織斑姉弟(へ)の献身   作:足洗

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10話 源

 一月もするとクラスの空気はいつも通りになった。

 腫れ物扱いって表現がしっくりくる居心地の悪い空気。まるでジンが何か悪いことを仕出かして、皆してジンを避けてるような。

 それが無性にイライラした。

 でも当の本人はそれを仕方ないことだ、なんて言う。仕方ないことの筈がない。要は差別だ。肌に馴染まない物を他所に追いやって見て見ぬふりをする。間違ったことだ。

 そんなようなことをつらつらと言い連ねると、ジンは少しだけ驚いたような顔をして、次に小さく笑みを浮かべた。それはなんだか優しくて、嬉しそうな笑みだった。

 今度は無性に気恥ずかしくて、結局灯った怒りも燃え上がる前に消えてしまった。

 

 いつもこうだ。

 あの笑顔を見ると、尖っていた気分が丸くなる。苛立ちも怒気も失せて、それらを沸き立たせた原因のしょうも無さに改めて気付く。そして最後はどうでもよくなる。

 代わりに湧いてくる感情はいつも同じ。

 宥め賺す訳でもなく、こっちの話に静かに耳を傾けてくれる人の存在が、ひどく気になりだすのだ。自分の隣にジンがちゃんと居てくれているか。大事なことは、それ一つだけになった。

 そうして、ジンが傍に居ることを確かめて、安心する。

 

 

 

 

 

 小学時代に知り合って、“それ”は少しずつ醸成されていった。

 彼の手。同い年であることが未だに信じられない大きな手。頼もしい手。

 彼と手を繋ぐと、いつも感じた。

 彼が頭を撫でてくれると、より強く感じた。

 差し伸べられた手に縋り付くと、どうしようもなく感じずにはいられない。

 俺の欲しいもの。

 いや、正しく言うと、欲しいなんて思いもしなかったもの。

 生まれた時には既に失っていた。だから何も思わなかった。他人を羨ましいとも思わなかった。

 初めて知った。

 

『……ジンってさ――――』

 

 笑ってくれればよかったのに。馬鹿なこと言ってるって。

 怒ってくれてもよかった。同い年の“友達”が、“友達”のことをそんな風に呼ぶ訳ないんだから。

 なのに、ジンは悲しそうな目をして俺を強く強く抱き締めてくれた。

 

 どうしてそんなことをされたのか――今なら少し分かる。織斑の家の事情をジンは千冬姉から聞いていたんだろう。世間で言うフクザツなカテイジジョウってやつ。

 ジンがどういう感情でああしたかは想像するしかないけど、安易な同情や哀れみは感じなかった。なんたって気遣いの鬼みたいな奴だし。

 それでも、ああいう大胆な行動をジンに起こさせたのは、誰あろう俺自身なんだろう。

 

 何気なく、日常会話の延長みたいな風に回想しているが、実際は酷いものだった。

 あの頃は千冬姉の仕事も忙しくて、帰る時間は俺が寝た後。頑張って起きていようなんて息巻いて机に突っ伏したまま寝落ちした時はこっ酷く叱られたものだ。

 会話らしい会話が減って、顔を合わせるタイミングも合わなくなっていった。

 重い疲れを肩に載せて家を出て行く千冬姉に、我儘なんて言える訳がない。

 たった一人の家族が日を追う毎にぼろぼろになっていく。自分にできることをしようと家事の真似事も始めてみたが上手くはいかない。結果、千冬姉の仕事を余計に増やしただけなんてことも一度や二度じゃなかった。

 空回りしてた。俺だけじゃなく、千冬姉もだ。

 

 誰かを頼ればよかったのかもしれない。身近な大人や、それこそ友達を。

 簡単なことだろう。同時に、とんでもなく度胸が要る。他人に肩代わりをお願いするにはひどく重い話だ。

 結局抱えたまま、けれど日常はゆっくり止まることなく進んでいく。

 そういう変調をジンに見抜かれた。

 

『姉君もまた、貴方と過ごす時間を望んでおられます』

『……』

『貴方の将来の為に、今を犠牲として懸命に御仕事をこなされています』

『……うるさい』

『貴方の寂しさは、同時に姉君の寂しさでもあるのです』

『ぅるっさい!!』

 

