ピンポーン…!
夜の帳が落ち、家々が暖かな光を灯す頃、とある住宅街に建つ邸にチャイムの音が響いた。
邸内でテレビを観ながら寛いでいた男‐“沖矢昴”は、チャイムの音に立ち上がり、インターフォンを手に取る。
「はい…。」
『宅配便です!』
宅配便との返答に玄関を開けた沖矢だったが、そこに立っていた男に一瞬動きを止めた。
「こんばんは…。初めまして、安室透です…。」
「はぁ…。」
宅配便業者とは思えない男‐安室の挨拶に、沖矢が困惑した様子を見せるが、安室は構わず続けた。
「少し話をしたいんですが…、中に入っても構いませんか?」
「ええ…。あなた1人なら。申し訳ありませんが、外で待たれてるお連れの方たちはご遠慮願います。お出しするティーカップの数が、足りそうにないので…。」
一旦は安室の言葉に了承した沖矢だったが、安室の後方、門柱付近の気配に釘を刺した。
「気にしないでください。彼らは外で待つのが好きなので…。でも、あなたの返答や行動次第で全員お邪魔する羽目になるかもしれませんけどね…。」
しかし、安室は不敵な笑みで返す。
―――――――――そして、通されたリビングで安室は切り出した。「ミステリーはお好きですか?」と…。
「ええ、まあ…。」
紅茶を出しながら頷く沖矢に、安室が続ける。
「では、まずその話から…。まあ、単純な死体スリ替えトリックですけどね…。」
「ホォ―――――――…。ミステリーの定番ですね…。」
沖矢が対面に座るのを待ち、本題に入る。
「ある男が来葉峠で頭を拳銃で撃たれ、その男の車ごと焼かれたんですが…。辛うじて焼け残ったその男の右手から採取された指紋が、生前その男が手に取ったというある少年の携帯電話に付着していた指紋と一致し、死んだのはその男と照明されたんです…。でも、妙なんです。」
「妙とは?」
安室の意味深な言葉に、沖矢が尋ねる。マスク越しではあるが、その表情に変化はほとんど無い。
「その携帯に残っていた指紋ですよ…。その男はレフティ…、左利きなのに…、何故か携帯に付着していたのは右手の指紋だった…。変だと思いませんか?」
表情こそ柔らかいままの安室だが、どこか詰問しているかのような雰囲気を徐々に強くしていった。
「携帯を取った時、偶然利き手が何かで塞がっていたからなんじゃ…。」
「…もしくは右手で取らざるを得なかったか…。」
「ほう、何故?」
表面上は穏やかなやり取りの2人だったが、もし気配に敏感な者がいれば気付いただろう。2人から発せられる圧力が、一呼吸ごとにわずかずつ高まっていった事に。
「その携帯はね…。その男が手に取る前に別の男が拾っていて、その拾った男が右利きだったからですよ…。」
「別の男?」
「ええ…。実際には3人の男にその携帯を拾わせようとしていたようですけどね。さて、ここでクエッション…。最初に拾わせようとしたのは脂性の太った男。次は首にギプスを付けた痩せた男。そして最後にペースメーカーを埋め込まれた老人。この3人の中で指紋が残っていたのは1人だけ…。誰だと思います?」
「………。2番目の痩せた男ですね?何故なら最初の太った男が拾った時に付着した指紋は綺麗に拭き取られてしまったから…。脂まみれの携帯を後の2人に拾わせるのは気が引けるでしょうしね…。3番目の老人は、携帯の電波でペースメーカーが不具合を起こすのを危惧して拾いすらしなかったってところでしょうか?」
「ええ…。」
わずかな沈黙の後で見事に正解を導き出してみせた沖矢に、安室が頷く。
「でも、痩せた男の後にその問題の殺された男もその携帯を手にしたんですよね?だったらその男の指紋も…。」
「付かない工夫をしていたとしたら?」
沖矢の疑問を遮り、安室が続けた。
「恐らくその男はこうなる事を見越し…、あらかじめ指先にコーティングを施していたんでしょう…。接着剤やトップコート、乾けば透明になって一見して目立たないような物を使ってね……。」
「成程…。なかなか興味深いミステリーですが…。その撃たれたフリをした男、その後どうやってその場から立ち去ったんですか?」
「その男を撃った女とグルだったんでしょうから、恐らくその女の車にこっそり乗り込んで逃げたんでしょうね…。離れた場所でその様子を見ていた…、監視役の男の目を盗んでね…。」
「監視役がいたんですか…。」
「ええ…。監視役の男はまんまと騙されたって訳ですよ…。何しろ、撃たれた男は頭から血を噴いて倒れたんですから…。」
滔々と自身の推理を披露しながらも、安室の目は油断無く目の前に座る男を観察していた。その喉笛を噛み切らんと、虎視眈々と狩りの機会を窺う獣のような眼差しで……。
――――――そして、遡る事数分前。工藤邸で2人の男が対峙を始めた頃、隣の阿笠邸を訪ねる2人の人影があった。
ピーンポーン、ピーンポーン……!
