織斑姉弟(へ)の献身 作:足洗
放課後。授業を終えた己と一夏少年の許へ一通の招待状が届いたのは、先の決闘騒動が幕を下ろしてから三日目のこと。
場所は学園内食堂。
教室棟からも程近い食堂棟、一階フロア全てが丸ごとフードコートになっている。全校生徒が利用することを想定しているのだから当然の広大さではあった。
扉の奥に大勢の気配、そして内
少年と共に自動ドアを潜った。
瞬間、破裂音が響く。少量の火薬の匂いと、舞い散る紙テープと紙吹雪。
『織斑一夏くん、日野仁くん、クラス代表&副代表就任おめでとう!』
女子生徒達の大合唱が我々を出迎えた。
ホログラムディスプレイには『祝・就任記念パーティ』の文字。紆余曲折を経ながらも晴れてクラス代表者が決定したのを祝し、本日食堂を借り切って一年一組総出で祝賀会が開催されることと相成った。
その行動力と些細な決め事さえイベントに転じてしまう律儀さは、なるほど流石は齢若い娘子らしい
「あはははっ、その言い方ちょっとおじさん臭いよ。ジン」
「? そうでしょうか」
「うんうん、ひののんはおっとなーって感じだねー」
「ちょっと老成しすぎかな」
「マジメくんって感じだもん。もっとリラックスリラックス」
「お前に足りないものそれは! 青春元気勇気道楽怠惰不真面目さ適当さ! そして何よりもぉぉおお若さが足りない!」
「は、精進致します」
『真面目だ!』
持ち寄った菓子類、飲料を手に手に、乾杯も済ませればあとは姦しく皆談笑に興じ始める。それの何と賑やかなこと。
上座の席に案内され、肩身の狭さを少年と共有する。
「うーん、でも正直俺、今回の結果は納得いってないんだけど」
「確かに、明白な決着とは行きませんでした」
決闘の第二試合。己と少年との一騎打ちは、結局互いのシールドエネルギーを削り切ること能わず、またエネルギー残量に関してもほぼ同量で時間切れを迎えた。ならばアリーナの使用申請を再度提出してから後日再戦を……とは、残念ながら為らなかった。
クラス対抗戦を近日に控え、いつまでも“クラスの役員決め”に時間を掛けていられないというのが一つ。
『「織斑一夏クラス代表やります!」と、元気一杯宣言していただろう。だからお前がやれ』
自薦票を重視する千冬嬢のシンプル過ぎる命令が下されたことが一つ。
そしてもう一つは。
「お隣、よろしいですかしら?」
「は」
不意に、花の香を嗅いだ。
顔を上げれば陽光めいて煌く金糸の髪。そしてターコイズブルーの瞳を細めて笑む少女が。
貴嬢セシリア・オルコット。カチューシャの色合いのみならず、蒼の印象を振り撒く少女は、小首を傾げてソファ席の己が隣を視線で示した。
断る理由もない。こちらが頷くと、彼女はその場で浅く膝を曲げてスカートの裾を軽く持ち上げる。所謂
少し面を食らう。その挙措の、あまりの自然さに。平素からそうした礼儀作法に触れ、また長く親しんでいる証左であろう。
ひどく静かに少女は腰を下ろした。
「改めて、クラス代表、副代表就任おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「おめでとうもなにも、あんたは勝手に降りただけだろ」
「一夏さん」
テーブルに頬杖を突き、我が身を越して少年は皮肉を放つ。
そう、あの日、我々の試合が終わった直後、彼女はクラス代表の権利を放棄。自薦そのものを辞退したのだ。
少女は細い眉尻を下げて笑みを浮かべる。それは紛れもなく自嘲であった。
「ええ、仰るとおりですわ。あれだけ大騒ぎして、結局責任も取らず務めからも逃げ去って。本当に恥ずかしく思います」
「ふーん、今日は随分しおらしいな」
「あー、そうそう私も気になってたんだ」
「オルコットさん、なんでクラス代表辞退しちゃったの? もう一試合はできたのに」
話の触りを聞き取っていたらしい周囲の女子生徒が数人、質問がてら軽食を運んでくる。
あと一試合。総当り戦なのだから、彼女と一夏少年が試合をし、その結果で以て結論を出してこそ公正と言えるだろう。
