織斑姉弟(へ)の献身 作:足洗
ラウラ党の方はどうかどうかご注意下されば幸い。
夕食の買い出しに行かねばならない。
少年が用意してくれたメモを眺めながら、スーパーへの道のりを歩いていた。
食材の並びを見るに、和食らしい。千冬さんの好物を中心に考えられたメニューであった。特に彼の作る肉じゃがは絶品の一語に尽きる。実に楽しみだ。
その時、端末に着信が入る。内蔵した機能を用いれば声を発さずとも通話はできるが、そうした横着は一人の場でだけ行えばいい。
端末をポケットから取り出し、着信者を見た。
“シャルロット・デュノア”
「もしもし、日野です」
『仁、大変だ! 織斑くんが!』
続く言葉を聞く前、既に身体は疾駆していた。
アリーナ中央、四方200メートルの競技空間。
地面は土を圧して均された所謂クレーコート。
その只中で。
ISが二機。対峙している。
一機は、箒が装着した量産型IS“打鉄”。武者鎧を思わせる肩当と草摺が特徴的な、学園では主に訓練機として使用される機体だ。
もう一機は……異様。
カラーリングは打鉄同様の黒。非固定式の丸みを帯びた肩部装甲、その右肩には大口径の砲身がマウントされている。手足に装着された
異様なのは、左側。左半身。機械肢と、そこから伸びる生身の腕、ISスーツに包まれた体と顔面、その全てが……ナニかに覆われている。
黒く、蠢く泥のような、脈動するゴム質のような――生きた肉のような。
いやあるいは皮膚。本来のそれに代わって黒い物体があたかも皮膚のように少女を覆っている。
少女――ラウラ・ボーデヴィッヒを。
「お前、一体どういうつもりだ……!」
「……」
箒が低く唸りを伴って言った。それはラウラ・ボーデヴィッヒの暴挙に対する順当な怒りだ。
奴は、自分と箒がアリーナの競技場へ足を踏み入れた途端、攻撃を仕掛けてきた。今は収納されているが、あの装甲の腕に爪状の刃を生やし、襲ってきたのだ。
そして間違いなく、標的とされたのは自分である。
寸でのところを同じくISを展開した箒に阻まれ、現在の睨み合いに落ち着いたが。
箒の詰問にラウラは答えない。
「答えろ!」
「クハハッ!」
もはや恫喝の様相にある箒の言葉を、ラウラは笑った。
いや、会話など初めからする気がない。箒を見てすらいない。
奴は現れたその瞬間からずっと、こちらを見ている。織斑一夏だけを、じっと見詰めて放さない。その金色に輝く左目で。
「……俺に何か用か? ボーデヴィッヒ」
「そう、だ。ほんの、些細な、用が、ある」
「何だよ」
「殺しに来た」
「……」
存外に驚きは少ない。絶句する箒に比べれば、という程度だが。
元々快い印象など地平の彼方並に程遠い初対面。ああ、殺し殺されはむしろ望むところだ。
ならば自分が悔いるべきは、良好な人間関係構築の努力を怠ったことではなく、こういった奇襲急襲を予期した準備を怠ったこと……ジン風に言えば常在戦場の気組を忘れたこの油断である。
こちらの内心を読み取ったかのように、ラウラはニヤリと口端に笑みを刻んだ。
「ISが無い、な。ククク、フッハハ、丁度いい。面倒が無い。痛め付け易い。痛みを、
熱っぽい吐息、熱に浮かされた顔、蕩けた眼でボーデヴィッヒは中空を見詰めた。ここにはない何かを眺めていた。
それが最低最悪に碌でもない光景であることだけは瞬時に理解できる。
しかしそれを阻止する術が、今は文字通りこの手にない。となれば、一番の方法は例によって三十六計……となるが。
摺り足で移動する。出口の方向へ。
しかし。
地面を抉って何かが突き刺さった。自分の足元、数十センチ傍へと。
地面に突き刺さった三角形の
「逃げるか? 逃がすか」
「一夏、退がれ。こいつは私が」
「……こいつ普通じゃない。なんとなくだけど……少なくとも今は逃げることだけ考えるぞ」
さっきから頭の隅で勘だか第六感だかが警鐘を鳴らし続けている。
眼前の敵、ボーデヴィッヒは勿論だが、奴の纏うISそのものに対して、嫌な予感がひしひしと全身を引っ掻いてしょうがない。
まともにやり合うべきじゃない。
