織斑姉弟(へ)の献身   作:足洗

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54話 罰も無し

 

 

 一歩、男は砂地を踏み締めた。巨大な装甲の四肢によってただでさえ体高の大きなIS。提陀羅と呼ばれるあの機体の巨躯は極め付けだろう。

 そのたったの一歩が、重い。損傷程度の重度軽度ではなく、存在感が。偉容が発する威圧が、重力的な重みを伴うのだ。

 

「っ、ぁ」

 

 知らず、息を呑んでいた。

 身体は半歩、後退りしていた。

 これは、怯え?

 一歩、また一歩と敵は近付いてくる。推進器を使わずその脚で、ゆっくりと。

 

「く、来るな……」

 

 その一足で血が滴る。装甲が軋み上がり、今にも瓦解しそうだ。

 骨や内臓とて無事ではない筈だ。誰あろう自分自身の劣悪極まるこのコンディションが先の墜落の凄まじさを物語っている。

 だのに、敵は止まらない。そう、初めから――織斑一夏という存在を害されたその瞬間、かの男の中から停止の二字が消え去った。容赦という概念が忘れ去られた。

 それは不退転。不退転の憤怒(いかり)

 奴は止まらない……ラウラ・ボーデヴィッヒを赦しはしない。

 

「来るな!」

 

 血の轍を刻みながら、来る。

 鈍い銀の眼光が己を射抜く。まるでそれは対の色彩。己が左の金眼(ヴォーダン・オージェ)と正対称の。

 しかして、内情は。

 敵の威圧は確実に自身を怯え竦ませていた。否応もなく、心胆は震え上がった。

 不甲斐ない。なんという惰弱だろう。この期に及んで軟弱の極みだ。恥を知れ……そうした己を叱咤する言葉は幾らでも湧いて出た。しかし、どれ一つこの震える足腰の支えとはならない。

 どうしてだ。何故。

 敵を、真っ直ぐに見られない。

 

 ――――本当は気付いてるんじゃないのか、その理由に

 

「ち、ちち違うっ。わわわわたし、私は、私が、私こそが……!」

 

 波打ち際、男は小波を踏んだ。自身が半ば沈む浅瀬へ、もうすぐに、もう間近に。

 その左腕が、初めて動いた。

 今の今まで気付かなかった。視界には確かに映っていた筈なのに。奇妙なほどその存在を認識していなかった。

 敵機の黒い全身装甲で唯一、白銀に彩られた異形の腕。均整からは程遠い。左腕だけ設計時のマシンスケールを誤って設定してしまったのだと説明されればまだしも納得できたろう。指先は(くるぶし)に届き、径は胴体(ウエスト)と大差がない。

 巨大な左腕、その巨大な拳は全てを砕く。砕き、壊し尽くすだろう。

 その確信が戦慄に変わる。

 

「来るなぁああああ!!」

 

 長大な左腕が網羅する間合、有効攻撃圏。それこそまさしく己の死線。そこへ足を踏み入れられたその瞬間に。

 ぎちり、と。

 敵機が停止した。まるで油切れを起こしたブリキ人形のように。

 

「へ」

 

 右腕の切断面から垂れた血が長く尾を引いている。流れ出るその途中で瞬時に凝固してしまった、などという訳もなく。

 何も、不思議なことではない。これこそシュバルツェア・レーゲンの固有武装『AIC』なのだ。視覚的に捕捉したあらゆる動体の慣性を能動的に減殺、つまりは固定する。

 一部の重火器、光学兵器を除けば、あらゆる物体、実体兵器、ISすらもその行動を制止できる。

 限りなく無敵に近しい能力。それを行使した。

 敵機は今や、運動ベクトルごと完全停止状態にある。

 

「はぁ、はぁ、はぁ、はぁ」

 

 乱れた呼吸を整える、その間を惜しんだ。片時も目を離せない。過剰な集中を視覚に強いた。

 うっかりと、ほんの一刹那、寸毫でも油断すれば、この魔神を解き放ってしまう。

 そんな強迫の念が頭を支配する。

 ありえない。一度捕らえてしまえばどれほどのマシンスペックでも意味を為さないのがこの停止結界だ。

 

「はぁ、はぁ……そうだ」

 

 パワーなどもはや無意味。

 感情が、機械兵器たるISの力を引き出すなど。それではまるで、まるで。

 

「貴様の怒りなど、無意味だ。憎しみなど無価値だ」

 

 まるで、こいつの想いが正しいと、そう表しているかのようじゃないか。

 そんなこと。

 

「貴様のっ、そんなモノが、私の痛みに敵うものか! 私の苦しみこそがもっと! もっと!!」

 

 正当な怒り、復讐心が、この男を衝き動かしている――――などと。

 認めない。認めない。認めない。

 

