織斑姉弟(へ)の献身   作:足洗

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作業用BGMって大事。
Lilium聞きながら書いた結果がこれだよ!


13話 壊れたのは何か

 

 

「IS学園?」

「うむ」

 

 夕食の後、一夏少年手製のドライソーセージに舌鼓を打ちつつ彼女は缶ビールを一気に呷った。

 そうしてまるきり世間話の体で、何やら重大なことを口にした気がする。

 

「日本近海に浮かぶ人工島に建造されたIS関連技能者養成施設、通称IS学園。お前には、中学卒業後そこへ進学してもらう」

「……」

「理由は、言わなくても分かるだろう?」

 

 彼女は己の左腕を流し見て、新たな缶ビールのプルタブを起こした。

 この腕、延いてはこの身を生存させているもの。篠ノ之束博士が作り出したISコアは計467基。これは謂わばその468基目に該当する。

 そして、彼女の言を信ずるならば、過去作製されたどのようなISともこれは異なる性能を有している。

 その性能こそが、自己の命を危ぶむものである、と。猶予は予測上一年。己が中学教育を卒業する頃には、残り時間はさらに短くなっている。

 知らねばならない。学ばねばならない。

 今や一身の都合で自己の生死を決めてよい分際にはないのだから。精々意地汚く往生際から逃れる術を模索する。

 

「付け加えるなら、お前の安全を保障できる唯一の場所はあそこだけだ」

「男性体でありながらISの能力を扱える……いや、肝要なのはむしろ、その能力が人為的に()()()()()という事実でしょうか」

「そうだ。女にしか扱えない欠陥兵器。しかしその力はあらゆる現行兵器を凌駕する。自然、性差による機能不全をどうにかしようと今世界中の研究者が躍起になっているだろう。そこへ来て、お前のような存在が明るみになればどうなるか……想像するだに反吐が出る」

 

 空き缶を握り潰して、彼女はその想像の中の何かへ唾棄をくれた。

 世界中に存在するどの絶滅危惧種(レッドデータアニマル)よりも、稀少性というただ一点のみ高く位置付く実験体(モルモット)としての人生が幕を開けるのだろう。快く引き受けるには無理が勝つ話だ。

 

「……」

「なにか気懸かりがあるようだな。先に決めていた進路でもあったか」

「いえ、そのようなことは」

 

 この身体でも、就労の機会は十分に得られるだろう。機械肢を完全に制御できるようになればなおのこと。

 懸念は自身ではなく、彼に対して。

 

「ふぃー、風呂上がったよー。次、ジンどうぞ」

「……は、ありがとうございます」

 

 少年がリビングの戸を開けて入ってくる。湯上りで血色の増した頬と、そして濡れ髪の水気をタオルで拭う。

 彼を見た瞬間に己の揺らぎを自覚する。それを千冬嬢は目聡く察したらしい。

 

「ふむ、なるほど」

「? なにが?」

「いやなに。一夏。このサラミ前に作ったものより味が深くなったな。塩味はすっと消えるが、香ばしさはずっと鼻に残る」

「えへへ、そっかそっか。下拵えをちょっと工夫したんだよ」

「お陰でビールが止まらん。どうしてくれる」

「ん? あ゛あ゛!? 一箱全部飲んだのかよ!?」

「また一ケース買い置きしておいてくれ。金は私の財布から出すから」

「そういうことじゃねぇ……ペース配分を考えろって話だよ。仕事でストレス溜まるのはわかるけど、酒の量でそれを誤魔化すなんて身体に悪いだろ? 千冬姉はまだ若いけどそういう不摂生は将来本当に響いてくるんだからな。いっくら度数低いからってそんだけカパカパ空けたらビールでも関係ないし、ってかお腹出ても知らねぇから」

「あー、いや、うん、わかった。わかったから。折角の休暇に説教は勘弁してくれ……」

 

 滔々と流れ出てくる少年の諫言に、とうとう千冬嬢が音を上げた。ホールドアップが如何にも様になっている。

 姉弟らしい忌憚のない応酬。その暖かみに頬が緩んだ。

 

「ジン、微笑ましげな顔してるけどお前も千冬姉のストッパー役なんだからな? ちゃんと見張っててくれよ」

「申し訳ありません。あまりにも見事な呑みっぷりでしたので」

「ジンも飲めぇい。ほれほれ」

「一風呂いただきましたら、是非」

「おいこら未成年」

 

