織斑姉弟(へ)の献身   作:足洗

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姉より優れた弟なぞ存在しねぇ。




6話 起床、再会の印

 走る。アスファルトを蹴って、ガードレールを跳び越え、車道を突っ切る。トラックをすんでのところで回避、けたたましいクラクションの音が耳を素通りした。

 白い病棟の入り口が見える。

 飛び込む。

 

「あ、織斑さん。今朝ご連絡した――――」

 

 声を掛けてくる看護師の横合いをすり抜けて、廊下を疾走する。背後で何か叫んでいた気がするが気の所為だろう。

 エレベーターを待つだけの堪え性などある筈がなく、階段を二つ飛ばしで駆け上がる。

 七階のエントランスを駆け抜けてすぐ、701号室の扉を電動を無視して抉じ開けた。

 

「――――」

 

 陽光と、室内の白さが目を焼いた。白光する視界が徐々に世界を取り戻した時、最初に見付けたのは。

 見たいと強く望んだもの。揺れ動きながら、それでも願った光景。

 大きな背中が窓辺に佇んでいる。立って、歩いて、陽の光を浴びている。

 ジンが、そこにいる。

 

「ジ……」

 

 名前を呼ぼうとして、失敗する。発した声は掠れているし、途端に喉は震えてしゃくり上げ、つんと鼻の奥に痛みを感じた。

 けれど、彼は振り返った。少し伸びた髪が、男の動きに合わせて揺れる。彼は一瞬目を見開いてから、口元に微かな笑みを浮かべた。

 

「一夏さん」

 

 あぁ、ジンの声だ。

 自分を呼ぶジンの声。

 ジンがまたその声で、名前を呼んでくれた。

 

「っ!」

 

 喜びともどかしさに胸がどうにかなりそうだった。身体はとっくに我慢の限界で、頬を伝う熱を自覚しながら駆け出していた。

 飛び込んだ胸に顔を埋める。自分を包み込む彼の匂いが、余計に涙を加速させた。

 背中をそっと叩かれる。小さな子供をあやすように、全部を許してくれる父親のように。

 こんなの、耐えられる訳ないだろ。

 

「ぅ、ぁあっ、じん゛! じんん゛! う、えぁ、あぁあああっっ!」

「はい。自分はここに居ります」

「あぁぁあぁっぁあああああ……!」

 

 嗚咽のまま、男の顔を見上げる。自分の方はきっと酷い顔をしているんだろう。それでも彼の顔が見たかった。

 優しげな微笑の中に、まるで許しを請うような目。

 それはきっと、自分が泣くからだ。こんな風になってしまうくらい自分の心を掻き乱した。その事実に、どうやら彼は罪悪感を抱いている。

 どうしようもなく真面目な彼のそのどうしようもなさが――こんなに愛おしい。

 

「…………ジン」

 

 吐息のように口にすると、その熱っぽさに自分で驚く。

 目を見て、頬を見て、首筋を見て、最後に唇を見て視線は釘付けになった。

 外界の音を消し去るほど、心臓の鼓動が耳の血管を脈打たせている。ちっぽけな理性が見せ掛けの制止を訴えているがもう遅い。

 爪先に力を入れて、背伸びすれば口付け――――

 

 突然、一斉に窓が軋みを上げた。

 

「!」

「うひゃいっ!?」

 

 飛び上がる自分を抱きかかえ、ジンは一瞬で窓から距離を取った。自分を庇って立つ大きな背中、あの時と同じ。

 ――――同じ、銀発色の左腕を構えて。

 

「!? ジン、その腕……!」

「話は後ほど。ISのエネルギー反応が接近しています」

「な!?」

 

 先程まで無かった筈の腕があり、居る筈のないISが存在し、ここは病院でジンは目覚めたばかり、また自分が狙われているのか、またジンがその犠牲になるのか。

 平静には程遠い心が現状の情報量にパンクしそうだった。

 唯一の、今なお握り締めてくれる右手だけが、寄る辺。

 程なくそいつは現れた。

 黒く大きな機影が窓を覆う。

 悪魔のような翼を背負った西洋甲冑。その騎士にあるまじき意匠のISを纏っていたのは。

 

『二人とも、私だ。窓を開けてくれ。流石にぶち破るのは気が引ける』

「千冬姉!?」

 

 窓を開け放つと、彼女はISを除装しながら室内に跳び込んだ。テレビでよくIS操縦者が着ているレオタードのような姿ではなく、石灰色の軍服姿。危なげなく着地し、軍帽を取る。

 女性にしては精悍に過ぎる顔立ちが服装も相まってより一層カッコ良かった。

 ジンはその場で一礼した。この二人ならむしろ敬礼を交わした方が違和感ないかもしれない。

 

「……長らく、ご無沙汰しておりました」

「丸一年昏睡していた奴が言うセリフか、まったく……相変わらずで安心したよ。おかえり、ジン」

「は!」

 

