織斑姉弟(へ)の献身 作:足洗
篠ノ之箒にとっての思い出、それは少年と過ごした何気ないあの日々だった。
いや、そもそも、思い出と呼べるだけの暖かみを持った記憶はそれだけだ。
それだけが、少女が縋る
あるいは普通の、同い年の少女なら、もっと多く、もっと色とりどりの、真人間なりの幸せな日常を送っているのだろう。
生憎、篠ノ之箒はそうした幸福生成能力に乏しい少女だった。実りある毎日の創造? 良好な人間関係の構築? なるほど、人間はきっと、時間をかけて、そういった能力を育んでいくのだろう。得手不得手の差はあっても、少しずつ学び、感じ取っていく。時間をかけて。時間を。できない筈はない。きっと、きっと自分にだって。
……転々と土地を移り、長くて半年、早ければ半月にも満たず、居を変え学校を変え時に名前すら変えた。ただただ過行くだけの時間を押し流されるように甘受し、残ったのは空虚な五年をただ生きたという事実。
ありふれた平穏、貴き日常とかいうものは、気付けばどこかへ消え去っていた。
誰あろう己が実の姉の所業によって。
思春期の大きな転換点をそうやって乱雑に消費した附けだろうか。篠ノ之箒はなお一層、己の殻に閉じ籠るようになった。もはや自然の成り行きで。
内へ、内へと、心が内奥に向かうほど、思い出されるのは。大切に手に取って愛撫するかのように、思い起こすのは、この“思い出”しかない。
この思い出だけが縁であり、寄る辺。
「っ……っ……!」
荒く息を吐いて、視線を足下に落とす。
放課後の武道場。床の板目に己の影がへばり付いている。長く、濃く。明り取りの窓から差し込む西日が、自身を焼いて頑固な焦げ跡のようにその内側の闇を外界へ暴き立てている。
汗が顎を伝い、滴り落ちた。
雑念を払う為に竹刀を振りに来たというのに、結局それらは熱となって体内を廻るだけだった。何百、千を数えてもなお。
雑念が……。
「……」
竹刀を取り直し、諸手。真半身となって柄を肩の高さまで上げ、刀身を床面と平行に保つ。
刺突の構え。
「……篠ノ之流“松葉”」
右足で体を蹴り出し、左足で床を踏み抜く。連鎖反応的に腕を前方へ真っ直ぐに突き出す。
身体は撃鉄に叩かれた弾丸、竹刀は弾頭だ。
切先は空を貫き、仮想上の敵手――その喉笛を射抜いた。
篠ノ之流剣術における突き技。なんということのない基本の型であった。けれど。
けれど、この技を彼は。
一夏は、使った。
学園を強襲した所属不明ISを少年はこの一刺しで沈めて見せた。
それが、どれほど。
「覚えて、いてくれた……!」
幼い日、肩を並べて道場に通った。同門に学び、同じ技を使い、競い合った。
思い出の中の少年は、今そこにある。そこにあったのだ。
それがどれほど嬉しかったか。どれほど、切なかったか。
「一夏……」
名を呼んだ。譫言のように。呼ばずにはいられなかった。
「一夏ぁ……」
柄頭に額を押し当て、少年の名と、苦悶を漏らす。
焼けるような熱を目の奥に感じる。汗ではない雫を零して、少女は苦しみ喘いだ。
また、会えた。同じクラス、同じ寮舎。すぐ近くに、彼はいる。すぐにでも会いに行ける。会いに行けるのに。
既にこの現実を思い知っている。
彼と自分、二人の想いは、遥か無限の遠きにあるのだと。
「これより合同実技訓練を行う」
快晴一面の青空の下。広大なグラウンドに集まった一年一組と二組の生徒ら六十余名。
一夏少年と隣り合いながら、織斑教諭からの諸注意事項、訓示に傾注する。
クラス単位では入学後初のIS実機を用いた実戦・実践訓練。まして集団行動ともなれば一瞬の油断と不注意が大きな事故へと繋がりかねない。
