織斑姉弟(へ)の献身   作:足洗

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一夏くんのターン




4話 無垢な欲情

 ――鬼子、化物、異形

 

 己を代名する言葉。並べるだに陳腐、恥ずかしげも無く名乗るには相当の厚みを持った鉄面皮が要る。

 しかし、事実だった。

 そんなものと関わりを持ってしまった人々の……■■夫妻の落胆と恐怖を思う。

 自己の胸中を幾らかの悲しみや無念が満たした。そうあってなお、それを押し退けて余りある感情が、あった。

 彼らに対する、憐憫が。

 

 一刻も早い自主自立を確立する為に職を求め、ありついた労働に没頭する。そうすれば僅かでも心は静謐を取り戻した。

 肉体の過剰な酷使、自虐か自罰かも分からない。それこそ自己満足に他ならない。

 昼間を義務学業に当て、残された夕方から早朝までの時間一切をあらゆる労働行為に費やした。ただ、思考すら許さぬほどの疲労を欲した。

 生命活動に支障を来たし始めた為か、日に数分間意識を失うようになった。それでもなお分割睡眠という形で肉体はそんな生活に適応していく。

 

 ある職場の雇用期間を終え、また次の新たな労役の場を選び出す。

 そして己は、織斑千冬という少女に出会った。

 

 両親を持たぬ彼女は、たった一人で幼い弟を養っているという。後見人の力も借りず、生活保護等の制度的恩恵も受けず、ただ独力で。

 疲労の色濃い顔に、されど強い光を宿した瞳。

 要らぬ思い量りを押し付ける己に、彼女は微笑むのだ。

 愛おしげに弟御の写真を眺め、喜びを(うた)うように少女は言う。

 

『一夏がいるから私は頑張れる』

 

 その有様を一分とて表現出来得る言葉が、己の内には何一つ存在しなかった。

 ただ尊く思う。

 ただ美しいと思う。

 彼女らの幸福を、心底より願わずには居れなかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 病棟入り口で受付を済ませた。

 今は朝の七時。本来の面会時間には早すぎる。誰あろう我が姉の力添えによる特例というやつだ。

 

「おはようございます」

「おはようございます、織斑さん。あ、今日は朝食はどうします? また日野さんと一緒にしましょうか」

 

 擦れ違った看護師の女性はもうすっかり顔馴染みだった。厚意は有り難く頂戴しつつ、首を横に振る。

 

「済ませて来たんで、ちょっとだけ世話焼いて行きます。いつもホントにありがとうございます」

「いえいえ」

 

 一礼してからまた廊下を進む。

 慣れた道のり、自分の生活の中に組み込まれた日課。

 今日もあいつに逢いに行く。

 

 

 

 

 

 

「今朝はどう?」

「来てましたよ、織斑さんとこの子。偉いですね、毎日」

「日野さん? だっけ。交通事故に遭ったっていう。入院してからずっと欠かさずだもんね。あたしら白衣の天使(ナース)顔負けの献身っぷりよ。マジすごいわ」

「自分で言いますかそれ……でもいいなぁ。彼氏さんも幸せですね。あんなに可愛い彼女さんに見舞ってもらえて」

「は?」

「え?」

「……学生服」

「あっ、え? ウソ、あんなに可愛いのに!?」

 

 

 

 

 

 

 扉を開けて、中に入る。

 消毒液と薬品と洗い晒しのシーツの匂い。レースカーテンの向こうから陽の光が疎らに室内をそよぐ。優しげな、柔らかな光輝が男を照らした。

 

「おはよう、ジン」

 

 変わることない寝顔に笑みが湧く。友人は今もなお穏やかな眠りの中にいた。

 壁に掛けた月捲りのカレンダーは、そろそろ三枚目を数えようとしている。

 

「ジーン、寝坊三ヶ月目だぞー」

 

 花瓶の水を変え、茎の端を切って花を生け直す。

 

「弾のやつは長い春休みで羨ましい、なんて言ってたぜ。ああ、ちゃんとその後に蹴り入れといたから心配すんな」

 

