どうにか実力至上主義の教室へ   作:祭灯キャロット

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091-092 年劫の兎

 091

 

 

 

 私たち一年生が夏休みの一週間を過ごすこの絢爛豪華な客船には、大小合わせて30近い飲食店が存在する。その中でも私――堀北鈴音が気に入っているのがここ、甲板にある『ブルーオーシャン』というカフェテリアだ。

 がっつりとした食事をするタイプのお店ではないため、お昼時でも混雑することはない。また、屋上のプールのような人を集める施設も近くにはないので、潮風を頬に感じながら落ち着いた時間を過ごすことが出来る。

 

 ミルクティーの後味で潤う口に一切れのバウムクーヘンを運ぶ。バターの甘い香りが、鼻の奥まで優しく広がる。

 

「……平和なものね」

 

 ほんの三日前までの無人島生活が嘘みたいな、そんな静穏だった。

 

 無人島での特別試験。

 情けないことに、私はそこに最後まで参加することが出来なかった。Dクラスの『リーダー』という大役を与えられながら、最終日を目前にして体調不良による途中棄権を余儀なくされた。

 回復には丸一日かかってしまった。だから試験の結果がどうなったのか、誰がどう動いて何がどうなったのか、その全てを知ったのは試験が終わった翌日のことだった。

 

 

 以下回想――

 

 

「ちゃんと説明してくれるわよね?」

「ちゃんと説明してやるから、そう睨むな」

 

 試験の最終スコアだけはルームメイトから聞いていた。ただ、やはりそれだけでは分からないことが多過ぎて、8月8日の朝、己の復調を確認した私は綾小路くんを船のラウンジに呼び出した。

 

「Bクラスが堅実な戦法で200ポイントを獲得したこと以外、何一つ理解出来ないのだけれど?」

「200じゃなくて199だぞ」

「そんな細かい話はどうでもいいのよ。細かくない部分を話しなさい。洗いざらい吐きなさい」

「なんでそんなに上から目線なんだよ……。で、何から聞きたい?」

「悔しいけれど、何から聞くべきなのかも見当がつかないほど何も分からないの。だからあなたと緒祈くんが何をしたのか、初日から順に説明して」

 

 Dクラスの大勝利に終わったとはいえ、私の機嫌はあまり良くなかった。この苛立ちを綾小路くんにぶつけるのは、(あなが)ち八つ当たりでもないはずだ。

 彼は顎に手を当てて、しばし沈黙した。どう話したものか脳内で組み立てているのだろうけれど、私は構わず無言でプレッシャーをかける。

 

「誤解されないよう最初に言っておくが」

 

 綾小路くんは周囲に視線をやり、聞き耳を立てる者がいないことを確認してから話を始めた。

 

「オレはあくまで緒祈の走狗として働いただけだ。あいつの考えを全て把握しているわけじゃない」

「……そう言う割には、随分と積極的に動いていたように思うけど?」

「全て緒祈の指示通りだ。必要な情報を集めるために東奔西走してたんだよ」

「無闇に歩き回っても、ろくな成果は得られないでしょう?」

「そうでもない。探るべき場所の見当は付いていたし、おかげでAクラスのリーダーを見抜くことが出来た」

「そんなの、一体どうやって……?」

「特別試験が始まる前から、オレたちが島に降りる前から、実はもうヒントは出されていたんだよ――」

 

 そう言って綾小路くんは、あの島で彼が何をしたのか、何を見聞きしたのか、一から順に説明してくれた。

 

 どうやってAクラスとCクラスのリーダーを看破したのか。伊吹さんはどんな計画を持ってDクラスに来たのか。それに気付いた綾小路くんはどうやって防いだのか。AクラスとCクラスの繋がりは。軽井沢さんの下着が盗まれた真相は。龍園翔の企みは。

 

 そして、Dクラスのリーダーだった私が最終日を目前にリタイアした、あの一件にどんな意味があったのか。どんな意図があったのか。

 

