織斑姉弟(へ)の献身   作:足洗

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薄味回。つまりおかゆ。


9話 微かな兆し

 教室への道すがら多くの生徒と擦れ違った。友達同士で談笑に耽っていた彼らが、こちらの姿を捉えた途端皆一様に言葉を失う。

 無理からぬことであった。

 学生服の上着を肩掛けにしているとはいえ、その欠損は一目瞭然なのだ。あるべき場所にあるべきものがない。

 

「……」

 

 ふと、袖を引かれる。隣を歩く少年が、指先で己の袖口を掴んでいた。

 それはまた不可思議な話である。同情か憐憫、怪訝か好奇を滲ませる彼ら。声を潜めてこちら窺うその様子に心痛めたのは、己ではなく一夏少年だった。

 ああ、いつの間にか、彼はこんなにも優しく善良な若者になっていたのか。

 その事実に暖かな喜びを覚える。そして、どのような分際でそのような感慨を己は抱いているのか。弁えぬ我が身に呆れる。

 

「一夏さん。どうかご安心ください。皆さん、面を食らった心地なのでしょう。しかしそれもほんの一時のことです」

「うん…………ふふ、や、なんで俺の方が心配されてんだよ」

 

 そう言って、少年は僅かにはにかんだ。

 教室の扉は既に目の前にあった。そっと少年が進み出て引き戸を開けてくれる。小さく礼を言って、室内へと踏み入った。

 外から聞こえていた喧騒が、その瞬間に止まる。しんと静寂が朝の教室に横たわった。

 

「おはようございます」

 

 微かな逡巡の気配の後、疎らな挨拶が返ってくる。

 真っ直ぐに自分の席を目指す。続いて入室した一夏少年には、おそらくは普段通りの級友への対応に切り替わった。

 そのことに少し安堵を覚えた。

 その時、背後から急接近する存在を“感知”する。

 

「オォォッス!! てめぇらぁ!!」

「うわ!?」

「!」

 

 彼は勢い己と一夏少年の肩に腕を回す。こちらが身構えていなければ、まるきり不意打ちのラリアットであった。

 このような暴挙を働く人物の心当たりは主に二人。

 その一人が彼、五反田弾である。長髪にバンダナという学生にあるまじきファッションとその端整な顔立ちに似合わぬ粗暴な振る舞いが、良くも悪くもこの少年が持つ無二の個性だった。

 

「弾、うっぜぇから離れろ」

「んだよ一夏ちゃん。ゴキゲン斜めだな。愛しの彼氏と一緒に登校してウキウキかと思ってたのによ」

「うっっっぜぇ」

「弾さん、御無沙汰しておりました」

「仁は仁で相っ変わらずかってぇな。入院中に美人のナースさんにいろいろどこもかしこも解してもらったんだろ?」

「んなわけあるかボケ死ね」

「とても愛らしい看護師の方に、長らく良くしていただきました」

「えっ、マジで? L○NEのIDとか聞けた?」

「LI○Eではなく、連絡先を書いたメモを」

「うっそだろマジかよ仁先輩!!」

「ああ、前に俺が洗濯しちゃったやつね」

「はぁ!? うわぁぁぁありえねぇもったいねぇ……お前鬼か? 悪魔か?」

「ふんっ」

 

 彼の強引さに一夏少年は辟易と鼻を鳴らし、己はといえば懐かしさなど噛み締めている。

 変わらぬ日常が帰って来た。

 

 

 その後、授業は(つつが)無く消化されていった。腫れ物を嫌がるようだった教室内の空気感も、幾らか軟化したように思う。

 ……それというのもやはり、一際騒がしい彼の存在あってこそなのだろう。

 

 

 昼休み。中庭の常緑樹の下、円形ベンチに陣取って昼食を取る。

 

「菓子パンばっかで力出んのかよ」

「抜かりはねぇ。焼きそばパンもある」

「炭水化物の塊じゃねぇか」

「タンパク質、ビタミン、食物繊維が大幅に不足しています」

「若いからって不摂生して将来苦労すんのはお前だぞ」

「お若い身であればこそ、身体造りの為に栄養は多種多様に取り入れるべきでしょう」

「あーあーうるせぇー! くそ、暫らくは静かだったのに……姑に舅が合流しやがった」

 

 一瞬の間。きょとんと、の副詞の例として教本への申請を考慮するほど、一夏少年の顔はきょとんと呆けていた。

 

「……誰が姑だ」

「お、そのニュアンスは自分が()だという自覚があるやつだな」

「死ね」

「生きる。生きるから、その卵焼き一切れください。タンパク質摂んなきゃなんだろ?」

「誰がやるか」

「じゃあ仁のやつくれ」

「お待ちを。一夏さん、よろしいでしょうか?」

 

