093
「君たちが配属されるグループは……じゃじゃーん! 羊グループでーす!」
Bクラスの担任である星之宮先生は腕を前に突き出し、茶色の封筒にでかでかと書かれた『羊』の文字を見せつけてきた。先生を相手に使うべき比喩でもないが、それは満点を獲得したテストを小学生が親に自慢するような、そんな無邪気な姿だった。
おかげで特別試験のルールを説明している最中だというのに、この部屋の空気は粛然とはかけ離れたものだった。1日に12回も同じ話をしていればそりゃ飽きもするだろうが、少しくらいは場を引き締めてほしい。
俺――
「これが羊グループのメンバーリストだよ。部屋を出る時には返してもらうから、必要だったらこの時間に覚えてね」
そう言って渡されたのは、先程の封筒から取り出されたはがきサイズのプリントだ。そこには俺を含めて13人の生徒の名前が、クラスごとに記されていた。
A:
B:
C:
D:
ふむ。
ちらりと右を見る。
緒祈はメンバーリストを見ても特に表情を変えることはなく、目を細めて眠たそうにしていた。客室からこの部屋まで移動するのにかなりの体力を使ったらしい。こんな調子で明日から大丈夫か?
保健医でもある星之宮先生はそんな緒祈に気遣うような目を一瞬だけ向けて、それでも状況と立場ゆえか、特に声はかけず話を続ける。
「リストに書かれている他のクラスの生徒も、今この時間、他の部屋で同じように説明を受けてるよ。わざわざクラスごとに分けたのは、ほら、他のクラスの子も一緒だと混乱するかなーって」
そりゃそうだ。なにせほんの数日前まではクラス間でばちばちに競い合っていたのだ。そんな相手と一緒に特別試験のルールを聞かされても、周りが気になってろくに理解できないだろう。
「今回の試験では君たちにはDクラスとしてではなく、羊グループとして取り組んでもらうよ。そして結果も、グループごとに出ることになる」
試験の内容については事前に平田から教えてもらっていたので、特に驚くことは無い。もし一番早い16時組だったら……ここまで落ち着いてはいられなかっただろう。その点は運が良かったと言える。
「試験の結果は4通りだけ。例外は存在しない仕組みだよ。このプリントにまとめてあるから各自読んで、もし疑問点があれば質問してねー」
そう言って星之宮先生は、今度は羊と書かれていない別の封筒からB5サイズのプリントを取り出し、それを一人に一枚ずつ手渡した。
あ、いや、一枚じゃなくて二枚だ。二枚一組で、左上がホッチキスで留められていた。
「それも持ち出し禁止だからね」
前の11組でも使われた物らしく、紙の端はしわしわによれていた。俺は最後の12人目として、そこに記されたルールに目を通す。
『夏季グループ別特別試験説明』
1.概要
本試験は各グループに割り当てられた『優待者』を基点とした課題である。グループの『優待者』が誰であるかを解答することで、4つの結果のうち1つを必ず得る。
2.スケジュール
本試験は下記の段取りで進行される。
○試験の期間は8月11日から8月13日までの3日間である。
○試験開始日の午前8時、『優待者』に選ばれた生徒と選ばれなかった生徒に、それぞれその旨を伝えるメールを一斉送信する。
○期間中は毎日午後1時と午後8時の2回、各グループで指定された部屋に集まり、1時間の『話し合い』を行う。
○試験最終日の午後9時30分から午後10時までの間を『解答時間』とし、グループの『優待者』が誰であったかの解答を受け付ける。
○『解答時間』の前に解答することも可能である。試験期間中に有効な解答が為された場合、当該グループの試験はその時点で終了し、以後『話し合い』は行わない。
○試験最終日の午後11時、全グループの試験結果を全生徒に一斉送信する。
3.話し合い
