織斑姉弟(へ)の献身 作:足洗
「
コールと同時に展開した外骨格が万分の一秒で内骨格と同期。
皮膚組織および筋組織の有機的癒着・結合。身体関節部位主要十六ヵ所を固定杭が噛み止め、名実共にIS用強化外骨格“提陀羅”との融合を果たした。
煉瓦道を踏み砕き、跳躍しながら背部推進器へエネルギーを叩き込む。爆発的反作用は体長3メートルの巨躯をいとも容易く空へ打ち上げた。
茜の名残が地平線に消えていく。もうすぐ暗く、黒い夜が降ってくる。
モニターされた最短経路を爆進すること四秒弱。
アリーナの全容、そして半透明の防護シールドを視認する。接近に伴い衝突リスクの警告が発されるがもう遅い。
「
一切を無視して、バリア表面に右拳を撃ち出した。
拮抗は瞬にも満たず、エネルギーの膜に風穴が空く。
そうして減速など考慮にも上らぬ。勢い両脚からアリーナのフィールドへ着地、地表を砕いて制止する。
周辺探査。熱源は三つ。
小さな一つは箒さんだった。薄いISスーツのまま地面に倒れ伏し動かない。打撲、裂傷が見られるがバイタルは正常値。気を失っているだけだ。
最大のエネルギー反応は言わずもがな、ISである。ドイツ航空軍IS特殊部隊配備、第三世代機シュバルツェア・レーゲン。登録装着者はドイツ代表候補生、同部隊隊長ラウラ・ボーデヴィッヒ少佐。
対象を
「――――」
夥しい情報は文字列、記号、意味消失して幾何学模様に成り下がる。
音が消える。外耳内耳、鼓膜から三半規管。耳という器官。聴覚が消える。
色が消える。色彩を判別する諸々が不全し、世界が灰と黒と白に満ちる。
小さな、それは小さな熱源反応。今にも消えてなくなってしまいそうなほど、儚い。強風に身をくゆらす蝋燭の灯めいて。
それ、その人物、あの子にだけは色があった。
「……ぃ……あ……」
言語野には今、不毛の地平だけが茫漠と広がっていた。
名を、呼んだような気がする。大切な、大切な大切な大切な大切な、ひどく大切な名を。
「フッ、ヒヒ、ハハハ」
「……」
黒い機械の手が少年の身体を掴み上げ、そうしてこちらに掲げて見せた。
だらりと力なく項垂れ、身動ぎ一つしない。真実、物言わぬ物になってしまったのではないか。その予感は極大の寒気を全身に齎した。
まだ息はある。
現実を、現状を把握せよ。
提陀羅のあらゆるセンサー類を無意識に総動員していた。彼はまだ生存している。
だから、はやく――――
「キヒ」
黒い機体。黒い少女。黒く染まったラウラ・ボーデヴィッヒ。
ボーデヴィッヒは
途端、露になる裸身。柔く細く、光るような白さ。少女の纏う黒き装甲とは正反対の。
あまりにも脆い肉の肌。あまりにも鋭過ぎる鋼の外殻。
鋼の爪先を、ボーデヴィッヒは少年の胸に添えた。
「見ろ」
音もなく三本の爪の尖端が素肌に沈み、そのまま斜めに滑る。
程なく滲む、朱。三列の紅い傷痕から血が滴った。
彼の、血が。
一夏の、命が。
「傷付けてやったぞ。傷物だ。貴様の、愛しい者は」
血を纏わせた指が、次に少年の左腕を抓む。
「知っているぞ。そう。貴様はあの日、二年前の、織斑千冬の第二の栄光の日、襲撃犯に左腕をもがれたのだろう? 無様にも、不甲斐なく、ただ無力に! 無能の弱者め! 私ならばそのような失態を演じなかった! 私ならばあの御方の名誉を守れた! 完全無欠であった筈の教官の人生に貴様が汚泥を塗り込めたのだ!! よくもっ! よく、も……! アァ…………だから」
