織斑姉弟(へ)の献身   作:足洗

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1話 少年が見た背中

 長い付き合いになる。同じ小学校の出だ。

 しかし、自分があの男を一個人として認識したのは小学校入学から四年目のこと。

 それまでは、遠目に見る有名人みたいな感じだった。小学四年にして身長180に届こうかという体格と大袈裟な“噂話”が、色眼鏡となって自分の目を覆っていた。

 アイツときちんと話をしたのは小学四年の春。初めて同じクラスになったのだからいっちょ仲良くなってやろう、なんて一念発起があった訳ではない。

 

 まったく、穏やかな出会いではなかった。

 

 その頃、世間の話題は新技術IS一色。その渦中の人、開発者である篠ノ之束さんは色々な意味で注目の的だった。良きに付け悪しきに付け。

 そして当然の成り行きとして、注目の矛先は彼女の家族、篠ノ之家の人々にもまた向けられた。マスコミの取材と銘打った執拗な追い回し、プライバシーの遵守なんてものはそこに無い。あのISの創造主のパーソナル情報を一滴でも見たい聞きたい知りたい……というのが、世間の偽らざる要望だったんだろうが。

 

『どうしてかな……どうして、私達は……』

 

 幼馴染の少女、日々暗く翳っていく“箒”の瞳。それを思い出すと、今でも怒りが腸を焼いた。

 いつ頃からか、悪質な記者が学校近くで待ち伏せ、箒を尾け回すなんてことが暫らく続いた。当然、自分も少女と帰路を共にして守るんだと息巻いたものだが。

 無遠慮にカメラを回す大の大人に、箒は怯えた。そんな彼女を隠す為に必死に盾になろうする自分は滑稽だったろう。

 そんな時だ。

 

『失礼』

 

 いやに低く、重い声だった。

 記者の腕を掴む大きな手。手だけじゃない。大の大人をそいつは体格で圧倒していた。

 

『貴方の行為は迷惑防止条例に抵触している可能性があります。また、今撮影された画像を公衆に面する媒体へ流布、および譲渡・貸与した場合、肖像権延いては人格権の侵害に該当します』

 

 正直、そいつが何を言ってるのかほとんど分からなかった。ただ有無を言わせない厳然とした態度に、記者が泡を食っていた様子を覚えている。

 記者は何かぶつぶつ言った後、そいつに身分を明かすよう喚いた。自分が記者であることを逆手に、相手が言い淀むのを期待したのだろう。

 

『公立■■小学校所属、日野(じん)

 

 臆することなく、ジンは名乗った。

 巌のような、鋼のような、ありえない質感を持った凶相。眼光ばかり鋭く光るその男を前に、記者が尻尾を巻いて逃げていったのは言うまでもない。

 一礼して立ち去ろうとするジンを引き止めて、少しだけ話をして、その日は別れた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「はぁ、はぁ、はぁっ、はぁはぁ……!」

 

 走る。走る。走る。

 一心不乱に。他の何もかもを忘れて。何もかもを置き捨てて。

 一人の友達を、置き去りにして。

 

「っっ!!」

 

 頬の裏を噛み締めると鉄錆の味が口一杯に広がった。その味は知っている。これが苦渋。

 自分の無力を思い知った。

 

「くそ! くそ! くそ!!」

 

 夜闇が蔓延し始めた無人の街並み。シャッター街なんて言うが、これはやはり異常だった。誰一人として擦れ違わないなんてことあるのか。

 いや、もし通行人に行き会ったとしてどうする。自分を追うあの女、人を人とも思わないあの化物、その巻き添えにするのか。

 ジンのように。

 片腕をもがれて、それでも自分を逃がそうとしたあいつのように。

 あんな無惨な痛みを他者に強いて、生き延びるのか。

 俺は。

 俺は。

 

「あぁぁああぁぁあぁぁぁああああッッ!!」

 

 絶叫する。喉が裂けて、新しい血の味が湧き上がった。

 路地の出口が見えた。大通りへの一本道。それがすぐ目の前まで。

 

(ジン待ってろ! 今助け呼ぶからな!)

 

 汗を吸った制服が重くすら感じる。

 もうあと少し。

 過剰な熱を発する身体、早鐘を打つ心臓。

 あと少し――――

 

「ざぁんねぇ~ん」

「!?」

 

 眼前に黒塗りのワゴン車が二台、滑り込むように現れて道を封鎖した。

 そして、今、背後から響いた声は。

 振り返る間もなく、背中に衝撃が走り、勢いのまま地面へ叩き付けられた。

 

「がっ」

「動くな」

 

 うつ伏せのまま背中を凄まじい重量が襲った。何とか振り仰いだ先で、蜘蛛の化物が自分を踏み付けているのが見えた。

 渾身の力で身体を起こそうともがく。が、びくともしない。まるで地面と縫い付けられたかのようだ。

 這いずる芋虫のようなこちらの様に、ヘルメットの内から見えるはずの無い残忍な笑みが透けて見えるような気がする。

 

