織斑姉弟(へ)の献身   作:足洗

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11話 初コイ

 気付けば、日々は平穏に過ぎていった。

 織斑一夏少年誘拐未遂事件――表向きには可燃性物質を輸送中のタンクローリーと一般車両との衝突事故であるが――あれから一年半もの時間が経とうとしている。

 国際的なテロ組織の関与が疑われる案件。表沙汰になることなく事態が終息したことからも、高度に政治的な操作が施されたであろうことは言うまでもない。

 また、時期を同じくして日本代表IS操縦者たる織斑千冬がドイツへ招聘された事実。彼女が一体どのような“条件”を提示され、“何”を行ったのか。

 事の真相はかの人の胸の内。いつかそれを吐露してくれる日が来ることを願う。

 

 とはいえ、変わらぬ日常の再来に安堵していた。

 ……しかし、どうやらそれは己の希望、期待でしかない。現実には、変化は既に起こっていた。

 

「ジン? どこ行くんだよ……? 買い物? なら俺も行く……ダメ、か? あっ、えへへ。よかった」

 

 些細な違和。次の瞬間にも忘れてしまうほど、微かな。

 

「さっきリビングで電話してたろ。誰とだ? ああ、弾か…………なら、いいや」

 

 塵も積もれば、とはよくぞ言い得たもの。けれどこの場合は今少し、表現の的確性を欠く。

 

「ジン! どこ行ってたんだよ!? ずっと探してたんだぞ!? 何も言わずにいなくなるなよ!! な、え? ……職員室? 進路相談? あっ……ご、ごめん、朝言ってたよな。そっか。ごめん。ホントにごめん。怒鳴ったりして…………ごめんなさい……」

 

 謂わば雪であった。一片、二片、降り落ちたとて雪は地に染み入り跡形も残らぬ。しかし、確実に地の底へ冷えた雫は沈み、深く深く、それは最奥で“溜まり”を作る。

 

「トイレ? ……じゃあ外で待ってる」

 

「ジンの飯は俺が作るよ。だから他所で食べることなんてない。ジンはさ、俺が作ったもの以外は食べちゃダメだ。じゃないと絶対、許さない…………ふふ、冗談だよ」

 

「――委員長となに話してたんだ? いや、だって、あの娘とジン、今までそんなに絡んでなかったよな。なんで今更、今更、今更…………あぁ、腕のこと。はっ、要らない世話だよな。ジンには俺が付いてんだから……ねっ?」

 

「昔から不思議だったんだよなー。ジンってなんで女子からモテないんだろーってさ。見る目ねぇよな、あいつら。弾? あいつのは残念でもないし当然じゃね? ふふふ、でも今は……それでよかったって思う……へ、変な意味じゃないからな!?」

 

 何かが変わった。

 快活で、心優しく、驚くほどに無垢な正義感をその胸に備えた少年。その在り方に一度ならず敬意を抱いた。

 彼の成長を傍近くで見守ることが、ただただ幸福だった。

 そんな彼の純心に……何かが現れ始めた。

 

「手、放さないでくれ。お願いだから……不安なんだ。ずっと。ジンが目を覚ましてからも、今も」

 

 己の力及ぶ限り、少年の望みを叶えたいと思った。姉君と過ごす時間。そんなささやかで、大切な望みを打ち明けてくれた彼を、ほんの僅かでも幸福に()()()()()()()()()()

 それでいい。

 己が価値無き生命の使い途として、得られる結果は破格であろう。

 それで、よかったのだ。

 

「もっと強く……ううん、もっと……もっと……あはは、このまま手が潰れたらさ――ジンとお揃いだな」

 

 俺は一体何を、違えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 日も沈みかけた午後六時頃。

 織斑家の庭先へ出る。五、六坪ほどの芝生敷きの小庭。人一人が身体を動かすには十分な広さだ。

 一夏少年は今台所で夕食の調理の最中。

 物思いに耽るには丁度良いだろう。

 

「……」

 

 左腕を、胸部コアに存在する内臓領域より実体化させる。鈍い銀に照り返す夕暮れの赤、その色は金属である機械肢に生々しい肉の筋繊維を連想させた。

 掌を開いては閉じ、また開く。

 小指から順に一本ずつ指を折り畳んでいき、再度親指からまた同じ動作を繰り返す。滑らかな動きだった。己の意思に沿って自在に稼動している。

 精密動作性に関しては、利き腕以上のものがこれには備わっていた。左手一本で折り紙の鶴を折れてしまう程度に。

 では、パワーはどうか。精密に身体として稼動できるならば、力の強弱もまた自在である筈。それこそが肝心肝要。握った手をうっかりと握り潰してしまったなどと、笑えない話だ。もしそうなったなら、再度この左腕の切断を考慮せねばなるまい。それこそ、いよいよ以て千冬さんに介錯をお願いする事案。

 

「……ふぅ」

 

 丹田から気息を吐き、脱力。そうして再度気息を取り入れ臍下丹田に力を宿す。

 半身立ち。左脚を前へ、右脚を後ろへ。左胸、左肩がほぼ一直線上に重なるよう左腕を立てる。拳は緩く握った。

 右足の踵をやや持ち上げる。最大の瞬発を生ずるのは最大の撓み、脱力だ。

 身体の中心に納めた力を、一気に解放する。

 右脚で地を蹴り出す。前進する身体。

 ほぼ同時に左脚で地を蹴り踏む。前進する身体の急制動、その体重移動力が慣性となって体内を駆ける。

 左脚と同期する左腕。打ち出される銀の拳。踏み込みの速度と移動力が胴から腕という連絡路を経て、今、拳へ到達した。

 