 一旦弾さんからの要求を保留し、一夏少年へ向き直る。

 些事といえば些事であるが、許可は取るべきことだった。なにせ、この弁当を手ずから用意してくれたのは彼なのだから。

 少年は渋い面をして唇を尖らせつつ、不承不承卵焼き譲渡の許諾を与えてくれた。

 

「どうぞ」

「サンキュ……ん、俺、卵焼きは塩辛い方が好きなんだけど」

「食っといて文句言うんじゃねぇよ」

「こえぇこえぇ。愛妻弁当旦那以外に食われて怒ってら」

「なあジン、そろそろ堪忍袋に穴空いてんだけど俺はキレていいよな?」

「やだーこわーい。仁くーん一夏ちゃんがボクをいじめるのー」

「昼食を終えてから、腹ごなしの運動になさるがよろしいかと」

「やだーこっちも意外と乗り気ー……」

 

 過ぎたるは及ばざるが如し。からかいも笑える内が華。歯止めとしては頃合であろう。

 彼らのやりとりはいつも愉快で、時折それすら忘れてしまうこともあったが。

 

「……はぁ、なんか喉渇いた」

「自分が」

「いいよ、俺が買ってくる。ジンは座ってて、よっ」

 

 腰を上げたところで制される。一夏さんはベンチに手を掛け、跳躍するかのように身体を押し出した。そのまま二メートルほど前進して着地する。

 

「俺、バナナオレな」

「へいへい。ジンは?」

「緑茶をお願いします」

「はーい。ちょっと待ってろ」

 

 小走りに駆けていく背中は、校舎の入り口を潜るとすぐに見えなくなった。

 不意に、涼風が流れる。枝葉を鳴らす。日差しもまた柔らかで、時節を思えば望外の過ごし易さであろう。

 

「甲斐甲斐しいこった。前より酷くなってねぇか、あれ」

「……はい、お見立て通りかと」

「……ま、事故って一年間眠りっぱなしじゃあしゃーねぇかもな」

「我が身の不徳の致すところ。あの方々には長らく御心労を強いてしまった」

「いや不徳て」

 

 一夏少年の助けによって、現状隻腕による生活への支障はほぼ皆無と言えた。目の前の少年の言葉を借りるなら、甲斐甲斐しい介助の賜物。感謝以外に抱くものは無い。

 ……無い、と言い切るべきこと。

 だが、手放しで結果のみに喜悦できるほど己は泰然自若を知らぬ。

 そして、彼の友人である五反田弾もまたその変化に気付いていた。

 

「今、一緒に住んでるんだったな」

「退院当日にアパートの部屋を既に引き払った事実を伝えられ、行く当てのない自分にそのまま軒をお貸しくださいました」

「いやいやいやいや! お前それマジで何の疑問も持たなかったのかよ!?」

「まさか」

「あ、あぁそっか。そりゃそうだよな」

「御姉弟水入らずの空間に自分のような異物が居座るなど、問題以外の何物でもありません」

「そこじゃねぇよ」

 

 少年が手にしたクリームパンを握り潰す。端からクリームが噴き出した。

 

「冗談です」

「お前のそれ分かり難いんだよ、前々から言ってっけど」

「申し訳ありません」

 

 半ばほどは、そういった念がないではない。

 しかし、言い知れぬ危うさを覚えているのもまた事実だった。

 

「……自分如きの為に、並ならぬ労苦を背負っておられる。そう思えてならないのです」

「そっちかよ。もっとこう、自分の都合無視されてる件については何もねぇのかよ」

「ありません」

「言い切っちゃったよ……」

 

 あの御姉弟から賜るものを、どのような行為も、いかなる感情も、己が拒む理由はない。その好悪愛憎の別に関わらず、全て、受け止めると決めた。

 

「愛が重くて逃げたい、とかそう言う話なら単純だったんだがなぁ」

「重みに耐えられぬならば、ただこの身が潰えるのみ。何も問題はありません」

「問題しかねぇよ。てかこっちもこっちで重いわ。くそ、ツッコミ役が足りねぇ。まさかあの中華娘を懐かしむ日が来るとはな」

 

 己が軽妙とは無縁の性であることは明白だった。愚直といえば聞こえも多少は良かろうが。

 弾さんの言ではないが、それこそかの少女なら快刀乱麻を断つが如く、己の愚鈍を斬って捨ててくれるのだろう。

 

「はぁ、様子見て行くしかねぇだろ。いきなり『お前の世話止めろ』なんて言って素直に聞くわけねぇし」

「……はい、まったくに」

「一番の問題が()()()()()()()()()ところなのが厄介っつうか。めんどくせぇ」

 

 彼は吐き捨てるようにそう言ってクリーム塗れの指を舐めた。

 その様に、笑みが浮かぶ。

 

「んだよ」

「いえ」

「言い切れよ。気になんだろうが」

「は、では遠慮なく。貴方は本当に機微に聡く……とても友人想いだ」

「あー今のなし。やっぱお前喋んな」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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