織斑姉弟(へ)の献身 作:足洗
二人は原作よりも少しだけ素直です。
事情聴取……もとい尋問はきっかり一時間で終了した。なんでもIS学園男子生徒に対する公的な拘束時間というものが法律で細々と規定されているのだとか。
ちゃんと納税しててよかった。やるじゃん日本。
史上初の無人IS、その物的資料を破壊したツケとばかりに、研究職員の皆さんからの質問攻めは酷烈を極めた。
回答し終える前には次の質問が飛んでくるのだ。食い気味で。
ジンのような知識量がない自分には、専門用語で理論武装(まんま)してくる彼らの攻勢を捌くことなど出来なかった。
ものの十分でへとへと、解放された今はげっそりとしつつ、研究棟からの帰路を歩いていた。
「い、一夏!」
「ん?」
背中に声を掛けられ、振り向く。
小走りに近寄ってくる一人の女子生徒。一歩一歩と踏み出す度に、それこそ馬の尾のように揺れる一つ結びの黒髪。
よくよく見知った幼馴染、箒だった。
「箒? どうしたんだよ。こんなところで」
「お前がここにいると聞いて……」
息急き切らせて訪ねてきた少女は、その割に歯切れ悪く。暫くの間、口の中でもごもごと言葉を弄んでいた。
「?」
「っ、んん゛……その、だな。い、今から、ISの自主練に行くんだ。アリーナに。訓練機で……」
「うん」
「だから……だから!」
「おう」
「……ッッ! だ・か・ら!」
見る見る真っ赤に染まった顔が、ずずいとこちらに迫ってくる。
「………………練習に付き合って欲しい………………」
「いいぞ」
俯きながらの、それこそ消え入りそうな声だったが、ここまで近寄っていれば聞き逃すこともない。
ばっと、箒は顔を上げた。唖然として、吃驚して、声を失くしましたとばかり。
「ぷっ、ふふ、なに驚いてるんだよ。いいよ? 付き合う」
「で、でも…………仁は……?」
「?? なんでそこでジンが出てくるんだよ。あっ、練習ならジンも呼んだ方がい――――」
「いい!! 呼ばなくていい!!」
「!? びっ……くりした。そう、か? ジンの方が教えるの上手いと思うんだけどな」
「いいんだ! お前が……一夏が、いいんだ」
「ふ~ん。ならいいけど」
まるで絞り出すような必死な言い様に、申し訳ないが笑ってしまう。
馬鹿にするな! と、いつもみたいに怒り出すかな。そんな意地の悪いことを考えた。
けれど。
「……ありがとう」
「? お、おう。なんだよ改まって。練習に付き合うくらいどうってことないよ」
「……うん」
箒は笑った。いつもの落ち着いた微笑ではなく、それはなんだかひどく儚げなカタチの笑い方で。
それに少し、戸惑う。
そこでふと今更に思い出す。練習に付き合うと言っておきながら、自分の手元に肝心のISが無いことに。
「あぁ、悪い。箒。俺、今専用機が……」
「いい。分かってるから」
あっさりと箒は答える。何も問題は無い、と。
「え?」
「見てくれるだけで、いいから」
「ああ、うん。そっか」
もう一度だけ仄かに笑み。箒はアリーナへ向かって歩き出した。
当然自分もそれに随う。ぴんと鉄芯の埋まったような、同時に少女らしくとても小さな、その背中を追う。
――――淋しそうだった
心の中でそんな印象が湧き起こる。
他人の表情など見ても、自分にはその心情を汲み取れるだけの鋭さはない。皆が皆言う通り、きっと自分は鈍感で朴念仁で空気の読めない人間なのだろう。
でも、あれは。
箒のあの笑い方だけは、解る。よく知ってる。
何年か前まで、朝鏡を見ればそれは見付かった。とても見慣れた、うんざりするほど見飽きた、酷い顔。
さみしさを我慢して、何もかも諦めようとしていた……自分の顔。
「箒」
「ん、なんだ」
「…………えっと、ごめん。呼んだだけ」
「なんだそれは。ふふふ」
ほら、また。
笑顔に滲むセピアの色彩。
「みつけた」
アリーナの自動ドアを潜る少年と少女。
目視したことでデータと記憶の照合が、既に完了。
「織斑、一夏」
彼らにやや遅れて自動ドアを潜り、手近な施設用端末に触れる。
『施設管理ユーザーID……認証。一分後、全ての出入口と隔壁を閉鎖します』
クラッキングプログラムを注入し、他の全端末をダウンさせた。
ほんの細やかな時間稼ぎ。どこかの大天災でもなければ、学園全域のクラッキングなど通常は不可能だ。