――――何よりもこの、嫌悪感が、耐え難い。
「馬鹿を言うな。背を向ければそれこそ良い的だ。私が奴を引き付ける。一夏はその間に出口へ走れ」
「違う! 一緒に逃げるんだよ! ISのスピードでないとダメなんだ。俺を抱えて出口を突っ切れば――――」
「……私は、そんなに不甲斐ないか?」
押し問答に発展し掛けた矢先だった。箒の声はひどく弱々しくて、とても切なげで。
「やっぱり、仁のように頼ってはくれないんだな……」
「箒……?」
あんまりにも悲しそうだったから。
掛けるべき言葉を見失う。制止を重ねるべきだった。だのに、できなくなった。
推進器に火が点る。打鉄が敵機へ突貫した。
「参る!」
「邪魔だ雑魚め」
上段に構えた近接ブレードを打ち下ろす。箒の操縦技術、そのスラスター操作は正直言って不慣れな感が否めない。しかし、剣の技量ならば。
幼い頃から絶えず飽くこともせず振るい続けてきたのだろう剣腕は少女を裏切らなかった。
袈裟懸けの軌跡。瞬なる剣速。精妙なる運剣。
切先が過たず――――顕現したプラズマ製の刀刃に阻まれた。
「ッッ!」
しかし止まらない。それは想定の範囲。
弾かれるままに振り抜いた剣を翻し、下段から同じ軌道を遡る。
上段の一の太刀を対手が防ぐことを前提に繰り出す下段斬り上げの二の太刀。
――――篠ノ之流“
剣速は勿論、この技は相手の『
箒の剣捌きに淀みなど絶無。限りなくゼロに近しいタイムラグを経ての追撃。
斬り上げの太刀は――――しかして、空を滑った。
「な、に……!?」
「クカカカ」
敵機は、真半身になることで逆袈裟の斬線から逃れている。
こちらの意図を読まれた? それとも機体性能の差? あるいは操縦者の並ならぬ動体視力?
否。違う。もっと単純な理由。
敵は“枝垂”を、この技そのものを既に知っていた。そうとしか思えぬほどに敵の反応は早過ぎた。
「私の手番だ、なぁ!!」
「ぐっ!」
両腕にプラズマ刀を生成させるや、黒の敵機は一気呵成に攻め寄せた。
敵は踏み込むと同時に下段から箒の喉笛を狙う。最短距離を走る光条の突き。
当然に箒も防御に動く。切先を中段に置いた守りの構え。
しかし、その受け太刀を敵機は手刀で上から鍔元まで削るように抑え付け、もう片方の手刀で胸を横薙ぎにした。
対して、箒は素早く後方へ逃れる。ここでもやはりスラスターではなく、体重移動と脚運びによる回避運動。
逃がさんとばかり敵もまたそれに追い縋った。
箒は脇構えからの逆胴を放つ。横一文字、空気の引き裂ける音色が響く。
その出端を、太刀の柄を弾いて敵は躱し果せた。さりとて武器を振るうには近過ぎる間合――いつの間にかプラズマ手刀が消え去った左腕、その黒い拳が箒の顔面を殴り付けた。
「ぶっ……!!」
「剣術が得意なのだろう!? 折角そちらの土俵に
少女が笑う。甲高く、音を外した哄笑。初対面の氷像めいたあの印象は何かの幻覚だったらしい。
けれど、箒は無論のこと、傍で見ていることしかできない自分にさえ、そんな皮肉を吐く余裕はなかった。
ただ愕然として。
「二天一流の指先……太刀を上から抑え込むあの動きは、一刀流の一勝……だったか……」
膝を落としながら箒が呟く。
そうして抜打ちの出端を潰した上で最後に拳を叩き込むあの技は、天然理心流の菱割。
「素晴らしい……これが教官の、貴女の技術。その粋なのですね……! やはり教官が、織斑千冬こそが戦神の名に相応しい! あぁこうして敵と相対しているだけでどう戦えばいいのかが解る。敵の動きが、手に取るように読める! すごい! すごいです! これが貴女の世界、貴女の瞳に映る景色っ、貴女と私の瞳が重なって合わさって、繋が、って……!! そうかそうだそうなのだ私は今や教官と同じに、一つになれたのですね!! えへへ、ふ、あは、ハハハハハハハハハハッッ!!」
初めから知れていたこと。それは明言するまでもない事実であったが、やはり言わずに居られなかった。
「狂ってんな、オマエ」
「狂うものか。私は織斑千冬になったのだぞ? 教官が狂う筈がない。ならば私も狂わない。当然に! 必然に!」