「だから! 私には!」

 

 そうでなければ。そう、()()()()()()()()。終わる。(ラウラ・ボーデヴィッヒ)が終わる。

 行動の正当性。殺戮の特赦。復讐の、権利が。

 全て消える。初めから、無かったことに。

 初めから……そんなもの無かったことを思い出してしまう。

 

「貴様と織斑一夏を殺す権利があるんだぁっ!!」

 

 きっと、それが最後の(たが)だった。

 暴流を押し止める(せき)だった。

 自身の命を長らえていた唯一の、最終防衛線(デッド・ライン)

 私は自らそれを切った。言ってはならぬことを言ってしまったのだ。

 

単一仕様能力(ワンオフ・アビリティ)解錠(アンロック)

 

 ソプラノの機械音声が告げた。終わりの始まりを。

 敵機の左腕装甲が変型する。

 

『吸気・排熱弁全閉鎖』

「な、何故」

 

 AICは今現在もなお作動しているのに、慣性ごと敵機を封殺している筈なのに、何故。

 何故動く。

 なんで。

 

『エネルギー経絡(ライン)全基直結……失敗。サーキット再検索……破断。バイパス生成……途絶。再接続……途絶。再生成、失敗』

 

 機械音声による機体状況報告がエネルギー回路の不調を訴え続ける。

 当然だ。先刻、敵機は推進器に絶えず過剰過給(オーバーブースト)を掛け続けた。許容限界を超えたエネルギー供給と無茶な機体操作、加えて四肢欠損と墜落による純粋なダメージも伴えば内部機構は文字通りズタズタの筈。

 敵機のワンオフがどれほど強力であろうと、そもそもエネルギーを供給できなければ、発動させることは決して――――

 

『エネルギー経絡、()()

 

 その時、敵機背面装甲が弾け飛んだ。そう、それこそ、上蓋を勢いよく開くように。

 遮るものを押し退けて、中から這い出てくる。

 

「ぇ……?」

 

 銀白色にぼんやりと光る細く長い紐、コード、糸? 夥しい数の触手。それが白蛇のようにうねり、のた打ち、次々に提陀羅(だいだら)の背中から生えてくる。

 

「な、に」

 

 突如、それらは一斉に男の左腕へ突き刺さっていった。獲物へと喰らい付く姿、まさしく蛇の様相で。

 

『エネルギー経絡、全基直結』

 

 拳が。銀の拳が握られる。

 左腕に対するエネルギー供給にはもはや何の妨げもない。文字通りコアと()()されたのだから。

 瞬くようだった光は、刻一刻と暴力的な質量で発光を強めていく。それこそ、恒星の誕生を想起するほどの。

 

『エネルギー強圧縮開始』

「なんなんだ、おまえは……おまえは()()()!?」

 

 それは殺戮の炎。あらゆる全てを壊し尽くす力。

 全てを止める結界すら無意味。きっと存在することも許されない。

 

「お、おまえなんかっ。おまえなんかが教官に愛されていいはずがない!! 教官は、わたしのものだ! わたしをもっと強くしてくれる! わたしをもっと完璧にしてくれる! わたしこそがっ、教官に相応しいんだ!! わたしの方がもっともっと教官を愛してるんだ!!」

 

 恐怖が、来る。

 叫ぶことを止めれば終わる。心すらも砕けて散る。

 せめて遠吠えを。せめて恨み辛みを吼え浴びせて。

 

『エネルギー圧縮臨界点……突破。出力400%オーバー』

「おまえなんか! おまえなんか!!」

「ォ……」

 

 せめてこの想いだけは、負けな――――

 敵機の仮面に亀裂が走った。それは細かく、蜘蛛の巣が張り巡るように。

 口唇防御装甲(フェイスガード)が砕けて散る。その下から、見えたのは。

 

「ォ、ァ」

 

 その下にある筈の人間の口が無い。

 その下にあったのは、(アギト)。乱杭歯、頬まで裂け開く獣の顎。

 

「オォォオオオオオオアアアアァアァアアアアアアアアアアアアアアア!!!!」

「ひぃっ……!?」

 

 咆哮が憤怒を謳った。

 引き絞られた腕が空間を走り、拳が貫く。

 

『単一仕様能力解放』

 

 目前にあるものを今一度理解する。

 それは死であり、無であり。

 そして、罰だった。

 

神威(ゴッズインパクト)

 

 頬に一筋流れるそれは涙だった。恐怖か絶望か、それとも悲しみだろうか。

 もしかしたら、後悔だったのかもしれない。自分というもののあまりの愚かしさに。

 

「――――あぁ、神よ……」

 

 全ては遅い。

 全ては光に包まれ、終わ――――

 

 

 

 

 

 

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