織斑姉弟(へ)の献身   作:足洗

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12話 銀の腕の力

 中段に欺瞞した右上段蹴りを、右脚を後ろへ流しさらに上体を仰け反らせて辛くも躱す。

 しかし後退とは即ち死に体。前進移動力を失った我が身は、この瞬間のみ満足な攻撃能力を発揮し得ない。

 その隙を見逃す武人織斑千冬ではない。ぐるん、彼女の身体が体軸を中心に転回、こちらが生んだ瞬き一つ分の時を全て貪り、最大の勢力を乗せて右後ろ回し蹴りが来る。

 踵、および足刀が字面に違わぬ鋭さで空間を斬り裂いた。

 

 ――危うい

 

 膝を折り、腰を落とした姿勢で、頭上を行き過ぎた兇器と同等の蹴撃に冷や汗を流す。

 さりとて、対手の強さに震撼するばかりではあまりに不甲斐無し。何より仕合うてくれている彼女に対して礼を失するというもの。

 今こそ応えねばなるまい。

 現在の間合は初手に繰り出された中上段蹴りよりさらに接している。蹴り足の打点よりさらに深く。つまり、拳打の間合。

 下方から上げ突き、否、もはやアッパーカットの様相。加えて、後ろへ逃がした右脚を蹴り出すことで推力が、屈曲していた膝を伸張することで上昇力が生まれ、晴れて体重移動力が復活する。

 下方から上方への重力的劣位はあれどこの極近距離ならば。

 鳩尾へ右拳を。

 

「ふふっ」

「!」

 

 鳩尾目掛けて放った拳が――対手の足下に収まっている。いや、()()()()られている。

 後ろ回し蹴りをこちらが躱し、躱し様反撃に出ることを読まれていた。

 だが。

 

「ずぁっ!」

「お」

 

 委細構わぬ。

 拳を踏み付ける脚共々打ち上げた。単純にして明快の膂力によって。

 これによって体勢を崩してくれれば好機ともなろうが、それは甘やかな夢想と言うもの。

 彼女は跳ね上がる勢いに逆らわず、こちらの腕力に身を委ねた。

 つまり、宙を舞った。

 後方宙返り。身体が縦方向へきっかり一回転する。

 行き掛けの駄賃とばかり、左の足甲がこちらの顎を狙った。

 

「くっ」

 

 再度後退を余儀なくされる。そして今一度間合が離れた。

 

「よく躱す」

「貴女ほどでは」

「くふっ」

 

 にっこりと、華やぐように織斑千冬は笑った。愉しげな御様子は大変喜ばしいことではあるがしかし、その戦闘センスは相も変わらず驚異的だった。

 軽業師裸足の体捌きも無論のことながら、何よりこちらの攻めの“機”を尽く読み切るその慧眼。

 この場に審判員が立っていれば苦言を呈されたことだろう。真面目に戦え、と。

 それほどに内情は一方的。まるで鷹の遊びに付き合わされる鼠の心地だ。

 

「しかし、私の体重をよくもまあ拳一突きで押し上げるものだ。力比べではとても敵いそうにない」

「どのような剛力も対手を捉え得ぬならば無為も同じ。宝の持ち腐れでしょう」

「持ち腐れついでに聞くが、左腕は使わんのか?」

「……」

 

 顎をしゃくって千冬嬢はこちらの左半身、だらりとぶら下げた銀発色のそれを示す。

 都合、十ほどの応酬を経た。いずれの交叉も左腕は構えも取らず腰の後ろへ引き、攻防全て右腕を行使している。

 

「手数は減る。体捌きにも支障を来す。何より、折角お前と戯れ合えているのに気を遣われるのは寂しいな」

 

 彼女は肩を竦めて、溜息を一つ。

 

「考えてもみろ。その腕と生身でやり合えるのはおそらくこの地上では私くらいだぞ? ……まあ、束も加えておいてやろう。何にせよ、それの制御をものにしたいのなら対人戦闘は必須案件だと思うが、どうだ?」