「――まあ、ほとんど緒祈の受け売りだけどな」

 

 ひと通り語り終えてから、綾小路くんは最後にそう付け加えた。

 

「納得してもらえたか?」

「……ええ。まあ、概ね」

 

 抱いていた疑問が次々に氷解され、私は渋々頷く。しかしそれでも、彼の話にはどうにも不自然に感じる部分があった。

 こめかみに手をやり思案する私に、綾小路くんが「なんだよ」と問う。

 

「いえ、緒祈くんに従っていただけと言う割には、やっぱりあなた自身の意思で動いている場面が多い気がするのよ」

「……それは話し方の問題だろうな。オレの視点で物事を語っているわけだから、そういう風に聞こえても仕方ない」

「それもあるかもしれない。でも、それを抜きにしてもよ。だって少なくとも試験初日の緒祈くんは、私よりずっと体調が悪かったんだから」

 

 ちょっとした夏風邪のひき始め程度だった私に対し、緒祈くんはがっつりと船酔いしていた。特別試験のルールを把握するのにも一苦労といった様子で、とてもじゃないけど戦略を組み立てられる状態ではなかったはずだ。あの時点で綾小路くんに何か指示を出していたとは思えない。

 そもそも今この場に緒祈くんがいないのも、彼が絶賛船酔い中だからだ。あの島で何があったのか説明してもらいたかったけれど、呼び出すのを躊躇ってしまうレベルで彼は弱っていた。

 

 私からの訝しむ視線を受け、綾小路くんは肩を竦めて白状した。

 

「……確かに初日と二日目はオレの独断で動いた部分も多い。だがそれは、言ってしまえば緒祈の回復を待っていただけだ。あいつの本来の処理能力が戻ったらすぐ指示を仰げるよう、データを集めるだけ集めておいたんだよ」

「そういうことなら一応納得できるけれど……。それにしても、随分と緒祈くんの働きを強調するわね――()()()()()()()()()()()()

「……そんなことはないぞ?」

「そうかしら?」

「そうだとも」

「……」

「……」

 

 探るような視線を向けてみても、綾小路くんの表情筋はピクリともしなかった。

 十中八九、彼は何かを隠している。しかし、それはきっといくら私が食い下がったところで聞き出せるものではないのだろう。はあ、と溜息をこぼし、大人しく諦めて話を変える。

 

「それじゃあ、今話してくれたあなたの仕事っぷりが、緒祈くんの走狗としての活躍が、全て私の手柄になっているのは――」

 

 試験が終わってからというもの、私はクラスメイトから身に覚えのないことで感謝されることが何度もあった。私のお陰で勝てたとか、そんなことを何人にも言われた。

 

「これは一体どういうことかしら?」

「前にも言ったが、オレは目立ちたくないんだよ。とはいえ成果が出ている以上、功労者がいないのはおかしい」

「それで私を隠れ蓑にしたと?」

「ああ。良かったな。一躍クラスの人気者だぞ?」

「……不愉快な言い方ね」

 

 私はぐっと眉間に皺を寄せるけれど、綾小路くんは気にせず続ける。

 

「今回の試験で分かっただろ? お前ひとりの力じゃあ、どうしたって限度がある。Aクラスを目指したいのなら、ここらで一度そのやり方を見直すのもいいんじゃないか?」

「……」

 

 確かに、今回の試験で自分の無力さは痛いほど思い知った。私はクラスに貢献できないどころか、むしろ足を引っ張ってしまった。自分一人の力でなんとかしようとして、失敗して。実に滑稽なものだ。

 

 それでも、心の奥で言い訳をしてしまうのだ。

 

 本調子じゃなかったから。

 体調が万全だったら、私はちゃんと成果を残せたはずだ。

 

 だから。

 

「本気でAクラスを目指すなら、もう少しクラスメイトとの距離を縮めてみたらどうだ?」

 

 綾小路くんの至極御尤(ごもっと)もなその提案に、私は苦い自己嫌悪を伴って、こんな減らず口を返すのだった。

 

