021
中間テスト前最後の授業が終わった。
明日の準備があるとのことで生徒の居残りは禁止されているため、今日の勉強会はない。
テスト範囲の変更が判明して一週間、このクラスは4月の醜態が嘘のように勉強に励んだ。素直に感心した。
もう一回くらい内部分裂があるかと予想していたのだけれど、
ただ赤点が回避できるかというと、正直微妙なところだと思う。
試験の攻略法を考え付いているらしい
しかし「君が諦めたなら潰してもいい?」と聞くと「そう早まるな」と言われたので、このまま何もないということはないだろう。
試験は明日だけど、間に合うのかな?
やがてホームルームが終わり、
行動を起こしたのは意外……と言うほどでもないかな、櫛田さんだった。彼女は何やらどっさりと紙の束を抱え、教壇に立った。
「みんな、帰る前に少しいいかな?」
ここで悪いと言う人は一人もいない。
「明日の試験に備えて、今日まで沢山勉強してきたよね。それでね、ギリギリになっちゃったけど、力になれることがあるの」
そう言って、彼女はA4サイズのプリントをクラス全体に配った。
「実はこれ、過去問なんだ。昨日の夜、三年の先輩から貰ったの」
「過去問? え、じゃあこれもしかして、結構使える感じ?」
「うん。実は去年の中間テストもね、この一昨年のテストとほとんど同じ問題だったんだって。だからこれを勉強しておけば、きっと本番で役に立つと思うの!」
「うおおお! 櫛田ちゃんマジ女神いいいい!」
教室内が歓喜に沸く。先程までは
この展開を計画したであろう男は一人ひっそり一足早く帰ろうとしていたので、僕は鞄を持ってその背を追った。
「いいの? 櫛田さんに手柄を持って行かれちゃったけど」
「いいんだよ。オレは目立ちたくないし、櫛田が一番の適任だろ」
「それもそうだね。でも本当に
「……なるほど、お前はそういう考えがあったからこの方法を思い付いても却下していたんだな」
「うん。それで? 勝算はあるの?」
「ある」
ノータイムで言い切ったか。綾小路君はさらりと嘘が言える人だけど、今回はどうやらマジらしい。
「根拠は?」
「小テストがあっただろ」
「あったね」
「その過去問も入手したんだが、今年のと一昨年のと、問題文は一言一句違わなかった」
「だから中間テストも同じだって?」
「茶柱先生はあの小テストを『今後の参考用』だと言った。あれは先生が参考にするのではなく、
「ははー、なるほどね」
あの異様に難しかった最後の3問は、過去問の有用性に気付かせるためのヒントだったってわけか。
「直前の今日になって渡したのは、油断させないため?」
「ああ」
「ふーん。間に合えばいいけど」
「勝算は十分にあるはずだ。だから、余計なことはするなよ?」
「安心してよ。無闇に君と敵対しようとは思わないから」
「……無闇に、か」
「うん。もちろん必要とあらばその時は、ね?」
多少冗談めかしてそう言ったんだけど、彼は予想外の反応を見せた。
「
「――っ!」
獅子が得物を睨むような鋭い目で僕を刺し、猛虎が唸るような低い声でそう言った。首元に牙を突き立てられたような感覚があった。そんなこと有り得ないと分かっていたけれど、血が流れているんじゃないかと自分の首を
「……おお怖い」
どうやら僕は、うっかり彼の尾を踏んでしまったらしい。
「ま、まあ仲良くやっていこうよ。一緒にAクラスを目指す者同士、ね?」
「……はぁ。オレは別にAクラスに興味は無いし、お前もそんなに積極的じゃないだろ」
ピリついていた空気が霧消した。
よかったよかったと安心するとともに、自分の背中が冷や汗でびっしょり濡れていることに気付く。
綾小路君に本気で敵認定されたら、僕、多分死ぬ。
べっとりと貼り付いたシャツの感触は、まるで死神に抱かれているようだった。
022
「全員揃っているみたいだな」
いよいよ試験当日となった。
茶柱先生は不敵な笑みを浮かべながら教室に入って来た。
そういえば最近あまり言ってなかったね。その黒髪に是非とも触らせてくださーい!
