織斑姉弟(へ)の献身 作:足洗
放課後、アリーナの更衣室。日課のIS自主訓練を終えて。
当然ながら男性用更衣室など敷設されてはおらず、ここは教職員用のスペースだった。
一夏少年は現在、シャワールームで汗を流している。
別段隠し立てする事柄ではないが、このタイミングならば不都合も無かろう。左腕に手を添え、思念・思考ではなく、音声にてその名を呼ぶ。
「ワン。聞こえているか」
『コールを受信。音声会話可能』
こちらの呼びかけに即座反応を示す。そしてその、ソプラノの声には聞き覚えがあった。
「甲龍との戦闘において、絶対防御機構を停止させたのはお前の意思か」
『否定。独立進化IS呼称“ワン”は現在、
「……」
耳慣れない用語を並列され、舌の動きが一時停止する。
しかし、現状は詮方ない。用語説明は後に回し、最優先の確認を行う。
「己がユーザーであり、お前はそれに従属し、その性能を供給するサーバーである、と。この認識で問題はないか」
『肯定。その認識は必要十分の的確性を有する』
「つまり、あの時絶対防御が発動しなかったのは、
『肯定。追加情報を提示。装着者凰鈴音の甲龍による打撃攻勢に対し、提陀羅顔面装甲の強度をコンマゼロ2秒間基本性能の10%に低下措置』
「……なるほど、合点が行った。生身へと貫徹するほどの威力は、あの貫手には無かった」
『一部言語選択の訂正を進言』
「? なんだ」
『融合基の「命令」から「願望」へ』
ワンのその言葉によって、それは深く納得を覚えた。
命令などという明確なアクションをあの瞬間の己が起こせたとは到底思えぬ。最後の瞬間まで“こたえ”探し求め悶え思考で渦を巻いていたこの己が、ワンに要請を送りシステムの根幹にある絶対防御を停止させ、あまつさえ提陀羅の物質組成に細工をさせるなど。
不可能だ。そのような聡明さは、我が身から最も遠い場所にある。
願望。その曖昧模糊としたただの思念の萌芽を読み、汲み取って、ワンは最適解を導き出した。
「ありがとう。礼を言う」
『発言の必要性を認めず』
「いいや、必要な言葉だ。少なくとも俺にとっては」
『発言の必要性を認めず』
「これもまた自己満足に過ぎない。聞き流してもらって構わない」
『……発言の必要性を認めず』
寮舎の自室へ帰宅した己と少年は、ダイニングテーブルに着席していた。常ならば一夏さんはエプロン姿でキッチンに立ち、己とて時折調理の手伝いなどに参ずる時刻。
夕飯時の現在、我々は慣れない手持無沙汰を味わっていた。
「鈴のやつ突然なんだもん。ちょっと面食らったよ」
「は、自分も少なからず驚きました」
「なー。夕飯作ってやるから腹空かせて待ってろー! って、なんか果し合いでも始めそうな迫力だったし。ははは!」
彼の言葉通り、今キッチンで調理を行っているのはかの少女、鈴さんに相違ない。
……それこそ己との果し合いを終えた明くる日の今現在なのだ。少年とは別種の驚愕が己の胸中に轟いたのは言うまでもない。
何より、彼女の心境が今以て平穏無事でない可能性は大いにある。当然の、無理のないことなのだから。そうした懸念が頭を巡って止め処ない。
「久しぶりだよな、こうして鈴の料理をジンと一緒に待ってるの」
「はい。ひどく懐かしさを感じておりました」
「だよな。中学の頃に戻ったみたいでさ。なんか嬉しいよ、俺」
「……はい、本当に」
あの頃の、何も知らず、何一つ理解していなかった愚かな己を、それでも友人として扱ってくださった彼女の慈愛に対して、浮かぶものが感謝以外に何があろうか。
この懐かしさは、我が愚劣の証明である。
「…………」
「今思うと、やっぱ鈴は特別なんだよな」
「? それは」
「俺さ、物心ついたくらいからジンが他の女と一緒にいるのすげぇ嫌でさ。クラスメイトの女子とか、馴れ馴れしくジンにベタベタするのもいて、イライラして何回かキレそうになったりした。ははっ、ガキっぽいよな。ヤキモチ……とか。あはっ、あははははは!」
「……」
「でも、鈴は別なんだ。鈴はこう、ここにいて当たり前っていうか。や、いてくれないと寂しいってくらいに思えて。ジンと一緒にいても不思議とイライラしなかった」
過去の思い出話を少年は語る。そう、それは、ただの思い出。
「鈴とはこれからも、大人になっても、付き合っていける友達でいたい。ジンもそう思うよね?」
「はい……心から、そう思います」
「えへへ、よかった」
彼女の想いを知った今、少年の想いがひどく悲しい。少女の想いが純粋で直向きで懸命であればあるほど、少年からの想いが純粋で直向きで懸命であればあるほど。
俺は、やはり、やはり――――
「できたわよー! そら男共! 配膳くらいは手伝いなさいよー!」
「はいはい今行く! ジン、いこ!」
「……は」
キッチンテーブルに並んだ彩豊かな主菜副菜の数々。そして特に、己と少年の目が注意を傾けたのは、大皿に盛られたその。
「はは、やっと鈴の酢豚が食べられる」
「永らく心待ちにしておりました」
「っ、ふんっ、お、煽てたってもう味は変わんないんだから! ほぉら、ちゃっちゃと運んだ運んだ!」
赤い顔がそっぽを向き、憤懣を強調するかのように腕を組んで仁王立ちする。
それらは愛らしさ以外の印象を己に齎さなかった。
料理や食器類を手にテーブルへ赴く中……ふと、見慣れぬものが目に留まる。少女の手首。そこには、白い包帯が巻かれていた。
少年が皿を手にキッチンを出ていった。それを見計らい、少女に囁く。
「鈴さん、その手はもしや」
「ん、あぁこれ?
