織斑姉弟(へ)の献身   作:足洗

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55話 断罪する慈悲

 極光が視界を埋め尽くし、逃れ得ぬ死にその身を委ねた……しかし、期待した安寧な暗闇はいつまでも訪れない。

 耳慣れた潮騒がまた響いていた。

 風穴を穿たれた大気が、常態を取り戻す為に轟轟と唸りを上げながら揺れ荒れる。

 目を開ければ、そこには。

 全身、とりわけ左腕を白熱させ、熱気と蒸気を周囲に撒き散らす敵機、提陀羅の姿。夜闇も色濃い水辺に、焦熱した赤と白と橙でグラデーションされた装甲は目にも痛々しい。

 

 ――――けれど真っ先にこの目が捉えたのは、満身創痍を晒すその巨躯などではなくて

 

 訓練機。学園が保有する量産型IS打鉄。

 一騎のISがそこに、提陀羅の前に佇んでいた。いつの間にか、あるいは初めから存在していたかのように自然な様で。

 ……いや、()()こそが、男の傍らこそが、自分の居所なのだと主張しているのだ。明確に。決然と。見せ付けて。

 あの人が。

 潮風に鴉の濡れ羽色をした黒髪が泳ぐ。

 

「き、教官……?」

 

 織斑千冬。織斑教官が、ISを纏ってそこにいる。

 それは不思議なことだろうか。彼女は名実共に揃った世界最強のIS操縦者。そんな御方がISを使うことの何がおかしいという。

 間違いなく、異常事態だった。

 第一回モンドグロッソ優勝者、ブリュンヒルデとして名を馳せた織斑千冬が、突如として表舞台から姿を消して数年。

 その間、彼女がISを装着したのはたったの一度。ドイツIS特殊部隊において彼女が招聘教官を務めていた折、本国から日本へ、単なる移動手段としての私的利用のみ。

 戦闘行動はおろか実地訓練の時さえ、彼女が自らISを纏うことは終ぞなかった。

 それが、今。

 

「ど、ど、どうして、貴女がここに」

 

 恐れが、畏れが、隠しようもない怯懦で声を震わせ、問いを投げ掛ける。

 彼女は、しかし答えてくれない。

 彼女の視線が向かうのは一人。一人の、男。

 

「ジン……心配するな。一夏は生きている。一命を取り留めたよ。お前の御蔭だ」

 

 囁くように優しく、労わるように繊細な声音で織斑教官は言った。

 まさか。何故。あの重傷で助かる筈がない。内心を動揺と驚愕が駆け巡る。

 

(アレ)がお前に寄越した妙な薬でな。悔しいが流石は天才、というやつだ。傷を塞ぐどころか、塗布した端から再生していった。もう傷一つ無いぞ、あいつの身体には。ああ、お前が迷いなく一夏に薬を持たせていたから、手遅れにならずに済んだ……ふふふ、自分に使おうなんて微塵も考えないところがお前らしいよ」

 

 そのまま彼女は男の頬に触れる。打鉄の機械肢(マニピュレータ)が焼け付く音を聞く。現在の提陀羅の機体表面温度は金属の融点に匹敵している。皮膜装甲(スキンバリア)越しであってもその異常加熱は相応の苦痛を触れるものに返すだろう。

 だのに、彼女は触れるのを止めない。その行為に込められた意図は、誤解の余地もない。

 いやだ。いやだ。いやだ。解りたくない。そんなこと知りたくない。

 

「だから、ジン。おやすみ……安心して、目を閉じて、ゆっくり休むんだ」

 

 女は男を愛撫している。

 溢れるような情愛で、男をただただ愛でている。

 何一つ違え様もなく、他の何一つ必要とせず――――

 

「ん……」

 

 口付け。女の薄い紅色の唇が、男の口を(ついば)んだ。何度も何度も、何度も。

 そして、

 

「んっ、ふ、ちぅ」

 

 唇の隙間から、もっと紅い、紅い舌が、這い出て、男の唇を這いずって、舐り、転がし、そうして侵入(はい)った。

 女が男を貪っていく。

 

「あ、や、ぃや、いや、だ……ちがう、こんな、ちが、違うっ……!」

 

 紅潮した頬、潤み濡れた瞳。

 情愛、情欲の赴くままに、唾液を啜り、時に流し込んで。

 互いを液状化させ、一つに混ぜ合わせている。機械のそれではない、生物的な熱が、真実二人を溶かし合わせている。

 

「違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う教官はこんなことしない教官はこんな顔をしない教官は完璧で冷徹で強くて優しくて綺麗で清らかで高潔でだからこんな、こんな淫らなことしない!! 絶対にしないんだ! しないんだ! 教官はっ……!!」

 

 一度は閉ざされた私の道に、今一度光を差し与えてくださった。彼女こそ救いの女神。ヴァルハラより降り来った戦乙女。

 崇敬対象。絶対信仰。

 織斑千冬はラウラ・ボーデヴィッヒにとって唯一無二の、たった一人の――――

 

「……んっ、はぁ……なんだ、まだ居たのか? ラウラ」

「へ、ぁ」

 

