織斑姉弟(へ)の献身 作:足洗
一回は
叩かれてみたい
出席簿
針の筵、我々は今その中心にいる。
我々の一挙手一投足が、視神経より放たれる不可視の光線によって刺突され貫かれ、正常な動作すら阻害している。
晴天の本日、清潔な白い廊下を燦々と照らす陽の光。白光に彩られた視界の端々で、屯しこちらを注視する女子生徒女子生徒女子生徒。
「あ、あれ」
「そうそう。例の男子入学生」
「あのニュース本当だったんだ」
「二人いるね」
「うわぁテレビで見るより可愛い!」
「もう一人のでっかい人誰?」
本人達に自覚はないのだろう。聞こえよがしとも取れる声量で、口々に飛ぶ感想、下馬評。
それらに一々頓着するだけの余裕など、我々には無いのだが。
「うぅ……ジン~、こえぇよぉ……擦れ違う奴皆こっち見てくるよぉ……!」
「一夏さん、もう一息の辛抱です。教室が見えてきました」
「教室着いたからってこの状況何も変わらないだろ……」
「……」
「そんな『諦めが肝心です』みたいな目しないでくれよぉ!!」
残念ながら、それ以外に術はないのだった。
こちらの左袖口を強く握り締める様は、親に縋る子供同然で、口の端に零れる笑みを自覚する。
現在己と少年は、IS学園指定の白い学生服に身を包んでいる。そうして己がジャケットの左袖にはしっかりと左腕を通してあった。
それも銀発色の金属のそれではなく、あたかも人間の肌のような色と質感を備えた左腕を。
一夏少年はじっとこちらの左手を見る。
「……見た目は普通の手にしか見えないな」
「表面に偽装ホログラムを走らせています。触れられぬ限り、気付かれることはないでしょう」
隻腕はやはりどうしようとも目立つ。身体を欠損した場合に装着する義肢は、身体機能の補助だけでなく、形態的違和の回復もまたその用途の一つである。
何れの意味合いにおいても、この腕は優秀と言える。
本来なら退院後、学校復帰と共に活用すればよかったものを。こうした機能の存在を己に教授して下さったのはやはりというか、かの篠ノ之束博士であった。
突如届いたメールに『ワンちゃん秘密機能大全ver7.77』と銘打たれたPDAファイルが添付されており、本文には一言『アナクロ人間(あっかんべーと思しき絵文字)』と書かれていた。
無事教室へ辿り着いても状況に然程の変化は無い。サファリパークの遊覧客から檻の中のパンダへと転身はしたかもしれない。
幸いにして、己と一夏さんの席は横並び。最前列の中央、教卓の直前というなかなかの配置ではある。
一夏少年はともかく、己のような図体が最前列に陣取るような真似は後列の生徒に多大な迷惑を及ぼすように思われるが。宛がわれたデスクの卓面はディスプレイを内蔵しており、正面の黒板……液晶ディスプレイの内容をそのまま表示できるようだ。
「あぁもう、早く授業始まってくれ……」
「まったくに」
そうなれば少なくとも教室の外に大挙しているギャラリーは立ち去ってくれるだろう。
まるでその願いが通じたかのように予鈴が鳴った。
教室の其処彼処に寄り集まっていた女生徒達も、めいめいに自身に宛がわれた席へ着く。全員の着席が完了したものの、しかして室内は未だ異様な静けさに満ちていた。
その時、教室前方の自動ドアがスライドして開かれた。
「うぇ!? な、なんですかこの静けさ!?」
この場を支配する重苦しい空気に入室者の女性はたじろいだ。
深緑の髪。少女のように小柄な体躯。先日知り合う機会を得たばかりの、それは山田真耶女史であった。
恐々と扉を潜った彼女と目が合う。目礼すると、山田女史は安堵するように笑いこちらへ手を振った。
「日野くん! お久しぶりです。元気でしたか?」
「その節は。この通り、丈夫なばかりが取り柄ですので」
「ふふ、それが一番ですよ。あー、よかった。日野くんの顔を見たらなんだが安心しちゃいました」
「こちらこそ」
「……」
彼女は教卓に筆記具や資料を置き、黒板型ディスプレイへ文字を、自身の名前を打ち込んだ。
「えぇと、こほんっ……皆さん、ご入学おめでとうございます! 私はこの一年一組で副担任を務めることになります、山田真耶です! どうぞよろしく……お願い…………ますぅ……」
溌剌と始まったかに思えた彼女の自己紹介が、ほんの三文ほども数えぬ内に尻すぼみ、語尾は消え入った。
それも無理からぬこと。室内に充満した異様なる緊迫感によって山田女史は完全に威圧され、ただでさえ小柄な身体が更に縮んでいく。
彼女は堪らずといった体で教卓に伏せるや、顔をこちらに近付ける。
(どど、どうしましょう……なんだか喋れば喋るほど息苦しくなってきますよぉ……! 皆さんなんでこんな殺気立ってるんですかぁ……!)