「あーあ、手間取らせやがって」

「っか、は、ぐ、てめ……!」

「いやしかし、あの木偶の坊の時間稼ぎ、完全に無駄だった訳か。ケハハッ、死に損だな」

 

 女の一言が、身体を凝固させた。

 体中を満たしていた筈の熱が一気に失せていく。

 今、なんと言った。

 こいつは今。

 聞き捨てならぬことを。

 

「……」

「おぉ? なんだ。なにびっくらこいてんだ。え? あの状態から生きて還れると本気で思ってたのか? ……クッハハハハ! ギャハハハハ! マジかよお前。お目出度過ぎんだろ!?」

 

 けたたましい笑い声が雨のように降ってくる。

 それをただ聞いた。

 何も出来ずに、ただ。

 背中から重みが消え、次いで襟首を掴み上げられる。目の前に赤く汚れたヘルメット、その無機質な複眼が現れた。

 女は耳元に口を寄せて囁いた。

 

「あいつの心臓、ぐちゃっと潰してやったよ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 次の日から、俺の興味の対象は日野仁ただ一人に絞られた。

 話してみれば案外イイ奴、なんてのはよくある話。なんというか見た目通り、いや見た目以上に、ジンは実年齢というものが疑わしくなる奴だった。

 特にその口調。軍人か役人かってくらい過剰な丁寧口調が。

 

『なぁ、お前なんで敬語なんだよ』

『は……何か、気障りでしたか』

『きざわ? いや、そういうんじゃなくてさ、オレらもう友達だろ? 友達に敬語ってなんかおかしくねぇ?』

『なるほど』

 

 ジンは誰に対しても、相手が年下だろうが関わりなく、無論年上ならなおのこと、馬鹿丁寧な口調と物腰で接してきた。

 最初の内は正直不気味で、箒なんかは暫らく恐がって近寄ってこなかったくらいだ。

 丁寧なのが悪いことじゃないのはなんとなく分かるから、面と向かって直せとも言い辛くて。かといっていつまでも他人行儀な態度のジンが気に入らなかったからだろう。

 不意にそんなことを尋ねた。

 

『一夏さんに対して隔意などあろう筈もありません』

『かくい?』

『……仲の良い友達だと、思っております。もし、許されるなら』

『いや許すとか許さないとかじゃねぇよ。決めんのはオレとお前だろ。んで、オレとお前は友達。違うか?』

『――はい。ありがとうございます』

 

 そう、そんな風に、あんまりにも嬉しそうに礼を言うジンに何も言えなくて。

 口調のこともそのままうやむやになった。というか慣れてしまった。

 こいつはこういう奴で、誰にも平等に接する大人びた奴で、オレの友達。

 それでいいと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「くっ」

「さぁ一夏ちゃん。今日から楽しい楽しい監禁生活が始まるよ~」

 

 胸倉を掴まれ、その場に吊るされる。それこそ小枝か何かみたいに。

 折り、砕き、潰せる。

 このISならば容易いことだ。

 ジンをやったように、自分もまた。

 

「落ちな」

「っ! がっは!?」

 

 言うや、堅固な爪が首を締め上げた。途端、意識が遠退く。白く、消え失せていく。

 無力。無念。そんなものだけが胸に残る。

 悔しかった。憎かった。眼前の敵。友を惨殺した怨敵が。そしてそれを倒すこともできない己自身が、何よりも。

 込み上げてきたものが決壊し、頬を熱い雫が伝う。それすら己の脆弱さの証立て。烙印だった。

 

「……ごめ、ん、な…………」

 

 最後に出てくる言葉が、こんな情けないものだなんて。

 

「…………ジン……」

 

 友達の名を呼んだ。

 それは今生の別れだった――

 

 

 

 

 ――ざり、と靴音が響いた。

 

「あ?」

 

 アスファルトを擦るように鳴る。それは革靴の音だ。

 

「っ!」

「……てめぇ」

 

 唐突に、首を締め上げていた手が離れる。支えを失い、重力に従って身体は地面に落ちた。

 急激な呼吸の回復はむしろ苦しく、肺腑に負荷を掛けた。胃液混じりの咳を吐き出しながら、足音のした方を見て。

 またしても息が止まる。

 ありえないものを見ていた。

 

「てめぇ、いったい、なんで」

 

 世界最強。字義通りのそれを冠した超能の鎧。しかしどうしたことか、それを纏う女は動揺し戸惑い、その声に滲んでいるのはあろうことか恐怖だった。

 装甲を纏った偉容たる巨躯がたじろぐ姿はまさしく異様。

 それも、無理のないことだった。

 女は今、自身が葬った筈の男と、死人と対面しているのだから。

 

「ジン……」

 

 街灯が徐々に点っていく。通りの遥か向こうから順にこちら側へ灯火が迫り、遂に暗闇の中で佇むその男を白光の下へと照らし出した。

 彼が持つ鍛え上げられた肉体の厚みは同年代はおろか一般的な成人男性にもそうはいない。人間の尺度で十二分に巨躯と表現できる。それほどの体格。

 太く長い手脚。頑強な骨格と拳。その(つよ)さに一度ならず憧れた。

 だが、今その内の一本。左腕は既に失われた。

 その筈だった。

 

