納品のついで、仕入れにマキナタへ寄ったミコチたち。テント市でハクメイが買い求めたものとは?
『うすあかり』https://syosetu.org/novel/160192/より後のお話。
2018/01/08:2016年頃から非公開でしたが原作アニメ化にちなんで公開再開しました。
注:1巻出版&9,10話雑誌掲載頃の作話につき、世界やキャラの設定解釈等が現在と違うことがあります。
続作:『ふたりたび』(R-18) https://syosetu.org/novel/160198/
(他サイトと同時投稿です)

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時系列的には『うすあかり』https://syosetu.org/novel/160192/より後のお話。読んでいなくともそれなりに通じる安心設計。

2018/01/08:2016年頃から非公開でしたが原作アニメ化にちなんで公開再開しました。
注:1巻出版&9,10話雑誌掲載頃の作話につき、世界やキャラの設定解釈等が現在と違うことがあります。
続作:『ふたりたび』(R-18) https://syosetu.org/novel/160198/
(他サイトと同時投稿です)
 
 
 



たびじたく

 朝市には当然、間に合わなかった。

 焼きあがった黒豆のクッキーをハーブティと共に夢品商店に納品し、その足でミコチたちがマキナタに入ればもう昼時をまわっている。

 忙しい朝の時間帯を避け、それが過ぎた頃に店に到着するようクッキーを焼いたのだから当然の帰結だった。

 ハクメイと二人、広場へ続いている目抜き通りに入ると、通り沿いのカフェというカフェは、収穫祭の時のように石畳のモザイクを覆い尽くす勢いではないが、皆一様に所狭しとテーブルセットをテラスに並べている。その客入りはなかなかに盛況。

 軒先に立てられてる料理のイラストやメニューなど店ごとに趣向を凝らした黒板画を眺めつつ歩き、ハクメイの意向とも一致した店のテラス席に着いて、やってきたウェイターにさっそく料理を注文した。

 すぐに運ばれてきたジョッキのビールで、まずは乾杯する。

「納品おつかれ!」

「一応、おつかれさまね」

 仕事明けの一杯は格別なものだが、仕事途中の昼間の一杯というのもなかなかに旨いものなのだ。

 クリームのようにきめの細かい泡は、ビールを樽で提供する店ならでは。黄金の色味が薄く、苦味がほとんどない、柑橘とハーブが香るスパイスの効いた風味のビールは、かすかに甘さを感じさせて何杯でも飲めてしまいそう。

 品書きにあった名はここいらでは聞かない銘柄だったし、きっとどこか別の街で作られてマキナタに運び込まれたものなのだろう。

 半分ほど干したところでジョッキを降ろし、テーブルの対面を見ると、ハクメイも同じようにジョッキを下げてミコチを見ていた。

 交錯する目配せ。それの意味するところは二人、共に同じ。

 ――自重せよ。仕事の途中。

 へらりと笑って、片手をひらひらするハクメイ。

「わかってるわかってる」

「この陽気で、ビールが進まないほうがおかしいのよね……」

 困った笑いを浮かべながら辺りに目を向けた。テラス席はどこの店もほぼ満席状態。

 陽気にゆるく暖められた、かすかな甘さをうっすらとはらんで薫る春の空気、それを肌に感じながら昼食を楽しみたい。ミコチたちを含め、客たちのそのような考えは皆同じと見えて、建物内の客席は人がまばらだった。

 白身魚のグリルプレート、バジルソース掛け。イワシのつみれハンバーグ、大根おろし添え。取り分けサイズの水菜と季節野菜のサラダ、そしてバゲット。

 機会あるごとに巷の店の料理を味わい、舌と目を肥えさせることは、食を生業としている者には欠かせない大事な修練の一つ。だからこれも仕事の一環。うん。何の問題もない。もっとも、ビールの醸造はしていないのだけど。

 しかと堪能し、しかと記憶もして。予定していた方の仕事に取り掛かかるべく、勘定を済ませて広場へと向かった。

 広場と、広場を貫いて向こう側の目抜き通り沿いには、薄板か防水布の簡易な屋根に、腰高のテーブルを備えたテントが果てしなくぎっしりと軒を並べていた。

 パンに魚、チーズ、青果などの食料品に始まって酒類、珍味、嗜好品。服や反物、帽子にストールといった衣類、髪留めや耳飾りなどの装飾品、花卉、はては木彫りや焼き物などの工芸品に至るまで、並べてある品は店によって様々。その中を多くの買物客が興味の赴くまま店先を覗いて歩き、一帯は活気溢れる賑やかなざわめきに満ちている。マキナタで週二回開かれる定期のテント市だ。

