織斑姉弟(へ)の献身 作:足洗
亀更新本当に申し訳ありません。
織斑家のリビングにて、己は一人呆然と佇んでいる。
それは何も、寝惚けや気の迷いが突然にこの身を襲ったからという訳ではない。
意識はしかと覚醒状態にある。そもそも現在時刻は六時前。微睡を気取るには非常識な時間であろう。
では遂に脳に異常を来したが為の奇行か、と問われればそれについても否やを返そう。無論のこと自分自身の正気の証明など誰にも出来はしないのだが。
滔々と垂れ流される諸々の思考に意味はない。動揺が無意味な言語となって脳内で踊っているに過ぎない。
帰りが遅くなるとの少年からの連絡を受けてより、平素に代わって夕食の準備に取り掛かっていた折のことだった。
エプロンの紐の結び目を背に回したまま、己の目はただ一点、リビング端に据えられたテレビ画面に釘付けとなっていた。
『では改めて、世界初の男性IS操縦者になるということで、今のお気持ちを聞かせてください』
『こんなに大事になるなんて、ちょっと思ってなかったです。すごく珍しいことだっていうのは理解できるんですけど』
記者からの質問に、卓上のマイクから少年は返答する。
戸惑いを孕んで彼が口を開けば、カメラのフラッシュが怒涛となって彼を襲った。それでも一夏少年は怯まず、毅然とカメラを見詰めていた。
端整な面差しは、小さなディスプレイの中にあってもその美しさを損ねることはない。
何故。
困惑に明後日の方向へ飛ぶ思考は結局その一語に集約される。
不意に、ポケットの中で携帯端末が震えた。取り出し、着信を検める。
“織斑千冬”
今、最も話を聞かねばならない二人の内の一人。示し合わせたかのようなタイミングだ。
「……もしもし」
『テレビは見たか?』
「ええ今まさに。しかし、これは……」
『ふふふ、戸惑うのも無理はないが、予想できたことの筈だ』
動揺を隠せもせぬ男を彼女は優しく笑った。
幾度目か、画面上に映された見出しを読み返す。“世界初! 男性IS操縦者現る”。
つまりは彼、かの少年、織斑一夏が。
『先日急に進路を変えると言い出してな。まあ、未だに各国は男性の適性者を血眼で探している。試験の手続き自体は実にスムーズだった。そしてきちんと正規の手順を踏んだ一夏が表向きは“一人目”ということになる』
「彼がISを動かせると、確信がお有りだったのですか?」
『可能性はある。その程度には思っていた。何せ私の弟だ』
「……」
インタビューは続く。
ISに触れた切欠、将来の展望、現代社会の情勢・風潮について、質問は多岐に亘る。そして当然彼の出自、織斑の名にも話題は向けられた。
『お姉様の織斑千冬さんはIS操縦の第一人者でいらっしゃいますが、やはりISに興味を持たれたのもお姉様の影響で?』
『姉が具体的にどういった仕事をしているのかは、守秘義務があるとかでよくは知らないんです。だから、この道を選んだのは俺、あぁいや僕自身の意志です』
『男性では今のところたった一人だけ、という状況ですが不安などはないですか?』
『無い、と言うと嘘になります。けど……大す……な……大事な人が、一緒にいてくれますから』
そう口にした一瞬、やはり少年はカメラを真っ直ぐに見据えて、微笑んだ。しかし、彼の瞳、黒曜の両目はカメラのレンズではなくその向こう側を。画面の先に立つ者――己を捉えていたような気がした。
耳に当てた端末からくつくつと笑声が響く。
『いじらしいじゃないか。なぁ、ジン』
「……」
千冬嬢の言葉に己は応える舌を失う。
そうして画面内では、見目麗しい少年より期せずして返された色恋の気配に、記者達のどよめきと好奇が湧く。なるほど話題性という意味で、これほど上質なものもあるまい。