「あなたに言われることではないわ」

「はは。それもそうだ」

 

 

 ――回想終了。

 

 

 綾小路くんから話が聞けたことで、無人島での特別試験については自分の中で区切りがついた。もやっとした感情も少しはあるけれど、それでもここ二日は穏やかな気持ちで、緩やかな時間を過ごすことが出来ている。

 そういえば『軽井沢さんの下着を盗んだ真犯人が伊吹さんだと判明して、無実の緒祈くんを責めていた人たちが彼に謝罪に行った』なんて出来事もあったようだけど、これは私には関係のない話だった。

 

 ……いや。クラスメイトの問題なのだから、クラス内の話題なのだから、『関係ない』ということは無いのだけれど。それでも他人事だと簡単に切り捨ててしまうのは、切り離してしまうのは、私の悪い癖と言えるだろう。

 

「変わらないと、いけないのよね」

 

 綾小路くんに言われたからではなく、あくまで自分自身で考えた結果として、もっとクラスメイトと交流すべきだと思う。その為の第一歩は、やはり相手に興味を持つことだろうか。

 

「……難しいわね」

 

 あるいは、難しく考え過ぎているだけか。

 

 楽しくない思考に脳を支配されている。アッサムのミルクティーが先程よりも渋く感じられた。甘さを求めてお皿に目をやっても、そこにはもうバウムクーヘンは残っていなかった。

 そろそろ部屋に戻ろうかしら――そう考え始めたところに、後ろから声を掛けられた。

 

「おっ、こんなところにいたか」

 

 振り向くと、そこにいたのはクラスメイトの須藤くんだった。赤い短髪が陽の光に触れ、鬱陶しいほどに眩しい。思えばこの船の上で彼の顔を見るのは今日が初めてかもしれない。

 

 5月にあった中間テストで須藤くんはその髪と同様に真っ赤な点を取り、退学処分を受けるはずだった。しかしテストの点数をポイントで買うという奇策のお陰で、今もこうして在学している。豪華客船に乗れている。

 あの時案を出したのは綾小路くんだったし、一番大きな額を負担したのは緒祈くんだった。しかしどうやら綾小路くんが妙な伝え方をしたらしく、私はあれ以来やけに須藤くんから話しかけられるようになった。恩着せがましいならぬ()()()()()()()()態度をされている。

 

 そして無人島での特別試験を経て、今度は他のクラスメイトからも話しかけられるようになった。これもやっぱり綾小路くんの仕業だ。

 自分の与り知らないところで勝手に評価が上がっているのは、存外そう気分の良いものではない。私みたいな自尊心の強い――その自覚はある――人間にとっては、特に。

 

 それが嫌なら自力で功績を上げればいいだけの話なのだけれど、それがどうにも上手くいかないのが今の私だった。

 

「なあ。よかったら一緒に昼メシ食わねえか?」

「遠慮するわ。昼食はもう済ませているの」

「ちっ。もっと早く見つけていれば……」

「たとえまだだったとしても、あなたとの相席はお断りよ」

「んだよ、つれねえなあ」

 

 そう不貞腐れながらも、須藤くんは私の対面の席に無遠慮に、どかりと腰を下ろした。

 正直、ここに居座らないでどこかに行ってほしい。彼はガサツだし、頭が弱いし、声が大きいし、どこをとっても私とは合わない。話すべきことも話したいことも無い。

 

 ただ……。

 それでもあの無人島での須藤くんが、目立つものではないにせよ成果を上げていたことは間違いない。バスケ部に所属していて体力に自信のある彼は積極的に森に入り、食料の調達やスポット探しをしてくれた。一日目に行方不明になった緒祈くんを見付けてキャンプに連れ帰ったのも須藤くんだった。クラスへの貢献度は私の比ではない。

 

 故に、ここで須藤くんを素気無く追い払うことは、私にはどうにも憚られた。そんな邪険な対応をして、まるで私が彼に嫉妬しているようだと思われるのは、反吐が出るほど嫌だった。

