いつもこんなに早かったら良いのにね。
『衛宮さんのプロフィールについては、木曾と望月の両艦から既に聞いておりました』
『その情報を元に、このひと月の間に可能な限り調べました』
『ですが、冬木市という名前は47都道府県のどこにもありません』
『穂群原学園と言う高校も同じく見つかりませんでした』
『柳洞寺、海浜公園、新都等の主な施設も調べましたが同様です』
『過去に大火災があった地域も調べてみましたが、何れも該当はしません』
『他に情報があれば教えてください。目覚めたばかりで申し訳ございませんが、一つでも多くの情報を私たちは必要としています』
『……ええ、そうね。申し訳ございません。急な話でした』
『もう一度情報を整理し探してみます。何かしら思い出したら私でも、黛でも、或いは艦娘の面々でも良いのでお伝え下さい。あと、こちらが私の連絡先になります』
『藤、ねぇ? ……藤村大河。貴方の後見人ですね』
『その、現時点では――――』
■ 艦これ×Fate ■
「衛宮さん、大丈夫ですか?」
ヒトハチマルマル。病室。
磯波から声を掛けられ、士郎は意識を現実へと戻した。心配そうに自分を見ている彼女と目が合った。
「疲れているんですか? 調子がよろしくなさそうですが……」
「ここ数日ずっと、心ここに在らず、って感じね。どうしたのよ?」
少し離れた場所で、同じように満潮が心配気に声を発した。どうやら相当に長い間考え込んでいたらしかった。
何でもないよ。心配をかけまいと士郎は慌てて優しい言葉を選ぶ。だがそれは悪手だ。
「その面を見て納得するのがいたら、そいつは相当なお気楽者よ」
直訳すると、嘘つくな馬鹿、である。満潮らしい遠慮の無さであった。
彼女は士郎の元へ寄ると、その額に掌を付けた。
「……熱は多分無し。……リハビリによる疲労かしら?」
「オーバーワーク、ってことですか?」
「多分ね。梢子さんからは結構ハードなリハビリを行う、って聞いているし」
「衛宮さん……目覚めてまだ5日しか経過していないんですよ。お願いですから無理はしないで下さい」
諭す様に、懇願するように。磯波は士郎の反応の悪さをリハビリによる疲労と思い込んだらしく、オーバーワークを止める様に説得を始める。とは言え士郎が考え込んでいた原因は別にある。だがそれを言葉にするのは躊躇われるので、勘違いしてくれている現状はそのままにしておくべきだろう。
尤も士郎自身はハードなリハビリを行っているつもりは無いので、磯波の言葉に曖昧な相槌を打つことしかできないのだが。
「良いですか、絶対ですよ! 治りかけが危ないんですっ! 叢雲ちゃんもそれで復帰が遅れているんですからっ!」
士郎の曖昧な相槌に業を煮やしたのか。磯波の言葉に熱が帯び、身体を乗り出して説得にかかる。
ちなみに叢雲だが、彼女は現在自室にて安静にしている。予定を前倒しして海上演習に臨んだはいいが、全く期待通りに動くことが出来なかった、と言うのは士郎が聞いていた話である。だが磯波の発言を見るにもっと事態は深刻らしい。
「気合が空回りして実力を発揮できなかっただけよ。本人はえらく傷ついたみたいだけどね」
別に怪我をしたわけじゃないわ、予定通りになっただけ。満潮が助け舟を出してくれる。
「そう言う事です。良いですか、衛宮さん。絶対に無理はしてはダメです」
「わ、分かった。無理はしないよ」
「本当ですね? 約束ですよ?」
「ああ、約束だ」
「じゃ、じゃあ指切りしましょう!」
そう言って磯波は小指を出してきた。何故に指切り、と疑問に思わなかったわけでは無いが、勢いに呑まれて士郎も小指を出す。互いの小指が絡み合い温もりが伝わる。自身のとは違う柔らかで温かな指に一瞬呑まれかけたのは秘密である。……何に、と訊くのは野暮というものだ。
兎にも角にも、
「い、いきますよっ!」
何故だか気合を入れる様に磯波は力強く声を上げた。呼応するように彼女の小指に力が入り、士郎の指を逃がさぬ様にと強く引っ張られる。
そんな磯波の後ろで。満潮が呆れ顔で溜息を吐いているのが見えた。
「ゆ、ゆーびきーりげんまん」
うそついたらはりせんぼんのーます。
ゆーびきった。
■
マルヒトサンマル。もうすぐ草木も眠る丑三つ時。
静かなものだ。夜の海を眺めながら士郎はそう思った。寄せては返す波の音が、己の意識を優しく撫でる。
