織斑姉弟(へ)の献身 作:足洗
IS学園は全寮制を採用している。
本州より数十㎞の海上に建造されたこの施設に、自宅から通学しようというのがそもそも無理のある話だが。
廊下の窓から覗く空は既に茜。一日分のカリキュラムを修了し、今は少年と帰路を歩いている。
少年は手にしたカードキーを繁と見詰めた。
「山田先生、なんだか変なこと言ってたよな。『政府の配慮だから気にしないで』って……」
先刻、放課後の教室にて、山田先生手ずから学生寮のキーを貸与された。他の生徒らには朝のガイダンスを終えた時点で手渡されていたものである。
本来が、IS学園において学生寮とは女生徒の為のもの。男子生徒が住まうことこそ異例であり、問題なのだが。
さて置き、他の生徒らとは別に我々二人に直接部屋の鍵を手渡したのは、それ故の配慮とも受け取れる。
現在の特殊な立場にあっては仕様もない。ならばせめて慎ましく、三年間を無事に終えるよう尽力しよう。
――己に“先”があればの話だが
本校舎を出て西に伸びる渡り廊下を進む。行き違う女子生徒達の視線と潜めた囁き声にも今日一日で幾分か慣れ、慣れは……慣れねばなるまい。
寮舎の佇まいは宛らリゾートホテルのようだ。自動ドアを潜り、エントランスから客室、もとい生徒の居室フロアに入る。
廊下は毛足の揃った赤いカーペットが敷かれ、いよいよここが学生寮であることを忘れさせる。
そうして長い廊下を行くこと暫し。その扉は、遂には寮の最奥で見付けられた。
「ここ……だよな」
「記載されている番号に間違いありません……おそらく」
電子ロック式の自動スライドドア。学園内にも同型の扉は数多くあるだろう……この重厚感を除けば。
己の腕ほどの太さをした六本の金属製ピストンが扉の左右から交互に伸び、中央に円形の操作盤が嵌め込まれている。カードを翳す為のセンサーはそこにあった。
「……」
少年は無言で己の袖口を掴んだ。言い知れぬ緊張感がその細い指先から伝わってくる。己も大概似たような心境であった。
そして意を決して、おそるおそるカードをセンサーに翳す。
“認証”という機械音声が流れた後、壁面から風が吹き抜けるような盛大な音が響く。エアロックが解放されたらしい。同時に六本のピストン、金属ポール型の錠前が縮小し収納されていく。次いでゆっくりと扉が両側へスライドし、ある程度の段階でそれは瞬時に全開した。
「…………」
「…………」
仰々し過ぎる。まるでメガバンクが保有する大型金庫のようだ。ここは男子生徒二名が居住する寮の部屋でしかない筈なのに。
少年が腕に縋り付いて来る。
二人、連れ立って注意深く、いやもはや何に注意しているのかもよく分からぬまま、今日より我が家となる部屋へ足を踏み入れた。
「すっごいすっごい! 見てよこれ! ねぇジン!」
「……は」
そうして少年は喜色満面に声を上げた。
入室直前まで小動物のように震えていたことが嘘のような有様。いや、無論のこと元気に越したことはないのだが。
「アイランドキッチンなんて俺初めてだ。うわっ、この収納フットスイッチだ! 継ぎ目無し一体型のシンク! 地味に嬉しいシャワーヘッド付き! おぉ、ビルトインの食洗乾燥機! あはは、このIHめちゃくちゃ広い! え、ゼロフィルターの換気扇! これ欲しかったんだよぉ!」
「はい」
「うっひゃ真空チ○ドの600L! あはははなんでも入る~! すごいよジン!」
「は、そうですね」
寮舎の外観および内装をリゾートホテルなどと表現したが、今我々が佇む居室は控えめに言って高級スイート、見たままを言えばレジデンシャルルームである。
システムキッチン、ダイニング、地続きにリビング。奥側は巨大な一枚ガラスの窓が四枚並び、圧倒的解放感が室内から圧迫感などというものを全て消し去っていた。戸を潜ればバルコニーから茜色に染まった太平洋を一望できる。寝室もまた二部屋、トイレも総電動式のハイグレードタイプが二つ、風呂は檜張りのジェットバス、八帖ほどもあろうウォークインクローゼットなど用意されたところでどうしろと。
家具家電は備え付けのものが配されていたが、どれ一つとっても学生寮という場には不似合い且つ不釣合いな、異様な高級感と機能性を有したものばかり。
政府からの配慮……こういうことだったのか。