 自分が上手く出来なかったからといって他の人が出した結果を認められないほど私は落ちぶれていない。プライドが高い自覚はあるけれど、そこまで(こじ)らせてはいない……はずだ。

 

 だから特別試験での彼の活躍を評し、少しくらいは世間話をするのもいいのかもしれないと、そう思った。

 

「食事なら池くんや山内くんと取ればいいじゃない。あの二人はどうしたの?」

「あいつらとはいつでも一緒ってわけじゃねえよ」

「そう」

 

 須藤くんと池くんと山内くんは三人一組のセットとして認識していたけれど、そう単純でもないらしい。まあ、群れる時もあれば個々で動くこともあるという、言ってしまえば当たり前の話か。

 

「なら綾小路くんはどうかしら? 友達のいない彼なら、誘えばすぐに来てくれそうだけど」

「いや、綾小路はさっき屋上のデッキで見かけたんだが、平田と二人でメシ食ってたんだよ」

「平田くんと?」

 

 それはまた意外な組み合わせだ。綾小路くんから誘うとは思えないから平田くんが誘ったのだろうけど……。そういえば、たしか二人は同室だったはずだ。独り寂しそうな綾小路くんを憐れんで、平田くんが声をかけたとか? あの二人の間でどんな会話がなされるのか、いまいち想像がつかない。

 

「だから俺は今、一人で暇してるわけなんだが」

「なら一人で食べればいいじゃない」

「いや、そうじゃなくてだな。俺は鈴音と――」

 

 その時、唐突に。

 私にとってはあまり嬉しいものではなさそうな須藤くんの台詞を遮って。

 

 キィィイイイン、と。

 

 耳に障る甲高い音が響いた。

 

「な、なんだあ?」

「……メールね」

 

 この電子音については入学直後に一度説明を受けていた。学校からの指示や行事の変更など、非常に重要度の高いメールを報せる受信音だ。私の携帯がこの音を鳴らすのは、今回が初めてのことだった。

 メールの内容を確認するより先に、今度は船内アナウンスが響いた。

 

『生徒の皆さんにご連絡いたします。先ほど全ての生徒宛に学校から連絡事項を記載したメールを――』

 

 受信ボックスを見ると、その一番上には13時丁度に受信された学校からのメールがあった。タップして本文を確認すると――

 

「特別試験、ね」

「うおっ、マジか!」

 

 今日の20時に204号室に来るよう書いてあった。他にも幾つか注意事項などが記されていたけど、試験の内容を推測するにはあまりにも情報の薄い文章だった。詳しい説明はその時が来てからということだろう。

 最低限の情報のみの文面に何とも言えない気味の悪さを感じていると、テーブルの向こうから須藤くんが話かけてきた。

 

「16時半に206号室に来いってよ。面倒くせぇな」

「……ふむ」

 

 どうやら指定されている時刻と部屋は人によって違うらしい。ということは、守秘義務さえなければ自分より早い時間の人に話を聞くことも可能なわけだ。心に余裕を持つためにも事前に情報を仕入れておきたいけれど、情報源が須藤くんでは心許ない。

 そう考えていたところに、タイミングよく綾小路くんからチャットが飛んできた。

 

『学校からのメール届いたか?』

『ええ。私は20時からと指定されたのだけれど、あなたは?』

『こっちは18時だ。ちなみに緒祈は21時半だった』

『みんなバラバラね。須藤くんは16時半だったわ』

『須藤と一緒にいるのか? 珍しいな』

『偶然よ』

 

 思いがけず4人分の指定時刻が判明したけれど、残念ながらそこから有益な情報を導き出すための計算式が分からない。あるいは、現時点ではどう足掻いても何も得られないのかもしれない。

 

『緒祈くんは何か言ってる?』

『特に何も。今は試験に備えて寝てる』

『そう』

 