 洗面器に湯を張って、傍らの物干しハンガーに干しておいたタオルを数枚取る。

 

「そういえば昨夜千冬姉から電話があってさ。見舞いに行く暇が無いってすげぇイラついてた。仕舞いにはドイツから直接ISで乗り付けるだのなんだの……電話口で部下の人が泣きながら止めてたよ。大人しく休暇申請の許可待てばいいのに。はははっ、千冬姉らしいよな」

 

 靴を脱ぎ、ベッドに上がる。入院着の結び目を解き、前を露にする。ベッド横のテーブルに洗面器、そしてタオルを湯に浸ける。

 男の上半身を抱え起こした。

 

「よっと、と」

 

 脱力した人間の身体はその体重以上に重みがある。この大柄な男ならばそれも一入(ひとしお)だ。

 

「……ちょっと痩せたな」

 

 支える為に腕を回した背中も、肩も、以前ほどの厚みはない。長期の昏睡状態は、確実に男を衰弱させていく。

 頭を振って気を取り直す。

 入院着は取り払って、畳んで洗濯籠に入れた。

 浸していたタオルを絞る。程よく水分を切ってから、そっと男の顔を撫でた。

 

「朝シャン、なのかなコレ。はは、気持ちいいか?」

 

 顔から首筋、肩から腕へ。左腕の包帯には……まだ、触れない。

 何度かタオルを湯に浸け直しながら、優しく、丹念に男の身体を拭っていく。

 胸、腹と終えて、次は背中を。

 

「えっと……」

 

 横向きにごろんと寝かせれば拭きやすい。というか、看護師の人からもそう習った。

 でもそうしない。

 男の下腹を跨いで腰を落とす。馬乗りのまま、仰臥している男の脇の下に手を入れ、体重を後ろに掛けて引き起こした。

 対面して抱きすくめる。うっかり力を抜くとそのままベッドに倒れこんでしまう。だから、そうならないように、強く強くジンを抱き締めた。

 

「んっ……」

 

 自分の肩にジンの顎が乗っている。すると吐息が項を撫でた。

 ぴったりと合わさった胸から相手の鼓動が伝わってくる。

 カッターシャツ越しに、ジンの肌の熱が滲み込んでくる。

 

「……っ……」

 

 男の鎖骨の辺りに埋めた唇。それをほんの少しだけ吸い込んだ。瑞を含んだ音が静かな部屋に響く。耳には残響がこびり付いた。

 きっと痕が残るだろう。赤く、鮮やかな色をした、印が。

 

「……ふふっ」

 

 息をする度、ジンの匂いがする。ジンの匂いで身体が一杯になる。

 強く掻き抱くほど身体中がジンに染まる。

 そんな気がする。その想像はゾクゾクと背筋を震わせた。

 それがすごく、幸せだった。

 

「あぁ、どうしよう」

 

 目を閉じて、この時間を味わう。二人だけのこの時間を。

 

「早く起きてくれよ、ジン。でないと俺……」

 

 滴るような幸福感に浸る心に、なけなしの理性が警鐘を鳴らす。

 ダメだ。こんなこと望んではいけない。

 いけないのに。

 

「俺、お前とずっと、こうしていたくなる(・・・・・・・・・)から」

 

 今でも親友が、唯一無二の人が、目を覚ましてくれることを願っている。その願いに偽りなどない。

 声を聞きたい。その目で自分を見て欲しい。また、その笑顔を見せて欲しい。

 ――でも、それと同じくらい強く、深く、この欲望に溺れそうになる。

 

 この腕の中に、彼を閉じ込めてしまいたくなる

 

「…………あ」

 

 不意に目の端に捉えた掛け時計。時刻は八時二十分を過ぎている。

 

「やっば! 遅刻っ!」

 

 急いで清拭を終えて、入院着を着せ、道具を整理して、掛け布団を直す。

 カーテンを端に結び、窓を開けた。途端に、まだ白んだ朝焼けと澄んだ空気が部屋を満たした。

 

「いってきます!」

 

 空模様と同じく晴れやかに、病室を飛び出した。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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