 先に裏通りにある工具店で、ハクメイが工作に必要だと言ういくつかのネジや釘を買い求めておいて、それから広場の市へと赴いた。

 調味料屋のテントでグラニュー糖をひと袋と、レモンの絞り汁を一瓶、こびとサイズで。次に調理用小物や容器を扱う店で、マグカップ大の缶蓋付きガラス瓶を十本。ハクメイと半分に分けあって背負籠に収める。

 繊維店の反物に目を奪われてはハクメイにすかさず掣肘されつつ、ミコチが向かったのは青果商のテント。

 水菜やふきのとう、菜の花と一緒にタケノコがもう並んでいる。キャベツも青々しく葉の詰まった寒玉ではなく、軒先に吊られてるチョークボードにある通り、瑞々しい明緑の葉の柔らかそうな春キャベツがお目見えしていた。

 その有りようはまるで、暗い色合いの厚く重苦しい外套を早くも脱ぎ去って、明るい淡色の軽やかな春服に着替え始めたマキナタの人々のようだ。

 人々は雪と寒さという枷から解放され、浮き立つ気分にまかせてどこかへ旅立ってしまいたそうな気配を漂わせている。街に留まって冬越えしていた行商人や旅人も少なくないだろうから、彼らがそうした街の空気に拍車をかけているのかもしれない。そういう意味で春は旅立ちと別れ、出会いの季節とも言える。……もちろんキャベツはそんなことは考えないけど。

 甘酸っぱい芳醇な香りも高らかに、赤々と熟れたイチゴ。濃い茶の毛色を除いて、アラビの魚加工点の赤面丸にそっくりな猿の店主に、真っ赤なイチゴを示し、三粒と伝えて代金を渡す。美味しいものは美味しいうちに用いてこそ真価を引き出せる。あとひと月もすれば旬は終わってしまうから、そろそろ頃合いだと思っていた。

 店主はイチゴの一粒づつを紙袋に入れてくれた。これがこびとなら少々苦労が伴う作業になる。なにしろ、こびとのゆうに二倍以上ある体躯の猿なら、イチゴは両手で収まる大きさだが、ミコチやハクメイにとっては両腕で一抱えもあるので。食材まるごとを扱う類の店の者に獣種が多いのはこういった理由のためなのだろう。

 さて、背負籠にイチゴ三粒は入らない。一粒はハクメイにお願いするとして、もう一粒をどうやって運ぼうか思案していたさなか、

「わたしの方に二つ入れてくれ」

 とハクメイ。言われた方の店主はあいよ! と快活に返事する。

 ハクメイを振り返ると、両手を胸の高さに上げて「いいからいいから」と制してきた。紙袋に入れられたイチゴが、ハクメイの籠に二つ入れられる。

「重くない?」

「へーきへーき」

 実際、ハクメイは軽々といった態。これまで一緒に暮らしてきて、筋力も持久体力もハクメイのが上回ってることはようく理解させられた事実だったので、ここは素直にお願いすることにした。

 残りの一つを店主に自分の背負籠へ入れてもらって、礼を言って店を後にする。

イチゴ自体は見た目の大きさほど重くはないが、先に購入した瓶やグラニュー糖などが加わると結構ばかにできない重さになる。

 なのでマキナタに到着したときに予め、街の入口で運送業者を手配しておいた。ついでに自分たちも乗せてもらって一石二鳥。街で仕入れをするときの常套手段だった。

 あとは、街の入口に向かうだけだったのだが。

「あっ、豆売ってる!」

 言うや否や、ハクメイは遠くに見つけたらしいテントに向かって走りだした。あの元気と体力は一体どこから来るのだろう。ミコチも小走りになってあとを追いかける。

「おっちゃん、炒り豆十粒ちょうだい!」

 テントまで追いつくと、ハクメイが注文しているところだった。

 焦げ茶毛のつぶらな黒瞳をしたリスの店主は、手慣れた手つきでこぶし大の煎り豆十粒を紙袋に入れ、口を二三回細く折って封をする。財布を出そうとするミコチをまた「いいから」と制して、ハクメイはさっさと自分でお金を支払ってしまった。……まあ、あとで忘れずに精算すればいいか。