○1日に2回行われる『話し合い』の内容は、各グループの自主性に委ねる。ただし、初回の『話し合い』においては必ず全員が自己紹介をすること。
○『話し合い』の欠席、遅刻、途中退室は原則として認めない。
4.解答
○解答は1人1回のみ、自分の携帯電話で所定のアドレスに送信することでのみ受け付ける。
○『優待者』及び『優待者』と同じクラスの生徒による解答については、これを無効とし受け付けない。
○自分が配属されたグループ外の生徒を『優待者』として解答した場合、これを無効とし受け付けない。このとき解答権は失われない。
○『話し合い』中に解答した場合、これを無効とし受け付けない。このとき解答権は失われない。
5.結果
5.1.結果①
○グループ内で『優待者』及び『優待者』と同じクラスの生徒を除くすべての生徒が『解答時間』に解答して正解した場合、これを結果①とする。
○結果①のグループではメンバー全員に50万プライベートポイントを支給する。『優待者』には加えて50万ポイント、計100万ポイントを支給する。
○結果①によるクラスポイントの変動はない。
5.2.結果②
○グループ内で『優待者』及び『優待者』と同じクラスの生徒を除くメンバーの中に、『解答時間』に解答して不正解の生徒、または『解答時間』終了時まで無解答の生徒が1人以上いた場合、これを結果②とする。ただし、『解答時間』を待たず有効な解答をした生徒がいた場合はこれに当てはまらない。
○結果②のグループでは『優待者』にのみ50万プライベートポイントを支給する。
○結果②によるクラスポイントの変動はない。
5.3.結果③
○グループ内で『解答時間』を待たず有効な解答があり、それが正解だった場合、これを結果③とする。
○結果③のグループでは解答者に50万プライベートポイントが支給される。
○結果③のグループでは解答者が所属するクラスに50クラスポイントが支給され、『優待者』が所属するクラスから50クラスポイントを没収する。
5.4.結果④
○グループ内で『解答時間』を待たず有効な解答があり、それが不正解だった場合、これを結果④とする。
○結果④のグループでは『優待者』に50万プライベートポイントが支給される。
○結果④のグループでは『優待者』が所属するクラスに50クラスポイントが支給され、解答者が所属するクラスから50クラスポイントを没収する。
6.ポイント処理
本試験の結果によるプライベートポイント及びクラスポイントの支給及び没収は9月1日に行われる。
「何か質問はあるかな?」
プリントを渡されて5分ほど経っただろうか。俺は『7.禁止事項』の項目をまだ読めていなかったが、先生にそう聞かれたので一度顔を上げる。隣に座る南と緒祈に発言の気配が無いことを確認し、手を挙げる。
「はい、三宅くん」
「『優待者』はどのように決められるんですか?」
これはこの部屋に来る前、平田にルールを聞いた時から気になっていたことだ。
試験の結果は4通りあるが、そのうち3つは『優待者』にプラスとなる。『優待者』に選ばれた生徒は、結果③さえ回避できればそれでいい。
逆に『優待者』が選ばれなかったクラスの生徒は、ポイントを得るには結果①か結果③を狙うしかない。とはいえ結果③を狙って『解答時間』の前に解答するのはリスクがある。もし間違えれば結果④となってクラスポイントを失い、『優待者』にはクラスポイントもプライベートポイントも与えてしまう。
となると結果①を目指すしかなさそうだが、平田が言うには――
「AクラスやBクラスはそれでもいいかもしれないけれど、僕たちDクラスとしてはやっぱりクラスポイントが欲しいよね。特別試験は上のクラスを目指せるチャンスなんだ。出来るだけ無駄にはしたくない」
とのことだった。
要するにグループ単位で言うなら『優待者』がいるクラスが有利であり、クラス単位で言ってもやはり『優待者』が多いほど優位なのだ。