夜間の外出は禁じられているので、病室前の廊下から士郎は海を眺めていた。暗い海の上を時折人工の光が動いている。おそらくは夜間警備に従事している艦娘だろう。一つだったり、二つだったり、自然にはあり得ない不規則な動きを見せている。だが敵を見つけたというわけではなさそうだ。巡回ルートか何かなのだろう。
一歩後ろへと士郎は下がった。外の景色が非常灯の灯りに呑まれ、士郎の姿を窓ガラスに仄かに浮かび上がらせる。周囲の暗さもあるが、そこには生気の見えない死人のような顔が映っていた。
「酷い顔だな……」
自嘲するように呟く。これでは皆が心配する訳だ、と士郎は思った。それくらい酷い顔だった。
目覚めてから今日で5日。心配されない日は無かった。最初は眼が覚めたばかりだからだと思っていたが、それは大きな勘違いである。この顔を見れば誰もが心配する。
しっかりしろよ、衛宮士郎。
気合を入れる様に己の胸を叩く。だがそう簡単に切り替えられれば苦労はしない。窓に映っている己の顔は変わらず死人の様だった。
『冬木市という街は存在しません』
つづらに言われた言葉が脳裏に蘇る。今日に至るまで士郎を捉えて離さない言葉だ。
冬木市。士郎が生まれ育った街。気のおけない友人たちが居て、手の離れ始めた妹代わりがいて、反対に未だに手のかかる姉代わりがいる、そんな大切な人たちが住んでいる街。士郎の故郷。
それが無くなった。
突然消えた。
「……そんな馬鹿な話があるかよ」
思わず士郎は壁を叩いた。物に当たるなど士郎らしくない行為である。が、それだけやりきれない思いを抱いている故の行為だった。
そうとも。
自分の住んでいた街が存在しないなんて。それは士郎の経歴を否定する他ならない。衛宮士郎としての存在を否定する他ならない。
――――記憶が混乱している可能性もある。
そう、梢子は言っていた。だがそれが気休め程度でしかない事は明らかだ。何の解決にもならない事は明らかなのだ。
士郎は強く息を吐き出すと、そのまま壁に背を預けてずるずると沈んだ。そして自身の視界を隠す様に右手で覆った。
「何が起きたんだよ……」
思い返せば不自然な事ばかりだ。
直近の記憶を失くした状態で孤島で目覚めた。それも普段着の姿で。散歩に出る様な軽装で。自宅の鍵しか所持物が無い状態で。深海棲艦が蔓延る危険海域の第一線で、だ。
この時点で充分過ぎる程の異常だ。
だが記憶を思い出そうとすると痛む頭に、時折響く得体のしれない声。経験したことが無いはずの記憶。不気味なほどに洗練された魔術行使。
何かを忘れている事は明白だ。
そして何故か思い出そうとすることを拒んでいる事も明白だ。
異常事態。
経験の無い異常事態。
「……っ」
疑問は膨れ上がる。逃げ場はない。ただただ膨れ上がり続ける。不安を糧に膨れ上がり続ける。
相談もできない。誰にも言えない。言葉にしたところで妄言でしかない。
自分が自分でなくなる。衛宮士郎が衛宮士郎ではなくなる。記憶と言う自身を構成する拠り所が崩れていく。これでは外見だけ似せて全く別のもので構成された人形と同じだ。
「――――ッ!」
噛み殺す。叫び出したくなるのを、泣き出したくなるのを、勢いのままにぶちまけようとするところを寸でのところで噛み殺す。代わりに自身の腕を強くかんだ。くぐもった獣の呻き声のようなものが漏れた。
「――――アンタ、何しているのよ」
時が止まる。衛宮士郎の時が止まる。
突然の第三者の声にしかし士郎の身体は硬直をした。震えも止まったが、代わりに視線しか動かせない。
「何してんのよ、って聞いているのよ」
そんな士郎の構うことなく。
声の主は士郎の眼前へと位置を動かした。非常灯がその体躯を仄かに照らし出す。
「まったく、様子が変だから念のために見に来たけど……どうやら正解だったみたいね」
呆れたように、だけど少し安心したように。
声の主は言葉と息を吐き出した。
「何、で……」
「心配だったからよ」
何てことも無いように、彼女はそう言った。口角を釣り上げ、士郎の疑問を一笑に付した。
「磯波に言わなくて正解だったわ。あの子が知ったら余計に面倒になるもの」
黄土色の髪。
小柄な体躯。
意志の強そうな眼。
士郎が3番目に出会った艦娘。
「満潮……?」
「ええ、そうよ。ほら、立ちなさい。外行くわよ」
■
「夜の散歩も悪くは無いわね。偶にはいいかも」
夜の鎮守府を歩く。満潮を先頭に、ゆっくりと歩く。