 そこからも延々と続く少年の説教を背にして、脱衣所へ向かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 入浴を済ませてリビングへ戻ってくると、ダイニングテーブルで千冬嬢が突っ伏していた。

 少年がその傍らで、ほんの数十分の間に数を増していた空き缶を片付けている。

 

「おかえり」

「は、もうお休みですか」

「うん。結局置いてた洋酒のボトルまで空けちゃったし……」

 

 なるほど、少年の言う通り、シンクには水洗いされた濃茶色の瓶が二本置かれている。

 ウイスキーにラムとは。

 

「大層召された様子」

「チェイサー挟めって言ってんのに全然聞かねぇんだもん。ばか姉」

 

 そう言って、彼女の額を小突く。千冬嬢はむずがるだけで起きる気配はなかった。典型的な泥酔であった。

 

「ジン、悪いけど部屋まで」

「了解しました」

 

 左腕を実体化し、椅子から彼女を抱き上げる。夕方の二の舞であるが、意識が無い分バランスを取るのが難しい。

 それを少年が横から介助する。

 

「ありがとうございます」

「それはこの酔っ払いが言わなきゃいけないやつだな」

「ふ、まったくに」

「あははは」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 再びリビングに戻り、使い終わった食器を洗いダイニングテーブルも拭き上げる。

 少年は電気ケトルを片手に振り返った。

 

「ジンはコーヒーいる? それともココア?」

「では、コーヒーをお願いします」

「りょーかい。テレビでも見ながら待ってて」

 

 言われた通りキッチンから離れ、ソファに腰を落ち着ける。

 現在時刻は午後九時過ぎ。週末のこの時間帯はやはり地上波で映画が放送されている。

 

「あ、その映画前も見た。全力で政府から追われるって怖ぇ」

「孤立無援の状態から諜報能力に秀でた味方を得て逆転の一手を打つ。なかなかに痛快です」

「ポテチの空き袋が物凄い便利アイテムに見えたなぁ。っと、はい」

「ありがとうございます。いただきます」

 

 カップを受け取り、一口付ける。深く、良い香りが鼻を抜けていった。

 少年はソファの下、カーペットに腰を下ろして体育座りする。彼自身もコーヒーを口にすると、暫時画面内の出来事に見入っていた。

 テレビから流れる音声だけが室内に響く。

 

「……」

「……」

 

 沈黙は不快感から遠く、心は平静の中にあった。

 しかし、時折ふと何かを感じる。それはどうやら視線であった。

 テレビから目を切り、少年を見る。すると、こちらを流し見る瞳と我が眼がぶつかった。

 僅かに動揺の色を見せた少年は、それでも視線をこちらに向けたまま静止している。

 無言の中に存在する意思。

 

「ジン、ここ」

「は」

「ここに胡坐かいて」

 

 彼は自身の隣の床、カーペットをぺしぺしと叩いて言った。

 断る理由など勿論なく、言われた通りにソファから降りる。その際、コーヒーカップはテーブルに置いた。

 己がその場で胡坐を掻くと、少年はその場を立ち上がり。

 

「っと」

 

 そのまま、己の脚の間に腰を落ち着けた。

 ふわりとコンディショナーの甘い匂いが香る。まだ僅かに濡れた髪が顎の下にあり、同時に彼自身の匂いもまた鼻は嗅ぎ取った。

 少し高めの体温がじわりと身体の前面を行き渡る。

 

「ふふ、ジンの身体、ぽかぽかしてるな」

「同じ事を思っておりました」

「んー、そっかな? 俺体温低めなんだけど……ちょっと恥ずいからかも」

 

 彼の羞恥はすぐに表れる。耳や首筋が、ほんのりと薄紅の色を発していた。

 ゆったりとしたサイズのシャツであるからか、鎖骨はおろか肩の付け根までやや覗いている。いずれもやはり、血色は良くなっていた。

 誤魔化しに少年がコーヒーを啜る。

 

「昔はよくこうしてくれたよな」

「一夏さんはまだ小学四年生でした」

「いやジンもだろ」

「そうでしたね」

 

 肉体の年齢と生きた歳月に対する実感は、おそらく永遠に一致することはない。

 ()()世に生を受けたその瞬間に、“俺”は完成していたのだから。

 

