織斑姉弟(へ)の献身 作:足洗
純粋なホモ展開を期待された方がもし居られましたらごめんなさい。
第二回モンド・グロッソ優勝決定戦目前でその一報は届いた。
『日野仁が重態で緊急入院。某国工作員による誘拐およびテロ活動の痕跡あり』
端的な事実を脳が知覚した瞬間、他の全ては些事となった。ISスーツのまま待合室を出る。
慌てふためく会場スタッフ、遠く響く歓声、上役も何人か頭を下げに来ていたが、それら全てを無視して進む。向かうべきフィールドを背にして一路この祭典の出口へ。
中でもマネージメント担当とかいう女が特に執拗に己を引き止めようとしていた。
「弟さんは無事です。怪我をしたのはその友達だけですから織斑選手が出向かれる必要は……」
ソレの首を掴み取り、近場にあった壁に叩き付けた。
静かになった。
ISを展開。スラスター最大出力。
ものの五分で大会開催国の防空圏を脱した。それは同時に、無許可で他国の防空識別圏および領空を侵犯するということだが。
そんな不届き者に対してすぐさま警告の通信が雨霰と送り付けられてくる。網膜投影された小五月蝿いホログラムを目の端へ追いやり、衛星電話を立ち上げた。登録済みの番号一覧から選び出したのは親愛なる憎き天災。
コール音が発したと同時に繋がった。
『もすもすベヒモス貴女のお耳の恋人束さんだよぉ~ん!! うわわわわちーちゃんからのお電話なんて何ヶ月ぶりだろ!? 着信の名前見ただけでモノアミンな物質が今束さんの脳内をドバドバ駆け巡ってるよー!! どんな薬物も所詮は愛という麻薬の前には無意味無味無臭なんだね!! そんなちーちゃんにもハイ! 束さんの愛をお届け――――』
「各国の管制塔、監視衛星に対してこの機体の目眩ましを。それと私の渡航記録を改竄してくれ」
『いいよー。でもいいの? モンド・グロッソだっけ? 次で優勝なんでしょ? 大会とかぶっちゃけどーでもいいけどちーちゃんの祝勝パーチーなら例のランド乗っ取って盛大にやろうと思ってたのに』
「頼む」
『ハイヨロコンデー!! ちーちゃんの頼み事なら地球の自転だって逆回しにしちゃうぅぅうう!!』
通信を切り、
エネルギー残量と気象条件、現在地から彼の入院する病棟までの最短距離を算出。限界最高速で飛翔する。
到着したのは日没前。襲撃から丸二日は経過したことになる。
腸が煮えた。噛み締めた奥歯が軋む。あろうことか、事件発生直後に即時織斑千冬へ送られてきていた筈のこの事実を、大会主催陣および関係各所は隠蔽していたのだ。
選手の心身保護? 祖国の威信? 第一回優勝者としての責務?