ではその肝心の『優待者』はどのように選出されるのか。先生はこう答えた。
「公平に、公正に、厳正な調整によって選出されるよ」
「それは各クラスから3人ずつ選ばれる、ということですか?」
「さて、どうだろうね?」
んふふー、と。
我らがDクラスの茶柱先生なら決してしないであろう
「他には?」
今度は俺の左で、恐る恐るといった様子で手が挙がる。
「はい、南くん」
「えっと、『優待者』とか解答者の名前は、試験が終わったら公表されるんですか?」
「それはないよー。開示するのは各グループの結果が4つのうちのどれだったかと、各クラスのポイント増減だけ。もちろん自分から言って回る分には好きにしてもらって構わないけど」
「あ、いえ。はい」
『優待者』を見抜いて個人の資産を増やしても、あるいは『優待者』を見誤ってクラスに迷惑をかけても、自分さえ黙っていれば知られないということか。匿名性についてしっかり考慮されているようだ。
それにしても、南は随分と緊張している様子だな。特別試験というだけで不安は募るものだが、加えて目の前にいるのは今日初めて話す他クラスの担任だ。いくら緩い雰囲気の先生とはいえ、緊張するなと言うのは無理な話だろう。俺だって決して穏やかな気分ではない。
一方でなぜか先生と同じくらい緊張感が見えないのが、俺の右隣に座る緒祈だ。両足は前にだらりと伸ばされ、両腕はその間にぐたりと垂らされ、背中は丸まり、顔は下を向いている。プリントを摘む指先以外、どの筋肉も働いていないように見えた。
流石に心配なので声を掛ける。
「ちゃんと理解できてるのか? 緒祈」
「んー? ん」
ほんの少しだけ首をもたげ、口を閉じたまま、喉の奥を震わすだけの返事だった。
「質問があるなら今のうちだぞ」
「……うん。じゃあ」
やる気を全く感じさせないゆったりとした動きで、緒祈が手を挙げた。
「はい、緒祈くん」
「解答の受け付けは、何時からですか?」
「……?」
俺にはその質問の意図がよく分からないが、星之宮先生は何かを察したらしい。にやりと笑ってこう答えた。
「明日の午後2時、1回目の『話し合い』が終わった直後から受け付け開始だよ」
「はあ、なるほど」
自分から聞いといて興味なさげな緒祈だった。やはり試験に向ける意欲はあまりないようだ。
結局それ以降は誰からも質問は出ず、残りの時間は各々がルールを繰り返し頭に刻み込む時間となった。各々というか、俺と南だけだが。
緒祈の方からは規則正しい呼吸の音が聞こえたので、多分眠っていた。
そして時刻はまもなく夜の9時50分。
「そろそろ時間だねー」
星之宮先生はそう言って、グループのメンバーリストとルールの書かれたプリントを回収した。全て頭に叩き込んだつもりではあるが、こうして手元からなくなってしまうとどうにも落ち着かない。記憶が鮮明なうちに、部屋に戻って何かに書き出した方が良さそうだ。
「ではでは、これにて本日の特別試験説明会は終わりだよ。夜遅くまで大変だったねー。お疲れさま!」
その労いの言葉は俺たち生徒に対してではなく、先生自身に向けたものに聞こえた。一番早い組が16時だったはずだから、そこから6時間か。そりゃ疲れもするだろう。
「明日に備えて今日は早く寝るんだよー。ふわぁ~あ」
あくび混じりにそんなことを言われたけれど、そう簡単には眠れないだろうなと思った。
星之宮先生は一仕事終えてようやく解放されたといった様子だが、俺たち生徒にとって今日のこれはプロローグに過ぎない。
本番は明日からだ。
明日から、特別試験だ。
094
夜。
時計は見ていないが、おそらく日付はもう変わっている頃だろう。