「いいえ。その必要はありませんでした」
「……それは」
「仁様とわたくしの実力差は、先の戦闘で確かめられた通り。そして貴方と一夏様の戦い振りを見れば……結果は明々白々ですわ。わたくしのブルー・ティアーズでは、お二方の機動力を捉え得ない。同時に、お二方の高速接近からブルー・ティアーズは逃げられない」
彼女は、自身の敗北の根拠を列挙していった。穏やかに、丁寧に。
木漏れ日のような柔らかさで微笑すら浮かべて。
「IS操縦技術の優劣――クラス代表を決める上で重視されるべき要素ですわ」
それは、代表の選定基準斯く在りきと、まさしく己が吐いた台詞だった。ぐうの音も出ないとはこのことだろう。
間の抜けた感心など抱いていると、横合いからまたも辛辣な色をした声が飛ぶ。少年は少女への不審感を隠さなかった。
「あんだけジンのこと馬鹿にし腐って、今更なんで掌返すわけ? 謝れば自分が言ったことは全部許されて無かったことになるとか思ってないよな?」
「自分は気にしておりません」
「俺は気にする」
「些細な行き違いでした」
「ジン……!」
「一夏さん、自分は」
「お止めになってください。どうか」
少女が立ち上がる。彼女はテーブルを回り、そのまま一夏少年の傍に歩み寄る。
真っ直ぐに少年を見下ろし、不意にその手を取った。両手で、宝物をそうするように、額に押し頂く。足は前後に交差させ膝を折る。
カーテシー。それも先程の略式礼法ではなく、より深く腰を落とし低頭する本来の型。王族に謁見を許された貴人が、敬いと畏れを示す為の最大級の礼であった。
彼女の振る舞いはやはり、
平身低頭のまま少女は言を次いだ。
「虫の良いことと理解しています。ですがどうか、お鎮まりください。わたくしの不義はどのように責めていただいても構いません。ただ、ただ、お二人が言い争うのだけは、どうか……」
「言い争いって……そんな大袈裟な話じゃない。ただ、ジンが頑固だから……」
「とんだご心痛を強いてしまいました……申し訳ありません、オルコットさん」
「いいえ」
立ち上がろうと腰を上げたところを、少女に視線で制される。
辞儀から居直り、彼女は一夏少年の隣に座った。
「一夏様のお気持ちは、わたくし解っている積もりですわ」
「?」
少女は少年に身を寄せる。腕を取り、自身の方へも僅かに引き寄せ、少年の耳元にその潤んだ唇を近付けた。
(大丈夫。わたくしは一夏様を応援しております。だって、こんなにお似合いなお二人ですもの)
(えっ!?)
少女は少年に何かを囁いた。しかし、己の位置からそれを聞き取ることは叶わず。
オルコットさんはこちらを見やり、悪戯気な笑みを浮かべる。
「まあ、仁様ったら。乙女の内緒話に聞き耳を立てるものではありませんわ。ねぇ? 一夏様」
「乙女って俺も含まれてるんだ……」
「ふふふっ、勿論」
謎めいた微笑で少女の顔は彩られた。先程からも感じたとおり、それは穏やかで柔らかな。
変わった。明確に何が、とは言えないが。以前の彼女には無かった余裕と本来在った優雅が変貌を与えている。
その理由を想像しようとした時、けたたましい音が響いた。見ればテーブルに2Lのペットボトルが乱暴に置かれている。
緑茶と印字されたラベルが歪むほど強く握り締め、こちらを鋭く見下ろす瞳。
「箒? どうしたんだよいきなり」
「ど、どうしたもこうしたも……近過ぎだ! お前たち!」
この場合の問い掛けとしては当然の、しかし絶妙に間を外した少年の物言いに、むしろ箒さんの方がたじろぎ赤面した。
とはいえ彼女の言い分も理解はできる。オルコットさんは今や腕を取るだけに止まらず、腕全体を抱え込み肩口に顎を乗せ、少年の小作りな耳に唇を寄せている。
近い。それはもう、大胆なボディタッチで。
あわあわと慌てふためく箒さんに比して、オルコットさんは我関せずとさらにその身を摺り寄せた。
「ちょ、くすぐったいって」