己を引き止める為に羅列された御大層な理屈を思い出し、吐き気を催す。そんなものの為に、そんな下らないものの為に、私は。
病棟の屋上へと降り立ち、ISを除装。非常階段を下る。フロアを二つ下り、扉にISの演算装置を繋ぐ。一般の病院が使う電子ロック程度容易に開錠できた。
廊下を進む。逸る足を自覚しながら。
701号室。ここだ。ここに彼が。
躊躇なくスライド式の自動ドアに手を翳した。空気の抜ける軽い音と共に、室内が露になる。
窓から差し込む茜に染まった病室。その窓辺に一床のベッド。傍らのパイプ椅子には、少年が一人座っている。
「……」
最愛の弟は、ベッドに向かって項垂れたまま動こうとはしなかった。
歩み寄り、その肩にそっと触れる。ひどく緩慢に少年は振り向いた。今の今まで己が室内に入って来たことにさえ気付いていなかったらしい。
頬や額にガーゼを当てられ、両手は包帯を巻かれている。光のない瞳、生気の抜けた
赤く腫れた目元。それがゆっくりと見開かれ……黒い瞳が濡れて歪んだ。
「千冬、ねぇ……!」
「遅くなってすまない……一夏」
「っ!」
パイプ椅子を蹴倒して、少年は自身に縋り付いた。胸が熱い。少年の涙と激情が、濁流となって流れ込んでくるようだ。
「ごめん、ごめんなさいっ、俺……俺、ジンのこと、助けられなくて……ジンが俺をかばったから、俺の所為でっ……!!」
「ああ、わかってる。わかってるから」
しゃくり上げ、嗚咽する少年の背中を擦る。肩は凍えたように震え、涙ばかりが熱を持った。
「俺が逃げたから!! ジンは…………っ!」
「お前が悪いんじゃない、お前の所為なんかじゃない……あぁ、一夏」
己が知り得る筈のないその時の光景が、まざまざと目に浮かぶ。
織斑一夏の危難を、日野仁が看過できる訳はないのだから。その瞬間に賭すことの叶う全てで、彼は一夏を救おうとする。命すら、使い潰して。
なるべくしてなった。いつかは訪れた結果だ。
私達は……望んでなどいなかったのに。
「っく……あぁ、う、ぁあぁぁぁあっ、あああああ……!!」
嗚咽は喘鳴を伴い、いつしか悲痛な叫びに変わる。
それを受け止めるようにもう一度、強く弟を抱き締めた。
ベッドで眠る男の顔はひどく安らかだ。少年の激情が止むまで、私はずっと彼を見ていた。片時も目を逸らさず、ずっと見ていた。
『堅物め。少しくらい気を許してくれてもいいだろうに』
『……隔意などありえません。自分は、貴女のような方と出会えたことに感謝しております』
『っ……一々大仰なやつだ。なら、その「織斑さん」はいい加減やめてもらおう。“隔たり無し”の言葉に偽りが無いならな』
『了解しました。では、千冬さんと』
『及第点、ということにしておいてやろう』
『有り難く』
『ふふっ、ばーか』
不意に意識が浮上する。身動ぎするとパイプ椅子が小さく悲鳴を上げた。
いつからか眠っていたようだ。
「……ふぅ」
懐かしい夢を見ていた気がする。内容などすぐに頭から消え去って、何一つ覚えてはいないが。
蒼い光が室内を満たしている。夜空の群青が月明りによって希釈され、純白ばかりの病室が今や蒼一色に染まっている。
ベッドに視線を移す。
大きな男が横たわっていた。左目は眼帯と包帯で厚く隠され、僅かに覗く肌もまた至る所に包帯を巻かれている。それこそ、その傷の深さを物語って。
その左隣に一夏が寄り添い、静かな寝息を立てている。まるで失われたものを自らで補うかのように。
少年の、一夏の黒髪に触れる。暫らく見ない間に肩口に届くまでになった長髪は、いよいよ彼を女のように見せていた。もともと中性的だった顔立ちが、ここのところは特に女性的な変化をしているように思う。
あどけない寝顔。目尻の涙の痕が胸を衝いた。
パイプ椅子を立ち、ベッドの反対側に回る。暫時、男の顔を見下ろして……ゆっくりと彼に覆い被さった。
「なぁ、ジン」
耳元で囁く。応えなど返らないと知りながら。
それでも伝えたい。
「私は」
この想いを。この感覚を。この――薄暗い欲情を。
「私は今、とても幸せだ」
心からの言葉を、あなたに伝えたい。
「ここには私と、一夏と、お前がいる。私達だけが」
彼の傷を思う。彼の喪失を思う。彼の献身を想う。
それら全てが、どうしようもなく愛おしかった。
だから。
「お前は私の……私達のものだ。私達
渡しはしない。奪わせはしない。お前の血肉骨子一片たりとも、もはや、絶対に。
「誰にも」