いつも通りベッドに入ったものの、やはりと言うべきか俺は中々寝付けなかった。高校受験の前日もこんな有り様だった気がする。決して緊張しいな性格ではないつもりなのだが、もし『優待者』に選ばれたら――なんてことを考えていると、やけに目が冴えてしまった。そのくせ碌なアイデアは浮かんでいないのだから悲しいものだ。
照明器具が揃って沈黙している部屋の中、ルームメイトの3人はぐっすりと眠っていた。俺は静かに体を起こし、靴を履き、気分転換に船の休憩スペースに向かった。地下2階までエレベーターを使わずに下りる。なんとなく歩きたい気分だった。
その途中、思わぬ人物と鉢合わせた。誰かと鉢合うこと自体がそもそも思いがけない事態なのだが。
「あっ。えーっと……三宅くん、だったよね?」
「そっちは確か……」
その少女の名前を、俺は知っていた。しかしこの場合の
そんな俺の困惑を察してくれたようで、彼女はご丁寧に自己紹介をしてくれた。
「Bクラスの白波千尋だよ。知ってると思うけど、真釣くんの親友です」
「ああ。俺はDクラスの三宅明人だ。知ってると思うが緒祈とはクラスメイトで、今はルームメイトでもある」
「うん、知ってる」
この少女――白波と会うのは今回で大体5度目だが、これまでは必ずその場に緒祈もいた。
例えば白波が緒祈を訪ねたとき俺も部屋にいたり、特別試験のルール説明が終わった時、緒祈を迎えに来たのも白波だった。……ほんの1フロアの移動に迎えが必要というのは、
要するに一対一で会話する機会なんてものは無く、そもそも緒祈を挟んでさえ会話などしてこなかったのだ。はたしてここでどんな話を振ればいいのか、それともさっさと別れた方が良いのか、それすらも俺には分からなかった。
人見知りというわけでは無いが、決して人付き合いが得意な人間でもないのだ。
なぜこんな時間に、こんな場所に?
そんな、おそらく向こうもこちらに対して抱いているであろう疑問を口に出していいものか。藪をつついて蛇が出たりはしないだろうか。真夜中に知り合い未満の相手と二人きりというこのシチュエーションは、中々に冷静な思考を奪っていく。
結局何を言うでもなく、そのくせ立ち去るわけでもない俺に、白波は「んー」と少し考えて、ただ一言、こんな台詞を吐くのだった。
「真釣くんをよろしくね」
「……ああ」
「んじゃ」
簡単に別れを告げ、白波は上の階へと姿を消した。
よろしくと言われても困るのだが……それだけ緒祈のことが心配なのだろう。というか、心配でも無ければわざわざ他クラスの男子の部屋に来たりはしないか。
……あの二人は付き合っていたりするのだろうか? 白波は先程「真釣くんの親友」だと名乗ったが、恋人と言われても不思議ではない距離感に見える。まあ、どうであれ俺には関係のない話、か。
再び足を階下へと進め、休憩スペースに辿り着く。飲み物の自動販売機が5つと、軽食の自動販売機が2つならんでいる。そしてその前に雑然と設置された椅子の一つに、驚いたことに先客がいた。この夜二度目の予期せぬ遭遇だが、幸いにも今回は名字を知っている相手だった。
「よう、綾小路」
「三宅か。こんな時間にどうしたんだ?」
「ちょっと、眠れなくてな」
「試験のことでも考えていたのか」
「ああ。そんなとこだ」
綾小路と俺は仲が良いわけでも悪いわけでもなく、つまりそれ以前の希薄な繋がりしかない。しかし同じクラスで同性ということもあってか、白波よりも会話ができる。
状況を鑑みるに、白波と綾小路はここで密会でもしていたのだろうか?
そんないかにも藪蛇になりそうな疑問は一先ず保留して、俺は紙コップに注がれて出てくるタイプの自販機で冷たいお茶を購入した。購入というか、無料なんだが。
「綾小路は、どうしてここに?」
「一緒だよ。俺も眠れなかったんだ」
それを聞いて、俺と同じやつもいたんだなと安堵した。なにせルームメイトは図太く普通に眠っているし、緒祈に関して言えばあいつはルール説明の時から既に眠っていた。心臓に毛でも生えているのだろうか?