「……是非もありません」

 

 殺し文句というやつだった。

 彼女の御厚意、無碍にするという選択肢は無い。

 

「恥を忍んで、胸をお借り致します」

「ああいいぞ。ちなみに私は結構大きい方だ」

「……」

「…………何かリアクションしろ。ちょっとした冗句だ。いや、その、うん、すまん……」

 

 おかしなことを口走らぬよう沈黙を選んだが、却って彼女の羞恥心を刺激してしまったらしい。

 気を取り直し、構えを変える。

 半身の前に左腕を立て、逆に右腕を腰元へ引く。単純に言って、防御能力は格段に上がる。何せ金属製の盾を構えているに等しいのだから。

 しかし、課題はそこではない。

 この左腕に秘められた攻撃力をどこまで扱い切れるのか。その一事。

 

「……」

 

 対手の構えは常に一様。

 浅い半身、左脚を前方へ、右脚を後方へ。重心は中央、つまり両脚に同程度の体重を乗せている。その状態からの前進後退は自由自在と見ていい。

 反面、先制攻撃を行うには予備動作が顕著に現れる。平等に配分していた体重を前進させる為に、身体に勢いを付けねばならない。息み、力む。筋肉が強張り、上体が僅かだが沈む。

 その機を見切ったなら、こちらにも勝算はある。

 対手がこちらに攻め入ろうとする瞬間。先の先。それを捉えたなら。

 

「……」

「……」

「……」

「……」

「……」

「……――」

 

 今。

 捉えた。

 音すら伴わぬ気息の気配。

 身体稼動における消し去り難い兆候。

 彼女の“先”を、我の“先”が制した。

 右手は、しかして拳を握らず掌を晒す。突き出されたそれは目隠しであり、視線誘導。

 本命は無論のこと左。踏み込みと同時に打ち出したそれが、対手の腹目掛けて空中を走る。

 対手の回避はもはや間に合わない。前進の為に沈ませた身体を今一度引き起こすだけの暇はない。

 銀に煌く左拳が行く。

 姿勢を低めた対手へ。

 左拳が。

 沈み行く対手の身体へ。

 拳は。

 沈む、彼女の。

 ――――彼女の笑みが、己を見上げた。

 

「!?」

 

 対手の身体が沈む。脚を投げ出し、腰から身体が落下する。

 逸早く地面に突いていた腕を軸に、腰を捻り、上体が翻る。時計回り。自然、追随して脚が円の軌道を走り、その途上にあるもの……己の脇腹に突き刺さった。

 

 ――カポエイラ

 

 いや、中国拳法にも近似した蹴り技が存在したような気もする。

 いずれにせよ、彼女はこちらの企図を読み、読んだ上で餌を用意した。そもそもからして、攻撃時の予備動作などという瞭然極まる隙をあの織斑千冬が他人に覚らせるかどうか。

 

(……疑うべきだった)

 

 今更の自嘲を抱えて片膝を付く。

 隙、というなら無上のそれを晒している。

 彼女は心優しい女性だ。故にこそ、手心と侮りの別をよく理解されている。

 来る。視界外から。

 どこから。

 もはや視線を微動させるほどの間も残されてはおらぬ。

 砂粒一つ分の時。

 ()()()()では遅い。

 

「なにっ」

「?」

 

 頭上から声が降ってくる。そこに滲む驚愕の色。

 見上げれば、そこには変わらず美しい武の麗人が在る。

 脚を高く持ち上げた姿勢で硬直した彼女が。

 脚、踵。どうやら止めの技に彼女は踵落としを選んだようだ。

 そうして、その技は達成に至らなかった。

 銀の腕が、そのしなやかな脚を掴み止めている。

 

「……今、こちらを見ずに防いだな」

 

 彼女は腕から逃れ、一歩後退する。

 

「オートガード……? それとも自律行動するのか……?」

 

 猜疑の言葉が空気に溶ける。

 それより遥かに早く、速く、彼女は踏み込んだ。神速と呼ばわるそれ。

 彼女の像が歪み、霞み、空間に残像を刻む。

 ()()()()銀の手刀を彼女の首筋に添えた。

 