 ハクメイが店から退いたすぐあとに、異国の服に身を包んだ行商人風のこびとがやってきて、ハクメイと同様に炒り豆を注文した。量もハクメイが頼んだのと同じくらいなので、交易用ではなく自家消費用かな、と推測する。そのあとやってきた別のこびとも、マキナタ風ではない出立ちで、やはり炒り豆を注文していた。

 外の人にひそかに人気なのかしら。そんなことを思いながら豆屋から離れて、紙袋を抱えたハクメイとともに、運送業者が待つ街の入口へ向かってテントの広場を再び歩く。

 横を歩くハクメイに、抱いた疑問を聞いてみる。

「なんで炒り豆?」

 おやつにするにしても炒り豆は少々味気ない。食事とするなら、豆は炒ってないものから炊いたほうがずっとおいしい。

「ああ。あると何かと便利だからな」

 そう答えるハクメイは、こころなしか上機嫌に見える。

「砕いてそのままでも食えるし、この前みたいに煮炊きして豆スープにするのもいいし」

 そのまま食べられる食材なんてたくさんあるけど。炒り豆がハクメイの好みなのかしら。

 そんなふうに納得しかけたところ、続いて聞こえたハクメイの言葉に、一瞬、市の喧騒が遠のいた。

「旅の非常食にゃ、もってこいだよ」

 

 

 非常食といえば、少し前に干し肉をたくさん作ってくれとハクメイにお願いされたのだった。

 その頃はもうすぐ干物作りに適した冬が終わろうとしていた時期だったので、作り納めするのも悪くないかと承諾したところ、頼まれた量がいささか以上に多かった。

 多くない? と聞くと、

「保存が効くから、量があっても困るもんじゃないだろ」

 それもそうかと思い直してハクメイの言う量そのままを仕込んだのが、そのことが急に、類似感でもって思い起こされたのだった。

 それと、旅という言葉。

 ハクメイは度々、一人でどこかへ出かける。『ひとりキャンプ』と呼び習わしているそれは、一日以上、二日ほどの外出だ。曰く、壁のない緊張感と開放感が良いのだとか。そう言うぐらいだから、目的はそのときによって様々なのだろうけど、野宿することや遠出することに楽しみの重きを置いていることは間違いなさそうだった。

 期間も距離も短いながらそれは、小さな旅、と言えなくもない。

 テント市の豆屋で、ハクメイのすぐあとに炒り豆を買い求めにやってきた行商人。商売のために各地を旅する彼らは、長い間故郷に帰らない。もしくは故郷を持たず、街から街へ、村から村へと渡り歩く。そうした面は旅人と言ってもほとんど差し支えが無い。行った先で商売をするかしないかの違いだけ。

 そういった行商人や旅人たちは、携行食材として炒り豆を重宝しているのだろう。

 ……じゃあ、ハクメイの場合は?

 気が付くと、いつの間にか沈黙が降りていた。森を吹き抜ける穏やかな風が木々を揺らす音と、荷車の揺れ軋む音だけが、周囲を満たしている。荷車を引くゴライアスオオツノハナムグリの背に揺られながらの家路の最中だった。

 ハクメイはミコチが横座りしている背側からは一段低い胸側に座って手綱を握っている。そちらに視線を移すと、ハクメイは左の方を向いたままで無言でいたらしかった。

 左手には、木の途切れたところから新緑の山々が遠方に霞んで覗いている。たぶんそれを眺めているのだろう。遠くをじっと見つめるハクメイの表情は、思い掛けなく覗いた良景に言葉なく感動しているといったものではなく、ミコチには別の何か――何かに思いを募らせるあまり無言でいる、そんな風に見えてならなかった。

「何か見えるの?」

 そう声をかけたのは、半ば衝動的にだった。胸のうちに急に沸き起こってきた、焦燥のようなさざめきに突き動かされて。遠くを見つめるハクメイの姿を見ていると、何故か落ち着かない気分になって仕方がなかった。

「ん? いいや全然。これだけ遠いとさすがにな」

「まあ、そうよね」

 ミコチの方を向いて、はは、と笑うその顔に少しほっとする。

「でも見えないからこそ、」

 少しの安堵は、その時間も束の間のことだった。

「そこに何があるのか、見に行きたくならないか?」

 荷車の揺れる音が、遠くに感じられる。

 楽しげに尋ねてくるハクメイ。未踏地への期待と夢とが、声と表情に滲んでる。

「……そうだね」

 かろうじて、笑顔は浮かべることができた。

 

 

 人は未知なる物に思いを馳せ、見てみたい、触れてみたいという衝動に駆られるものだという。そのこと自体は理解できる。ミコチの探求する世界が織物や皿の上にあるなら、ハクメイにとって探求する相手とは、この世界そのものなのだろう。