ちなみに緒祈は中性的な顔立ちをしていて、その寝顔は「こいつ実は女子なんじゃないか?」と疑いたくなるレベルだ。
そういえば入学初日に男子の誰かが女子の制服で登校したという噂があった気がするが、あれは緒祈だったのだろうか? あの噂は七十五日どころか十五日もかからず雲散霧消してしまったため、詳細は覚えていない。
緒祈と仲の良い綾小路なら何か知っているかもしれないが、いまさらそこの真実を紐解くことに意味は無いだろう。
よって順当に、今直面している特別試験の話を振る。
「綾小路は、誰と同じグループだった?」
「幸村と外村、それと軽井沢だ」
「……大変そうだな」
「一番きついのは幸村だろうけどな」
幸村は優等生タイプの真面目なやつだ。一方で軽井沢はいわゆるギャルで、外村はオタクと呼ばれる人種だ。相性が良いとは思えない。
綾小路は……こう言っちゃなんだが、可もなく不可もなくって感じだ。
「三宅の方はどうなんだ?」
「南と緒祈だ」
「……そうか。緒祈と同じグループか」
緒祈と綾小路は友達と言っていい関係だろう。二人のことをそこまで知っているわけでは無いが、少なくともDクラスの中においては、互いが互いに一番仲の良い相手なのではないだろうか。
そんな俺の推測を綾小路に話すと、
「まあ、そうかもな」
とのことだった。
「ところで緒祈はルール説明の時、何か言っていたか?」
「ずーっと黙ってたぞ。まあ、一応一つだけは質問してたけど」
「質問を?」
「ああ。解答はいつから受け付けられるのかって」
「……なるほどな」
「緒祈の考えが分かるのか? 俺にはあまり意味のある質問には思えなかったが」
「……いや、オレにも質問の意図は分からん。ただ、一応真面目に参加する気ではあるみたいだな、と」
「そうだな。体調が悪いようだから、ひょっとすると途中でリタイアするかもしれないが」
むしろリタイアしてしまった方が緒祈にとっては幸せだろう。リタイアなんて制度があるかは不明だが。
それから暫く、さして仲が良いわけでもなかった俺たちだが、ここで会ったのも何かの縁と、試験のこととか、緒祈のこととか、クラスのこととか、なんだかんだ1時間近く話したのだった。
095
朝。
俺の目を覚まさせたのは、携帯の通知音だった。昨日の昼に聞いたけたたましい警報のような音ではなく、ピロリロリンという控えめで気の抜けた普通の通知音だった。ぱっと手に取り時刻を見ると、午前8時の
もっと早く起きるつもりだったので一瞬「しまった!」と思ったが、よくよく考えるとさして困ることもなかった。朝イチで予定が入っているわけでもない。
のっそりと体を起こして部屋の中を確認する。吉野と松谷はどこかに出ていて、緒祈は相変わらず女子みたいな顔で眠っている。
洗面台で顔を洗い、眠気を吹き飛ばす。脳の奥までしっかり目が覚めたところで、学校からのメールを開く。「【重要】特別試験に関する通知」というタイトルのそれには、こんな本文が記されていた。
『厳正なる調整の結果、あなたは『優待者』に選ばれませんでした。グループの一人として自覚を持って行動し、試験に挑んでください。本日午後1時より1回目の『話し合い』を行います。羊グループの方は、2階羊部屋に時間厳守で集合してください』
「ふぅ……」
まずは自分が『優待者』でなかったことに安心し、一つ息を吐く。有利な立場なのは間違いないが、それゆえにプレッシャーも甚だしいだろう。正直、俺が背負える役ではない。
いやはや助かった。これで『話し合い』までの3時間はリラックスして過ごせる。
まずは朝食をとろう。確か一階の中華料理屋には、朝限定のモーニングセットがあったはずだ。
なんてことを考えながら寝間着代わりのよれたTシャツからジャージに着替えていると、部屋のドアがノックされた。こんな朝から誰だろうかと扉を開けると、そこにいたのは焦った顔の南だった。