試験前に何考えてんだって感じだが、正直不安は全くない。自分自身についてはもちろんのこと、赤点三人衆も悪くない顔をしている。ただ睡眠時間を削ったのか、髪の状態は少し悪い。
「もし今回の中間テストと7月に実施される期末テスト。この二つで誰一人赤点を取らなかったら、お前ら全員夏休みにバカンスに連れて行ってやる。そうだなぁ……青い海に囲まれた島で夢のような生活を送らせてやろう」
島というものは大抵海に囲まれているし、海というものは大抵青い。だから「青い海に囲まれた島」というのは意味的には「島」の一言で済むんだけど、しかし受ける印象は全く違う。おもしろ。
と、そんなことを考えているのは僕だけだったようだ。
先生の言葉に男子諸君は何を想像したのか、
「皆……やってやろうぜ!」
「「「うおおおおおおおおおおおおおお!」」」
吠えた。
しれっと綾小路君も吠えていた。でも堀北さんにひと睨みされて黙っちゃった。おもしろ。
やがて解答用紙が配られ、問題用紙が配られ、チャイムと同時に先生の「始め!」が響いて、運命の中間テストが幕を開けた。
1時間目の科目は社会だ。僕は解き始める前に、まず全ての問題を一通り確認する。
……わお。
そこに並んでいたのは、昨日配られた過去問と驚くほどに酷似した問題だった。これなら赤点が出ることはないだろうし、むしろ満点がうじゃうじゃ出てくるだろう。
そして2時間目の国語も、3時間目の理科も、4時間目の数学も、どれも怖いくらい順調に消化されていった。本当、怖いくらいに。
教室内は「なんだ余裕じゃん」という空気に満ちていたのだけれど、ただ一人、須藤君だけは暗い表情で次の英語の過去問を見つめ、頭を抱えていた。
池君が恐る恐る声をかける。
「須藤……お前まさか」
「英語以外はやったんだ。でも、それで寝落ちしちまったんだよ――くそっ!」
つまり今初めて過去問を見ているのか。
4時間目が終わるといつもなら45分の昼休みに入るのだけれど、テストの日は全科目をひと息にやってしまうので休み時間は10分しかない。
堀北さんが急いで彼の隣に行き赤点を回避するための最短ルートを示すが、はたして間に合うだろうか。
須藤君には何度かマンツーマンで勉強を教えたけれど、この状況で僕がしゃしゃり出てもしてあげられることはない。
そう思って自分の席を動かないでいると、向こうから綾小路君がやって来た。無表情だから何を考えているのかさっぱり分からないけれど、まさか僕が一番してほしくない勘違いをしてたりは、しないよね?
「おい
「待って。僕は何もやってないよ、本当に。須藤君は勝手に寝落ちしたんだよ。睡眠薬なんか盛ってないし、催眠術もかけてない。いや元より僕に催眠術の心得は無いけど――」
「落ち着け。別にそんなこと疑ってない」
「……およ?」
「次の英語のテスト、出来るだけ点を抑えてほしい。できれば50~60点くらいで」
なんだそんなことか。昨日のこともあったし、まさか敵認定されたんじゃないかと焦ったわ。
「赤点のラインって平均点で決まるんだっけ?」
「ああ。クラス平均の半分の点数だ。だから無理をする必要はないが、頼んだぞ」
「あい了解」
そして須藤君にとってはあまりにも短い休み時間が終了した。
テストが始まる直前、綾小路君は堀北さんと何かを話していた。おそらく僕にしたのと同じ話だろう。
このクラスは40人で、うち3人(僕、堀北さん、綾小路君)が50点を取り、須藤君を除いて他36人が平均で80点を取ったとすると、須藤君は39点以上取らなくてはならない。かなり微妙なラインだな。
とにかく須藤君自身に頑張ってもらうしかない。僕の点数を10点下げるよりも須藤君の点数が1点上がる方が、より赤点から遠ざかるのだから。
まあ綾小路君に頼まれちゃったし、出来る限り頑張りますかね。
配点の記されていない問題用紙を、僕はじっと睨みつけた。
023
月曜日。
週末を落ち着かない気持ちで過ごしたDクラスの生徒たちは、中間テストの結果発表を固唾を呑んで待っていた。そのただならない空気に、さしものクールビューティー茶柱先生も驚いた表情を見せていた。
脇にはいつかのように、細長い筒を抱えている。
「では今から中間テストの結果を発表する」
祈るように手を組む生徒が何人かいた。
僕は緒祈だけど、これといって祈るような気持ちは無かった。結果は既に確定しているのだから。
「正直、感心している。不良品のお前たちがこんな高得点を取れるとは思わなかったぞ」
社会、国語、理科、数学。
点数を記した紙が順番に貼られていく。
どの科目も最低点は50点を越えていて、赤点がいないことは一目でわかった。
100点を取っている者も多くいたが、それでも何人かは笑顔を見せることができなかった。肝心なのは須藤君の英語がどうなったか、ただそれだけだ。
「最後に英語だ」
来た。