 見ているものが、こんなにも違う。

 それは、知り合った時からわかっていたことのはず。なのに何故、今になって、そのことがこんなにも落ち着かなく感じるのだろう。

「ミコチ」

「……あ」

 呼ばれて我に返ると、手が止まってしまっていた。テーブルの向かいに立つエプロン姿のハクメイが、怪訝そうな顔でこちらを見ている。

「ぼーっとしてると怪我するぞ」

「ごめん」

 家に到着してから、仕入れた物をキッチンに運び入れてさっそく仕事に取り掛かっていた。

 イチゴを丸洗いして扱いやすい大きさまで切り分けるのはなかなかの苦労だ。ハクメイに手伝ってもらって二人掛かりでイチゴを洗い、切り分け、今は一ミリ立方ほどの大きさに刻んでいるところだった。

 ハクメイの言うとおり、刃物を扱っているときに気が散漫だと思わぬ怪我に繋がる。包丁を握り直して、刻むのを再開した。集中するために。それと、心中を悟られないように。

 一時間半ほどかかって全て刻み終えると、その量はホウロウの半寸胴鍋二つ分ほどになった。

 刻んだイチゴとグラニュー糖を層になるよう交互に敷き詰めれば、寝かせの準備はこれで完了。蓋をしておいて、続きは明日。

 果汁の鮮やかな赤に染まった手を見せ合って笑う。めいめい風呂に入って、夕食では少し取り分けておいたイチゴをデザートにした。

 食事の片付けのあと、買ってきた瓶を全て煮沸消毒し、乾燥させるべく口を下にして並べ終え、そこでようやく今日の作業分が終わりとなる。その頃には流石に疲れ切っていて早々にベッドに潜り込むこととなった。

 疲労のせいか、横になるとすぐに睡魔がやってきた。なすがままに意識を手放す。おかげですぐに寝入ることができた。何にも、思いわずらうこと無く。

 

 

 朝食の片付けを済ませてから、さっそくホウロウの鍋の一方を火にかけた。ここからの工程は一人でできるから、今日はハクメイとは別行動。ハクメイの方は工作の続きをやると言って、朝食を終えてからは研究室へ篭りに行ったきりだった。

 火加減をやや強めにして、底を返しながら煮る。アクを丁寧に取って、五、六分煮てからレモンの絞り汁を投入。鍋をテーブルに移し、かまどでは湯を沸かした。

 熱いうちに消毒した瓶に口いっぱいまで詰める。瓶を揺すって空気を抜き、蓋を軽く締め、別の鍋に並べ、瓶の周りに熱湯を注いでかまどで殺菌と脱気を兼ねた湯煎に掛ける。

 十分ほど煮沸して蓋をきつく締めた。鍋を火から降ろし、水を足して粗熱を取る。瓶が冷めれば、イチゴジャムの瓶詰めの完成だ。

 ジャムは加熱時間が短ければ短いほど、香りも色も鮮やかに残すことができる。それには少量づつ作るのが良いから、制作にこびとが向いている品目の一つだった。もっとも、身体の大きさがこびとの二倍も三倍もある獣種たちにとっては、まるで足らない量なのだが。

 もう一方の鍋のイチゴでも同じ手順を踏んで、全部で十本のイチゴジャム瓶が出来上がった。充分に冷ました瓶にラベルを張り、紙ふたをつけて飾り紐をかけ終えると、もう夕食の支度の時間だった。

 

「ミコチー! 見てくれ、できた!」

 ハクメイが居間に飛び込んできたのは、夕食の片付けを終えた後、窓辺のテーブルセットで本を読み始めて小一時間ほど経った頃だった。

 ラグの上に置かれたのは、幅、奥行きともに四センチ四方、高さは腰あたりよりやや低い、木製の、

「テーブル?」

 横から見ると少しハの字気味に開いた脚が、左右に対になって二組付いている。言ってしまえば小さな四角いちゃぶ台。製材やネジ釘を買い集めてたのはこのためか。

 そのテーブルをハクメイはおもむろに持ち上げて裏返し、脚に手を掛けた。内側に向かって倒れる脚。もう一方も同じように倒れる。どうやら脚を仕舞える仕組みになっているらしい。