「ちょちょ、ちょっと相談があるんだが、いいか?」
俺と同じ羊グループの南が、このタイミングで、相談。
その落ち着きのない様子にまさかと思いつつ、部屋に招き入れる。
「緒祈は……寝てるのか?」
「ああ。呑気なもんだよな」
「まったくだよ」
「それで、どうしたんだ? なんとなく想像は付くが」
「これ!」
南は俺に携帯の画面を見せてきた。そこに映し出されていたのはつい先程学校から送られたメールで、その文面は俺が受け取ったものとほとんど一緒だった。
ほとんど――つまり、完全な一致ではなかった。
「おれ、『優待者』に選ばれちゃったわ!」
あなたは『優待者』に
「三宅! おれはどうすればいい!?」
「とりあえず落ち着け」
興奮状態の南の肩をぽんぽんと叩き、空いていたベッドに座らせる。しかしどうすればいいと聞かれても、凡人の俺に大したアイデアがあるわけもない。アドバイスできることがあるとすれば、2つだけ。
「とりあえず平田に相談するのが良いだろう」
「おお、それもそうだな」
これが1つ目。まあ、アドバイスと言えるほどのものではない。丸投げと言ってもいいだろう。自分ではどう動くべきか分からない時に頼りになる――平田はそういう男だ。
Dクラスで『優待者』になった生徒は、おそらく全員が平田に報告するだろう。……頼ってばかりで申し訳ない気持ちはある。
「緒祈にも、起きたら報告した方が良いよな?」
当然の事実を一応確認するような口調で南はそう言ったが、俺は「いや」と首を横に振った。勿論同じグループなのだから、その提案自体は自然なものだ。単純な頭の良さでもあいつはトップクラスだし、平田、櫛田に続いて3番目くらいには頼りになるかもしれない――
「緒祈には伝えない方が良いと思う」
「ええ? なんでだよ。無人島じゃあAクラスとCクラスのリーダーを見抜いたんだぜ? 多少船に酔ってるとはいえ、その知恵は借りるべきじゃないのか?」
「そうでもないんだよ。実は昨日綾小路と少し話したんだが」
「綾小路? そういえばあいつ、緒祈と仲良かったな」
「今の緒祈は試験を早く終わらせるために、1回目の『話し合い』が終わった瞬間適当な解答をするかもしれない――と、綾小路は言っていた」
「うげっ、まじかよ……。そういえば解答の受け付けが何時からか聞いてたけど、そういう考えがあったのか」
そう、これが2つ目のアドバイス。
もしこのまま体調の悪化、というか倦怠感の増加が進めば、緒祈はクラスのことなど無視して自分の都合だけを考えるだろう。それを見据えた上での、解答受付時間の確認。
昨日の夜、綾小路と話している中で生まれた一つの推測だ。
同じクラスの南が『優待者』になった以上、緒祈の解答は無効となる。誰の名前を送信しても試験は継続される。今もなお布団の中で寝息を立てているこいつには、直接試験を終わらせることは出来ない。
しかし間接的になら、他のクラスに『優待者』の情報をリークするという手段であれば、緒祈にとっては面倒でしかない『話し合い』を最小限の回数で終えることが出来る。
「つまり他のクラスにはもちろん、緒祈にもバレちゃいけないのか」
「そうなるな」
「なんてこった……。とりあえず、それも含めて平田に報告するか」
それから。
俺と南は平田を呼んで3人で食事をとり、その席で『話し合い』における身の振り方を相談した。いくつか案は出たものの、やはりと言うべきか、下手に動かずに結果②を狙うのが妥当だろうという結論に落ち着いた。
Dクラスの『優待者』は南以外にもあと2人いるはずで、そちらにも呼ばれたのであろう平田は忙しそうに朝食を済ませた。
一方の俺たちはこれと言ってやることも無かったので、船内で適当に時間を潰した。
そうして気付けば12時35分。1回目の『話し合い』まで、あと30分もなかった。
