織斑姉弟(へ)の献身   作:足洗

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親孝行(病)




26話 真実の

 祝賀の席も一段落。持ち寄った物の片付け掃除も大方済んだ矢先のこと。

 

「そうですわ!」

 

 目を輝かせてオルコットさんは両手を打った。それこそ名案を思い付いたといった様子で。

 

「髪のお手入れの仕方、是非このセシリアにお教えさせてくださいな」

「え? あ、あー、うん、えと……教えてくれると、その、助かる」

「では今晩にでも」

「今晩!?」

 

 打てば響くの姦しき娘子よ。

 申し出に応じた手前引っ込みも付かず、また格別に断る理由も少年には無かったらしい。

 戸惑いに頬を掻きながら、ふと何かを思い付いたような表情の動き。

 

「なら、ついでに夕飯食べてくか?」

「へっ」

「ジンもいい?」

「勿論です」

 

 今度は逆に、オルコットさんが目を丸めて驚いた様子。無論、彼女の意に沿わぬなら無理強いなどすべきではないだろうが。

 次の瞬間には、少女は華やぐような笑顔を見せ、こくこくと頷いた。

 

「はい、是非ご一緒させていただきますわ!」

 

 色濃い喜びを滲ませて無邪気にはしゃぐ。先の貴種然とした振舞いとは正反対の、年相応な反応が微笑ましい。筋違いな安堵すら抱く。

 少年もまた笑み、そのままもう一人の少女へと振り返った。

 

「箒も来るだろ」

「っ、私も、いいのか……?」

「当たり前だろ」

 

 言葉通り、反問する少女こそ可笑しいとばかり。少年は笑う。

 まさしく幼馴染らしい気安さであった。

 ふと、その時。

 

「…………」

「? オルコットさん」

 

 己が背に手が添えられた。オルコットさんの細く、華奢な指。肩甲骨をやや撫でて下がり、最後は制服の裾を握る。

 そうして初めて、彼女は自身がこちらに触れていることに気付いたようだった。はっと手を放し、大きく宝珠めいたそれが伏し目になる。

 

「ぁ……ごめんなさいまし」

「いえ、それよりもどうか」

「ジン、そろそろ行こう。夕飯の準備しなきゃ」

 

 そう声が掛かるや視線を外された。少女はそれ以上の詮索を望まぬようだ。

 気懸かりではあったが致し方もなし。

 少年に向き直る。

 

「念の為、千冬さんへ確認を取られてはどうでしょう」

「あ、そっか。千冬姉ってば相変わらず不規則だからなー」

「……」

「……」

 

 

 

 

 

 

 学園内には購買店の他、必要な生活雑貨や食料品を販売するスーパーマーケットが営業している。一学校施設にそのようなものが、と当初は驚いたがIS学園の規模や全寮制という点を考慮すればあって然るべき、いや無くては困るのだ。

 生鮮食品の入手が出来るとあって、一夏さんも大層喜んでいる。

 必要な買い物を済ませ、例の仰々しい扉を潜って自室へ帰還した。

 

「これは、その……」

「……こう言ってはなんですが、露骨な依怙贔屓ですわね」

「返す言葉もありません」

「あー、やっぱこんな内装この部屋だけだよな……」

 

 部屋の有様に少女二人は唖然としている。おそらくは自室のそれと思い比べてのことだろう。

 学生が住まうには過ぎた豪奢だ。初日の大騒ぎを思えば多少は慣れてもきたろうか。

 

「けれど素敵なお部屋ですわ。世界にたった二人だけの男性IS操縦者に対して当然の配慮でしょう」

「そう言っていただけると」

「ですがどうも手狭ですわね。特にクローゼットなど、これではすぐ衣装が溢れてしまいますわ。日本政府も気が利かないこと……」

「……」

 

 他意は無いのだろう。さらりと零れた苦言を邪推すれば、彼女との私生活における経済的認識の差が思い知れる。

 この部屋をして手狭とは。

 

「じゃ、支度してるから三人は適当に寛いでて」

「私も手伝う」

「え? 別にいいのに」

 

 買い物袋を手に一夏少年と箒さんはキッチンへ入っていった。

 後に残され立ったままの客人に気付き、一先ずオルコットさんにソファを勧める。

 少女は目礼して楚々と腰を下ろし、そうして自身の左隣を手で示す。

 