 やはり不調の緒祈くんにはあまり期待出来そうにないようだ。その代りにというわけではないけれど、無人島では不甲斐ない姿を晒したことだし、今回は私こそが誰よりも頑張るべきだろう。

 一先ず私より早い時間の綾小路くんに、終わったら何があったのか報告するよう頼んで携帯をしまった。

 

「どんな試験かは分からねえが、頑張ろうな鈴音!」

「気安く名前で呼ばないで」

 

 

 

 092

 

 

 

 今回の船上での特別試験に関して、私は予定よりも早くその内容を知ることが出来た。

 

「ざっくり一言で表すと、人狼ゲームみたいな感じ」

 

 同室の長谷部(はせべ)波瑠加(はるか)さんはベッドの上に寝転がって携帯をいじりながら、顔をこちらに向けることもなく言った。

 彼女が指定された時刻は誰よりも早い16時だった。そして現在の時刻は16時半。図らずも部屋で二人きりになったので、何があったのか聞いてみることにした。

 私から声を掛けると目を丸くして驚かれたけど、特に嫌がる素振りもなく、ただ少し気怠げに話してくれた。

 

「人狼ゲーム?」

「そう、人狼ゲーム。堀北さんはやったことある?」

「経験はないけれど、ルールだけなら知識として把握しているわ」

「あー、やっぱり。そんな感じだよね、堀北さんって」

「……」

 

 馬鹿にされたような気もするけれど、事実『そんな感じ』なので黙るしかない。長谷部さんにも悪気がある様子ではなかった。思ったことがそのまま口から出たような、そんな言い方だった。

 率直というか無遠慮というか。あまり歯に衣を着せるタイプではないらしい。

 

「それで、具体的にはどういうルールなの?」

「各クラスから3人か4人ずつ集まって一つのグループになるんだけど、その中に一人『優待者』ってのがいて、それが誰なのか当てたらポイントゲット、みたいな?」

「疑問形にされても困るのだけれど……」

 

 どうやら長谷部さん自身も完全には理解出来ていないようで、あるいは説明が面倒くさいようで、結局細かいルールについては分からなかった。それでも大枠に関しては把握できた。

 今日はあくまでルール説明だけのようで、本格的に試験が始まるのは明日からとのことだ。焦る必要はないだろう。

 

 その後、綾小路くんからも情報を提供してもらい、より詳細な試験のシステムを聞くことが出来た。取るべき方針はまだ決めかねるけれど、可能な限りの予習は済ませた。

 

 そして時は止まることなく進み、いよいよ私が指定された時刻の10分前になった。

 

「そろそろね」

「堀北さん、時間? いってらー」

 

 長谷部さんの気の抜けた送り出しを背に受け、少し早いけれど部屋を出る。階段で2フロア下りる。

 ルール説明に使われる部屋が並ぶ2階の廊下には、想像していたよりも多くの生徒が集まっていた。私より一つ前の時間だった人が出て来たから多く見えるのかもしれないけれど、それにしては壁にもたれていたり、端に座り込んでいたり、すぐには立ち去りそうもない生徒が十人以上いる。

 各グループのメンバーをチェックしているとか? そんなもの、あとでいくらでも知り得るはずだけど……。とはいえ何かしらの偵察行為なのは間違いないだろう。

 

 私には廊下に留まる理由が無いのでさっさと指定された204号室に入ろうとしたのだけれど、中にいたAクラス担任の真嶋先生に「準備があるから少し外で待ってくれ」と言われてしまった。廊下に留まる理由ができてしまった。

 他にも何人かそうしているように、私も壁に背を預ける。

 

 そういえば、指定された部屋は綾小路くんと同じだったけれど、中にいたのが真嶋先生というのも同じだった。どうやら先生は部屋ごとに固定されているらしい。

 そんな試験の本筋とは恐らく関係ないであろうことを考えていると、右から誰かが近付いてくる気配を感じた。

 

「もし俺の勘違いでなければ、20時組なんじゃないか?」

 