「お嫌かしら。もしそうなら振り払ってくださって結構ですわ」
「っっっ!?」
「箒さん、御気を確かに」
驚天動地に戦慄き、今にも跳び掛からんばかりの剣幕。実際にそうせぬ彼女の忍耐力は称賛されるべきだろう。
無理もない。彼女もまた、乙女なのだから。
「仁様」
「は?」
呼ばれ、声の方を見やると同時。頬に触れられる。
細く、しなやかできめ細かな、冷えた指が頬骨、笑窪、鰓骨を撫で下ろす。そうして顎を微かに引かれるような感触を覚え、その微力に従った先には少年の顔。
「仁様が見るのはこちらの方。移り気はいけませんわ」
「移る、とは」
「ふふ」
またも微笑が問いを煙に巻く。
本当にどうしたことか。先日から、彼女の心境に一体どのような変化が齎されたのだ。
原因は一つだろう。先のIS模擬戦闘の後、管制室で彼女は酷い取り乱し方をしたのだと、山田教諭より聞き及んでいる。あの戦闘が彼女の心情に穏やかならぬ影響を与え、現在の大胆不敵な行動を為さしめているのだ。
己の不徳がまたしても、他者に異変を招いたのか。
「はいは~い、イメクラよろしくイチャついてるとこ悪いけど、新聞部部長の黛でっす。新進気鋭、噂の男子生徒のお二人さんにインタビューいいかな」
「イメっ……!? なん、破廉恥な!」
「心外ですわ。わたくしはただお二方との親交を深めているだけですの」
「ん~? なあジン。いめくらってなんだっけ。キャバクラと似たようなやつだっけ?」
「女性が接客を担当するという点以外、全くの別物かと。一夏さんにとって、あまり必要な知識でもありません。早々にお忘れください」
新聞部の報道員を名乗る少女は、首から提げたカメラで特に断りも得ずシャッターを切る。
外聞の宜しい体勢とは言い難い現在、この場を画像として保存されるのは非常に遠慮願いたいのだが。
「あー、同じ構図だけだとちょっと……じゃあ代表候補生さんと男子二名で並んで立って、こう友好の印の握手って感じで」
それをプロ意識とでも呼べば満足してくれるのか。
言われるまま立ち上がり、一夏さん、オルコットさん、己の順に三人で並ぶ。
「あ、一夏様。御髪が乱れていますわ」
「え、ああ、いいよこれくらい……」
「い・け・ま・せ・ん。誰か、櫛をお持ちの方は?」
「は~い、あたしの貸したげる」
「どうもありがとう」
借り受けた櫛を使い、少年の髪を彼女は丁寧に梳る。
「綺麗な黒……ふふ、手触りもビロードのようですわ」
「んんっ、なあもういいだろ」
「そら、本人がもういいと言ってるぞ!」
「きちんとお手入れはなさっていて? こんなにお美しいのに勿体無いですわ。それに」
箒さんの抗議もなんのその。手付きも鮮やかに、櫛歯は少年の濡れ羽の髪を滑り続ける。
粗忽者の己には彼の髪は変わらず整っているように見えた。女性の審美眼あればこそ、詳らかに乱れを発見できるのだろう。
(男性とは得てして美しい髪を好むものでしょう?)
(俺は、別に)
(じゃあ仁様はどうかしら)
(!)
(きっと、お喜びになりますわ。ですから、ね)
(……うん、分かった)
なるほど。梳き終えた彼の髪は確かに、先程よりも艶が増しその黒をより美麗に見せていた。
「仁様は黒髪がお好きのようですわね」
「はい?」
「そうですね?」
優美に謎めくばかりだった彼女の笑みが今こそは明確な色を放つ。
有無を言わせぬ意志。
「……は、好ましく思います」
「ほら! 言ったとおりでしょう」
「……えへへ」
何故か頬を赤める少年の、けれど喜びの滲むその表情を見てしまえば。
もはや己が
「はい、じゃあ撮りまーす」
「仁様、一夏様。お手を」
「は」
「ん」
差し出した手で一夏少年の手を握ると、少女は自身の手でそれらを丸ごと包み込んだ。しっかりと手放さぬように――逸れてしまわぬように。
「?」
その瞬間の、彼女の笑みは。
「日野君日野君、目線はこっち」
「は、失礼を」
シャッターの電子音が鳴る。
一枚に区切られた画の中で、果たして少女はどのような貌をしているのだろう。