鎮守府自体は消灯しているが、月が明るい為歩くことに困りはしない。ましてや夜目に慣れた今なら尚更だ。
ある程度建物から離れた芝生に到着すると、満潮はそのまま地面に座った。そして促す様に隣を叩いた。
「病み上がりなんだから早く座りなさいよ」
「あ、ああ」
主導権を握られっぱなしのまま士郎は満潮の隣に座った。疑問は多数あるのだが、現状に意識が追いついていない。自分が何をすべきか分かっていないので、頷くくらいしかできなかった。
「はい、水」
「あ、ありがとう」
ペットボトルを受け取る。天然水の名を冠している有名なアレ。言わば何の変哲もない水である。
とりあえず受け取ったからには一口分を口に含んだ。やはり何の変哲もない水である。
「あー、満潮さん?」
「……何?」
「その、どういった御用件で……?」
何故にさん付けなのか。そして若干敬語なのか。
その言葉を聞いて。満潮が呆れた顔をしているのは士郎には暗がりでも容易に想像がついた。というか想像でも何でもなく目の前で実際に呆れている。今すぐにでも盛大に溜息を吐き出しそうだった。
「……とりあえずアンタが愚鈍だって事がよく分かったわ」
中々に棘のある言葉である。今の一言だけで並の人間ならハートがブロークンするだろう。
「あんな醜態を晒しといて、よくとぼけられるわね。確信犯だとしたら主演男優賞ものよ」
「……やっぱり、見てたのか」
「まぁね。アンタがズルズルと腰を下ろしたあたりからかしら」
漸く現実に追いつく……と言うよりは無理矢理に現実に追いつかされた。
どうやら満潮は士郎の醜態を見ていたらしい。それも大分最初の方からである。
「で、何があったのよ」
余計な探りは必要ない。
単刀直入に満潮は士郎の内側へと切り込んできた。彼女らしい遠慮の無い言葉だった。
「……夢見が」
「嘘」
見破られる。一言めすら言い終わらぬ内の断言だった。
満潮の双眸が士郎に向けられている。嘘は許さぬと言わんばかりに眇められていた。
「磯波なら騙せているけど、同じ手が通用すると思っているなら大間違いよ」
「……」
「話したくないなら別に良いけど、木曾さんや望月はきっと私より敏いわよ」
つまりは、後になればもっと辛くなる。言葉の裏に含まれた意味を正しく士郎は受け取った。
木曾と望月は飛行場姫の報告の為、三日前に横須賀へと向かった。だが明日には帰って来る。
今の内に吐露しとかねば、明日にはもっとひどい状態で2人を出迎えなければならなくなる。暗に満潮はそう言っているのだ。
「……満潮は、さ」
「……」
「もしも……記憶に混乱があるって言われたら……その、どうする?」
もしも、と前置きしているがそれは前置きになっていない。今士郎が抱いている悩みを指しているのは明白だ。
満潮は士郎から視線を外すと、考え込むように己の顎を擦った。
「そうね……まずは記憶の整合をとる為に周りに確認するわ。まずはそれからね」
「……自分の記憶が間違っていたらどうする?」
「本当に私が間違っているなら認めるわよ。でも、皆が間違っていたらその限りではないわ」
満潮らしい言葉だ。そう士郎は思った。ぶれることのない一本の芯を彼女は持っている。
「と言うか、アンタが抱いているのはそんな簡単な話ではないでしょ」
そして敏い。彼女は的確に士郎の心の内を当てる。今の問いが話の序章でしかない事を理解しているのだ。
「吐き出しなさい。何なら一夜限りの夢って事で忘れてあげるわ」
もう彼女は士郎を見ていない。その眼は遠く水平線の先を見ていた。方角は南南東。波の音と時折吹き抜ける風の音だけが士郎の耳に届いた。
「住んでいたはずの街が無くなったんだ」
どれくらい時間が経ったのかは分からない。1秒かもしれないし、1分間しれないし1時間だったかもしれない。
だが口は開いた。そして出したら言葉は止まらない。
「見つからない、って言われた。日本のどこにもないらしい。知っている筈の場所も、建物も、人も、みんな無くなった」
「……」
「記憶が混乱しているかもしれない。そう黛さんは言っていた。けど、俺は混乱しているとは思っていない。確かにあったんだよ。……だけど、自分で調べても本当になかった」
冬木市と言う街があった。
大火災と言う災害があった。
一人だけ生き延びた記憶があった。
衛宮切嗣と言う人物に助けられた記憶があった。
彼の養子になった記憶があった。
藤村大河と言う大切な人に出会った。
