織斑姉弟(へ)の献身 作:足洗
「聞いた? 三組の小此木さんのこと」
「あ、知ってる。急だよねぇ。まだ一学期始まったばっかなのに」
「お家の都合って聞いたけど……」
「学費が払えなくなったんだってさ」
「え?
「それは適性B以上の人」
「あー、じゃあその、小此木さん? は……」
「Cだったらしいよ」
「きっびしー」
「それもまだ簡易検査だけの結果だし、技能とかの総合検査で化けることもあるのにね」
「可哀想だよね。こんな時期に“転校”なんて」
朝の何気ない世間話。学園という一個の閉塞社会に流れた他愛ない噂。幾らかの同情や憐れみを経て、それはすぐに忘れ去られるだろう。
幾人かの少女の夢が泡と潰えた。これはほんの、それだけの話。
「……」
「山田君」
「あっ、は、はい!?」
職員室のデスク、椅子から跳び上がるように山田真耶は振り返る。
特に気配を殺した心算はなかった。とすれば、この距離までこちらの接近に気付かなかったのは彼女自身が意識を奈辺へと浮わつかせていたからだろう。
「どうした。ぼんやりして」
「す、すみません。仕事中なのに、私」
「職務をサボって遊んでいたなら叱責の一つ二つ見繕ってやれるが、そうではないんだろう。何やら思い悩んでるな。私なんぞで良ければ相談に乗るが?」
「……ありがとうございます。先輩、じゃなかったっ。織斑先生」
真耶は少女のように微笑んでから、その通知書をこちらに差し出した。
この書類には見覚えがある。どころか、手続きを済ませて文書化したそれを彼女に手渡したのは誰あろう自分だった。
七人分の転校届。
「気を落とすな。この時期、こういうことは多くはないが少なくもない」
「そう、ですね……そうなんですよね。ただ今回は、短期間に何人も重なった所為か、その、ちょっとだけ堪えちゃいました……」
「それぞれの家庭に事情があるのだろう。経済的なことなのか親縁の都合かは分らんが。我々にはどうすることもできん」
「はい……」
返ってきたのは沈んだ生返事だった。
強かに思い詰める後輩教員を、しかし未熟だなどと謗る心持は微塵も湧かない。
その細い肩をそっと叩き、こちらを見上げる瞳に笑みを送る。
「君は本当に良い教師だよ」
「えっ」
――――私と違って
もの問いたげな彼女の肩をもう一度叩き、その場を離れる。
職員室を出、廊下を行く内、ふと自分が笑みを浮かべていることに気付く。
「精々頑張れ……」
無論、そこに侮蔑の意図は一切含まれていない。自分はただ純粋に彼女のことが微笑ましかったのだ。
「オルコット」
昼休みを告げるチャイム。俄かに喧噪が逆巻いた教室内で、一人席に着いている。
「仁、なーにしてんの?」
小さな顔が肩口から己を覗き込んでくる。その拍子に、二房に結われた髪がはらりと自身を撫でた。
鈴さんは、不思議そうに目を瞬いた。
「昼は? てか一夏は?」
「今は御手洗いに立たれています」
「一人で?」
「はい」
「んー、なんか意外。今のあいつなら『仁も一緒に来て!』くらい言いそうだけど」
「……」
退院間もない頃はそれこそトイレはおろか小用の為一人席を立つことすらままならなかったが。
現在ではそうした“後追い”行動も改善傾向にある。
「彼が十歳ほどの幼児であるなら己も付いて供することに吝かではありません。しかし、彼ももう高校生ですので」
「十歳を幼児扱いはどうかと思うし、相変わらずあんたの発言はちょっとズレてるわ……」
「……?」
彼女の言に首を捻る。一瞬、己の発言のどこに瑕疵があるのかが分からなかった。
自己認識を改めるべきだろうか。
「いひひっ、まあいいんじゃない? あんたらは普通の幼馴染とは違うもんね」
「は……」
少女はひどく不敵に笑む。いや、喜悦さえ滲ませて。
彼女はそのまま一夏少年の席に座った。ふと、机上に風呂敷包みの箱を置いて。
「んふふ、気になる?」
「はい。とても」
こちらの視線に気付くや、ニヤニヤとこれ見よがしに包みを掲げる鈴さん。
箱の寸法と時刻を勘案するに、おそらくは弁当箱なのだろうとは思うが。
「あんたには一夏の手作りが有るでしょ。だからこれはまあ、その、味見用にね」
「味見、ですか。自分が頂いてよろしいので?」
「その為に持ってきたんだっての」
彼女が包の結び目に指を掛け、それを開こうとした時だった。
「あ、あの!」
声が掛かる。誰にという訳でもない。教室前側の扉から、一人の生徒が室内へ向けて声を張ったのだ。
「ひ、ぃ、日野さんはいらっしゃいますか!?」
意を決した様子で少女は言った。並ならぬ勇気を振り絞ったのだとその震える声音を聞くだけで理解できる。
己は席を立ち、彼女に歩み寄った。
「ちょっ」
「っ! あ、貴方が……?」
「はい、一年一組に日野姓は自分だけです」
己の胸ほどの高さに頭がある。我が身の無分別な体格を差し引いても、鈴さんに並ぶ小柄な姿。
浅葱色の髪にIS用補助センサーと思しき髪留め。そしてHMD内蔵の眼鏡――――
「貴女は確か、先日の」
「は、はい。学園に所属不明機が侵入した日に」
そうだ。この学園へ侵犯した所属不明(とされている)機体を殲滅するまさにその直前、彼女は現場に居合わせてしまったあの女子生徒だった。
「その節は、己が不手際によって御身を危険に晒してしまいました。改めてお詫び致します。申し訳ありませんでした」
「え? い、いえ! そんなっ、お詫びなんて……」
腰を深く折り、視線はひた床面へと注ぐ。
