織斑姉弟(へ)の献身   作:足洗

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ヤンデレもので書いてて一番楽しいのは女の子がキレてるときなんやなって。




31話 嘘

 春もそろそろ半ばを過ぎたろうか。温い夜風は熱を上げる身体を冷やしてはくれなかった。

 凍るような冷気が欲しい。ぐつぐつ煮える身体の中身、その全部が凍って固まり何も感じなくなるくらいの。

 どれくらい走ったろう。寮舎はとっくに見えなくなって、今はアリーナ近くの煉瓦道を歩いている。街灯の乳白色の光の下を何度も通り過ぎ、より人気のない場所を探した。

 気分は最低だった。

 

 ――変わっていないと、思ってた

 

 それは私の単なる希望だった。

 あの“事故”。タンクローリーと衝突しそうになった一夏を仁が庇った。そうして彼が昏睡状態になってからの一年間を私は知らない。きっとその間に、ずっと育まれていったんだ。

 少年の胸の奥、もともと芽吹いていた想いが、花開いて結実して完成した。

 一夏は仁を深く愛している。何も、どんなものも寄せ付けないくらいに強く、(つよ)く。

 

「どうしろっていうのよ……」

 

 一夏が好きだ。

 独りだった私を日の当たる場所まで引き上げてくれた。私の居場所になってくれた。そして、理不尽な悪意と暴力から守ってくれた。

 それが、どんなに、嬉しかったか。どれだけ心が救われたか。

 

『イジメとか差別とか横暴とか理不尽とか、ジンなら絶対見過ごしたりしない。ジンならきっとこうするから……!』

 

 その動機が、“誰か”への憧れでも構わなかった。

 それどころかきっかけをくれた“誰か”には感謝すらしている。

 仁は好きだ。堅物で糞真面目で謙虚過ぎるくらい謙虚な気遣いの鬼。でもその生き方を他人に押し付けない。ただただ穏やかで優しいあの大きな男が、とても好ましかった。

 大切な友達。その評価は一生揺るがない。

 今でも……。

 

「最低なのは、私か」

 

 嘲るような音色の失笑が鼻を抜ける。好きな相手を取られた……そもそも見向きもされていなかったけど……それで掌を返すのだから、よくも大切な友達なんて言えたものだ。

 どうすればいいのだろう。

 胸に灯った、灯ってしまった、この憎悪。大切な友達、友達に私は。

 

「ホント、どうしたらいいのかな……」

 

 気付くとそこはIS研究棟の傍、おそらくは研究員向けの野外休憩スペースだった。

 脱力するようにしてベンチの一つに腰を下ろす。夕方というには遅く、夜半というには早過ぎる。中途半端な時刻な為か、周囲は驚くほど静かだった。

 項垂れたまま、ただ時間が過ぎるのを待つ。一夏は勿論、仁とも、今は顔を合わせたくない。

 ほとぼりが冷めたら何食わぬ顔をして戻ればいい。何もなかった、何もしなかった、何も変わらない、そう言い聞かせて。

 その方が心は楽だ。

 何年経っても消えなかった想いに欺瞞(ウソ)の蓋をして諦めの封をする。晴れて明日から一夏と仁と私は友達に戻れる。あの頃と同じ、楽しい学校生活が幕を開ける。

 

「……っ、ぅ、く……」

 

 鼻の奥に痛みを覚え、目元がかっと熱を持つ。

 泣きたくない。絶対に、泣くもんか。

 大きく息を吸い込んで、溢れそうになるものを誤魔化した。

 顔を洗おう。冷たいシャワーを浴びれば、元通りになる。

 戻ろう。そう考えた時だった。

 

「何をしている、凰」

「っ!」

 

 刃を押し当てられたかのような、そんな質感の声が頭上から降ってくる。身構える暇さえなく、肩が跳ねたのを最後に身体は固まってしまった。

 数秒掛けて、おそるおそる顔を上げる。

 そこには声同様の印象を放つ、見知った女性が立っていた。

 怜悧な目、それ以外は一夏とよく似た、いやもはや瓜二つといっていい美貌。織斑千冬。

 ダークスーツ姿が、街灯の光さえ斬り裂いて空間に刻まれているようだ。

 

「夕食は織斑、日野と取る。そう連絡を受けていた筈だが」

「……」

「だんまりか」

 

