織斑姉弟(へ)の献身 作:足洗
束さんって可愛くね?(ノンケ並感)Ⅱ
消灯時間もとうに過ぎた、丑の刻の帳の下。
皆が寝静まった寮舎を一人そっと抜け出す。渡り廊下を中途で出てすぐの茂みへ分け入り、並木道を突っ切る。校舎周辺は街路灯も多く、真っ正直に道など歩けば忽ち警備員に見付かるだろう。
木陰の闇に身を沈め、光源の流出を警戒してディスプレイは網膜へ投影、再度マップを表示しルートを確認する。
「……」
あと四十五秒で警備の巡回が通りを横切るので、その三秒後に背後を擦り抜ける。すると進行方向上に点在する六台の監視カメラに7秒間の死角が生まれ、第三校舎の裏庭まで辿り着ける。資料室の窓の電子ロックは既に開錠済とのこと。部屋伝いに校舎を通り抜け、その先にある噴水広場を反時計回りに二周。この区画を担当する警備員の歩行速度は秒速約1.4mであるので5m背後を等速で追従し、北北西の林道へ逸れる。
林道には東屋があり、そこに設置されたベンチの下に五分二十秒身を潜め、匍匐して板壁の隙間を潜り抜けそのまま草叢の下を40m直進する。鉄柵に行き当たったならそれを乗り越え斜面を滑り降り、格納庫の屋根へ着地し屋根伝いにさらに西進。格納庫建屋のすぐ傍には街路灯が立っているのでそれを滑り降りる。
この際、自動販売機が近くにあるので一分間水分補給および休憩が可。
一分間の休憩を挟んだ場合、警備巡回および監視カメラの動作ルーチンの都合上、運搬車両用道路上の排水口を降り下水道から一端東へ向かう。
一分間の休憩を挟まなかった場合、そのまま道路を西進し続ける。なお最低二十秒間秒速5M以上で疾走すること(※速度が秒速5mを下回れば食品輸送中のトラックに追い付かれる)。遮蔽物の無い沿岸部には絶対に出ず、防風林の木に二秒間隔で隠れながら進む。
さらに――――
「…………」
とりあえず、そろそろ四十五秒だった。
懇切丁寧な説明書きと詳細な図解を有り難がる以前に色々と言いたいことが山と積み重なっていくが、まずは相手の待つ場所へ赴かねばそれこそ話にもならぬ。草叢の底から警備員の足音を聞き、きっかり三秒後忍び足で駆け出した。
クラス代表の座を賭けて行われる、もとい己の嘆願によって為されることと相成ったIS模擬決闘。その決行日を明日……日付はとうの昔に跨ぎ越しているので、今日の夕刻に控えた現在。
己は突如届いた一通のメールに誘われ、夜の学園を直走っている。
送り主はかの――“篠ノ之束博士”。
当然だが、メールアドレスを交換した覚えはない。この場合、如何にして彼女がそれを知り得たかは瑣末事であり、“何故”“何の目的を以て”かこそが肝要。
メールの文面には場所と時刻、そして一言『時間厳守!』とあるのみ。
指定された時刻は深夜三時。添付されたマップおよび注釈は上述の非常に複雑膨大なものになっていた。
基本的にIS学園では消灯時間以降の外出は禁じられている。IS技術は立派な国家機密事項。生徒といえども妄りな情報漏洩、資料帯出をさせぬよう取り締まるのは当然であった。
無論、そうした機密を狙う外的な団体、組織への警戒という意味でも、学園内では常に一定数の警備員、警備ロボ、監視装置が実動している。
それら厳重な警邏を掻い潜る為、こうして脱走兵の如き真似を働いている訳だが。
「……すぅ」
細く頼りなげな防風林を隠れ蓑にして進むこと十数本。
延々と響く潮騒とその独特の香りが、漸う目的地に辿り着いたらしいことを報せる。
突如、視界は拓け、林の只中にぽっかりと空間が現れた。松のその針のような葉が降り積もった中心に、奇怪な物体が鎮座している。
形状それ自体は珍しいものではない。箱だ。いや現状その用途が不明である以上、それは
そして、かの
純白色のキューブに腰掛けた青いエプロンドレス姿。薄い夜闇の中、牡丹色の豊かな髪が月光に洗われ美麗に靡く。ほっそりとした顎を持ち上げ、彼女は呆と夜空を見上げていた。