「隣に、いらしてくださいな」

「は、では失礼します」

「ふふふ、どうぞ遠慮なさらないで。だってここは仁様達のお部屋ですもの」

「そうでした。やはりどうにも、分不相応な部屋構えに身の置き所を見付けあぐねております」

「本当に生真面目な方」

 

 口元を手で隠し、くすくすと笑う。些細な所作にさえ気品が伴っていた。

 

「仁様と一夏様は」

「失礼。一つよろしいでしょうか。その、様付けなど無用に。自分はそのような尊称を賜るほどの人間ではありません故」

 

 言を遮る無礼を押して訂正を求める。

 彼女が己と一夏少年をそう呼ばわるようになったのはやはり、先の決闘以来のことであった。疑問は尽きないが、それはそれとして過分には違いない。

 しかして、少女はこちらの申し出に肯いてはくれなかった。優美に首を振り、目を細める。

 

「わたくしにとって、それだけの価値と意味が貴方様方にありますの。何も過分などありません」

「それは……」

「仁様と、わたくしがお呼びしたいのです。けれど……ご不快な思いをされるなら仕方ありませんわ。無思慮なセシリアをどうかお許しになって」

 

 顔を伏せ、哀しげにそのようなことを言われればもはや勝ち目もない。

 頭を下げるのはこちらの方だった。

 

「滅相もありません。御心遣いに感謝こそすれ、不快だなどと。了解しました。オルコットさんが望まれるなら、如何様にでもお呼び立てください」

「ありがとうございます。お優しい仁様」

 

 頭を上げて見やった彼女は、それはそれは輝くような笑顔であった。哀切滲む先の声色が嘘か幻の如く。

 柔よく剛を制すとはよく言ったもの。こうした情感の機微を扱う上で、女生たるオルコットさんに己が敵う道理はない。

 

「……どうぞ、ご質問の続きをお聞かせください」

「はい♪」

 

 気を取り直す意味も込めて、先を促す。

 

「仁様と一夏様は、とても仲が良くていらっしゃるのね」

「良くしていただいております。もう随分と昔から」

 

 こうして懐かしむほどには、長く関わり付き合ってきた。彼とそして彼女、織斑姉弟とは。

 

「やっぱり。とても永く、深い関係のように見えました。わたくしが仁様に無礼を働いた時の、一夏様のあのお怒り。生半のことではありませんでしたわ」

「自分の気配りも言葉も足りずあのような仕儀に至り。オルコットさんにも御迷惑をお掛けし、誠申し訳ありません」

「そのようなこと……!」

 

 一瞬だけ高まったその声を抑え込み、少女は深呼吸一つで精神を整えた。

 眼差しが、ひどく真剣な光を宿す。

 

「どうかお笑いに、ならないでください」

「は」

「仁様は、仁様を見ていると、わたくしは……父を思い出すのです」

 

 端々に掠れどもる。羞恥に耐えるように彼女は声を絞り出した。

 

「わたくしのこと、なにより一夏様をお許しくださる貴方が、どうしても父と重なって……」

「そう、ですか」

「ご、ごめんなさい。突然こんなことを聞かされてもお困りになるだけって、分かっていましたのに」

 

 少女は自嘲して笑う。

 己はといえば、愛想笑いすら浮かべられずただ彼女の言葉を反芻するばかり。

 

「光栄です。いえ、勿体無きご評価と存じます。自分如きと御尊父を引き比べていただくなど……」

「とても優しい人でした。優し過ぎて自分のことを顧みない……仁様と同じように」

 

 今一度こちらを見て少女は微笑み、そうしてその瞳は虚空を見詰めた。遠く、果ての無い場所を眺めるように。

 

「自分が傷付くことも構わず父は無償の慈しみを母に注いでいた。幼いわたくしには、父の()()が何なのか理解できなかったのです。けれど、仁様と一夏様を見て気付けた。ようやくソレを理解できた。今更に……だからきっと、父は最期まで母に寄り添い続けたのでしょう」

「…………」

「ソレこそが愛情だった」

 

 まるで唄を口ずさむように締め括り、吐息を零す。

 彼女の両親が今どこにおわすのか。それを尋ねるような愚を犯さず済んだのだけが、幸いだった。

 そのまま黙っていれば良いものを。しかし己が口は、どうしても要らぬことをほざくのだ。

 

「――御尊父と御母堂は、とても深く、深く愛し合っておられたのですね。だからこそ、貴女のような立派な御息女を育てられた」

「ぇ……」

 