「っ!?」

 

 空気を貫く。空間を超える。

 そのあまりの手応えの強さに息を呑む。

 そして、三メートルばかり離れた位置に立つ庭木を見た。表皮が剥がれ落ちている。それは丁度、この、拳一つ分の大きさに見えた。

 

「……打撃が飛ぶなど」

 

 悪い冗談だ。

 

「遠当て、なんて言うが。まさか本当に飛ぶとはな」

「!」

 

 唐突に掛けられた声へと振り向く。

 そこにはこの家の家主が佇んでいた。織斑千冬その人が。

 

「おかえりなさい」

「ん、ただいま」

「連絡よりも随分とお早い」

「ああ、一つ早い便に飛び込めたんでな。一夏の手料理も出来立てにありつけそうだ」

 

 一月ぶりに、彼女は帰宅を果たしたことになる。

 ドイツでのIS操縦教官の任、先頃の無茶な領空侵犯の件以後、彼女は今回ようやく正式な休日を利用していると言える。

 彼女は興味深そうな目で己の奇態を見ていた。

 

「腕の操法を確かめていたのか?」

「いえ、機能云々を門外漢の自分が理解しようとするには一朝一夕では到底足りず、結局は慣れ親しんだ方法を取っております」

「なるほど。私もどちらかと言えばそっちの方が好みだ」

 

 彼女はくつくつと喉を鳴らす。一頻り笑い、そこで不意に首を傾げる。

 

「しかし、今になってどうした」

「……それは」

 

 理由は一つ。

 少年の近頃の変調。いや、あれは激化(エスカレート)と呼ぶべきなのだろう。

 不安……少年はそう言った。己の所在(ありか)を常に気に掛け、また囚われていた。

 偏に、己が不甲斐無いばかりに。

 是正せねばならない。彼、一夏少年よりも先に、己自身の脆弱さを。彼の不安を取り除くことの、それは大前提である筈だ。

 

「…………ふむ」

 

 腕を組み、顎に手を添えて彼女は一枚の絵画のような立ち姿を作る。

 思索はほんの一時で蹴りが付いた様子。彼女はスーツケースと上着をウッドデッキに置き、ワイシャツの腕を捲った。

 

「……なにをなさる御心算か、お尋ねしても?」

「いや、なに、なかなかどうして面白くてな」

「?」

 

 くすくすと、彼女は笑う。先程とは幾らか質の変わった、幼さを宿した笑み。

 

「その()()()は罪作りだ。少し一夏が可哀想だぞ」

「どういった、意味でしょう」

「ふふふ」

 

 彼女は答えをくれなかった。

 パンプスを脱ぎ捨て、裸足のまま我が眼前に立つ。

 

「少し遊ぼうか、ジン」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 織斑一夏は鈍感だ。

 それは概ね他称的である。

 特に、中学生という多感な時期にありがちな色恋、惚れた腫れたのあれこれに対して、致命的なまでに感度が低いのだ。

 友人達は呆れ、彼に想いを寄せる少女らは頭を抱えた。けれどそれすら魅力の一つだ、などと惚気を発動できる程度に、彼女らは楽観視していた。未成熟な恋愛観、子供と大人の狭間にある心。純粋無垢な想い人のココロが、いつかは自分達に気付いてくれる。きっと時間が解決してくれる筈だ、と。

 少し鈍いだけの誠実な少年。それが織斑一夏に対する大多数の評価。

 

 

 知識はあった。

 誰それが誰それを好きになった。告白して、付き合ってハッピーエンド。

 ただ、理解はできなかった。

 だから、やたらと親切にしてくれる女子の下心に気付かない。だから、妙に情熱的な文章で書かれた手紙の意味も分からない。だから、放課後に呼び出されて目の前で顔を真っ赤にしながら紡がれる少女の言葉がよく聞き取れない。

 幼馴染のつれない態度、その裏側にある(いたい)けな訴えなんて想像すらできない。

 手料理に込められた真心が耳を通って脳味噌に届く頃には無味乾燥な文言の羅列に変わる。

 

 

 織斑一夏にはソレが理解できない。

 まるで、理解する為の“機能”が失われてしまったかのように。

 他者の感情、想いを受け止める機能――俗に情緒と呼ばれるもの。

 幼い時分に育む筈だったそれが、未成熟なままに歳月を重ねてしまった。両親の不在、幼い身体に不釣合いな義心、たった一人の姉を守り助けるという自責の念。

 ゆっくりと作り上げるべきだった彼の“自分”を、彼を取り巻く環境が急かし、歪めた。

 

 

 それでも、もしかしたら、これより先の出会いの中で、将来彼と共に歩む誰かが居て、その(ひずみ)を癒してくれたかもしれない。

 別の世界。

 別の“織斑一夏”が歩んだ道。

 

 

 そうはならなかった。それだけの話。

 少年に手を差し伸べたのは、一人の孤独な男で。

 少年に初めての“情緒(ココロ)”を抱かせてしまった。

 少年に初めて“父親”を教えてしまった。

 少年が生まれて初めて、心の底から欲しいと望んだもの。

 

 

 それは謂わば、少年の初()()だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 姉としては、可愛い弟の欲しがるものは出来るだけ与えてやりたい。

 そういうものだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




サイトに繋がらなくてデータ飛んだかと思って泣き掛けた。
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