「はいはい…!誰かな?」
ドタドタと玄関に走り、ドアを開けたのはこの家の主たる阿笠博士。
「夜分すみません。」
「君は……?」
立っていたのは2人の女性。うち1人は、目深に被ったキャップと眼鏡で顔が良く分からないが、もう1人にはどこか見覚えがあった。
「お久しぶりです、阿笠博士。黒羽千暁です。昔、新一と一緒に良く遊んでもらったんですけど、覚えていらっしゃいますか?」
「お、おお…!千暁君か!!覚えとるぞ、いやぁ久しぶりじゃのう…!!!」
「良かった、覚えててもらって……!」
千暁の名乗りに、昔の面影と成長した現在の姿が合致し、阿笠が懐かしそうに笑う。
千暁もまた、ニコニコと微笑んでいた。
「それでまた、今日は一体どうしたんじゃ?」
「突然ごめんなさい。でも、どうしても新一には内緒でお話したい事があって……。」
「ん?」
悪戯っぽく、人差し指を口に当てて“しー♡”のポーズを取る千暁に首を傾げた阿笠だったが、「まぁ、こんな所で何じゃし。上がりなさい。」と2人を中へと促した。
「おーい、哀君。すまんがお客さんじゃ、お茶を淹れてくれんか?」
「はいはい…。」
リビングのソファでファッション誌を眺めていた哀だったが、阿笠の言葉にやれやれ、と立ち上がる。
「あ、お構いなく…。それよりも、彼女‐志保さんにも同席していただきたいので…。」
「「?!」」
立ち上がった哀を制止した千暁の言葉に、阿笠と哀がバッと彼女を振り返った。
「ち、千暁君…?!急に何を言い出すんじゃ…?」
「あなた…。一体何者なの?!」
笑って誤魔化そうとする阿笠に対し、詰問する哀に応えたのは、千暁ではなかった。
「志保…?」
「え…?」
それまで、千暁の後ろに立ったまま黙っていたもう1人の女性が、不意に哀の本名を呼んだ。
「志保なのね……?」
「そ、の声…!嘘でしょ…?まさか………?!」
そして、誰よりもその声に反応したのは哀‐否、宮野志保。
志保の反応に、その本名を呼んだ女性が自身の被ったキャップと、かけていた眼鏡をもどかし気に外す。
現れたのは、短いが良く手入れされた艶やかな黒髪に、やや垂れ目がちな黒い瞳。普段、優し気でありながら強い光を宿すその瞳は、涙で潤んでいた。
「お、お姉ちゃん……?本当に、お姉ちゃんなの………?!」
驚愕と期待、そしてもし違っていたらという不安で動けない志保に、千暁が口を開いた。
「本人ですよ。正真正銘、あなたのお姉さん‐宮野明美さんです。……逢わせるのが遅くなってごめんなさい。“黒の組織”が“シェリー”の捕縛を諦めていない以上、接触させるのは危険だったから……。」
目を伏せられて告げられた言葉に、まだ大部分で理解が追い付かないながらも志保は理解した。
目の前にいるのは、正真正銘自身の姉であると。
1度は喪ったかと思っていた、唯一の家族が目の前にいるのだと。
「お姉ちゃんっ………!!!」
理解したと同時に、志保の目から涙が溢れ、視界が歪んだ。
しかし、懐かしい姉目がけ、勢い良く飛び付く。
「志保っ…………!!!
飛び込んできた志保を、屈んでしっかりと抱き留めた姉からは、懐かしい姉の匂いがした。それを感じた途端、ますます涙が溢れ、姉の服にシミを作っていく。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん……!逢いたかったっ………!!!」
「ゴメンね、志保…!辛い目にばっかり遭わせて…、ゴメンねっ……………!!!」
漸く再会の叶った最愛の妹を固く抱き締めながら、明美もまた涙を溢した。
状況の全く理解出来ない阿笠も、目の前の光景にもらい泣く。
千暁もまた、思わず目頭が熱くなるのを感じながら、今頃起こっているだろう隣家での“化かし合い”と来葉峠での“大捕り物”に思いを馳せた。
これで、自分が出来る役回りはほとんど終わった。後は任せるだけである。
(降谷さん、後はお願いしますよ…?)
ここが、あのいけ好かない隈男に一泡吹かせられるかの正念場だった。