過剰と評せず何とする。これはあまりに他の生徒との格差を意識せざるを得ない。
いや、あるいは、実は他の部屋もまたこのような豪勢な出来をしているという可能性が無きにしも有らず。
「はぁ……」
「? どしたん、ジン」
知らず溜息など吐いていた。今日一日分の疲労感に、最後の最後でオマケが添えられた心地。
不思議そうな顔で少年がこちらを見上げる。彼のその無邪気な喜び様が唯一幸いだった。
「あははは、なんか新居ってよりアミューズメント施設みたいなテンションだわ」
「六畳一間に慣れ親しんだ身としては、落ち着きの無さを禁じえません」
「ジンは質素過ぎなんだって。ちょっとくらい贅沢しても罰は当たんないよ。まあ……この部屋はちょっとじゃないかも。ふふっ」
「全く以てそう思います。一夏さんがお気に召しておられるなら良いのですが」
「うん! 大変召しました! はははっ…………それに、さ」
くるりと反転し、後ろ手を組みながら少年は窓の外に広がる雄大な景色を見る。ほんの半瞬、言い淀むような気配が立ち。
項まで伸びた黒髪が、しなやかな曲線を描いて宙を舞う。半身だけで振り返り、彼は柔い笑みを見せた。
「し、新婚旅行みたいで、すごく、その…………な、なに言ってんだろう俺、あははははは!! 変なこと言っちゃった!」
「……」
ハワイのコンドミニアムを借り切っての新婚旅行、とは――今も昔も、やはり男女問わず誰もが憧れ夢見るシチュエーションなのだろう。そしてどうやら目の前の少年にとってもまた。
その相手役として自分が想定されていることは喜ぶべきなのか。光栄であることは間違いない。しかしもっと相応しい、
そう言ってしまうことは容易いが、それを口に出すことはできなかった。
少年の、淡く朱に染まった頬。羞恥に潤む瞳が、あまりにも美しかったから。
「なんだよぉ……黙るなよぉ……そりゃ、男同士なのに変なこと言ったけどさー……そんな気持ち悪がることないだろぉ」
「いえ、そのようなことは。ただ己の想像とは少し、違ったもので」
「……ふぅ~ん、じゃあジンはなにソーゾーしたんだよ?」
じとりと深い黒目が己を見上げる。
想像、突き詰めれば己が内に出来上がった願望なのか。そんなものを彼に開陳するのは、些か躊躇いを覚える。それほどに、これは、度し難い。
「……家族旅行」
「え?」
「一夏さんと、千冬さんを連れてこのような場所に旅行へ赴けたなら、それは、とても喜ばしいことで……それこそまるで、二児の父親にでもなったような心地で」
はしゃぎ回る少年を見て、それを諌める千冬嬢の姿を幻視した。その光景がひどく、幸福だった。
きっと、子供の成長を見守るとはこのような感覚なのではないか。そう愚考した。
身の程を知らぬ想念だ。未熟蒙昧たるこの己が人の親となり、あまつさえ織斑御姉弟をその子に仕立て上げるなど。
恥を知らぬ。
雑念としてそれを振り払うように強く頭を振った。次いで、気味の悪い話を聞かせてしまった姉弟に謝罪の意を。
「っ!」
こちらが頭を下げるより早く、少年が己の胸に飛び込んでいた。
腰に回された手が強く、強く身体を抱き締めてくる。その細い腕のどこにそんな力があるのかと驚くほどに。
胸に熱を感じた。少年の吐息と、それ以外のもの。
己自身の両手の置き所は、迷った末、少年の背中へ。左腕をあえて使おうとは思わなかった。
「ふふ、やっぱりすごいなぁジンは。俺が言って欲しいこと、ちゃあんと言ってくれるんだもん……やっぱりジンだ……ジンじゃなきゃいやだっ」
「……」
「はぁ……あったかい……」
――――彼の求めるものが父性に類する“それ”であることは、随分昔から理解していた。理由は定かでないが、織斑姉弟には両親がいない。保護者、庇護者たらん者が無かった。
親の愛に飢えている……一文で表現するのは斯くも容易い。
しかし、そんな生易しいものである筈がないのだ。彼の、彼女の飢餓は。
十数年前、初めて千冬さんに出会ったとき、その在り方に惹かれ、尊び、この身をして瑣末な一助と為らんと夢想した。そして、関わりを深める内、その願望の一端を垣間見た。
同じもの、同じ欠如、同じ願望が、幼い少年の中にもソレはあった。
「ん……」
するりと伸びてきた白い手に、己の無骨な手をさらわれる。そのまま彼は自身の左頬へ我が右手を添えた。