突如、一足跳びに敵機が駆ける。直近、打鉄纏う箒へ。
白桃色のプラズマ手刀が閃く。
袈裟懸けの斬り下ろしを太刀で受けるが、箒をしてその一撃で手一杯。二閃、三閃、四閃……無数に空中を奔る鋭利な光の斬撃が打鉄の装甲を文字通り刻んだ。
「ぐぅぅうう!!?」
「ハハハッ! 量産機にしては頑丈だ。そうだなぁ、あと……もう一当てか!?」
「っ! 避けろ箒!!」
有言実行とでも言うか。
箒が突き出した太刀の切先を弾き上げ、敵機は手刀をその脇腹へ突き立てた。
今までにないほど強くシールドバリアを発光させながら打鉄が吹き飛ぶ。絶対防御が発動したのだ。
機体が光の粒子となって解け、その中から箒が投げ出された。
黒い太刀が宙を泳ぎ、放物線を描いて地面に、自分の傍に突き刺さる。
「他愛ない。これでは折角私に授けられた教官の御力をまるで活かせないではないか」
鼻を鳴らし、楽しげにボーデヴィッヒは侮蔑する。箒は既に気を失っており問い掛けにも無反応だが、黒い少女は特に気にも留めなかった。
ぐるりと首を巡らせて、その金眼がこちらを向いた。
「まったく、
金と赤銅、二つの色の瞳が自分を睨む。口元には薄ら笑み。
その二色を真っ向に据えて視線で射抜く。足元の太刀を掴み、地面から引き抜きながら。
「んー? おい、なんだそれは。貴様、まさか」
「……」
黒く塗り潰された左側の顔面が脈打った。少女が、文字通り破顔したのだ。
「ぷっっ! クフッ、キヘッハハハハハハハ!! ブレード一本でこの私に立ち向かうつもりか!? 正気は残っているか貴様!? ハハハハハハハハハハッッ!!」
ここに至って、不幸中の幸いが二つある。
一つは、このIS用ブレード。これは箒が使用していた打鉄の登録武装ではなく、個別に保管されていた貸し出し用備品だ。でなければ、打鉄が具現維持限界に達した段階で本体共々強制量子格納を余儀なくされていただろう。
とても有り難い。やはり無手より、こちらの方がしっくりくる。
これで思い切りあのイかれ女を斬れる。
そして、もう一つ、最も幸いだったのは――――
「無能! 無脳! この戦力差を理解できない。考える頭すら無い。大勢を勘案せず直情に身を任せる愚かしさ。それで、それ、その、そんな、こんな奴が、こんなものがあの御方のおと、弟、おとーと?」
かくん、と糸吊りの傀儡のような挙動で首が
そうして同じほどに作り物めいた目が自分を見るともなしに見た。
「あの方の愛に浴する者。何の努力もなしに、何の才覚も能力も信念も無いくせに、ただ弟というだけで、ただ織斑一夏であるというだけで織斑千冬の親愛を貪る者……」
突然、何の脈絡もなくソイツは痙攣を始めた。身体と同期するIS装甲もまた、装着者と共に鉦を鳴らした。
がくがく、がくがく、がくがくがくがく――――
「お前なんかがお前などお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前がお前が」
あれは打楽器ではなく、壊れた蓄音機だったようだ。
「お前らがあの人の愛をとったんだ!!」
「……」
「お前と、あぁあの男がっ、あの男がぁ!!」
そいつが地団駄を踏むと地面が割れた。矢鱈滅多に腕を振り回し、払われた土煙が散弾めいて周囲に突き刺さる。
恐るべきはISのパワー。脳波・思考活動の速度で伝達された人間の挙動を数百倍に強化してトレースする。
文字通りの猛威を奮うそいつを、自分でも驚くほど冷めた目で見ていた。
「くっだらねぇ」
「――――なんだと」
光沢の薄い黒のブレード。それを上段に構えた。
「今、なんと言った」
「くだらねぇって言ったんだよ」
沈黙が流れた。不吉な静けさ。津波の前触れのような凪。
黒い少女がこちらを見詰める。爛々と燃え盛る金と赤銅の目。
「お前にぃ! 理解などできない! 私のこの怒りが!」
「解りたくもないけど……オマエさ、千冬姉のこと好きなんだろ」
返答はないが別に構わない。弁論大会じゃないんだから。
意見の擦り合わせなんてしたい訳じゃない。ただ。