「持ち運びできるよう、脚が折り畳めるんだ。前から思ってたんだ、あると便利だなって」

 何に便利なの、と聞こうとして、言葉を咄嗟に飲み込んだ。

 脚を元の通りに広げて床に置かれたテーブル。その木目が浮いている天板を撫でる。磨かれた表面はなめらかで、手触りが心地良い。

「なかなかいい出来ね」

「だろ?」

 工作用のエプロンを外しながら、ハクメイは誇らしげだ。

 こうしたときに浮かべるハクメイの気取らない無邪気な笑顔は、ミコチには好ましいものだった。

 でも、今は。

「……お茶、飲むでしょ? 淹れてくる」

「おう!」

 苦労をねぎらってあげたいよりも、楽しげにしてるハクメイから視線を逃したい気持ちのほうが勝っていた。

 

 ラグの上でテーブルを挟んで差し向かいに座り、淹れたてのハーブティを二人で飲んだ。テーブルの制作にまつわる話や、作ったジャムのことなど、取り留めのない雑談をする。

 胸の奥で、かすかに立っているさざ波。

 神経を使う瓶詰め作業のおかげで、一旦は鳴りを潜めたそれが、にわかに目覚めてしまったせいで会話が頭によく入っていかなかった。

 だが。

 ――なんとか、間に合ったな。

 話す中でハクメイが何気なく呟いたその言葉だけは、まるで消えない波紋のように胸の奥に残り続けた。

 

 

 テーブルを完成させた達成感に満たされて、無自覚だった疲労感がどっと押し寄せたのだろう、ハクメイは風呂から上がると眠気を訴えてすぐに床についてしまった。

 居間に残って一人、本の続きを読む。だが、紙面の字に目は滑るばかりで、内容は全く頭に入ってこない。何度目かの溜息で、諦めてついに本を閉じた。

 ハクメイから遅れること小一時間後でミコチもベッドに入ることになったものの、横にさえなってしまえば眠れるだろうという考えは、楽観でしかなかったことを思い知らされた。

 上掛けを引き寄せる。ここ最近は暖かい日が続いていたのに、今日に限っては寒い。とくに陽が落ちてからはがくんと冷えた。でも、寝付けないのは、寒さのせいに限らない。

 頭上の床板の木目を眺める。上段のハクメイは今日はおとなしくぐっすり眠っているようだ。

 改築が済んだ後、二段ベッドの上下をどちらが使うかは案外すんなりと決まった。ミコチは下段が良いと考えていたのに対し、ハクメイの希望は上段。柵があるから落ちることは無いとわかっていても、なんとなく不安だったので、希望が噛みあってちょうど良かった。

 だが、別の意味で怖い思いをさせられるとは思っても見なかった。ときどきハクメイの脚や腕が上段から盛大にはみ出てぶら下がっていて、驚くのと同時に、落ちやしないかとひやっとさせられるのだ。

 気付き次第その都度、備え付けの梯子を上がって腕脚をひっこめるのだが、ミコチはこれを不思議に思う。野宿をしたときは、あそこまで寝乱れてはいなかった。屋内だと緊張が緩んで、自由な寝返りをうつのかもしれない。

 ひとりで野宿をするハクメイの姿を想像する。ハクメイのいう『宿なし時代』は、どんな生活を送ってきていたんだろう。

 独り立ちして故郷を出てからは、各地を旅して回っていたというのは以前聞いたことがあった。この前のハーブ狩りの最中、近くで飛び立ったミミズクに驚いて、岩山から転落してしまった。その際に足を捻ってしまって、痛みが引くまで一晩夜明かししたとき、ハクメイが昔話を話してくれた。

 南方の商人街で騙されて置き引きにあったこと、そのせいで行き倒れてしまったのをキャラバンに助けられたこと、各地の特産食品を食べたり、ミコチがまだ見たことのない、牛の群れを目撃したり……

 聞けば、生活は路銀が尽きれば都市に滞在して短期間働いて、必要分を稼いだら再び旅に出る、の繰り返しだったらしい。

 今でも時々ひとりキャンプに出かけるところを見ると、心はやはり外に、旅に向いているのだろう。自分と違って。

 ハクメイがミコチの家に転がり込んできて、季節は一周と少しを過ぎた。トランクひとつで各地を廻る旅をするような人にとって、一年という歳月は一所に留まるには長いのか短いのか。ミコチにはわからない。

 もしかしたら、修理業で路銀を稼ぐ期間としては十分なのかもしれない。

 たぶん、そのつもりになれば、いつでも旅に戻れるのだ。そのための準備が、この前の干し肉で、昨日の炒り豆で、今日の折りたたみテーブルなのかもしれない。

 勘違いで始まった同居だった。何か約束があるわけでも、しているわけでもない。

 ――ハクメイが、ずっとここに留まる理由は、どこにもない。

 上掛けを掴む手に、無意識に力が篭る。胸の奥が、締め付けられる思いがした。

 