 姉は微笑して、何故かもう一度軍帽を深く被り直した。目に浮かんだ雫を気恥ずかしそうに隠している。

 自分達姉弟(きょうだい)と、ジン。三人が、本当の意味で再会を果たした。その事実がまた鼻の奥を突く。

 和やかな空気に浸ろうとして……ふと思い留まる。

 

「いや、というかなんで千冬姉が日本にいるんだよ」

「なんだなんだ。私が見舞いに来てはいけないのか? 一人でないと何か“都合”が悪かったかな」

「ぐぬっ……や、そんなことは、ないデスよ……?」

 

 一瞬で元通りに復帰した姉に対して弟に為す術などあろうか(反語表現)。

 そして千冬姉曰くの自分の“都合”に晒されていた男は、何の気遣いかその話題をスルーしてくれた。

 

「……その軍服。ドイツの航空軍のものでは」

「いいや、意匠は似通っているが厳密には違う。ドイツで新設されたIS特殊部隊のものだ……例の一件の事後処理につまらん借りを作ってしまってな。現在私はそこで招聘教官なんぞをやらされている」

「そ、そうだよ。休暇の許可が下りないとかで、ついこの間も電話口で暴れまくってただろ」

「ああ、むしゃくしゃして副官の背骨を折りかけた」

 

 まあジンと二人して閉口したよね。

 しかしそこで、はたとジンが眼光を険しくさせた。

 

「まさか……」

「うん」

「え?」

 

 千冬姉がなんかイイ笑顔で頷く。君のような勘のいいガキが好きだよ、とでも言いたげな。

 

「ドイツから直接、ですか」

「うん、お前が目を覚ましたと連絡を受けてからすぐにな」

「諸々の手続きは」

「無論だ」

 

 その『無論だ』は、『済ませた』ではなく『無視した』に掛かっているのだろうなということは自分にもすぐに理解できた。

 

「自衛隊の防空網を突破されたのですか……」

「撒くのに随分苦労した。ははは」

「ははは、じゃねぇよ!? 何してんだよ千冬姉!?」

「そう怒るな。仕方がないだろう」

 

 両手を挙げて笑う様はまったく仕方なさそうには見えない。

 そのまま挙げた手を広げて、千冬姉はジンの首に抱き付いた。

 

「……会いたかったんだよ。言わせるな、こんなこと」

「……は」

「その腕のことは束から聞いている……後悔、してないか……?」

 

 囁くような彼女の問いに、自分の心臓が跳ねた。

 何故なら彼の腕を奪ったのは、紛れもなく――――

 

「微塵も」

 

 一言で男は問いを一蹴する。

 それが全て。

 これが、ジンだった。

 

「そうか」

 

 胸に安堵を覚えたのは、きっと自分だけではない。彼女もまた責任を背負ってくれていたのだ。

 彼と彼女の在り方に心を救われた。

 ……あ、また泣きそう。

 

「…………あむ」

「!?」

「え」

 

 目尻を押さえて感慨に耽っていたその時、千冬姉は暴挙に出た。

 突如、ジンの首筋に噛み付いたのだ。

 

「ちょっ、なにしてんの!?」

「んっ、んっ」

「無視して続けんな! ジンもなんでされるがままだよ!?」

「犬歯が……食い込んでいます。無理に引き剥がせば、肉皮を持って行かれるかと……」

「やべぇ甘噛みとか期待した俺が甘かった」

 

 右往左往する自分と微動だにできないジンを尻目に、千冬姉はなおも首筋に喰らい付いたまま離れない。唇や頬や顎がもごもごと動く。……そうか。あれは目を閉じて、歯触りと舌触りを味わっているのだ。

 唇の端から唾液と少量の赤が垂れる。と同時に彼女の喉が上下する。明らかに彼から流出したものを彼女は飲み下していた。

 それから五分も経った頃、ようやく姉は男から離れた。盛大に唾液の糸を自身の唇とジンの首筋に渡しながら。

 妖しげに光る瞳、唇を一舐めして千冬姉は熱い吐息を零した。

 ジンはどこか困ったように頭を振る。

 

「……千冬さん。これは、あまり」

「下品か? なに、ちょっとしたスキンシップだよ。付け加えるなら、“印”だ」

「ち、千冬姉!?」

「いいだろう別に。お前だってここ一年通して散々付けてきたんだろう?」

「っ!? なんっ、で」

「あれだけ強く吸い付けば()()もなろう。あぁあぁ、くっきりとまあ」

「わーわーわー!! ごめん!! ごめんなさい!! もう文句言わない!! 言わないから!!」

 

 姉には弟の全てがお見通しなのだった。

 

「くっふふ、この助平め」

「そっちこそ……!」

「……」

 

 獅子に吠え掛かるポメラニアンの心地で姉を睨み付ける。

 何かを察してか、無言を貫くジンの真面目対応がこの時ばかりは有り難かった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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