「なら、ごちゃごちゃ言う前に
「な、なにを言って」
「はぁ」
ただ呆れて、つい口を吐いた。
「邪魔なんだろ? なら殺せよ。その人の愛情をとられたんだろ? なら殺せよ。喋ってる暇があるならさ」
理屈を並べるまでもなく、それは自分にとって、織斑一夏にとって決まり切ったことだ。
ラウラ・ボーデヴィッヒの殺意の理由など知らない。滔々と恨み言を聞かされた訳でもなければ、まともに会話すら交わしていないのだから当然だろう。
交わしたのは言葉ではなく、やはり殺意。この女は日野ジンを傷付ける。心身に関わらず不条理な暴力を彼に振るうだろう。
彼を害する。その一事はその他幾万の理由に勝ってこの殺意を解放する。
「御託が多いんだよ。その上、乞食みたいに
――――まるで昔の自分みたいに
気が狂うほど、彼の愛を乞い求めた。それはココロが芽吹く前の織斑一夏の原点。眼前のラウラ・ボーデヴィッヒと変わらない幼い“初乞い”の記憶。
でも、いつしか狂って狂い切って、少年は遂に完成に至ろうとしている。
目の前のソレが自称するところの、織斑千冬と、姉と同じところへ。
「好きな人の全部が欲しい。でもそれと同じくらい、自分の全部をその人に捧げたい……まあ陳腐だけどさ」
浮遊感、のようなものを覚えた。地に足を付けて剣を握り構えている筈の自分の肉体、その実在を見失う。現実からの乖離。
意識は今を飛び去り、心はただ一人を想っていた。
ジンを、想っていた。
それは酩酊、あるいは恍惚に似た感覚。胸から発して全身をじわりと包む熱。
――――うん、たぶんこれがそれだ。愛、とか、そういうの
今更口にするには恥ずかしい。恥じるべきだ。だってこれは自分だけの、織斑一夏が抱いたココロでしかない。
自分が勝手に思い描いたそれを、愛だの恋だの名付けて相手に押し付けるなんて行為は有体に言って……醜悪。
目の前のソレは酷く、惨く、醜悪だった。
なるほど、この女を斬る理由がもう一つ追加された。
「で? オマエが千冬姉と同じ? 笑わせんじゃねぇ。オマエのそれな、日本語じゃ“出来損ない”って言うんだよ」
発光。敵機の両腕にプラズマの刃が顕現する。
当の操縦者は無表情だった。人間、度を超えた感情はむしろ形を失くすらしい。膨張の極点とは即ち無へ帰結する。
おお、なんだか哲学的だなぁ……なんて。呑気な自分の考えを笑う。
その笑みを嘲笑と受け取ったのだろう――というか意図して受け取らせたのだが――敵機が弾けた。
そうとしか見えない速度で、一歩を踏み出した。ISのパワーアシスト、PICによる慣性減殺、推進器を使っていないことを差し引いても、人間の反射神経など振り切る初速。
「死ィ――――」
「……」
それを加味して、こちらも前へ。
時間感覚の遅延。それは脳が起こす錯覚。動体視力の異常な冴えが見せた加速視界。
半秒のさらに半の半の半で間合は詰まる。つまりは、敵機の、全高3メートルに及ぶISボディが、その長大な四肢によって生まれる最大刃圏。
生身の自分の有効攻撃圏はそれよりも遥かに短い。こちらの刃を届かせるにはどうしたところであともう一歩分距離を縮めなければならない。
光子の爪が頭上から降り落ちてくる。
速度では無理だ。人間の脚力ではISに敵わない。姉は別として、人間とISの体性能差は絶対なのだから。
速さではどうあっても勝てない。
速さでは――――故に、
「!?」
「篠ノ之流縮地法“春霞”」
敵機の進撃、その第一歩目よりも
膝を
だがこれは所詮
……まあ、あの姉ならば実際できそうではある。
そうした埒外の超人はさて置いて。
速度と間合の幻惑でしかないこの技が、しかして今相対する敵に限っては無上の効果を発揮する。
ISのハイパーセンサー。極まった動体視力。
こちらの速度と間合、一挙手一投足を寸分の狂いなく捕捉する超高感度の眼。そう、であるからこそ。
特殊な足捌きによる、言ってしまえば不格好な、不揃いなこちらの走行は――――敵機の目算を大いに狂わせた。
敵の走行よりも早く自身は有効攻撃圏へ。
所謂、懐へ入った。
上段の、絶好の斬り間へ!