はにかむ少年の姿を、己はただ定まらぬ心情を抱えて見詰める外なかった。
腰を落とし、やや半身に立つ。
右腕を腰に引き付け、体重は右脚に集中させる。
標的は真正面、打撃点を示した赤地の白い円を見据える。
カウントが開始された。3、2、1――――
右脚を打ち出し、左脚で床を踏み付ける。シューズの靴底、強化ゴムがリノリウムと擦れ合い甲高く鳴き声を上げる。
全体重の移動力が、射出した右腕を伝導し拳の先へ。
右拳がサンドバックを打つ。
バスン
中身の乏しい布袋らしい音を立てて、赤いサンドバックは筐体に勢い倒れ込む。衝撃緩衝用のスプリングが軋んだ。
バツン
同時に、ディスプレイに表示されていた映像がそのような音と共に消失、暗転する。
パンチングマシーンは完全に沈黙した。
「うっそ」
「あぁーあ」
「ふむ」
「壊れた……」
「…………」
四者四様の声を背中に聞きながら、眼前の筐体同様に沈黙する。ただ口内で、やってしまった、と声もなく呻く。
「うわぁ、どうすんだよこれ」
「と、とりあえず私店員さん呼んでくる」
「お願いします」
小走りで店内を行った少女、五反田蘭さんを一礼で見送り、そうして今一度静謐した筐体へ向き直る。無駄な足掻きに百円玉を投入しても吐き出されるばかり。電源は繋がったままであるのだから、いよいよこれは専門業者の仕事になろう。
「補償について話し合う必要がありますので、皆さんは先にお帰りを」
「いやいやいやジンの所為じゃないって! あれだろ、結構古いやつだし、もともと故障寸前だったとか……たぶん」
「別に妙な遊び方してた訳じゃねぇだろ」
「監視カメラもある。事情を説明すれば済む話だ」
汗々とフォローをくれる一夏少年には申し訳も立たぬ。対して、泰然自若とした五反田弾さん、冷静に天井から吊り下がったカメラを指差す御手洗数馬さんらには頭が下がる。
蘭さんによって連れて来られた店員に謝罪と説明をし、最終的には当ゲームセンターの店長に釈明と陳謝をすることでどうにか事無きを得た。事情を聞いて一笑の下に許しを下さった店長殿のあの豪胆さには、感謝以外にない。
改めて言うまでもないことであるが、本日我々は中心街にある大型ゲームセンターへ足を運んでいる。ビル一棟、一階から四階まで多種多様なアーケード筐体、プライズ系統の遊具を備えており、平日休日の別を問わず多くの客足で賑わう場所だ。
今日この集いの発起人は、やはりというべきかムードメーカーたる弾少年であった。一夏さん、弾さん、数馬さん、そして己を含めた四人は卒業も間近に迫っている。一夏さんと己の特殊な状況を除いたとて、各々が別の進路を行く。顔を合わせる機会すら得難いものになるだろう。
であればこその集い。弾さんの嫌う言い回しを用いるならば“思い出作り”といったところ。
「……弾さんの御心遣いに泥を塗るが如きこと、誠申し訳もございません」
「いやめちゃくちゃ面白かったから別にいいわ。どんな馬鹿力してんだよお前」
「ホントホント、一瞬何が起こったか分かんなかったもん。さっすがジン兄」
「一応動画は撮ったが、ようつべにでも上げるか」
「やめろ馬鹿。確実に職員室連行パターンだ」
そうした笑声と軽口でこの件は片が付いた。彼らの軽やかさに救われる。同時に、己の粗忽さには嫌気が差す。
その時、少女が両の手を打った。空気の切り替え、そのような意図を察する。
「はい! 私レースゲーやりたい。てかやる。行きましょ一夏さん!」
「え、あ、おお?」
一夏少年の腕をぐいと抱き寄せ、蘭さんはずんずんと歩を進めていった。
「おーいそっちのはガチのレーシングだからアイテムボックスは出ねぇぞー」