「…………申し訳ありま――」
「あんたに謝る筋合ないでしょ……謝られる権利が私に無いのと同じにさ。謝んないでよ。お願いだから」
「……」
「そんな悲愴な顔しないで。ありがと、仁……さ! ご飯食べよ! 冷めちゃう冷めちゃう」
明るくそう言って、小さな背中が駆けていく。両腕に大皿を載せてもなお足取りは抜群の安定感を誇る。流石は中華飯店の看板娘であった。
その思慮深さに、その背中に、腰を折り頭を垂れた。
テーブルに着き、掌を合わせる。この場に千冬さんが居られないのが悔やまれた。それほどに、この食卓は暖かで暖かで。
「いただきます」
三者三様に礼を済ませ、箸を伸ばした。
そうして己と少年の箸の最初の行方は、当然ながら決まっている。
野菜も色鮮やかな、とろみのあるタレの酸味と豚肉の香ばしさが鼻を抜ける。
「ではでは早速」
「はい、早速」
「……」
こちらを見詰める視線に気付かぬふりをして、酢豚を口にした。
「……」
「……」
「……な、なんとか言いなさいよっ」
噛み締め、十分に咀嚼し、味わい飲み下す。
一夏さんは天井を仰ぎながらに言った。
「うんめぇ! あっははは! 笑えるくらい美味い!」
「――ぷっ、笑えるって、どういう味の感想よ。バカ一夏。その、仁はどう?」
「は、念願の味に舌が多くを語れません。ただ、ただ……美味しいです。鈴さん」
「っっ~~! ほんっとにあんたは昔も今も大袈裟なのよ! バカ! こんのバカその二!」
「照れなくてもいいだろ。美味いのは本当なんだから」
「てっ、照れてなんかないわよ!! 黙って食えバーカ!!」
「ははは!」
「ふ」
一夏さん共々、意図せずとも口には笑みが上った。少年に茶化され赤々と発奮する少女がひたすらに愛らしい。
この光景が、彼女にとって幸福であることを切に願う。
「いやぁ、でも鈴も腕上げたなぁ。昔とちょっと味付け変えたろ?」
「? そうなのですか」
「うん、なんかすげぇ
「……」
無邪気に喜ぶ少年に、少女は何も語らず。
「俺もうかうかしてらんないなぁ~。んぐ…………あ、これ、隠し味あるだろ? なぁ、何入れたんだ?」
「ひみつ」
そしてほんの一瞬、ただ微笑した。優しげな、穏やかな貌で。
切って、裂いて、割いて。
少し絞って、一滴、二滴、少し抉って大匙二杯分。
「んふふふっ」
よぉく混ぜて、酒と醤油と砂糖と出汁。ほんの一つまみ塩と胡椒で味を調えて、よぉく混ぜてまた混ぜる。
「ふふ、ふふふふふふ……暖かかったなぁ、仁の」
混ぜる混ぜる。混ざる交ざる交ざる。
もう交ざった。
仁が一夏に切り分け与えたように、仁は私にも与えてくれた。
“絆”を
交ざって、交ざって、溶け合って、沁み込んで、私の肉を侵す血潮。
「……もうちょっと入れよ」
切って、裂いて、割いて、また抉る。
滴り落ちる命の流脈。
「いっぱい、いぃっぱい食べてね。そうすれば――――」
もうずっと一緒だよ。
鈴ちゃんは正統派ルートヒロインと言ったな。
あれは嘘だ。