 わかっていたはずなのに。考えるいとまがなかった。

 ものの考え方や行動の仕方に違いがありすぎて、一緒に暮らし始めたその日から驚いたり慌てることの連続だ。忙しない日も、そうでない日もあった。その反面、その割には、毎日は総じて充実して楽しくて。そのせいで意識することがなくなっていった。

 型破りなのはハクメイだけではない。質は異なるがミコチにもそういうところはある。けれど、行動力はハクメイのが圧倒的に上で、その軽快なフットワークに引っ張られるせいで、考える余裕を持てなかったのだ。

 ……いや、違う。

 余裕を持てなかったのではく、持ちたくなかったのではないか。

 たぶん、そうだ。

 考えたくなかったんだ。ハクメイがいなくなるなんて。

 出て行くなんて、考えたくなかった。

 

 きっと、離れたくないのだと思う。

 その気持ちがどこからきてるのかはわからない。

 愛着、なのだろうか。近い気がするけど、捉えどころがなくて、それと言い切れる気がしない。

 こちらの身構えが出来上がる前に、あまりに深く立ち入らせてしまった。

 なおかつそれが、その関係があまりに心地良いものだから、あれほど厭っていたはずの別れについて、意識するのをつい忘れさせられていた。

 ――ああ。

 ふいに、すとんと腑に落ちる感覚。

 わかった気がする。

 わたしを寂しがり屋にしたのは、ハクメイだ。

 

 ハクメイがこの家に来ることがなかったら、カフゥと再会できなかった。コンジュやセンとの出会いも無かったろう。北の岩山の山頂へ登ったり、泊まりがけで岩山ハーブを集めに行ったりすることもなかった。

 一人だったら行かなかった場所、知らなかった場所、行けなかった場所に、ハクメイに連れられて訪れた。

 切なさで胸が痛くなる。ハクメイとの日々が全部、急に、一気に思い出に変えられて、遠くなってしまった気がして。

 二度と会えなくなるわけじゃない。けれど、再び会えるという保証もどこにもない。それが各地放浪の旅ともなれば尚更だ。

 まだ、旅立つと判ったわけではない。

 たった一言、訊ねればすぐわかること。けれど、できそうになかった。

 旅立つつもりがあるのを知ってしまったら、きっと顔に出てしまう。そうなったらたぶん、ハクメイに煩わしい思いをさせることになる。旅出を躊躇ってしまうかもしれない。

 そんな思いは、絶対にさせたくない。

 

 初めての同居人。そして、大事な友人。

 だから、離れたくない。

 だから、快く送り出してあげたい。

 

 相反する気持ちはわだかまって、胸のなかでぐるぐる回って渦になる。

 上掛けを手繰り寄せ、肌寒さを増した身体を自分自身で抱きしめ、身を丸めて胸の痛みを堪えた。

 

 

 

 壁の時計を見ると、律儀にも普段起床する時刻よりきっちり一時間遅れだった。

 ベッドを降りて急いで着替えに取り掛かる。上段を仰ぎ見ると、ハクメイはすでに起きだした後のようだ。

 朝ご飯、作らなきゃ。ハクメイはどうしてるだろう。待ちきれなくて先に何か食べたのなら、申し訳なかったけど、それでいいのだけど。

 身支度を済ませて居間に入ると、ハクメイの後ろ姿が目に入ってきた。

 床に置かれた大小様々な物に囲まれ、その真中に屈んで手を動かしている。なんだろうと部屋の中に進み、近づいて見えたものにどきりとした。

 ハクメイが手にしていたのは背負袋だった。周りには、束ねられたロープにカンテラ、畳まれた防水布、愛用のナタとナイフ。鍋と調理器具と食器少々。その横に置いてある干し肉は、一人の一日分にしては明らかに量が多い。

 何か丸いごろごろしたものがいくつか入ってる布袋。丸い膨らみの大きさはちょうど大豆くらい。そして、昨晩のテーブルが折りたたまれて傍らの壁に立てかけられていた。

 心臓が、徐々に高鳴っていく。

 ミコチが見ている目の前で、荷物はハクメイの手によって背負袋へ次々に仕舞われていった。

「よっし。準備できた!」

 最後の一つを収め終えて、ハクメイが立ち上がった。

 その拍子に気がついたのか、振り返ってミコチに笑いかけてくる。

「おはようミコチ。今日は寝坊だな」

「……おはよう」

 ミコチの肩を軽くぽんと叩いておいて、ハクメイは窓の方へ歩いて行った。

 準備、という言葉が頭の中を回り出す。何の、準備?