服装の指定はされていなかったが、試験なのだから制服の方が良いだろう。というわけで着替えるために部屋に戻ると、そこにはやっぱり緒祈と、そしてなぜか綾小路もいた。
「よう」
「おう」
軽くあいさつを交わす。
緒祈は上半身を起こしてはいたが、まだ半分夢の中なのか、頭がふらふらと揺れていた。
「そろそろ時間だが、大丈夫か?」
「ふわ~あ」
あくびで返答された。意識が朦朧としている緒祈に代わり、綾小路が答えてくれる。
「大丈夫だと思うぞ。もうすぐ迎えも来るだろうし」
「あー……」
迎えの意味を即座に理解する。それと同時に、噂をすればなんとやら。こんこんとノックの音が響く。
「お邪魔しまーす」
返事を待たず入って来たのはBクラスの白波だった。
白波は寝惚け眼の緒祈の元まで一直線に向かい、ベッドの縁に座り、緒祈の手を取って自分の頭の上に載せた。
「……ん? あー……。おはよー、ちひろさーん……」
「うん。全然お早くないけど、おはよー」
ルームメイトになって初めて知ったのだが、緒祈は相当な髪フェチらしい。女子の髪を撫でると船酔いが収まるという、現代医学もびっくりの特殊な体質を有しているとか。
そんなわけで白波のショートヘアをわしわしとかき撫でて、ものの数秒で緒祈の意識は覚醒した。まずは部屋にいるメンツを確認し、そして壁にある時計に目をやった。
「おやおや、もうこんな時間じゃないか」
「体調はどうだ? 試験には臨めそうか?」
「
綾小路の質問にどうにも頼りない返答をしつつ、緒祈は枕元をまさぐる。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「千尋さん、僕の携帯知らない?」
「知らないけど……失くしたの?」
「多分」
「どこかに落ちてるんじゃないか?」
綾小路がそう言ってベッドの下を覗き込むが、
「ないな」
なかったらしい。
「まあ、いいんじゃない? もし『優待者』だったら、今の真釣くん、うっかり口を滑らしちゃいそうだし。知らぬが仏というか、無知の知というか」
「無知の知は違うだろ」
「かもねー」
綾小路の指摘を白波は適当に流す。この二人は……あまり仲が良さそうな雰囲気ではないな。そういえば、結局昨日の夜に二人が会っていたのかは聞けていないが……今聞くことでもないか。
そんなことより試験の話だ。
南が『優待者』だと判明しているので、緒祈は100パーセント『優待者』ではない。しかし当然そんなこと知るはずもない緒祈は「んー、そうだねー」と呟いた。
「時間も時間だし、今は諦めるとしようか」
「じゃあ私は外で待ってるから、ちゃっちゃか着替えなー」
白波が部屋を出て行くと、緒祈はようやくベッドから下りて制服に着替える。俺も着替える。
時刻は12時48分。
試験はまもなく開始される。
096
不意に想定外の状況が訪れたとしても、自分よりパニックになっている人間を見ると冷静になれる。多分、感覚としてはそれに近かった。
緒祈真釣という圧倒的に不調な人間が傍にいたことで、俺も南も落ち着くことが出来たと思う。少なくとも緒祈よりは上手くやれるはずだと、そんな自信を得ることが出来た。もちろんそれは幻想にすぎないのだが、1時間を乗り切るにはそれで十分だった。
「おいのり、まつり、です」
それが1回目の『話し合い』における、緒祈の
緒祈と面識があるらしいBクラスの連中は、「仕方ないなあ」と呆れたように笑っていた。
緒祈に次いで発言が少なかったのはAクラスの面々だ。彼らは『話し合い』において
結果③か結果④でクラスポイントの差を詰められるくらいなら、堅実に結果①か結果②を狙おうという、トップを走るAクラスにのみ許された戦術だった。
結局何かが進展することも後退することも無く、議題も結論も宙ぶらりんなまま、1回目の『話し合い』は存外あっさりと終わった。
胃に悪い緊張から解放され、俺と南は「ふぅ」と息を吐く。