「え!? うそぉアイテム無いの!? 甲羅も? バナナくらいはあるでしょ? てかさ、ならどうやって戦うの? 体当たりだけ?」
「お前言っとくけど、あれカーレースでも特殊なタイプだからな」
「キッズコーナーに筐体があった筈です」
「ジン兄ぐっじょぶ。さあ続け野郎共!」
「「「「ウイィッス!」」」」
カーレースを皮切りに、シューティング、格闘、スポーツ、クレーンと様々なゲームを遊び尽くし、蘭さんが最後の仕上げとして選んだものは、若い女性の間で現在もなお愛用され続けている写真撮影と各種画像加工機能を内蔵したあの大型筐体であった。
大型、とはいえ五人も入れば流石に窮屈だが、若者らは慣れた様子で思い思いにポーズを取り、撮影を終える。
しかし、筐体から這い出すや、蘭さんは間髪入れず一夏少年を再び捕獲した。
「次、二人でお願いします!」
「うん? え? ちょっ、えぇ、ジ――」
助けを求めるように伸ばされた手を、微笑ましい心持ちで見送る。少年と少女は暗幕を潜っていった。
いかにも興味薄げに弾さんは零す。
「あんだけ露骨でもあの野郎は気付かねぇんだろうな」
「残念ながら」
「主人公乙。あの調子でフッた、もといフッた自覚皆無の女子が両手で数え切れないほどいることに戦慄と怒りを覚える」
「モテ野郎殺すべし」
「どうか、御寛恕を賜れれば幸い……」
今に始まったことではない。とはいえ、一夏少年の色恋に対する感度の鈍さはこの校区において伝説級と評しても過言ではない。
最も肝を潰したのは小学校時代、担任の若い女性教諭が彼に入れ揚げた挙句暴行寸前まで事が及び掛けたことだろうか。
いやあるいは、執拗に篠ノ之の妹御を追い回していたと思われた男性記者の目的がその実一夏少年であり、後に大量の画像データが男のPCから押収された事件であろうか。
いやいやそれとも、一夏少年を巡って我が校と他校の女子生徒による抗争紛いの諍いが度々巻き起こる珍事についてかもしれない。
いずれも少年の与り知らぬ所で内々に処理された事案。己とても一度ならず解決の為実動し、事の隠蔽には千冬嬢の伝手……かの大天災の力をお借りしたとか。
「さっさと彼女なりなんなり作りゃあ、周囲はかなり平和になるってのに」
「少なくとも女子達の紛争は一旦停戦を迎えるだろう。水面下で陰湿な工作は続くだろうが」
「……」
引く手は数多、それこそ無数に存在する。だがしかしそれら尽くが少年の眼には映らない。
彼の目を覆うもの、あるいは彼の手足を束縛する枷。
それは、おそらく。
「えへへ、ありがとうございました!」
「や、俺はいいけどさ。俺との写真なんて撮ってもつまんなくないか?」
「つまります! 私が欲しかったからいいんです!」
「うぅん……?」
そうこうする間に二人は撮影機から出てくる。
首を傾げる少年を見て、胸の内から湧くのは呆れではなく。どころか、慈しみすら覚える。
それでは駄目なのだと理解しながら。
不意に、一夏少年がこちらを見上げる。ほんの数秒、少年は何か考えを巡らせていたかと思えば、意を決したように己の右手を取った。
「なら、俺らもやろっ」
「は」
そのまま手を引かれ、己は再び、彼は三度、筐体へと身体を滑り込ませた。
「んあー!! またジン兄に持ってかれたー!!」
「あぁいちいち怒んなよ。いつものことだろうが」
「大本命が他の誰でもなくあいつだというんだから……近隣の女子達は本気で憐れだ」
操作パネルに指を這わせながら、少年は口を開いた。
「怒ってる?」
「どのような事柄に対して、でしょうか」
「ISのこと」
ほんの一言。それだけで彼の言わんとするところは理解できる。
先日、多くのメディアを騒がせた極大ニュース。延いては、彼が選択した進路について。