 はりつくような喉を通して、何をしていたの、背中に向かってそう訊ねようとして、ハクメイの声に遮られた。

「うん、頃合いも良さそうだし、出発は今日に決めた!」

「えっ……?」

 思わず、声に出てしまった。

 ハクメイには聞こえなかったようで、声の調子からして弾んでいるのだろう気分を全身に漂わせながら、楽しげにせかせかと荷物のところへ戻っていく。その姿を、呆然として見送った。

 今日、出発。テーブルが完成してその翌日。昨日の今日だなんて、急すぎる。

 こんなときまで行動力の高さを発揮しなくてもいいのに。胸中に抱いたほんの少しの恨みがましい気持ちは、うねる動揺に押し流されてあっという間に潰えていった。

 立ち尽くすミコチの元に、ハクメイがやってくる。その肩には、掛けられた背負袋。

「じゃあ、ミコチ……」

 ハクメイはついさっきまでの陽気な笑顔と打って変わって、改まって真面目な顔で神妙に語りかけてきた。

 それが一層、現実感と真実味を帯びさせて。

 本当に、行くんだ。……行って、しまうの?

「ハクメイ――」

 膝に力を入れる。そうでないと、力が抜けてその場に崩れてしまいそう。

 薄茶の大きな瞳は、真剣な眼差しでじっとミコチを見つめてくる。

 胸の中の震えを見透かされそうな気がして、視線を逃してしまいたくなる。けれども、堪えた。

 笑わなきゃ。それで、さよならじゃなくて、またねって、言わなくちゃ。言わないと。でないと、ハクメイに思いわずらわせてしまう。

 目の奥がやたらに熱い。……だめかも。

 ぎゅっと目をつぶった。一旦閉じておいて、次に目を開いたとき、その勢いで言おう。

 目から何かこぼれ落ちたとしても、それに係わずに言うんだ。

 自分によく言い聞かせておいて、一息に目を開けた。

 直後、視界に見えたのは薄茶の瞳ではなく――背負袋だった。

「はいこれ」

 予想外のことに、目を瞬かせる。

「え?」

「ミコチの分」

「……わたしの分?」

「そ!」

 言われたことの理解ができないあまり、思わずオウム返しで聞き返したのを、ハクメイはにぱっと笑って肯定した。

 さきほどの真剣な眼差しはどこへやら。そこにはいつもの見慣れたハクメイの快活陽気な表情があった。

「えっと……なんで?」

 混乱そのままを口にすると、ハクメイはきょとんとした表情を浮かべた。

「なんでって。ミコチ忘れたのか? 花見に行くって話だったじゃないか」

「はなみ……花見? ええっ? いつ?」

「カワムツの唐揚げを作ってくれたときに」

 ――花見のときも作ってくれ!

「あ、あのとき……!?」

 残雪の晩に買物から帰った夜。ミコチが帰宅すると、ハクメイは自分で簡単な料理を作っての食事兼晩酌中で、それでは物足りなかったのか帰ってきたばかりのミコチに料理を要求したのだ。

 アラビからひとり家路に就くなかで、ハクメイに対して少々思うところを認識したミコチは、我ながら甘いなあと思いつつもキッチンに立ち、そのとき作ったのがカワムツの唐揚げ。それを気に入ったハクメイが、花見の時にも作って欲しいと言ったのが、先に思い出したハクメイの言だった。

 じゃあ、この旅支度は。

「花見の支度?」

「ただの花見じゃない。花見旅行だ! 一番近い山桜でも距離が結構あるからな、日帰りは無理だ」

 にこにこしてるハクメイの顔を見てたら、なんだか視界がぼんやりと滲んできた。

 涙がこぼれる。さっきまでとは百八十度違う意味で。勘違いだったことへの安堵で、気が緩んで。

「なんだ、旅行が泣くほどうれしいのか?」

「うん。うれしい。……よかった」

「おおげさなやつだなあ」

 ハクメイは笑ってるけど、少しだけ困り顔だ。指の背で目元を拭う。

「それよりわたし、何も準備してないんだけど」

 苦笑いしながら言うと、ハクメイは明るく笑って。

「大丈夫、揚げ物の準備はしてある。甘塩のカワムツも用意があるぞ!」

 