 そう言って千冬さんは薄く笑みを浮かべる。咎めるような気色はなく、どこか面白がってさえ見えた。

 昔からこの人が苦手だった。冷静で冷徹で、自他共に厳格さを強いるところが。なにより、非の打ち所なくあらゆる物事をこなしてしまう完璧さが。

 自分だって人より優れた部分を一つ二つは備えているかもしれない。しかし、そんなもの鼻で笑えるほどの能力と才覚をこの人は持ち、また使い(こな)している。それこそ、超人と言っていいレベルで。

 気後れとか、劣等感とか、近しい表現は幾つか浮かぶが、この苦手意識がどこから来るものなのかは未だによく分からない。

 

「し、消灯時間までには、戻りますから……」

 

 軽く言い淀みながらにそれだけ口にできた。そして言外の意図をこの人が読み誤ることはない。

 我ながら、恐いもの知らずな物言いだ。あの織斑千冬に向かって『何処かへ消えろ』と言っているのだから。

 

「そう邪険にするな。生徒の悩みを聞くのも私の職分だ」

 

 千冬さんは気分を悪くするでもなく、むしろより一層笑みを深めた。

 そのまますとん、とベンチの隣に座ってしまう。

 尤もらしい言い分だが、今はひたすら迷惑だ。その上、今のこの気不味さといったら一夏と二人きりの時とは桁違いなものがあった。

 そうした思いが態度にも表れていたのだろう。千冬さんは肩を竦め、くすくすと笑った。

 

「酷い顔だ。辛いなら泣いてしまえ。多少は気が晴れるぞ」

「別に、辛くなんてない、です……」

「周りに憚らず泣き喚けるのがガキの特権だろうに。何があった?」

「…………」

 

 言える訳がない。

 ついさっき、貴女の弟さんと盛大に――

 

「失恋でもしたか」

「――」

 

 心を読み取られた。もしくは考えていること全部を口に出していたのか。

 そんなことを本気で心配するほど、核心を貫かれた。

 

「……おいおい、本当か? まさかと思ったが……はぁ、すまん。無思慮な物言いだった。謝罪する。私はどうも、昔からこれだ。こういうところが粗忽でいかん。いかんなまったく。許せ、凰」

「……いえ」

 

 千冬さんは大袈裟なくらい謝罪の言葉を並べ、最後は頭まで下げた。

 確かにデリカシーに欠ける言い様だったけど、これは自業自得、自分が招いた結果だ。いや、確かめる余地もなく結果を見せ付けられた、という方が正しい。

 

「相手は……まあ織斑か。足掛け四年とはまた、随分と長く患ったな」

「……」

「気付きもしなかったろう、あの鈍ら頭。そうでなくとも思春期真っ盛りのガキならもう少し色気づいてもよかろうに。あぁそれとも……()()()()()から、か?」

「っ……!?」

 

 息が詰まる。そのほんの一言が、心臓を握り潰した。

 浅い呼吸をなんとか抑え付けて奥歯を噛み締める。私は何を堪えているんだろう。こんなにも何を恐がっているんだろう。

 謝罪を口にした、その舌の根も乾かぬ内に織斑千冬は踏み込んでくる。今、一番触れてほしくないそこに、土足で。

 

「あいつは何と言っていた? 私の愚弟は」

「な、なにって……それ、は……」

「言いたくないか。そうだろうな。なら、当ててやろう」

 

 甘く、熱く、潤む。その囁きは耳から浸透して脳を蕩けさせる。考える力を奪い去る麻痺毒。

 他者を魅了する美しい容姿(カタチ)をした女の声は、やはり美しい色艶をしていて、どうしてもどうしてもどうしても拒めない。

 耳を塞ぎたい。聞きたくない。心はこんなにも拒絶しているのに。

 その綺麗な悪意は、私を虜にする。

 

「ジンの他には何も要らない。何一つ」

「――――」

「一夏が……私達が望むのはあいつだけだ」

 

 顔を上げられない。隣に座る人が誰なのか、わからない。

 ただ、今その人がどんな貌をしているのかは、はっきりとわかる。

 喜悦(よろこび)の笑顔。とてもとても嬉しそうにこの人は笑っているのだ。

 

「あいつは一夏の為にその身を捧げてくれた。凶手を前にして己が身命を慮外に打ち捨ててただ一つ一夏の生存だけを願い求め全身全霊を使い切り……そして為し遂げて見せた」

「え……?」

 

 満足に働かない思考回路が、それでも聞き逃せない言葉を捉えた。

 凶手?