「はぁ……んん、やっぱり落ち着く」

「なによりのことです」

「これでも最近は我慢してたんだぞ? もう俺も中三だしさ」

「まだ、中学三年生です。遠慮など無用に。己の脚など何時なりとお使いください」

「…………なんだよぉ。そんなこと言うなよぉもぅ……ホントに我慢できないじゃんか……」

 

 抗議するように、彼は今一度深く己に体重を預けてきた。

 不意に、少年が己の右腕を取る。そのままマフラーでも巻き付けるように腕に自身を包ませる。

 己もまた緩く少年を抱き寄せた。

 少年の体温がまた一段上がったような気がする。彼の背中越しに鼓動を感じ、腕に熱を持った吐息が触れる。

 

「……やっぱり、おかしいかな」

「?」

「こんな風にさ。友達に……ぉ、男同士なのに、抱き締めてもらうの、って……」

 

 彼の声に滲んだ感情を読み誤ることはなかった――怯え。

 その事実を口にすることがまるで凄まじい禁忌であるかのように。

 細い肩が、流線を描くしなやかな背中が、寒さを訴える様に似て小刻みに震えている。

 脂肪の薄い身体にも筋は張り、華奢な肩幅や括れた腰付きにも確かに男性的骨格が窺える。身長160センチと男性としては小柄であっても、その面差しが如何に性別を超えて美しい(カタチ)をしていようとも、少年は少年。男性である。

 そしてそれは己も同じ。外見的特徴は雲泥の差異があり、美醜の上等下等に至っては比べるのも烏滸がましい。だが、同性だ。

 彼と己は生物学的に同じ性カテゴリの中にいる。

 

「ジンは俺がこういうことしてくるの、今まで嫌だって思ったこと、ないか……?」

「ありません」

 

 不快感など抱いたことは一度としてなかった。

 ただ、彼の求めている“もの”を想像し、その想像が確かだとして、己が彼に“それ”を与えられるのか。そうした憂いばかりが募った。

 その憂慮が今こそは現実のものになった。少年は不安を拭うこと叶わず、怯えに身を竦ませている。

 

「貴方の不安を取り除くことができるなら、自分に否やなどありません。その一助となれるなら、どのようなことも厭わぬ所存」

「……」

 

 我ながら心からの真意を言葉にできたように思う。

 しかし、腕の中の少年の怯えは一向に消える気配がない。

 

「違うんだ」

「は……」

「違うんだよ。俺、オレが、聞きたいのは……い、言って欲しいのは……」

 

 彼の指が己の腕を掴む。彼の声が吐息と共に消え入る。

 とうとう、少年は言葉を失くしてしまった。

 待つべきだろうか。それとも、何かを彼に。愚にも付かぬ逡巡、思考で渦を描く。答えなど出る筈もなかった。

 そうして手を(こまね)いていたが為に。

 

「……さっき」

「はい、なんでしょうか」

「さっき、千冬姉と何の話、してたんだ」

 

 思いもせぬ問いが投げ掛けられた。

 

「……千冬さんが、なにか仰いましたか?」

「ううん。何も……でもなんとなく、ジンが何かを隠してるって……今ので確信できた」

 

 己は無上の阿呆であった。あのような言い様、隠し事がありますと白状するも同じだ。

 観念、という言葉がこれほど合致する心境もそうありはすまい。

 

「隠し立てするつもりは毛頭ありませんでした。ただ、時期を見ていずれは、と」

「……」

 

 言い訳がましい釈明の言葉に価値は無い。

 少年の無言はその先を促していた。

 

「自分は、IS学園に行きます」

「っ……!」

 

 声は無く、しかして反応は劇的だった。少年の身体が腕の中で一際強く震える。

 

「……………………そっか」

 

 長い沈黙の後、消え入るような声で彼はそれだけ口にした。

 

「……そう、だよな」

 

 乾いた声音で彼は呟く。

 

「ジンの腕、ISだもんな。そりゃあそっか。逆にそこ以外どこに行くんだって話、だよな……は、ははっ」

「……同じ高校へ進学することはできません。しかし、会うことはいつでも――――」

「ふふ、できないよ」

 

 己の言を遮って少年は笑った。まるで見当違いなことを言う自分をからかうように。

 