 思い出すだけで顔から火が出そうになる。

 要は、俺は駄々を捏ねたんだ。仕事に忙殺される千冬姉が自分に構ってくれないことに。

 公園。

 暗く黒くなっていく茜空。

 迎えに来た家族と一緒に次々いなくなっていく同級生達。

 惨めな気分。寒々しい胸の穴。

 ベンチの隣に腰掛けて俺の不平不満を聞いたジンは、静かな口調で正論を並べていった。当たり前といえば当たり前だが、紛れもない幼児であり、おまけに頭に血が上っていた俺に対してそんな理屈が通用する訳もなく。

 馬耳東風ならばまだしも、語彙力の乏しい罵倒をジンに繰り返したような気がする。

 ジンは、時折相槌を打ちながら、じっと俺の叫びを聞いていた。

 

『なんで』

『はい』

『なんで……オレはいつもひとりなの……?』

『一人では、ありません』

『うそだもん』

『いいえ』

『うそ』

『では、証拠をお見せしましょう』

『……しょーこ?』

『はい、明日の夜に。貴方が一人ではないことを、貴方にはあんなにも素晴らしい御家族が居られることを、きっと証明してみせます』

 

 その時に、初めてジンの笑みを見た。

 鋭く強い目が細められて、目尻に皺を刻む。厳つくておっかない、そうとしか見えなかった顔があんなにも優しい形に変わることが、不思議だった。

 

『寂しいと口にすることが我儘である筈がないのです。貴方は……一夏さんは、えらい子です。今までとてもよく頑張った、えらい子です』

 

 慣れない言葉を使う彼の口振りは拙くて……でもどうしようもなく、暖かくて。

 そんな不器用な優しさが、まるで。

 

『……ジンってさ、なんか――――』

 

 ――お父さんみたいだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「一夏さん」

「っ……」

 

 その声に目を開ける。

 机に突っ伏していた身を起こして、目の前を見上げた。大きな胸板を過ぎて、ようやく顔が視界に収まる。

 厳つくておっかないジンの顔。今は微塵も思わないけど。

 

「今何時……?」

「四時五分になります。六時限目からホームルームまでよく眠っておられた」

「あちゃー」

「……御疲れの様子」

「はは、心配?」

「無論」

「そっかー……じゃあさ」

 

 椅子に腰掛けたまま、両手を伸ばす。それこそまさに、駄々を捏ねる子供のように。

 

「おぶって」

 

 口に出してから――気付く。自分はかなり寝惚けているらしかった。

 身体が硬直する。けれど体内の血液は忙しなく頭の方へ集まって、頬と耳がやたらに熱くかっかしているのが分かる。

 なにしてんだオレ。なにしてんのオレ。

 ジンは阿呆なことを言った俺に呆れて無言になって、くれる訳もなくくるりと方向転身するやこちらに背を向けて屈みこんだ。

 

「どうぞ」

「そこは拒否して!」

 

 この糞真面目男は何年経っても変わらない。

 三ヶ月眠り続けたって、変わらなかった。

 だから、きっと、これからも変わらないでいてくれる。

 

「……だいたい片手でおんぶとか無理だろ」

「一夏さんの体重程度であれば十分に可能かと」

「それはそれでなんかムカつく」

「不安がお有りならば“左腕”を使いましょう」

「いい。ジンの手がいい」

 

 右手で鞄を取り、立ち上がる。そのまま左手でジンの右手を取った。

 

「おんぶで下校なんかした日には明日から学校中で指差されて笑われるわ」

「そうでしょうか」

「あ、出たよ。そういう無神経なとこ。やっぱジンは――お父さんみたいだ」

 

 何気ない様を装っても、やっぱり口にするのは恥ずかしい。

 

「光栄です」

「ぅるっさい」

 

 それもそうか。

 お父さんみたいな人に、俺の欲しがるものなんてお見通しだよな。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 誰にも渡さない。

 オレだけのおとうさん。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




純粋なヤンデレ純愛少年かと思った? 残念! ヤンデレファザコン純愛()少年でした!

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