 

「うん? ああ、そうだった。一応機密なんだが、あれは事故ではない。ある非合法組織が私との脅迫的コネクションを築く為に織斑一夏を略取しようとした。ISまで動員してな。国内で所属不明ISの不正運用、どころか明らかな戦闘行動だ。表沙汰に出来る訳がない。当然強固な情報統制が布かれた。お前が聞かされたのはそのカバーストーリーだよ」

 

 まるっきり世間話の体で衝撃的な事実を列挙された。いや実際にこの人はそれを世間話の種としか思っていない。

 彼女にとって重要なことはたった一つ。

 

「ジンは私達姉弟のものだ。そして、ジンの命で生き永らえている一夏は――ジンのものだ」

 

 夜気が震える。それは笑声だった。

 

「くひ、くく、ふふふふ、く、ふ、あっはははははははははははははははは! ……すまないなぁ、凰。私はお前の味方になれない。私は教師である前に、あいつの姉さんだから」

 

 優しさに満ちた声に包まれ、そうして労わるように細く冷たい指が私の頬を撫でる。

 私は一声も発することができない。喉は塞がれて舌は凍り付いていた。

 夏の気配すら覚えていた夜風の下、だのに私はガタガタと震え上がっている。

 

 

「諦めろ」

 

 

 ――――気付くと隣に千冬さんの姿はなく、遠ざかる靴音が残響していた。

 街灯の先の世闇に闇色の背中が消え、私一人だけが取り残された。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 研究・開発棟へ行く途上、煉瓦道を打つ靴音をまず聞き取った。そうして街灯と街灯の狭間の闇より姿を現したのは、かの女性。

 

「千冬さん」

「ふむ……こちらに来たのはジンか」

「は」

「いや、なんでもないよ」

 

 頭を振って彼女は優しげに微笑する。

 

「凰を探してるんだろう」

「! 何方に向かわれましたか」

「おそらく今は海岸の方だ。追うのか?」

「無論」

 

 放って置くなどという選択肢はない。一夏少年との間に如何なる不和があったにせよ、今は出来るだけ早く彼女を迎えねばならない。

 傷付き、涙する少女を、独りになど――――

 

「待ぁて、ジン」

 

 右腕を柔らかな感触に包まれる。彼女はその肢体で己の腕を抱え込み、さらに手を握ってくる。細くしなやかな指の一本一本が順々に絡み付き、俗に恋人繋ぎと呼ばれる形に落ち着く。

 体温の発するそれ以上の熱が、我が身を暖めた。

 

「今夜はこのまま一人にしてやれ」

「しかし」

「年頃の小娘にはよくあることだ。私にだって覚えがある。下手に構う方がむしろ状態を悪化させるかもしれない。解るだろ?」

「……は」

 

 至極尤もな謹言であった。ささくれ立った神経を逆撫でにして、取り返しの付かぬ重症に発展しないとどうして言えよう。

 そっと腕を引かれる。彼女の濡れ羽色の髪が、己の肩に寄り添った。途端に甘い香りが鼻を擽る。

 

「帰ろう。一夏が待ってる」

 

 教育者として立派に勤めを果たす彼女の言葉に否やなどない。千冬さんの意見はどこまでも正しい。

 このまま踵を返して明日を待つべきだ。時間こそが今の鈴さんにとって最良の特効薬なのだから。

 賢明な判断。疑う余地など微塵もありはしない。

 だのに。

 

「……」

「ジン?」

 

 己の足は一向に動かず、そしてその意思もまた翻ることはなかった。

 

「やはり自分は彼女を追います」

「……言っただろう。それは逆効果だ」

「はい、そうかもしれません。しかし、そうであったとしても、今この時は彼女を追うべきと考えます」

 

 賢しさからは程遠い愚かしい行動選択。千冬さんの厚意に泥を塗るが如き真似だった。

 それでも動かずにはおられない。

 すれ違いに垣間見た少女の怒りと憎しみ。しかしその奥底に、それらと比較にならぬほどの大きな悲しみを見た……そんな気がする。

 その程度の所感。勘働きである。

 それでも、俺は俺の独善を止められない。

 

「独りになどさせられない。悲しみに打ち沈む様を看過するくらいなら」

 

 その怒り、憎しみを奮わせ、立ち上がって欲しい。振り上げられた激情の矛は、我が身で受けよう。

 

「――――」

 

 無垢な瞳が己を見上げている。夜空を映す筈の黒曜の宝珠には、星明りほどの光すらなく。

 そう。あの日も己は愚行に走った。弟御の為に骨身を削りそれでも足りぬと自らを使い潰そうとした少女を……貴女を、見過ごすことなどできなかった。その尊い意志に、我が独善を押し付けた。

 