「ではまずISの着脱手順を実地確認しろ。持ち時間は一人に付き一分だ。迅速に動け」
黒い武者鎧を思わせるフォルム。待機状態の打鉄が三機居並ぶ。生徒らはそれぞれ組み分けられた機体に行列を作った。
「専用機持ちは率先して介助に回れ。常に監視し、絶対に単独で行動させるな」
何やら工場勤務時代の作業前点呼を思い出す風景であった。千冬さんの指示下にあるという点ではなお余計に、懐かしさを覚える。
……いや、十代の少女らが水着同然のISスーツに身を包み列を為す様を、油と薬品臭漂う作業着姿の工員方と同列扱いするのはいささか無理があるか。
などと愚昧なことを考えていたところ。
「よっ、おバカ二人揃い踏みね」
「わ」
「鈴さん」
背後から後ろ首に覆い被さるもの。見るまでもなくその快活な声は二組代表のかの少女。
勢い鈴さんは己と一夏少年の背に乗り上がった。
「ふっふっふ~、こういうクラス跨いでの授業があるなら今後もちょっかい掛けやすいわね」
「堂々と言うことかよ」
「また、勉学を共にできることを嬉しく思います」
「ぅぐっ……コホン、ほぉら、仁は喜んでるじゃない」
「むぅ……まあ俺だって嬉しいけど」
「えっ、なん、なんであんたまで喜んでんのよこのバカ!」
「なんでだよ!?」
小学校の高学年時、そして中学のごく初期と、親交できた期間はそう長くはないが、やはり彼女の明朗さは昔から変わらず快い。
不意に。
「で?」
「……?」
「うん? なんだよ」
「それ誰」
視線だけで鈴さんは一人の少女を指し示した。
一夏少年の隣に佇む篠ノ之箒を。
箒さんはそれを受けて、特段驚くことも、狼狽えることもなく……いや、視線すら寄越さずに一言。
「篠ノ之箒。よろしく」
「ふーん、
声音に棘の群生を感じた。今度こそ鈴さんは、箒さんをじろりと見据える。
「お、おい。鈴。なに突っかかって――」
「私がどこに立ち、また誰と一緒にいようがお前には関係ない」
対して、箒さんもまた冷厳と言い放った。やはりそこには何程の戸惑いもない。
それこそまるで、彼女らは互いが“敵”であることを互いに了解しているかのように。
「――へぇ」
己と少年の背から降り、箒さんの正面に回って鈴さんは彼女を見上げる。とても興味深く。とても注意深く。
「……」
「関係ない? 関係ない? 関係、ない? ふっ、ふふふ……」
「鈴さん」
制止の意を以て名を呼ぶ。しかし少女は流し目と共に一度こちらに笑みを寄越すとすぐに箒さんに正対する。
箒さんは、依然として鈴さんを見ない。こちらは一貫して無関心。
対照的でありながら、意思だけは共通している。絶対に譲る気はない、と。
「ええ、そうですわ。関わりなどありません。二組代表の凰鈴音さん」
「あ?」
横合いからシルクのように優美な声が差し込んだ。頬に指を添え悩ましげに、セシリア・オルコット嬢は眉目を下げて溜息を吐いた。
「ここは一組の列ですもの。一夏様や仁様の隣に篠ノ之さんが並んだところで特に問題はない。問題があるのは、貴女。とっとと自分のクラスの所定の場にお戻りなさいな」
「合同訓練でしょ。たかが列順になに細かいこと言ってんだか」
「その通り、“訓練”です。お友達同士呑気に戯れ合いがしたいのなら
「規律? あぁそれって要はあんたに都合の良いルールってやつ? それらしいこと言って本当は自分が“そこ”に居座りたいってわけね」
口の端に笑みが刻まれる。それは嘲りの形をしていた。
「……何を馬鹿なことを」
「ふーん、違うんだ。じゃあ“ここ”は私の居場所……」
「!」
「え」
