなく恥ずかしくて放置してたってだけで、この気持ちは風化することなく生きていた。
ふと僕の脳内に現れた母は『あらあら、ちゃんと青春してるじゃない』と嬉しそうに笑った。それに『うるせいやい』と返しつつ、それでも否定はしなかった。
……いや、ちょっと待て。
ああ、もう、分かったよ!
言ってやるさ。「だろう」も「みたい」も「らしい」も「ようだ」も「かもしれない」も使わずに、はっきりと断言してやるさ。
――僕は、帆波さんのことが好きだ。
言葉にすることで実体を得た僕の想いは、これがラブコメの世界であれば失格モノだろう。恋心が芽生える分かりやすいイベントもなく、一目惚れと言うには勢いがない。精神状態は実にフラットで、山も谷もなく乱高下もしていない。
この気持ちは実にシンプルで、それゆえに迷いも悩みもなく、添加すべき言葉は何もない。
嗚呼、なんと気分の爽快なことか。
僕は一瞬だけ歩幅を変えて、右足を大きく一歩出した。それは千尋さんに背中を押される幻覚を伴いながら、それでも自分の意思で進んだ距離で、縮めた距離だ。
「帆波さんは可愛いね」
「にゃにゃっ!?」
「ふふっ」
彼女の隣を歩きたいと、僕が思った。
ここまで読んでいただきありがとうございます。
これにて第3巻部分、完結です。
感想・高評価・お気に入り登録いただけると喜色満面で欣喜雀躍いたします。
活動報告にあとがきを載せていますので、よろしければそちらも是非。
それから今後は読者の皆様の『原作既刊全巻既読』を前提に書こうと思っています。原作未読の読者さんはお気を付けください。