「ISだぜ? 今、世界中の人も国も夢中になって欲しがってるやつだ。それも男のジンが持ってて使ってる。流石に俺でもそれがどれくらいやばいことなのかは解るよ」

「……」

「入学したら何回かな。一年に一回? それとも卒業してから? 自由に帰れるのか? 千冬姉みたいに、月一回帰れたり帰れなかったり。それとも……もう二度と、会えないのかな」

「そのようなことは……」

 

 無い、などと言い切る保証がどこにある。

 彼の指摘は何一つ間違っていない。おそらくは今後、日野仁という人間の個人としての自由は制限されて行くのみ。篠ノ之束が次なるパラダイムシフトでも起こさぬ限りは、一生涯。

 腕に、零れ落ちるものを感じた。

 

「嫌だよ、オレ」

 

 それは次々に滴り、腕を濡らす。

 少年の目からそれは溢れ、流れ続けた。

 

「嫌だ。イヤだ。イヤだっ。いやだ! いやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだいやだ……!」

 

 繰り返される苦悶。呪詛のように打たれ続ける拒絶。

 カップが投げ出され、黒い液体がカーペットを汚す。少年がこちらに振り返った。

 少年の瞳が己を見上げる。

 黒曜石のように澄み切っていたそれは、今や暗く澱み光を失っていた。そこに映している筈の己自身さえ見失うほどに。

 彼が今見ているもの。それは――絶望だった。

 

「っっ!!」

「ぐっ!?」

 

 口腔を晒したかと思えば、少年は己の左肩口に喰らい付いていた。ぞぶり、彼の()がシャツの繊維を貫いて皮膚を破る。肉を抉る。

 少年はそのまま、シャツ諸共肩の肉を齧り取った。

 血が宙を迸る。口の周りをべったりと紅で染めた少年は、口内のそれを咀嚼もせず飲み下す。

 再び、彼の(あぎと)が襲い来る。耳の下、頚動脈の走る(ライン)。そこへ寸分違わず。

 歯が皮膚を破り、あともう一噛み、顎に力を加えれば()()()だろう。

 その半歩手前で、彼は動きを止めた。

 

「っ、っ! ヴッ! ぐぅ! ぅ! んっ!」

 

 己を喰らいながら、それでもなお少年は苦悶の声を漏らした。

 耐え難い何かが胸の内で暴れ狂っている。心臓を抉られるような痛みに、苦しみ喘いでいる。

 それが哀れでならなかった。

 

「一夏さん……」

 

 右手を少年の頭に添えた。腕全体で彼のその小さな身体を抱き寄せる。

 喰らい付いた歯がより一層肉に押し入る。

 だが、それで構わない。

 彼がそれを望むなら、それでいい。それで、いい。

 

「っ!?」

「貴方になら……本望だ」

「っ……! ぅ、ぁ……じ、ん……」

 

 肉と皮膚から歯が引き抜かれ、ぎちりと音を立てた。

 血と唾液に塗れた声で名を呼ばれる。右腕にまた力を込めた。

 

「……いっしょに、いてよ。そばにいてよ。どこにもいかないで……ずっと、ずっといっしょじゃなきゃいやだ……いやだよぉ……じんっ!」

「はい、ここに居ります。貴方の傍に、ずっと」

「じんっ、じん……ジン!!」

 

 いつまでも、いつまでも少年は己の名を呼び続けた。遂にはその意識が失われるまで。

 彼の心のキズを想う。

 己の愚劣に憎悪する。

 そうか。このキズを、膿み育てたのは。

 誰でもない。彼自身ですらない。

 俺だったのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 扉の向こうで気配は沈静していく。

 壁を背にしながら女は歓喜に打ち震えた。

 薄暗がりの中で、躍り上がる心を必死に抑え込む。

 

「一夏……ジン……お前たちは、なんて――――」

 

 弟の無垢ないじらしさが、男の無償の献身が、愛おしくて愛おしくて堪らない。

 ようやくここまで育ってくれた。弟の心は頚木を壊し、遂に自分と同じになった。

 男の真心は変わらない。自分と少年へ同等のそれを捧げてくれる。

 

「一緒だよ……私達は、ずぅっと一緒だ……ふふっ、ふふふふふふふふふふふふふふふふふふ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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