 低めの声でそう尋ねてきたのは、Aクラスのリーダー格の一人、葛城くんだった。背が高く筋肉質で、高校生にしては珍しいスキンヘッドなのも相まって、近付かれるだけで軽く威圧されたような気分になる。されど物腰は落ち着いており、制服を着ていなければ大学生か、はたまた社会人かと見間違えるほどだ。

 勿論、だからと言って私が怯むことなど有り得ない。舐められないよう強気の語調で返す。

 

「そうだとしたら……あなたに何か関係があるのかしら?」

 

 葛城君とはこれが初対面ではない。無人島での特別試験でAクラスのベースキャンプを覗いた時、綾小路くんと共に一度会っている。しかし当然ながらその時も友好的な会話は為されていない。

 にべもない私の返答に葛城くんは己の予想が当たっていることを確信したらしく、やはりな、と言った。

 

「君とは一度話したいと思っていたが、これは運が良い。俺も20時組だ。明日からは同じグループとして協力し合うことになる」

 

 協力……?

 長谷部さんと綾小路くんから聞いた話だと、あまり協力が必要な内容には思えなかったけれど。二人とも普段から積極的に群れるようなタイプではないので、そういう性格がルールの捉え方に影響しているのかもしれない。

 とはいえここで安直に「どういうことかしら?」と葛城くんに質問するのは、こちらの情報不足を露呈するようでいただけない。だから私は彼の発言の、前半部分にのみ反応する。

 

「話をしたかった? 随分と不思議なことを言うのね。先日会った時は眼中になかったみたいだけれど?」

「確かに、正直俺は今までDクラスの存在など気にしていなかった。しかし前の試験の驚異的な結果を見れば、認識を改めないわけにはいかないだろう。君が勝つための策略を張り巡らせていたことは聞き及んでいる。君だけでなく、緒祈真釣についてもな」

 

 そう言って葛城くんは、その緒祈くんを探すように周囲をきょろきょろと見回した。私もつられて視線を動かす。

 葛城君の後ろでは、Aクラスであろう3人の男女が私のことを値踏みするような目で見ている。BクラスかCクラスの女子数名も、少し距離をとりつつこちらの様子を窺っている。そのさらに後ろには綾小路くんと平田くんがいた。平田くんは恐らく同じ時間の組なのだろうけれど、何故もう終わっている綾小路くんまでいるのだろうか?

 まあ、どうせ暇つぶし程度の理由だろう。緒祈くんが体調を崩している以上、無人島での試験のように綾小路くんが情報収集する意味はあまりない。収集すべき情報も、ここにあるとは思えないし。

 

「……どうやら緒祈は別のグループのようだな。彼とも是非話してみたかったんだが、まあいい。いずれ機会は得られるだろう」

「いずれ、ね。前回の試験で大敗を喫したというのに、随分と余裕そうね。学習能力が無いのかしら?」

「ふん。会心の出来というものは誰にでも一度はある。自らの策略がたまたま一回成功したくらいで調子に乗らないことだ。クラスポイントの差が未だ歴然であることに変わりはない」

「そうかしらね。まあ、そうやって油断してくれるなら、こちらとしても助かるわ」

「油断などしていないさ。万が一君たちがDクラスからCクラスに上がってくるようであれば、我々に脅威が及ぶ前に全力で潰させてもらう。これはBクラスも同じ考えだろう」

 

 葛城くんが視線鋭く、威圧的に睨みつけてくる。彼の後ろに控えるAクラスの生徒も、同調するようにプレッシャーをかけてくる。彼らの足は動いていないのに、どんっと一歩踏み込まれたような幻を覚える。

 

 だがしかし。

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 女子だから、孤立無援だからと侮っているのだろうか。実に腹立たしい。これは一言ぴしゃりと言ってやろうと口を開きかけ――遮られた。

 

「うちのクラスの意向まで勝手に決めつけないでいただきたい」

 

 私の後ろから現れ、私より先に葛城くんに噛み付いたのは、Bクラスの神崎くんだった。彼は一之瀬さんに次いでBクラスのナンバー2的なポジションであり、そして緒祈くんの友人でもあった。頭の回転が速く、油断ならない人物だ。