そうして、小枝を手折るよりも遥かに呆気なく。
「喜べ、これで
少年の腕が曲がる。肘が裏返り、筋が裂け、皮が破れ、骨の端くれが突き出た。
汚水に浸した雑巾を絞ったような、血は奇妙なほど黒々として見えた。そして滂沱する。滝のように。
「クッハハハハハハハハハハハ!! 仮面の下に隠そうが解るぞ! 感じる! それだ! 今貴様の全身を貫く痛みが! 苦しみこそが! 私の味わった絶望だぁッッ!!」
薄皮で辛うじて繋がっていた腕が今、落ちた。
四肢の破断に際しても少年は無反応。彼の昏睡は深い。
出血量が生命維持に支障を及ぼすまでどれほどか、演算は終わっていた。
痛みを知らず少年が眠りの底にあることは幸いだった。泣き叫び苦悶する少年を見ずに済んだ。それはどこまでも無為な、気慰み。
これで幾度目になろうか
これで幾度、彼を死地に晒したろう。
数えれば三度目。三度にも亘って。
けれど此度は違う。以前とはまるで様相を異にしている。
敵の殺害意志は疑いようもない。
殺す。
敵は少年を殺す。敵の瞳に絶対の、言葉無き宣誓を見付けた。
暴力行為自体を目的とした無頼共、織斑一夏少年の身柄の拉致監禁を目的とした犯罪組織、何れも危険性は高かった。しかし何れも、殺害の企図は皆無であった。
殺される。一夏少年が殺される。
「そうとも。死ぬんだ。今ここで。織斑一夏は殺される。この私に」
黒い手が開く。少年の身体を解放する。
中空にあった彼は当然に地面へと落下した。崩れ落ち、倒れた一夏少年。
敵は脚部推進器を、装甲に鎧われた足を上げて、少年の頭に。
踏み付けて、いない。
足下と地表とに少年の頭を挟んで、静止。
そして次の瞬間にはきっと、それこそ西瓜のように。
「奪われる恐怖を思い知れ……」
あの子が、死ぬ。
「奪われる苦痛を思い知れ!!」
死んで、しまう。
「私の憎しみと怒りを!! 思い知――――」
――――――――ゆるさぬ
思い知れ。
万感の憎悪と憤怒、想いを込めて叫ぼうとした。
開こうとした口が、開かない。発しようとした声が塞がれる。
視界が暗い。遮られている。
これは、掌?
『エネルギー
巨大な手掌。それが自身の頭を丸ごと掴み取って。そして。
装甲越し。機体が直に接触したことで内部音声が混線した。
女性型の、おそらくは操縦支援AIの声が。
『イグニッション』
「ッッ!?」
そのような錯覚を起こすほどの重力負荷。加速。
速度。
一瞬で最大速力に達し、一瞬で距離を詰め寄られ、完全な知覚限界外から自身は捕獲された。
頭を掴まれ、飛んでいる。
(なんだこれは!? なんだ!? なんだこの出力は!?)
こちらもスラスター噴射で押し返し――――不可能。減速すら。
推進力が、マシンパワーが違い過ぎる。
こんな性能は知らない。事前調査で得たマシンスペックとは桁違いだ。何故だ。馬鹿な。偽の情報を掴まされたのか。あるいはこの
――それとも
それとも、作用したと。
驚愕、焦燥、疑念。そうした悠長な思考遊戯が許される時間は無く。
アリーナの防護シールド、延いては外壁、建造物そのものが背後へ迫る。このポジションでは文字通り圧し潰されてしまう。
衝突警告。残ミリ秒単位。
「グ、アアッッ……!!」
スラスター最大噴射。背面ではなく、上へ。正面からの押し合いなど話にもならない。ならばせめて。
位置関係が変わる。
壁と敵機の間ではなく、地表を背に。
ほんの一瞬、自機と敵機が上下に並行飛翔する。つまりは。
自機敵機諸共、