自分のより先に須藤君の点数を確認すると――39点。
「っしゃ!!」
須藤君が立ち上がり叫んだ。
「俺たちだってやるときゃやるんですよ!」
池君のドヤ顔に、先生は不気味な冷笑を返した。
「ああ、認めているよ。確かにお前たちは頑張った。だが――」
茶柱先生の手には赤色のペン。それが須藤君の名前の上に一本の線を引いた。
「あ……? ど、どういうことだよ」
「お前は赤点だ須藤」
「は、はあ!?」
喜びから一転、教室内を困惑と騒然が満たしていく。
「この学校の赤点の判断基準を教えてやろう」
そう言って先生が黒板に書いたのは、『79.2÷2=39.6』という式だった。つまり平均点の半分取れなきゃ赤点ってわけだ。綾小路君の言っていた通りだな。過去問をくれた先輩にでも聞いたのだろう。
今回の英語ではクラス全体であと48点抑えていれば須藤君は助かっていた。しかし今さらそんなことを言っても意味がない。
「これで分かったな? 須藤、お前は退学だ」
「ウソだろ……? 俺が……たい、がく?」
「放課後退学届を出してもらうぞ。保護者には私から連絡しておく」
「ちょっと待ってください!」
クラスのリーダー平田君が手を挙げて、須藤君に対する救済措置はないのかと尋ねる。が、先生はそれを一蹴した。平田君は悔しそうに唇を噛む。
「少しよろしいでしょうか」
今度は堀北さんが手を挙げて、理論的に須藤が赤点でないことを証明しようとする。が、これも先生はそれ以上の理論であっさりと
「他に意見のある生徒はいるか? いないな? では須藤は放課後職員室に来い。以上だ」
そう言って先生は教室を出ていてしまった。それを追いかけるように綾小路君も席を立つ。池君に呼び止められるも、「トイレ」と素っ気なく答えて教室から出て行った。まだ何か打つ手があるんだろうか?
あ、堀北さんも行っちゃった。
うーん、どうしよう? 僕も行った方がいいのかな? でも目配せとかなかったし、別にいっか。
それよりも二人が何をしようとしているのかを考えてみよう。
赤点を回避するためには平均点を下げるか須藤君の点数を上げるか、この二択しかない。
前者の場合。
堀北さんが51点で綾小路君が50点なので、これを39点まで下げてもらうことができれば赤点ラインは多少下がる。しかしその程度では全然足りない。48点の僕が行っても焼け石に水だ。
そもそもそんな方法で回避できてしまうなら、赤点など最初から設けないだろう。
後者の場合。
これは須藤君の点数を1点上げてもらえればそれで解決なんだけど、問題はどうやって上げるかだ。解答が確定して採点が完了している以上、どんな屁理屈をこねたところで点数は変わらない。であれば残された道は交渉しかない。
交渉と言っても僕たち生徒が学校相手に差し出せるものなど……そういえば入学初日、先生は確かこう言っていた。
『学校内においてポイントで買えないものはない』
――まさか、そういうこと?
あの二人のことだからポイントの無駄遣いはしてないと思うけど、でも茶柱先生のことだから無茶な額を要求してくる可能性もある。
あとで綾小路君に恨まれるのも嫌だし、髪の綺麗な堀北さんに嫌われるのも嫌だし……はぁ、仕方ない。
「緒祈! お前もこんな時にトイレかよ!」
「そんなとこ」
さーて、どこにいるのかねえ。
とりあえず職員室を目指すか――あ、いた。
「うぶっ!」
茶柱先生の姿は無くて、堀北さんが綾小路君の脇腹にチョップしていた。なにイチャついてんの?
「ってえな、何すんだよ!」
「何となくよ」
「えっと、上手くいったのかな?」
「あら随分と遅かったわね。罰として10万ポイント払いなさい」
「いや無理だけど……ああ、10万ポイントで買えたんだね」
「お前もここに来たということは払うつもりがあったんだよな?」
「それじゃあ2万ポイントずつ頂きましょうか」
「なんでやねん。まあ、1万ずつならいいけど」
「「1万8千」」
「1万2千」
「「1万7千」」
「1万3千」
「「1万8千」」
「……なんで上げちゃうの?」
「あなたがさっさと払わないからよ」
「お前がさっさと払わないから」
仲のよろしいことで。
はぁ……これなら来なくてよかったかな。
「まあいいや。1万7千ずつね」
「いいでしょう」
「お、ラッキー」
なんというか、堀北さんといるときの綾小路君は随分と楽しそうだね。無表情だけど。
「あ、僕堀北さんの連絡先知らないから送れないや」
学生間でのポイントのやり取りは、相手の電話番号かメールアドレスが分からないとできない。
「じゃあオレに3万4千――」
「なんでそうなるのよ。はいこれ、私の連絡先よ」
「おお、どうもどうも」
こうして。
僕にとっての中間テストにまつわるあれこれは、紆余曲折に曲折浮沈を重ねたような道のりだったけれど、最終的には美黒髪少女の連絡先を入手するという控えめに言っても最高な形で幕を閉じた。