「ッッ!!」
歯列から気息を吐き、打ち下ろす。
物打ち所。太刀の切先が敵の、少女の顔面を斬り裂いた。
「……」
「……」
刃先は地を差し、残心も怠ったまま静止する。
敵もまた動かない。
奇妙な沈黙が場に下りた。
「……あはっ、面一本」
おどけて吐き捨て、そいつを見上げる。
呆然とこちらを見下ろす二色の眼。その顔には、傷一つ付いていない。
当然だ。人間の膂力ではISのシールドバリアを抜けない。不可視の壁の向こう側に居る本体に攻撃を届かせるには、やはり同じISの力が要る。
初めから分かっていたことだ。勝負になどならないと。
「その程度で、千冬姉になれたって?」
この一太刀で精一杯。
だから命がある内に一つだけはっきりさせないと。
「無理無理。オマエじゃ絶対なれねぇよ。千冬姉の強さの源をオマエは解ってないから」
「…………それ、を」
「千冬姉の心の底にあるもの」
「それを口に、するな」
「千冬姉の、オレ達の生きる意味。それを与えてくれた人」
「言うなッッ!!」
少女の絶叫と絶望への予感に、微笑を送る。
親しみすら込めて。
「
「――――」
少女の機械肢、黒い拳が落ちてくる。
それがきっと自分の見る最期の光景。
そうそう。もう一つ、不幸中の幸いは――――こいつがこの程度でよかった。こんな奴、相手にもならない。千冬姉は勿論、ジンにだって。
変えられやしない。オレ達の繋がり、絆は、何一つ揺るがない。
(あぁ……よかった)
安堵を噛み締めて、視界は黒く染まり意識は闇に沈む。
――――ジン。千冬姉のこと、頼むな
甲鉄の拳で殴り付けてなお少年の頭部が陥没しなかったのは、ひとえに自身のコンディションが最悪最低のさらに下を穿孔していた為だ。でなければ、IS越しの殴打は人間を土塊同様に粉砕しただろう。
力なく昏倒した少年を掴み上げる。
首ではなく胴体を掌握し、そのあどけない寝顔と相対する。見れば見るほど、あの人の面影が、いやもはや瓜二つと言ってよいほどに似通った顔立ち。それを奥歯を軋ませながら睨んだ。
「クソッ、クソ! クソ! クソォ!!」
もう1キログラム、それ以下でもいい。生身の手にそれだけの力を加えたなら、ISは即座にそれを数百倍に強化して、遂にはこの手の中にある人体を圧潰させられる。
だが、今はできない。それをすれば我が復讐は未完のまま終わる。怒りと憎しみの成就の機会は永遠に失われる。
あの男に見せ付けるのだ。愛する者が痛め付けられ、無残な死を遂げるその光景を。奪われる苦しみを痛みを思い知らされるのだ。
私が味わった全てを、あの男に与えるのだ。
丹念に丹念に心を込めてこの憎悪を捧げる。
そうでなければ。そうでなくては。
「ジン……早く、来い。来てくれ。早く。お願いだ。ジン、ジン、ジン、ジン、ジン、ジン……!」
譫言が口から垂れ流される。止め処なく、止める術もない。
怨敵の到来をただただ待ち焦がれた。この焦燥は耐え難い。気が狂いそうなほどに。
『エネルギー反応急速接近』
「!」
頭上20メートル。アリーナの防護シールドが激しく発光する。
内外を問わず、あらゆる物体の素通りを許さない強固な守護結界。先の学園襲撃事件以後、出力の強化措置が行われたというエネルギーバリアは――――何程の抵抗も叶わず、穴を穿たれた。
降り来る、黒。
自機と同様、あるいはそれ以上に、光を嫌うかの如く暗黒を纏うその姿。
悪鬼、悪魔……魔神。禍々しさを圧し固めて形作られたかの異様。凶兆の体現。暴力の権化。
魔神・提陀羅。そしてそれを駆るのはただ一人の男。
乞い求めた彼が。
「やっと来たぁ」