物憂げなような、悩ましげなような。あるいは“無”、波一つ立たぬ湖面の静謐めいて。
煌く大きな瞳の中の宇宙に、一瞬流れ星を見たような気がした。
「篠ノ之博士」
「二時五十九分四十秒。ぎりぎりセーフ、ってとこかな。女性との待ち合わせって点では余裕のアウトだよ」
「は、申し訳ありません」
「もっとちゃんと謝って」
「当然の配慮を失しましたこと、本当に面目次第もありません」
その場で深く腰を折る。
「……前回の反省から短くまとめて来たか。ま、80点ってとこかな」
「ありがとうございます」
「なぁに言ってんのさ。100点じゃないことをまず恥じるんだね」
「はっ、尚一層精進致したく思います」
己の物言いに彼女は唇を尖らせる。またぞろ失言をしてしまっただろうか。
キューブから真実兎のように軽やかに飛び降り、彼女は棒立ちの己の傍まで歩み寄ってくる。
真正面に陣取り、両手を腰に添えて、そのままじぃ………………と、己の頭の天辺から両手足の指先爪先まで穴でも空けんばかりに見詰め、見据え。
「服、脱いで」
「は」
「上だけでいいから、上半身全部、ほら早く」
言われるがまま上着とシャツを脱ぐ。添付されたマップの道程の険しさを考慮して、現在自身は厚手の作業服姿。そのまま地面に放ろうとしたところを、博士にそれらを引っ手繰られる。
そうして右手には、筋力トレーニングおよび“バランス調整”の為に装着しているリストウェイトが残った。
「手首のそれも」
「はい」
「……重っ、なんでこんなの付けてんのさ」
「御手数をお掛けします」
彼女は眼前にホログラムウインドウを立ち上げ、指先で画面をなぞった。すると突如、我々の傍らに作業台と思しき金属テーブルとリクライニングチェアが
博士はてきぱきと上着、シャツを畳み、台の上へと放った。リストウェイトはその上に、それこそ重しの如く置く。
肩に掛けていたポシェットから掌に収まるほどの小さな矩形の板切れを取り出し、これもまた台の上へと放る。
「座って」
「はい」
言われたとおり現出された椅子に腰掛ける。
博士は今一度ホログラムウインドウとさらにコンソールを立ち上げ、何らかの入力操作を始めた。すると、卓上にある矩形の板――端末機らしいそれが発光し、一瞬で己の全身をその光線で撫で上げた。
「やっぱり光学スキャンじゃ無理か……順調に育っちゃってまあ」
一言ぼやくと、彼女はポシェットからまた何かを取り出す。
基板を取り付けられた透明なフィルムのようなもの。それを複数枚、ぺたぺたと上半身の至る所へ貼り付けていく。これはどうやら、所謂表面電極というやつらしい。
「?……ねぇ、なんでここ、こんなに腫れてるの?」
「は?」
左肩……現在もまた顕現させている義腕と生身の肩口の辺りに触れながら、彼女は言った。不可解、といったニュアンスをその声音から覚える。
一瞬考え、すぐにその理由に思い至った。
「パワーアシストを切っています。おそらくはそれで」
「は? なんでそんなことしてるの」
「ウェイトトレーニングの一環です」
「……この腕、軽く30kgはあるんだけど」
「右腕とバランスを取るのに梃子摺りました」
「バカじゃないの」
心底から、信じ難いものを見るような目で見下ろされ、呆れ返って仕様もないといった声を上げられ、最後に彼女は溜息を吐き出した。それはもう盛大に。
彼女はポシェットに手を伸ばす。中から現れたのは丸い容器。蓋を開けた中身は何かの薬品、軟膏だった。
それを彼女は指先に掬い取り、左肩へ塗り込んでいく。
「これは」
「束さん特製『なんでもナオ~ルα』。自己治癒力を高めるだけのつまんない薬。副作用はないし切断し立ての腕くらいならくっ付くよ。けど現代の医学薬学じゃ向こう半世紀は作れないし認可も下りない。ま、御大臣くんの許しなんて私は要らないからどうでもいいけど」
さらりととんでもない物を塗ったくられていた。