 彼とは夏休み前に須藤くんの騒動に際して一度話した程度の間柄だけれど、少なくとも今この場で私の敵に回るということはないようだった。尤も、DクラスとBクラスの休戦協定を思えば当然の姿勢ではある。

 

「俺たちBクラスは、Dクラスに刃を向けようなんて考えてない。お前たちと一緒にしないでくれ」

「なまぬるい意見だな、神崎」

「敵対するだけが戦略じゃないだろ?」

 

 バチバチと。

 そんな音が聞こえてきそうなほど、張り詰めた空気だった。一触即発と言ってもいい。このまま進めば何かが起こりそうな、起きてしまいそうな。

 そんな空気を()()()()()ぶち壊したのは、己の存在を主張するように床を踏みつけながら登場したCクラスのボス、龍園翔だった。

 

「クク。随分と雑魚が群れてるじゃねえか。俺も見学させてくれよ」

「龍園……まさか、お前もこの時間に招集されたのか?」

 

 葛城くんは苦虫を噛み潰したような顔で闖入者に問う。先程までの憮然とした態度に揺らぎが生じ、その声音からは龍園くんに対する苦手意識がありありと読み取れた。二人の間に何かあったのだろうか?

 一方の龍園くんは実に楽しそうなものである。彼の後ろにはCクラスの生徒が、乱暴な王様に怯える家来のように付き従っていた。

 

「そのまさかだぜ葛城。嬉しいか? 嬉しいだろう? 諸手を挙げて喜べよ」

「……俺はお前を許すつもりは無い」

「許す? はて、お前に許しを乞わなきゃいけない過去なんてのは、俺の記憶のどこにもねーんだがな」

「……まあいい。同じグループなら話す時間もたっぷりあることだろう」

「お前の話なんざ興味ねーよ」

 

 龍園くんは小馬鹿にするような笑みでそう言って、葛城くんから私へと視線を移した。龍園くんだけが、この場で笑っているただ一人の人物だった。

 

「俺としちゃあ、むしろお前の話を聞きたいぜ。鈴音」

「気安く名前で呼ばないで」

 

 同じ台詞は昼に須藤くんにも言ったけれど、龍園くんにはその時よりも数段強く放つ。もちろんこの程度で怯んでくれる相手ではないけれど、私だってあなた如きに怯んでないわよと伝える。

 しかし残念ながら、そんな私の態度はむしろ彼を喜ばせるだけだった。ニタニタと、粘着質な嫌らしい笑みを見せてくる。

 

「いいねえ、その強気な瞳。そそるじゃねえか」

「その品の無い口を速やかに閉じなさい。これから特別試験が始まるのだから、少しは緊張感を持ったらどうなの?」

「ははっ! この程度の試験に緊張もクソもあるかよ。それとも鈴音、まさかお前、俺と同じグループだと分かって緊張してんのか? 可愛いところあるじゃねえか」

「誰が緊張なんか――」

 

 気に障る男の気に障る発言に、つい苛立って感情的になってしまう。しかし幸いにも、冷静さを失った私を諫めるようなタイミングで、すぐそばにあった208号室の扉が開いた。中から現れたのはDクラス担任の茶柱先生だった。

 

「部屋に入っていいぞ。盛り上がってるところ悪いが、そろそろ時間だ」

 

 その言葉を皮切りに他の部屋からも各クラスの担任の先生が現れて、それぞれの部屋に入室を促した。

 

「続きは試験が始まってから、だな」

 

 神崎くんがそう言ってこの場を纏めた。私としては試験が始まったところで今の続きをするつもりは無いけれど、そんな反論をしても時間の無駄なのは分かっていたので大人しく黙った。

 Aクラスは葛城くんが率いるように、Bクラスは神崎くんを中心に、それぞれ指定された部屋に消えていく。

 