 彼女をこそ愛の結晶と言わずなんと言う。強い意志、自負と矜持を以て艱難に立ち向かう勇ましさ。なにより、彼女は自らの驕りを見詰め戒めることができる。貴種たる資格を持った御人だ。

 

「貴女の聡明さと想い遣りは、御両親からの賜り物なのでしょう。本当に素晴らしい方々だったのだと、理解できます」

「っ……ありがとう、ございます」

 

 少女の声は僅かに震えていた。

 浅薄な推し量りで、知ったような口を利いてしまった。彼女に不快感を与えていないものか、それだけが気懸かりである。

 

「……仁様、もう一つだけお聞かせください」

「はい」

 

 屹度、少女の瞳が己を捉える。瑞を湛えて揺れ動く蒼。それでも我が身を射抜く光は脆弱さとは無縁のそれであった。

 

「仁様にとって、一夏様はどのような存在ですか?」

「一夏さん、ですか」

「はい、どうかお答えを」

 

 瞳の強さに比して、声はまるで縋るような必死さで響く。

 

「……掛け替えのない人です。何を以てしても補うことのできぬ人です。唯一無二の、ただ一人です」

 

 いや、代えの利く人間などというものはこの世の何処にも居はしない。誰にとっても其の人物は唯一無二。故に己のこの回答は不完全と言えた。

 言葉にするには難しい。かの少年、かの女性との交わりは。

 オルコットさんはなおも問いを重ねた。もっと深く、その先を知りたいのだと。

 

「大切な人? 一番重く、深く、貴方の心に住まう人? 誰よりも、何よりも……愛している人?」

「はい、そう思います。ただ……それらの表現が最適確かどうか、未だ定められずにおります」

 

 言葉にせねば伝えることはできず、形無く浮かばせて置くには危うく頼りない。しかし、言葉にすればするほどに真意から遠退いていく。

 厄介だった。悟の境地より遥か遠い蒙昧の地平を歩く己には、どうにも。

 

「ではもし、もし……どうにもならない。絶対不可避の死を目の前にしたとして、仁様は一夏様と、()()()()()逝かれますか? 死を……共にできますか?」

 

 その言葉を少女は凄まじい勇気を振り絞り紡いだのだと、愚鈍な己にすら理解できた。そして、彼女が何を、誰を想い描きながらにそれを口にしたのかも。

 

「……」

 

 己の姿に父君を重ねる彼女に、せめて彼女が想う、父親らしい答えを差し出したい。しかし、それは誠意ではない。そこに少女の望む真意はない。

 己には。

 

「できません」

「…………」

 

 一瞬、全ての音が遠ざかる。衣擦れ、息遣い、鼓動さえ沈黙という無に食われた。

 無音には、しかし色彩がある。一色に定着しない、混濁を続ける未完成の感情。少女の、困惑。

 

「……それは、何故ですか」

 

 反問は重く、己の解答が彼女の予想とは違ったのだと知れる。

 少女は膝の上に握り合わせた両手に視線を落としている。故にその表情は窺えない。

 それでも彼女を見据えて、腹腔にある我が意志を吐露した。意志……否、我が欲望を。

 

「自分は、織斑一夏の生存を諦められない」

「えっ」

 

 絶対不可避の死。絶体絶命の窮地。己は一度、そこに立ったことがある。

 退くことは即ち、少年の生命を危ぶむ事態。その段階で逃走・撤退という選択肢は潰えた。あるのは戦い、抗う決意。

 身命を賭して立ち向かい……そして敗れた。あっさりと。

 それでも、死を目前にしてなお欲望は絶えず、闇に沈み逝く魂は叫び続けた。

 

「たとえ(かいな)()がれても、たとえ臓腑を抉られても、受け入れることはできなかった……」

 

 故に、冥府への泥道で足掻き、無様にもがく己に、かの大天才が気紛れに落として下さった奇跡を己は一生涯忘れることはない。

 

「愛する人と寄り添いながら、心穏やかに死を迎える……どれほど強く深い絆がそれを為し得るのか、己如きには想像だにできません。それこそが成熟し、完成した夫婦愛なのでしょう」

 

 己がその真理に行き着くことはあるのだろうか。

 どこまでも生き穢いこの己に。

 

()()()できません。何をしてでも、彼の生存を実現する。我が身の骨肉一片全て使い潰してでも……あの子に生きて欲しい」

 

 独善(ひとりよがり)。所詮はこの二字に集約される。

 