ひどく丹念に丁寧に軟膏を塗り込めると、博士はその薬品容器を先程畳んだ己の上着のポケットへ突っ込む。
「ワンの再生能力が君に備われば、こんなもの必要ないんだけどね。後で君が捨てといてよ」
「いえ、大切に使わせていただきます。ありがとうございます」
「……ふんっ、勝手にすれば」
言い捨てて、彼女は再びコンソールを叩き始める。
身動きするのは憚られ、ただ目礼するより他になかった。
身体に取り付けられたスキャナーが、己の現肉体状況、そして体内に据わった存在を精査している。ほんの一分程度の時間でそれは終わった。
黙して画面を見詰めていた博士がこちらへ振り返る。
「診察終了。綺麗に定着、いや……融合してるよ」
「融合、ですか」
事ここに至れば彼女が今晩己を呼び出した理由は明白。我が体内にて生育する彼女謹製の生体ⅠS、その現状を調査しに来たのだ。
そして結果は……良好と、言えるのだろうか。
「前に君に宣告した余命はハズレもハズレ大ハズレ。ワンは君の中で順調に成長して、今や生体機能を代替するどころか君の肉体そのものになろうとしてる。
「……」
「相性が良かったのか、ワンの環境適応能力が破壊的でなかったからか、それとも君を気に入ったのか……なんにせよおめでとう! 君は晴れて人とIS双方の特性を獲得したハイブリッド人類になれましたとさー! パチパチー! サイボーグってのはちょっと陳腐だし
ずいと、顎の下から彼女は己を見上げた。口元には笑みさえ浮かべて。だのに、まるで挑まれるが如き威圧が彼女の瞳から放たれている。
「人間から遠ざかっていく、化物になった感想は?」
「特にありません」
「ないんかい!!」
叫ぶや否やその場で仰け反り両手を広げ、片足は地を削りながら中段まで上がる。スカートであることをやや心配したが、流石は篠ノ之束博士、中が露出せぬぎりぎりをきちんと把握している。そのことに安堵した。
なるほど、これがズッコケというものなのだろう。
片足立ちになっても微動だにせぬバランス能力はひとえに体幹の強靭さ故。身体能力一つ取っても、やはり天才か。
ゆっくりと彼女は姿勢を戻し、こちらへ向き直った。今度は両手をポケットに突っ込み、不機嫌そうに眉間に皺を寄せつつ睨み付けて来る。柄の悪いチンピラの真似をする美女、というなかなか不可思議な姿。
「リアクションがさー、毎回なんか期待通りじゃないっていうかさー。もっと、こう、なんかあるんじゃないの? ん? ん?」
「ご期待に沿えず、慙愧に堪えません」
「そういうんじゃないんだってば!」
両手をぶんぶんと振り回して篠ノ之束は怒った。物分りの悪い老爺に手間取る孫娘のように。
それを愛らしいと思うのは、真剣な彼女に対して無礼であろう。
とはいえ、彼女が一体己にどのような反応を期待しているのか、それは想像するより他にない。問題は、日野仁という男が化物と呼ばわることに、もはや
「……なに、それ」
「?」
「なんで笑ってるんだよ、君」
己の顔を見据え、博士は一層不機嫌そうに言った。とても不愉快であまりにも面白くないから――そのまま泣き出してしまいそうな。
何故、彼女がそんな貌をするのだろう。
己の表情の変化から、そのような疑問を感じ取ったのか。彼女はさっと顔を背けて、コンソールを乱暴に叩いた。
「知らないっ」
同時に、今の今まで沈黙を貫いていた謎のキューブが発光した。
キューブにはそれぞれの正方形面に中心線が走っており、おそらくそれらが開口部。まるで花弁が広がるかのように、外装が四方へと開花する。
あれはやはり“箱”だったのだ。中に何かを格納する為の。
そして程なくその何かは、我々の前に姿を現した。
「君のモニタリングはまだまだ続くんだ。この程度じゃ終わらない。丁度いいや。決闘(笑)は今日だったね。“コレ”で実戦をテストしてもらうよ」
「IS……?」
「そう。君の、EISである君だけのIS専用強化外骨格――――」
黒い鬼神。
「――――『