言うや、鈴さんは己と少年の手をそれぞれ引き寄せ腕に抱え込んだ。彼女の小柄な体躯からは想像外の力強さで。
「いひひっ」
「――」
ぎちり、耳孔が異音を拾う。
それは眼前の優雅な蒼い少女から発せられた。噛み締めた歯が軋みを上げる、苛立ちの残響。
「つけ上がるな下郎」
「そっくり返すわ勘違い女。元から
今更に、周囲の静けさに気付く。あれほど姦しかった一年一組と二組の女子生徒らが誰一人口を開かない。口中に石を詰め込まれたかのように、吐息すら自重を強いられている。
重力が増すばかりの空間の中で一人、吐息を零したのはセシリアさんだった。
「……やれやれ、以前の問答で十二分に理解したかと思いましたのに。救いようのない物分かりの悪さですわ」
「ご期待に沿えなくて嬉しい限りよ」
沈黙の間が一つ、二つ、三つを数え終わる直前――――蒼紺と薄紫の粒子光。
ブルー・ティアーズはスナイパーライフルの砲口を突き付け……突き付けるべき敵を見失う。
甲龍は、既に、蒼い機体の懐深くへと踏み込んでいた。手には巨大かつ肉厚の青龍刀、牙月。その刃先をセシリアさんの白い首筋へ当てていた。
生徒の数人が悲鳴を上げた。
「ちぃ……!」
「展開速度はあんたが上でも、ここは
より強烈に歯噛みする蒼の少女を龍の少女は牙を見せて嗤った。
そのような笑みは、彼女に似付かわしくない。この印象すら押し付けであろうか。
この行動もまた。
「……で、さ。この手は何? 仁」
「双方、武器を御納めください」
己もまた提陀羅を装甲し、甲龍の腕を捕っている。
背後では一夏少年が箒さんを退がらせ、庇い立っている。
突如出現した三機のISに驚き、一斉に距離を置き逃げ散る生徒ら。
以上状況。自己の行動選択、両機体の掣肘および少女二人の沈静化。
難事であった。しかし為さねばならぬ。元凶の一端は紛れもない己が担っているのだ。
「この上更なる戦闘行為に及ばれるなら、我が実力の行使によってそれを抑止します」
「仁様……」
「あははは。やっぱり優しいね、仁は。ホントは問答無用でねじ伏せられるのに」
先程までの険が消え、朗らかに鈴さんは微笑んだ。
彼女の言葉に間違いはない。この間合、近接格闘能力に秀でた提陀羅であればブルー・ティアーズと甲龍をほぼ同時に無力化できる。
難事とは、物理的労苦ではなく、その心情。それを鎮める術が今の己には無い。
どうする。
解決の糸口を探し一秒を寸刻んで思考を回した、その直後だった。
「見るに堪えんな」
「!」
影が奔った。
提陀羅を纏う己の巨躯から、真実疾風の有様で駆け出たのは、千冬さん。
白いジャージ姿が歪むほどの速度。残像が幾重にも現れては消え去り、その軌跡の末端で彼女は甲龍の牙月、その柄尻を蹴り上げていた。
青龍刀が宙を舞う。
刃が重力の御手に捕まるより早く、迅く、上段に上がったしなやかな脚がスターライトmkⅢの砲身を踏み付け地に落とす。
それに合わせるかのように落下してきた青龍刀を手に取り、柄を支点に一度ぐるりと回転させ衝撃荷重を遠心力として逃がした。肩に担ぎ上げた刀身の切先は丁度背後の鈴さんの鼻先を差す。
この間僅か0.3秒。
早業と力業の合わせ業。ISのハイパーセンサーを振り切り、IS用の巨大な武器を彼女は生身で、それも片手で扱っている。
「代表候補生なりの良識を期待したが、見事に裏切ってくれたな。凰、オルコット」
「……」
「……」
少女らは何も言わぬまま、それでも臨戦態勢を解かなかった。
教諭は肩を竦め、鼻を鳴らす。
「貴様らがその気なら望み通り戦わせてやろう。予定を前倒す――――戦闘訓練だ」