間桐慎二と言う友人に出会った。
間桐桜と言う妹代わりに出会った。
柳洞一成と言う友人に出会った。
美綴綾子と言う友人に出会った。
あの日まで確かにあった――――いや、あるはずの記憶なのだ。今までも、これからも。絶対に不変である筈の記憶。
それが突然無くなった。
全てが無くなっていた。
「分からないんだよ、何もかも。でも俺がおかしいとは思えない。絶対にあったんだ。絶対に――――」
ぶちまけていた。全部全部ぶちまけていた。心の内を。誰にも言えないと思っていた事を。口を通して、言葉にして、声に出して、全てを外へと吐き出した。まるで火にくべるように止まらなかった。
だがそれは木曾にも、望月にも、叢雲にも、磯波にも、三日月にも、叢雲にも、誰にも言っていなかった事だ。
何故ならば。士郎は皆に余計な心配をさせまいと振る舞わなければならないと考えていたからであり。そして口に出せば現実として認識しなければならないと言う恐れからによるものだった。
「俺はどうしてあそこで目覚めたのか、どうやってあそこにいたのかもわからない。何かを忘れている筈なのに、何も思い出せないんだ……」
崩れていく。そう士郎は思った。口に出したことで、第三者に聞かせたことで、一層その思いは強くなった。無い、と言う現実が強く士郎にのしかかっていた。
空白の記憶を思い出せば、何かが変わるかもしれない。説明がつくかもしれない。納得はいかなくても理由は分かるかもしれない。
だが今はその切欠が見つからない。
最後の最後まで吐き出し切ったところで、力なく士郎は頭を垂れた。
「……全部出し切った?」
「ああ……」
「そう……なら――――」
首に腕を回される。優しく、しかし強引に体勢を崩されると、そのまま柔らかいものに包まれた。
「じっとして。私の心臓の音に合わせなさい」
頭上から声がする。耳を打つ己以外の鼓動。衣服越しに感じる温もり。
「私が金剛さんの特訓を受けていた時にね、やりきれなくて自暴自棄になった事があるのよ。そんな時には強引に抱きしめられたわ」
恥ずかしいけど効くでしょ?
そう言って満潮は笑った。
言葉の通り、突然の事に頭は混乱しているが鼓動は落ち着き始めていた。
「……アンタの気持ちは分からなくも無いわ。尤も私の場合、立場はアンタとは違うけどね」
覚えているかしら。磯波が記憶を失くした話の事を。
落ち着いた語調で満潮が問いかける。鉄底海峡に居た時に聞いた話だ。
「あの時は金剛さんは引き篭るし、磯波は記憶を失くすしで気が狂いそうだったわ」
正しいのは自分しかいない。頼れる者は誰もいない。張りつめていた神経を引き千切れるくらいに引っ張ってなければ正気を保てなかった。
「幸いにすぐに荒潮たちが来たおかげで他の事に意識を向けることは出来たわ。でも、不安で仕方が無かった」
誰が悪いわけでは無い。様々な要因が重なって生じた出来事だ。だからその事に不満を言う意味は無いし、言うつもりもない。
だが一つの事実として。
満潮は知っている。自分一人しか正しい者がいない辛さを知っている。
「だから、アンタの気持ちは分からなくも無い。でも、今のアンタには支えてくれる子がいるでしょ」
もっと頼りなさい。諭す様にあやす様に、そう満潮は言った。落ち着かせるように優しく後頭部を撫でられる。
「安心なさい。何があっても、私たちはアンタの――衛宮士郎の味方よ」
落ち着く声だった。
落ち着く鼓動だった。
落ち着く温もりだった。
目頭が熱くなる。今の己の悩みを吐露し、そして受け止められたことに対する安心故だった。
衛宮士郎は決して一人ではない。改めて気づかされたその事実に、零れそうになる想いを必死に堪える。それは男としての最後の矜持であった。
「……ありがとう、満潮」
「どういたしまして」
満潮の手を離れ、気恥ずかしさを隠す様に士郎は空を見上げる。その東の空が若干白んでいた。大分長い事外に居らしかった。
「もうすぐ朝、ね」
「……ああ」
威風堂々。その言葉が似合うような様相で。士郎の先に満潮がいる。士郎と同色の黄金色のその双眸が、士郎をしっかりと捉えていた。
彼女の右手が士郎に向けて伸ばされる。
「さぁ、戻るわよ。士郎」
おまけ(と言う名のNG)
首に腕を回される。優しく、しかし強引に体勢を崩されると、そのまま柔らかいものに包まれた。
「じっとして。……ごめん、ちょっと位置が悪いわ。リテイクしても良い?」