しかし、きっと十分だ。
「日野、ジン……少しだけ待っていて、くれ」
軍靴が響く。真っ直ぐに続く廊下の向こうへ。
「貴様に、贈ろう。心を込めて……この胸の痛みを」
心配ない。絶望は、一瞬あれば味わえるんだ。
嫌になるくらい深く、深く。
奇縁、いや一種の事故現場で面識の叶ってしまった彼女――更識さん。少女の用向きは実に簡明であった。
「あの時のお礼に、お、お茶でもいかがでひゅか!?」
場所は学園内商業エリア。多種多様な生活用品を取り揃え、己も一夏少年も共々に御世話になっているスパーマーケットから程近いその店舗。
機能美を誇る近代建築の多いこのIS学園において、ダークブラウンのウッドデザインをふんだんに取り入れた木造、そして品格と年季を帯びた煉瓦造りの外観、内装。レトロ……いや西洋の風合いを色濃く覚えるここは正しく、アンティーク喫茶とでも呼ばわりたくなる。
生徒、教員、研究者の別を問わず愛される、ここは喫茶店『あおぞら』。
そのカフェテラスの一画に我々は腰を落ち着けた。
彼女は紅茶を、己は店のオリジナルブレンドを頂く。時候の挨拶を済ませ、飲み物に手を付けて一心地。そのあたりを見計らい、己は改めて少女へ頭を下げた。
「わざわざの御配慮、有り難う存じます」
「い、いえ! こ、こちらこそ行き届かず……!」
過日の謝礼と彼女は言うが、あの場における己の不甲斐なき対応は謗りを受けこそすれ称賛になど程遠い。より一層、身が縮む思いがした。
「……もしかして、ご迷惑、でしたか?」
「滅相もありません。このような御心遣いに何条以て迷惑だなどと」
真っ直ぐに目を見て首を左右する。その誤解だけは正さずに置けない。置いてはならぬ。
「実は、この喫茶店は入学当初より目を付けておりました。今までは中々足を運ぶ機会を得られませんでしたが、今回こうして念願が叶いました。更識さんの御蔭です」
「……ぷ」
「?」
「ふ、ふふ、あははは、ご、ごめんなさいっ。ははは、でも、その、やっぱり日野さんはすごいですね……!」
「はぁ……?」
突然少女が笑い出す。口元を手で押さえ、肩を小刻みに震わせながら。
首を捻る己に対して、更識さんは今一度謝罪を口にした。
「言葉遣いとか気遣いとか、ホントにすっごくちゃんとしてて、なんだか同い年の人に思えなくって……あっ、いえ、老けてるとかそういう意味じゃないですよ!?」
「いえ」
「あ、ねぇねぇあれ!」
「おお、男子だ」
「へー、あたしは結構アリ」
「え!? マジ? 強面だし老け顔じゃん」
「あんたはおっさん好きだもんねー。私は断然もう一人の綺麗な子がいい」
「やーいおじ専」
「キャハハハハ!」
「……」
「……」
賑々しく、女子生徒の一団が通りを歩き去っていった。
己に対する忌憚のない品評は別段どうでもよいのだが、それを聞いた更識さんの苦虫をうっかり噛み潰してしまったかのようなその表情がなんとも労しい。
「どうか御気になさらず」
「へ!? え、いや、あのっ……す、すみません……」
なけなしのフォローを悲しむより、それを口にさせられた少女の気不味さが憐れだった。
「あ、で、でも私はわりと好きですよ! 日野さんの顔、とか……っ! はぅ……!」
「御配慮、確と頂戴します。ですがそれ以上は無用に。傷口に塩を塗り込めておられます」
とりわけ貴女にとって。
少女の顔が真っ赤に染まる。火を噴く勢いで。
「ごめんなさいごめんなさい! こう、今もなんですが……ものすごく舞い上がってしまって」
「それは、またどうして」
「私、男の人とこんな風に一対一でお話したことがなくて……それを今更思い出した所為で余計に、恥ずかしくっ」
眼鏡の下で白黒としていた瞳がとうとう下を向く。俯いたまま更識さんは暫し機能停止した。
「光栄です。自分如きをそのような貴重な御相手として選んでいただけるとは」
「そう言う言い方はズルいです! もう! 日野さん!」
「これはしたり」
努めて意地悪く笑みを作ると、更識さんは頬を赤らめながらも笑ってくれた。
「……ちょっとだけ意外でした」
「?」
「日野さんって、思っていたよりずっと優しい人なんだなって……あぁっ、元々悪い人って思ってたとかではなくてですね!?」