「じゃあ、僕たちも行こうか」

「Dクラスは私たち三人みたいだねっ」

 

 そう声を掛けて来たのは平田くんと櫛田さんだった。私は短く「そうね」と答える。

 そんな私たちの様子を見て、まだ廊下に留まっていた龍園くんが話しかけてくる。

 

「緒祈はいねえのか」

「……彼は別のグループよ」

「ちっ。つまんねーな」

「随分と緒祈くんに御執心ね」

「あいつは面白い男だぜ? ま、いないなら仕方ねえ。今回はお前で遊んでやるよ」

 

 そんな舐め腐った台詞を残し、龍園くんは茶柱先生がいる208号室に消えた。彼のクラスメイトもしずしずとそれに続く。

 これから試験が終わるまで毎日龍園くんと顔を合わせるのかと思うと辟易する。とはいえ廊下で嘆息していても仕方ない。私も指定された206号室に移動する。平田くんと櫛田さんは一足先に入室済みだ。

 

 部屋に入って扉を閉めると、先程までの喧騒が嘘のように静かだった。客室の一種のようだけど、ベッドやテレビは置かれていなかった。やけに広く感じる部屋の中央には椅子が五脚あって、その一つにAクラス担任の真嶋先生が座っている。残りの四脚は先生と向かい合うように並んでいた。

 平田くんと櫛田さんは既に真ん中の二つに着席していた。私は櫛田さん側の端の椅子に座る。

 

 私たちが着席したのを確認し、腕時計を確認し、真嶋先生は口を開く。

 

「Dクラスの櫛田、平田、堀北だな。ではこれより特別試験の説明を始める」

 

 ある程度予習して来ているとはいえ、こうして先生の口から『特別試験』というワードを聞くと、やはり気が引き締められる。

 息を呑んだのは私だけではないだろう。ちらりと見やると、横の二人も緊張した面持ちをしている。

 

「既にクラスメイトから情報は得ているかもしれないが、まずは一通り説明させてもらう。質問は後で受け付けるので、黙って聞くように」

 

 三人揃って無言で頷く。ここで誰も「ちょっと待ってくださいよ!」などと言い出さないあたり、悪くない組み合わせだ。たとえば池くんなんかは特にぎゃあぎゃあ騒ぎそうだし、そんな人と一緒のグループだと相当疲れたことだろう。

 ……さすがに想像だけで池くんのことを悪く言い過ぎたと反省しつつ、先生の話に傾注する。

 

「今回の試験では一年生全体を干支になぞらえた12のグループに分け、そのグループ内で試験を行う。試験の目的はシンキング能力を問うものとなっている」

 

 シンキング能力。

 体力やチームワークが求められた前回からは、がらりとテイストの変わった試験だ。それゆえに力を発揮する生徒も変わってくるだろう。問題はその中で、私自身がどれだけやれるかだ。

 長谷部さんは犬グループ、綾小路くんは虎グループと言っていたけれど、さて私は――

 

「君たちの配属されるグループは『卯』――すなわち(うさぎ)グループだ」

 

 そう言って、真嶋先生は傍らの封筒から葉書サイズの紙を三枚取り出して、私たちに一枚ずつ渡した。それはイラストも何もない簡素なメンバーリストだった。

 一番上に『兎グループ』とあり、その下にクラスごとに生徒の名前が記されていた。フルネームで、ふりがな付きで。AクラスとCクラスからそれぞれ4人、BクラスとDクラスからはそれぞれ3人が選ばれていた。

 他所のクラスで知っている名前は、先程廊下で喋ったあの三人だけだった。三人()()ではあるけれど、むしろそれで十分というか、お腹いっぱいで胃もたれしそうな三人だった。

 

 Aクラスの葛城康平。

 Bクラスの神崎隆二。

 Cクラスの龍園翔。

 

「はあ……」

 

 ため息がこぼれるのも仕方ないだろう。

 

 それは兎グループと呼ぶには、あまりにも可愛げのない顔触れだった。

 

 

 





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