結局話し合う機会を得られず、あれから二日ほども経っていた。
「自分は、貴方の進路に口を挟める分際にありません」
「……そういう他人みたいな言い方、好きじゃない」
「……失言でした。ただ、そう……進路を定め、その為に必要な行動を起こされた。それを怒る理由など何一つありはしません」
「じゃあ、ジンはどう思う。俺がISに関わること」
パネルを操作していた手が止まる。
少年が欲する答えが、果たして己の内にあるだろうか。
「現世情を思えば、ISの適性を持った一夏さんの存在は何れ見付け出されたことでしょう。今回のように一夏さん自らが検査を受けずとも、国家が国民に適性検査を義務付けないとは限らないのですから」
「……」
「そして、ISは兵器利用を免れない。競技用パワードスーツ……いや、宇宙開発用マルチフォームスーツという開発者の真なる意図とは裏腹に、その強大な能力は最も安易な利用法、闘争へと活用される」
無数の思惑が絡み合い連鎖する国家の政情など、己如きが把握することなどできまいが。ISの兵器利用。それは安易であり容易な、自国の優位を勝ち取る為に最も有効な手段であることは議論の余地もない。核に代わる抑止力としての武力。
そんなものに。
「それは確実に一夏さんの平穏を危ぶむでしょう。そんなものに、本当は貴方を関わらせたくはなかった」
「…………」
それこそあの時、この身命一つでは護り切れなかった。腕一本と内臓の幾らかを代償にしてもなお、それでもこの少年の安全を確保することは到底叶わなかった。
己の不甲斐無さに歯噛みする。
「……自儘な、無責任なことを言いました。御寛恕を」
「ううん」
右手を強く握られる。今までずっと、繋がれたままであったことに今更気が付いた。
強く、強く握り合わされ、そのまま少年はこちらの肩口に額を押し当てる。
「ふふふ、ジンらしいや。俺の心配ばっかりしてる……」
「は」
「いつもそうだった。昔からそうだった。ジンは俺のことずっと、ずっとずっとずっとずっとずっとずっと見てくれてた。だからこれからもずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずぅぅっとそう、見ててくれる。そうだよね。そうなんだよね」
少年の指、爪が己の手の甲に突き刺さる。皮膚を破ることさえ構わず、彼は手を握り締め、締め続ける。
小さなその手を握り返して、己は彼に微かな笑みを送った。
「はい、貴方が望む限り」
「はっ……! あはっ、やった。はは、くふふふ、ふふふふふ、嬉しいな嬉しい。ずっと前から嬉しい。嬉しさを思い出したんだ。あの日ジンを食べてから。俺こんなに嬉しかったんだ。ジンに会えたあの日から。ふふ、くふふふふ、嬉しいよぉジン、ジン」
「…………」
「ジン、ジィン、ふふ、ジンジン、ジンん、んふふふ、ジーンー、ジン……」
彼は己の名を呼んだ。繰り返し繰り返し、噛み含めるように。
口にするだけ、少年は喜悦した。蕩けるような笑顔で己の名を呼んだ。
夢見るような瞳に己だけを映して己の名を呼んだ。名を呼び続けた。
――――フラッシュが焚かれる。
夢と幻を彷徨っていた少年の瞳を現実の光が照らし、あたかもその曇りすら拭ったのか。
「あ! 忘れてた~! もう一回撮り直し……っと。ほら、ジン画面画面!」
「……はい、見ています」
「もぉ、俺じゃなくて前だってば! あはは」
何事もなかったかのように、彼は笑う。とても晴れやかに。
少なくとも少年にとっては何事も起きてなどいないのだ。
「えへへ、いい記念になったねっ」
そう言って、彼は現像された写真を大切に仕舞った。
そこには、少年の曇りない笑顔があった。