「これが己の欲望(のぞみ)です。申し訳ありません、オルコットさん。自分は貴女の御父君のようにはなれない」

 

 この謝罪が正しいのかも分からない。全く見当違いも甚だしいことを己は滔々と(のたま)っていた可能性すらある。

 少女の様子を窺う。彼女はやはり、膝の上に視線を落としたまま――不意に顔を上げた。

 蒼の宝石、その両瞳から涙が零れ落ちた。一筋、二筋、幾重にも幾重にも流れ落ちる。

 

「! オルコットさん、如何され」

「っ、あぁっ、やはり、わたくしは、間違っておりませんでした……!」

 

 彼女は己の右手を取り、頬に添える。暖かな雫は湧水のように止め処なく、無骨な我が手を濡らし清めていく。

 涙を湛えた少女は、だのに微笑した。それはそれは嬉しそうに、美しい顔を綻ばせた。

 

「嬉しゅうございます、とても、とても」

「オルコットさん……」

「セシリアと、お呼びください……呼んで、お願いです」

 

 潤む瞳が懇願する。それは彼女に出会ってから初めて見る、幼さで。

 

「……セシリア」

「っっ! はいっ、仁様……!」

 

 結局、一夏少年らが戻るまで少女は涙を流し続けた。笑みを浮かべ、その喜びもまた溢れさせながら。

 毅然と独り立つ少女はそこになく、それはきっと、彼女の昔の姿。無邪気に迷い無く、両親に甘えることを許された頃。

 貴種ではなく、代表候補生でもない。オルコット夫妻の愛娘――セシリアという一人の少女だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 薄暗い自室で、床に腰を下ろしベッドの縁に背を預けてどれほど立ったろう。胸に渦巻く感情を制御できない。抑えは利かず、ただ耐えるようにじっと動かず沈静を待つ。

 けれど苦痛ではなかった。それは全く対極の感情だった。

 

「……っ」

 

 唯一無二の正しさなど無い。そう学んだ。思い知ったのに。

 

「仁様っ、貴方はなんて、なんて……!」

 

 真実(ほんとう)の愛。そんなものを夢想してしまう。

 あの御方の在り方、思想、覚悟を垣間見てしまったから。

 純粋で、苛烈で、繊細であるのに強靭な心。その全てを捧げる気なのだ。少年に、あの方は。

 

「あはは、ふふ、んふふふふふ、あぁ、あぁっ! なんて素晴らしい。なんて美しい……! どうして貴方様はそうなの? どうしてそんなにも愛おしいの? とても健気でひどく頑なでどこまでも慈悲深いだなんて……」

 

 自分の理想が魂を宿し、人の形を成したかのような人。

 求めたものが像を結び、自身に触れ、名を呼んでくれた。もう二度とは得られないと諦めた全てを与えてくれた。

 あの方こそ、あの方だけが。

 

「はぁ……お父様、お母様、どうか見ていてください。セシリアはきっと、(おとう)様と一夏(おかあ)様を幸せにしてみせますわ」

 

 それが、遺された自分にできる唯一の親孝行だから。

 

「為し遂げてみせます……何をしてでも」

 

 端末を立ち上げ、画像を呼び出す。

 今日撮影してすぐにデータを貰い受けた。

 自分と両隣に立つ()()の姿に喜悦が湧く。

 そして、その端に映り込んだモノを見て取って、すぐに画像編集機能を立ち上げ右側2cmほどを切り取った。

 

「その為に、邪魔なものは取り除かなくてはいけませんわ」

 

 篠ノ之箒……あの少女は目障りだ。しかし重要度は低い。ほんの些事であり暫らくは放置しても問題ないだろう。

 最大にして最強の障壁は別にある。

 

「織斑千冬……」

 

 一夏(おかあ)様と同じほど旧く、永く(おとう)様と親交する女。

 不要。不要。不要。どう考えを巡らせても結論は同じ。夫婦は二人で一つ。あれは邪魔だ。とてもとても邪魔だ。

 しかしあれを排除するのは生半のことではない。

 

「はあ、お優しい仁様。でもいけませんわ、その慈愛は一夏様にだけ向いていればいいのです」

 

 大丈夫。心配しないで。すぐに思い直させて差し上げる。

 

「わたくしにお任せください。セシリアはきっと、お二人を幸せに致します。ええ、絶対に」

 

 

 

 

 

 

 

 

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