 不意に、熱い吐息を零して彼女が呟く。その唇には、淫靡に唾液が糸を引いていた。

 流し目が己を見るともなしに見る。興味があまりにも薄くて、どうでもよくて、気を向けることさえ億劫だと言わんばかりに。

 心が、体が、伽藍洞になっていく。その意味を理解して、私は自壊して。

 

「逃げるなら今だ。この機体にはもう飛行できるだけのエネルギーが残っていない。祖国へ尻尾を巻いて帰るというなら見逃してやる。既に学園のIS部隊には貴官の捕縛を下知した。男性IS操縦者への暴行および傷害、殺人未遂。貴官の身柄は一時学園で拘束された後、国際法廷の下に裁かれるだろう。ドイツへのバッシングは強烈を極め、となれば、晴れてお前は名実揃った国辱となる訳だ」

「そん、な」

 

 祖国の為に作られた自分が、その益足らんと全てを捧げた自分が――――国辱。

 国家の面汚し。その栄光に染み付いた汚点。

 己が口にした、織斑一夏を、日野仁を指して断じたそれ。それに、なったと。

 敬愛(あい)する貴女が、そう私を断じていた。

 

「私なりの、せめてもの(はなむけ)だ。祖国に戻り進退を決めろ。それとも……」

 

 一歩、彼女が身を翻す。

 ようやく、今日この日、初めてかもしれない。本当の意味で、貴女が私と向き合ったのは。真っ直ぐに私を見てくれたのは。

 真っ直ぐな殺意を込めた瞳で、織斑教官が私を見ている。

 

「私の手で引導を呉れてやろうか。あるいはその方が趣深かろう。お前は私の教え子だ。私の可愛い、ただの教え子。それ以上でもそれ以下でもない」

 

 また一歩、近付いてくる。足取りは軽く穏やかで、声音は気安くて優しげだった。

 

「それ以外には、ならないんだよ。ラウラ」

 

 微笑みが柔く自身を包む。

 それは紛れもない慈悲だった。

 

「さあ、おいで。今()()()をあげよう」

「ひっ……ぃ、いぃ、いぃいやぁあああぁぁあぁぁ!!?」

 

 私は、最後の慈悲に背を向ける。

 おわりの恐怖が胸の穴で凍て付いていた。

 推進器が焼き切れることさえ構わずエネルギーを叩き込み、空へ。暗闇の虚空へ、ただ逃げた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 夜空を逃げ去る機影を早々に見限って、踵を返す。

 未だ焦熱冷めやらぬ黒い機体。怒りの炎に文字通り身を焦がす男の元へ。

 

「ジン、お前の猛りが愛おしい……」

 

 憤怒が熱量を発し、力を齎す。非科学的な現象を体現した男が。

 その力が何によって生まれたのかが解る。その怒りが誰を想って燃え盛り煮え滾っていたのかを知っている。

 たった一人の少年を想って、男は骨肉を燃やし、遂に殺意すら解放した。

 

「自分の感情に微塵も価値を認めない癖に……こんなになるまで」

 

 身体はどこもかしこも灰の燃え止しのようで、右腕は喪われていた。左腕に続き、またしても男は肉体を損壊させた。

 一夏の為に、使い潰した。

 男を抱き締めると、打鉄が機体ダメージに悲鳴を上げた。気にも留まらないが。

 この熱、痛みを、どうして厭うことがある。慈しみこそすれ。

 

「ごめんな、邪魔して」

 

 提陀羅の単一仕様能力(ワンオフ・アビリティ)行使を阻んだことで、打鉄のシールドエネルギーは今や風前の灯だ。

 

「ふふ、お前が咄嗟に左腕をへし折ってくれなければ私は刀身ごと消し飛んでいたな」

 

 現に、男の銀の左腕は肘が真逆に折れていた。あの一瞬ではエネルギー放出を止める術はなく、内部機構を直接変形させることで無理矢理に軌道を変えたのだ。そのツケがこの有様。

 そして打ち込みを去なした近接ブレードは柄を残して文字通り消滅した。

 

「……お前の殺意は正しい。その怒りを私は心から尊ぶ。うん、だからこそ」

 

 その殺意を無駄に浪費させはしない。いつか来る大切なその瞬間まで。

 日野ジンが、真に殺すべき者を見付けられるまで。

 

「大切に取って置いて欲しいんだ……私の、我儘だ」

 

 不意に電子音が鳴る。呼出音(コール)

 学園IS部隊固有のチャンネルだった。

 

「どうした…………容疑者のISは追尾(トレース)できる筈だ。なにジャミング? 発信源の特定は別班に任せ、先発の班は目視で捜索を続けろ。行動は原則ツーマンセル、並行して周辺警戒を厳とせよ。それと――――救護班は何をしている。クビを()()()たくないなら十秒で来い。以上」

 

 通信を終了し、堪えていた溜息を吐き出す。

 肩を竦めて傍らの男に笑みを向けた。

 

「やれやれ、どうやら今夜も残業だよ……」

 

 そうして膝を付いて、もう一度だけキスをした。

 

「……ありがと。これでまた頑張れる」

 

 

 

 

 

 

 

 

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