「なんだ、その腕は……!?」

 

 奇しくも女が代弁していた。その光景に対する疑問、不可解を。

 銀発色の繊維。何重にも折り重なり、結われ、編まれたそれが、ジンの肉の肩から生えているのだ。

 筋繊維。金属の筋肉。腕だ。あれは、金属の腕。

 銀の腕は時折ぎちぎちと脈動する。多量の質量を無理矢理に圧縮しているのか、内部から弾けようとするそれを繊維同士が抑え付けている。

 腕として固着しなかった繊維は、肩の付け根から四方八方へと伸び流れ、羽か、ともすると触手のように宙を泳いだ。

 

「死に損ないが……わざわざ出来損ないの腕まで用意して、今更何の用だ?」

「――――」

 

 動揺を押し殺して女が吐き捨てる。

 しかし、ジンは応えない。その表情すら、街灯が作り出す陰の下に隠れていた。

 

「黙ってんじゃねぇぞ!!」

 

 女が吼える。苛立ちと、正体不明の何かに対する怯え。その両方を消し飛ばすように。

 多脚の砲門が一斉にジンを狙う。ISに装備される武器はどれ一つとっても人間を殺すには過剰だ。肉片一つ残らない。

 

「ジン!」

「今度こそ死ね」

 

 当然、女は躊躇などしない。八門の砲が同時に火を噴く。

 ――ジンが眼前に手を翳す。

 人間の肉眼では到底捉えられない速度で無数の弾丸がジンへと降り注いだ。

 ――それら全てが、弾けて散った。

 

「な」

「!?」

 

 ジンの身体に到達しないまま弾丸が弾けた。まるで、不可視の壁に阻まれた(・・・・・・・・・・)かのように。

 

「馬鹿な……ありえねぇ……シールドバリアだと!? ……それじゃあこいつは……!!」

 

 ジンの身体が、沈む。

 拳を握り込み、左腕を脇に畳んだ。それは弓を引き絞る所作に似ていた。

 同時に、宙を漂うだけだった無数の繊維質が火に掛けられたかのように消え失せていく。火の粉のような光が散り、光は左腕に収束する。

 

「させるかよぉ!」

 

 女郎蜘蛛が飛ぶ。スラスターが火を噴き上げ、凄まじい速度でジンへと襲い掛かった。

 しかし、分かる。もう遅い。

 光。一点の、星屑めいた。けれど鋭い光。ジンの左目は、既に敵を捉えている。

 

「死――」

 

 左腕の燐光は収束し、極点を迎え。

 爆ぜた。

 

「――――」

 

 消える。

 ジンと女郎蜘蛛の姿が。

 続いて空気を引き裂く音と、衝撃波が身体を吹き飛ばした。

 

「うぁ!?」

 

 街灯が倒れ、アスファルトが剥がれ、外壁が崩れ落ちる。

 破壊という一事が駆け抜けていった。

 瓦礫と塵埃の舞い散る中で、それを見たのは偶然だ。一瞬の、極度に圧縮された時間感覚。その中で垣間見えた幻のような光景。

 

 ジンの左拳が、女のフルフェイスメットを粉砕していた。

 

 ワゴン車を蹴散らし、ボールのように跳ねていく。ISが。あの超常の兵器が。

 それを為した男の背中がすぐそこにある。

 

「……ぁ」

 

 すぐさま駆け寄ろうとして、気付く。ガンメタルに光っていたジンの左腕が、赤熱し、白光していた。

 同時に鼻をつく、肉の焦げる臭い。

 腕の繊維が伸縮し、形状を変えた。隙間から蒸気と熱気が噴出す。

 

「ジン!」

 

 おそらくは排熱を終えてなお、生身の肉体を焼くには十分な熱が周囲に蟠っていた。況や、それと直接繋がった男は。

 そこはもはや火山の火口のような有様だった。異常な熱波でアスファルトが溶けて歪んでいる。

 それら一切を無視して、ジンに駆け寄った。

 身体に触れる。触れた掌が途端に焦げ付いた。痛い。

 吸い込んだ空気が肺を焼いた。痛い。痛い。

 それでも。

 

「ジン! ジン! 頼む、頼むよっ! 起きてくれよ!」

 

 零れ落ちた涙が、蒸発して掻き消えた。

 身体が燃える。燃えるように痛い。

 けれど、この痛みに価値なんてない。この涙に価値なんてない。

 あるのは、それは。

 

「!」

 

 その時、男の僅かに上下する胸を見た。耳を澄ますと、か細い呼吸の音を聞けた。

 

「ぁ……あぁ……!」

 

 生きている。

 彼は、生きている。

 その事実をただ噛み締める。

 男の大きな身体を強く強く掻き抱いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 







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