「っ!?」

「…………一本、で宜しいのでしょうか」

「……ぷっ、お前が聞いてどうする」

 

 堪らず噴き出して彼女は戦闘の構えを解いた。どうやらこれにて御開きのようだ。

 そのまま千冬嬢は芝生に腰を下ろした。脚を投げ出し、両手を後ろに付いて己を見上げる。

 

「どうやったんだ?」

「いえ……一瞬、明らかに視界外の存在を知覚していました。視覚、聴覚、嗅覚、触覚……全ての感覚器が強化、というより容量を増した、とでも言いましょうか」

「知覚……? あぁ! ハイパーセンサーか」

「? それは」

「ISに標準搭載されている機能でな。装着者の知覚能力を底上げする。なるほど、それでか」

 

 納得したように頷くと、彼女は今一度くつくつと笑声を上げた。

 

「いよいよ凄まじいぞ、ジン。生身でISの能力を発揮できるなど」

「……喜び勇むには些かならず、危険な代物かと」

「そうだ。解ってるならいい」

 

 法外、の一語に尽きる。

 現代史上最強の兵器、最新鋭のテクノロジーの力が、この矮小な肉体に宿っている。使い方を誤れば災いを被るのは自己のみに終わらぬだろう。

 

「……やはり、こうなるか」

「は」

「うん、なんでもない。いや、あるにはあるが……それはまた後で話そう」

 

 隠し切れない疲れを含んだ吐息を零し、千冬嬢は空を一度見上げて瞑目する。

 ほんの数秒、沈黙し。

 

「ん」

「は?」

 

 不意に、両手を広げてこちらに向き直った。

 意味を判じかねる。己の不理解を読み取ったのだろう。千冬嬢はまたにっこりと笑んで。

 

「抱っこ」

 

 舌っ足らずな口調と意外すぎる要求。平素との落差が今こそ一入に我が身を翻弄する。

 とはいえ、逡巡らしい逡巡もなく、己は彼女を抱き上げた。

 背中に右手を回し、僅かに迷いはしたが結局膝の裏に左腕を通す。胸に引き寄せると、彼女は己の首に腕を回した。

 

「うーん、一月ぶりだな」

「御満足いただけましたか」

「そうだな……」

 

 その時、不意にガラス戸が開かれる。中から現れたのは言うまでもなくエプロン姿の一夏少年だった。

 

「ジーン、そろそろ晩飯できる……って、なにしてんの!?」

「おお、一夏。ただいま」

「あ、おかえり千冬姉……いやいやじゃなくて。え? なんでお姫様抱っこ?」

「ふふん、いいだろう」

「うん羨まし――くなんかない。別に、全然、これっぽっちも」

「そうかそうか。よし、ジン。このままダイニングまで頼む」

「了解しました」

「了解すんなし」

 

 履物を脱いで、ガラス戸を潜る。今度こそ彼女は帰宅を果たした。

 ならば、改めて言うべきだろう

 

「千冬さん、おかえりなさい」

「ただいまっ」

「むーむーむー! 千冬姉は早く降りろっての! 帰ってきたんならまず手洗え! 部屋に荷物置いて来い! あと靴は玄関!!」

「ははは、一夏は細かいなぁ。ああそうだ」

「は?」

「今日の分」

 

 もはやその後何が行われるかなど疑問の余地もない。すっかり慣れ親しんだこと。

 彼女は首筋に喰い付いた。ひどく上機嫌なまま。ともすると鼻歌でも聞こえてきそうなほど。

 

「あーもー! そういうの飯の後にしろよ! 冷めちゃうだろ! ちょ、千冬ね、おい姉貴! あの、ねぇ聞いてる!?」

「あむあむ」

「あと十五分ほど待て、とのことです」

「何語だよ今の……ジンもなんで通じてんだよ。そして地味に長いよ!!」

 

 夜は更けていった。

 

 

 

 

 

 

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