(はい、自分達も大変難儀しております)
(いや先生が参ってどうするんすか)
(だって皆さん目が恐いんですよぉ! 猛禽っていうか猛獣っていうか……日野くぅん、助けてくださいぃ……!)
少女、のような女性が必死な涙目を浮かべ潜めた涙声を上げる。どんなに庇護欲をそそられようとも、現状助けてもらいたいのは切実にこちら側の筈であるが。
(やはりセオリーとして、次は生徒それぞれの自己紹介を行うのが無難ではないかと)
「あ! そうですね。では出席番号順で――――い、いえいえいえいえ、そうですよね! まずは男子お二人から自己紹介してもらいましょうね! 皆さん気になりますからね! はい本当にごめんなさいぃ!」
何やら今の一瞬で、高度に脅迫的な措置が山田女史に為されたような気がしないでもない。気にはなろうとも、好奇心のまま背後へ振り返るような真似は出来なかった。すべきでもないだろう。
「じゃ、じゃあ最初は『お』の織斑くんからどうぞ!」
「うえぇ俺ぇ!?」
流れを思えば己に白羽の矢が立つかと身構えたのだが、運悪く流れ矢を受けたのは一夏少年であった。
反射的に、少年は勢い良く席を立ち上がる。自然、それは教室中の視線が一点、彼の細い背中へと収束することになる。
今、彼の双肩が背負うプレッシャーは並大抵のものではないだろう。一筋、汗が少年の頬を伝い落ちていく。うるうるとした瞳で助けを求められるが、この場においては己とても為す術はなかった。
「お」
『お?』
「織斑、一夏、です」
ようやく自身の名前を搾り出したものの、未だ室内には沈黙が横たわっている。それが続きを、さらなる情報を欲するが故のものであるのは明白。
「じ」
『じ?』
「じ――――ジン次どうぞ」
緊張感の極点で空気が緩和、いや弛緩した。前のめりに転倒するかのような錯覚に陥る。
多少居心地の改善された室内の雰囲気に息を吐いた、その時。
再び、教室の扉が開かれた。
「馬鹿者、名前だけ吐いて放り投げる奴があるか」
黒いスーツに身を包み、怜悧な笑みを刻む美しい女。
織斑千冬がそこに立っていた。
その瞬間の、教室内のリアクションは劇的の一語に尽きる。黄色の歓声が空気を震撼させた。鼓膜に相応の負荷を覚える。
しかして千冬嬢はその大音響波の矢面に立ってなお寸毫ほどの揺らぎもなし。冷徹に室内を見据え、ともすると睨め据えるかのような鋭さで一望を終えるや。
「静粛しろ!!」
胆力を固めて放つが如し。一喝にてこの場の乱痴気を封殺した。
「……私がこの学級の担任、織斑千冬だ。これより三年で貴様らの
彼女の声はよく通り、急流の澄んだ水を思い起こさせる。そこに生来の覇気も合わされば、ほんの僅かな反駁の意思すら粉砕される。
特殊部隊での軍事教官、なるほどこれほど板に付いた務めもあるまい。
しかし、ここIS学園は(名目上)あくまで未成年者の為の教育機関。果たして今の彼女の訓示はそうした学園の運営方針、また生徒達の了解する学園生活なるものに
「きゃぁああああ!! カッコイイー!!」
「やっぱりステキです!! 千冬様ぁー!!」
「IS学園頑張って受験してよかったー!!」
全く以て問題は無いようだ。
「はぁ……自己紹介を続けろ。次は日野、だったな」
「はっ」
処置なし、といった風情の溜息。彼女の気苦労を思い内心で苦笑する。