 

 

 

 

 

 

 雪化粧ならぬ桜化粧、とでもいうのか。山頂から見た、視界の山肌一面に点々と桜色を散らしている山々の景観は、なかなかの見ものだった。

 道中で話すうち、ハクメイがマキナタからの帰り道、遠くをじっと眺めていたり、荷物の準備中に窓の外を見ていたのは、遠くの山桜の咲き具合を目を凝らして見てたり、家の近辺の木の芽吹き具合で開花の当たりをつけようとしていたためだったことがわかった。

 花見へは早く行きたかった。しかし行くのが早過ぎて咲いていなければ意味が無い。暖かい日が続いてる中、花冷えで寒い日が来て、そろそろ頃合いと荷造りをすれば、その日は快晴。出発を決めたのだという。

 ハクメイの開花予測はこうして外れること無く、気持ちの良い春の陽気に恵まれる中、絶景がミコチたちの目の前に広がったというわけだった。

 できたてのイチゴジャムと買い控えのはちみつの瓶で契約したゴライアスオオツノハナムグリに、積荷と共に揺られること数時間、山の遊覧。その後に見つけたこぶりな山桜の根本にキャンプを張った。

 タラの芽やフキノトウ、ノビル、アイコにシドケ、ウド、ヤマワサビにゼンマイ。周辺で採集してきたそれらの山菜を天ぷらにして、折りたたみテーブルの上の皿に並べていく。

 天ぷらなんて野外でできるのか最初は疑問だった。でもハクメイは大丈夫と言い、言った通りにしっかりしたかまどを作ってくれたおかげで、油の温度は家のキッチンと遜色ないくらいに調整が効いて、何の問題もなく山菜を揚げることができた。

 カワムツの唐揚げも並べて、酒を注いだぐい呑み同士をこつんと合わせる。遠くの山肌に眺めたり、頭上に赤い葉を伴う花弁を見上げたり。桜の景観には、やはり吟醸酒だ。

 夜には持参したタープ(これも以前、ハクメイが防水布を持ち込んで頼んできて、ミコチが縫った)を張った簡易な屋根の下で横になった。

 ハクメイはすでにぐっすり寝入っている。空になった酒瓶を枕に、手をお腹の上に組んで、足はお行儀よく揃えられている。やはり野外だと寝相が良いようだ。

 ハクメイを起こさないよう、そうっと寝床を抜け出して、屋根の外に出た。

 夜空を見上げる。家のある森の中とは違って、視界を遮る物のない満天の星空は眼路一杯に広がって、落ちてきそうなくらいに星が近い。キャンプは大変なことが多いけど、こればかりは本当に魅力的だ。

 ――これが全部、屋根だよ。

 ハクメイがいつか、そう言っていた。

 それは、過去のことではあるけれど。今はまだ、思い出じゃない。

 そのことが無性に、ひどく幸せに感じられてならなかった。

 

 でも――

 いつかくる本当の別れ。

 そのときわたしは、またね、と。笑顔で言えるだろうか?

 

 星は瞬くばかりで、答えをくれそうにない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――ただい……きゃあああ! ななななんで骨が!?

 ――やあ二人とも。おかえり。

 ――センただいま! 留守番ありがと!

 ――中に三体、外に五体。しっかり職務は果たしたぞ。

 ――ハクメイ……先に言っておいてよ……!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 二人の同居の経緯は詳しく明らかにされていないわけですけども、どんな状況だったんでしょう。原作では、宿がない?うちで良ければ居てもいいよ→じゃあそうするよろしくなミコチ! みたいな結構軽いノリだったんじゃないかなと推測しつつ、前回から引き続き妄想癖を発揮して今回もこのような俺設定なお話になりました。
 同居に終わりはあるのか、ないのか。原作で明かされることがなくとも、それはそれで想像の余地があって良いなあと思ったりしてます。終わりの回がないシリーズ絵本みたいで。
 逆に、同居のきっかけとなった勘違い押しかけ事件のほうは知りたい。赤の他人同士という二人が想像つかない。

 マキナタはフランスかイタリアの古い地方都市がモデルなのかな、と思いながら書いてましたマルシェとか。冒頭のカフェで二人が飲んだビールのモデルが何かわかった人とは握手がしたい。あの系統が瓶だけでなくどこの店でも生で飲める世の中になってほしいものです。

(続作:『ふたりたび』(R-18) https://syosetu.org/novel/160198/




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