「重ねて、どうか御気になさらず」
「うぅ、違うんですぅ……」
少女の涙ながらの弁明に、概ね誤解なく頷き返す。思慮が細やかであればこそ、あたふたとする少女はひたすらに微笑ましかった。
こほん、と咳払いで気を取り直し、更識さんは言を継ぐ。
「その、優しい人だって思えたのは、実はもっと以前からなんです」
「とは、どういった」
「私、この喫茶店にはよく来るんです。そうしたら、日野さんと織斑くんがそこのお店で買い物に行くのを見掛けて」
少女は通りの向こうへ目をやった。街路樹に遮られ見通せないが、あちらには確かに件のスーパーマーケットがある。
なるほど、己の側は露知らず、彼女からの面識だけは得ていたらしい。
「織斑くん、日野さんと一緒の時はいつも嬉しそうで。日野さんも、織斑くんと一緒の時の笑顔がすごく柔らかくて……まるで仲の良い兄弟か、親子みたいでした」
「それは、なんとも面映ゆい」
顔の半分を手で覆った己を、更識さんは微笑した。
ふと、唐突に察するものがある。その笑みは、どこか。
「そんな二人が、とても羨ましかった。私も……」
その後に、しかし言葉は続かず。更識さんはティーカップに口を付ける。
己は気になるまま疑問を口にしていた。
「御姉弟がおられるのですか?」
「……ええ。一つ上の姉が一人」
「そうでしたか」
一拍の間を置いて、少女は今一度笑みを浮かべた。それは陽の光めいて、一際明るい笑顔であった。
「とても優秀な人なんです。運動も学業も、特にIS分野では第一線で活躍できるくらいに」
「それは素晴らしい。偉大な姉君を持たれたのですね」
「はい。それはもう立派な……手を伸ばすのも躊躇うくらい高くて遠い存在です」
「は……」
違和。
不意に視覚と聴覚と感覚に齟齬を覚えた。
少女の笑顔と言葉と声音が、
…………それを問うことは躊躇われた。間違いなく、それは彼女の心の内の繊細な領域へ土足を踏み入れる行為となる。
「日野さん。一つ、聞いてもいいですか」
「何でしょう」
「どうすれば日野さんと織斑くんのような関係を築けますか」
更識さんは、先程からのその微笑を変えぬままに言った。
誰との間柄を慮っているかは、考えるまでもない。況して尋ねるなど無粋の極みであろう。
姉と妹。一言では言い尽くせぬ多くのものがその続柄には生まれる。
日野仁如きが、その複雑難解な“絆”を考察したところで意味はない。そして目の前の彼女とて、そんなことは望んでいまい。
故に、己は己の私心私欲を口にするだけだ。清廉には程遠い薄汚い独善を。
「月並みな表現になりますが……」
「はい」
「愛して、いますから」
「へ?」
目を見張ってぽかんと口を開ける少女。呆然と言葉を失くす彼女に、己は陳腐な科白を吐く。恥を忍んで。
「愛するより外になかったのです」
「――――!! そっ、そう、なんですか」
「はい。そうなんです」
本当にそれ以外に何も無いのだから救いようがない。
彼を愛していた。彼の姉君を愛していた。かの御姉弟を気付けば、愛していた。
ならば、なるほど、他に為す術はないのだと、改めて思う。
対面で、再び少女が赤面の限界に至る。しかし、今度のそれはどこか、違って見え。
「そう、か。そうなんだ。そっか………………それで、いいんだ」
「?」
彼女は小刻みに、何度も何度も頷く。微かな呟きが聞こえはしたが、その意味は一向解らない。
不意に、少女の瞳がこちらに向き直る。ストロベリー・ソーダを思わせる鮮やかな色をした瞳が。
「日野さん、ありがとうございます」
「……どのような点で、御役に立てたのでしょう」
「秘密ですっ」
晴れやかにそう言って、可憐にウインクが弾ける。
そうしてまた、彼女は俯き、囁くように。
「貴方に会えて本当に良かった」
気付けば茜と紺の混交した黄昏れの空があった。
「今日はお付き合いしていただいて、ありがとうございました」
「こちらこそ」
「ふふふ」
喫茶店を出て、彼と別れた。
遠ざかる大きな背中にもう一度お礼を口にする。
貴方の
「もうすぐ追い付くよ……お姉ちゃん」
眼鏡のHUDに通信アプリを立ち上げ、リダイヤルで繋ぐ。
「もしもし……ええ、今別れたところです。彼、アリーナに呼んであげてください」