あの折、己が単一能力の行使を躊躇しなければ、もっと確実に、もっと迅速な対処は可能であった筈。
返す返すも我が身の無能。精神の劣弱が齎した不徳。
事によっては彼女の生命すら今ここには無かったろう。こうして謝罪の機会を得られたことこそ何よりの僥倖である。
「わわわっ、頭上げてください! お願いですから!」
「は」
心の底から困惑を露にする少女に、要望通り向き直る。
「私の方こそ、あの時はただ逃げることしかできなくて……」
「至極当然の対応と思われます。戦闘中のISに生身で接近されたのですから」
「でも、だから、その、今日はちゃんとお礼を言いたくて。幸い、この学園で男性の操縦者は二人だけだし……もう一人の方はよく知ってましたし……」
「?」
一瞬、違和を覚える。少女の貌に濃密に落ちたその影、翳りは。
彼女が口にした“もう一人”とは……それはかの少年のことに相違あるまい。しかし何故。
「ありがとうございました。日野さん」
「謹んで頂戴します。そして、御無事で何よりでした」
「はい……」
影は消え去り、柔らかな笑顔が少女の貌を彩った。何かの見間違いであったのか。
「それとあの、改めて自己紹介しますね。私は一年四組の更識簪と言います」
「これは御丁寧に。一年一組所属、日野仁と申します。どうぞよろしくお願いします」
「よろしくお願いしますっ。えへへ、な、なんだか、照れます」
口元を手で覆いながら、更識さんは頬を染めた。とはいえ、口ぶりとは裏腹にこのやりとりを楽しんでいる様子。
わざわざ他のクラスより足を運び過日の謝辞を届けてくれる生真面目さと、それにある種見合わぬ茶目っ気。その
「………………」
不意に、背中に刺さる気配を察する。
己としたことが、無作法に立ち話をするまま先に訪ねてきた友人を放置するなど。
振り返ればそこには。
「……」
椅子に座って器用にボールペンを回す鈴さんの姿が。
訪問者には興味もないのか、退屈そうに掌中でくるくると筆を回転させ続けている
「あれぇ!? かんちゃん! かんちゃんかんちゃん!」
その時、別方向から声が上がった。教室後側、丁度数人の生徒と共に入室してきた一人の少女。布仏本音さんが、平素通り明らかにオーバーサイズであろう制服を揺らして跳び上がっている。
かんちゃん、とは対面する更識さんのことだろう。なるほど彼女らは友人同士なのか。
「――――それでは、私はこれで失礼します。また会いましょうね、日野さん」
「は、しかし、あちらの」
「あぁん! 待ってよかんちゃ~ん!」
呼び止める己と、布仏さんの制止にも振り向かず、更識さんは去っていった。その背中を布仏さんは追い掛けていく。
「……」
去り際に見えた少女の横顔がひどく印象的だった。
いや、より正しく言えば、印象と呼べるだけの色彩をあまりにも欠いていた為に、強く記憶に残ったのだ。
無表情。能面のような無機質。少なくとも、友人を前にして作る貌ではない。
「まったややこしいのが来た」
ぽつりと鈴さんが呟く。呆れか、皮肉か、嫌悪、そうした情感に近似する響きがそこには含まれていた。
くるりくるりと、ボールペンが回る。
「ホント、あんたって昔から変な女に縁があるわね」
「多くの良縁に恵まれました」
眼前の少女との縁もまたその一つ。
過去に一度、ただ一人、凶事以外の何ものでもない遭遇があったものの、それさえ除いてしまえばこの生涯における人との縁、繋がりは出来過ぎている。この身には到底過分な。
「別にいいけど……あの程度の手合いなら
言葉尻を、鈴さんは口中に収めてしまった。彼女が何と発話したのかは定かではない。
そも、己の聴覚は並を外してはいるが、言語の体裁を取らない残響を認識するにはさらに想像力を要する。
「陰口が貶むるは他人の尊厳ばかりではありません、鈴さん」
「……聞こえたの?」
「いいえ。想像を口にしました。そしてどうやら正鵠を射たようで」
「鎌掛けとか、性格悪いわよ」
「鈴さん」
「うっ……わかったわかりました! ……ごめんなさい」
「はい」
それでも不貞腐れた態度を隠さず全開に見せてくる。それを可愛らしいと感じてしまうのは、大いなる不遜なのだろう。
「わーらーうーなー」
「ふっ、失礼」
「ったく……」
少し意外だった。想像よりも柔らかで、思い描いていた理想像に近い優しさと実直さ。
世界でたった二人だけのIS操縦者。IS適合者。このIS全盛の社会で女性にしか持ち得ない資格を手に入れた男性。
女権絶対論者なんてものが有識者扱いされる世相だ。きっとその男性有資格者もまた傲岸で不遜、その稀少性に胡坐を掻く選民意識の権化のような人間なのだろうと思っていた。
そうあってくれたら、こちらは思う存分恨み辛みを“彼”に、彼らに向けられる。
倉持技研への横槍とその後の対応を自分は許せないし、“彼”自身に直接の罪など何もないのだと割り切れるほど成熟した人間性も持ち合わせていない。
だから、もう一人の男性IS操縦者……日野仁と初めて出会って、言葉を交わしたことで知った。
その印象は全くの期待外れだった。期待した悪性を彼には何一つ見出せなかった。
けれど。
その出会いは間違いなく運命だった。
「ISとの有機結合……生体融合型EIS、提陀羅」
暗礁に乗り上げていた研究に天から光明が降って湧いた。
ああ、貴方はなんて理想的なの。
「理想的な、サンプル」
心からお礼を言わせて欲しい。
この出会いに、貴方の存在に。