「……お前の、好きにすればいい」

「はっ」

 

 敬愛の女性(ヒト)

 その暖かさを惜しみながら、己は走り出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 潮の香り。鼻を抜けず、そのまま粘膜に絡み付くようだ。絶え間ない潮騒が脳を揺さぶる。

 黒い波濤が寄せては返す。今の自分の心の風景も、きっとこんな風に暗い。

 ひどく、疲れていた。

 

「……」

「鈴さん」

 

 声を聞いて、それが誰なのかを理解しても不思議と落胆はなかった。むしろ安堵さえしている自分が、嫌になった。

 まるで、うんと小さい頃、公園まで迎えに来てくれた父母を思い出す。懐かしさにも似た心地。涙が出るくらい、それは暖かで。

 それが悔しくて仕方ない。

 

「帰りましょう」

「放っておいて」

「いいえ」

「あんたこそ帰れば……一夏のところに」

「いいえ、一緒に帰るんです」

 

 いつもの仁ならとっくに引き下がっているだろう。この男がこっちの心境に気を配れない筈がない。一人になりたい。誰とも顔を合わせたくない。混じりっ気なしの本心だった。

 それを解った上で、諦めてくれないのは。

 

「……うるさい。どっか行きなさいよ。鬱陶しいから」

「行きません」

「しつこい!!」

 

 砂を蹴散らして振り返る。夜空を覆い隠すくらい大きな、静かな目をした男がそこにいる。

 それを睨み上げる。心底から、憎悪を滾らせて。

 

「いつもいつもいつもあんたは! あんたは! そうやって、私を……!」

 

 仁は私の味方だった。仲間内の悪ふざけやじゃれ合いを諫められることはあっても、大切なことはいつだって肯定してくれた。些細な意見も尊重してくれた。対等かそれ以上の一人の人間として扱ってくれた。

 私の想いを、応援してくれた。

 私の心強い味方――――そう思っていた。

 

「委員会とか班分けとか、融通してくれたっけ? 一夏と一緒がいいだろうって。登下校でさり気なく二人っきりにしてくれた。お弁当作るとき、一夏の好物とか教えてくれた。文化祭の時、売店のシフトを合わせてくれた。体育祭の時も二人三脚のペア譲ってくれた。他にもたくさん、いろんなこと、いろんな場面、いろんな時間、仁は私を助けてくれた。嬉しかった。ずっと感謝してたよ――――でも、でもさぁ」

 

 数え切れないチャンスを与えられて、一度は告白の機会さえ。

 でも現実は。

 

「一夏が好きなのはあんたじゃない!!」

「……」

 

 一夏は私を見てくれない。私は永遠に単なる“いい友達”だ。

 

「それがどんなに惨めか! あんたに解んの!?」

 

 結果が分かり切っていてそれでも諦められずに報われない努力を繰り返す。四年前から変わらない。私は、変われなかった。

 

「は、はは、それとも、無駄なことする私を見て裏では笑ってたわけ? その為にあんたは私の味方のふりしてたの?」

「いいえ」

「じゃあなんだっていうのよ!?」

 

 それは爆ぜるような怒りであったし、純粋な疑問でもあった。どうして。

 全てが嘘だったなら、それはそれで理解できる。その悪意はとても辛くて悲しいけれど、理屈だけは通るから。

 けれど男の優しさ、慈しみを、私はどうしても疑えない。私はそれくらい、仁が好きだった。

 どうして。

 仁は最初から変わらない。その静かな眼差しで私を見ている。

 

「あの子に、幸せになって欲しい」

「一夏に? ……なら、なおさらなんで……」

「しかし、その時隣に居るべきは己ではない」

「は?」

 

 厳然と男は言い放った。

 意味は解らなかった。

 

「あの子と出会った時、何かを歪めてしまった。本来あるべき“カタチ”を損なわせた。そう感じておりました。五年前から……いや、十年前のあの日、あの公園で、一夏さんと出会ってしまった時から」

 

 やはり意味が解らなかった。

 苦痛を堪えるように男の顔が翳る。

 

「自分は自分の存在を猜疑します。そしてそれは、あの御姉弟と出会い、親交する内により強くより明確になっていった……」

 

 存在? 猜疑? 一夏との出会いが?