さても自己紹介。自分にユーモアのセンスなどというものが標準搭載されておらぬことは、生まれて数年ばかりで嫌というほど思い知った。
席を立つ。
「■■市立■■中学校卒、日野仁と申します。ご覧の通り、こちらに居られる織斑一夏さん共々男性の身で当学園へ入学するという奇貨に見舞われました。戸惑う方も居られるかと存じます。しかし現状は経験、知識、何れも未熟の二字。これから皆さんと轡を並べて切磋琢磨し学び、また同じく御指導、御鞭撻の程を賜れれば幸いです。どうぞ、よろしくお願い致します」
そう締め括り、教室後方へ向き直ってから腰を折った。
暫時頭上で沈黙が流れ、次第に疎らな拍手が鳴った。
傍らでもう一度、溜息の気配を聴く。
「お前はお前で硬すぎる。冗句の一つも言ったらどうだ」
「……貴女が自分に死ねと仰るならば、了解しました。ではここで小噺を一節」
「すまん。ごめん。私が悪かった。入学早々教室を事故現場にはしたくない」
賢明な彼女の言葉に、己は少しだけ肩を落として席に着いた。
「ちぇー、ジンには甘いよなぁ千冬姉は――い゛ったぁあ!?」
「織斑先生と呼べ。それと文句を垂れるなら満足な自己紹介が出来てからにしろ」
風が一陣走ったかと思えば、右隣の少年の頭頂部に黒い出席簿が振り落とされている。音、角度、諸々を考慮してもなかなかの痛打であった。
「いたいよぉ……ジ~ン~撫でてぇ」
「はい」
「……甘いのはどっちだまったく」
「あははは……あの、えっと、じゃあ出席番号一番の相川さんからどうぞ」
進行役に山田女史が復帰する。促された少女が席を立つのを見ながら、しかし右手は少年の頭に持っていかれた。
柔らかな髪を擦ると、少年は猫のように喉を鳴らす。
何故かその瞬間、生唾を飲み込むかのような音が其処彼処から鳴り響いたが。一体何事であろうか。
ともかく、このまま気を散らすのは自己紹介を続ける少女に対してあまりに失礼だろう。そう思い、右手はそのままに姿勢を正すと――不意に、“気”が頬を刺した。
「?」
それは、先程まで少年と共に浴びていた視線の雨霰と似ていながら、しかしどこか非なる感触を己に齎した。
気配を辿れば、源はすぐに見付かる。最前列、窓際の席に座る一人の少女。
豊かな黒髪を後頭に結い上げ、背筋に鉄の芯を埋めたかのように美しい姿勢で、少女はじっとこちらを見ている。
己と、一際強く一夏少年の方を。
こちらの視線に気が付くと、少女は慌てて目を伏せ正面に向き直ってしまった。
その姿が、記憶野の一部を強く刺激した。
「一夏さん」
「ん~? どうしたん」
「あれは――――」
手でその少女を指し示そうとした刹那、頭上から打ち下ろされる黒い影を知覚する。到達までの一刹那、この一撃でどうか先程思い出した記憶がどこかへ飛び散らぬよう己は願った。
小気味良い音と反比例する重みで脳天に打撃が落ちる。出席簿そのものの重み硬さは問題ではない。瞬発と速度と入射角、それらが達人の技量によって最大級の痛みを創り出しているのだ。と愚昧なことを考えた。
「人の自己紹介を無視して雑談か? お前らしくないな、日野」
「申し開きもありません。相川清香さん、どうか御寛恕を」
「え? あ、おーやった? 名前覚えてもらえた、のかな?」