目尻には、涙。滲む色に悲しみはなく、それは喜びの、高揚の涙なのだろう。親指でそっと拭うと、擽ったそうに少年は目を細めた。
目を伏せ、また見上げ、やはり伏せる。彼が何かを求めていることは分かった。
朱に染まった顔が、紅を差したかのようになる。
濡れた瞳が真っ直ぐに注がれ、その薄い唇にさえ血色の高まりを覚えた。密着する身体の熱、少年の熱が己を冒す。
爪先立ちになり、少年の美しい貌が迫る――――そして止まった。
「んー? どうした。そのまま続けろ。なに、遠慮するな一夏。ジンもそのまま動くなよ」
「――――」
カチリ、液体窒素に浸した花弁の如く。少年は美しい彫像と化した。
視線は己の肩口を行過ぎて背後へ、玄関口から続く廊下の壁に、肩を預けてこちらを見るダークスーツの女性に突き刺さり停止していた。
「ち」
「くくくっ」
「ちち、千冬姉、いつから、そこに」
「『し、新婚旅行みたいで……』のあたりからだ」
「ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ん゛ッッッッッッ……!!」
顔面を両手で覆い、少年はカーペットの上で転がり悶え声無き絶叫を上げた。
「ぷっくくく、ふふはははっ……あぁ~、楽しそうにやってるじゃないか、えぇ?」
「お陰様で」
「ジンも人が悪いな。私が部屋に入った時点で気付いていたろうに」
「お声掛けするタイミングを逸しました。申し訳ありません、一夏さん」
「もぉぉぉぉおお! ジンのバカ! ばかぁ!」
少年は悪態を吐くと、ソファベッドに身を投げてクッションに顔を埋めた。そのままくぐもった意味不明な怪音が流れ始める。
おそらく小一時間は元に戻らぬだろう。
内心で謝罪を繰り返しながら、来訪者に向き直る。
「どうやって入室を?」
「私は寮長も兼任している。非常時の備えにマスターキーは必須でな」
「なるほど……」
「くふっ、お陰でいいものが見られたよ」
「ところで、織斑先生」
「ここはプライベートな空間だ。いつものように呼んでくれ」
「は」
語気に寂しげな色を乗せて彼女は微笑んだ。
勿体無きこと。初めて彼女の名を呼んだ日のことを思い出す。
「千冬さん、この部屋はいったい何故このような」
「なかなかいい部屋だろう?」
「はい。過剰なほどに。IS学園の寮室とは全てこのようなコンセプトを採用しているのでしょうか」
一学生には贅沢に過ぎる。己の貧乏性を差し引いたとしても異常であろう。
また、待遇に差を生じさせることは健全な学びの場にあっては不適切、不当と言わざるを得ない。
「政府側の意向だ。甘んじておけ」
「は、ですが」
「まあ、お前の言いたいことは解る。しかし世界でたった二人だけの男性IS適性持ち。そのメンタルケアには細心の注意を払わねばならん……
「……」
稀少性の取り扱い。下手を打って責を取らされることを厭う。単純だが理解できる心情だ。
謂わば絶滅危惧種の鳥を収めておく籠。なるほど無駄に豪奢にもなろうか。
「あとは、そこの壊れた蓄音機がな。料理は自分で作りたい。キッチンはあるか、コンロは何基だ、調理場が無い、シンクが狭い、冷蔵庫は持ち込めるのかとかなんとか、なんだかんだとゴネた結果、こうなった」
「なりますか」
「なったんだから仕方ない」
「……そうですか」
発注者が思いの外近くに居たことに驚愕する。
そして原因が自分自身であることに愕然とした。
「愛されているじゃないか、ジン」
「お戯れを……」
手料理を食べさせたい(それ以外口にさせない)という彼の一心が、どうやら最大のファクターだったようだ。
一頻り喉を鳴らすように笑うと、千冬嬢は己の肩を叩く。
「さ、そろそろあれの悶絶も聞き飽きた。飯にしよう。ふふん、久々の一夏の手料理か」
「……千冬さん、もしや」
彼女は寮長であり、学年主任を務め、また稀少な男子生徒の身内でもある。
我々の入学が表向き正式に決定したのがおよそ三ヶ月前。急ピッチで工事を進めたとして、この部屋が完成を見るにはぎりぎりの期間と言えよう。
それこそ予め計画が立てられていなければ、即時着工とはなるまい。
つまり。
物問いに彼女を見やれば、可愛らしく舌を出す少女がそこにいた。
「ふふふっ、これくらい許せ。娘のワガママを聞いてくれるのがお父さん、だろ?」
最近病みが不足気味。申し訳ない。