 

「しかし願望、欲望だけは変わらず、ただ御姉弟を幸福に近付ける為の方法を模索し続け……ある時、全ては繋がるのだと気付きました」

 

 薄い笑みが浮かぶ。子供の姿を思い浮かべる父親の顔だ。

 

「一夏さんを純粋に、心から好いている。貴女が彼に寄り添ってくださるなら、あの子はきっと幸せになれる。同時に、一夏さんの幸福は千冬さんの望みでもある」

「…………な……に、それ……」

「故以て、そこに己が存在する意味が消失する」

 

 いつも通り大真面目に彼は言った。神妙な顔で、冗談の気配すら漂わせず。

 本気でそんなことを考えてるんだ。

 本気で、今言ったことを実現するつもりなんだ。

 正直、仁の言葉の半分だって理解はできない。頭がおかしくなっただけならどれだけ救いだろう。

 

「ふざけんな」

 

 するりと口をついて出てきた。

 心から、私は言い放つ。目の前の、大切な、大好きな友達に。

 

「ふざけんな、ふざけんな、ふざけんなふざけんな! ふざけんな! ふざけんなぁっ!!」

 

 なんだそれ。

 自分は要らない? 一夏を幸せにしたいから? 私が一緒になればいい?

 一夏が私に何と言ったか。千冬さんが私に何と言ったか。あんたは何一つ知らない。知らないからこんな酷いことを私に聞かせられる。

 それが、許せない。

 

「ジィィンンッッッッ!!!!」

 

 ただ許せなかった。怒りで沸騰した血が視界を赤く染め上げる。

 許せない。身体が動いている。自分でも気付かないほど瞬()的に。

 許さない。振り上げた右手で何をする。決まってる。

 抱えきれない怒りは血を伝って脳を弾けて思考を暴発させ――――心の一番深みに到達し散華した。

 そして心の最奥に、“ソレ”が根付いていたことを私は知らなかった。

 ぐん、と重みを増す右腕。

 だのに身体は羽毛のように軽い。

 空中を走る拳は、濃紫の装甲(IS)で鎧われていた。

 

「ぇ」

「!」

 

 仁が目を見開いてこちらを見る。その光景すらスローモーションのように遅い。知覚速度の上昇。ハイパーセンサーによる増強機能。

 仁は腕を構える。防御姿勢。

 そんなもの、ISの力の前には紙屑同然なのに。

 私は、

 

 

    友達の腕を

             殴り潰し

 

 

 

 

 夜空を金属の音が(つんざ)いた。

 

「――――ひっ、ぁ」

 

 喉笛を奇妙な音が響く。悲鳴が完成する前に霧散したような、雑音。

 

「ごめんなさ、そんなつもりじゃ、わたし、あぁじん、なんて、なんてこと……」

 

 うわ言が壊れた蛇口の水みたいに漏れ出てくる。

 ただただ自分の仕出かしたことに恐怖して、戦慄して、白黒と乱れる視界が徐々に回復していき。

 最初に、私の目はその“銀”に眩んだ。

 

「…………へ?」

 

 間の抜けた声。言語能力が幼児以下になり下がっている。

 ようやく直視できたソレを、理解するまでにまた十秒掛かった。頭では理解できた。けれど心が必死にソレを拒んでいた。

 ISの装甲を纏った自分の右手に、白い襤褸切れがへばり付いている。制服の袖口だった。

 ずるり、袖の残りがずり落ちる。仁の左腕から。

 肌の色が何度かモザイクアートみたいにその表面で発色した後、すっと消え去って、現れたのは鈍い銀。金属光沢のガンメタル。

 金属の左腕。

 それを凝視した途端、頼みもしないのに各種センサーがそれをスキャンした。

 生体熱なし、生体電気なし、呈色反応なし、脈拍および血流なし。神経のように張り巡らされた経絡(ライン)を流れていたのはISのコアエネルギー。

 血の通わない、それは機械(IS)の腕だった。

 

「は、っ、はぁ、は、はぁはぁ、は」

「鈴さん、この腕は……」

 

 呼吸が乱れ、心臓が刻一刻と激しくなり早鐘を打つ。

 

『あいつは一夏の為にその身を捧げてくれた』

 

 その身を。

 体を殺がれてでも、一夏の未来、幸せを願って。

 ああ、仁は優しいから私には事実を(つぐ)んだのだろう。

 

「は、はっは、ひゅ……く、ぅ、どう、して……」

 

 その献身に私は慄き、その献身を私は羨んだ。

 その喪失を、その痛みを共にできなかったことが悲しかった。

 それを隠し、偽りの安堵を与えた優しい嘘を憎んだ。

 

「どうしてそんな嘘吐くんだよぉっ……!」

 

 爸爸(おとうさん)と同じ嘘。

 残酷で、独り善がりで、優しくて愛しい嘘だった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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