一人また一人と退室する中、緒祈だけは席を立つ様子が無かった。
「おい、終わったぞ」
「あー……うん」
これはひょっとして俺が背負って連れ帰るべきなのだろうか。そう思案していると有り難いことに白波が来てくれたので、緒祈のことは彼女に任せた。
俺は小腹が空いたのでどこかで軽食でもとろうかと思ったのだが、部屋を出たところで「三宅くん」と呼び止められた。
「ちょっと、いいかな?」
遠慮がちにそう声を掛けてきたのは、クラスメイトの篠原だった。何やら他人には聞かれたくない話があるようで、人気の少ない非常階段に連れられた。
「なんの用だ?」
「その……緒祈くん、何か言ってた?」
「何かって?」
「私のこと」
ふむ。なるほど。
緒祈は無人島で軽井沢の下着を盗んだという冤罪を掛けられた。そして緒祈を糾弾した筆頭がこの篠原だ。あれから真犯人が判明し、緒祈を責めていたクラスメイトは平田の後押しもあってしっかり謝罪し、緒祈はそれを受け入れた。
しかし特に緒祈を責めていた篠原としては、本当に許されているのか不安なのだろう。なにせ緒祈の対応次第では、今後篠原が虐められる可能性だって十分に有り得るのだから。
とはいえ――
「何も言ってないぞ」
「ほんとに?」
「本当に。びっくりするくらい」
もう忘れてるんじゃないかってくらい、緒祈は篠原のことを語っていなかった。そもそも緒祈が何かを喋っている姿自体、この船の上では数えるほどしか見ていない。
「そっか……。うん、ありがと」
「気にするな」
特別試験もあるのに大変だなと同情しつつ、自業自得だとも思った。喧嘩っ早いというか、沸点が低いというか。尤も、俺だって他人をどうこう言えるほど褒められた人間ではないのだが。
篠原と別れた後は特に何事もなく、気付けば時刻は午後4時を回った。各クラスの首脳陣は特別試験のことで頭がいっぱいだろうが、喜ぶべきか悲しむべきか、俺は結局昨日とも一昨日とも変わらない時間を過ごしていた。
部屋で携帯をいじるだけの、生産性の欠片もない時間。
「んう……」
なにやら可愛らしい声が聞こえたと思ったら、隣のベッドの緒祈だった。こいつは女子みたいな寝顔をしているだけでなく、ふと漏れる声にも女子っぽさがあり、一瞬ドキッとする。
「んむむ。おはよう、三宅君」
「おう。おはよう」
全然お早くない。ただ、ようやく十分な睡眠が摂取できたのか、寝起きではあるが普通に挨拶を交わすことには成功した。
緒祈は枕元をまさぐり、そこに自分のスマホが無いことに気付く。深い溜息と共にがっくりと肩を落とした。
「そういえば失くしたんだった」
「……ドンマイ」
俺は決してスマホ依存症などではないが、それでも手元にないと不安にはなる。特に、こんな特殊な学校だし、特別試験の最中だし。
しかし緒祈は沈む気分を引きずらず、さくっと切り替えたようである。珍しく、というかおそらく初めて、緒祈は俺に頼みごとをしてきた。
「三宅君、ちょいと人を呼んでほしいんだけど」
「俺が知っているアドレスはそんなに多くないぞ」
「平田君と綾小路君と堀北さん。あと帆波さんと千尋さんと隆二君」
「すまないが、後ろ4人は知らん」
平田とは入学してわりとすぐ、向こうから誘われる形で連絡先を交換していた。そして綾小路とは昨夜、意気投合したというほどでもないが、その場の流れで交換していた。
しかし堀北と一之瀬に関しては、まず接点が無い。白波は接点が無いことも無いが、連絡先を交換するほどではない。そして申し訳ないのだが、隆二君とやらは誰のことなのかさっぱりだ。並び的にはおそらくBクラスなのだろうが。
「平田君か綾小路君が知ってるはずだから、とりあえず二人を呼んで」
「それはいいんだが……そんなに集めて何をする気だ?」
俺の疑問に、緒祈はシニカルな笑みでこう答えた。
「終わらせるんだよ。面倒極まりないこの試験をね」